L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE:THIRTEEN point Five



「さ−、光月ちゃんお待たせ、行ってみましょうか」

依頼や連絡待ちが無いかを携帯電話で確認し、携帯を閉じつつ弥生が言った。
七月のやや暑い日差しの下、とてもいい天気で風も微風。

そこはかつては北大の農業試験場と呼ばれた北大の北に広がる広い領域、
その敷地内に弥生、裕子、葵、裕子の友達三人であり修学旅行の時「少し」祓いの扉が開き掛けた事を機に
裕子より祓いの指導を受けていた三人、後~会会長の娘である蓬、考古学者志望で最近ちょっと
竹之丸と距離を縮めた丘野、そして弥生に名を呼ばれた…修学旅行時に常建から弓を勧められ
その通り弓で才能をめきめきと発揮させた光月…そしてなぜか猿楽さんもいた。

「領域指定もしました、いまわたくし達は外からは見えないはずです」

裕子の言葉に弥生はニッコリして光月から50m程離れた立ち位置を再確認するようにして

「いつでもいいわよ、そして…私を相手にすると言う事は生半可じゃあダメよ、
 殺す気で来なさい…「出来る物なら」ね」

弥生の目は真剣だった、この日の朝訪問した裕子から三人の、特に光月の成長が著しい事をうけて
血が騒いだ弥生が急遽セッティングした手合わせで、突然の事で弓道場などは借りる事が出来なかった。
蓬がその慌ただしい午前を振り返り呟いた。

「確かに弥生さんの近場で開けている場所と言ったらここ以外無いから完璧なんだけど…
 竹之丸さんに協力する事と引き替えにここ使わせて貰うって発想が何かもう凄いと言うか…」

その協力とは、採血や粘膜の採取、祓いは先ず全身にみなぎる物なので血が何か関係しているのか、
そして初級ながらほぼ一般人の蓬や丘野、実力だけなら中級の光月、上級の裕子、
分類不可能な葵のDNAサンプルはここで提供された。

蓬の呟きに応えるように葵が

「血だとかで判るのかなぁ、竹之丸さん物凄く眼が輝いて研究室に籠もっちゃったけど」

そこに猿楽さんが

『姐さんは未来をいつも見ているよ、今さえ良ければって風に見えるけどね
 お嬢ちゃん達が例え半人前でも育ってくれたら鬼に金棒だろうからさ、
 何かちょっとした違いでも判れば祓いを途切れさせる事も無いだろう?』

いつもは物見遊山というか「楽しい」「嬉しい」を基準に色々見て回る猿楽さんが
この時の目つきは違った、とても厳しい目をしていた。
そしてその指摘は正しかった。

裕子や葵は弥生との祓いの力込みでの手合わせをした事が無かった。
「貴女達二人は私の策略には絶対に嵌まる、ある意味貴女達にとって私は弱点でもあるのよ」
弥生はかつてそう言った、生と死の掛かるような舞台を想定し、手合わせなのだから
相手を死なせる事だけが反則と定められた場合、弥生が裕子や葵の一撃を食らったフリをして
昏倒した(フリをした)として裕子と葵に平常心が保てるだろうか、裕子は多少駆け引きが出来るだろうが
葵には絶対に無理だろう、だから弥生は祓いを広げたがってもいた。

もし自分に何かあった時、役に立たなくなるのでは意味がない。
弥生は愛情深くもあるがいざ祓い人となるとかなりドライでもあった。

そして弓を構え始める光月にほのかな赤い光、天野系列の血が流れているのか、
それとも力の発露がそうなるのか…とにかくその身や弓、矢は赤い光を帯びていた。

弥生がニヤリと口の端を上げ、どちらにでも動けるような体勢に入る。

光月の目に少し殺気が宿った。
弥生に煽られた事もあるのだが「確かにそのくらいの気合いがなければ一撃すら与えられない」
光月には少なくとも弥生をそう分析できるほどには成長していた、
そして矢が放たれる!

赤い祓いの光を纏った矢が一直線に弥生へ、弥生は跳び上がった。

「空に!? 無駄です! むしろ逃げ道を塞ぐような真似を…!」

その矢は光月のコントロール下にある、弥生が立っていた位置を過ぎたかと思うと
その方向を変え、空の弥生に向かう!
確かに空に飛ぶと言う事はある意味行動というか動きを制限する「枷」とも言える、
矢より早く動けるなら勝負になるが…!

全員が手に汗を握る…

すると弥生は何も無い空中を蹴って一見すると物理的に有り得ない角度に動き回りむしろ矢を翻弄した。
裕子が驚く

「あの動き…なんですの…?」

葵が気付いた

「飛んでいるんじゃあない! 弥生さん、一瞬だけ空気を足場にしているんだ!
 だから何処でもどんな角度でも弥生さんの思うように動けるんだ! あんなこと…出来るんだ…!」

『なるほどね…本当はもっと複雑だけど姐さんの両端に空気の壁がある状態を考えたら判りやすいね』

猿楽さんも真剣にその手合わせを見ている。
そして弥生は少しずつ、矢に対して手で触れたり、足で触れるなりして祓いのコントロールを
弱めて行き、そして空中で思い切り矢の後ろを蹴り、自らはその反動で宙を翻(ひるがえ)る!
ほのかな赤に青が上書きされるような勢いで矢に乗り、光月へ!

光月はその矢に背を向ける、皆が驚く。
そして光月は弓を構えた。

「完全にコントロールを奪わない限り、その矢は私の物です!」

自分の方向に向かってくる矢の勢いを少しだけ変えて矢は光月の弓を構えた位置に一瞬収まったかと
思いきや、その勢いに更に自分の祓いを込め、後ろ向きのまま矢を射ると、その矢は大きく弧を描きつつ
再び弥生の元へ!
今度は弥生の力のコントロールを上書きする形、先程より勢いも上がって居る!

その様子に弥生は眼がギラギラと輝いていて嬉しそうだった。
少し恐怖すら感じる瞬間の弥生の表情だ、弥生にはやや戦闘狂の節がある、
この瞬間を心から楽しんでいるようであった。

速度と威力を増した矢と弥生の動きはもうよもぎや丘野には追えない物であったし、
実際光月も目では追えず感覚で追尾、襲撃をして居た。
葵くらいだった、その一部始終をきちんと目で追えたのは。

「あ…また…!」

葵が思わず叫ぶと、矢は再び赤の上に青い光を纏い、光月へ!

「何度返してこようと…!」

光月がまた勢いを借りるつもりで後ろを向き弓を引く動きをする。

「光月さん!」

裕子が叫ぶ!
そして次の瞬間、光月の首には弥生の腕が正に「折るぞ」という勢いで嵌まっており、
帰ってきた矢は青い祓いを纏った弥生の銃の銃床部分で受け止められていた。

「振り返りで戻る矢を再利用する手は二度見せちゃダメよ」

いつもの温度に戻りつつある優しい弥生の声、手合わせは終了なのだ。
戻る矢を再利用する手をまた使うと見た弥生は「戻る矢以上の速さで」光月を獲りに来た…
光月の完敗であった。

固まった空気が一気に崩れ、一瞬死を覚悟した光月が一気に汗を噴き出させへたり込もうとし、
弥生に支えられた。

「大した物だわ、同じ事二度繰り返してくれたから速攻終わったけれど…
 貴女が色々な状況に揉まれ成長したら私もかなり必死に貴女の命取りに行くキモチじゃないと
 とってもじゃないと疲れそうね、実際、最後だけは本気出させて貰ったわ」

一瞬とは言え、弥生を本気にさせた、凄いと全員が思った。
当の光月でさえも。
弥生は戦いに関する事で気休めや慰めを言う人とは思えない、恐らく本音なのだろう。
そして弥生が続けた。

「そして…天野系と言う事はこのまま貴女を成長させるわけにも行かないのよね…裕子」

裕子はやや放心していた、手合わせ最後に見せた弥生の本気のスピード、
裕子も「ここで光月を獲りに来る!」という「確信」だけで思わず叫び、
その姿も気も完璧には追えなかった。
もし自分があの場に立っていたなら自分には「来ると判っていてどうする事も出来ない」
絶望に被われていただろうと思うと「本当に自分は上級で良いのか」とさえ思った。
かつての「切り裂き」など問題では無い、策略以前に実力で裕子はまだ適わないと悟った。

「裕子?」

弥生の屈託のない純粋な問いかけに裕子は我に返った。

「あ…はい! ええと…この場合は本家筋のが良いですわね…」

と言ってスマホを取りだし電話を掛ける。
葵が弥生に駆け寄ってきて

「凄いよ、最後のはボクもちょっと目では追えなかった」

弥生はにこっと笑って葵の頭を撫で

「もうちょっと成長すれば私の動きも追えるようになる、そして体もついて来られるようになったら…
 私は武器を使ってやっと葵クンと対等って所になるでしょうね」

「なるかなぁ、「その後ちょっと」が遠いんだよなぁ」

「なるなる、大丈夫」

そこに裕子が

「…留守電になりましたわ、お仕事中なのかも…では…
 お久しぶりです、北海道の十条裕子です、実は御奈加さんや常建さんに見立てて頂いた
 光月さんなのですが矢張り天野系列で力を発揮致しまして…それで」

とばかり言った時に、繋がったようだ

『よーう、何か片手間に聞いちゃまずい内容だったから私が取ったぜ、御奈加だ』

「あ、はぁお久しぶりです、と言いますと皐月様は…?」

御奈加はその状況を喋るのでは無く「音」で聞かせた。
荒い息づかいが聞こえる。
裕子の顔が一気に赤らんだ。

全員成る程、と思った。

『済まないね、昼夜関係なくその気になっちまったら止められたモンじゃない』

「あー…はい、その…ええ…判らなくも…(モニョモニョ)」

流石に裕子も友達の前でエッチがどうのと言う話は戸惑われたらしく赤面して困った。
可愛かった。

『今野外に居るな? 何か試験的な物でもやっての判断かい?』

「ええ、叔母様と手合わせをして、その上でこれ以上の成長には…と言う事で」

『なるほど、それじゃ確実だろうな…と言う訳でな皐月…』

向こうで少し話し合いがあるのだろうと察した裕子がマイク口を塞ぎながら弥生に

「感触ですと伝手があるようです」

弥生が頷くとそこへ蓬が(光月の介抱には丘野が付いた)

「どう言う事です?」

弥生がそれに応える

「詞その物の指導はこの後も裕子で出来る、でも祓いの面での成長にはこれ以上十条では意味が無いの、
 天野の力は四條院の力と共にあってバランス良く成長も発揮も出来る。
 だからその傍系をこっちに寄越して貰おうと思ってね、でも細かい事言わなくても
 向こうも察してるみたいだし、ある程度予見していたのかもね、侮れないわ
 裕子は今の御奈加ってのと手合わせしたんだっけ」

「はい、お強かったです」

「羨ましい、私四條院や天野と組んだ事もないし手合わせした事も無いからね」

全員が驚いた、猿楽さんも。

「ホント? 弥生さん」

葵も甚だ意外だと言う表情で弥生を見上げる。
弥生はしけたツラで

「顔合わせか挨拶程度なのよね、特に天野系列と会った事が少なくて、今回光月ちゃんと
 手合わせできたのは結構満足よ」

「ある意味弥生さんの初体験?」

葵が少しだけイタズラっぽく聞くと

「そう、初めてw」

弥生も乗ってちょっとキャーキャーはしゃいでる。
蓬は何かそんなちょっと軽いノリの弥生を「甚だ意外だ」という感じで汗して見ている。
裕子もちょっと意外だと言う感じにそれを見ているのにも「意外だ」と思った。

ひとしきりはしゃいだ後

「…特に中級授かってから以降は「何て事無い」依頼以外は命がけの戦いだけで自分磨いてたし
 それでもまだ私にもっと上を目指せるって感じで婆さんもしごいてくれたからね。
 自分がどんな立ち位置なのか客観的には全然判らない、でも、婆さんから免許皆伝された事と
 新橋の評価を聞く限りはまぁ…いい線行ってるのかな、くらいでね」

少し溜息をつきやれやれという感じで語る弥生に葵も意外だった。
葵にとって弥生は世界の中心であり、そしてまた弥生も葵にとってそうであるように振る舞っていたから。
弥生は、自分より格が上の悪霊や魔を相手にその力を磨く事で直接的な成長は実感できていたが
果たしてそれが客観的にどうであるかなどまるで知らず今の今まで居たわけだ。

『お待たせ、ちょいと攻めすぎたか中々皐月が言葉にならなくてね、
 丁度新天地で生活を新たにしたいって傍系が居るんだってさ、それを札幌へ寄越すって』

またちょっと顔が赤らみつつ裕子がそれに応え

「あ、はい、判りました。
 また詳しい事など決定致しましたらわたくしの方か…もし宜しければ今叔母様に変わります?」

裕子のその申し出に御奈加が少し迷ったようで、間が開いた。

『んー…無用な約束しちまいそうだ、こっちも一応担当部署を持つ祓い人、
 縁があればそのうち会えるだろうし、話もその時でいい、じゃあ詳しい事が判ったら
 皐月の方からあんたに連絡するよ』

そう、そして力を持つ者であるがゆえに縛られる一面もある。
弥生も今の御奈加の言葉が聞こえてフッと微笑みながら眼を伏せた。
残念と言うよりは「そりゃまそーよね、しょーがない」という表情だ、特にそれは葵がよく読み取れた。

「判りました、では…」

『あ、そだ、おーっと待った待った待った!』

「はいー?」

『いや、常建の奴は指導者に向いてるよな、光月の生涯武器も一瞬で見定められたようだし』

「ええ、そう思います、彼は何だかんだ大局的に判断できる人と思います
 敵の動き、状況、咲耶さんに全てを任せるタイミング、全てを見計る事も出来ましたし
 そして瞬時に弓だと言ったのも事実です、私達はまだ若いですが、御奈加さんの年になる頃には」

『大勢の弟子や門下生が居る立場でもおかしくないよな?』

「はい、そう思います」

『ん、よし、そこが私には出来ない所なんだ、皐月のパートナーで精一杯だ
 それ以外出来やしない、加減も、出来ない立場の者から見る事も
 そう言う意味じゃ、私は常建が羨ましいんだぜ、ノーマルだしきっと世代を紡ぐだろう』

裕子は柔らかく

「そうですね、きっとあのお二人はいい夫婦でありいいパートナーになると思います」

『私には私のコンプレックスがある、何て事、アイツには信じられないだろうな』

「代わりに、御奈加さんと皐月さんには唯一無二の力があります、十条などほぼそれですからね」

『十条には十条のコンプレックスもあるんだろうな、じゃ、まぁ、またな裕子』

「はい、お晩です」

電話が終る、会話は粗方聞こえていたから何も言わずに裕子はそのままスマホを仕舞う。
弥生が天を仰ぎ

「コンプレックスか…厄介な代物なんだわ」



光月の燃え尽き方も中々な物だったので場所を直ぐ近くのマクダーナルへ移し、
皆で軽く談笑をしていた。
ちなみに猿楽さんも居て、弥生や裕子越しに「供物化」して食べ物や飲み物も提供されていた。

「弥生さんのコンプレックスって何? 何か余りそう言う匂い感じないし」

葵が物凄く屈託無く言うので弥生も苦笑気味に

「先ず私は料理ができないでしょ」

「でもそれを余り気にしてる風には見えないんだけど」

「こう見えても結構呪ったモンよ、目玉焼き一つ満足に作れないって事は
 …そうだなぁ、たとえば「ロリータコンプレックス」
 これってそもそもが定義にある年齢の女児にときめくことその物じゃないのよ」

「うん? じゃあどう言うの?」

「これって「対象」にばかり定義を言うけれど、元々…まぁノン気基準で話すとさ…
 いい年したいい大人の男が自分より明らかに未熟な異性にしか自分が男である事を誇示できない
 って言う意味で「コンプレックス」な訳よ」

「じゃあ、弥生さん全然違うじゃん、先生とかマルさんとかと付き合っているわけだし…
 あ、先生も全然違うじゃん、そうなったら」

弥生はニッコリして

「そう、誤用なのよ、でもそれを言い出したのが阿美なのね、
 葵クンを引き取って間もない頃阿美に冗談半分に言われたわけ
 当てつけって言うか、葵クンと直に触れ合うまでは阿美って葵クンに嫉妬してたのよ」

「そうなんだ? え、どうして?」

「私と何事もなく何日も暮らせるから」

「そう言えば…先生と住んだ事ってあるの?」

「あるわよ、大学に入って直ぐくらい…一週間で同棲解消したけど」

「なんで?」

「そこに私の「料理できない」ってのが掛かってくるの、
 私も炊事はダメでも洗濯や洗い物や掃除は出来る、自意識過剰な年齢の頃
 そればかりは覚えないとプライバシー守れないからね、でも料理は今この現代
 無理に覚えなくたって生きて行けるって放置したのよね
 その前後に私には祓いの力があると修行にキャパシティ割いちゃって
 もう料理が付け入る隙は無くなった」

珍しい弥生のコンプレックスの話に高校生四人組もちょっと興味深げだった。
弥生が淡々と続ける。

「でも阿美って分担は分担でもお互い何かを読み取って全部を共有出来る人を探していたのよ
 そう言う意味じゃ私は失格、何があっても阿美が作るか外食か中食かって話でしょ?
 幾ら掃除が出来たってダメなのよ、私もその時になってまずったなぁって
 …で、一週間も経った頃にどっちが切り出すでも無く同居解消と
 でもそれは阿美が私に見切りを付けたんじゃなくて、見切りを付けたくないから
 早めに解消したって事なの」

「なるほど…そうなのかぁ…」

「阿美もその後何人かと付き合っては…自分にも修正の余地があるなぁと修正して修正して
 …で、やっとユキと巡り会えた、そう言う意味では私はユキが羨ましくもある
 でも私じゃあ絶対にその位置には成れない、もう料理に割くキャパシティはないからね。
 たまに会ってたまに燃え上がるくらいで丁度よくなっちゃったのよね」

そういう風に思うと、結構悲しいカップルというか、性格や体の相性は最高なのに
一緒に生活となると合わない、そして生活の波長が合わないというのは同居するには致命的だ。

「叔母様ほどの方でしたら、料理も直ぐ覚えられそうですのに」

思わず裕子が口を挟むと葵が渋い表情で

「いやぁ…色々やって貰ってるんだけど…詰まり弥生さんの本気度って
 「命賭けられるかどうか」なんだなって思うんだ、料理に命賭けなくたって
 生きては行けるわけだから…だからやって貰ってるけどもうホントダメなんだなって毎度思う」

「そうなのよね…祓いの世界、距離はともあれ人付き合い、自分のプライドって意味では
 掃除や洗濯まではその範囲に入るのだけど、料理だけはどうしても本気になれないのよ
 …で、阿美と暮らせないと身に染みた瞬間だけは我が身を呪ったわ」

『決して嫌いじゃないのにどうしたって慣れない事とか…どうしても身につかない事とかあるよね』

猿楽さんもしみじみ語った、やっぱり老年までは生きていた人、得手不得手で
苦労した事は一度や二度では無いのだろう。

「私の場合はそれが…葵クンの言う通り、命張れるかどうかっていう基準」

弥生がしけたツラをして続けた。

「で、阿美は阿美で自分が混血だって言うのはどうしたって一生コンプレックスだって言ってる」

「そうなの? ぜんっぜんそうは見えないよ!?」

葵が正に仰天している、普段先生と生徒という立場で接する事も多いからか余計だ。

「でも、その阿美がなった教職の教科は?」

「国語」

「日本で生まれ育ったのに遺伝子には半分しか日本人の血が流れていない、しかも外見は殆ど
 南米ダイナマイトボディーだからね、そして誤用で私をロリコンと言ってしまった事、
 これが決定打で彼女は国語の先生になったのよ」

そう考えたら、物凄く、なんていうか悲しい。
でも葵に思う所もあった。

「…そっか、基本ボクに甘い先生がテストとかだけはキッチリしているのは…」

「そう、貴女が日本人の血が1/4で殆どスラブ系白人の子なのに日本生まれの日本人だからよ
 そして、自分の勝手な尺度で私を一度はなじってしまった事、貴女の事を知らないのに
 貴女を引き合いに出した事、それが全部反省点になってそれを克服するためなの」

「それでも…自分がハーフだって言うコンプレックスは一生物なんですね」

蓬も口を挟んだ、蓬の親は言ってみればヤクザだ、そしてそれで友達に恵まれなかった過去もある。

「みんなそんな物よ、誰でも掘り返せば幾つかあるはずよ。
 でもね、そんなマイナスをプラスにしたり、マイナスはマイナスで置いておいて
 プラスを伸ばす事だって出来るわけじゃない?
 それでいいのよ、見せたくないマイナスは見えなくなるようにすればいいの、
 人生はその為にあると言って過言じゃないわ」

『自分がどんな気持ちで生きるかは自分で選べるからね』

猿楽さんの言葉は重かった、その通りだ。

「たださ、この地球上にはどうしてもそこで折り合いの付かないのも居る訳よ
 コンプレックスが原動力なのはいいとして、それでやる事が我欲基準で周りに
 迷惑しか掛けないような厄介な精神構造の民族がね」

とまで弥生は言って

「覚えておくといいわ、特に蓬ちゃん、組の中に外国籍は居たとしても
 とある特定の国籍保持者…あるいはその血を引いていると確実な者については
 後~会には一人も居ないはずよ、なぜかというと彼らはコンプレックスから来る我欲の発露で
 組織を腐らせる名人だから、美しかったはずの理念を利用するだけ利用して
 その言葉を泥だらけにする名人なのよ」

その弥生の言葉に裕子が

「たとえば…「差別」「平等」「人権」「平和」本州では「部落」この北海道では最近
 「アイヌ」がそれに加わろうとしていますね、そう言う団体に名を連ねている人達を
 良く見て調べてみると良いですわ、必ずそう言う聞き心地の良い言葉を利用して
 煽っている団体の中には…居ますわよ、日本人でない方々が」

余り学校でこの手の話をすることがないので蓬たち三人はその裕子の表情にびっくりした。
とても冷たいのだ、心の底からそう言う人を軽蔑している、そう言う眼だった。

『自分がどんな気持ちで生きるのを決めた責任を誰かのせいにしたがる奴も居るんだよ』

そこでまた猿楽さんの一言だ。

『何があったって自分がやったことなのにさ、それを必ず何か誰かのせいにするんだ
 居るんだよ? この日本にも結構な数、神社仏閣の盗難、放火なんかは
 日本人じゃ先ず考えられない、思ったとしても実行できる日本人なんてまず居ない
 だって、日本はそうやって皇紀に依れば二千七百年以上続いたことになって居るんだから
 でもそういう伝統の中で生きてこなかった…これは血と言ってもいいな、
 違う文化価値観で頭の中いっぱいの人はやっちゃうんだよ』

弥生がフッと笑って

「猿楽さんは神社仏閣、その伝統や御輿、祭りなんかを愛しているからね、
 それを盗むはおろか壊したり火を付けたりなんてとんでもないって人なの」

『だってそうだろう? そうやってずっと信仰と祭事で生きてきたんだよ、僕らは』

そこへ蓬がふっと思いだした

「あ…それじゃああの時の…」

「あの時」に心当たりのない丘野と光月が見つめ合って、光月が口を開く

「何かあったの?」

蓬はそこでケース・13終幕でのエピソードを語った。
市ヶ谷にはそれが何者であったかを見えないのに判っていたかのようにとどめを刺したこと。
弥生はそこで頷いて

「うん、多分そう、貴女の聞いたどこか外国の言葉って言うのも恐らくはね
 あそこはキリスト教のようでそれとは真逆の物を讃えているエセ宗教も多いからね
 日本にも有るのよ〜〜そう言うのには特定の判りやすい目安もある
 キリスト教に限らないわ、この日本でも新興宗教とかはっきりと何教か判らないような
 名前の団体とかは結構臭いのも多い」

と言って弥生は結構具体的にその「目安」やそんな宗教団体の誰が何をしたなどと言う
事件簿を語り「もし何なら調べてみるといいわよ」とまで付け加え、

「この社会は今猛烈に腐って行っているわ、その本体がすわ特定外国その物だとは言わない
 でもね、確実にその片棒を担いでいるのよ、その理由は簡単。
 前国家を消滅、塗り替えることで継承してきたがゆえに長い年月積み重ねた物が実はなくて
 大昔の価値観と偉業だけを心の拠り所に、今でもその古代に伝わった文化を
 自国なりに吸収発展させ面影を残している日本に対してコンプレックスを抱いて…
 乗り越えるのでは無く叩き潰すことで自分がそれに成り代わろうって言う奴らが居るの」

そしてトドメに

「さらにそいつらのしつこさは半端ない、だってコンプレックスを乗り越えるためにより酷い
 コンプレックスを上書きしていくような奴らだからね、負の連鎖もあそこまで行くと
 もう馴染めやしないわ、神話の昔にスサノオが見放した土地…もうそれだけでお腹いっぱいよ
 そして立場や文化の流れを逆にし、因果を無視してでも日本を下に置こうと必死、
 そう、神話の昔から国も民族も入れ替わったはずの「今でも」ね」

蓬の表情が曇って行く、裕子が心配して。

「どうされましたの?」

「いえ…でも祓ったのは私じゃなくて祓い弾で市ヶ谷さんが、だし…どうなのかな…」

弥生もその蓬の躊躇いが判った、自分の言ったことにその答えがある。

「…蓬ちゃん、そこ案内して、裕子と葵クンは裕子の詞で飛翔と領域指定をして車を追尾ね」

「はい、でも一体何が…」

弥生がしけたツラで

「いや…幾ら私がプロデュースした弾だって言っても…威力は私と同じじゃないし…ね、」



豊平区経応寺…その裏手の墓地と道路を隔てる壁…そこに…
弥生は思いっきり「あちゃー」という表情をして片手でその表情を覆う。
そこへ一団に気付いた墓地に居る霊が

『ああ、あんたいい所に…、こないだのアイツ、最後っ屁かまして行きやがったようでさ』

そこに育ちつつあるのは「キノコのような何か禍々しさを纏った物」だった、まだ余り大きくは無いが…
猿楽さんが思わず

『なんだいこりゃ? これ霊だけじゃなくてこんなんだと人の目でも何かが見えないかい?』

「触らないで! 猿楽さん!」

弥生がまだ「あちゃー」を崩せないままそれでもしゃがんで触ろうとした猿楽さんを止めた。

『触れるのもまずいって所かい…?』

猿楽さんの言葉に霊園の霊が

『そうなんだよ…、こいつ霊を食いやがる、通りがかる人の霊の端も食いやがる』

「生きた人の霊まで? ってそうなるとどうなるの?」

葵が思わず口を挟むと弥生が

「多分だけど…最悪ミイラ取りがミイラに…」

「生きた人の心を歪ませると言う事でしょうか、叔母様」

「…多分だけどね…、ああ…なんか…これに近いのが資料にあったような…ドコだっけ
 詳しいことが判らないとこれ私でも対処が難しいわ…ここまで酷いコンプレックスの産物なんて
 稀も稀よ…あったとして忌み地に出来るほどの小規模さだったり田舎だったりだけど…」

光月がそれに

「ここは札幌も中心近く…更に言えばお寺でしかも霊園…迂闊にこの地を忌み地には…」

「そーなのよ…何てこったわ…」

蓬が酷い罪悪感に襲われたのを察知した弥生が蓬の頭を撫で、軽く抱きかかえながら

「勘違いしないで、貴女は正しい事をしたの、貴方は何も間違っていないの。
 ただ「その正しさすら認めない、恨めしい」という「しつこさ」がこれなのよ…だから嫌なのよ…」

「でも…それで浮かばれなくなった霊があると思うと…」

「その思いも正しい、そして貴女の今この悲しみに暮れた感情は…!」

弥生が蓬を抱きかかえ道路の向こうまで飛び退る!
そのキノコのような何かは「グン」と少し大きくなった。

「コイツにとって何よりのご馳走なのだわ…やれやれ…」

蓬は戦慄した、いや、この場に居た誰もが…弥生すらも戦慄した。
弥生すら迂闊に手が出せない…そんな物がこの世にあるのかと葵はそこへ更に戦慄した。
そして葵が慎重に

「コイツ…祓えないの?」

弥生はちょっと困ったように

「いや…どっかで資料として見た気がする…それを見ないことには正しい対処が判らないのよ…
 私はここまでの見た事も無い、もっと豆粒みたいなのなら一気に潰せばそれでいいけれど
 ここまで育つと…」

どうしよう…と言う空気が一帯を充たしかけたその時…丘野が声を上げた。

「…そうです! 二代目…二代目の資料にこれとほぼ同じケースがありました!」

「二代目は弓…、室町前期か…みんな…取り敢えず「対策」立てるためにウチまで来て
 あ、猿楽さん」

『判ってる、飛んできた霊をどかしたり、それとなく生きた人も遠ざけるよ、
 まったくなんて置き土産だ…勝っても負けても後味が悪い奴らと言われてたがこれほどとはねェ』



稜威雌神社に安置してあった二代目の資料を丘野は所望した。
既に丘野が大半を現代語に置き換えて資料として整理したはずなのだが、丘野は
「オリジナルでないと伝わらない」と言って持って来た。

丘野は居間のテーブルにその巻物数巻の内一つを開き、こう言った。

「私は…正直祓いその物には余り寄与できません、きっと初級で精々でしょう、
 でも私には…一つだけ…私だけと思われる能力があることを知りました…
 全員私の口を通して語られる言葉に同調してください」



時は応永、南北に分かれた朝廷の争いも収まり、足利の世が正に平定に入る頃にその子は生まれた…
十条本家に産まれたその子には、都で活動する四條院や天野の祓い人から才能ありと認められたので
大いに期待されたのだが…その子は何と生まれながらの全盲であった…



「…ちょっと待って! 何これ!」

弥生が目を見開きながら思わず叫び、丘野以外の全員も愕然とした、蓬が代表したかのように

「光景が見える…当時の十條の人達や…四條院・天野の人達の顔や服装、持ち物まで見える…!」

丘野がここまでとは…と言う感じで自分自身少し驚きつつも

「私が集中して古文を訳しながら読んでいる時一緒に読んでいた竹之丸さんの中で
 時々情報が…書かれていないことまでつぶさに見えたって言われたんです、
 でも、私が現代語に直した物にはそれは起こりませんでした…つまり…これは
 オリジナル…原本かそれに近い写しから当時の人の記憶を浮き出させた物…
 そしてそれは…縄文時代の土器でも同じ事が起きました…当時の人や文化環境…全て…!」

「そう言えば丘野さん…言ってましたね、古代の霊を見てみたいと…
 それを…読み取る方向に力が伸びた…!?」

裕子の驚き、そしてそれは弥生にも衝撃が走った。

「…丘野、貴女には祓いの才能がある…貴女には強烈な地鎮と言うかその能力があるようだわ…
 力を伸ばしなさい、裕子から領域指定などの言葉を学ぶといいわ…その詞は中級なんだけど…
 婆さんや私が格付けしたそれがそもそもナンセンスだった…その人その人の特性によっては
 私にとっては中級でもたとえば丘野にとっては「次に学ぶべき詞」だったんだわ…
 多分蓬ちゃんもそうよ、何か貴女に馴染む詞がある筈だわ…!」

今の段階で自分が後れをとっている? と思いかけた蓬だったが、そもそも最初に
裕子に同調したのは自分だ、能力の方向には色々あることも今思い知った
何か…自分に出来る何かがあるはず…! 蓬の心に火が灯った、マイナスを…プラスにしてみせる!
あの訳のわからない「何か」に打ち勝ってみせる!

…その前に、今は暫く過去のお話に付き合って頂こう…それは六百数十年も昔の話…


Case:13.5 閉幕


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