L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE:FIVE

第一幕


四月下旬、もうちょっとすればゴールデンウィークだ、そう言う時期である。
富士あやめの腕の怪我も完治に向け順調、ケース:1から十日ほど、
特に何もなく、あったとして弥生の小さななんて事無い祓いに対して
「念のため」の映像確認(防犯ビデオなど)の火消しなどで、あやめ最初の怒濤の日々に
比べたら全然緩い日々であったが、本郷に依れば「こっちが普通」とのことだった。

カズ君大暴れ事件・学校異臭騒ぎ(に見せかけた肉体乗っ取り事件)・おうじ↑の祓い
なるほど、今までの火消し資料(報告書)なども目を通すと、
あの数日間が異常だというのがよく判ったあやめだった。

しかし、数日前初代火消しで現在公安でバリバリ火消し総本山やっている
新橋有楽に依ればきな臭い動きがあり、札幌もその候補に挙がっていて、
その為の準備をせよとの事で係を課に格上げ、本郷もあやめも昇進した。

実際本郷はあっちこっちに働きかけ始めているようである。

地味にあやめは単にまだ新人で人脈がないばかりでなく、
結構深い付き合いのトモダチというのもいなかった(苦笑)
良くも悪くも「それなり」で例えば飲み会などで居ないと「居ないの?」と
気付いてはくれるし、少しばかり残念だな、と言う空気にはさせるが
「居ないんじゃ、しょうがないよね」で済んでしまう感じでもある。

あやめは人付き合いは良かったが、そんな感じで余り特に深く仲良くなると
言う事もなく、日々の訓練などに「真面目に」勤しんで居たのだった。

実は余りトモダチって繋がりも強くないって事に本郷は汗して
「そ…そうか…頑張れよ…」としか言えなかったw

そこへ現れたのが秋葉だった。

「弥生が中学在籍中の上下級生合わせた六年分の卒業生から今
 北海道にいて公務員やってる人とか調べて根回ししておきますよ」

と来たモノだ。
弥生の伝説のスケバン(死語)の威光・何か半公的な稼業があると言う事が
「公然の秘密として」染みこんでいたこの六年間の人々にとって
そういう連携は頼みやすいはずだと秋葉は確信していたし、
阿美や弥生と実際に距離が近かった(体的な意味でなく)秋葉は、割とこの
繋がりの仲介を行っていたようなのだ、本郷もなる程な、って感じで
民間の方でも火消しなどに協力願えるならそれに越した事はないし、
本郷もあやめも、秋葉が物凄い救いの女神に見えた。
特に横の連携が弱いあやめは彼女を深く尊敬したw

しかしそこは流石に秋葉は別部署である警務課、

「神田は特に交流のあったり、ある人の分だけリスト赤線するなりして
 リストそのものはこっちに渡してくれよ、その仕事は、俺と富士の領分だから」

と言う感じで、事件そのものは大したことはないモノの、
そう言う根回しで大変な日々を特備係改め、特備課が送っていた時の事である。



そんなある日の葵の下校時であった。
北区百合が原と、弥生の住む「北区だか西区だか中央区だかよく判らない場所」は
直線で結ぶとそれほど大きな距離はないが、流石にホントに真っ直ぐという訳でもなく
日々の周囲の気配によっては幾通りかの基本ルートがあり、
どのルートを通っても、北区や東区のルート上の辺りは学校がそこそこあった。

ある日フッとそんな中に一つ気になる事が出てきた。

北区と東区を隔てる基本の「創成川」があり、葵は登下校必ずこの川を
横切らなければならないのだが、そのどこかに「栄川品中」という中学校があり、
その付近を通るたびにふと目については居たが、今日になって葵はちょっと気になった。

学校の直ぐ近くだが、ちょっと細めの路次があって余り下校時の生徒も通らない道に
一人の少女の霊が居た、いや、居るだけなら別に割とあること。
「放っておいても基本は成仏する」し、葵もよく判ってきたので気に留めないで
今の今まで居たのだが、そういえば、とふと思った。

自分が百合が原の学校に中学生になってから通うようになって、少ししてから
花束と共にその子はそこにいるようになった、だから多分、交通事故死か何か
なのだろう…それは傷ましいけれど仕方がない、だがそこからもう一年くらい、
彼女には何の変化もない、弥生曰く、多少強い悔いのある霊なんかは
二年粘る事はあるらしいが、その子にはそういう「強さ」が殆ど無い。
いわゆる四十九日辺りですっと成仏してしまってもいいはずの「弱さ」なのだ。

「……?」

葵はフッと気になって、その子の側に着地した。
葵は弥生と違って正式な詞(ことば)による修行を受けては居たが余り上手くはなく、
彼女の精神力に純粋に左右されるまたちょっと特殊なものらしい。
「声のようで声じゃない霊会話」についてもかなり感覚的で
対象を「見つめながら」でないとそれが発揮されなかった。
(相手は葵を見て無くてもいい)

『ねぇ、キミ何か気がかりでもあるの?』

道の端っこにうずくまってるその子に目線を合わせるように
葵もうずくまって語りかけた。
その子は大人しそうで、一年生よりはホンの少し大人になってる感じだから
時期的にも二年成り立てくらいのハズ、今の葵と同学年だ。
その子はビックリして葵を見た。

『ボク、キミの事見えるし、もし必要ならキミの心残りを何とかするよ?』

葵の人なつっこいぷっくりした笑顔、その子は顔を赤らめた。
惚れた腫れたではなく、どうやらかなり内気な性格らしい、

『あっ…あの…』

どもってなかなか言葉にならないようだ。
葵は、にこっとして

『とりあえず、ボクは日向 葵って言うんだ、葵でいいよ、キミは?』

自己紹介なら大丈夫だろうとそこから始める事にした葵。

『わたし…松浜…汐留(しおる)…』

『汐留ちゃんかぁ、んー、弥生さんと富士さん的な距離から始めた方がいいのかな
 ねぇ、汐留ちゃんでいい? それとも浜松さんから始めようか』

その子は葵のその慎重さ…「ずけずけと人の心に踏み込んだりはしませんよ」
と言う態度にますます顔を赤らめつつ、ファーストネームで呼び合うのは
ちょっと恥ずかしいと思ったらしく、照れながら

『じゃぁ…わたし…アナタのこと日向さんって呼ぶから…
 アナタもわたしのこと…名字からで…』

葵はにっこりと

『うん! 判ったよ、じゃあ、松浜さん
 もう一年近く逝けないみたいだけれどさ、何か気がかりあるの?』

汐留は凄く不意を突かれたような表情(かお)をした。

『…え?』

自分が死んだことに気付いてない? 或いは…何か別の理由が?
葵には判別は出来なかったが、

『さっきもいった通り、キミは一年前くらいにここで亡くなってるんだよ』

汐留が何かを思い出そうとして頭を抱え込んだ。

『判らない…どうなってるの…』

これは何だろう、気付いてないのか何なのか、やはり葵にはまだまだ
難しすぎて判別できない。

『うん…、ゴメンね、深く考え込まないで、ちょっとお話ししようよ』

葵の手が汐留の肩に触れる、こう言う時は「祓いの力」は体の中に
キープされていて、ホントに「触れる為」だけにしかその力は出てこない。
地味にこれも本当なら「詞」が必要なので、これも葵の才能なのだ。

『何でもいいよ、思い出とか…学校のこととか…!』

汐留が固まったので、葵が代わりに中学校のことなんかを話し始めた。
別にそれらは何てことない、何の変哲もない日常部分だけの自己紹介。
でも、その「何てことのなさ」に汐留は戸惑いながらも少し微笑んだ。

汐留も、それで話し出した。
でも彼女が覚えて居るのは生きている時の記憶だけだった。
最後の記憶は車にはねられる瞬間…そこから先は覚えて居ないという。
読書が好きで、静かな音楽が好きで、道ばたに何気なく咲くような
何でもない花が好きという可愛いけど地味な子だった。

はねられてから先の記憶が全くないとか、そんな事、あるのかなぁ
後で弥生さんに聞いてみようかな…と思い経った頃

『そーだ、ボク買い出ししなきゃ、じゃあ、松浜さん、
 ボクまた明日来るよ、同じ時間に! またね!』

あくまで葵は明るく汐留だからと特別な感じを一切見せない普段通りの対応をした。
汐留も何か「久しぶりに沢山話した気がする」という感じだけはあって
顔を赤らめながら『うん、またね…!』と応えた。

ただ、葵にしてみればちょっと長い時間留まって逝けないカンジになってる霊に
声を掛ける事自体はままあったので、汐留のことは心に少し引っ掛かりつつも
「まぁまた明日だ」というカンジに頭の隅に置いて夕食の買い出しなど日常に戻った。



その夜、弥生の事務所兼住居…ベッドルーム。
「あ」とか「ん」とかお互いの名前を呼んだり激しく熱い息づかいで
満たされた弥生と葵の行為、あやめが推察した通り、弥生は道具を使わず
その指や舌や、触れ合う体の部分の摩擦だけで相手を夢中にさせる業師だった。
そして、そんな弥生の寵愛を受けている葵もその弥生のワザを幾らか受け継ぎ
弥生に反撃してお互い燃え上がった。

そういえば、カズ君事件からこっち、エッチの回数は減っていた。
そう言う気分じゃなかったり、裕子が泊まりに来てたり、
(葵も弥生が裕子に手を出してるかどうかは判らなかった
 裕子の弥生に対する懐き具合などから手を出しているようでもあり
 真っ当に普通に接しているようでもあり、とりあえずお手つきにしても自分よりは
 頻度は確実に低いだろう事くらいで、しかも弥生のことだから
 別にしょうがないというか、裕子も魅力的だし、どうしようもないよね
 くらいに、結構柔軟な思考をして居た)
おうじ↑事件では一昼夜大変な思いをして、その後は数日弥生が
あやめを傷つけてしまったことに地味に凹んでいたこともあり、
慰めを掛けることはあっても、ちょっとしたスキンシップとキスくらい
と言う日々が多かった、だから今夜は二人ともお互いの体を求め、燃えた。

防音処理なども後施工で結構厳重にしたものの、それでも「あ」とかは
結構漏れるんじゃないのかというくらい、二人は遠慮なく燃え上がった。



一通り事が済んで真夜中を跨いだ頃、荒い息も鎮まって
カフェオレとホットミルクを作り葵にホットミルクを振る舞いつつ、ベッドに座って
一服を始めた弥生。
葵も起き上がってホットミルクに口を付けてふーふーしてた時である。

「…貴女気になる子出来た? しかも霊で」

「…えッ?」

弥生は「おっと、この出だしじゃ嫉妬感倍々増だな」と仕切り直し

「今までとはちょっと違う距離に一人…あの制服は栄川品中のかな…
 の幽霊の子が何だろう、心の隅っこに引っ掛かってるカンジがあって
 なにか、気になる点でもあるのかなって」

弥生は適切だった、確かに「ちょっとおかしいな」くらいは思ってたし
葵自体は日常に戻っていたが、その引っかかった感じの心の流れが
弥生には伝わっていたらしい。

「…ボク自身半分埋もれかけてたっていうか「また明日でいいや」で
 片付けた事なのに、弥生さんはやっぱり凄いなぁ」

「…まぁね、というかアナタのストレートな気の流れに珍しく
 飛び石があるようなカンジだったから」

「そっか、ボクそんな気になってたか…うん、あのね…」

葵は夕刻の出来事を全部話した。

「…車にはねられるまでの記憶しかなくて一年そこに…?
 ふーん…なる程確かに少し気になる事例ではあるわね」

「あ、弥生さんでも気になるんだ」

「少しね、事情如何では有り得ないわけでもないし…
 でもその子自体は「車にはねられた」自分の死因まで把握していて
 そこまで暗い波をたぎらせているわけでもないのに、逝けてない…と」

「そうなんだよ、それでじゃあ、こんな時はお互いの普通の話だなって
 お互いの学校のこととか何か思い出とか話し合って…
 内気で読書が好きな子って以外、特にこれと言って…
 そう、ボクと似てる所が一つあった」

「ふむふむ、タイプは全然逆っぽいけれど似ているところ…それは?」

「なんだろ、毎日連むような友達は居ない、みんなと笑って話はするし
 仲はいいと感じるんだけど、といって一緒に遊びに行こうとか
 家に遊びに行くとか、そう言うのはない感じ、まぁ後者は、
 ウチの場合ちょっと慎重にしないとだけど」

因みに弥生はこのマンションを二室契約し、改造して事務所兼住居にしてある。
入り口はなので事務所用と住居用二つがあるのだが、葵自身余り
どっちがどっちと気にしてないので、トモダチ連れてきて事務所用のを
習慣で開けてしまうと流石に不味いかなと気を付けていた。

「…まぁ、ウチに中学生の助手が居るなんて割と知られたことではあるけれど
 気をつけて呉れるならそれに越したことはないわね…にしても、そうか…
 そう言えばそうね…、アナタの回りって私基準だから大人多いわよね」

葵は焦って取り繕うように弥生に抱きつき

「いやいやいや、それで寂しいとかじゃないんだ、それはそれでいいんだ
 でもなんか、そう言うのを含めて共有出来るっぽい子だなって」

裸で一服してる弥生の背中に浸るように抱きついてる葵が、そう言う。

「ん…まぁ…私もちょっと偏った中学時代だったし、阿美みたいな子が
 そうそう転がってるとも思えないし、その辺りはね…任せるけれど」

弥生は吸いきった煙草を消してウェットティッシュで手を拭き拭きしながら
カフェオレをあおり、

「なんだろ、私の中にもちょっと引っ掛かるモノがあるわ、
 とはいえ、これに関しては葵クンが距離計ってみてよ、
 大人の私じゃ警戒されるかもしれないカンジの内気っぽさだし」

「うん、また明日って言ってあるから、明日の放課後にでも」

「ん」

お互いあらかた飲み物も補給した後で電気を消しつつ、抱き合って就寝だ



『松浜さん、やっほーこんにちわ! 約束通り来たよ』

葵が次の日の放課後、昨日言った通りに、同じ時刻に汐留の側に来た。
しかし汐留の様子がおかしい、なんか、警戒されてる、何故?

『松浜 汐留さんだよね? 昨日会ってお互いのこと話したよね?
 ボクだよ、日向 葵』

汐留は少し何か思い当たることがあるような…でも思い出せないカンジで

『ごめんなさい…判らない…昨日って…いつ…?』

流石に葵もこれは「おかしい」と思った。

『…でも…アナタに見覚えがあるみたいな…話した事あるみたいな…
 でも思い出せない…思い出せないよ…』

日々を重ねていっている、何となくそのカンジがある、でも例えば
日めくりカレンダーの減ったところだけが見えていて、今が何月何日なのかとか
そう言うのが一切見えないカレンダーを抱えているようだ。
勿論めくったカレンダーも見えない。

そんな汐留が頭を抱えていつもより深くうずくまり頭を抱えた時だった。
何か…何か「魂に傷がある」という痕跡が見えた気がした。

『…これは、弥生さん案件だ…』

葵は呟き、汐留に

『深く考え込まないで、心配しないで、安心して、ボクとボクの凄く信頼してるヒトが
 必ずアナタに何が起っていて何がどうなってるのかを解き明かすから!』

葵は居てもたっても居られず、駆け出しながらも

『待っててね! また来るから!』

汐留はそんな葵を見送った。



「めくり残って千切れたところしか見えない日めくりカレンダーのよう、か
 葵クンなかなか上手い例えするわね」

弥生が感心しながら今度は車に乗って現場に向かい直していた。

「えへへ、ほんのちょっとだけ、そう、千切れ残った所だけは記憶が残ってるカンジ」

弥生はそれに対し、キッパリと

「それは悪霊の仕業、しかも悪さをするのが同じ霊専門というゲスいヤツよ」

「どう言うヤツなの?」

「一カ所に留まらず、あっちこっち彷徨って…いい思い出とかを持ってる霊の
 「成仏に至るまでの思い」を食べて活力と快感を得ている…霊の中でも変態だわ、
 大体生前は性犯罪者かかなりそれに類する嗜好をしたヤツ…
 何年か前に私そう言うの一回祓ってるのよね、そんなそんな一杯居る類の霊
 じゃあないけれど、そうか…数年の間にそう言うのがまた出てきたか…」

「死後のいい思い出を食べる悪霊か…」

「そう、だから日を跨いでるうっすらとした記憶があるのに思い出せなくて
 葵クンと会話した事なんて「美味しいとこ」として食べられちゃったでしょうね
 そしてその子は、つまり成仏する切っ掛けを掴めずにそこに居続ける…
 葵クンが最初にその子目撃したのが約一年前って言うから…
 最初の内は毎日…ここのところは数日に一度…というカンジでその子は
 その悪霊にとっての「餌場になってた」って訳よ」

葵の表情に怒りがこみ上げるのが弥生には判る。

「何てヤツだろう…!」

「その子は…多分葵クンと同じように、
 クラスメートとはちゃんとコミュニケーションはとってたし
 多くのクラスメート達にはいい思い出として残ってる子なのよ、
 多分事故直後なんかは毎日冥福を祈るクラスメートや
 花束で溢れていたことでしょう、そう言う積み重ねですべき成仏を
 そういう「想い」をはぎ取られることで阻止されてる霊って事ね…」

もうすぐ「現場」である。



『…うん…やはりそう…無理矢理魂の記憶の積み重なりをもぎ取られている…』

現場に到着し、葵は改めて先日話し合ったことなんかを汐留に聞かせて
安心させ、そして弥生を紹介し「きっと何とかしてくれるから!」と
汐留の体を調べて貰ったところだった。

『無理にでも貴女を祓う事は出来る、でもそれでは貴女の魂は
 昇華成仏出来たとは言い難い、私としてはそんな事はしたくないのよね…
 葵クン、一杯彼女とお喋りして、昨日と同じ事から、昨日続きとかでいいわ
 少しずつ、距離を縮めるカンジでね』

弥生が微笑みで葵に会話を促す、うん、と葵は頷き、「昨日のこと」から
汐留とまた話し出した、汐留から聞いた話を葵が喋り「なぜそれを」となれば
「それが昨日キミから聞いた事だよ」と少しずつ、記憶を埋め直していった。

弥生はそんな二人から一メートル半ほど離れた所の地面や壁になにやら
祓いの力で描いて行ってる。

『弥生さん、何してるの?』

葵と汐留がきょとんとしてると

『なかなか…こう言うの描く経験が足りなくて…うん、でも出来てると思う。
 相手の正体を見極める為に、一回というか一襲撃分だけ、ソイツを跳ね返す罠を張った。
 そして…この罠にかかったらここの…祓いの図式と同調させてある
 隠しカメラに写り込むはず、と言うことで…』

そこへ物凄く不安で悲しいという表情(かお)の汐留が弥生に

『…私の記憶が食べられているって本当なんですか?』

『残酷なことを言うけれどホントよ、だから貴女はとっくにこの世の未練を
 断ち切れたはずなのに、今もそこにいる、何も蓄積されてないから
 そこから動くことさえ出来ない地縛状態…大丈夫、葵クンと
 沢山お話しして、思い出なんて、今から積み重ねたっていいじゃない、ね』

弥生の優しい笑顔に汐留が赤面した、これには少し「憧れ」の要素が入ってる。

『ね、弥生さんは凄く頼りになるヒトだから、ボクらに任せて』

そうして、もう結構夜が更けてくるまで話し込んだ。

『もうそろそろ…寒いよ? 何も食べてないよね? ダメだよ、日向さん
 わたしのことばかりに構わないで、アナタの日常に戻って、
 わたし…こんなに沢山喋ったの「凄く久しぶり」…それだけは判る…
 ありがとう…もし…次に会う時に…わたしがまた記憶を食べられていても
 日向さん、話しかけてくれる? わたし…どうしても何とかアナタのこと
 覚えてるように頑張るから…』

『弥生さんのアイツに対する罠が絶対そんな事はさせない!
 だから、もし動けるようになっても、しばらくここに居て! ね?』

葵の弥生に寄せる信頼、その力強さに汐留は目に涙を溜め精一杯元気よく

『うん!』

二人の様子を見ていた弥生が葵へ

『じゃあ、葵クン、貴女が踏んでも大丈夫なようにはしたけれど
 一応この辺り…気を付けながら通って抜けてきて、
 数日間が開く恐れがあるから、松浜さんでしたっけ、貴女は葵クンの言うように
 そこを「ソイツ」が通ろうとするまではじっとしていて、ヨロシクね』

葵は言われた通りの範囲をひょっと跨ぎながら

『じゃあ、また明日来るね!』

汐留もそれに応えて

『うん!』

そうして、弥生と葵は帰って行く、弥生の車の音が去ったあとは
割と静かなこの辺り、もう寒いも暑いも関係ない汐留はちょっと幸福そうに
微笑んで月を見上げた。



そうして、数日…、土日を挟むも、仕事がなければ葵はそれも含め毎日汐留の
側にやってきて、話をして行く、話し合ったことを毎日葵は弥生にも話して聞かせた。

そして…

『これ…アナタに渡せばそれでアナタが読める物になるハズって、弥生さんから』

それは製本はしっかりした一冊の児童書…と言ってもいいのだろうか
北杜夫著「船乗りクプクプの冒険」であった。
汐留は驚いてそれをうけとると、本はそのまま霊体化した。
あ、凄い、弥生さんホントに彼女に渡して読めるようにしちゃった
ゴメンね弥生さん、折角の弥生さんの蔵書なのに、寄付して貰って。

北杜夫というと「どくとるマンボウ航海記」辺りのエッセイを始めとして
純文学的な物から、ユーモア・ファンタジー路線的な物まで幅広いが、
児童書も書いていた。
今で言うメタネタを絡めた読者本人にもし自分がこうだったらを提起させる
それが「船乗りクプクプの冒険」であった。

弥生はあらかた北杜夫は取りそろえていたし、子供向けも大人向けも
畏まっていようと砕けまくっていようとお構いなしなコレクターでもあるので
当然のようにそれを収拾しており、霊体化すると本は現実のものとして
読めなくなるのだが、「今でも手に入らない訳じゃないから」と寄付し、
汐留(霊)が手にとった瞬間それが霊に負担無く読める「本の霊」になるようにした。

『わぁ…これ読んでみたかったんだ…有り難う、日向さん!』

『うん、昨日ぽろっとそう言ってたから…えへへ、でもお礼は弥生さんにしてね』

『もちろん! でも、日向さんにも、有り難う、わたし…楽しみに読むよ、これ…』

葵はにこっとして、心が暖かくなった、弥生とはまたちょっと違う方向で
汐留のことが好きになってきていた、それにはアッチの意味は含んでるような
含んでいないような、物凄く純粋などっちに転んでもいい気持ちだった。

『じゃあ、また明日来るね』

葵が感無量でそう汐留に言うと汐留は元気いっぱいに

『うん! また明日ね!』



ちょくちょく探偵仕事や祓いの仕事などを挟みつつ、弥生は少々苦慮していた。

「決まった範囲を持たない悪霊だし、ここ10年以内くらいの札幌圏内だけでも…
 それなりに変質者って捕まってるわけで…それら全部の洗い出し…
 下手したら逮捕歴なんて無いかも知れない訳だし…そういう捕まってないヤツの
 死亡確認なんて流石の私でも本郷や…まして富士さんには頼みにくいわねぇ…」

葵が「船乗りクプクプの冒険」を汐留に渡したその日、矢張り弥生は
「先ずは手がかり、かなぁ…」と呟いた。

ちょっと最近帰りの遅くなっている葵は帰るなり元気いっぱいに

「ごめんね! 今から急いで夕飯作るから!」

いつも以上のハツラツさで炊事を始めた。
弥生はそんな葵の姿に頬を緩ませた、自分にとっての阿美のような
単純に体の結びつきとかじゃない、心の距離を上手く近く取れる友人が
葵にも出来たようだな、と。
問題なのはその子はいつか昇華成仏するするって事だけれど、
この際だから、少し二人の間を応援するのもいいかもな、と弥生は思った。



その夜もまた二人は燃え上がった。
葵にとって「汐留との心温まる毎日」は肉欲とはまたちょっと違う物らしい。
でも、ちょっと違うのはいつも以上に葵が積極的に弥生を攻めてきて
なかなかイニシアチブをとらせてくれなかったことだろうか。
弥生はちょっと中学校三年辺りから高校辺りで急に攻める方に意欲を見せ始めた
阿美のことを思いだし、ちょっと身を委ねてみたり、それはそれで楽しんだが、
やっぱりどこかで攻守は交代し、葵はイかされまくのだw

そして、そんな愛欲を貪り合う夜も更け、今日は前以上に激しかったせいか
仕切り直して抱き合って寝るでもなく、そのまま二人、つかず離れず
それぞれが寝ていた、そんな真夜中だ、

弥生のトラップに何かが掛かったようだ…!
…来たか…!
真夜中だし疲れ切って折角寝ている葵を起こさないように弥生はとりあえずの服を
引っつかんで身体能力向上の効能を利かせ、そーっとベランダから現場へ直行した。


第一幕  閉


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