L'hallucination with 玄蒼市奇譚

CASE:TwentyFive

第一幕


「まさか…! あの門を正規の手順を踏む事なく開けてしまうなんて!」

「あの子タダモンじゃ無いっスよ、と言ってむやみに動き回っても
 どうにもならない事はあの子も承知してるでしょう、如何しますか」

大使館は騒然としていた。
札幌担当になっていた新任の原山が

「ご安心ください、札幌に大きな波はありません。
 恐らく「向こう側」にとっても思いがけない事なのだと思いますよ!」

興奮冷めやらぬ檜上だが、

「ともかく、関係各所に連絡を鶴谷君はお願いします、僕は降りてきます」

「判りましたけど、まさか直接?」

「まさか、今の彼女は内心は何が良し悪しかも分かっていない状況でしょう、
 「有無を言わせぬ」説得が必要です」

「フィミカ様に一報を入れるという事ですね、判りました!」

鶴谷が急いで玄蒼市内各所に連絡を取り始める。



「造魔関連の報告書が上がってまだ必要なモノが揃っていない翌日にまさか
 直接こちらに来るなど思っても居らず、大変ご迷惑をおかけしますが…」

本殿にて檜上さんがフィミカ様に頭を下げると、「そういうのはよい」という手つきをしながら

「偉いのが来おったな、わらわが言わんでも彩河岸側から入ったで
 二人が既に向かって居る、お主は仕事に戻れ、恐らく、何かしら仕掛けてくるやも知れん」

「仰有るとおりです、では後は成り行きに半ば任せます」

「任せておけ、祓いの領分であればそれはわらわの出番じゃ」

檜上さんが消えると、フィミカ様が呟いた

「…弥生か…、本来来ぬモノが来るやもと思うたら、なるほど、あれを育てたかったか」



玄蒼市区域と言って即市街地とはならない、幾らか山林などを含め緩衝地帯を
儲けてあるのだ、葵が今居る所からだとまだ市街地は見えなかった。
ただ、舗装された道がある。
恐らく「キチンと通行手形を持った」者だけが通る事を許される時に通る道なのだろう。

「御免なさい、災いを呼ぶ事になるけど」

でも…という強い思い、その思いがあふれ出て近づこうとする悪魔も禍もほぼ全て
触れる前に浄化してしまう、全身にそんな祓いを纏って普通なら直ぐ枯渇するはずなのに。

そこへ、葵の勘も働く、少し上空に裂け目が出来て、結構な強さの悪魔が降りてくる。

流石にそれは葵の気だけでは吹き飛ばされる事も無く目の前を塞ぎ

『そんなに祓いの気を放出してはいつまでも持つまい、お前を人質にするのも
 良い手かも知れないとお達しを受けた』

「…へぇ、そうか、そういうやり方もあるね」

葵はそこで「ちょっと無責任をやってしまったな」とは思ったがその瞳の強さは変わらず

「その手は食うわけには行かないね」

どうも相手はインドラ…?

「ねぇ、インドやネパール…その辺りの仏教や古い信仰から来ているようだけど
 それってやっぱり意味があるの?」

葵の質問にインドラは応えず、激しい雷撃と共に襲いかかってくる。
真美なら、これを真正面から受け取りつつ真正面から殴り合いが出来る、
真美はだからどちらかというとこちら方面の資質強いのだ、と言う事が葵には判る。
しかし葵とて元はただの人間、祓いは一時的な物であって無限ではない。

物凄い早さで範囲を逃れつつ、まず相手の技の出方を探るつもりのようだった。

『そんな事をして居ては、お前の力も尽きるぞ』

「そんなに早く浄化されたい?」

『なにぃ?』

インドラは念のためか防御技を一つ使い、そして攻めに転じようとした時だった。
インドラの片腕が吹き飛んだ。
葵もインドラも一瞬起こった事に戸惑うと、インドラの遙か背後に赤い弓を滾らせた
長い黒髪の…着物に袴履き、袖はまくっていて、それでいて西洋の帽子をかぶっている
そんな女性が射た矢の効果だと二人が認識した時、葵に優しい守りの言葉が
掛けられるのが判る、何度かこれを受けた、四條院の詞だ。

インドラが後ろに気を取られて

『おのれ!』

と声を上げた時、インドラの上半身は葵の手のひらにより吹き飛んでいた。

「目をそらしちゃダメだよ」

降りる時に下半身も消える前に吹き飛ばし、着地する
向こうから二人の…先ほどの弓を射た和洋折衷の長いストレートの髪の天野と
もう一人、ショートヘアの巫女がやって来る。

「一時的に祓いを抑える呪文をお願いします!」

ショートヘアの四條院の女性が葵に声を掛けた。
葵は今でもポケットに瑠奈が書いて寄越したメモ紙を持ち歩いていて、
それを見て慎重に呟いた。

轟々と滾っては散って行くような流れでは無くなったが、それでもまだ力を溢れさせている。

「アンタは一体何者なんだ…? と、言いたいが、お互いもっと若い時に
 一度会ってるね、まさかこれほど立派に育つとは…」

葵はぺこりと二人に頭を下げて

「弥生さんがボクを育てるために…二人には迷惑掛けたとボクも今なら良く判る
 本当に御免なさい」

四條院沙織がその頭を上げさせ

「何を仰有います、確かに急でしたし私達もまだまだひよっこでした、
 でも、フィミカ様の直属で働けるんですよ、その意味は今の貴女なら分かるのでは?」

「うん、あんな凄い人の誘いを断るほどの、それほどの物なのかなって結構思った」

天野宇津女が葵の背に手をやって行動を促しながら

「今思い知ったよ、アンタはその価値がある、さ、
 そのままじゃここでは魔を呼ぶ、行くよ」

葵が

「何処へ?」

「天照院に決まっているだろう、この街でそれなり正規に過ごすためには
 幾つかのルートがある、通常なら入郷管理局ってお役所魔術仕事なんだけど、
 大使館ルートとか、そして最後に」

「フィミカ様から許可を受けること?」

「フィミカ様のは許可なんて大層な物では無く、単に「外からの気配を抑える」
 ためのものです、でも一応同じ役目が果たせます、緊急時にはフィミカ様が
 市からの正式な代理を請け負っても居るんですよ、まして貴女は祓い人」

ややも進むと、サイドカーがある。

「ボクも最近原付だけど乗り始めたんだ」

「ホントなら車がいいんだろうけど、時間は多少交わるとは言え、
 今は大まかに昼が沙織で夜が私になってる、なんで単車の方が費用も安くてね」

葵は宇津女とタンデムの形で乗り込みながら

「祓いってここでも儲からないの?」

「いや、祓いもバスター稼業も入る時は凄い入るよ、
 でもコイツ(沙織)がさ、それを全部装備増強で出しちまうんだ」

サイドカーに乗る沙織が困りながらも

「だって…やっぱり強く生き残るためですから」

「そっか…バスターでもあるんだもんね…ここの祓いは、フィミカ様でさえも」

「そうなんだよ、まぁ、フィミカ様は瑠奈を引っ張り回したりして
 ワガママ言い放題だし、土地もあるから食う分には困らないんだけどな」

「フィミカ様がワガママ放題ってなんか変な感じ」

「私達も最初は我が目を疑ったよ、確かに江戸時代頃には結構享楽的になったとは
 聞いていたけどさ、何が欲しいのこれが欲しいの言いまくりだったからな」

「それも…四代さんの影響なのかな」

そこへ沙織が

「弥生様のお体再現のためにこちらにも寄せられた「朗読」聞きましたよ
 もう、涙涙で…今の私と宇津女さんの本当に…魂の先祖と言える二人ですとか…
 詳しい事なんて何も知りませんでした、宇津女さんも初代八重様の最後だけは
 涙しましたよね」

バイクを走らせながら半ば叫ぶように

「あの人だけはな…、ここまで何かが巡っているというなら判ると思う、
 私は欲求に乏しいタイプなんだ、ヘタしたら腹減っても食いたいと思えないくらい
 でも、そんな私が当時病床にあった沙織と会った事で巡るようになったんだ
 十条の師はないのに、私はなぜだか沙織の血から何かが足りないと
 そればかりは知っていて…それもああいったことがあったからなのかとね」

「改めて話を聞くと…ボクは凄い人に出会ったんだな」

「そして、そんな人をして一生を捧げたいと言わせしめたのが貴女なのです
 先ほどのインドラへの一撃…まだ色が確定していないようですが有無を言わせない
 力量の差を感じました」

「いや…ボク自体はたぶんそんな…やっぱり弥生さんが凄いんだと思う」

そこへ大通りを右折しながら宇津女が

「まぁ、自分が何者かなんて、早々簡単に見つけられる物じゃないよな、焦る事はない」

「そうですよ、それこそ何か背負った定めが目の前にあるというのでも無ければ」

「そうだねぇ…」

そして駐車場から天照院へ向かう、葵は不思議な気分だった。
四台の記憶で何度もでてくる見覚えのある立派な鳥居と神社が、多少昭和以前の
風格を残しつつも現代社会の中にある事、
「天照院さえあればそれでいい」という言葉を思い出した。

「あ、天明堂」

葵が思わず声を上げて、参道を歩きながら宇津女が

「うん? ああ…四代の頃に出来た店だな、当然外観は違うけど、
 看板は明治になって店主がフィミカ様に作って貰った物だってさ」

「ふーん…あ」

鳥居の前でいちいち一礼する。
しかし宇津女達もそうするので歩調は合う。

「すごいな…改めて実際に見ると本当に凄い」

「私どもも初めてご挨拶に来た時は矢張り驚きましたよ。
 朱塗り木製で、接ぎもしてないこんな大きな鳥居、初めて見ましたからね
 …あ、これは貴女は知らない事かな、私達が今担当しているのが彩河岸区で…
 違う名前になって所々改築されていた物を当時の図面探して
 その名も「山桜神社」と戻してあるんですよ、ただ、畑のスペースはどこかの時代で
 切り分けられたようで当時よりだいぶ狭いですけれど」

「そうかぁ…でも宵さん、それはそれで残念な気持ちもあるだろうなぁ」

「そうでしょうね…本来ならここだけあるべきの天照院だけでは
 足りない事態になっているという事ですから…魔術や科学技術でさえも
 追いつけないような「何か」が…」

「なに、いつかは来る巡りさ、そうだろ、そうでなければ私は沙織は生まれていない
 稜威雌様が残される事もない…と、そういえば、持ってこなかったんだな」

「ああ、うん…稜威雌さんを巻き込むのには違うかなって思って」

以外と思慮深い葵に二人は感心し

「さ、拝殿はすっ飛ばして本殿に直接行くよ」



本殿にはフィミカ様が静かに座っていてはとほるもその側に居る、
四代の記憶そのままだ、そしてそれ以外に…そう、写真で見た人が居る

「よくぞ参った、というか無茶をしおって…」

祓いの目があるのだからこちらなど向かなくても良いだろうに、フィミカ様は葵を見て
手招きをした。

間近に見るフィミカ様、確かにこう…写真に収めきれない威厳のような物がある
特に葵は二代や三代、四代の記憶もある事でちょっとどう挨拶をしようか困ってから

「あの…ご迷惑をおかけして…御免なさい、でも、ボクもう黙っていられなくて」

ペコッと頭を下げたくらいでフィミカ様の正面に正座しかけるも

「正座など慣れておらぬじゃろ、好きに座ると良い、固くなる事はない
 しかしそうか…お主が弥生の「全て」なのじゃな」

葵は赤らみ、こくりと頷いた、かわいい。

そこへ、大使館越しに杉乃翠…ドクター宛に連絡が入る。

「はい、杉乃翠」

『お姿だけは存じております、杉乃様、わたくし、十条裕子と申します』

電話越しなのに会釈を交えて笑顔を見せる日本人のサガを滲ませながらドクターが

「どうも、こちらも百合原君から名前は聞いていますよ、今、目の前に日向君もいます
 貴女の思った通りになりましたね」

『であれば事は急がねばなりません、つい先ほど叔母様が影を残して行かれました。
 既にデータは消去済み、わたくしに書き写しの間違えがあればそれで終わりですが
 少々回りくどく参ります』

「ん、少々待って呉れ給え、これでこちらも間違えたら更に大変な事になる」

ドクターはメモ帳と万年筆を取りだし少し間を開けて

「どうぞ」

そこで裕子は還暦にしてその還暦を幾つからの…と言ったところから全てを
きのえ・きのと・ひのえ…ね・うし・とら…と言うような組み合わせの十干十二支で伝えた。
そして大事なのは愛である、と最後に伝えた。

「了解、後は時間との勝負だな…ジタン君、通信局に準備の連絡を、
 我々は直ぐ現場に直行だ」

ジタンと呼ばれた百合原 瑠奈の送ってきた写真などによるとフランス系イギリス人らしい
凸凹凸な女性が冷静にドクター、葵、フィミカ様の三人を促し、電話を続ける。
フィミカ様は席を立つ時にはとほるや沙織や宇津女に留守を頼むといい、本尊から荷物を持ち
移動しながらドクターは葵に電話を渡し

「ごめんなさい、おねーさん」

『いいのですよ、貴女は叔母様の全て…何が必要なのかを思い知りました、
 データ登録などされていない一人の人間…かなり特殊ですが…
 大変な事なのだ…ある意味禁呪とされた事も理解出来ます、ですがわたくし達は
 それでもやらねばならない、そんな定めにあると確信致しました、
 どうか、叔母様を一時的にでも落ち着けるようにお願いしますね』

「うん!」

葵がその古いタイプの携帯電話にちょっと操作を戸惑いながらもドクターに返す頃
これまた外観年式古そうな車に付く、敷地内なのに?

「なんかみんなちょっとずつ似てる…」

と言う葵の言葉にジタンも苦笑し

「いや、俺のは瑠奈の影響でね…、一番初期の年式のフォルクスワーゲンを
 中身だけ入れ替えて使ってるのさ」

「弥生さんはミニクーパーの外見だけ、最初の車は今おねーさんにプレゼントしたけど
 外見だけ…スバル360だったかな…とか、真美さんもドイツだったかのWWIIの頃の
 凄い排気量の大きなバイクリストアして使ってるし…電話も…」

車に乗り込み、出発する時には駐車スペースの左側が開く、
なぜ神社の塀にこんなギミックが…

「呆れたモンじゃろ、全部瑠奈が考えそこなどくたーが設計して作ってしまったものじゃ
 瑠奈の古い物好きも此奴かららしいぞ」

ドクターは静かに微笑みながら

「百合原君にはちょっと悪い事したかなと思う」

そこへ葵が

「でも、それとは何の関係も無い所で弥生さんもちょっと古い物好きだし
 そういうの、趣味としてある物なんだなって」

「常に未来にしか向かぬと思っていた物も、過ぎてみれば振り返り
 「これも良いかも」と思うような事もでてくる、面白いというか、感慨深い物じゃよ」

ジタンは決して運転は下手では無いが、やれそこ退け緊急車両が通る、
という感じでスピード制限も信号の切り替わりも全て調整し、すっ飛ばす。
あまりにも「そうして当然」という感じで。
流石の葵もちょっとビックリする。

「瑠奈との出会いから今に至る時も、わらわにとっては中々退屈する暇もない、ほほほ」

フィミカ様が笑う。
宵の死を乗り越え、今それは百合原 瑠奈に対して全開に発揮されているようだ。
葵もそんな様子に少し微笑んだ。

そうして「通信局」という所まで突くと急ぎながらドクターはメモ帳を何度も見て
確認しつつ、通信制御室らしい所まで来た。

「鵬翼長官、何故貴方が」

ジタンが思わず言うと渋い声の渋いおじさん、制服からして結構な地位らしいおじさんが

「何故も何もあるかね、君ぃ、通信を一時遮断してここだというタイミングから
 指定した容量だけ通してしばらくは通信を遮断してくれなどこの街にとって
 どれほど大きな事か判っているのかね」

言われてみればそうだ、葵は益々やり過ぎたかも知れないという心と、
でもそれ以上に弥生が必要なのだという心がせめぎ合っていた。
ドクターがメモに答えを書きながら、もう一度計算し直し、間違いがない事を確認しつつ

「干支はアジアに広く伝わる物だ、中々危なっかしい暗号手段だが、
 全てを日本語で言う事で翻訳という手間を一段取らせる…なかなかの手だ
 さて、今から指定する数字にどうしても紛れ込むだろうノイズの分を少し上乗せして…」

ドクターが通信士に結構な桁数の数字を伝え、

「バイトでは無くビットで指定して呉れ給えよ、愛が大事だからね」

「なるほど、ByteではなくBitか」

ジタンが苦笑する、通信士がその数字だけを受け取るよう設定し、

「準備出来ました、今はこちらからの送信以外出来ない状態です、
 その送信も制限状態ですが…宜しいのでしょうか」

「構わない、ホンの少し音声を送ればいい、そうすればそれを終えたタイミングで
 指定容量受信専用に切り替えて呉れ給え、いいね?」

そしてドクターはフィミカ様に通信施設のマイクを渡した。

「弥生、今じゃ、来い! わらわの元へ!」

なるほど、鶴の一声、弥生なら反射的にでもこちらへ向かうだろう、
何があっても来るだろう。

「受け取ったデータは直ぐこちらに渡して呉れ給え」

ドクターが自らのCOMP…それはなんと本型、なんとも「この人らしい」

「念のため仲魔を空っぽにして置いたが、これなら何人か居ても良かったな」

ドクターがそう言うと、ドクターのCOMPに指定した容量の物が入り込んだ!

「よし、少しの間データを遮断してその後もフィルターを何重にも掛けておいてくれ給え」

鵬翼長官が

「少しの間、とはどのくらいかね」

ドクターがしっかりした眼差しで

「私達がラボに戻り造魔の仕上げに入るまでです」

長官は「仕方ないな」という表情を隠さず

「その段階になったら、もう一度連絡をこちらに」

ドクターは結構深くお辞儀をして葵も釣られてお辞儀をして出て行く。

これまた結構な運転でラボに向かいながら、葵が

「でも、造魔って表向きやっちゃダメな事だったんでしょ、大丈夫なの」

「君に覚悟があるなら私にも覚悟はある、何か予感があったんだろうね
 丁度…富士凜君が来た時辺りから研究を始めていたのさ、
 そして十条弥生女史の事件と共に、彼女の発見やら外の事件やら…
 私や百合原君への沙汰があるかどうかは判らない、だが、正直
 バスター管理局や付随する技術部にも興味のある事だろうさ、
 成功すればある程度の成果と引き替え…そういう事だろう」

「…真面目そうな人なのに、結構ダーティだね」

ドクターは悪戯っぽく笑って見せジタンが

「智にしろ何かにしろ、極めんとするってのは狂気とのスレスレをゆく物さ、
 それが法の基でどうこうなんて、些細な事だろ」

「確かに…そうかもしれない」

今までの自分の半生を振り返るだけでも本当なら…と思い当たる事は幾つもある。

「逆を言えば、どんな中でも冷静さを失わない事も大事なんだ」

ドクターは静かに言った、なるほど、この人がそれを言うのは凄く頷けると葵は思った。

「ボク、まだまだだな」

「逆さ、君は冷静だった、足りない何かをいち早く知り誰に気付かれる暇もなく動き
 全員がせーので動かざるを得ない状況を作り上げてしまったんだよ、
 私に言わせれば結構なギャンブラーだよ、君は」

「そこまでのつもり…無かったんだけどな」

そこへフィミカ様が

「それがお主の良い所なのじゃよ、お主は自分の信じる物の為に動いたに過ぎん
 わらわがお主に先に会っていたら、わらわはお主をここまでは育てなかったじゃろうな」

「えっ」

「それもその内判るじゃろう、お主の持つ光がなんなのかも含め、
 お主にはまだ「行き当たりばったりで」知らねばならぬ事が山ほど残っている
 それらから一つ一つを、確実に掴み取って行くのじゃぞ」

「は…はい!」

「真っ直ぐな良い瞳じゃ」

フィミカ様が微笑みかける、葵はそのフィミカ様にあの「本来の姿」を重ねた。
いや、そう自分も感じた。

「そう、そんな感じにな」

そして何もかもを見透かされる、ああ、この人こそは頂点なのだ、
それほど本人がそれをイヤがろうと、この人のキミメとしての血は滲む物なのだ。

改めて、思いつきとは言えとんでもない所に飛び込んでとんでもない事態になった
いや、自分がそうしてしまったのだと葵は思った。



工藤探偵事務所…百合原 瑠奈の前の代の更に前の代の看板をそのまま引き継いでいるらしい
そんな説明を受けながら普通には降りられないよう細工がしてある
エレベーターに乗り込みラボに着き、速攻で準備が始まる。
弥生の魂のデータは直ぐに専用の機械の方に移され、ドクターは普段の仲魔を
呼び戻し、一人、リズという名のピクシーだけを呼び出し(と言うか同時に一体のみらしい)
作業に取り掛かる。

「造魔にあたしの練丹底上げ能力必要かなぁ?」

リズが喋ると、なるほどアイリーとは個性も違えば声も違う、似たようなベースだけれど
そこには矢張り個人個人が「契約した個体の個性」という物が宿る分、
というのが今のバスターの世界を支えているのだろう、謎の「生命体としての基本データ」の
データセンターが何処にあるのかは謎のままだが…

「底上げ云々では無いんだよ、リズ、君が居てくれると心強いのさ」

『うわ…熱い台詞をすらっと言った、この人』葵は驚きを隠せなかったが
そこへ丁度裕子と同じくらいの年で大学二年だという蘭という子が葵を肘で軽く突き
ささやき声で

「でもドクターそれでリズがどんな思いを抱くかなんてそこまでは思いが届かない人なんだよ」

なるほど、リズは悪態付きながらもせっせとドクターの周りの仕事をこなしつつ
顔が赤いのだが、ドクターに至っては物凄く冷静に作業を進めている。

「諸刃の剣になっては誰も持つ事すら出来ない、ナマクラな心も必要なのさ」

またジタンが凄くキザな事を言うのだが、それがまた似合う個性をして居る。

「さて…ではそろそろ「迎え撃つ」準備した方がいいかしらね、
 流石に事務所破壊されてはたまった物では無いわ」

顔つきは西洋人なのに見事な濃い褐色の混血らしい女性が刀を手に掛け呟く
確か、この人の名前はジョーンって人の筈だ、と葵は思った

「あ、ボクも手伝った方がいいのかな…」

葵が思わず言うと、作業に集中しているはずのドクターが

「何を言うんだ、君にはここに居て仕上げをして貰わなくては困る
 「その為に君はここに来た」筈なんだ」

「でも…仕上げってどうやって…」

「それは判らない、でも、君が必要な筈なんだ」

なんと自信に満ちあふれた言葉なのだろう、この人は自分はやり遂げるという意志を
もう本当にそこへ手を掛けた、と言う時にこう言う事を言える人なのだろう。
100%とは流石に言えないから「筈」という言葉は付ける物の、
この人は確実に後一手というところまでこぎ着けるだろう。

蘭が笑って

「まぁ、わたし達に任せてよw これでも結構強いんだよ?」

そこへまた外観だけは古風な柵を二重にして扉にするエレベーターが降りてきて
メイド姿の女性…これがまた余り感情も感じない…リーザという子が飲み物などを
持って現れ、皆に振る舞いながら

「大使館の方から連絡が入りました、出所不明、逆探知ほぼ不可能な
 亀裂が上空に幾つか入りつつあると」

「よし…相手は複数ね…私の攻撃の様子を見てみんなは順番をそれぞれ宜しくね」

ジョーンが言いつつ、エレベーターに乗り込むと、リーザ、蘭、ジタン、そしてフィミカ様も
乗り込んで行く。

「え、フィミカ様も?」

葵が言うと

「今ここでわらわは必要ない、わらわが必要な分は「朗読」で既に組み込まれて居ろう
 呼び戻せ、弥生を、お主がそれを成し遂げるまでここに被害が及ばぬよう食い止めようぞ」

探偵事務所の面々が強くほほ笑みながら頷く、リーザも軽く会釈している。
そしてそのエレベーターが上がっていった。

「うう…ボクホントに考え無しで動いちゃったなぁ」

「そうだね、でもこちらも一年以上待たせてしまったんだ、
 それにね、朗読を聞かせて貰って思うのは…玄蒼市って言うのは形を変えた
 彼女達の生きた世界その物なのさ、そして私も含め、全員戦う事も出来る
 戦ってその先にある物をいつも見て望んでいるのさ、それは勝利と経験だ、生きるためのね」

「そう言えば朗読って…」

「初代から五代までまとめられた録音は全部聞かせて貰ったよ、
 四代の時だけは百合原君の計らいでフィミカ様には一人でご覧に入れたけど後は全員でね」

ドクターは作業を進めながら

「ここで生まれて育つ内には悪魔との戦いや共存も含めた世界に居た若い…蘭君やリーザ君も、
 そのすさまじさには圧倒されていたくらいさ、ジョーン君、ジタン君、そして私は
 外から来た者だ、平和な時と言う物も知っている、そしてジョーン順は元魔人で
 今もその影響から抜けきっていない、そんな彼女達…私も含め…
 今ここで生きている時だけじゃない、何か大きな巡り合わせがある事と、
 その和にどうやら絡んだ事、嬉しくさえあったね、私達には意味があると確信出来た」

「人生の意味…って…やっぱ大事かな」

「人によってそれぞれさ…、重要さも重さもね、どうでも良いという人も居るだろう、
 それはそれでいい、でも、大体の人は「自分は何の為に生きているのだろう」と
 ふと思う事もあるんじゃあないのかな、そういう迷いが時に人を停滞させる
 …無論、多くの場合そんな御大層な物は無い人も多いだろう、それもそれでいいのさ」

ドクターが素材悪魔の合体に入る、何か特殊な水槽のような物の中にある人形が
少しずつ、変化を起こして行く、それは確かに悪魔の成分と共に成長する造魔だった。

「だがここはある意味生きる事に命がけにならないと生きて行けない場所。
 だからこそ、ただ生き延びる為だけじゃない、何かの為に戦える、という
 理由も欲しかったのかも知れない、それを得たんだよ、今この瞬間を君に捧げる
 君の勝利の為に捧げよう、さぁ、機械の操作とかではなく
 君が今この造魔を目の前に何をどうしたら十条弥生女史の魂を引き込めるのだろう」

葵が「徐々に何かが形成されつつあるそれ」の水槽の前にやってきて手を当て、
額を当て、弥生への思いを、彼女が覚えている限りの思い出を、
初めて出会って自分の力を見抜き、「やり方」を教えてくれて、
上手いか下手かでは無く、そこを上手く誘導し「出来る」ようにして行ってくれて
でも完璧な人というわけでもなくて、料理が出来なくて、女たらしで
色んな愛人囲って、そして自分もその一人になりたいと望んで、
中学生になって叶って…でも、三年弱でそれも途切れさせられた…

でも、そんな弥生を愛しているし、みんなそれで納得している。
みんなが協力してくれる、帰って来て欲しい、またその手で抱きしめて欲しい。
例え一時的でも…ちゃんと帰ってくる為にはまだ月日が必要なのだとしても…

地鳴りというか、揺れが地下まで伝わる、戦いが始まっている。

葵の思いが何か伝わる度にモニター上の変化からドクターは素材を選び
どんどん悪魔合体を繰り返す、それは確かに見覚えのある誰かになりつつある店
だがここに来て急展開…



「これ以上の素材が必要…!? まさか…そんなはずは…!」

ドクターですら予想外の事が起こった、肉体の全データまで揃っていない悪魔については
今現在玄蒼市で確認された悪魔の中で高位の悪魔を合体させる事で算段は付いていた。
瑠奈とも何度もシミュレーションをして瑠奈は出張に行ってしまったが充分な
材料は揃えたはずだ、それが足りない?

葵は涙をためながら

「どうしたらいいの…?」

「…この際は…百合原君には独断になるが、使えそうな物は何でも使おう、
 何処までも…!」

そんな時、ラボに何かが衝撃と共に降り立った!
まさか、突破されたのか!?


第一幕  閉


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