玄蒼市奇譚・第一章

第一・五夜

第一幕



「これで最後よ、悪いわね…とはいえ放っておく訳にもいかないからさ」

鴨翼邸より段ボール数箱にこれでもかと詰め込まれた本などを積んでいた後部座席をたたんで
収納スペースにして運んでいた瑠奈が魔界大使館前でトランクを開けると

「ホントこれで最後ッスかぁ? いや、置くのは構わないんですけど…」

鶴谷さんがややうんざり顔で数箱まとめて大使館に運び入れて行く。

「ウチに置くのもバスター管理局もバスター訓練学区や特区も
 安全とは言えないから、ここしかないのよね…、ところで檜上さんは?」

鶴谷さんが最高に渋い表情をして扉を開けると、積まれた段ボールからとりあえず
中身を整理しようとしたのだろうが興味を引く本があって思わず読みふけっている
檜上さんが満足げで興味深そうに本を読んでいた。
鶴谷さんの表情がうんざりしていたのは荷物の多さでは無かったのだった。

瑠奈もひと箱段ボールを持って運び入れて中に入ってその様子に

「…ま、気持ちは分かるけど…」

「判るだけにしてくださいよぉ、二人とも本に読みふけられたら始末に負えなくなる」

ここで檜上さんはやっと瑠奈に気づいて

「おやおや、これは失礼…手伝いもしませんで、しかしこんな興味深い本まで
 所蔵していたとは、流石専門家と言うべきか…」

それは前夜話題に出ていた「雅いぶき」の「難解なパズル」の方の本だった。
瑠奈も流石にやや呆れて

「…ただ、所蔵していた鴨翼氏も流石に難解すぎたのかほぼ新品だけれどね」

「数学の世界ならポアンカレ予想のように懸賞金が掛かっても良いほどの難解さです
 しかし、これほど思考をくすぐられる内容もさることながら相変わらず文章も中々に上手い方だ」

瑠奈はそこでふと二人に

「そういえばあなた達二人は彼に直接会っているのよね」

それには鶴谷さんが

「ええ、今でも覚えてますよ、協議の後に檜上さんが
 「彼は中々侮れない、敵に回したくないタイプの人でした」
 って言ったことは」

瑠奈がいたずらっぽく

「協議の中身はちんぷんかんぷんだったとw」

「失礼な、ちょっとは理解しましたよ、ええ、ちょっとですけれど」

そこへ読書を中断し、しおりを挟んだ上で雅の本を閉じた檜上さんが穏やかな微笑みのまま

「僕はその言葉、今君から聞くまで呟いたことを忘れていましたよ…w
 何気ない一言だったつもりで忘れてしまうのが僕の悪い癖」

「言ってることもその本みたいに難解だったの?」

「いえ、彼はプレゼンの大変に上手い実に判りやすい説明をしましたよ、
 ですから魔階の構築と山羊屋への管理委託なんて今考えたら即決するようなことでもないことを
 即日決定してしまいましたからね」

「俺もそこは覚えてますよ、とにかくアンカーだけで無いお互いのフラストレーションを
 解消し合う場所とそれに必要なモノと技術の開発をしないとと言って既に
 幾つも草案やら今ある人間界の魔術品のレシピやらを提示したんスよ、
 そこまでされちゃこっちだって一考しないわけにも行きませんからね」

「それらの草案やレシピ…或いは設計図もあったんでしょうけれどそれらは?」

「魔術的にコピー不可、実現して魔術品などの製法が伝わったならもうその場で
 燃えて無くなったそうですよ、恐らく魔階の設計図に関しては山羊屋が
 何か知っているかも知れませんね…ただ、彼らは魔界側からも人間界側からも
 ある意味理解不能な独自のルールがありますから、素直に教えては呉れないでしょう」

瑠奈が「ちょっと当てが外れたか、予想通りではあるけれど」という表情で
少し俯いてあごに手をやった。

「ともかく…ウチに移管とはいえ所蔵になるわけじゃないっすから下手に中検めて
 読みふけったりしないでくださいよ…」

檜上さんは苦笑して

「それも僕の悪い癖、今回の事件に「魔階でしか確認できない特殊悪魔が人魔融合に
 使われた可能性がある」と言うことでついつい…w」

瑠奈は腕組みをしてため息をつきながら

「檜上さんが「侮れない敵に回したくない人」というように、あたしもそう思ってる…
 出来れば何らかの別な手段…「魔界の誰かさん」が特殊悪魔を用意したと思いたいのよね」

檜上さんも同調して

「その「誰か」は非常に巧妙です、こちらからは検出不可能なやり方で
 「組織」との橋渡しをした可能性は大いにあります、何しろ本人も行方不明ですしね…」

「雅が魔界に移動したとかこの街のどこかに魔術的隔離を別に施したとかは?
 まぁ当然チェックはしたわよね…」

「ええ、ぬかりなく…「今でもこの市内のどこかに居る」事以外魔術的痕跡も何も無いのです」

鶴谷さんがそこへ

「あり得ないっすよ、俺鼻も利くんですけど「居る」って以外何も判らない」

檜上さんも

「まったく、本当に敵に回したくない、回っていて欲しくない人物です」

なんと無く場が少し止まって、三人は軽く空気を読んでとりあえず段ボール群を整理し始めた。
ふ、と鶴谷さんが

「そういや、これだけの段ボール百合原さん一人リレーで持ってきたんですか?」

瑠奈はやや軽めの段ボールを運びつつシケた面をして

「まさか、昨日ここへの移動が決定してから警察が主体で梱包して…」

よいしょ、と段ボールを積み上げながら

「大使館前の通り入り口に殆ど投棄していたような状態よ、今朝連絡が来て
 昼ここに来て愕然としたわ」

「はァ? なんでそんなところに、それならここまで持ってくるのも大差ないじゃないっすか」

そこへ苦笑をしながら檜上さんが

「…ま、
 大使館前の通りは大使館預かりで独自の結界が張ってあることは知っているでしょうしねぇ」

その言葉に含まれた物に鶴谷さんが気づきこれまたシケた面をしつつ呆れながら

「俺たちのどこが逃げ出さなきゃならないほど奇矯だって言うんですか、
 誰か面白がる奴はいないんですかねぇ?」

「まぁまぁ…w
 僕たちが「変わり者」だと言う事自体は否定してもしようがありませんよ」

瑠奈が気抜けしたように二人の言葉に

「…それじゃ一番奇矯なのはあたしって事になるじゃないのさ」

少し二人が凍りつつ

「いや…うん、百合原さん変わってると思いますよ」

「人間界からも魔界側からも微妙に疎まれている我々に対して
 両方からの要請もあって両方のパイプになっていますからねぇ…」

「勘弁してよ…、あたしはあたしであちこちから遠巻きにされているのに」

鶴谷さんが何段にも重ねた段ボールを運びその瑠奈の締まらない様子に少し微笑みつつ

「俺たちは感謝してますよ、百合原さんが人間側の情報呉れるから前よりずっと
 動きやすいですからね!」

瑠奈もやれやれと思いながらも

「こちらも魔界とのパイプが出来た事は感謝しているわ、それに、今みたいに
 厳重監視対象をこちらに保護もお願い出来るしね」

何だかんだ端っこにある歯車がかみ合って回っているのだ、それを思うと
檜上さんもそれを微笑ましく思って作業をしていると…

大使館に警報が鳴り、魔界から大使館へ同時に通信も入った!
一気に緊張に包まれる大使館内。

「…魔界から何かが玄蒼市に漏れ出した!?」

瑠奈が反射的に言うと檜上さんが玄蒼市MAPの座標を確認しつつ通信に出る。
苦しそうな声で呻きながら客気な女の声がする。

「うう…済まない…分霊が暴走してしまった…」

檜上さんはやや焦りは感じさせつつ、それでも冷静に最初に確認すべき事を確認した。

「戦闘での強制排除で、構いませんね!?」

「構わない…分霊もそれを望んでいるはずだ…アタシのフラストレーションだ…」

檜上さんはとりもなおさず座標を大まかに特定して

「鶴谷君!」

鶴谷さんは強い調子でそれに

「判ってますよぉ!
 さぁ百合原さん、居合わせたんですから手伝って貰いますよ!」

「それは構わない、行きましょう!」

緊急の出動時には大使館出入り口では無く、別のドアから空間を繋げて現場近くに出る、
それは瑠奈も知っていたので鶴谷さんとともに緊急用のドアへ赴く。

そして空間接続の手続きを檜上さんが行っている時に瑠奈が聞いた。

「ところで何が出没したの?」

「とりあえず現場へ急行して下さいっ、開きました!」

鶴谷さんが勢いよくドアを開き、飛び出す、事は急を要する、そればかりは承知した瑠奈も
振り戻りつつドアの外へ足を踏み出した…瞬間!

「…ちょっ…!!」

そこは地上50mほど、空中だ!

「百合原さん! 失礼しますよ!」

降りてきた瑠奈の手を取ったと思うと鶴谷さんはあっという間に瑠奈を
いわゆるお姫様だっこの形でビルの上へ飛び降りる気だ
だっこの瞬間、瑠奈の体に緊張が走ったのを鶴谷さんは腕を通して感じる。
まだ、誰かに不用意に触られることは苦手なんだな、と鶴谷さんは思ったが今はそれどころでは無い。

一瞬トラウマで緊張した瑠奈も着地の心配は無いと冷静に判断をして恐らく先の真從六区での
騒ぎの際に少し歪みが残った「引っかかり」に現れたのだろう巨大なそれに声を上げた。

「ヘカーテ!?」

そう、それは魔族・魔王「ヘカーテ」
人間が「仲魔」にする場合それほどハードルの高くない魔王だが、これは本神から直の分霊、
そのエネルギーの発露からも大きく、強大な力を感じる!
そしてその大きな特徴は「基本的に魔法は効かない」ということ、
詰まり魔法使いである瑠奈にとっては一番イヤなタイプである!

鶴谷さんがビルの屋上を突き破るんじゃ無いかと言うほど力強く着地すると、
瑠奈は丁寧に足から下ろしつつ

「大丈夫っすよ、メギド系は効くでしょ!
 じゃ、俺時間稼ぎしますから宜しくお願いしますよぉ!」

大使館の二人はその役目もあり、本来の姿はそれはそれであるのだが制約を受けていて
普段の姿のままで戦闘も行う、だがそれだけに鶴谷さんの動きはまさに超人的だった、
「目にも止まらぬ」早さでヘカーテにジャンプで突っ込んで行くと、

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおお!」

気合いの咆哮と共に一発のパンチをお見舞いするが、それがまた可成りの高威力!
スピードが速く、そして力も強い、近接専門ながらその能力は矢張り人間離れしている
ヘカーテもその威力に廃墟と化していたビルによろめき、少し崩しつつも
体を支えようと反射的に動く。

そして鶴谷さんが瑠奈の方を向き

「百合原さん! いいっすか!?」

ビルの上にはいつものスーツの上に黒い軍服風のコートを肩掛けにした瑠奈と、
そして先の戦いにも参加した騎乗型ヴァルキリー、鶴谷さんの声に

「ええ、いいわ! じゃあヴァルキリー、
 先ず相手がダッジ(躱し)を仕込んでいるかカウンターを仕掛けているかの
 見極めであたしが撃つわね、間髪入れずに着弾の直ぐ後に、宜しく!」

「任せておけ!」

ビルとは言えそう高くないビルなので屋上からヴァルキリーはそのまま勢いで
ヘカーテに突っ込みつつ、そのタイミングを見計らって瑠奈がメギドをまず投げつける…!



「長官、先日の真從六区にまた何か悪魔が…大使館の方から直接鶴谷氏と…
 識別IDからしてDBユリハラの二名が迎撃に向かったようです!」

そこはバスター管理局の指揮室、
あらゆる魔に関する情報の収集とDBへの指揮指導を統括する中枢で
長官は普段は別室の長官室なのであるが、この時は丁度様子を見に来ていた。

「…その二人が向かったならとりあえず様子を見よう、ダメなら早々にダメと判断し
 こちらに救援を要請するだろう、百合原君なら」

いい加減な対応のようで、それは実に理に適っていた。
先日の真從六区での出来事は探偵事務所の終業時間に重なっていたこともあり
身内で救援も固めたが、今は昼間、昼下がりである。
「手強い」と思えば瑠奈は無理をせずHelpを要請出来る柔軟な思考をしているので
現場の判断に任せるという長官の姿勢は実に理に適っていた。

「ところで何が出現したのかね?」

「はぁ…大使館に依りますと魔王ヘカーテ…ランクはAの上級からS級と思われると…」

「ふむ…魔型の彼女にはちょっと荷が重いかも知れないが…鶴谷君と組んでいるなら
 万能魔法対応も出来るだろう、まぁ…任せよう」

いいのかなぁと思いつつモニタリングを続行するオペレーター。
すると、また別のオペレーターが

「長官、外からの問い合わせです」

鵬翼長官も流石にちょっと片眉を上げ

「外から? どういった要件だね?」

と言いつつ、その取り次ぎオペレーターの元へ歩み寄る。

「どうも…何者かが札幌で魔法陣を使ったようですが…」

全件は一気読み出来ないので要点だけを長官に伝えると、そのモニターに写る件名を見た長官。
そこにはこうあった。
「札幌市・百合が原桜木中・高等学校における薬品を用いた魔法陣の作成とその効果について確認」
札幌市、それは警戒地域にもなっていた一つである。
一瞬厳しい表情をした鵬翼長官であるが、その次の文言が目について彼は思わず呟いた。

「これは…百合原君だな」

百合が原だから…?
オペレーターが今度こそ「本当にそれでいいの?」という表情を思わずしてしまった。

取り繕うように長官が咳払いをして

「いやいやいや…魔法陣と言っても範囲は広い…言語や書式、内容によって
 専門家もそれぞれ居るほど複雑だ…しかし百合原君は広くそこそこ深く魔術も研究している
 先ずは百合原君に要件を見せて必要なら専門家に…だな」

「いいんですか? 絶対彼女不機嫌満開になりますよ…この案件名…」

「たまたまだよ、君ぃ…たまたまだ…では(やや大げさに場を転換させようという発声)…
 ヘカーテの方はどうかね?」

「押しては居るようです、先日の「合成人魔」よりはもう少し優勢が伝わりますね」

「ふむ、ではそれが終わったらこの指揮室に直接来るように打電しておいてくれ給え」

長官室では無く指揮室へ…?
オペレーター達の心が一つになった。

「長官も勿論居ますよね?」

「…え…い…いや…うん」

流石にちょっと安易だったかなと思いつつも、しかし百合原 瑠奈という人物は
確かに魔術関連に可成り傾倒し、破壊魔法だけでなく「召喚」「交渉」「悪魔学」「心理学」
「御霊悪魔育成学」「融合」といった陣なども使うような魔法学問に可成り明るい、
スペシャリストと言えるのは交渉や心理学、御霊と言った一部ではあるが
それ以外も自分で一通り施術出来るくらいには鍛えている、
探せばもっと適任は居るのかもしれないが
既に「百合が原」という地名が長官の頭に固定されてしまった。
ベストでは無いかも知れないが思いつきにしてはベターな選択である事は間違いない。

長官は観念して

「…判った、私が言うよ」

オペレーター達がほっと胸をなで下ろした。
DBユリハラ、冷静沈着だが感情を大切にしており、地雷を踏めば即怒り心頭に発する。
それでいて言葉はちゃんと選んで相手にまともな反撃を許さない。
要するに指示を出すにはとても厄介で苦手なタイプであった。

またあの怒りを直接受けるのか…と長官は思いつきでのベターな采配とは言え
少し己を呪った。



「…で? そこそこ全力で戦って満足な修復もさせず呼びつけてこれをやれと…?」

指揮室に憤怒の感情が渦巻く、勿論その中心は瑠奈。
ヘカーテを何とか撃退した後、間髪入れずに入った緊急要請で出向いた先で渡された要件の
「札幌市」はともかく、その次の「百合が原」という地名で矢張り瑠奈は一気に不機嫌。

「う…うむ…、いや、報酬はそれなりに弾むよ?
 専門知識も絡むことだからねぇ…うん」

今にも爆発しそうな怒りで瑠奈はそれでも要件を詳しく読むと、
そこには魂の移管に関する予想や、大変精細なスケッチが添えられていて、
見た瞬間に「あ、あれかな」と候補が幾つか瑠奈の頭に駆け巡る。

「…判ったわ、やったげるわよ…「図書館」と「資料室」と端末一つ貸して
 ここで一気にやっつけてやるわ…」

この場合の「図書館」も「資料室」もすべて悪魔や魔法、詰まりDB関連の専用施設である。

「気になるだろう?
 札幌という予想は君が最初に出した物だし、実際に何かが起こっているかも知れない」

瑠奈はそれでも不機嫌な表情は崩さないまま

「そんな駄目押ししなくったってやるわよ、二時間…二時間半ほど時間を頂戴」

いつもは「時間をくれる?」とか「下さる?」とか聞く瑠奈が断定で「頂戴」という。
矢張り彼女は相当怒っている。

「リペアツール十個も更に付けるよ」

ええいもうこのまま押し通すぞと長官も開き直った。
リペアツールとは通常の修理では直しきれない装備の痛みを新品にまで段階的に直せる魔術品である。
「この狸おやじ…」という瑠奈の恨めしい目だが、開き直られたら結構弱い。
瑠奈はそのまま指揮室を出た。



きっかり二時間半後戻って来た瑠奈はそれを国土交通省である「特殊地域課」という部署に
玄蒼市外で問題なく閲覧使用できるように纏めた上で渡し
(こう言う事にも「翻訳」は必要である)
そして特殊地域課では無く、省庁からして違う別の所へ直接繋ぐように申し出た。

興味ありげにそのやりとりを見たいと思った長官や、手の空いたオペレーター達も後ろから見ている。

『お待たせ致しました、警視庁公安部警備課特殊配備担当の新橋と申します』

「玄蒼市A級デビルバスター百合原瑠奈、今回札幌で起きた魔法陣を使用した事例について
 見解を纏めさせて貰ったのだけれど、貴方に聞きたい事があるの」

『何でしょう?』

「質問の内容は明らかに事情をある程度把握している人間が口添えしている、
 特備の担当刑事じゃない、
 恐らく祓い人…それも結構な手練れが札幌を担当しているという話だけれど
 それに間違いは無いか聞きたかったの」

『この件ではまだ玄蒼市としては動けないと言う事で宜しいでしょうか』

「申し訳ないけれど、魔法陣を使った事件は東京などではちょくちょく起きているし
 そちらの収束で玄蒼市として動く事はあっても、それは矢張りあくまで首都であったり
 全国でも指折りの大都市で起きるからこそある程度のモニタリングも出来る、
 とはいえ、魔界大使館の人員はたったの二名、今回一件だけでは札幌を常時モニタリングの
 対象には出来ない、これは大使館にも確認したわ」

後ろで聞く長官は思わず小声で

「階級や知識技能だけなら上の者は沢山居るのに百合原君を頼らざるを得ないのは
 こう言う事も絡んでいるからなんだよなぁ」

オペレーター達も頷く、魔界大使館と繋がりがあるバスターなどほぼいない。
悪魔と戦うために居るのがバスターであり、本来悪魔との融和などは異端なのであるが
そこをギリギリで法律の線で踏みとどまりつつ魔界と繋がりがあるバスターなどほぼ居ない。
大体は踏み外してアウトロー化してしまうのである。

『…判りました…これが今後の一手を遅らせる事にならなければ良いのですが…
 しかし彼女も強い、
 こちらで出来る限りの先手は打ちつつも暫くは様子見と言う事で承知しました』

「貴方は札幌の担当を知っているようね?」

『私は彼女の初代担当でした、
 今のところ彼女の実力は誰よりも理解していると自負していますよ』

「へぇ…」

『一つ指摘します、彼女は札幌担当ではありません、北海道全域の担当です』

瑠奈はやや驚いて

「全域? あのだだっ広い北海道を一人で?」

『将来有望な助手と血縁で一人祓いの力を持った姪も居ます、多少の事なら…いえ…
 玄蒼市内でも少人数では手こずるような魔も彼女の手に掛かれば確実に葬り去るでしょう』

「…そう、十条って言うのだけは知っている、名前の方を教えてくださる?」

『彼女の名は十条弥生と申します』

「判った、悪いけれどそれなら尚更事態は見極めさせて頂くわ、
 こちらからも何処がターゲットの街なのかは兎も角魔界側をせっついて
 なるべく担当のモニターを付けるように交渉はしてみる」

『宜しくお願いしますよ…、何しろ幾ら強いと言っても死すらも無効に出来るほどには
 祓いは体系化されていないものですから』

「…それに関してはこの街が狂っているだけだわ、とにかく札幌の疑いが一歩強まったけれど
 まだ確定とは言えないと言う事だけは、北海道にはやや負担を掛ける形になるけれど」

『そこは、お任せください、こちらも打てる手は打ちます
 こちらからも質問と言いますか要請宜しいでしょうか?』

そこでふと瑠奈が困った。
そうだ、自分は街を代表するような身分では無い、と言う事を。
長官が背後に来て肩を叩きながら

「そこは、私の領分だ」

「ええ…、そうね、一人で突っ走りすぎてしまったわ、悪い癖…」

「DB管理局長官鵬翼、要請とは何でしょうか?」

『魔法陣漏洩事件…主に東京になりますが…こちらにも担当させて頂けませんか?
 今のところ国交省の特殊地域課が主体でそちらのバスターが一時領域外活動の許可を
 わざわざ得てからの捜査と伺っております』

鵬翼長官は少し考えて

「余りに重大な物でないと確定出来た物ならば…そうですな、確かに手続きも掛かります、
 そうした方がいいのかも知れません…ですが…」

『…何でしょう?』

「判っておられると思いますが、玄蒼市で担当するのは漏洩元である可能性の他にも
 先程も仰有っていましたな、死すらも無効に出来る技術がこちらにはある、しかしそれも
 玄蒼市で正規の活動をしている者に限られます、それに取って代わると言う事は…」

『ええ、確かにそれは判っています、ですが「これから」を考えますとある程度
 「混じる」ことも考えなければならないかも知れません』

「それほどの脅威を感じますかな?」

『…感じますね、勘に近い物ですが、今まで通りで善しとは出来ない状況になる可能性は
 追及しても良いと思うのです、祓い人にも魔術関連にはそれほど明るくない人も多い、
 十条さんははっきり言って余りにも特異な人です、あれほどのオールマイティな
 祓い人は恐らく今この段階では世界中探しても居るかどうか…
 そこに甘えないためにも、こちらで出来る事はこちらでしたい、という要請です』

「判りました、DB管理局と言えど全ての決定権が在るわけでは無い、
 少し段階は踏まなければ為りませんが、期待には添いましょう、そして
 お任せするからには…判っておりますな?」

『判っております、安請け合いなどするつもりはありませんよ』

「では、その旨確かに承りました」

『宜しくお願いします…時にA級バスターとは文字通り一番上なのでしょうか?』

その言葉に長官の後ろに立っていた瑠奈は「しまった」という表情を隠しきれなかった。

「いえ、上にS、更にSSがあります、百合原君に関しましては少々立ち位置が特殊でしてな」

通信の向こうの新橋は少し笑って

『ふふ…いえ、なかなか客気な…悪い意味では無く…
 そう言う方だと思いましてね…気に入りました』

「そうですか、警視正に対してかなり不遜な物言いだったとは私も思いますが、
 何卒「彼女はそう言う人柄だ」と言う事で収めてください」

瑠奈は軽く頭を抱えた。
警視正、そうか、警視庁公安の一部署のトップなのだからそれなりの地位の筈だ、
鵬翼長官とのノリをやや継続した…増してダジャレで仕事を押しつけられた後とあって
確かに「悪い意味で」客気だったと瑠奈は反省した。

『私は気に入りましたけれどね、十条さん以外で久しくこのようなやりとりを
 して居ませんでしたので』

そしてその警視正をして何度も名前を出させる「十条さん」…十条弥生、
何者なのだろう、どのくらいの実力者なのだろう、
宇津女曰くの「一人予定が二人」というのだから
単純に二倍とは言わずとも先日の「奴」の胸を貫いた祓いの矢以上の力を持つ事は確定だ、
成る程、確かに戦慄するほどに強いのは間違いないだろう、瑠奈は密かにその名を胸に刻んだ。

「それでは…あー、百合原君、君の方はもういいかね?」

瑠奈はかなり決まり悪く

「あ…、ええ…」

『また何かしら動きがあったり、
 また質問や見解を求める機会が…あって欲しくはありませんが
 あるかも知れません、その時は宜しくお願い致します』

ややも〆のやりとりの後通信は終わった。
長官はややあきれ顔で

「彼の言葉に嘘はないようだったが、気を付け給えよ?
 私のように付き合いやすい上役ばかりではないのだから」

瑠奈は今になって滲んだ冷や汗を拭うようにして

「ホント…行き過ぎたわ」

「悪い意味でなく客気…歳の運を招き入れるような勢いを感じた…と言う事だろう
 なかなか彼の趣味も変わっているというか」

瑠奈はそこはツッコミ顔になり

「そう言う好みの問題じゃあないでしょ」

長官はその反応ににこりとして

「まぁ、そのままの君で居てくれと言うのは私も同感だよ
 ただ足下はおろか一気に首まで持って行かれないようにだけは気を付け給えよ?」

「ええ…それに関しては大いに反省するわ」

事件の後始末、そして新たな事件、何も変わりの無いような毎日の筈が
少し、その様子が変わってきたな、というのは瑠奈だけでなくその場に居た誰もが思った。
きっと、来て欲しくない未来…まだ確定ではないとは言え、どこかの都市…
或いは札幌が狙われている事、魔術漏洩に関しては今までほぼ玄蒼市で一手に担ってきたが
それも少し外の成長を促すため…もあって変わって行く事を心の奥底で心配せざるを得なかった。


一・五夜、閉幕。


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