L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE:Sixteen

第一幕



「みなさ〜〜〜ん、今年も葡萄が沢山なりましたよ〜〜〜♪」

ご機嫌ないつもの夏だ、彼女は輝いていた。
永禄(えいろく)十二年(1569年)の夏。
綺麗に並べられた座卓に向かう子供達が出入り口の彼女を見て半ばウンザリして言った

「またそれ踏みつぶす課外授業かよー」

「先生がお酒飲みたいだけなのに」

「今更ブドウ一房くらいくれたって割に合わないよな、あれ結構疲れるし」

受けが悪い事に「先生」は少ししゅんとしつつ

「じゃあ…丁度いい熟成具合の葡萄酒にブドウの果汁を搾ったものを加えて
 今日はオマケに飛騨から汲んできたはじける水(炭酸水)も付けちゃいますよ!」

「え、ホントかよ」

「あれは美味いからそれならちょっと手伝ってもいいかな」

「でもよー、じゃあ先生もやってくれよ?」

ことごとくストレートには行かない子供達に「先生」は

「えーでもこの年であれは〜」

「なんだよ〜ずりぃぞ〜」

「判りましたよぉ…、じゃあ、みさなん収穫したら良く洗って一つ一つ外して桶に入れてくださいね!」

やれやれ、この先生も伊達に生きる人だなぁ、と子供達が腰を上げた時、外から近辺の農民が
慌てて駆け込んできた!

「てならいさん! てならいさん! 大変だ! また化け物が…!」

「あら…それは…」

そこに子供達の一人が

「おっ父、先生の名前は「てならい」じゃないぞ!」

そこで先生はにこやかに

「まぁ、職を持つひとに屋号や看板で呼ぶ事は良くある事ですよ、そんな事より…」

「早く来てくれ、こっちの方だ! また夜を待って村を荒らす気だよ!」

「まだ荒らされては居ないのですね?」

「ああ!」

「何よりです、作物達も合わせてお助け致しましょう」

先生は弓のように大きく、しなった大きな刀を手に取り出て行こうとするも

「あ、ブドウの収穫と桶に粒を入れて出来れば潰しておいてくださいね?」

「…そこはきっちりしてんのな、先生は」



日当たりの良く水はけの良い村はずれ、稲作と言うよりはその土地柄に合うような作物や
養蚕が盛んな村であった。

木々の間になるほど確かに戦で散ったが散りきれなかった無念の魂が複数ある。

「お待たせ致しました、あなた達のお望みはなんでしょう?」

『我ら…畑の花を朝日輝く海と見間違え敵陣に入った物と観念し自刃した…』

「あら、それはさぞ無念でありましたでしょう、でも出来ましたら
 夜に家の方に来て戴いた方が村の方々も余計に騒がずに済むのですが…」

『我らの姿はそれ程までに酷い物なのか…一目見て悪霊だと言うほどに…』

「盗賊や落ち武者は落ち武者でも自棄(やけ)になって悪さを働く者も居ります故、
 もうとにかく木陰の闇に紛れた見慣れない人影に怯えているのですよ、そこはお分かりください」

『同じ甲州の者なのに、情けない…』

「そう気を落とさないでください、私が今、貴方達の無念を祓いましょう」

そう言って「先生」は刀を抜く、それは遙か南北朝時代には流行の終わった筈の野太刀であった。

『一人一人名乗っても手間が掛かる、一気にやってくれ…』

「はい、貴方達も役割はどうあれ武士、今一太刀の元に戻るべき和の中にお戻り差し上げましょう」

「先生」は林の中に分け入る。

『その腕で大丈夫なのか?』

「大丈夫ですよ、その時になれば判ります」

『では名を教えてくれ、巫女の姿をして居ると言うだけでは我らは感謝を誰にすれば良いのか判らぬ』

「それでも宜しいのですが、まぁ名乗らぬのも礼儀に反しますね、ではその魂にお刻みください
 私の名は八千代、十条八千代に御座います」

その右手が光って、そして刀にも移って行く。



天文(てんぶん)二年(1533年)、紀伊と大和と伊勢の境界付近のどこか…

「おお、可愛い女の子じゃな、ははは」

産んだ母は玉のような汗をかきつつも喜ぶ夫に頬を緩ませた。
周りの産婆達も同様である。

夫は知識人で勉学に没頭するが余り婚期を逸していて、やっと所帯を持ち
妻が若かった事もあってか元気な子供が生まれた。
とはいえ、夫にとってそれは年の行った頃に生まれた子であるし、武人家系では無い事、
直の働き手という者を特に意識しなくても良い分家の身分と言う事もあって
それが男の子であろうと女の子であろうと、この場合女の子であったが
どちらにしても心から喜んだ。

「よし、笹子、儂はこの子を絶対、何があっても絶対大きく育てるぞ、名を付けよう
 幼名も何もあった物では無い、ずっとこの子に名乗って貰う」

「…判りました」

「「我が君は 千代に八千代に 細石の 巌となりて 苔の生すまで」良い歌だ
 古今和歌集のこの歌に因みこの子を八千代と名付けよう、この子の魂よ永きに渡れ」



その八千代と名付けられた子は言葉を覚え始めるようになった頃には父は色々な名前を
文章を組み立てられるようになってからは少しずつ本格的な勉強も始めた。
そしてその意味や隠された比喩や暗喩と言ったものも教え始めた。

八千代はそれらを良く修めて行き良く喋る、よく考える子になっていった。
「何故(なぜ)如何(どう)して」は無限には掘り下げられないのは、まだ人智が及ばないからで
それはまだ深淵に眠っていると言う事も。
父にまつわる多くの人と交流し、迷信でも人には信じる事も必要なのだという精神的な面も培われる。
真実も虚構も、どちらも場合によっては大きな力になる。

「とと様、はは様、何故庭のあの方は誰にも構われぬのでしょう、
 なぜ、言葉が届かないのでしょう」

ある時そう言って父母を仰天させた。
父は分家、とは言え十条である、それが何を意味するかは良く判っていた。
特に京都から近々の傍系で、更に言えば知識人としてほど近い大和の四條院本家とも交流があり
それは直ぐに呼び寄せられた。

「…大和よりつかわされました、四條院 桜」

「同じく天野 罔象(みずは)…」

年の頃二人ともまだ数え十五と若い二人の少女が息も切らし加減ではせ参じた。
桜は四條院に流れる異人の血が色濃く出てほぼ西洋人のような姿で、
罔象は細身ながらも引き締まった、やや肌の浅黒い天野の女性の中でも筋肉のよく見える体をしていた。
正直父は拍子抜けであった、大事な娘の危機かも知れないのに、と。

しかし八千代から知らされる内容からしてもどう考えても大した霊では無い、
むしろその八千代の能力を測り、育てる事を主眼として派遣されたのが彼女達であった。
一緒に育って行けば良いと派遣されたのである。

霊を認めた後、桜が八千代に歩み寄り目線を合わせ静かに、確認するように言った。

「貴女様が見ているのは残念ながらもうお亡くなりになった人の迷える魂です、
 今から貴女様に「詞」をお教え致します、それを一言一句その音の調子も全て覚えてください」

八千代は少しだけ優しく語りかける桜に引き込まれそうにもなったが、元気に頷き
そして語られるそれを必死に覚えた。
死んだ人が何かどこかへ「帰って行く」感覚というのは知っていた。
「帰れない」魂があって、暗い何かを発して「そこに居る」という現象なのだとは初めて知る。

そして、一通り覚えたと思うと八千代はそれを唱えた。
煌々と光る指先、そして矢張りその色は青、両親も驚いたが祓いの二人も驚いた。

「そ…その光を額に、そうすれば「その人」とお話が出来ます」

「はい!」

元気よく八千代は応え、その光を我が身に宿す。
そして霊に語りかけに行った、それには桜も罔象も同行せず桜が罔象の元に戻り

「あれほどとは…」

「ああ、流石だね…十条は滅多に祓いが出ないが出たら強いという噂は本当のようだ」

そこに父が割って入る

「そんな事より、その霊には危険は無いのかい」

虚を突かれた祓いの二人だが、苦笑気味に罔象が

「あんまり長い事逝けないならともかく、あの霊は戴いた内容や今見た限り
 そう長い事はこの世にはしがみつかないでしょう、今八千代様がその心残りを聞いている
 吐き出せば昇華成仏も捗るって物です」

「そういう物なのかい…?」

「殆どはそうですよ、戦で散った命もね、そうでしょう
 「そういう役割を果たした結果」であるなら、心残りもそれほど大それたものじゃない
 …でも、時には自分の境遇に反発し暴れるのも居ます、そういう者達の祓いに
 祓い人は居るんですよ」

「…八千代も…」

「十条の親としちゃ…正直複雑な思いもあるでしょうね、でも、今ウチらが来て
 それを認めてしまった以上、申し訳ないがウチらとしてはあの子の才を伸ばしたい」

とばかりに八千代がやって来て、棚を見回したと思ったら一冊の書物を取り出した。

「とと様、少々借ります」

それはまだ八千代には早いかなと言う物であった。

「如何したんだい、今までその本を手に取った事はないのに」

「はい、あの方…君津 青堀(きみつ・あおほり)様は洋の東西にかかわらず
 広く知識を漁りましたが、広く探したが故入手が困難である物については
 ついつい先延ばしにしておりましたところ病に倒れられ敵わなかった、
 つきましてはこの本を読みたいとの事でした、
 ただ、家の中にある物は家の者…とと様やはは様の許しがなくては入られない
 それで庭に諦めきれず居たようです」

「そうなのか…、判った、でも八千代や、お前にはまだその本は早すぎるよ」

「今教えて戴いた詞、この本にも掛ければ良いと思うのです、そうすれば
 君津様も一緒に読めるでしょう」

まぁ少し方法は違うしやり方も幾通りかある、でもやってやれない訳でもない。
二人の祓いは静観する事にした。

八千代は本を持って両親には見えないが一直線に君津の元へ戻り
本の読み聞かせのような事を始めるのだが、矢張り難しい言葉が多く、詰まり気味。
でもそんな時横から君津が読み方やその意味を教えているのだろう、
八千代は新たな言葉と概念に顔を輝かせ聞き入り、また読み上げて行く。

君津の居るであろう辺りが光り始めた。
それは両親にも判る、母の手に抱かれた第二子である八千代の妹にも判るのだろう
赤子であるがその光を目にとめ見つめている。
因みに第二子には「頼(より)」と名付けられていた。

二人の祓いは少々驚いても居た。

そして八千代はその光が昇華し「逝くべきところに行くのだ」と言う事が判っていた。
それまでは、と父以外の教師として初の君津の言葉に耳を傾けた。

そしてとうとう君津の魂はその全てが昇華した。

少し残念そうに八千代は戻ってきて、

「君津様、お帰りになりました」

「そうか…そうまで知に触れたいが余り逝けなくなる…そういう事もあるのだな」

勉強漬けだった自分が今この年まで来てやっと子宝にも恵まれたがこの年まで大病もなく
やってこられた事に感謝もした、それは理屈では無い、矢張り心の片隅に神は必要なのだと父は思う。

「この十条巌、お前のような娘を持って幸せに思うぞ」

八千代は本を抱え微笑んだ。

四條院と天野の二人は正直驚いた。
「基本放置しておいて大丈夫な霊には無理強いをしてはいけない」
そういう風に教わっていたから。
でも、最後の望みを聞く、それは確かに正道だ、余程無茶な要求でないのなら。

罔象は片膝をついて八千代の目線になり

「大したお子だ、強く優しい、どうかその祓いの力、あたしらに伸ばさせて欲しい」

八千代はまじまじと見るその罔象のたくましさのにも少し心奪われるが、ぺこりと頭を下げ

「この「詞」よいものです、物と心を繋ぐなどわたくしの答えの一つになりそうです
 どうか、この八千代にお教えください」

こんな物を見させられては両親とてその意志を渋る訳にも行かない。
知識人として親を継ぐ事はもはやなさそうだが、それも仕方がないと思った。



時が流れ、男児の武士であれば元服の頃である。
天文十六年(1548年)桜の咲く頃。

この辺りには祓いがなかった事もあり、あれから直ぐ後四條院の分家が一つ越してきた。
桜の一家である。
そして、罔象はそこに一緒に住むようだった。

敷地内に多目的な施設やら、要するに先ずは八千代のための鍛練場と共に簡素な離れに罔象はあり、
特に仲の良かった桜はほぼ入り浸りであった。

このひと月ほど、八千代はこの四條院家に預けられていた。
祓い人になる八千代はこれから先も方々訪ね回る事だろう、今はその力を一刻も早くと言う事で
惜しまれつつも十条一家、夫妻と妹とあれから生まれた弟の甲(こう)、その四人は旅行にでた。

父、巌は知識人で文人である、論争は好まないが広く人の考えや解釈を聞くのは好きであった。
余りこれと言って執筆活動はなかったが、その静かで穏やかでなんであれ否定から入る事の無い
人柄はやはり偏屈が多い知識人にとっては神様仏様のような人で、そしてその蔵書、凄まじかった。
書物の収集家として、そしてその写し、時には文人や知識人が訪れてはその智を分かち合う。
巌の収入はほぼそこであった、特に誤字脱字の少ない読み物の写しは重宝された。
その伝手でそろそろ上流を意識する武家などにも伝手で顔が利き、道中の身の安全はほぼ保証されていた。



「八千代ちゃん、桜と罔象を呼んできてくれる?」

四條院家の「お母さん」はやや肝っ玉母ちゃん的で沢山の子供に囲まれつつ
今更一人増えたって何だって言うんだいと快く八千代をひと月預かってもくれていたし、
八千代の小さい頃から八千代に対して畏まる桜や罔象とは違って普通に「子供」として扱ってくれる
と言う事もあり、良く懐いていた。

日に二度、十条の家の様子を見るのとそこから本を出し入れしに行くのに戻る事を日課に
夕刻に傾いてきたその淡く橙色に染まりつつある光を受けながら座卓で勉強していた八千代は

「はい、おっ母(か)さま」

快諾し、離れへ向かった。
八千代は今この時にも幼少のように実の父母は「とと様」「はは様」と呼んでいた。
実際はもう年頃に習い「お父様」「お母様」などともう少し畏まらなければ、なのであったが
何しろ儒教的思想も「そういうのもあるよね」で受け止めつつ染まらぬ父である、
呼びたいように呼ぶのが良いのだ、とそれで過ごした。

そして地域の同い年の子供達との交流では自らの母を呼ぶ時にも色々あると知り、
「もう一人のお母さんのような」桜の母を「おっかさま」と呼ぶようになった。
それもまた桜の母「小夜」(デカ夜だけどね、とさよは豪快に笑い飛ばす人)にはちょっと嬉しかった。

小夜は初級の祓いでもあったが、早々に所帯を持ち同じ四條院(別家の)だったために
そのままどっちがどっちの家と言う事も無く過ごし、それで新たな傍系という事にし
八千代の生まれた地に引っ越し根付いた。
小夜の夫で桜の父、青柳(せいりゅう・僧侶より名付けられたため音読み)は祓いの仕事にでていた。

八千代が縁側を歩き、桜咲く庭や修練場の辺り、その春の匂いを楽しみながら離れの渡り廊下に
差し掛かろうと言う時だった。

桜の向こう、離れに二人とも居る、でも今二人は見つめ合い、心を通わせても居た。
何をや言わん、男が男に、女が女に、そういう事も「ままある」両家である。
二人は恋仲でもあった。

そして口付ける二人。

八千代はドキドキと共に少しワクワクもした。
八千代はどっちがどっちと言う事も無く「恋仲である二人」が好きだった。
「恋をしているからこそ輝く二人」が好きだった。
自分がその中に…と、思わなくもないが少なくとも端からそれを感じ入るだけで充分でもあった。
それは二人が自分の師として、そして共に祓いを磨く者として近くで過ごすようになってから
割と直ぐ判った事でもあった、ちょっとした二人の動作や仕草、言葉尻にその機微を感じた。

二人は八千代の憧れでもあった。

とはいえ、小夜の言伝とは夕食である、呼ばぬ訳にもいかない。
もうちょっと見ていたい、と思いつつ、このまま声を掛けたのでは余りに明け透けである。
八千代は少し考えて自分の右にある障子に目を付けた。

そしてそれが奥側から「今」開かれ、廊下に一歩踏み出したと言うように演じ

「桜様、罔象様、夕食(ゆうげ)に御座いますよ〜」

努めて何の気なしにそこに現れた風を整え、少し間を持ってから廊下より渡り廊下の方へ歩を進めた。
二人がちょっと気まずそうにも努めて普段通りっぽく。

「ああ、そうかいじゃあ今行くよ」

「少々お待ちください、母にそうお願い致しますね」

などと言っている、背中を向け顔だけをこちらに半面見せた桜、
知っている、その衣はまさに今開(はだ)けようとしていたところだと。

桜の餅のような白い肌、罔象の鍛えられた浅黒い肌、どちらも美しい、素敵だ、見ていたい、いつまでも。
そうは思いつつ、それが夕食の時とあっては間も悪い。

「では、お待ちしておりますよ」

と言って、アリバイが崩れぬよう障子から中に入って居間に戻る。

「…今の…絶対見られてましたよね」

桜が恥ずかしそうに洩らすと

「でもまぁ夕食じゃあ声を掛けぬ訳にも行かぬと気を遣わせちまったなぁ」

罔象も決まり悪く桜の着付けを手伝っていた。

「…あの子も可愛いんだけどな…流石に三人てのはどうかと…それに…体ばかりは大きく育ってきたが
 あの子はまだ十五(十四)、それに年下なのに何かこう…同格以上の風格もあるしさ…」

「そうですよねぇ…幾ら「こう言う事」に理解のある両家の家風とは言え、
 巻き込んでしまうのも気後れします…でも…可愛いですよね、八千代様」

「可愛いよな…」

「着付け終わりましたよ、戻りましょう」

「ああ…今夜は遠慮させちまいそうだな…いっそ巻き込むか?」

「え…いえでもそれは…」

「あの子絶対その筋だぜ」

「そうです?」

「組み手もしてるんだ、伝わる物くらいあるさ」

「そう言えば私も詞をお教えする時には多少「間」を感じる時はありますねぇ」

二人は顔を見合わせた。



夕食の後、「課外授業」と言う事でひと息ついた後呼ばれた八千代、
自習が終わった後で伺いますと、座卓に向かいつつとりあえずの一区切りを付けながら

「今宵のこの時に何やら…良いのか少し気後れしてしまいます」

八千代のこぼしに青柳と小夜は顔を見合わせ青柳が

「まぁ何か意味があるのだろう、確かに二人は恋仲だけどね」

八千代は二人の「ややも隠れるように」愛し合う姿をちょっと思い出しつつ

「知っていらっしゃるのですか?」

「あたしが産んだ子だよ? それに、祓いの四條院や天野には珍しい事じゃない、
 ただ珍しい事じゃないってだけでもなくてさ、そうした方がお互いに力も出し合える
 馬の合う関係って事さ、そっちの方がよっぽど大事、死に急ぐような力だけど
 生き延びるための力でもあるし、そこに気持ちを重ねたら百人力、そういう事さ」

八千代は深く納得した。

「確かに、そうですね、祓いにもちょくちょく赴くようにもなりましたが、
 お二人の息はぴったりです」

「それが、何より大事なんだよ、祓いの間では、
 僕らのようにそれが男女であればそこで初めて普通の妻夫(めおと)のような意味もでるのさ」

「なるほど、人である前に「祓い」が付いて祓い人、然りです」

「八千代ちゃんも立派に大きくなったよねぇ、もう何年経ったんだっけ」

「いえ…体ばかりふくれた…子供みたいな物です、まだまだ知らねばならない事が沢山です
 こちらにお世話になるようになってからは…八年でしょうか…
 振り返れば景色も見えましょうがまだまだ先は長い物です、恐らく独り立ちをしてもそうなのでしょう」

物凄く達観した少女…一応年齢ばかりは婚姻を結んでも良い年ではあるが
下限一杯の年齢などまだまだ子供だと言う事は誰もが判っている、流石文人の子というか。

「本当はもっともっとゆっくりと育てて行ければ良いんだろうね…、
 でも、世の中そうも言っていられない、体が大人になろうとした時にはもう大人と
 そういう世の中なのだよね、せわしないとは僕も小夜も思うよ」

「…独り立ち…にしては私には罔象様、竹光でしか武器はお教えしてくれません、何故なのでしょう」

「十条には伝わっていないのかい?」

「…何をでしょうか?」

「…まぁ十条と言っても全ての十条の祓いがと言う訳でも無いそうだから…それで
 罔象はいま八千代の力量を測っているのだろうね、大丈夫、その時が来たら判るよ
 …さ、そろそろ二人の元へ行きなさい」

「はい、お休みなさいませ」

八千代はきっちりした性格で、家族の間でそんな畏まる事など無いと言っても
きっちり頭を下げ挨拶などをするのである。
そのいつもの様子にも頬を緩め、両親以下、特に祓いを持たない子供達は就寝の時間であった。



「桜様、罔象様、八千代に御座います」

夕方の事を少し思い出しつつ、離れの襖の奥に声を掛ける。

襖を罔象が開けて

「入って」

そこは夜寝床になっていて、昼間は畳まれているのは知っている。
しかし今それは広げられていた。

「あの…お邪魔ではありません?」

つい、両親も公認の仲ということでつい言ってしまってから八千代は「しまった」と思ったが

「やっぱり見てたんだなぁ」

罔象の一言に桜が物凄く照れた、その照れた桜も素敵だと八千代は思いつつ

「間が悪う御座いました…でも夕食(ゆうげ)の知らせばかりはせぬ訳にも行かなくて」

「いや…いつまでも隠れるようにしてたあたしらもあたしらだよな、悪いね
 ヘンな気まで遣わせてしまって」

でもそこで八千代は鼻息を荒くして

「いえ、でも桜咲く枝の向こうに口付けるお二人はまこと綺麗に御座いました!
 ご両親もお知りなのですから、もう少し堂々とされても良いのではと思うのですが…」

「やっぱりおやじさん達にも既に知れてたか…いや…うん、
 八千代様と会う前にはさ…そういう風にはなっていたんだけど
 修行中の身であるし、四條院や天野では珍しくないとは言え、世間様じゃ
 決してそうでも無いだろう? だからついついね」

「勿体のう御座います」

八千代が半ばうっとりと片手を頬に当ててしみじみという物だから、桜が

「八千代様は如何なのです?」

「私ですか? いえぇ、良縁にも恵まれませんし、こう言う事は巡り合わせと聞きます。
 とと様も初老を越えてからやっとはは様に巡り会ったそうですから」

「巡り合わせ…そうですね」

「ところで常々不思議でありました、何故お二人は私に様を付けるのでしょう、勿体のう御座います」

「それは…」

桜が少々詰まると罔象が代わりに

「確かにあったばかりから今までなら呼び捨てても良かったのかも知れない
 でもな、年やどっちが先かは余り意味が無いんだ、
 八千代様、あんたは絶対にあたしらよりよっぽどの格上になる、そういうお方なんだよ」

「私にとってお二人は憧れです、師であり、色々な意味で学ぶべき尊い方達です」

「逆もまた然りなのですよ、八千代様」

「はいー?」

「屹度、もう幾年かも経てば八千代様こそがわたくし達の指標となるでしょう貴女様はその器なのです」

「正直、判りません、武道もまだまだでありましょうし、詞は学びましたが
 どうにも飛び詞だけは上手くなりません」

「武道については…八千代様、もう貴女様は免許皆伝してもいい頃なんだ
 でも、それには最後三人でちょっと遠出をしなくちゃならない、その前に
 最後の見極めもしたいところなんだ」

「そろ、独り立ちも近う御座いますか」

「いきなり一人ってのもなんだ、多分幾年かはあたしら三人で各所回る事だろうと思う」

八千代はほっとしたように

「然様(さよう)に御座いますか、良かった、まだまだお二人の側に居られるのですね
 ああ、でも私に遠慮はしないでください、私はお二人が好きです
 恋し合うお二人が好きです、とても輝いております、だからどうか私には遠慮をなさらずに願います」

「…やっぱり可愛いよ」

「ええ…とても…」

二人が空気を整えるように二人の会話をする。

「八千代様、これはだからある意味とても無礼かも知れない事なんだけどさ…」

流石に言うとなると少し決まり悪くなる罔象であったが、普段恥ずかしがり屋っぽい桜が

「八千代様、朱に交わりませんか」

意味を飲み込んでくると八千代の顔が一気に赤くなる。

「いえ…、それは悪いです…お二人の間に入ろうなどそれこそ勿体ない!」

「桜の枝の向こうの風景になりませんか?」

桜、なかなか誘い上手である。
ちょっとそんな事も考えてしまう、いや、確かに願っていた事ではあった。

「面倒だ、もう行っちまおう、桜」

「既に音は籠もるようにしておりますよ」

「よし」



憧れであったとは言え、物凄い夜を過ごした。
でも八千代は感動もしていた。
肌を合わせるという素晴らしさ、理屈では無い、心が結び合うような心地よさ。

「これであたしらは心は三人ひと組だ、八千代様がこれからどのくらい伸びるかによっては
 あたしらはその役から降ろされるかも知れないけど、でも確かに心は結んだよね」

罔象が八千代を撫でる、八千代は頷いた。
歴代の中では唯一「抱かれる喜び」を味わった者でもあった。
立ち位置は亜美と志茂と裕子の三人に於ける亜美のような、攻められつつ攻めるような、
攻められつつも攻めもすると言う意味では亜美に近い立ち位置。
というわけで二人分の攻めを受けた桜は完全に眠っているが…

素敵な一夜の余韻を味わいつつ身を起こす八千代、罔象は立ち上がり襖を開けると朝日が差し込んできた。
素晴らしい朝だった、離れの向こうには桜が咲いており、襖を開けた罔象の素晴らしい引き締まった
体格もまた矢張り美しいと思った。

「いい朝だな」

「はい、一生の朝です、例えこれから幾度か機会がありましょうとも」

「やっぱり、可愛い子だな、八千代様、色々落として朝稽古行こうか」

「はい!」



朝稽古の後には朝食(あさげ)、それはもう三人ともよく食べた。
心は一杯に満たされたが明け方まで激しくしていた事もあり、とてもお腹が空いていて
そして余りの気分の良さに朝食もまた美味しい!
何があったかは余り深く追求しないとしてその様子に夫婦は頬を緩めた。

「…これは三人にやって欲しいかなって思う仕事があってね」

朝食の後、青柳が三人へ書状を出した。

「「そろそろ」と言っていた試験にはちょっと重すぎるので…三人で…
 その働き内容によっては八千代もそろそろ一人前、そういう「仕事」なんだ」

三人にちょっと緊張が走る

「と言う事はこれがもし順調に終われば…」

桜が言うと、青柳は頷き

「いよいよと言う事だ」

その言葉に少し厭な予感を禁じ得なかった八千代は必死に

「何がですか、私一人で独り立ちしろと言う事ですか?」

青柳は可笑しさをかみ殺しながら

「そう言う意味じゃないよ、でも先ずはそれを越える事なんだ」

こうして、八千代も一人前に向けて後一歩というところに立った。


第一幕  閉


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