L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE:ELEVEN 「修学旅行編・葵の場合」

第一幕


201x年六月第二週、葵の学校の日程はこうである。

一日目、バス五台に分乗、海岸線沿いに留萌(昼食)・上サロベツ原野(休憩)・稚内(泊まり)
二日目、早朝出発車内朝食・紋別(昼食)・網走(休憩)・羅臼町(宿泊)
三日目、早朝出発車内朝食・根室(小休憩)・釧路(昼食)・えりも町(三つほどに分かれ宿泊)
四日目、朝食後出発・苫小牧(昼食)・室蘭(宿泊)
五日目、室蘭でもう一泊
六日目、朝食後出発・函館(昼食)・せたな町(三つほどに分かれて宿泊)
七日日、朝食後出発・余市(昼食)・小樽(自由行動・宿泊)・翌夕方札幌百合が原着、解散。
実質八日に及ぶので、次の日の月曜は、二年のみ振替休日。

葵の学校は三年になると高校受験など(裕子の所と同じく一応の昇級試験もあるし
 外部の高校を受けることもアリアリ)で忙しくなるので、
修学旅行は二年の時にやるのが通例であった。
高等部はもう学業を積むペースも各自掴んでいるだろうと言う事で修学旅行は三年生である。

裕子の方と同じく実質七泊八日の日程だ。
名付けて「北海道を海岸線沿いにぐるっと回ってみよう企画(ちょっとズルあり)」
まるでどこぞのローカル番組のようなこの冗談みたいな企画を立てたのは
実は発案者が生徒で、投票で決まっていた。

そんな訳で旅の記録を各バス事にカメラ係など置いて旅の思い出を各クラス毎に
まとめ上げよう、と言う企画でもあった、それでプロの志茂にも白羽の矢が立ったのだ。

ただし、何処でどんなルートで何処に寄って何処で泊まるかには思惑もあった。
「室蘭がヤケに長い」理由がそれである。
そこにだけは、葵と共に阿美や志茂の「先代弥生を偲ぶ」意味が込められていた。

ま、表向き「そんなメジャーな所には泊まったりしないのがミソ」と言ってあるし
はっきり言って二日目や三日目は地獄の行程なので一応、四日目で「もう限界」
一泊という「一応そういう事なんですよー」という意味も付け足してある。

小樽宿泊翌昼まで滞在というのは阿美から葵に向けた優しさでもあった。
例え本質を見抜いては呉れなかったとは言え、八年暮らした町で施設もあるのだから。

ま、これも表向きは最終日くらいは緩くやりましょうというのが某番組風
という言い訳も用意してあった。

企画は他の生徒でも、ルート剪定ではだいぶ阿美の個人的な感情が込められていた。
それを悟られることなくプレゼンとして推して、宿の少ない所ではゴリゴリのごり押ししてでも
宿も複数に分けて宿泊予約したりとかなりの無茶をしている。

先生方も年代によってはその某「水曜どーでしょー(番組名)」を知っているし、
過酷な思い出も後になったら笑い話に出来るか、的にに了承したのだ。
阿美のプレゼン力はなかなかの物だったのだ。



バス五台に分乗、と言う事で一クラス26〜30人、引率は担任含めその他に
副担ともう一人、そこにカメラ係(志茂の知り合いなど伝手)とガイドさん付き。
この企画に乗ってくれたノリのいいバス会社で、メジャーな観光地じゃなく
基本海岸線沿いという隠れた名所なども張り切って調べたり、ルート剪定
したりしてくれていた。

葵の二年五組は27人と言う事で六人班と五人班であり、…ここはまぁ
色々何かご縁がありましたのよ、ウフフと裕子風に言えば
田端 里穂・河島 南澄・綾瀬 優、そして男子が加わり中里 久尾・駒込 義郎
そして葵、というケース:6の組み合わせであった。
更に言えば、二年五組の引率の中に阿美が含まれていたり志茂が居たりもする。
ええ、偶然ですわ、偶然、うふふ。



さて、百合が原の学校を出発し、一路目指すは一日目の目的地、稚内である。
石狩市を海岸沿いに北上、と言うのは途中の厚田や浜益で結構なカーブの
道路もあり、部分的に速度も稼げない面もあってお昼休憩場所と剪定した
留萌に到着した頃にはちょっとお昼には早いかも知れないけれど、
バス会社も協力して探してくれた一時駐車場からお昼を食べ、少し休憩、
一応現地観光などもすこ〜しして、昼下がりの頃留萌を出発した。

この時まだ生徒達は元気も元気であり、里穂達も

「こないだこの辺りまで来たよね〜」

なんて阿美先導のドライブの話などで盛り上がっていたが、
留萌を出た頃には阿美が軽くうきうきし始めていた。

「先生、なんか楽しそうだね、何かあるの?」

葵が席越しに前の席の阿美に声を掛けると、

「うん、実は唯一観光地らしい観光地指定して休憩場所にしたんだけど、
 ちょっとした思い出があってw」

阿美が言うと、志茂が(カメラは回していなかった)

「弥生さんが免許取って間もない頃に二人で行った所なんだってさ」

「へぇ…じゃあまだ僕とも会ってなかった頃か」

阿美が笑顔でそれに応え

「…でもまぁ弥生がどうこうって言うより、何かちょっと価値観が広がった思い出なの、
 その切っ掛けは弥生だから結局弥生との思い出でもあるんだけど」

「その頃の写真とかはあるの?」

「それがねぇ、あるのよ、と言っても今みたいに画質も良くないし小さいけれど、
 撮った写メ、ユキにデータ取り出して貰って調整して貰って、今
 (といってスマホを見せつつ)この中に入ってるの♪」

「ええー、見たいなぁ」

「まだまだ早いわ、現地に行ったらね」

「うー、早く着かないかなぁ」

三時間ほどの道のりを、時々ガイドさんが「羽幌からは小型フェリーで
 天売島・焼尻島に行く便があって、宿泊も出来、自転車を借りて
 島内サイクリングを楽しむことも出来ますよ、ゆっくり数時間で回れます」
とか、国道232号から道道106号へ繋がる「オロロンライン」と呼ばれる
海岸沿いの道をひた走ると、サロベツ原野に入ってくる、ここには現在
下サロベツ原野海岸沿いに風力発電所が置かれていてそれはそれで凄い風景、
それのある幌延町から豊富町に入り、この辺りになると高低差の少ない地域になる。
山らしい山は地に立つと地平線の向こう、しかもあっても標高400m台とか
そう言うなだらかな地域である。

それでいて水源はそこそこ豊富なため湿地帯が多いと言うか、
あちこちに沼があったりする所なのだ、これは元々札幌もそう言う場所だった。
後はオホーツク海側海岸線沿いや釧路なども湿原で有名である。

そして一行は道道105号オロロンラインを一時離れ、道道444号、サロベツ原野の
「サロベツ原生花園」へ向かう、ここはとりわけなだらかな真っ平らなところだ。
昔原生花園があった場所には現在立ち入りが禁止されている。
現在湿原センターとも言うそこへバスを止めるとレストスペースもあるし、
ある程度景観に配慮した上で原野内を散策したり、展望スペースが設けられたりしている。

既に学校側から旅行会社への日程から食べ盛りの中学生が百数十人行くと言う事、
と言いつつ宿泊は稚内なので軽食類を沢山用意しておく旨伝えられており、
やはり、合計六時間強のバスの旅に少々疲れた少年少女がそれに群がる。

運転手さんも添乗員さんもみんな降りて体を伸ばしているのを見送りながら葵が呟いた。

「うーん、そうか、体固まっちゃうよねぇ、明日朝ラジオ体操しっかりやらないと
 ボクも体固まっちゃうかも」

それを聞いた阿美が

「曲持って来てるの?」

「うん、弥生さん仕様の速度少し落とした奴」

「ワタシも参加しようかなぁ、あの頃はまだ若かったって結構感じちゃったw」

そこへ里穂が

「葵(ヒューガ呼びでは無くなっていた)って毎朝弥生さんとラジオ体操やってるって
 言ってたけど、なんでまた遅くしてあるの?」

「ラジオ体操って真剣にやると結構効くよ、屈む動作は筋肉でスクワットの要領、とか
 腕を回す動作も振り回すんじゃなくて「回す」という動作を肩の筋肉と関節でやるとか
 止めの動作はちゃんと止める、とか筋肉意識して動作も大きく、筋を慣らすことを
 目的にやるといいよ、それだけでもある程度筋肉保てると思う、
 鍛えるのとはちょっと違うから、筋肉付けたいって言うならまた別だけど」

多分半分は弥生の受け売りなのだろうが、実践する内に確かに効果があると
葵も思ったのだろう、自然にそれを言うと、そこに中里君が

「あー、オレもやろうかなぁ、ゴメ(駒込君)と最近走ったりしてるけど
 足りない感じしてたんだよな、なぁ」

「オレ最近部活じゃなく柔道始めたんだけど腹筋ばかり鍛えてもダメって
 言われてたし、全身隈無く動かすって意味じゃスローのラジオ体操第一っていいかも」

男子連中はそれぞれ部活としてではなく一般の道場で中里君は空手を始めたらしいし
駒込君は柔道、そして女子連中は裕子に影響され合気道を始めていた。

葵班はそれで「朝イチでラジオ体操やろうやろう」と盛り上がっていた。

阿美は微笑んで

「じゃあ、ワタシ稚内に着いたらちょっとしたスピーカー買っておくね
 日向さん、スピーカー接続するトコある?」

「うん、専用のプラグとかじゃなくて普通のプラグで行けると思うよ」

そこへ志茂も加わり

「今はみんな自由に撮影タイムもやってるから、私もここでは仕事抜きで休んで…
 ラジオ体操は私もやろう、カメラ構えてるのも結構体固まるからね」

にこっとした阿美は、遊歩道を歩いて原野の方へ向かう。
葵や阿美、班の連中も付いて行った。



サロベツ原野の空はいい感じに晴れていた。
空高い雲が少しと、ちょっと低い所の雲が空全体の一割ほど、六月とは言え道北は
少し肌寒いのだが、傾いてきた夕方前とはいえ、その日差しでほんのり暖かい中
遊歩道を歩く一行、そこで阿美が話し始めた。

「歩きながらねぇ…昔話とかしてたのよ…そしたら弥生が「美学」について話し出したのよね」



8年前…正確には七年と九ヶ月ほど前…免許を取って間もなく、先ずは
中古の軽自動車を買った弥生が長距離運転の慣しで阿美を誘ってここに来た。
原野の遊歩道を二人で歩きながら弥生は思い出話の中でこう言った。

「今も昔もそれぞれの私に美学がある。 あの荒れてた当時の私の美学なんて
 今の私ならぶっ飛ばしてやりたくなるような物だったけれど、
 私はその美学に沿って生きていた、今もそう、今の私なりの美学がある、
 …多分それは生き方を狭める損な生き方なのかも知れない、
 もっと未来に「あの時もうちょっと広い視野を持てていたら」とか
 後悔する日が来るのかも知れない…それでも…
 その時の私が守るべきルール…そしてそれは自分だけの物として…
 「少しの美学」は多分終生持ち続けるんだろうなと思う」

「例えばどんなの?」

余り普段美学とかは考えない阿美が聞いてきた。

「…そうだなぁ…下らないことなんだよ、今こうやって並んで歩いている時
 向こうからやってくる人が普通の、何てことない観光客なら
 私が一歩退いて阿美を先頭にする、向こうからやって来たのが何かちょっと
 飢えてナンパでもしてこようとか、あまつさえ機嫌が悪そうで
 絡んできそうな雰囲気を纏ってるなら私が一歩前に出て対峙するようにする、とか」

弥生は更に考えて

「あと…どっか店なら二人同時に座る、食べ始めるのもなるべく同時にする…
 まぁラーメンとか伸びやすいのはちょっと例外かな。
 そして何より、阿美に危害を加えようとする奴が居たとしたら、私は絶対ソイツを許さない」

顔を赤らめた阿美がにこっとしたら弥生が続けて

「後はホンと下らないこと、酒やタバコは一応法律を遵守してやる、
 二十歳までは待ってやるわ、歩きタバコはしない、酒は基本飲まれるまでは飲まない
 …そういう、下らないことよ」

「そっか…でも、そうだね、何となく流されて生きるのは楽だけど、流行も何も
 追いかけるのも気力体力財力全部使うモンね。
 確かに、私も自分に何かルール、持とうかなぁ」

「後になって「何でそんなことに拘ってた?」「そこに拘ってたならなんでもっと
  範囲を広げてここまで強く拘りを持てなかった?」って後悔したり
 昔の自分ぶっ飛ばしてやりたくなったりするんだけどさ、でも、法律だマナーだ
 言う前に、自分の中にルールを持って守ること…それを「少しの美学」と
 呼んでるだけなんだけど…それだけはいつでも持つことにして守る事にしてる」

「ん…何か弥生がカッコイイのが判った気がする」

阿美の言葉に弥生がちょっと困り顔で笑いつつ

「そんな私が格好良く見えてくれて光栄というか…だから阿美と付き合えているのかもね」

展望スペースのような広い所に来て、地平線まで真っ平らな原野を眺めながら
夕陽の差すそこでちょっと寄り添って原野を見つめた。



なんとも弥生らしいエピソードの後に阿美が

「んでこの何にもない原野見てて、ワタシにはその良さってあんまり良く分かんないけど
 弥生とだからいいやって思ってたら、弥生が歌い出したの」

何にもない 何にもない 全く何にもない
生まれた 生まれた 何が生まれた
星がひとつ 暗い宇宙に生まれた
星には夜があり そして朝が訪れた
何にもない大地に ただ風が吹いてた

やがて 大地に草が生え木が生え
海には アンモナイトが生まれた
雲が流れ 時が流れた 流れた
ブロントザウルスが滅び
イグアノドンが栄えた
何にもない大空にただ雲が流れた

山が火を噴き 大地を氷河が覆った
マンモスの体を 長い毛が覆った
何にもない 草原に 微かに
やつらの足音が聞こえた
地平線のかなたより
マンモスの匂いと共に奴らが
やって来た
やって来た

「それ聞いてたら何か涙でちゃって…w
 なんか昔のアニメの歌みたいね、弥生ってホラ…年の離れたお兄さんやお姉さんに
 囲まれてたから、それでちょっと趣味古めの所もあるんだけど…
 そうか「何にもない」旅情ってあるんだなって、ずんっと心に来たの
 弥生はワタシに笑いかけて「こう言う所に相応しいいい歌でしょ」って
 ワタシ速攻でその曲貰ったわ、今でもそれ聞くたびにこの風景思いだして…
 それで日程でここだけはって寄らせて貰ったの」

いつの間にか班の子達だけじゃなくて同じように散策していた生徒達まで居た。
阿美が割と本気で歌っていたこともあり、「何にもない旅情」という物が
一気に感動となって押し寄せたようだった。
阿美は顔を赤らめたけど、志茂が笑いかけて

「いい体験したよね」

「ええ…w」

葵がそれで

「弥生さんがたまにその歌口ずさむことがあったのは知ってたけど…
 「いつか仕事抜きで貴女にも見せてやりたいわねぇ」とは言ってたけどそれがなんか
 適っちゃったよ、そうか…ホントにここなんにもないよね、でも、それがいいよね」

地球という星が誕生し、色んな生物の栄枯盛衰を繰り返して人類が誕生するまで
そう言う歌なのだけど、地球はただそこにあってなるように任せた偉大な存在でもある。
阿美は〆にこう言った

「勿論メジャーな観光地とかそう言うのもいいのよ、それはそれで吸収する物は沢山あるの、
 でも、今札幌なんて都市に住んでいる私達には、こういうのも必要な気がするのよね」

殆どの生徒が、その「何もない旅情」に浸り、地平線まで続く原野を見ていた。

「そしてこれが…その時の弥生」



8年前…成り立て大学生の頃の弥生、あどけなさはどことなく残しつつ、
でも今に通じるような透き通った鋭い光も見えるその横顔は微笑んでいた。
やって来た季節は九月頃だったそうで、もう風景は夕日に染まり黄金色の草原
美しい、風景もその中に黒い服は目立つはずの弥生すら溶け込むような存在感。

ああ、なんか日の入りまでずっと見ていたいな…と結構な人数が思いつつ、
ツアーにも日程というものがある、集合時間になってサロベツ原野を後にした。



海岸線沿いに戻りバスは北上、ノシャップ岬に到着した頃、丁度日の入りだったこともあり、
五分ほどの休憩と共にそこでみんなが日の入りを見た、ちょっとした歓声も上がった。

そして稚内に着いた時には七時過ぎ、急いで食事だのお風呂だの何の過ごして
九時には消灯、午前三時起きだという。
無茶な…

しかし、それはキッチリ守られ、三時十分には有志でラジオ体操を行い、
(ガイドさんや運転手も加わっていた)
その様子を見てた他の生徒や先生も「明日は自分もやろうかな」と思い始めていた。
ホテルから弁当にして貰った朝食を全員もらい、三時二十五分出発、
もう既に東の空は結構明るくて今にも日の出が来そうだったが、
運転手さん、頑張って宗谷岬でそれが見られるように到着した。
現状の日本のふつーに訪れることの出来る最北端だ。
日の出で少し元気を貰って、午後四時、また一行は地獄の行程に戻るのだったw



行政区としては猿払村と浜頓別町に隔てられたまたなだらかで沼などの多い地点で
一時停車し、午前五時過ぎ頃朝ご飯を全員で食べた後、時にはオホーツクロードと
呼ばれる道路を外れてまで海沿いをなるべく走るルートで五時間ほど掛けて
ガイドさんも細かくここにも原野がありますよーとか案内しながら、お昼前、
紋別のホテルで昼食のみ、そこで小休止する一行。
そろそろ疲れが見え始めていてぼやく物も出始めていた。

そしてオホーツク流氷公園・コムケ原生花園・コムケ湖・シプノツナイ湖・サロマ湖
網走市に入って小休憩後、藻琴湖・涛沸湖・ほぼ釧網本線沿いに、ニクル沼・涛釣湖・
斜里町に入り、斜里町、知床半島中程のグネグネとしてスピードの稼げない道を走り抜け
羅臼町の市街地手前、温泉もあるホテル群の地域に今日は宿泊だ。
この時点で午後六時過ぎ。

流石にそろそろ生徒達にも先生にもガイドさんにも運転手さんにも疲れの色が見えてくる。
でも企画上で覚悟した事だしカメラの前ではぼやきつつ、どことなくおどけても見せた。

温泉もあるやら何やらで一行は中学生だというのに
「あ"〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」と安堵の声を上げて染み入る温泉に浸った。

所で、最近武道を始めた葵班であるが、まだそう日も経ってないこともあり、
目に見える変化は僅かではあるが、少しずつ体にも均整が出てきた感じには
女子はとにかく敏感だった。

「葵みたいなのは無理としても、もちょっと鍛えたいよね、基礎代謝上がれば
 ご飯だって食べられるし」

女子浴場でそんな話をしながら、GWの裕子と葵の拳銃所持犯逮捕劇なんかを
その場に居るみんなに里穂達かしまし三人娘はキャッキャと話し、
特に裕子の合気道に惚れ込んでそっちの道場にも通い始めたこと何かを話す。
他の女子も盛り上がりつつ、葵の結構な筋肉を見て

「あ、ボクは格闘技はやってないんだ、合気道じゃこんなには成らないよw
 大丈夫、それに弥生さんからもあんまり若いうちに筋肉ばかり付けると
 背が伸びなくなるって言われてるから、ボクもチョットトレーニング控えてる所なんだ」

と言う感じで結構健全な話をして居た。
でもやっぱり立派な葵の体は触ったりはしてみたくなるらしく
その筋肉の固さなどを凄い凄い言いながら盛り上がったりもしてた。

男子は男子でシモ半分ネタ半分ないかにも中学男子って感じの、
そして何とか女子風呂が見えない物かという馬鹿をやったりするのだ。
この場合「葵が100点」「里穂達なら70点」「○○なら85点」「阿美120点」とか
そう言うのまで決めて覗きを試みる彼ら、青春である。

当然お約束の展開も、男湯でカメラを回していた男性カメラマンも、女湯の志茂もその様子を
何気にそう言う動きも追いつつ、記録したりした。

でもそれはそれで、楽しい旅の思い出だ。



さぁ旅の三日目、最も距離を走ると言われている過酷な日の始まり。
また早朝起きで、いつの間にかラジオ体操組は参加者のほとんどになって居て
とにかく体をほぐし、全身を隈無く動かすよう意識してスロー再生(音程はそのまま)
ラジオ体操第一をやるというちょっと異様な光景の後、ホテル側からまたしても
お弁当の形で渡された朝食を受け取り、夜明け頃に出発する。

これまた海岸沿いにバスは進み、来た道を戻る形式になっても野付湾と言う所の
潮に流されたまって半島になった野付岬の龍神アという場所で朝食タイムを取り、
また海沿いを走り、風蓮湖をぐる〜〜〜っと回るようにした後、根室に到着
と言った時のことである。

葵のスマホに着信が。

「…あやめさんだ。 なんだろう」

その言葉に前の席の阿美と志茂はちょっとイヤな予感がした。

『あ、こんにちは、葵ちゃん、いまどこ?』

「もうすぐ根室ってトコだよ、何かあったの?」

『うん…それがね…大したことじゃないんだけど祓いを依頼したくて』

「ボクに? いいの? ボクで」

『陳情される内容から丁度日程的に葵ちゃんが重なるなら葵ちゃんで十分過ぎる
 って弥生さんからの推薦があって』

「そっか…でも休憩だからあんま時間掛けられないよ?」

『大丈夫、霊の出る場所はもう判ってる』

「ビルとか病院とか限られた所って訳だね、おっけ、じゃあ…
 先生、根室での立ち寄りホテルってなんてトコ?」

「根室グラウンドホテルって所よ、仕事の依頼なの?」

「うん、そうらしいんだ、でも直ぐ終わりそうって」

「う〜ん、判った、到着したら他の先生にもツアー会社にも多少の遅延はあるかも
 くらいは通達しておくわ」

「うん、有り難う、先生」

その屈託のない笑顔に撃ち抜かれる阿美を余所に

「何とかなりそうだよ、根室グラウンドホテルって所でじゃあ合流しよう」

『ん、根室グラウンドホテルと…じゃあ、ちょっと大変だろうけど、お願いね』

「おっけ、じゃあ、そこで」

葵が通話を終えると里穂達が

「何なに? 仕事なの? 根室で?」

「うん、丁度。 ボクでも全然平気だからって事みたい」

「へぇ〜、付いて行ったりするのは…」

葵は困り笑いで

「流石にそれはダメだよ…w」



「あ〜、葵ちゃんお疲れの所ゴメンね」

根室の待ち合わせ場所であやめと合流し声を掛けられると葵は体のあちこちを伸ばしながら

「ん〜〜〜いや、むしろずっと座ってて体おかしくなりそうだからちょっと動きたいかも」

現場へ向かいながら

「そっか、一週間で北海道を海岸沿いに回るなんてまるでどっかの番組だよね(苦笑)」

「しかも企画通っちゃったからねぇ…でもサロベツ原野はいいトコロだった、
 先生と弥生さんの思い出と、弥生さんがたまに歌う歌の思い入れも判ったし」

「へぇ、…そんな事あったんだ、何かちょっといいな」

と言ってる時、「日向さん、あやめさん、待って!」と後ろから走って追いかけて来る阿美。

「先生、そんなに慌てて走ると胸ちぎれそうだよ…(汗)」

葵の一言にあやめも汗して頷きつつ

「どうしたんですか?」

「保護者枠として着いてけって…先生達が…」

「ええ? なんでです? 警察の私が居るのに」

「一応旅行中の付き添いなんだし、先日の魔階事件でも一緒に戦った事を
 何か知ってた先生が居て、経験者なら大丈夫だろって」

「ええ…? 魔と霊は違うのに…」

「ワタシも言ったけど、違いがよく判らないからとにかく生徒の保護のため
 行けって…日向さん単独での仕事って今まで無かったし…」

「…あ、そう言えばそうだなぁ、ボクのソロ仕事か…」

更にその後を追いかけてく志茂。

「…なんでユキさんまで…」

葵の後頭部に大粒の汗のマーク

「霊は写る写らないは波長があるけど、祓いの瞬間だけは目には見えるって言ったら
 仲間連中が「どう言うのか今後のために知っておきたい」って…」

葵はほとほと大人の横の繋がりと「責任」という物に

「なんだかなぁ…」

と呟いて、あやめも

「いや、私も何だかなって思う…(汗)」

阿美が代表して

「でもその霊って凄く危険なの?」

あやめが

「んー、ここからほど近い病院なんですけど、苦しみのたうつっていうだけみたいで、
 誰かに危害を加えたりと言う事は無いそうですよ」

「ん、そっか…そんな優しい祓い、ボクに出来るかなぁ」

葵の呟きにあやめは

「出来るよ、汐留ちゃんをあんなに綺麗に昇華成仏できたじゃない」

「あれは…(少し赤面して)汐留ちゃんだからって言うのもあって…モニョモニョ」

「確かに心の繋がり違いはあるけど、葵ちゃんなら出来るよ、だって葵ちゃん優しい子だもの」

それには阿美も志茂も深く頷いた。



そこは市立病院。
一行が着いてあやめが院長にアポイントを取り、警察手帳を示したあと
葵にも「公職補助適用時証明書」を提示させ、「この子が祓います」と告げた。
阿美や志茂は「修学旅行中のため保護者枠と言うことで…」と苦笑しかなかった。

その病室は個室で、ICUとまでは言わないが結構な機器類が残されたままになっていたのだ。
院長に曰く

「運ばれた時点で既に手遅れの状態でした、何故そんなになるまで病状を放って居たのか
 判らないほどに…患者は30代の女性…どうも…いわゆる引き籠もりというか…
 どことなく世に対して不信感を抱いていた人のようで…親にまで手を上げるような所から
 発見も何も遅れてしまった…というのが実情のようです」

あやめがそれに補足するように

「根室署の調べによっても近所では知られた人だったみたいですね、
 なのでもう本当に限界も限界って言う所まで来なくては手が出せなかった
 というのには裏付けは取れています、事件性はナシ」

そこに葵が

「機械類を取り外せないのはその人が暴れるからだね、
 今も物凄く唸って苦しんでいるよ、骨と皮だけみたいな状態…」

院長が驚いて

「そうなんです、片付けようにも片付けられない、暴れると言って何かが倒されるとか
 そう言う程度と言えば程度なんですが…」

「おっけ、ボクが何とかしてみる」

葵はベッドの近くまで行ってその人に触れ、語りかける。
そうすることで葵とその人の会話は霊会話と普通の会話として機能する。

「…貴女がどうしてそこまで自分を追い込んだのかボクには判らないけど、もう終わったんだよ」

「終わってなんか無い! どうして私が、何で私が! こんなに苦しまなくちゃいけないの!」

何となく薄ぼんやりとその様子も見える聞こえる、医院長も驚いた。

「た…確かにこの方です…! 本当にまだそこに居たなんて…」

世の不公平や、誰もが自分に敵意を向けて居るような気がすることなど恨み言を聞いて葵は

「だってそれ、貴女のことだよ、最初がどっちだって話は別で、貴女も敵意に敵意で返したり
 そのうち厚意すら疑うようになっちゃったら、そりゃ、世界中が敵に成って当たり前じゃん
 もうちょっと「ま、いいか」って思えるくらいに思えたら良かったのにね。
 でも、もう終わったんだよ、貴女はもう苦しまなくていいんだ、だってもう死んでいるんだよ」

「死んでもこんなに苦しいのに! 何も終わらない! 私は永遠に苦しむんだ!」

「そっか、貴女は永遠に苦しみたい人なんだね」

その瞬間、霊の彼女は少し黙ってしまった。
そんな訳は無いのに、売り言葉に買い言葉でついつい本心と乖離したことを叫んでしまう。
そんな自分の有り様にハッと気付いたようだった。

「病気の苦しみなんて、死んだら解放されるんだよ、だって死んだんだから。
 死んだことを認めたくないならそれもそれで構わないかも知れないけれど、
 ここは病院、また誰かがやって来て、ここにある機械を使わないと
 生きられないかも知れないんだ、そう言う人を救ってあげて、
 貴女はそう言う優しさがあるから裏切りが許せなかった人でしょ?
 最後に信じてボクを、もしどうしても苦しみが取れないって言うならボクが受け止めるよ」

そう言って彼女に今でも霊的に繋がれている機器を取り外して行き、葵は彼女を抱きしめた。

「こんなに痩せて…全身こんなに痛みで…凄く辛いよね…今ボクにも感じるよ、それ…
 良く頑張ったよね、良く生きたと思う、だからもう、いいんだよ、
 この世のことを全部真っ新にして、貴女は生まれ変わるんだ…新しい命になって
 そして今度こそ幸せになって」

葵にも痛みが来ているのだろう事は、葵の全身から滲む汗で判った。
葵の声も苦痛で少し力みが入っていた、でも、その抱擁は柔らかかった。

「私…生まれ変われるかな…」

「生まれ変われるよ…魂に上も下も何もないよ、みんな真っ新になって生まれ変わるんだ
 だから、何も怖くないよ…また、来世…」

台詞その物は受け売りだろうが葵が抱擁する彼女の体がキラキラと光り出す、昇華成仏状態だ。
そしてみんなが見守る中、それは完全に昇華して成仏しきった。

「祓い完了…」

葵はそう呟いてへたり込んだ、院長を含め全員が慌てて葵に駆け寄るが、葵は汗しながらも

「ホント…お医者さんの言う通りだよね…何でこんなになるまで我慢したんだろう、
 助けて欲しかったら助けてって、言えるのが一番いいのに」

あやめは微笑んで

「やっぱり葵ちゃんは優しい子だよ、弥生さんの推薦に間違いは無かった」

阿美は軽く感動して葵を抱きしめ、そして根室での慌ただしい祓いは終わった。
昇華成仏を院長も見送ったのだから疑いようもなく、機器を片付けてももう何も起らなかった。

院長から深くお礼と、葵が素晴らしいことを告げられ、葵は恥ずかしがりながらも

「でもボクらは死んだ人しか相手に出来ない、
 生きるか死ぬかで戦うお医者さんの方が立派だと思う」

とまた泣かせることを言う訳だ、院長先生は感涙してしまったが、
とりあえず事件は終了、あやめは根室署に戻ってから札幌にトンボ返りと言う事で
引率の阿美や志茂に後を任せ、根室での一件は終わった。


「修学旅行編・葵の場合」 第一幕  閉


Case:Eleven 登場人物その1

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