L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE:ELEVEN 「修学旅行編・葵の場合」

第二幕


多少急いで合流場所に戻ると誰もが「先生…そんなに走ったら乳もげるよ…」
と思うような有り様だったが、一応何とか間に合って定刻発車となる。

葵が思ったより疲れているようで、里穂達が心配する。
阿美がそこへ

「相手の苦しみの幾らかを受け取って成仏に導いたから体力使っちゃったのよね」

「葵は優しいなぁ」

「いやぁ…言葉だけじゃ説得しきれないんじゃボクもまだまだかなって」

志茂は冷静に撮った記録をPCなどで確認しながら

「…人の目には見えても…やっぱり心なきただのデバイスにはほぼ何も特別な物は
 写ってないな…でも…」

志茂がちょっと色々補正を掛けて動画なのでイヤホンで音声もチェックすると、
昇華成仏状態に入った所だけは確かに何かが昇華されて行く様や誰の声でもない
安堵の声が入っていて、昇華成仏の終りと共にそれも消えていた。

「うん…これで説得できるかは兎も角…とりあえず「祓い」の一部は記録できるかな
 もうちょっとカメラや家で本格的に色々いじれば或いはもっと…」

そこへ隣の阿美がニッコリと

「まぁ、実際に何かが起っているんだよって判ればそれでいいんじゃないかな
 逆に記録に残そうとする人も現れるかもだし」

「そうだね…記録に残すか…でもある意味、正規の資料にするならそれは
 アリだと弥生さんも思いそうではあるけれど…まぁ、とりあえずこれはこれか」

「ん♪」

志茂は気を取り直し、通常の撮影作業に戻る。

葵は、今回の祓いの対象がどうしてあそこまで世を儚み、愛して欲しいという心を
裏返してまで執拗に頑なな心になってしまったのかを不思議がっていた。
他の女の子にとってはちょっと判るような気もする話だったらしく、
色んな仮定が出されては、でもそれで末期癌になるまで「助けて」と言えない
心になってしまう事は怖いね…と言う結論に至っていた。



そして本日の地獄はまだ始まったばかりである。
お昼時間と言われていた釧路到着がバッチリ昼下がりなのである。
既に「多めに用意しておいてください・夕食も軽く取れるような物を弁当として
 用意しておいてください」と通達されていたホテル側もびっくりである。
ホテルの女将さんが

「もうここで一泊されて行かれては如何ですか…?」

と無茶な企画に半分呆れながらも心配して聞くのだが、
何しろ中学生達は再放送やソフト化もされている某番組のノリで
「ぼかぁー学校を相手取るよー」とか「いやコラ拉致だよ!」とか
冗談にしてしまう物だから女将さんも「若いっていいな…」としか思えなかった。

物凄い量を食べまくる中学生達に半ば呆れつつ、でもやっぱり若いっていいなぁと
微笑ましく仲居さん達も見つめて…とりわけ物凄い量を食べているほぼガイジンの
金髪の子が気になると言えば気になるが…w

慌ただしく45分ほどの食事&食事休憩を終えると弁当を受け取りながら
元気よく「有り難う御座居ましたー」「美味しかったですー」と
去って行く一陣の風というか嵐に呆気にとられたホテル側だった。
これは紋別でもそうであったがw

釧路で何を観光する訳でもなく、一行は一路襟裳岬をぐるっと回って少しの所にある
えりも町に向かう。
ここで少し救いなのは、海岸線沿いを走りたくとも繋がって居ない所が多く、
流石に行って戻ってを繰り返す余裕がないことから、根室本線沿い海岸寄り
国道38号の後、道道1038号→国道336号に乗った当たりで少し速度の稼げそうな
国道沿いを暫く走れる、と言うメリットがあり、ガイドさんもやや駆け足で

「はーい、音別通過ー」「浦幌町通過ー」「国道336号は別名ナウマン国道と言いまして
  …あ、豊頃町が遠くに見えますねー通過しまーすそして長節湖ですー」

「湧洞沼は…ちょっ遠いですねー、あ、こちらがキモントウ沼でーす」

「大樹町に入りました、ここからは見えにくいですが大樹航空宇宙実験場なんて
 凄い施設もあるんですよー」「広尾町に入りましたー、通過しまーす」

「えりも町に入りましたが、目的地は襟裳岬を越えた所です、皆さん頑張りましょう!」

と元気に(最後は半分空元気だが)アナウンスを掛け、そのたびに「おー!」と
元気の良かった声もどんどんトーンが落ちて行く、本当にどこかの番組のようだw

えりも町に入った所から国道336号を離れ、道道34号に入り南下する。
もうほぼ日は落ちかけているw
が、運転手さんも頑張った、巻いて巻いて(予定を早める)襟裳岬までやって来た。
何とか日没に間に合い、でも何かゾンビの軍団みたいになってる一行にはもう
感動もヘッタクレもなく、一路岬を回って残り数十分を生ける屍のように過ごし、
本日の宿に到着したが、ここでまた凄いのは複数の宿を押さえて分散して
泊まったりしたことだった。

バス内では弁当を食うにもままならず、と言って夕食を頼む時間でも無いし
朝食のみで、という話になっていたので、みんなもう一言もなくご飯を食べて
お風呂で寝落ちしそうになる事件を数件起こしつつ、皆泥のように眠った。
それは運転手さんもガイドさんも例外では無いw



久しぶりに六時半起床とかで、七時に全員でバスを一時止めさせて貰っている所に
集まり、ラジオ体操をすることだけはもう疲れていようとやった。
それ以上に体が固まってどうしようもなかったのだw

そして朝食になると今度は勢いが違う、皆ガツガツお代わりの連続で
それぞれの宿の人達も面食らった。

さて、今日、四日目は少し行程に余裕があるので、一時間ほどではあるが自由行動で
葵は体をほぐしがてらジョギングで集合場所にほど近い住吉神社を訪れ参拝した。
女子群はグロッキーだったので中里君と駒込君、他少し有志で参拝ジョギングをした。

そして、午後九時半頃出発である。
もう寄り道してでも海沿いを走ろうとかそう言うのは無く、襟裳国道を
ひたすら巻き巻き(短縮)で無言で運転する運転手さん、バスガイドさんも
この辺りは海岸沿いに特に何があるという訳でもない区間なのか魂が抜けたように
なっていて、本当に某番組の様相を呈してきていたw

「あ…今の様似町でしたねぇ、通過しちゃいました」

「浦河町、通過中でーす」「三石町以下同文でーす」「あ、静内町ですねこの川は静内川
 元々アイヌ語で「ナイ」は川を意味しますので静川川ですねー」

「あ、今の町スルーしちゃいましたね、ま、いいか」

「はーい、ここから海岸線ルールはちょっと見なかったことにしましょうねー、巻きますよー」

ちょくちょく笑いを誘いながら丁度お昼と行った辺りに今日のお昼、苫小牧のホテルに着いた。
流石にここまで三時間とはいえ、ちょっと矢張り体も固まるので、食後一休みして
また全員でのラジオ体操第一という光景が繰り広げられた。



苫小牧では少し休み時間があったのだが、「早く室蘭で休みたい」意見が多かったので
午後一時半頃、苫小牧出発、ほぼ国道36号線沿いに走る。
苫小牧はここ数十年で整備された部分があり(昔は大型船の出入りが難しかった)
かなり整然とした町作りだった。
そんな苫小牧を越え、白老町に入ると、ガイドさんが

「今はどうか知りませんが、運転手さんは室蘭出身で、小中学生の頃冬に
 スキーかスケートかの選択授業の日があり、スケートだった場合、左手の…
 ポロト湖が全面凍結した時に行くんだそうですよ〜」

「萩野を超えまして〜北吉原〜竹浦〜虎杖浜〜そして温泉で有名な登別です、
 でもスルーしますよ〜温泉はいつかのために目標にしてくださいね〜」

「そしてこの辺りからそこそこ町並みが続く感じになりまして、幌別になります
 ここには何でこんな所に…と言う場所にわかさいも本舗登別支店があります
 運転手オススメの道南土産です、一応宣伝しておきました」

「そして鷲別を越えれば…本日の宿の東室蘭中島町に向かいます」

鷲別町、と言う言葉に葵が反応した、あれか…確かに神社も見える…
よし、絶対行くぞ…と心に決めた。

ホンの少しトンネルの区間があり、そこを越えて直ぐ、バスは右折し、国道37号へ。
途中陸橋になっており、右手に東室蘭駅、左手は工場群だ、

「大昔は24時間稼働していたらしく、製鉄所のある方向が夜でも赤かったそうですよ〜
 そして定刻にサイレンも鳴り響いたそうです、すこーしずつ鉄冷えで町の活気が
 失われる中、いつしかサイレンも鳴らなくなったな…と言う頃、ある日サイレンが
 いつもと違う感じに何度か鳴らされたそうです、昭和天皇崩御の日だったそうです」

そこで運転手さんがインカムでスピーカー越しに

「言われるほど昔じゃないよ、三十年ちょっと前とか…そんな感じだもの」

「皆さんにしてみたら倍以上の年月ですもんね〜」

と言って笑いが起きたりして、国道三十七号から中島公園通という所を経由し、
ホテルに着いた、これまた先代が泊まったという中嶋町である。
そして知利別川も近い、葵は胸が熱くなった、そしてまだまだ夕食時間にも早い、
まだ三時前だ、よし巡るぞ! と葵は目を輝かせた。



ホテルに着いた時はもうみんな部屋でそのまま昼寝を始める者も多く、
地獄の行程をやっと越えた所で判る人には判る
「四国九州ぐるぐる回ってやっと一泊の目を出した気分だぜー」
とか言ってる子も居る、某番組内名物企画サイコロの旅だ。

先生方や運転手さんガイドさんは、室蘭出身の運転手さん主導による生徒希望者のみで
明日室蘭ツアーを行う予定で、ルート剪定やら何やらに入っていたが、
いかんせんその室蘭出身者の人の記憶が古くて今現在使い物にならない当時の記憶もあり
あと渋すぎる、と言う理由で2/3ほど却下になり結局ガイドさん達が下調べの上で
ルート剪定することになった。
二年五組担当の運転手さんは「そんなに室蘭って変わってたんだ…」と肩を落とした。

そこへ阿美が

「じゃあ、ちょっとミニバスかワゴンでも構いませんのでレンタルして
 私や…五組のあの金髪の日向さんの観光ルート案内してくれません?
 そこで運転手さん思い出の場所も回りましょうよ」

と声を掛けた、運転手さんは速攻そちらに乗り換え、故郷の今を巡る旅の
運転手になる事を決めた。
と言う訳でそろそろこの運転手さんにも名前を…西谷 白根(にしたに・しらね)
現在40代中頃であり、20代で仕事を始めて暫くして深夜番組としてこの
修学旅行の基である某番組も見知っていたのでノリノリだった一人だ。

会議室に充てられた部屋に葵がやって来た。

「あの〜、夕飯までの間、ちょっと外出てきていいですかぁ?」

阿美がその様子に何を目的としてるのかまでピンと来て葵を招き入れ
葵の現在の境遇、保護者が居て、まぁちょっと特殊な仕事の六代目であること
スマホで写真を提示しながら、弥生を紹介し、そしてその弥生の先代…五代目も
弥生と言って、人生もかなり脂の乗った時期に室蘭を訪れて方々巡ったりしていたこと
そして先代とおやいちゃんの写真もスマホで提示して

「この子も私もユキも、その明治を生きた先代を偲ぶ地味な関係場所巡りをしたかったんです
 で…日向さん、今からだとどこ行きたいの?」

「イタンキ浜と鷲別神社は絶対に行きたい、いける物なら御前水にも」

イタンキ浜…と言う所からしてもう渋い、一応鳴砂で一部名は知れている物の
それほど室蘭観光でもメジャーとは言いがたいだろう。
鷲別神社というのもまたそうだ、わざわざ旅行としてやって来て参拝しに行く所と
言うほどの所ではないはずだ。
葵の保護者、阿美や志茂の友人でもある彼女の「先代」の足跡を辿る…
なるほど…同僚の先生の一人が

「謎の室蘭推しはそれでしたか…w」

「スミマセンw 今になってバラしましたけど…」

そこへ西谷(五組担当運転手)さんが

「でも、室蘭もいいトコロですよ、チャーターできるなら船で室蘭の崖側を
 巡るのもいいですよ、隠れた名所は一杯あります、アブラコ(割と下魚扱い)を
 イメージキャラにした水族館なんて他ないですよ?w」

他の運転手仲間も

「確かに、かつては大いに栄えた鉄の町、一定の年代の人なら「鉄の町室蘭」で
 記憶固定されていますからね、工場見学は無理としても、例えば国道36号から
 白鳥大橋経由で37号線で戻りつつ工業地帯を見て回るとか、あとは鯨に纏わる事とか、
 「母恋」なんていう駅も有名ですよね」

そこへすかさず西谷さんは

「母恋駅を道なりに進んで行けばチキウ岬も近いんですよ!
 トッカリショという所もあってこれもなかなか見所です!」

と推す訳だ、心強い、地元愛に満ちた人は大変に心強いw
そして西谷さんは更に、でもちょっと肩を落として

「残念なのは丸井今井室蘭店ですよね、明治の頃からあったのに、
 閉店してしまって、その先代さんも寄ったかも知れないのに…」

志茂が、ちょっと言いにくいなぁと思いつつPCの資料を開きながら

「丸井今井は確かに呉服店として明治中頃から存在してましたけど…
 今俗に「中央町」と呼ばれる所にそれがあったらしく、先代はそこまで
 足を伸ばしていないみたいなんですよね、御前水で回れ右をしたみたいで、
 主に輪西から鷲別・知利別辺りみたいなんです」

「ああ、僕の生活圏内だった、懐かしいなぁ」

それはそれで西谷さんはその輪西だの知利別だのと言う単語に染み入っていた。
「運転手兼ガイド完全確保」阿美と志茂は確信した。
西谷さんは早速

「近くにレンタカーもありますから、今すぐ行きたいなら用意しますよ?
 何人で行きます? 僕入れて四人でいいんですか?」

そこへ葵が

「あー里穂ちゃん達もちょっと行きたそうだったんだよなぁ…7、8人くらいの
 レンタカーってどのくらいするんだろう、ボクもボクの我が儘でもあるからお金出すし」

そこへ阿美と志茂が

「ワタシもユキも行きたいからとりあえず三人割り勘で行きましょう、
 とりあえず、日向さんはじゃあ、田端さん達に人数確認して?」

「ん、わかった」

葵が、その重そうな体の割に「ストトッ」くらいの軽い足音で走り去る。



葵が戻ってくと

「イタンキ浜と鷲別神社は全員だって、だから…運転手さん入れて8人?」

それを聞くと運転手西谷さんが困って、

「今確認したら7人までのしかないみたいなんだ、ミニバスは何処も置いてないらしい」

葵は迷うことなく

「じゃあ、ボク走るよ! 丁度思いっきり走りたかった!」

「え…走るって…」

そこへ阿美が

「ええと…なんと言いましょうか…この子なら大丈夫です、多分追い抜くかと…w」

「009かエイトマンか…君は」

葵はキョトンとして(勿論知らない訳だw)

「良く分かんないけど、大丈夫、誰にも見付かんないように行くから!」

阿美が汗しながら

「まぁその…、ちょっと試してみましょうか? この事は内密と言いますか
 「世の中には不思議なこともあるモンだ」程度に受け止めてくださいね」

「道はもう覚えたよ! イタンキはさっきの陸橋のトコ真っ直ぐだよね!」

葵はもう走って行く気満々だ、西谷さんは困惑しつつ、

「えっとじゃあ…36号と37号が交差する少し先にクリーニング屋…割と目立つ
 白い店があるのと…そこの左側に「イタンキ漁港・イタンキ浜」の青看板あるからそこで…」

「おっけ!」

葵は元気いっぱいであった。



ホテルの前でレンタルの車を待つ葵班、レンタカーに乗った西谷さんと阿美ユキペア三人。
西谷さんはこの時点で出発していない葵にびっくりしたが、阿美に「まぁ見ててください」
と言われるばかりで(この日のレンタル代は阿美と志茂で持った)

「いやぁ〜〜〜もう思いっきり動きたかったんだ!」

と晴れ晴れと言う葵に

「そーだよねぇ、葵にはバスは窮屈すぎるよねぇ」

「なるべく見付かんねぇように思いっきり来いよ!」

とクラスメート達も声を掛け車に乗り込む。
な、何だか知らないけど、これでいいのか、と言いつつ、西谷さんが出発する。

それを笑顔で見送る葵がバックミラーから瞬間的に消えたのが見えた

「えっ!」

西谷さんが思わず叫び、駒込君が西谷さんへ

「あ、消えたんじゃなくて、建物の屋上とか、建物と建物のスキマの上とか
 そう言う所にジャンプして…多分もうそこの広い通りに出る当たりで
 ちらっと跳んでる姿見えると思いまスよ」

ホテルから中島公園通に出る道路の所で、西谷さんが上を確認すると、なるほど葵は
建物と建物のスキマから軽々しく跳びだして通りを挟んだ向こう側の高めの建物の屋上に
飛び移って更に先に進んで行っている。
思考停止し掛かる西谷さんに里穂が

「深く考えちゃダメですよー、葵はあーなんだって思っちゃうと楽ですよー」

阿美はニッコリと

「弥生言う所の「あの子の体には神が宿っている」って所です、もうそう思ってください」

「は…そうですね…考えても無駄な気がしてきました」

半分気を取り直し、37号線に乗り、とりあえず一路集合場所を目指すのだが、
なるほどちょくちょく葵の跳んでいる姿が目に入る。
確かに時速60km辺りで走っているこの車を少し先行する勢いだ。

「やっぱり009かエイトマンか…」

西谷さんの呟きに志茂が苦笑しつつ、

「サイボーグでも心を移植したロボットでもないですよw 考えない考えないw」

37号に乗ってから左側に居たはずの葵が、陸橋のどこかで右側に移って、
そこには13階建てアパートやら、団地やらでそこそこ高い建物が続いている、
その上を走りつつ、華麗に跳んでいた。
人通りの少なそうな場所は地面を走り、目立っちゃいけない場所では思いっきり跳び、
36号線との交差地点に来て、室蘭警察署→ネッシトヨタ道都→36号→
オートパローズ東室蘭の屋上伝いに跳んで、車よりやや早く、目的地の
左手に案内青看板、右手にクリーニング屋の歩道に着地した。

そしてこっちに送り出した時と同じようににこやかに手を振る。

「やー、葵もそーとー動きたかったんだね、あれ」

里穂が呟くと女子三人で「着地の仕方が猫っぽい」とかで盛り上がってる。
もう、この子達や先生達にとって葵は「常識」とかの定規じゃなく「この子はこの子なのだ」
という扱いになってるのが西谷さんにもよく判った。

窓を開ける志茂に葵が

「最後のジャンプで東方向の山にちらっとお社見えたんだ、寄っていい?」

志茂も阿美も頷き、少し車を進めてそこに行くのに丁度いい横道の所に一時駐車し

「子供の頃からこの辺来たりしてたけど、気付かなかったなぁ」

と西谷さんが言って、全員でお参りすることに。
とはいえ、決して立派な神社じゃなくて、地元の人が何となく参拝するような
そんなささやかな場所だった。

それぞれがそれぞれの願いを込め参拝した後、里穂グループ綾瀬 優が振り返り、

「どこから何処までがイタンキ浜って言うの?」

それには西谷が

「向こうで崖になって砂場がなくなるまでって朧気でいいよ、
 泳ぎに来たなら海水浴場は消波ブロックのある所までだよって言えるけれどね
 …でも、そうだなぁ鳴砂としてのイタンキ浜なら…海水浴場じゃなくて、もう少し
 向こう側まで行ってみようか、あ、もう普通のジョギングのスピードで走るよ」

「気にしなくていいのに…まぁでも目立つかもしれないかな」

「そうだよ、君は凄すぎるよ」

「ん、そうする」

方角にして南西方向に道路が続き、イタンキ海水浴通と名付けられていた。
西谷さんは運転手席側の窓を開けて右にしか歩道のないそこを走る葵にも聞こえるように

「ここら辺りが海水浴場になったのなんて30年ちょっと前からなんだよ、
 この辺りって消波ブロック辺りからがくんと深くなって波もちょっと荒いから
 海水浴場として解放された頃は毎年死人も出ちゃっててね、
 でも何とか、認知されつつある所だよ」

海水浴通りを真っ直ぐ行くと、大きく右に曲がる道路に突き当たり、
その付近に駐車してそれこそ浜を散策している人も居る。
西谷さんの操る車ももその一台になって駐車し、全員降りる。
そして西谷さんは案内する。

「普通にこの辺りでもよく聞けば鳴砂になってると思うよ、人の余り出入りしない
 海水浴場と隔てたブロックの向こうならもうちょっと分かりやすいかもね」

と言ってそこまで案内しようとしつつ、中里君と駒込君が強めに踏みしめて

「おっ、キュッキュ言ってるぜ!」

「マジマジ、言ってる!」

とはしゃいでる。

「あ…あれかな…砂の椀…」

と葵が言って波打ち際近くまで行く、当然全員も行った。
葵がそれを眺めている中、西谷さんは漁業関係者に知り合いが居るのか

「こいつ、成長したら二枚貝を食うんだよ、アサリとか住む所だと被害が
 でかくなる時もあるんだってさ、まぁ、この辺りじゃムラサキイガイかな」

そこへ阿美がニッコリして、

「多分西谷さんも知らない豆知識、イタンキ浜のイタンキってどう言う意味か判ります?」

「いや…ああ、ずっとイタンキイタンキ呼んでいて意味までは知らなかったな」

葵がそれが害をなす種だとしてもその砂の椀を愛おしそうに眺め

「「お椀」って意味なんだって、でね、お椀だけだとイタンキの由来が良く判らないから
 元々「オタイタンキ・砂のお椀」って所が発祥じゃないかって言う話があるよ」

「へぇ〜、へぇボタン17くらい押しちゃう話だね」

トリビヤの泉は割と広い年代で知られている誰にもよく判るネタだけにみんなが笑った。
志茂が持ち歩いてた小型のノートPCを開いて、一枚の写真をブラッシュアップした物を
西谷さんに見せた、それは巫女服の先代と同じく巫女服のおやいのものであった。

「この人がそれを言ったんですよ」

「あ、こっちの人(志茂が差したおやい)は改めて見るとアイヌの人だね、判るよ」

ちょっとビックリした、資料として出てくるアイヌ人の顔というのは
大体男性は彫りの深い感じのが多いが、女性はそうでもないし、日本人と
まるで変わらないような物も多いからだ、西谷さんは続けて

「小学校は別だったんだけどね、中学の時その血統の子だなって言うのが居てね」

へぇ、とみんながボタンを押す真似をする。

「それについて思い出を話したいけど…どうも物凄く変わっちゃってるんだよね、ここ」

そこへ葵がスマホをいじりながら

「あ、この近くに神社があるっぽい、お参りしてきたい」

といってそれを示したが、西谷さんは

「あれ、こんな所にあったかなぁ、まぁいいや、ついでに寄ってこう
 もうさ、いいよ、一人くらい多くたって車で行こう、大丈夫さ」

運転手さんが笑って言う。
全員顔を見合わせて、その車に乗った。
イタンキ海水浴通をそのまま道なりに行き左折すると五叉路になって居て、
その真っ直ぐ先にあるらしい、一応ここでも全員でお参りしてまた車に乗り、
五叉路を右折、道道919号に乗り、国道36号を横切ると、広い敷地があり
そこに学校があった。

「昔ここは大和(たいわ)小学校っていう小学校だったんだ、
 学区が東町四丁目から向こう…室蘭市ギリギリの鉄道からこっち側の子が
 東園小学校で、僕は五丁目だったんで大和小学校、ただし、
 中学校になると…今はここがこの地域の中学校になったけれど
 昔はもうちょっと山側に鶴ヶ崎中学校って言うのがあって、
 面白い事に東町五丁目は中学はそっちじゃなくて、寿町って言う
 ちょっと鷲別寄りの所にあった東中学校って所だったんだ、
 そこでクラスメートになった子がアイヌの血を引いていた
 イタンキ漁港あたりに住んでたみたいだね」

うまく道を回り込んで、ちょっとした町工場地帯みたいな通りに入る。

「ここも昔は生コン工場とかあったんだよね、で、向こうに五階建ての
 アパート群があるだろ? あの辺から四丁目なのさ、
 学区は別だったけどこの辺は近所だしよく来てたよ」

S-11と書かれたアパートを左折し、右手は公園

「今は何にも無いよね、昔は遊具が結構置いてあった物だけど…そして何より…」

車が通れない仕切りがあり右折のみが出来る、そこを右折し、

「ここが神社だったんだよ、今やただの住宅地だけど、
 僕にとって小さい頃神社って言ったらここだったんだ、盆踊りとかもここ、
 さっきの細い道の向こうの通りに縁日が並んだりね」

ただのおじさんのノスタルジーなのだけど、当たり前にあった物が大人になってから
あらゆる物が変貌していた感覚って言うのは、寂しい物なのだろうなと誰もが思った。

Sアパート10→9→8と来て左折、今は何かの企業らしき所を差し

「ここは銭湯だった、時々来てたんだよね、で、目の前が警察署になってるけど
 大昔ここは木造の社宅群だったんだ、子供の頃には壊されて整地されちゃったけれど」

そこの十字路を左折し、少し真っ直ぐ進み右折した。
さっき来る時通った道、国道37号を横切り、向こう側へ直進する。

「今はこっち側に校舎があるけれど、昔は反対側…向こうにある栄高校の道を
 挟んで直ぐの所に東園小学校はあった、アイヌの子達は別にいじめだの差別だのは
 表立って受けてなかったようだよ、中学になった頃にも普通にクラスメートと
 接していたしね、少し濃いめの顔と目や眉毛がくっきりした感じとか、
 さっきの写真の人にもちょっと似てたかもしれないな」

「そして栄高校…今でも地域一番高なのかな」

そして、そろそろ36号線に戻ろうかと言う動きになった時、中里君が、

「あ、スイマセン! そこ左折でお願いします! 上江田病院ってトコロ」

「うん? (ナビを確認し)ああ、判った、何かあるのかい?」

「俺とゴメ、明日そこでやってる「多奈田道場」って所で一日体験させて貰うんで!
 場所とか確認したいっス!」

西谷さんは笑って

「ああ、総合格闘技とか週三でやってるんだっけ、なんか格闘技に詳しい同僚も
 ここにはそれがあるとか言ってたなw よし」

東(ひがし)大通という中央分離帯のヤケに広い一通の道を少し走ると、そこに病院があり、
着くと中里君と駒込君が盛り上がっている。
方や柔道、方や空手だが総合格闘技という物にも興味を持っていたので盛り上がった。
西谷さんはある程度彼らが落ち着いた所で車を発進させ、突き当たりを左に指さし

「ほら、そこが東室蘭駅だ、判りやすいだろう? 明日来る時は
 駅前から一本左の道を真っ直ぐ、って覚えれば一発さ」

イエーと男二人がハイタッチをして盛り上がる、女子群はちょっとうるさがる。
車はぐるっと右折Uターンし、上江田病院の区画を通り過ぎる辺りで左折し、
真っ直ぐ進み突き当たりまで来て呟いた。

「…ほら、今でも建築跡は残ってるだろ? ここが昔は地域の中学校だったんだよ
 ここももうないなんて、時代って残酷だって君らも思う時が来るかもね
 まぁまだまだそんな時期には早いけど。
 僕らが子供の頃は室蘭の人口は15万くらいで、今は9万、仕方ないし
 札幌じゃここまで変わることは有り得ないだろうけど、
 子供の頃の思い出って、イイ物であれ悪い物であれ、
 全くなくなってしまうとそれはそれで寂しい物なのさ」

何となく全員がしんみりした、葵に至っては小樽時代を少し思い出した。
東中学校跡を少し進み、左折し道ひとつやり過ごしてまた大きな分離帯で隔てられた
通りに出て、左折用道路では無く、右折用道路に入り、そして国道36号に戻る。
そして国道36号を少し越え、鷲別に入って少し行った所の信号を右折し、
お世辞にも広いとは言えない道路を少し上りちょっと左折道路の関係で膨らんだような
車道に車を止め、西谷さんはここからは歩いた方が無難かな、と全員降りた。

そこの右手に赤い鳥居が見える、そこだ。
全員で鳥居をくぐる前にお辞儀をして、そこへ参拝する。

「保食神と大綿津見神か…」

葵が呟く、志茂がそこへ

「先代さんが来た頃ここはただの祠だったんだって、神社としてちゃんとした物になったのは
 昭和になって40年代辺りになってからだって」

西谷さんが感心したように

「みんな神社関係者なのかな? 特に…先生とカメラさんと葵ちゃんって言うのかな、君は」

阿美やはそれにちょっとどう言おうか…でも色々ぶっちゃけてくれたお礼のつもりで

「いえいえ…ワタシ達はただ受け売りに近いというか、この子の保護者…
 六代弥生の…まぁその…友人枠で…この子は彼女のパートナー…
 直接神社って言うんじゃないんですけど、まだ日本に仏教が入ってきてない頃から
 続く祓いの職業…といっても火をたいて何やら唱える祈祷師じゃなくて…
 根室でこの子がちょっと外したのもその仕事で…」

志茂がノートPCで根室での祓いの一部をちょっと分かりやすく編集した物を見せ、言う。

「現実に幽霊が居るとか…認められないかも知れませんけど、居ちゃったりして
 そう言うのを還るべき場所に還してあげる…そういう仕事が、細々と
 息づいているんですよ、勿論こんなの他言無用ですよ?」

「それで…古い信仰に…広い意味で神道には敬意を払っているんだね」

そこへ葵が

「仏教もキリスト教もイスラム教もヒンドゥー教でもなんでも、いいんだけど
 ボクを保護して育ててくれたのは神道系の人、だからボクもそうしてるんだ」

西谷さんは感心しつつ、夕陽から時間を思いだしたか

「おっといけない、そろそろ時間だな…ホテルに戻りましょう」

そうして、その日は終わった。


「修学旅行編・葵の場合」 第二幕  閉


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