L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE:EIGHT point FIVE


日曜の昼下がり、先代の扮装をした弥生から先代の一生を聞き終え一同は静まりかえっていた。

「ま、イツノメ視点とも言える話よ、どこかに個人的な思い入れなんかが
 だいぶ挟まってるかも知れないとはイツノメも言ってた、でも、
 私は探したよ、ああ、もう探したよ、新橋に頼んだりして子安新警部の足跡を追って
 無縁仏あつかいのおやいさんの遺骨も手に入れて、実家に戻って
 写真も発掘してきて墓の先代の骨におやいさんの骨混ぜて半分実家の、
 半分こっちの墓に埋めてやったわ、本人達がもう昇華成仏してるとは言え
 これは生きてる側の心の問題だからね」

と言って裾から古い写真をとりだし、皆に提示する。
そう、それこそは先代とアイヌであるおやいさんの一緒に写った写真三枚だった。

少なくとも、その話の大部分は事実、物証がある限りは間違いない。
そして、押収した先代弥生に関する活動記録はおやいさんが付けていたもの。
それらは妙に先代を慕っていた地下民達に持ち去られていたと言う事なのだ。

押収された明治の物については、ほぼ先代弥生の物といって間違いなさそうだ。

葵は弥生に捜査の進展具合などは話す暇もないというか弥生が一心不乱に
メモやパソコンと格闘していた事は阿美も証人であり、週末が見えてきてから
急に弥生の方から「ひょっとして…」と来たので葵はそりゃもう驚いたのだが。

あやめがやっと口を開いた

「と言う事は弥生さんは、神奈さんの子孫でもある訳ですね」

弥生はニッコリして

「そうね、それは家系図見てて名前は知ってたけれど、どう言う由来の人かが
 凄くよく判ったわ、いい人を先祖に持ったモンだわ、私は」

弥生が懐から家系図の写しを提示する、確かに、弥生を0世代とすれば三代前に神奈の名が。

「ひいお婆さんの私物には日記帳のような物もあって、回想録なんかもあったけど
 流石にちょっとプライベートかなってそっちは持って来なかった」

阿美が感激していた。
あと、自分の血統に誇りを持っているのか、裕子に至っては涙しながら聞いて居た。
葵が物凄く理解不能という困惑顔で

「どうして先代さんのお父さんはそんなになっちゃったんだろ」

それには弥生が

「江戸時代までのある種特権的な地位を維持する為には上流を意識してたんじゃないかな
 身分制度は現実として残る物の、一応天皇家や華族以外は平等と言える原則に
 建前上なってた訳だからね、十条は政治の中枢の近くにある必要があったから
 …とはいえ分家も分家、北海道十条にそんな物はないはずだったんだけどね。
 北海道で爵位とかいい地位に就こうとしてたのか…今となっては判らないわね」

一口カフェオレを飲んで

「ただ、何かしらあった上流意識に対して町人言葉でべらんめぇな先代に
 悶々とした物は抱えてたんでしょうね、下品だと。
 祓いを支える側なのに祓い人とは何事だっていうのもあったんでしょう、
 だから先代は東京時代からは仕事をしつつ学校に通っていたけれど
 仕事先が吉原だ何だだった訳だしね、札幌時代もそう言う場所に縁はあったろうし
 そして割と当時公的に「土人」扱いだったアイヌのやいを引取ると言う所で切れたと」

葵は何も言えなくなっていた、自分だってクォーターと言う事で何だ言われる事はあったけど
流石に土人扱いまではない、ただただ悲しくなってしまった。
志茂がそこへ

「…ホントに時代が物を言っていたんですね」

「ただ…本人達はそんな中でも出来る限りで楽しんでいたみたいだけどね
 自転車から始まって、方々で食い歩き好きなんて私にも引き継がれてるしw
 蓄音機に柱時計に…細かい事だけど当時鉛筆なんてあんまり広がってなかった。
 地図を毎年刷新したり、物凄く新しもの好きなのよね」

阿美がそこに悲しい顔をしながら

「それでも歴代の中ではいい死に方をした方だって、何かもう考えただけで
 初代から四代が可哀想になってくるわぁ」

「いえまぁ…それぞれ時代や境遇を考えたら…それなりに最後は救いになってるかも」

「切ないわぁ」

「今の基準で考えたらね、そりゃあ」

「今に生まれて弥生に会えて良かった」

「私もそう思うわ。 阿美やみんなに会えて良かったと思う。
 そして多分、歴代もそうなのよ、それなりに自分の人生に甲斐を感じたと思うわ」

皆が頷く中、あやめがそこに

「ああそういえば、弥生さん…(バッグから封筒を出して)本郷さんからこれ…」

「うん? 中は?」

「見ませんよ、プライベートな事かもですし」

「ん、そう…(封筒を空けて中を確認する)
 …これだからあの男は侮れないわ…良くこんな古い孤立した記録見つけたわね…」

「え? 何なんです?」

弥生がそれをあやめ他みんなに見せる、それは戸籍の写し…
そう、金町やいの方の戸籍だ。

「な…何でこんなピンポイントな記録を…」

「恐らく押収物の十條彌生の活動記録の方にやいが自分のせいで彌生が勘当された事とか
 書いた所があったんでしょう、なるほど、それなら…って事で探したんだと思うわ
 …彼本人じゃなくて誰かに古い戸籍全部探させたんでしょうけど」

弥生は満足そうに微笑んで

「これで戸籍も訂正してやれる…」

葵がそれに

「何かいいな、それ…ボクも弥生さんの養子とかダメなのかな」

弥生は微笑んで

「それもまぁ、貴女が大人になった頃ちゃんと考えましょう、
 おやいさんは色んな物から物凄く孤立した状態だったからこそだし」

「ん、そーだね…これがおやいさんか…キレイな人っぽい」

阿美がそこに

「眉毛やまつげが濃いめなのが判るわね、アイラインみたいにくっきりしてるし
 だから先代さんもアイライン引いたりしたのかな」

弥生が微笑んで

「かもね、うん、そうかも」

志茂がふと考えて

「この写真、三枚しかないですね、お話の中では六枚と言っていたのに…
 おやいさん抜きの一枚が十条家に公式に残されていた一枚として、
 残りの二枚はどうしたんでしょう」

「…それは流石にちょっと調べるのに大変そうだから想像なんだけど…」

弥生の言葉に裕子がハンカチで涙を拭いながら

「スミス先生ですわね…、恐らく一番若い時期の一枚と、最新の一枚を
 お渡ししたのだと思います…その時のひいひいお婆様の心も判ります
 先生にとってはお二人とも教え子でもありますもの」

あ、なるほど…あやめがそれに

「じゃあ、今はアメリカですね、サラ=スミスさんって確かそう言う余生だったはず」

「遺品がどうなったのかとか、そこからの話になってしまうからね…流石に
 そこまで追うのはやめたけれど、多分裕子の読み通りだと思うのよ」

志茂が

「写真にだけは興味がなかったらしいのはなんでなんでしょう」

「判らない、新しい物好きな割にそこはノータッチなんてね。
 そうだなぁ…流石にお金が嵩むと思ったのかもね、何でもかんでも撮りたくなるから」

あやめが苦笑しつつ

「どこどことおやいさんって感じでおやいさんだらけになってたのは間違いないでしょうね」

弥生がそこに

「おやいさんに「たまには貴女が写ってください」と言われたりもするんだわ
 そう言うときの締まらなさそうな表情(かお)も見たかったかもね」

「何なんだろうなぁ、二ヶ月くらい前の私だったら絶対「えー? 有り得ない」と
 思ってたような事に何だか物凄く「それはそれで純粋な愛だ」って気が
 してしまいますよ…」

周りの視線と雰囲気をあやめは感じ、咳払いをして

「あくまで「この場合は」ですからね」



ついつい話を連続で聞いてしまったのでお昼を食べ損ねたが、三時のおやつにと
お土産辺りを少し飲み物とつまみつつ、談笑していた。
夜ここで食べて解散の運びになっていた。

弥生もすっかり普段の姿になりつつ、以前まで金庫に斜めにしまい込みだったイツノメは
正式にちゃんと飾る事にしたらしい。
野太刀「イツノメ」、大変凶暴な威力を発揮しつつ、優しい個性の女性。

「そう言えば…弥生さんも結構絵心ありますよね、イツノメさんって
 どう言うお顔なんですか?」

あやめの質問に

「あー…初代からの歴史書き留める方に注力しちゃったな。
 あんな時やこんな時の顔なら良く見たんだけど、歴代の話聞くときは
 隣に座ったりして聞いてたからなぁ…」

あやめは顔を赤くしつつ

「何やってるんですか弥生さん…」

「いや、ホント…でも私結構たまってたからさぁ、葵クン可愛いのに抱けないし
 阿美も保護者モードだったからおねだりするのも悪かったし」

そこへ阿美が

「だって弥生ったらナプキン三枚くらい一気に真っ黒〜真っ赤になるほど出血してたのよ
 そんなの見てエッチしようなんて思えないって!」

「そんなに調子を崩されていたのですか?」

前回看病をした裕子にとっても意外だったみたいでビックリして聞いた。
阿美がそれについて

「裕子ちゃんや日向さんも祓いの力の調節ありとは言え少しは体調に変調があったり
 血も出たりするようよね、そんなんじゃとってもじゃないけど間に合わないって
 アレちょっとしたスプラッタだったわ…薬買って飲ませたり熱測ったり
 他体調悪いとこ聞いたり…アレでエッチなんて考えるほどワタシも脳天気じゃないわ」

「でも阿美のお陰でホント週明けにはちょっと動けるかなってトコまでは行ったのよ
 そしたらあの事件で…回復仕掛けの所で暴れてまた寝込んじゃうし
 でもそれは生理の不調じゃなくてホント残りの祓いの復調の方だったから…
 たまってたのよ…」

弥生の釈明にあやめが

「「たまってたのよ」って一言で全部吹き飛びますねぇ…w
 まぁその、次機会があったらイツノメさんの肖像もお願いしますよ。
 魔階ではお世話になりましたし」

「そうね、まぁ彼女の性格から恥ずかしがりそうではあるけれど」

そこへ志茂が

「歴代の人とかビジョンとして伝わってこなかったんです?」

それには弥生が手を叩いて

「いいトコロを、そう、歴代の顔とか服装とか、愛した人が居たならその人とか
 そういうのは記憶の中に何となく入ってるのよ…ちょっとまだ刻むまで
 行ったのが今回詳しく聞いた先代だけだから先代についての関係者なんかは
 結構判るんだけど」

「おお…でも明治時代ですし、写真は探せばありそうですね、子安新さんとかは」

「そうね、流石にそこまでは探さなかったな、私は顔を知ってるからって」

あやめが

「贅沢だなぁ、限定的とはいえ昔の情報や息吹が記憶に刻まれるって」

「今までも私なりに仕事に誇りは持っていたけれど…今回の事で
 ちょっと歴史の中で受け継がれてきた…とはいえ当人達にはそこまでの
 意識はなかったのだろうけれど、それが伝わってきたのは大きな誇りになったわね」

弥生の言葉に阿美が

「しかも全員レズビアン、祓いで十条の女が生きて行けたからこその面はあると思うわ」

「そうね、何よりそれは大きいと思う、十条も四條院も天野も元を辿れば
 先ず何より祓いの力が必要だった時代に端を発して文化文明に晒されても
 その意義を失わずに…十条は半分失ったけど…人が生まれれば死ぬ事、
 死に方を選べない人が居る事、強い念を残して死ぬ事は絶対になくならない。
 …だから、多少世の本流とはズレても今までやってこられたんだと思うわ」

あやめがちょっと困りつつ

「うーん…鎌倉時代の初代から順繰りに詳しく聞きたい気もするなぁ」

「それはまた機会があったらね、話はズレるけれど…そういえば裕子、
 6月の修学旅行、台湾が中止になったんですって?」

弥生の問いかけに、先代の話に浸りつつ写真を見ていた裕子が

「あっ…はい、何か先方で都合が出来てしまったらしく…だいぶ
 丁寧に謝られたそうなのですが、それでも如何ともし難いと言う事で…
 急遽王道とも言える奈良京都の古都巡りに」

「丁度いいわ、現地の四條院とか…十条でも連絡とって会ってみると善いわ」

「そうですわね、特に京を中心に活躍された前三代については資料もあるかも
 知れませんわね」

そこへ葵が

「おねーさん、六月のいつ? 先生、ウチも六月だよね」

阿美がニッコリ微笑んで

「私立だけにちょっと面白い事をねw 六月の二週目ね、一週間」

「まぁ、わたくしの学校も六月二週めですわ、同じく一週間」

阿美が志茂に微笑みかけつつ

「ユキも写真班頭として同行して貰うのよ♪」

そこへ何気にあやめが

「…弥生さん一週間お預けですね」

弥生の動きが止まった。
あ…そういえば…と葵と阿美と志茂と裕子が固まる。

「い…イツノメ…(うわずり気味)」

あやめが「動揺してるなぁ…w」と思いつつ

「イツノメさんにそんな体力あるんですか? 他に当てとかないんですか?」

ええと…と弥生が真剣に考え始めた。
阿美がそこへ

「居るはずよ、少なくとも大学に入った辺りから結構お互い都合も付かなくなってきて
 お互い以外のセックスフレンドって言うか…探し出した時期だもの」

「と言う事は阿美さんも…」

「大体ウチ来ると本だらけでみんな引いちゃって…w
 一・二回でサヨナラばっかり、弥生も私もプロに世話になるのだけは何か違うって
 共通してたけど、弥生って部屋がマニアックな本だらけでも何か納得できる
 雰囲気あるからさ、私よりはそう言う人見つけやすいと思ってたけれど」

志茂がすかさず

「私にとっては理想だけどね、あの本の量と阿美は」

イヤーン♪と惚気出す二人にあやめは汗しつつ弥生に向かって

「いつかと違って私はもう今後を考えて一線を越える選択もありかなとかはないですよ?」

「…判ってる…」

「ボク、行くのやめようか?」

葵が提言すると、弥生と亜美と志茂が声を揃えて

「ダメ」

葵が目的の三分の一くらいを占めてる阿美志茂ペアは兎も角、弥生が続けて

「少なくともそんな理由で折角の貴女の学校行事を諦めさせる訳にはいかないわ」

「うーんでも、弥生さんちょっと可哀想」

葵が渋い表情(かお)をする。

「葵ちゃんはホントいい子だなぁ…そういえば、弥生さんもそうですけど
 阿美さんも神田さんとは普通に友達なんですよね、何か面白いというか」

あやめの一言に阿美が

「小学生の頃から友達なのはワタシの方なの、ワタシホラ、これ(混血)だから
 結構いじめられ掛けてたんだけど、秋葉って知っての通り筋の通らない事
 大嫌いな人だから、守られつつ「アンタももうちょっとしっかりしなさいよ!」ってw」

弥生がそこに

「そう言った訳で、世間話とか、落語の話とか、そういう交流が多かったわね
 一緒にどこか食べに行くくらいはしてたけど、そう言えば社会人になってから
 あの頃のメンバーで食べに行くとかやってないわね」

「だって就職が本州とかそう言う子も多いしねぇ」

「そうそう…それなのよ…私の心当たり…ああ、あの頃のメンバーって言うんじゃ無くて」

「判るわよw 彼女は? 北大病院に勤めてる…」

「ええ? だって医者よ? 私ら以上にハードじゃない?」

「北大病院ならある程度融通利かないかなぁ?」

そこへ裕子が

「北大病院と言う事は北大の出なのですか?」

「ええ…そう、切っ掛けは祓いの仕事で治しきれなかった傷治療して貰ってる時に
 研修というか実習に入ってたのが出会いで…」

「そのお方紹介して戴けません? あ、そう言う意味の含む含まないは置いて置いて」

裕子がほんわかキラリンと弥生にお願いする、
そう言えば北大の医学部を狙う視野もあるとこの間話していたわけだし
なるほど、とは思える。

「そうか…裕子にとっては有益かもだわね…叔母として協力したいという
 建前も出来るし…一年半ぶりくらいだけど…コンタクト取るか」

あやめがそこに

「そういえば、土地買ったりお社や碑を建てたりって裕子ちゃん支える方は
 大丈夫なんですか? 経済的に」

「大丈夫よ、そっちはね、遺産関係は手をつけてない。
 ただ今まで祓いで貯金してきた大半をそれに注ぎ込んだのは事実だわ、
 取り返さないとね…」

悔いはないが、ちょっと大変だなと弥生が苦笑する。

「まぁ、今回の弥生さんの功績で幾分警察からも褒賞出ると思いますけど」

「千里の道をもう一歩からやり直すにはなかなか善い出だしかもね」

そこへ葵が素で

「どう言う人なの? その女医さん」

「何か凄く色々無関心そうで居て、結構鋭く物事観察している人。
 ぱっと見色んな物に興味なさそうに見えるのよね…お酒さえ入らなければ」

「飲んだらどうなるの?」

「色々マニアックな話をべらべらと饒舌に…私も付き合えたからさ、
 そのうち私が気に入ったらしくて性行為という物に興味があるとか
 ある日言い出して、それで……あ、学年は一個上で…でも割と淡泊に
 付き合えてる方かなとは思う…一年半開いちゃったけど」



あやめがそこに

「会う切っ掛けを探すくらいならもうちょっとマメに連絡すればいいのに…w」

「してたんだけど…とにかくタイミング悪くてね、私も彼女もたとえば
 留守電入れて置いてもお互いの活動時間判らないから、手短にメールで済ますとか
 そんな感じなのよね」

「医者と探偵かぁ…確かに」

あやめがちょっと納得していると阿美が

「なんて名前だったっけ? 彼女」

「志茂はまだ親なりの何か願いがあったんだろうと思えるけど、
 彼女の名は親が何でそんな名前つけて訂正も改名もしなかったのか
 判らないレベルよ…山手 竹之丸(やまて・たけのまる)勿論女よ」

全員が「ハァ?」という顔をした、当然だろう。

「十人に二人は「元男性ですか」と聞き、残る八人の内七人は
 「触れちゃ行けない深淵なんだ…」とばかりに名乗っただけで引くんですって
 残る一人はおくびにも出さず普通に付き合うと見せかけて親しくなった頃
 「で、どっちなの?」と聞いてくる、と」

あやめが

「まぁ…そうでしょうねぇ…私は七人になっちゃうのかなぁ」

志茂は物凄い同情しつつも

「私より酷い…何故またその山手さんは改名を自らしなかったんですか?」

「ある意味ひねてしまったのよ、それを試験紙に使おうって
 でまぁ、ほぼ初めて彼女の内側に触れられたのが私」

「流石です…弥生さん」

あやめの一言にみんな頷いた。

「麻酔ナシで脇腹何針か縫ってる所に名乗られても
 「ああ、宜しく、マルで善い?」くらいしか言えなくてね」

「あー弥生さんの右脇から腰元に掛けての古傷それなんだ」

葵が言うと

「そうそう、その時…葵クンと住み始めた直後くらいかな
 あの頃は強がって痛いなんておくびにも出さず生活してたけど
 でまぁ抜糸したり経過見たりで通ってたら会う機会も多くて、
 飲みに誘われて彼女酔ったらマシンガンで…まぁ私もほろ酔いで撃ち返したけど
 それで気に入られたの」

「ふらっとナンパとかじゃないんですよね、弥生さんの出会いって
 何かしら能力が作用するというか…やっぱり「そう言う星の下」なんだろうなぁ」

あやめが熟々言うと弥生が

「ナンパは逆に成功率悪いわ…なんでなんでしょうね」

「それは多分、弥生さんには一定以上縁が必要なんだと思うんですよ
 街で見かけてあの子可愛いってだけの縁じゃ軽すぎるんだと」

「時には軽くても善いんだけどなぁ」

「十条の祓いの伝統がそうはさせないんだと思いますよ、
 先代さんのお話聞いてても思いますもの」

何となく話が戻り、みんなが納得したように頷いた。
弥生も苦笑のような、でも満更でもなさそうな微笑で

「ま…兎も角マルには私からじゃあ、連絡入れて置くわ、裕子、
 修学旅行まであと十日くらい? それまでにはアポイントとっておくから」

「あ、はい、宜しくお願い致します、なるべくいつでも空けておきますわね」

「ああ、丁度いい、彼女もB級好きだからそれこそやきそば屋なんかいいかもね」

「まぁ! 楽しみにして居ますわ!」

裕子もキラリンと嬉しそうだ。



そんなこんなで夕食会の準備やら何やらで楽しく準備と夕食を終え、
一息ついてそれぞれが、それぞれの場所へ戻っていった。

片付けもあらかた全員でやったので、葵と弥生はリビングでマッタリしていると

まだ電話を掛ける分には失礼に当たらないかな、という時間だと確認してから弥生が
徐ろに携帯の電話帳欄から多分その女医のだろう番号に掛けた。

葵も興味があるので弥生にくっつく感じで耳をそばだてたが、
弥生も別に聞かれて構わないと言う感じらしく、さり気に葵の肩へ手を掛け抱き寄せる。

葵はおやいにシンパシーを感じていた。
役目は全然違うけれど、どこか先代に於けるおやいの立ち位置のようでありたいと願い
抱き寄せる弥生の腕に身を委ね、ちょっと浸った。
まだ愛を語るには早すぎる年齢だと言う事は判っているけれど、
それでも弥生を愛していると胸に刻んだ。

「…ん、もしもし? マル? 私よ、弥生」

通じたようである、でも通じた事がちょっと意外なようだった、
なるほど余りタイミングが合わないと言っていたのが本当のようであった。

『ああ…弥生…久しぶり…何かあった?』

その声の調子…弥生が逆に

「用はあるけれど…その前に先ず貴女に何があったの? 具合が悪いと言うよりは
 何か尽き果てている感じを受けるわ」

『流石…それが…ここのところ出来る検査は全部やったのだけどね…
 ドコにも異常がないのよ…食欲は普通にある、体を動かす事にも
 だるさ以上の苦痛なんかはドコにもない…』

弥生の眉間にしわが寄る、こう言う時は、弥生の思考ルートが
「どう転んでも余り良くない結論が出る」と言う事を指していると葵は知っていた。

「…その分だと、こっちの用件の前に先ず貴女に医学や科学上以外の
 「何か」について私は考えなくてはならない気がするのだけれど、会える?」

『…いいわよ…ちょっと長期休暇貰った所だし…もう少し時間の掛かる検査も
 あるしで、医者の不養生なんて一番あってはならないことだからね…
 …確かに褒められた生活態度では無かったけれど…そう言う起因では無い…
 アタシもちょっとお手上げなんだわ…』

「…すぐ行くわ」

『ウチ覚えてる? セックスの時はホテル使ってたし来た事一・二回しかないでしょ」

「北三十二条西三丁目、中通りの凹の字型アパート「コーポトモヱ」でしょ。
 引っ越してなければ」

『流石探偵…、引っ越してないから…来るなら来て』

「食欲はあるのね?」

『不思議なことに何をするにも怠い以外欲求としては普通に色々あるのよ…』

「判った、今すぐ行くから」

弥生は電話を切り、葵を見て

「もうひと仕事してくれる?」

「ん、何か大変な事になってるんだね?」

「とりあえず食べるものだわ、彼女も私と同じく料理まるでダメだから
 ろくな物を食べてないとしか思えない」

「判った、手早く出来てそれなりの物を直ぐ作るね」

葵は素早く献立を組み立てつつ、準備をしながら学校へ行く準備も始めた。
夜通し、或いは泊まりになる事も考えての措置だ。

弥生は思わず頬が緩み、そして通りがかった葵を呼び止めこう言った。

「愛しているわ、葵クン」

地味にその言葉をふとした瞬間に言われたことなど余り無かった葵は
顔を真っ赤にしつつニッコリ微笑んで

「ボクも弥生さん愛してる」

準備の再開で慌ただしく動き、そして弥生は弥生で
拳銃の弾を確かめ、予備のカートリッジをジャケットの内ポケットに入れて
尚且つ野太刀「イツノメ」を手に取った。

本当の勝負武器の積もりだったのだが、もう少し持つ機会を増やしてもいいか…
あるいは使用する重要度は下げてもいいかなと思いつつ、
なんとなく、予感として「必要かも知れない」という気がしていた。

もうすぐ、六月になろうとしていた。


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