L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE ONE

第一幕

201x年のその日は四月半ばの春とは言え雪の宵、午後六時半…
札幌では五月まで雪が降ることもままある、何も特別な事はない。

そこは中央区なのか西区になるのか北区になるのか微妙な場所にある
マンションの一室、そこには表札代わりにささやかに看板が掛けられていた。
「十条 探偵事務所」
そして何やら色々お断り事項が後から手書きで貼られていったと思われる。
まぁ掻い摘んで曰く「当方は何でも屋に非ず」
「人外(にんがい)の仕業としか思えない出来事の解決依頼大歓迎」
ともある。
なんなのだ、ここは。



「弥生さぁん、包むのヘタぁ」

キッチンテーブルに陣取って二人の…年齢は結構離れていそうだが女が二人居た。
一人はエプロンの下の制服からしても学生のようである、顔の幼さからすると中学生か
少し日本人的な雰囲気もあるものの、この子の外見はほぼスラブ系白人であった。
その子がボールで挽肉と種になる野菜などを混ぜ込みつつ、
既に混ぜ終わったモノをもう一人の…これはスーツを着込んだ大人の女性が
たどたどしい手つきと、言ってみれば「しけたツラ」をして餃子を包んでいる。

「もー、アッチの方はスゴいのになんでこう言うのはダメなの?」

その言葉に、しけたツラをして餃子を包む女性は軽くため息混じりに口を開いた。

「…イジったり舐めたりはイイ声でイイ反応が返ってくるからヤリ甲斐あるもの…
 …ま、仮に餃子が良がったリアクションとったって嬉しかないし…」

少女は元々赤面症まで行かないが頬が赤いのだが、それを更に赤くして

「もぉ…そりゃそうだけど、食材になって売られてる「元生き物」なんて
 美味しく食べるのも供養だって言ったの弥生さんじゃん、ちゃんと美味しそうに包もうよ」

「それ言われちゃあなぁ…でも私ホント料理の才能だけはないんだから…
 お手柔らかに頼みたいわ」

「そぉだね、弥生さんと住むようになって5年? 6年だっけ?
 いつも出来合いモノか外食で食費馬鹿にならないからボクが途中から炊事頑張ったけど」

この少女、ボクっ娘のようである。

「葵クンはホント、豪快な力業と繊細な料理と両方良くこなすわね、感心しちゃう」

「得意分野で言えばボクはパソコンダメだし探偵としての技能とか勘?とか?
 そう言う意味じゃ、弥生さんには料理のキャパシティ無いって言われちゃったら
 そうかもってカンジだけどさぁ」

「…ま…(中身がはみ出まくったり皮が破け掛かってるような餃子を並べて)
 お手柔らかに頼むわ、やらないとは言わないからさ(やりたくはないけど)」

「ん(やらせるけど)」

会話に丁度区切りが付いたところで電話が鳴った、ダイニングにあたる事務所の固定電話である。
弥生はしけたツラが更にしけた、そして葵の方を見る。

「ボクの手、餃子の餡まみれだけど?」

「私も…と言いたいけどしょうがないわね…」

本来餃子を包むだけなら打ち粉以外手に付きそうにもないが、そこは
料理にキャパシティが割けない弥生である、軽くキッチンタオルで
手を拭きつつ、まだ脂でぬるぬるするなぁ、とか思いながらナンバーを確認する。
この時点でまだ三コールほど、相手方にもそう大変な失礼には当たるまい、
そこで弥生はそのナンバーディスプレイに表示された番号から記憶を辿った。
四コール目、弥生はハンガーに掛けてあった上着の胸ポケットから手帳をとりだし
一ヶ月ほど前のページを見て記憶が思い当たった。

割と直近で依頼を受けて終わらせたはずの携帯のナンバーだ、
何か不都合があったのかな?

もう少し思考を続けたかったが、相手の気分によってはもうそろそろ
電話を諦めかねない、折角の電話だ、弥生は受話器を手に取り

「はい、こちら十条探偵事務所…お客様は先日依頼を…」

された大宮様ですね…と続けたかった弥生だが、受話器越しにその異様な空気と
それに怯える恐怖と、狂気と正気のせめぎ合いの荒い息づかいが聞こえる、
そして電話の奥では(まだかなり距離はありそうだが)何かが暴れている様なけたたましい音もする、
依頼人は、何か喋りたくとも喋ることも出来ないと言ったように声を震わせるだけだった
弥生はその空気を即座に読み取り、

「…直ぐ伺います、先日依頼をされた大宮様で間違いありませんね?」

この時の弥生の声のトーンは低めだが相手をリラックスさせ、
自分が向かって解決するから安心しなさい、という迫力と自信を滲ませていた。

依頼者、大宮珠代はここで初めて「助けてください」と声を絞り出した。

「何でもいい、気休めでも、一秒でも凌げるように頑張って」

相手からの返事はないが、絶対にそれを聞いて居て胸に刻みつけたことだろう、
弥生がキッチンの方を見ると葵は既に手をきっちり洗ってエプロンを脱ぎジージャンを羽織って
壁に掛けてある弥生の車のキーを取り、弥生に投げ渡すところだった。

「直ぐに伺います」

もう一度弥生が淡々とそれを電話の相手に言い通話を終え、投げられたキーを受け取りつつ
引き出しを開けて何かの準備をする、葵は弥生のジャケットも用意して

「だいぶんヤバい?」

と声を掛けつつジャケットを弥生に渡した。

「…ここからだと…どう頑張っても10分以上は掛かるな…」

弥生は呟きながらジャケットを羽織り、引き出しからとりだした銃をホルダーに仕舞い、
何となく嫌な予感がして予備の弾倉を一つ、ジャケットの内ポケットに忍ばせて外出した。



車に乗り込みながら弥生が助手席に座る葵に自分の携帯電話を渡しながら

「葵クン、裕子に電話してくれる?
 イヤーな予感がするのよね」

弥生の車は外見は古くさい海外の軽自動車だった。
それを発進させる。

「お姉さんに? テスト期間とか言ってなかった?
 っていうか、呼んでどうするの?」

「餃子の続きと、出来たら冷凍保存頼みたくて」

「えーなんでなんでえー?
 今日餃子パーティー楽しみに用意してたのにい」

弥生は、そこでまた先程餃子を包んでいたときのような「しけたツラ」になり
しけたツラなりに微笑もうとして

「…多分…ね、今夜は餃子は要らないかなー? と思っちゃいそうで」

「んーむぅ」

微妙にピンと来ないし納得のいかない葵だったが、こう言うときの弥生の勘の冴えは
「一日の長」どころではない、才能の差を感じる瞬間だ。
葵が「裕子」に電話を掛け、用件を伝えた。
そのやりとり越しにちょっと大声で電話の向こうの裕子に伝わりやすいように弥生が

「貴女の住んでる方角からなら…大まかに西の方角、物凄い混沌を感じない?」

『…混沌と言いますか…恐怖と絶望と…何が起こってるんです?』

葵が電話を運転する弥生の耳元に寄せていて直接通話できるようにしていた。

「今の貴女にはまだ早いわ、だから、ウチに来て、餃子を包んで冷凍してくれれば
 とりあえずそれでいいから、お礼に行ってみたいって言ってたお店時間ある時招待するわよ」

『え、いいんですか、叔母様』

「ええもう、存分に味わって貰うから」

…と、そんな時にキャッチホンが入る

「…こんな時に無粋ね、とにかく頼んだわ、裕子」

裕子がそれに応えたか応えないかギリギリのところで一瞬だけ弥生が片手をハンドルから離し
キャッチホンを受ける。

「どうしたの本郷」

やや面倒だな、と言う口調をあからさまに向けて弥生がそう相手に言う。

『お前に依頼だ、どうも…マトモじゃねぇ相手らしい』

「おや…、あんたから私に直で依頼ってことは…ははぁん、もう警察の回線パンク状態ね
 それで繋がらない警察より私のところって訳だ…藁にもすがる思いだっただろうけど…」

『む、近辺の住人から依頼があったのか?』

「ま…全然別件でたまたま三週間ほど前に繋がりがあった元依頼者」

『…そうか、そりゃ運が良かった、あとどのくらいで付く?』

「雪も降って滑りやすくなってるし思いっきりは噴かせられないわねぇ、あと五分くらい…」

『…こっちもなるべく急いで行く』

「ええ? だって多分もう警官にも数人犠牲者でてるでしょ?
 大丈夫なの? 自衛隊案件じゃないの?」

『相手の規模がはっきり掴めない状態でうかつな装備での出撃が出来ないのと
 真駒内からだから時間も掛かるぞ…だってよ』

「はァん? 妙な感触ね、悪魔絡みとかだったら前まで目の色変えてたのに」

『ウチら含めてお上の考えることはさっぱりさ…あ、俺も出るのは
 今日配属の新人が何故か俺の配下になっちまってよ、かわいそーに
 もう今日は上がりって時にこの事件だ、あんたとも顔合わせはさせておきたい』

「ふーん、まぁ、頃合いは見計らって来てね…流石に守る人数をいたずらに
 増やしたらこっちもヤバくなるし」

『あーそれから、今その電話持ってるだろう「かわいい」に電話取り次げ』

「葵クン、本郷が貴女にって」

本郷の名誉の為に言うと彼はロリコンではない、弥生が常日頃から
「だって葵クンは可愛いから」とまるでユースケサンタマリアが草なぎ剛のダンスについて
触れるくらい自然な評価として「葵クンは可愛い」を連発しているため本郷は
弥生に対して「葵」では発音も紛らわしいので「かわいい」という言葉を葵を指す言葉にしたのだ。

「え、何だろ」

葵が自分の左耳に携帯を当てた頃を見計らって

『遵守しろとまでは言わねぇ…』

と言う彼の語り出しに

「「ジュンシュ」ってなに?」

『中学じゃ習わねぇか…? ああ…
 これから言う事を絶対守れとは言わないが一応聞いてくれ』

「うん」

『もし、ターゲットが話の通じそうな奴だったら、生け捕りにして欲しい』

その本郷の言葉が弥生にも聞こえたのだろう、今日見た中で一番「しけたツラ」を弥生がした。
その弥生のしけたツラを葵は見逃さなかった。

「善処しまあす」

『善処は知ってるのかよ、しかもオメー、その言い方、守る気ねぇだろおい』

「だって弥生さん、これから沢山ウンザリしそうって表情(かお)してる」

『…そうか…思った以上に深刻なのかも知れねぇな…まぁ絶対とは言わねぇよ』

「それに………血と体液色々と汚物の匂いが…してきた……」

葵の鼻が小さく動いた、現場が近くなったことを示す。
弥生が携帯に声の伝わり易いよう大きめの声で

「本郷、とにかく地域一帯含め戦場にする気までないなら
 自衛隊は待って貰って、警察の応援もこれ以上は要らない、
 あんたと新入りが来るって言うのは止めないけれど、慎重にね」

弥生が車のスピードを緩めた、
彼女の表情は、とても厳しかった、
車のライトに照らされたゴミステーションや電信柱には
バラバラに引きちぎられた「元人間」の死体が無造作に投げられ
引っ掛かってブラブラと寒風に揺れていたのが見えたのだ、
路面はもう、赤と茶色とピンク色と白の人間だったあれやこれやが散らばっていた。



適当に駐車スペースの割けそうな場所に車を止め、車から出ながら弥生は早くも
ウンザリしたように言った。

「夏場の昼でなくて良かったわね」

「はにゃ(鼻)曲がりそお〜」

普通の人間にはまだそこまで臭わないのだが、仕事モードに入った葵の五感は
研ぎ澄まされまくっていた、その弊害だ。

少し先の路面は血とかつて人体だったモノやその身に付けていたもののの残骸で埋まって居た。
今更服が汚れるも何もない、弥生はずかずかと気配を探るように道を歩き出す。
葵は流石に最近新調して貰ったばかりのシューズが汚れることをためらったが
弥生がずんずん進んで行くので「もぉ」と一言呟いて付いていった。

「…これ…人間じゃないよ」

状況が身に染み入ってくると葵もかなり冷静に被害状況から相手を予想し始めた。
最初に見たのは町の構造物は壊れていなかったが、進むにつれ電信柱も街灯も
壁も、ヘタをしたら家までも半壊しているところがある、
電信柱が数カ所で折れているためなのか、付近は停電していた。
幾らか生き残っている街灯もあるが、付近は暗かった。

「少なくとも生身の人間そのままじゃあこんな破壊は出来ない、
 ボクらに電話掛けて来た依頼者もイイ運命持ってそうだね」

その依頼者の家を目指しているのだろう弥生
(流石にその直ぐ近くの路面が障害物が多すぎるので駐車できなかった)

「…後はその折角の運命が今まだ続いていることを願…」

とまで言った頃、数軒先の屋内で大きな破壊音があり、悲鳴も複数名分聞こえてきた。
最初の若い男はとばっちりか、即死のようである、そして屋内に侵入、
恐らく壮年男性の声は即死、同年代らしい女性もかなりの断末魔、
もう一人の若い女性の悲鳴はまだ断末魔の叫びではないが…

「くぁー…あそこだよ」

丁度依頼者の家に魔の手が忍び寄っていたらしい、弥生がまたしけたツラで呟いた。

「葵クン」

と言いつつ、弥生が指つきと首で指示を出す。

「おっけぇ」

葵は走り込んで濡れていない地面からジャンプし、依頼者の家の一階屋根に飛び乗った。
二人は懐中電灯の揺れる光が二階の室内を彷徨っているところを見たのだった。
そして弥生は声を大きめに

「大宮さん、来たわ、窓を開けて」

と言いつつ、葵が窓を叩く
恐怖で引きつっている女性が電灯の光を葵に向ける、
探偵助手として随分目立つ若い子が…と印象に深かったこともあり
依頼者は葵のにこやかに手を振る表情に藁にもすがる思いで窓辺にやって来た
その時であった。

階段を上がる、重量にしておよそ150kg、体格自体が大きく、かなりきつい感じで
しかしそのきつさを意にも介さず階段を駆け上がる音、

依頼者に穏便に窓を開けて貰いたかった弥生と葵だが、ダメだ、
それすら出来そうにないほど彼女は追い詰められている。
仕方なく葵は「七つ道具」であるテープを素早く窓のカギの付近に貼り、
なるべく破片が出ないよう手刀による突きでピンポイントにカギの付近に
手を差し入れカギを外し、窓を開放した、

と、同時に「そいつ」もドアを破壊し室内に入ってくる!
「そいつ」のターゲットは「依頼者」だった、そんな感じで喜びの歪んだ表情を浮かべ
そしてそいつが依頼者へ…!

依頼者がもうダメかと思って思わずしゃがみ込んだ…
が、ふと我に返っても自分は生きている

身長150cmくらい、筋肉は結構あるが細身と言える葵が
その「侵入者」の手を手で止め、踏ん張っていた。
相手の身長は二メートル近く、筋肉は見えないが体格は問題なくでかいし、
何より人外の力で街を破壊して回った張本人である、
依頼者は一瞬目を疑ったが、葵は確かにびくともせず「そいつ」を止めている。

そしてそこへ雪は降れど月明かりが差し込む二階の窓辺にいつの間にか弥生が立っていた。

「おいで」

その表情も、声も、そして手を差し伸べる動作も全てが神秘的だった。
心の中にスッと入ってきて「そうすべきだ」と自然に思えた
依頼者は堰を切ったように弥生に抱きつくように飛び込むと
弥生はその勢いを上手く使い依頼者を「お姫様抱っこ」して
二階から壁を伝い路上に降りた、

「息を止めて、何も見ないで、少し走るわ」

お姫様抱っこの頭側の手を依頼者の目と鼻を覆うまでは出来ないが
その指示を伝えるようにする、依頼者はこれにも素直に従った。
そして数十秒、彼女は抱っこから降ろされ、「もういいのだな」という合図と受け取り
目を開け、深呼吸をした。
そこは弥生の車の側だった、弥生は車のドアを開けて依頼者を中に入るよう促し

「余り深く呼吸をしないで、余り詳しく回りも見ないで、吐くわよ
 ここでじっとしていて、多分時間差で警察も来るわ、本郷ってヤツに保護して貰って
 私の名を出せば判ってくれるから」

依頼者、大宮珠代は大きく頷くしかできなかった。
そしてここで弥生が感情を込めて、珠代に優しく語りかけた

「お父様とお母様は、ごめんなさい、間に合わなかった
 私を恨んでもいい、泣き喚いてもいい、だけど貴女は心を失ってはダメよ」

そう言って、淡く指先の光る左手で円を描き、珠代を撫でた。
色んな感情が渦巻いた波が強制的に鎮められ、珠代は眠った。

「…さて…ここまでは順当、ここからがメンドクサイわね…」

車のドアを優しく閉めながら現場を振り返り弥生はまた「しけたツラ」をしていた。



「葵クン、どう?」

現場まで戻って来た弥生がまだ取っ組み合ってる二階に向けて声を掛けた。

「ヤダよこいつ勃ってるしぃ〜〜〜」

葵が心底イヤ〜〜な気分を吐露した

「あ〜…リミッター外れたタイプだし、葵クン可愛いしねぇ
 押し倒したくてしょうがないんでしょうね、自分が押しても
 壊れない人間なんて今初めてまみえるだろうしさ」

「やーん…弥生さんになら押し倒されたいけどコレはヤ!」

「そのブツ潰せない?」

「無理…!
 蹴りのためにバランスを敢えて崩すのはちょっと今は無謀!」

「流石リミッター外れたタイプは違うわねぇ」

「どーすんの弥生さぁん!」

その時、通りの向こう側から車が結構な勢いで、死体を踏みつぶしながらやって来た。
運転手は怪我もしていないようだが少し精神が高揚しているようで
通りに立って生きている弥生を目の当たりにしてもはね飛ばす勢いだ。
仕方なく、弥生は左手指先を口に寄せ何かを小声で呟くと
淡く光ったその手のひらを暴走車の方角に向けてかざす。

何か柔らかい障壁にでも当たった感じで車は弥生の手前五メートルほどで
前のめりに速度を落とし、エアバッグも開いて運転手も少し正気が戻ったか
車は停車し、そしてそこから一人のご婦人…壮年くらいのご婦人が降りてきて
キョロキョロと辺りを見回しだした、弥生のことは目に入っていないようである。

そして、弥生はこのご婦人を知っていた。
いや、正確に言えば今暴れている「怪物」の正体も知っていた。
弥生は大宮家二階の葵に

「葵クン! 何とかその力関係のまま通りに出られない?」

「あ〜〜〜〜…今なんか人来たみたいだけど大丈夫なの?」

「判らない、でもそいつの母親だから」

「む、よぉっし!」

葵は一瞬押し負けるように倒れ込みながら、巴投げの要領で
「怪物」を窓の外に投げ飛ばし、そして即座にその後を追って自らも飛び出した。

「カズくん!!」

夫人がその飛ばされた「怪物」を見て声をあげた。



時計を少し戻そう、それは一ヶ月前の事であった。

南区とも中央区とも付かないような微妙な地域から一本の電話があり、
それが大宮家のお嬢さん…珠代へのストーカー行為の調査依頼であった。

弥生は浮気調査とか犬猫探しは殆どやらない(気分による)
引っ越し手伝いや夜逃げの手伝いなど論外である、というかなり好き嫌いの激しい
仕事ぶりであったが、被害者が女性のストーカー事件は大体食いついた、
被害者が未婚で妙齢とあらば尚更である、弥生はレズビアンでしかも
割と「つまみ食い」の好きなしょーもない面があったので葵も「なんだかなぁ」
と思いつつ、本気で弥生の相手をすると次の日足腰を立たなくされるので
自分だけがはけ口では自分も持たないし、弥生も足りないだろうと、
半ばその「つまみ食い」を容認していた、まぁ何だかんだ言って
葵を一番大切にしているし可愛がっているのは事実なのだから、それでいいと葵も思っていた。

少々話がそれてしまったが、弥生はこの調査に乗り気で食いついた。
実際会ってみる大宮家の構成は、父と母とそして娘の三人であった。
両家の祖父母は既に亡く、また親戚づきあいもそれほど濃くない…どころか
没交渉と言ってもいい有様の孤立した家系であった。

珠代は弥生の好みジャストミートと言うほどではなかったが、
普通に生まれ育ちも常識的で普通に大学生をしている女性であった。
十段階で4〜5を人並みとすると6か7くらい、悪くない。
しかしご両親の教育や方針の賜物なのだろう、堅物と言うほどではないが
「常識」という壁の厚そうな、難攻不落さを感じた弥生であった。

少しつまらないな、と思いつつ、こんな普通のお嬢さんを
付け狙うストーカーにも許せなさを感じたので弥生はその依頼を受け
正体のわからないそれを調査開始した、

…が、僅か数時間でそれを突き止めてしまった、まぁ相手は素人だし
狙いのはっきりしたある意味「無駄のない様子」がかえって怪しくもあった。
勢い余った弥生はその男のステータスから何から公的資料や聞き込みで得られる
全てを赤裸々に曝いて見せ、その男に警告をした上でストーキングをやめるように
言って、とりあえず終わったはずだった。

大宮家に報告に行くと自分がそのストーカーを追い詰めていたまさにその時に
ストーキングされていたというのだ。

ストーカーは二人居た?

まぁ最初の一人だけだと稼ぎも最小にしかならないのである意味願ったりだったが

…このもう一人のストーカー、これが大変に厄介であった。
付近の大金持ちという訳ではないが、それなりにかなり裕福な「与野家」があり
そこの長子にして…そしてここが一番厄介である、知的障碍者でさらに
リミッターの弱いパワータイプと来たモノだ、ストーキングに関してやめてくれと
お願いに上がったところでその母親が「カズ君は純粋な子」「折角だからその娘寄越しなさい」
などといった有様で、ではもし警察に訴えたり、裁判に持ち込んだりしても
つまり「家の力の差」「障碍者という人権の盾」にはどう足掻いても
大宮家には勝ち目はない、

いや、その気になれば十条家は隠れた巨大な財閥の一族なので潰せるは潰せる。
ただ、そんな事に家の力を使うなと父には叱られるだろう事は想像に難くないし
自分もそんな情けない力のすがり方はしたくない、
といって、ストーカー一号君にしたような調査をしてスキャンダルで脅しを掛けたところで、
弥生個人の力だとそこはもみ消されてしまう、八方ふさがりだ。

弥生自身も情けない話だと半ば自己嫌悪に陥りつつ、大宮家に引っ越しを提案した。
ついでに候補地も幾つか添えて。

大宮家は大いに悩んだが、しかし娘の安全には代えられない
弥生も根本解決が一件については無理と言う事で料金を安く提示したところ、
ではその候補地についての現地調査を頼みたい、という依頼を受けた。
父の勤務地、母のパート先、娘の大学、母のパートは勤務先を変えても
同業種で経験が活かせるように、とのことで大宮家にとって
引っ越してもダメージがないように、むしろ少し楽になるようにでも
計らうのがせめてものサービス精神だな、と弥生は葵も使い候補地を徹底的に調べ上げた。

そして、立地条件、交通アクセスとしては二番手候補だが、
周辺住民の質、そして暮らしやすさ、他の引っ越し予定の家族の情報まで調べ上げて
一つの候補地を大宮家に提示した。
この時には葵も同席していて、大宮家は「中学生をバイトに使っていいのか?」
「しかも探偵なのに、こんなに目立つハニーブロンドで青い眼の美少女でいいのか?」
と言う疑問を抱かせたのだが、弥生は終始「葵クンは可愛いんですよ〜」と
ノロケっぱなしで意にも介さなかった。

ただ、そこから先は弥生も真剣に進言した。
まず、ストーカー第一号は諦めていないこと、自分も何とかするけれど、それにへこたれず
いよいよ付きまといが酷くなりそうなら、今度こそ警察なり公権力を有効に使うこと、
そして彼を公的に潰すための材料を大宮家に提示した。
実際に訴えを起こすのは弥生の役目ではないからだ。
なので、引っ越しの時期もタイミングも絶対に誰にも告げないこと、
珠代の大学はバレている(と言うか同じ大学)訳だが、そこは大学にも話を通しておくなりすること

もう一つの「純粋な」カズ君については恐らく引っ越しの場に居合わせるなどの事態以外なら
引っ越してしまえば追ってくる理由も無くなるだろうからそっちに関しては
引っ越せばそれで終わるだろう事。
懸念は母親の息子への溺愛から大宮家の行方を調べるかも知れないことだが、
これに関しては引っ越しでの戸籍の移動のコツというかそういったものを弥生は大宮家に進言した。

もし、調査に探偵を使う…非合法な手段でも使って調べるようであれば、その時は
格安でアフターケアはすると言うこと。
そして一般の探偵の張り込みそうなパターンや行動などをリスト化し、
家族でそれらを元に多少は自衛も試みて欲しいこと、全てが万事上手く運び
大宮家にとって、珠代にとっていい未来になるように願うと告げ、仕事は終了したのだ。

この期間大体一週間ほど、そこから三週間、
電光石火に行動するわけにも行かず、大宮家は「普段通りの生活を再開した」フリをしつつ
水面下で引っ越しに向けて動き、そしてどうも荷造りを開始していたようであった

そこに、今回の悲劇である。

弥生は静かに怒りの念を燃え上がらせた。



「カズ君」は二階から放り出され、母親の乗ってきた車の近く、
大宮家の向かいの家の壁に激突し、壁ごと倒れ込んでいった。
葵はちょっと継続して力比べをしていたことで体をほぐしたくなったのか
追撃はせず、大宮家の壁の上腕を回したり、足腰を伸ばしたり
ストレッチを手早くしていた。

「カズ君! このガキ! ウチのカズ君になんて事を!」

葵は理解不能って感じで

「おばさんアタマだいじょーぶ?
 この血の海、肉の塊、ホネの破片、ぜーんぶそのカズ君がやったんだよ!?」

母親は一瞬我に返りかけるのだが、直ぐまた狂気の光を目に宿し

「だから何なの! カズ君は特別なのよ! わたしの天使なの!」

そう言って、カズ君の母親はカズ君に駆け寄り

「こんな酷い目に遭って、可哀想ね、大変だったわね、さ、
 カズ君、帰りましょうねぇ!」

と言ってカズ君に手を差し伸べた。
葵はその雰囲気に「不味い」と思い、カズ君の母親を止めようとするのだが、
そこへ弥生が「好きにさせなさい」って感じで軽く静止した。

「え、でも…」

ヤバいよ…と葵は言おうとしたのだが、弥生の目を見てその意図を悟った。
弥生のカズ君の母親を見る目は冷たかった。
絶対零度の視線、
「天使ちゃんに導かれるといいわ、それがお望みでしょう」
その言葉こそ発しなかったが、弥生はそう言っていた。

凄まじい咆吼をあげながら、カズ君は母親の手をとり立ち上がって
母親は涙を流して微笑んで慰めるようにカズ君を抱きしめた、
そして、カズ君もその母親を抱きしめるのだ。

その母親が「母親だったモノ」になるまで十秒ほど、内蔵が潰れ
血を吐きながらも微笑みを崩さず、うめき声は流石に上げる物の
そしてそのまま母親はほぼ上半身がぺちゃんこというレベルで絞め殺された。

「本望でしょう、彼を許すことは自分への許し
 …後に残された私達がどうなろうと、彼女は救われたんだから関係ない、と」

そしてカズ君はその母親だった死体を押し倒し何か腰を振って
セックスのフリというか、よく判ってない状態でとにかくその真似事を始めた。

葵は思わず目を背けた、そんな醜さって存在していいのかと。

カズ君が一通り満足したらしく顔を上げると目線に今度は葵が居る
先程の「力比べても負けなかった」彼女なら潰さずに満足できるかもしれない
…と思ったのか、もっと本能的なモノなのかは判らないが、カズ君は
葵に向かって飛びかかってきた。

「葵クン…彼を止めててね」

弥生はそう言い、懐のホルダーから愛銃を抜き、スライドを引いて一発目を装填した。


第一幕  閉


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