L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE:EIGHT

第一幕


この話の活動歴を前後四・五年程度ぼかすこの話の性質上、
先代の十條彌生は明治初期のどこかで誕生したと思って戴きたい。
この章では主に先代弥生を扱うので、旧字体ではなく普通に「十条弥生」としたい。
後、他の章と同じように、実在する・した物に関しては多少名称をボカさせて戴く。
(一部面倒でほぼそのままって所もありますが…)

生まれは京都で、それなりの教育と共に、割と小さい頃から「祓い」の才能が見えたので
連携していた四條院の者から「詞遣い」を、天野の者からは体術など武術を学んだ。
十条はそう言う鍛え方が出来ると言う事で、結構将来を嘱望されてもいた。

「無念だ」と呟くだけの古い霊などは詰まり直に見た事があったのだ。
そう、京やその近くに住んでいたり、京での活動経験のある歴代も知っていた。
それは、下手に触れるよりは放って置いた方が良い霊だった。

まぁ、京でなくとも歴史を数百年重ね、それなりに策謀渦巻く世界がかつてあって
それなりの無念が発生していれば、ドコでもそう言うモノは居るのだが。

祓い人というのは大体その家から外れて活動するので、余り煩い事も言われなかったが
稼げるようになったら割と自力でやらねばならなくなると言う面もある。
特に十条はその傾向が強かった。
四條院や天野を支える為に、敢えて同族の祓い人には厳しい面があった。



そう言う意味もあったのか、一応初等教育くらいはと思っていたのか
新しく帝都と成った東京に十と少し越えた弥生の属する十条家は移って、
一族総出で新しい文化・技術・学問に触れて行った。

この頃、長く蝦夷地として一部道南地方くらいしかマトモに開発されていなかった地が
明治二年「北海道」とされ、開拓史が置かれ多方面からの入植者を募り、
明治七年からは屯田制も定められ、明治八年より札幌郡琴似村を皮切りに運用を開始される。
どうも、この十条家は北海道に足がかりを作る為の準備に入っていたらしい。

弥生に限らず兄弟姉妹全員そうなのだが、この頃は教育制度が定まりきらず
割と年月と共に年齢に期限があったりなかったりでなし崩しになっている。

明治十年代には弥生は女子師範学校に通いつつ、まだ明治になってそう長くなく、
標準語さえ策定に対し模索だったこの時期において、彼女の快活な性格から
江戸弁というか、明らかに山の手ではない庶民言葉が性に合っていたようだが、
財閥の一つを担い、影ながら日本と祓いを支える十条家としては余り弥生のその
砕けた様は好ましく写らなかったようである。

またこの頃、東京の四條院や天野とも交流を図り、剣術で一定の領域に達したと
認められた事で、弥生は正式に「イツノメ」を受け継ぐ事になった。
この時代、職業如何によっては山賊まがいの奴らやら、野生動物対策で銃や
刀の所持は一部認められており、祓いもその例外に含まれていた。

まだ多くの人々が和服であった事もあり、弥生も四條院の伝手で一種神道の系列の一員として
巫女装束を与えられたが、動き回る事を旨とする為、馬乗り袴を選んだ。
動くのにもっと適した野袴でなかったのには何か美学があったのかも知れない。
そして、彼女は「足で稼ぐ」とばかりにブーツを履いた。

今ならファッションとして成り立つそれも、明治始めの方に於ける一般女子の袴履きは
「椅子に座る」という文化が入ってきて着崩れを気にするようになり、緊急避難的に
着用し始めたのが始まりであるが、「女子の癖に男児のような格好をするとは何事だ」
という批判もあったのだ、和服に袴にブーツという出で立ちは明治後期から大正に掛けての
女子教育にもちゃんと意義を見出してからの文化であると言っていい。

明治前半には、まだ世間の目は冷たいモノだったのだ。
しかし性格的に「べらんめぇ」だった弥生にはドコ吹く風、農民身分ではなく
それなりに食べられて動いていた弥生は女性にしても体が大きく、同年代の子達と
並べばほぼ後ろという有様であった。
そしてその体は良く鍛えられていた。
まだ少女小説などと言うモノもなく(明治の後半に入ってから)何となく形容しがたい
ココロのモヤモヤというか純粋に評価すれば「ああなりたい」的な憧れの対象でもあった。

この時期の弥生は、まだ見えない将来と、出来ればもう少し教育も受けたいと思って居た
事もあり、祓いの報酬などはその為の資金として実家に拠出していた。

そして、祓い人としてもそこそこ中級の坂を上級に向けて順調にという十代後半、
弥生属する十条家諸共、北海道は札幌に渡ってきた。



「英語教育はありがてぇんだが、宗教はいただけないねェ…」

この時期の札幌ほぼ唯一の女子高等教育の場であるスミス女子校に籍を置きつつ
弥生はしけたツラでキリスト教の何たるかを読みつつ、ついこぼした。

「西洋には西洋の、物の捉え方があります、それを知っておく事は
 別に悪い事だとは思いませんよ」

クラスメイトの東川 神奈(ひがしがわ・かんな)は江戸の山の手に住んでいた
神職(神社)の娘で、これからの次代を見越し高等教育を施さんとする親の意思に応え
小さい頃より勉学に励みつつ、弥生より少し先にこの新天地にやってきていた。
年は同じだが、そう言う意味では先輩と言えるのかも知れない。

「西洋人ってのぁあれだね、誰にも判る基準を作りたがる奴らだね、理屈っぽいってかさ」

「そうかもしれませんねw でも、貴女は些か自由が過ぎます、
 明治政府の認可がある正式な「仕事道具」とはいえ、こんな所にまで野太刀を持ち込むなど…w」

「野放図な積もりはねーんだがなぁ」

「福澤先生の「Liberty」の訳語としてですよ、勿論貴女はその行動に責任を持っています」

「そうだといいんだが…これはいつ仕事が入ってもいいように…しょうがないのさ
 堅ッ苦しい事ぁ無しに願いたいよ、こればっかりはね」

「私も神主の娘とはいえ、そのようなチカラを持つでもなく大変な世界なのだろうと思います」

「神事手伝ったりしてるんだろ? じゃあ多分、アタシが何やってるのかは見えるだろうね」

「見えますかね?」

「まぁ、仕事に付いてくるのぁ危険だが、もし機会があれば見るコツくらいは教えるよ、
 なに、見たくなければ見なければいいだけの「見方のコツ」ってぇ奴さ」

神奈が妙に感心したように、少し微笑んで頷いた、さて、先生もやって来る授業開始だ。



「十条サンはいわゆるカトリックに於けるエクソシストとお聞き及びしました」

女学校放課後神奈と共に帰ろうとしていた弥生を呼び止め校庭を歩きながら
スミス先生は弥生にそれを問うた。

「難しいハナシでしてね、勿論ヒトに取り憑いた霊なんかも祓う事も仕事だし
 …エクソシストってのは元来キリスト教徒に対する追加洗礼のような物であって
 キリスト教って価値観を再確認する為の儀式でしょう、いや、勿論祓いの力を持った
 モノホンの悪霊祓いってのも居るんでしょうがね、
 だから厳密にはアタシはエクソシストじゃあない、信心は何でもお構いなしさ」

何だかんだ言いながら、弥生は物凄く客観的にキリスト教を勉強していた。
神奈もビックリしたが、以外に冷静で厳密な目を持つ弥生にスミス先生も驚いた。

「…何かお困りのことがおありになりますかい?」

「実は…」

女学校を開いてまだ間もないスミス女学校ではあるが、図書室に充てた部屋に
どうも何かが居るようだという、他の生徒からそれを聞き、自らそれを確かめようと
籠もってみたところ、確かに、何かがそこにあるようだという。
ネズミとか、そう言った物でもないようだと。

「図書室限定ですかい?」

「ええ…」

「ふむ…欲しい本は片っ端から買っちまうから利用したこともなかったが…どれ…
 神奈はどうする?」

神奈は不意を突かれた

「…えっ?」

弥生は神奈に微笑みかけ

「アタシの見立てじゃあ、もしそれが本当に霊だとしても、神奈にもスミス先生にも
 害はない、ただ一つだけ…もしアタシの見立て通りだったとしたら(スミス先生を見て)
 図書室の本、幾つか捧げちゃってもいいですかい?」

「え…ええ…それは多分大丈夫…でもどうするの?
 火を使った奉納とかはやめてくださる? あれは危険です」

スミス先生の尤もな意見。
この時期、大きく発展しようとするようなトコロは大体何処もそうだ。
野火やちょっとした火事騒ぎなんか幾らでも起きていた。
歴史に残るようなと成ると町を何分の一かを焼くようなと言うのじゃないと記録には残らないが、
一条一丁を焼き尽くすようなのは特に大通りを挟んで南の地区では当たり前のように起きていた。

弥生はニッと笑って

「判ってますよ」



「…おっ…なんだよ…やっぱり学校とも成ると違うな…玉櫺堂(ぎょくれんどう)より
 ずっと専門的だぜ…やっぱ英語くらいは読めねぇとハナシんならねぇな」

神奈はそれに

「フランスやドイツの物もありますよ、これを全部修めようとしたら
 なかなか短期間では無理でしょうね」

「なんでぇ、仏蘭西や独逸語もやらねぇとかい、先生も流石先生だな」

「英語圏の人間にとってフランス語やドイツ語は日本語の習得ほどには
 難しくはありませんよ、私ももう数年日本にいますけれど日本語は
 話し言葉としてはそれほどではありませんが、書くとなると大変です」

弥生が図書室を見回しながらフッと笑って

「増して話し言葉も統一されてなくって、書き言葉と話し言葉を統一しようとかいう
 動きも芳しくないしな、この国の学問というヤツは、とことん気取り屋の
 威光尽(いこうづく・いばりちらし)てヤツだ、そう言う意味じゃ、
 まだ西洋の方が学問に関しては頭が柔い方かな」

「さっきはあれほど理屈っぽいと仰有ってましたのに」

神奈が笑うと

「「概念ではなく事象」「考え甲斐のある・突き詰め甲斐のある」と言う意味じゃあ
 アタシとは折り合いの付けやすい考え方さね、理屈と経験のすり合わせによる実証とかね」

スミス先生がそれに

「そう、西洋の科学はそう言う物ですね、概念で止まるとハナシが全て終わってしまいますから」

そこへ弥生が一冊の本を手に取り

「と言う訳だ、あんたがドコの誰かはアタシぁ知らないが、アンタが読みてぇってンなら
 スミス先生から許可は得た、何語だこれぁ…独逸語か…アンタにこれを…」

右手に本を持ち、左手の指先を唇の前に持って行き何かを呟くと左手の指先が光って見えた。
そしてその左手の指先を本に触れると、本自体に光は行き渡り、弥生が誰もいない席の一つに
それを差し出しながら

「持ってゆくといい、いや、しばらくここで読んでくのもイイだろうさ。
 その方がアンタも昇華成仏が捗るってモンだろ、先生、ここの席…しばらく空けといてくれ」

夕暮れ前に少し陰ってきた光の中、そこの領域がキラキラと光っている。

「名は「さち」…仙台藩からの入植だってさ、明治になって、時代が変わって
 女子教育もと思って、出来たと思ったらあっという間に潰れて…独逸語の
 勉強をもっとしたかったってさ、そのうち火事に焼け出されて死んだ物の
 大通りを挟んで直ぐに学校できちまったモンだから、引き寄せられたんだ
 年の頃はそうだな、いまのアタシや神奈より少し上って所だ」

そして、どうやら弥生の手からその「霊」は本を受け取ったらしい、
その本が光に包まれ、キラキラとした領域に吸い込まれた。

「これでもう、本はこの世には帰ってこない、永遠にね…本来の意味の副葬って奴だ」

そこで神奈は思い立ったように

「そ、そうです、弥生さん、「見るコツ」という物を今教えて戴けませんか?」

弥生はニッと笑って

「いいぜ…いいか…一言一句余すことなく発音も出来るだけ忠実に覚えなよ」

といって、物凄く単純且つでも発音も併せるとなかなか難しい短文を教えた。

「スミス先生、あんたでも使えるはずだよ、これは信仰を選ばない、あんたに
 才能があるならそれで出来る事だ」

唱え終わってどう言う状況なのか「見えた」神奈の驚きを目にしてスミス先生は微笑んで

「いいえ、私はそれでもプロテスタントの宣教師…「それ以外」のものを
 迂闊に受け入れることは出来ません」

弥生はちょいと呆れた様子で、でもニヤッと笑って

「なるほどこんな世界のド田舎まで来ようって西洋人ってのはやっぱり堅物だ」

スミス先生はその弥生の言葉に微笑みながら、言った。

「日本は多分大きく成長するでしょう、自らの伝統や伝統的な物の考え方を
 敢えて殆ど捨て去ってでも欧米列強に追いつこうと必死です。
 …それでも貴女のような…古い古い日本の何かとても重要な魂を受け継ぐヒトも
 矢張り居るのです、日本は、最新の物と古来の物が違和感なく共存してしまう
 世界にとっても希有な場所となるでしょう
 それでも私は、聖書の教えとその精神に則って、今後も貴女達を指導しますよ」

「まぁ、残念なことにもうそろ、修了時期なんだけどな」

「いいじゃありませんか、法整備もなかなか追いつかない今、何歳だからって
 勉学を諦めることはありませんよ」

「…じゃ、アタシも一応まだギリで扶養家族なんで親に延長申し出てみるか」

そこへ神奈が

「あ…おさちさんが…」

キラキラした何かが、それこそカガクで言う昇華するように消えてゆく。
「逝くべき場所に逝くのだ」それは直感として神奈にも、スミス先生にも判った。

見送った弥生が呟いた

「祓い完了……みんながみんなこのくらいの思い残しなら楽なんだけどな」

「凄く満足して本を読みながら消えてゆきました、そう…素晴らしいことですね」

神奈が感激していると

「それはさちサンの心残りが本一冊で済んだからさ…あ、先生、
 今回の報酬は、あの一緒に成仏させちまった本って事でヨロシク」

この頃のスミス先生は私財を投げ打って女学校を建てて間もない頃…正直余裕はなかった。
ちょっとはにかんだように、スミス先生は微笑んで弥生に感謝し、呟いた。

「惑う魂が最後に求めたモノはゲーテの西東詩集ですか…」



宗教が違うとは言え、スミス先生の理解を得たことは弥生にとっては結果的に幸いであった。
幾らか学校や、スミス先生の人脈からの依頼というのも出てきたのだ。

「祓い」という行為に対してそれはインチキなのか正しく超能力なのかと言う論争や実験が
明治という時代には類似した現象などについてたびたび新聞を賑わせていた。
一部それは現代にもアレンジされたりインスパイアを与えたりしてホラーだったり
サスペンス調コメディだったりするわけなのだが…
弥生にもそう言う声が掛かった。
弥生としてはじつに面倒なハナシで最上級にしけたツラだった訳だが、テキトーにやって
インチキ呼ばわりは今後の活動に支障が出るし、といって科学的精査とか言ったって
今の科学レベルで判る事とも思えなかった…

弥生はしょうがなく、実験を厳重に厳密に、何の不正の介在もできないよう、
かつ、観察者からの観測はできるよう千里眼だの何だのと実験をさせられ、
全問正解させて見せてから、言い放った。

「あんたらがどれだけ偉い先生方なのかはこっちは知らないし、どうでもいい
 だけど、これが説明できるか?
 「詞」とはなんぞと紐解いただけで誰もが使えるようにはならない、
 そういうものは科学にならないよ。
 体を鍛えなきゃ重量挙げは出来ないのと一緒さ、ただ、鍛えなきゃならない素質と
 伸ばすべき才能がとっても見えにくくて限られたヒトしかできない物だ、
 いつかは「詞」と「祓い」は科学になるかも知れない、でもそれは今じゃないよ。
 だから、こんな無意味な事はやめな、文屋の兄さんも、六段目(ろくだんめ・お仕舞い)だよ」

弥生はイツノメを返して貰い、一礼をして会場を後にした。

確かに「そこに確かに何か判らないチカラが介在し、千里眼を実現させている」事は
わかったとして、そのメカニズムなど判るはずもない。
インチキを曝くと意気揚々としていたモノも、超能力を証明しようというモノも、
どちらでも構わないから面白おかしく書き立てようという新聞記者も、意気を削がれた。

当然、弥生のことは記事にも記録にも残らなかった。



明治も二十年代に入って中頃、スミス女学校も公的な教育機関として認可され幾年、
弥生もそろそろハタチになろうとしていたが、特別に学校に通い続け、神奈もそうしていた。

二十年代も進むとスミス女学校の他にも女学校が出来てくる。
選択肢は他にも出てきたが、しかし神道系の弥生も神奈もスミスに通い続けたし
信教の自由の是非はそれはそれとして、少なくとも「ホンモノ」の弥生、
仕事をするほどではなくとも「見る」事くらいは出来る神奈にはキリスト教に関しては
より学問的なアプローチだけにして、信教を揺るがすような行為に関しては
スミス先生もその距離を心得た。

「そういえば、十条さんは何故英語を勉強しようと?」

スミス先生がある日、校庭で語りかけてきた。
そこには先生が故郷から持って来て植えたというライラックが咲き誇っていた。
弥生はその花を愛で、匂いを楽しみながら言った。

「ローバー・セーフティ・バイシクル…スターレー&サットン社のが欲しいんですよ」

ハタチを数えるようになるとやや弥生の言葉遣いもべらんめぇ調から落ち着いては来た。

「個人輸入で買おうという訳ですか、素晴らしいことです」

「まぁ英語での注文ややりとりなんかよりもっと大変なのはその値段と輸送費ですがねw」

「確かに…本場ならいざ知らず、日本は今「世界」を謳歌する欧米から見れば
 余りに遠い国ですね」

「まぁ、学費の傍らそっちも着手してますよ、もうちょっと頑張れば買えるでしょ
 そうすりゃあ機動力も上がる、周辺の村や町五駅十駅向こうくらいまでなら
 ドコへだって行ってやれるようになれます、今みたいに汽車代が出ないと
 行けないよって範囲が減るでしょ、仕事も捗るってモンだ」

「自動車などは考えて居ないのですか?」

「燃料がね、何より問題さ、火元にもなるしね。
 その点自転車はテメェの体力勝負だ、判りやすくてアタシはそっちが好きだね」

スミス先生は少し呆れたように

「貴女は元気があって宜しい!」



そしてややも暫くすると札幌の街中を安全型自転車という…まぁ今の自転車の原型と
言えるタイプの自転車に乗ってあっちへこっちへ走り回る弥生の姿が見られるようになる。
荷物を載せられるように後部に台を設置し改造したそれ、
学校上がりの時はちょっと恥ずかしがる神奈を後ろに乗せて走る姿もしばしば見られた。

そう言う時は南二条西三丁目のマルヨシ菓子に行ったり、日本語翻訳も充実してきて
出版の分野も善く花開いた玉櫺堂に寄ったり、花川戸筒居商店という革製品や靴を
扱う店でブーツの直しを依頼したり受け取ったり、と言った感じであった。

弥生に至ってはココロから楽しそうであったが、いい大人になった神奈にしてみれば
少々恥ずかしく、また、そんな無邪気な弥生が眩しすぎると感じる事もしばしばだった。



そして、明治二十年代も大分進んで明治三十年代の声も近くなり、
一葉さんの前の五千円の顔だったヒトの力添えや助言もあり、
スミス女学校は移転し、北星女学校として規模も新たに再出発することになる。
その頃になると弥生はたまに図書室などに顔を出して本を読むくらいになっていて
神奈も家の仕事の手伝いを主にしていた。

弥生もすっかり西は小樽から余市(よいち)、北方面は石狩当別岩見沢…果ては深川
南の方角も千歳から苫小牧まではカバーするようになっていた。
とんでもなくパワフルだった。

そして帰ってきて報酬が入れば神奈を誘って遊び回ったりしていたのであるが…

そんな時に、ちょっと何かがおかしくなってきたのだ。



ある夏、またいつものように仕事を終え、神奈を引き連れ行楽していた時のことである。

玉櫺堂書店で分を物色していた時、外が騒がしい、神奈が外に出て様子を見て弥生に

「火事ですよ! いけません、ここにも類焼するかもしれません!」

店内が騒然となる、弥生は会計中であったが、見えないはずの屋外の一点を見ていた。

「店主、先ずは店を守るんだな、ここは本屋、類焼したらたまったモンじゃねェだろ」

弥生が外へ出て、何か詞を両手指先に込め握りしめた後、藪から棒に抜刀をして、
また詞を一つ呟き、燃えさかる近隣の屋根の上に一気に跳んで登っていった。

「や…弥生さん!」

神奈は数年前の図書室でのとても静かで美しい祓いしか見ていなかった。
どうやら弥生がホンモノの「祓い人」であると言う事しか知らなかった。
いつもいつもひっきりなしに自転車で移動して、自分の前ではいつまでも
お転婆さを失わない、今度の祓いでは何処へ行って何という景色が良かったとか
何という食べ物が美味かったとか、そんな事ばかりを話していた。

札幌でも祓いはしていたのだろうが、多分当事者以外でそれなりにそれを知る人は
スミス先生だけだろう、自分はその場にいても内容によっては呼ばれもしなかった。
それもちょっと詰まらないというか寂しいなと思っていたが、今、弥生は問答無用で
戦いを仕掛けに行った、燃えさかる炎の中へ。

通りを挟んで燃えている家と、まだ燃えていない家で弥生は何者かとにらみ合っていた。
見たこともない、真剣でありつつ、どこか嬉しげな…狂気すら感じる。

そして対峙するモノ…弥生の視線を追ってよーく見ればそこに人型の「何か」が居る。
炎に解け合わさって一緒に揺らいでいるので分かり難いが、それは「霊」ではない
と言うことが神奈には判った、それは「魔」だ、遙かな昔にはヒトの隣にあった
有象無象の権化だ。

「そこのあんた、あぶないよ!」

近所のヒトが神奈を下がらせようとする。

「で…でも、弥生さんが…」

「ああ、そういやあんた良くあン人の自転車の後ろ乗ってたりしたな、
 でもこんな所見たことないだろ? 危険だ、さがっときな」

この大通り南の住民も弥生の活動を知っている?

「この辺りは前ッからそうさ、屯田の兵隊さんや日本のあっちこっちから
 誰かが住み着いてしばらく経つとこうだ、あン人によると、
 「地元だと速攻祓われるから入植者にくっついてここへ来て力を付けて暴れる」
 らしいんだよ…ここがいっぱしの町になるまではしょうがねぇってさ」

近所の人々も判ってるのか、淡々と類焼しないようにだけ頑張って居た。

弥生が一瞬飛びかかって相手と一撃を交えたようだが、また元の屋根に戻る。
弥生の野太刀の一部が真っ赤に焼けていた。
思ったよりは強力に育ってしまった奴らしい、弥生は思案して「詞」を刀に込めつつ

「南のみんな! アタシが今だッてったら全力でアタシの目の前の建物に
 お願いできるかい?」

と言って数秒、弥生が「今だ」と叫びもう一度「ソイツ」に飛びかかると同時に
南二・三条あたりに住んでる近所の人々は一斉に「ソイツ」が居るのだろう
家屋に水を浴びせた。

するとどうだろう、弥生の太刀筋に合わせるかのようにその水は凍って行き、
「ソイツ」の回りだけを少し崩し、後に残されたのは、屋根の上の人型の氷と
多分自らもかなり凍ってしまい、野太刀から滴る水がそのままツララになっていて
着物の裾も袴の裾も凍った弥生の姿だ。
豪快に弥生がクシャミをしつつ

「ああ、相手の見切りがまだ甘いな、アタシも、ここまで本気になることもなかったか」

そして人型の氷となった「ソイツ」の側に行くと、

「さぁ、アンタはどっから来た…へぇ、福井から…そりゃぁ藩の時代からかい?」

弥生の質問にソイツは観念したか「勘弁してくれ」と声を上げた
それは確かに「人型の氷」から聞こえる、弥生は無表情に

「だちゃかんよ、さいな(ダメだね、さよならだ)」

野太刀「イツノメ」を左手に持ち、詞を右手に込め手のひらをソイツの背中に
思い切り当てるとまるで爆発するかのように細かい氷に砕け、そして消えていった。

「祓い完りょ…うわっ…!」

屋根の足場が崩れて弥生が落ちる。
南の住民達は割と判ってるのかそんな弥生を朗らかに笑い飛ばして
「ようやってくれた」「助かったわ」などと声を掛けている。

冗談じゃない、神奈にとってはこれは大変に異常な出来事であった。
弥生との付き合いも五年前後に及ぶ、でもこんなのは初めてだった。

瓦礫の中から「テヘヘ」と起き上がる弥生に向かって警官が走ってくる。

「十条さん、今回はやたら早かったですね」

イントネーションが関西っぽい警官だった。

「なぁに、たまたまさ…神奈のお陰で特定も早かった」

警官は多分弥生とは知り合いで、弥生は神奈のことを話していたのだろう、
「この人が東川 神奈さんだな」と思うと、ニッコリ近づいてきて

「助かりました」

神奈は動揺した、そんな何か事件に貢献したって程貢献してないのに。

「え、いえ、私…別に何も…あの…警官さんは一体…」

「ああ…、僕は火消し…と言っても水掛けの火消しじゃなくて…
 とはいえ、この辺でこのくらい良くありますんでね…僕が何を今更することもないんですが」

「どう言うお仕事なんです?」

警官は朗らかに

「明治の世の日本は「科学」に目覚め、実験と実証に裏付けられたモノでなければ
 存在を認めないという正式な見解があります。
 なんで、十条さんの活動に関して、余程の馴染みさん以外、ちょっと病院の先生の方に
 「アナタが見たのは幻覚ですよ」って言って貰うのにご案内する役目ですわ」

弥生が立ち上がりながら

「メンドクサイよな、でも、祓いだ魔だ霊だなんてのぁ今の科学じゃ定義すら難しい
 いや、やってやれないこたないんだろうが、理屈に迫るまではできないだろね
 だから、もういっそ「それは気のせいです、あなたは幻覚を見たのです」
 と言うことにしてしまおうって、アタシから道庁に提案してね」

そこへ警官が

「ほんでまぁ、僕故郷奈良なんですけど、祓いの人とか知ってましたんでね
 僕が担当になって…まぁ初見さんとか旅行の方とかに
 「大変な目に遭ってお疲れになりはったんですなぁ」と担当の医者のトコロ
 連れてってお墨付き貰うと言う流れになってるんですわ」

夏なのにまだ半分凍ってて寒そうにした弥生を見て警官が

「しかしまぁ、えらいずくずく(びしょびしょ)になりましたな」

また一つクシャミをした弥生が鼻をすすり上げながら

「ある意味油断したよ…いつだったか夜に勢力を伸ばしてここいら全焼させた
 結構強い「火禍(かか)」に類する強い奴…と思ったんだが
 思ったより弱くて…なぁに、今頃は夏の日照りで直ぐにも乾くだろうさ」

警官さんはニッコニコしながら頷いて、フッと気付いて神奈に

「あ、僕、子安新 守八(こやすあらた・もりや)いいます、あんじょうよろしゅう
 お願いします」

神奈は一通り挨拶を返すも、今まで何年も知らなかった弥生の一面に少しビックリしていた。
恐らく、札幌の大火として知られるモノも、陰で弥生が火の禍…火禍を祓っていた…

「あ…あの…それでは私これで…」

と、足早に神奈が去ろうとすると弥生が

「あ、送るよ?」

「ううん、大丈夫、それより弥生さんは服を乾かさなくちゃね」

と言ってささっと帰って行ってしまった

「なんだ、どうしたんだろ」

弥生が不思議がっていると、近所の人が延焼しないよう囲ったトコロで火をおこして

「ほら、祓い屋さん、当たってけ」

ああ、済まないねと弥生が火に当たりに行くと子安新が

「そう言えばあのお嬢さんのこともう何年か前に聞いたのに今日初めて会いましたよ」

「そうだっけ…ああ、でも事件に巻き込んじまったのは今回が初めてだ、そうかもね」

「ちょっと、引いてらしたようですよ」

「え、そうなの? 一度は祓いを見てるんだから累が及ばなければ大丈夫と思ったが
 怯えさせちまったか、そいつぁ悪い事したなぁ」

「僕は四條院さんと個人的に付き合いありましたから時には凄惨であることも
 知っていましたけどね、ここの人達含め、最初の頃は僕も大変でしたよ?」

「…とはいえなァ、慣れるほど連れ回すのは悪いし…しょうがねぇのかなァ
 ああ、それから、おいよぉ、南の皆さん方、そろそろ厳重な火の通らねぇ地下室作って
 そこに資産逃がしとく事もやっといて呉れよ、空気と水の通り道さえ
 確保しとけばそこに暫く住めるようにもしてさぁ」

南の住民達の何人かはそれに

「いやぁ、そこまでするなら小樽にでも移った方がって思っちまうンだよな」

「それもそうだが、それじゃあ、いつまで経っても札幌がホンモノの町にならないよ
 政府の「そうしてぇ思惑」とズレると魔や霊も闊歩しやすいからなァ」

子安新がニコニコしながら

「まぁ、政府への陳情はしてください、認められたら再建費用も幾らか
 補助が出るはずです、それで昔一度あんまりにウソ偽りが通り過ぎて
 「御用火事」何てやってますけどね、まっとうに、正直にお願いしますよ」

「そんな事があったのか」

弥生の言葉に

「明治四年のことですわw 僕は奈良からこっちへ来たばかりの頃でね、
 ああでもしないと、今の札幌はなかったでしょうね
 もっともっと大火事に悩まされる札幌だったでしょうね」

「さすが徳川時代生まれ、なるほど、そんな積み重ねがあったからか
 「火禍」も育ちやすいんだな、ここは」

「ま、十条さんのお陰でみんな大分判ってきましたけど、
 多分、あの東川のお嬢さんみたいに引いてしまう人も多いでしょうからね
 気を付けてくださいよ」

「そーだなァ…」

弥生はちょっとしけたツラになりつつも、神奈にはついて来られそうにない世界みたいで
ちょっと残念にも思っていた。


第一幕  閉


Case:Eight 登場人物その1:「明治二十年代始め頃の彼女達」

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