L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE:TwentyOne

第一幕


北海道の春から秋は駆け足に、既に平地でも紅葉の時期で初雪すら
いつでもあり得る、と言う時期になっていた。

祓いの弟子や孫弟子達…中高生の皆も、焦るでもなく、でも一歩でも進めるように
それぞれがそれぞれの範囲で出来ることをしていた。

まぁそのような中でも矢張り裕子とその学友、そして子辺りは
結構本格的になってきたのだが…
子の家のレストランも開店し、割りにリーズナブルと言うこともあり、
四人は臨時で開店からしばらく、そのうち光月が継続してアルバイトを
するようにもなっていた。

開店から少し経って客の入りも落ち着いた頃、既に裕子達がひいきにしている
と言うことで根岸女子校放課後憩いの場としても賑わっていた。

がっつり食べてゆく訳では無いがそこを縁に客足を集めたり、
レストランとしても固定客を望めるかも知れないわけでWin-Winという奴だ。

光月が休み時間を貰って三人のテーブルに合流し

「すっかりウチの学校の放課後タイム専用だね」

長兄の地黄は厨房で主に、子は問答無用で手伝い、末弟の彼は
何だかんだ理由を付けてはサボりたがっているようで居ない。

「栄和君、どうなるのかな」

蓬がちょっと心配になって呟くと光月が

「仕方ない気もするな、一種反抗期なんだと思う。
 あとは…少し逃げたがりな感じも受けるけど…本人の自覚がないと
 指摘するばかりじゃ意固地になるだけだからねぇ」

丘野も同調して

「そうだね、兄弟も私が高等部になってから寮に移動してやっと
 家事とか少しやるようになったくらいだからなぁ…」

それに蓬が

「馬鹿やらかしたい時期なのも、寿が居るし、寿と仲いいみたいだから判るんだけど
 祓い抜きでも余りいい影響ないと思うんだよね、寿はまだ他にも
 若い組の人とも仲いいから抑止になっているけど」

「本人はそれでいて真面目なつもりなんだよね、考えることや行動することを
 放棄して、でも真面目に悩んでる積もりってだけなんだよね、不味いよねぇ…」

裕子は紅茶を飲んでケーキを突きつつ

「…でも叔母様は敢えて本人に全てを任せるお積もりのようです、
 わたくしたちがここで気をもんでも、どうしようもないことですわ
 さすがにわたくしどもももう余り余裕はありませんし」

「裕子さんと丘野が北大で…私はそこまでは…と言う感じだから割と近場で
 と言う気で居るけれど、光月は?」

「私は警察学校に入ろうかなって」

ええっ、と裕子達のテーブルで声が上がる、少し注目されてしまう。
丘野が少し恥ずかしそうにしながらも

「と言うことは…配属はともかくとして、いつかは…」

「うん、警察内で祓いが居るって言うのも悪くないかなって
 子も誘って置いたんだ、一年ズレるけどね」

キャリアではなく下っ端から警察として積み重ねていつか特備配属を
目指すと言うようである。

「本郷さんもあやめさんも流石に人事権はないでしょうし…
 でも確かに理想的かも知れませんね、叔母様やわたくし、葵クンのように
 例外的に権限が…という事も要りませんし」

「前代未聞だろうけど、やってみたいんだよね」

「素晴らしいですわ…わたくし上手く行ったとしても25歳まで
 拘束されますしねぇ…」

蓬も紅茶を飲みつつ丘野へ

「丘野は考古学だよね」

「うん、自分の能力に関わることでもあるしね、医学部に比べたら…
 でもどうかなぁ、あっちこっち回って採掘とか色々調査しなくちゃ
 ならなくなるし、半端に忙しいかも」

「その後も研究者として?」

「うーん…考古学って難しいんだよね…、基本お金を生み出せるような物じゃないから
 だから…知識や技能としては勿論私にとって必須なんだけど、
 将来となると…どうなるかなぁ」

彼女達にも矢張り色々人生の岐路について悩むべき時期に突入していた。



「キセルで刻み煙草とかまた何とも高尚な趣味が出来たモンね、弥生」

まだ仮病棟とは言え北大「ワケあり」病院の休憩スペースで
先ずは一服という弥生がキセルで煙草を吹かし始めたのを間近に
呆れ返った竹之丸がそう言った。

「これは特別よ、いつもそれなりにアポ取ってからの貴女が
 緊急ではないけどとにかく確かめて欲しいなんて、絶対何か大切なことだわ」

竹之丸も煙草に火を付けながら

「それで煙管の煙草?」

「四代スタイルの踏襲で形から入ってみた、キセルは四代が使って居た物なのよ」

「ああ、そういえば四代の資料も入ったんだっけ、丘野何も言ってくれないのよね」

弥生はフッと微笑んで

「全員で一斉にと思っているのかもね」

「時々フッと気になっちゃうんだよね、初代から三代まで壮絶だし
 しかも場所が今の玄蒼市、こことは少し勝手の違うところが舞台なんだもの」

「情報の取捨選択を少し手伝ったけど、平和なモンだったわ、
 勿論それ以外の歴代と比べて、という但し書きは付くけれど」

「ふーん…でもそれはそれでどんな人生だったのか気になってしまうわ
 なにせ祓い人で稜威雌の所持者なんだからさ」

「うん、私も気になる、概要は稜威雌から聞いたけれど、やっぱり資料と
 丘野の読みが稜威雌と交わると生々しさが全然違うって先代の話
 改めて読んで貰って熟々思ったからなぁ」

「あんたが如何に先代の影響受けたかも良く判るわ」

「直接の師匠だしねぇ、先代の美学は一部引き継がれているしさ」

「あーもうそれは凄いビンビンきたわ、三代以前は「受け継いだ」だけど
 先代に関してだけは「仰ぎ見た」って感じ」

「ズタボロに為って「ヒグマの形をした災厄」を倒した初代に対して
 脇腹一つで済んでいるし、地味に洗練されているのよねぇ」

「個体としての差はあったにせよ、確かに…さて…そろそろいい?」

弥生は最後に一服で鼻腔に匂いをくぐらせ、いい音を立ててキセル内の吸い殻を落とし

「よし、行きましょ」



色々機器の並ぶ検査結果を総合的にデータ化する部屋という感じの所で
竹之丸は脳波計と心拍計で測ったもの、と言って一つのデータをモニタに映す。

「この心拍と脳波は大宮 珠代さんのもの、以前から計測はされていた。
 彼女は元々外傷などないんだから遷延性意識障害…植物状態ではない
 でも意識は回復しない、持てあまされてこっちに回ってきたわけだけれど…」

「…原因は分かるのよね、私の到着が少しばかり遅れたことによって
 両親を失って「あわや」って所まで来てしまったが為…」

「そこで貴女の意見が聞きたい、この脳波…ただのノイズでも、
 意識が回復して居るわけでも無い、近い状態は「眠り」だけれど
 ただの眠りでもない、起きないわけだからね、半年近く」

「若しかして夢を見ている…?」

「夢に近い形で記憶が再生されているんでしょうね、そこでこの脳波なのよ、良く見て」

竹之丸が情報を圧縮してしまうと余りに波形が荒くなることから
ある程度抑揚の判りやすいようにされたことでスクロールバーで
スライドして見ないと判らない。

「丸一日分、全部見なくても意識が深く落ち込んでいる時間の次に来る次の心拍と脳波…」

その三つ目まで来て弥生が違和感を憶えた。

「…二周目から特徴的な部分が似てるとは思ったけれど…若しかしてこれ」

「そう、これは完全にループしている、彼女は毎回同じ悪夢にうなされ、
 同じ場面で深い昏睡に陥っている」

弥生が深く考え込んで

「ねぇ、マル…後ろ五分くらいの心拍と脳波見せてくれないかな」

「ん、判った」

竹之丸の操作でその部分だけ拡大されモニタに示される。
弥生はその意識を後ろから辿って行っているようだ。

「…心当たりが?」

「本人が昏睡な以上は「若しかして」レベルだけれどね…、葵クン呼んでいいかな」

「あたしは構わないけどそれ葵クンに聞くべきじゃない?」



「緊急でないとは言ったけど、弥生さんの言い方だと直ぐ来て欲しいって雰囲気満々
 だったからもうすぐ終わりだったけど抜けて来ちゃったよ」

葵がちょっとシケたツラをしてその部屋に来た。

「悪いわね、葵クン、でも緊急じゃないけど物凄く大事なことなのよ」

「うん、どうしたの」

「葵クン、記憶を呼び起こしてね、貴女が大宮珠代さんの部屋に入って
 カズ君が部屋に押し入った直後まで」

ここに来て葵にも事態の重要さは理解した、真剣な表情で頷き

「ボクが窓の鍵を外して中に入って直ぐだったな…珠代さんはそれまで
 固まって怯えていたけど、カズ君が階段を上がってくる音と勢いで
 どんどんパニック一歩手前になってカズ君がドアをこじ開けた時には
 もう完全に動けない状態、余裕ゼロ、緊張MAXって感じだった」

「…昏睡に入る直前の心拍と脳波…時系列に沿って大体合っているように思えるわ」

「とすると、その前にもちょっと反応あるけど、これはボクが窓叩いたところ?」

「あくまで「かも知れない」なんだけれどね…
 …とすると…タイミング的にも…その数秒前…この時一瞬心拍数が
 落ちている箇所は…私が外から声を掛けた場面…?」

そこへ竹之丸が腕組みをしつつ難しい表情で

「どうやら、可能性として弥生を呼んで正解のようだね」

「大体一つのループで何分くらいなの?」

弥生の問いに竹之丸が

「三十分ってところかな、おおよそ」

「というと…現場に徒歩で着くまでと、車で到着、急行、準備、電話…
 全てを逆算して「いよいよ自分に危機が迫っていると確信した時から」だわね…
 半ば辺りの所から二分程だけやや心拍の跳ね上がりに抑止が掛かっている…
 ここが電話を受けたタイミングだわ」

「弥生さんが「一秒でも長く生き延びることを考えて」って言った辺りって事だね」

そこへ竹之丸が

「でもだとすると何故三十分なんだろう、自分に危機が迫っていると
 何故判ったんだろう」

弥生は考え込んで

「…そこは目を覚まして証言して貰うほかはない、
 カズ君は悪魔を乗っ取ってデビルマンになってから先ずは復讐に回った。
 深い意味は理解できずとも自分を腫れ物扱いしたり、
 あからさまにイヤな目で見たりしていた近所への復讐…、
 粗方満足して遂に最終目的の珠代さん…とまぁカズ君側は
 あの動きからこう理解できるんだけれど…」

「珠代さんのは無理?」

「あくまで仮説よ、二つのルートがある、やや苦しいのも入れると三つ、
 三つ目から行こうか、カズ君は重度の知的障害、殆ど普通に理解できる
 単語は発せなかった、ただ、だからこそのその声が「近づいてきたから」」

弥生は間を置いて

「二つ目と一つ目は割と濃い線、三つ目も含んで複合要素かも知れない。
 ストーカー一号君が、彼女に危機を伝えたか、
 彼女自身が窓からでも近所を破壊し尽くして真っ直ぐに大宮家を見据え
 目指してきたのを目撃した…目が合ったから」

「なるほど、単体ルートも複合ルートも、どっちにしても確かに、
 でもやっぱり「目が合った」が濃そうだな、ただのカズ君じゃない
 何か理不尽な破壊に変貌したカズ君とね」

葵もそこで

「うん…「目が合うこと」って言うのは確かにそうかもしれないね」

弥生が珠代の脳波・心拍を見ながら

「詰まり彼女は今なおカズ君に追いかけられているわけだ」



集中治療室…とまでは言わないが専用の病室で半年ぶりに大宮珠代を見る二人。
葵が痛ましそうに

「凄い肉落ちちゃったね、可愛そう」

「あれだけ激しい悪夢に苛まれながら、肉体として殆ど反応がないみたいね」

葵、弥生と来て竹之丸が

「あのさぁ、初代の時八重は「恐怖」を祓うってやってたよね、あれは使えないの?」

「あれって相手に意識があって立ち向かう意志があってこそなのよね…
 今この意識もなくただ追い詰められた魂にそれをやると…
 下手したらそれこそ植物状態になると思うわ…
 あるいは、それによって目覚めたとしても記憶障害が残る」

「そう言えば覚醒状態の人にしか使ってなかったな、成る程…
 寝ている…ましてや昏睡状態でやると色々引っぺがす可能性があるか…」

「それで、ここからどーするの?」

「今日今すぐ…やれると言えばやれるけれど…結構な大きい音出さないとならないなぁ」

弥生の言葉に竹之丸は

「…ん? どういうこと?」

「恐らく耳は聞こえると思う、祓いの詞も届くとは思う、
 でもただそれらしいタイミングで言うだけではダメで…」

「夢に割り込もうって算段かな?」

「ここぞというタイミングで…そう、私が「大宮さん、来たわ、窓を開けて」
 と言ったから…そこから先を音と共に演出しながら、彼女の夢は
 扉を開けるところまでで終わっているのを「その先」まで持って行ければ…」

「なるほど、弥生が助けに入ったってトコロまで持って行ければ
 少なくともループからは脱せるかもね…上手く行くかどうかは…
 やってみるしかないか、病院だけに音も声も控えめだったし
 意識を少しずつ外に持って行く…祓いも併用できる?」

「そのつもり、私が声を掛けるところから少しずつ…」

「うん、それしかなさそう、少なくともループを脱する方法は」

「もう一つ割り込む方法あるんだけどそっちは危険なのよね」

「というと?」

「私と葵クンの精神というか魂の半分くらいを実際に彼女の世界に割り込ませて
 …でもやることは同じ、本物の私と葵クンが介入するって言う違いだけ」

「…そっちの方が患者の負担は少なそうだけど、もしもを考えたら危険この上ないな」

「そーなのよねー、下手したら夢の中の「絶対恐怖・カズ君」と戦わないとならない」

「武器の持ち込みは?」

「できる」

「でも患者もしものことがあると…」

「銃はまぁ…どうとでもだけど…稜威雌には凄いダメージが…」

「やだなぁ、アタシ責任重大だよ」

「医者としては患者の負担軽減よね」

「でも貴女や葵クンだけならまだしも七百年紡いだ稜威雌まで巻き込みかねない
 となるとあたし個人として絶対ヤだ」

「先代がこの方法で中に入らないとどうしようもないって祓いをやってるのよね
 見ず知らずの人で事情は聞き込みなんかから集めてそれしかないって感じで」

「上手くは行ったようね、その様子だと…まぁ最後は知ってるから上手くは行ったか」

「凄いギリギリだったみたいだけれどね、丘野に読んで貰ってない箇所だから
 私も余り深いことは知らないし、稜威雌も全てを細かく覚えているわけ
 じゃあないからねぇ」

「う〜〜〜〜ん、今回は心拍と脳波の記録があって状況は「高い可能性で」
 判明しているわけだし、衰弱しているとは言え健康上に問題があるわけではないから…
 矢張り外界から手を差し伸べる方向で行きましょうか」

そこへ弥生が人差し指を立てて

「用意しなくちゃ行けない物は音と…カズ君役」

「そこまで病院の負担? ちょっとした騒ぎを起こす許可くらいで精々よ?」

「うーん…あまり女子高生組に負担掛けたくないしなぁ、蓬ちゃん抜きで
 後~会の皆さんにご協力給おうか…」

「特備は?」

「いや、欲しい音がありそうとなったら建築やってる後~会がいい」

「欲しい音というと…なるほど、木造の階段を上がる音と、
 ドアの音が必要か、一番大事な場面だし、必要かもね
 その経費、特備に掛け合ってみなよ、彼女の費用面は今特備があの辺から
 国庫にナイナイされる分から唯一の生き残りって事でそこからになってる」

「おーけぇ」



そこから弥生は葵と二時間ほどあっちへこっちへ走り回り、
準備をしつつ、カズ君役だけがどうしても捕まらない。

しょうがないので無理矢理研修生を引っ張り出してきて重りを付けて行く。
研修生はもう涙目で

「こんなん、動けませんよぉぉおお」

「我慢してくれる? 上手く行けば直ぐ終わるからさ」

竹之丸も少々申し訳ないなと思いつつ、150kgほどだというカズ君の「重さ」が
再現されるように研修生に容赦なく重りを付けて行く。

「いや、ホントこんなの、動けないんですけど…」

そこへ葵が

「頑張って二歩くらい歩いてくれるかなぁ、あとは声出さないように倒れてくれれば
 ボク支えるから」

「え、君が?」

甚だ意外という表情をするので葵がついムキになって

「150kgくらい持ち上げられるよ」

と言って彼を重りごと持ち上げる。

「150kg…ぐらいって…」

彼が戦いたところで弥生が慌てて

「あ、葵クン! 降ろさないで、そのまま降ろしたら彼の足か腰言わせるから!」

弥生が慌てて研修生の彼へ身体能力向上を掛ける。

「ゆっくり降ろしてあげて、それでもダメそうならもうちょっと強いの掛けなくちゃ」

「えー、耐えられない物かなぁ」

「葵クンは特別なのよ…一瞬支えるだけならトン単位なんて人間普通居ないし
 祓いにもそこまでのってほぼ居ないから、私の知る限り御奈加くらいかな…」

「そうなんだ、じゃ…ゆっくり…」

勢いで持ち上げただけでは無い事はその本当にゆっくり降ろす様子で分かる。

「いやぁ、葵クンは大したモンだわ、こういう力を出す時と日常で使う力使いを
 完璧に使い分けてる」

「あ、それはボクが力を付けだした辺りで弥生さんにも結構訓練して貰ったの
 最初の頃は今まで固いとか重いとか思っていた物がヤケに軽く柔らかく感じて
 加減難しかったんだ」

「卵を段ボールで買い込んでね、担いで移動させた上で
 一個一個綺麗に潰さないように割って行く…みたいなね」

「なるほど、それは豪快さと繊細さの両方が試されるね、でも卵三昧だわね」

「なに、あの卵三昧の日々も過ぎてみれば思い出よ」

ふっ、と弥生が遠い目をする。
それこそひと箱数百キロみたいなのを二つ担いで…とか失敗しつつやったのだろうから
それはそれは卵三昧だったのだろう。

「あーボクあれでオムレツとかオムライスとか卵使う料理だいぶ鍛えられたんだよねぇ」

「お陰で「当分見るのもイヤ」くらいで済んだわ、半年くらいでどんと来いまで復帰」

「そしてまた卵大量に食べたモンでそんな立派な躰になったか」

竹之丸が降ろされる研修生を誘導しながら言うと

「卵も影響あるかな」

弥生がそこへ

「成長期初めのスタートダッシュには充分すぎる量だったと思うわよ」

研修生を降ろすと、思ったより体が軽く感じた彼が一歩二歩動いてみる。

「あ…ギリですけど動けます」

そこへ竹之丸が

「まー初代ゴジラスーツアクターなんて着ぐるみ一号は150kg行ってて
 やっぱり殆ど動けなくて上と下に切って別々の演技で使ったって逸話もあるからねぇ」

「中島春雄、ミスターゴジラねぇ、軍で訓練して終戦後は日本初の本格スタントで
 ならした彼ですら、だからねぇ」

スッと濃い会話になってしまう。
何気なく止まった間を裂いて研修生君が

「で…その、一二歩走って倒れ込めばいいんですか?」

「そこでここからがミソなのよね、患者さんの心拍と脳波から
 ある特定の箇所から指示通りにして欲しいのよね」

「ある特定の…ですか? それって何か夢の状態がループしているとか」

「お、いい勘してるじゃない、重り分の体力は私も手助けするから
 ちょいと協力してよ、終わったらご飯おごるわ」

そこへ竹之丸が

「病院全体巻き込むんだ、全員分の土産くらいおいてけー」

「外からの割り込みを選んだのはマルでしょぉー、二人で奢りって言うならいいわよ」

確かにそうだ、竹之丸は演技っぽくはあるが苦虫を噛み潰したような表情で

「おーし、酒だってじゃんじゃん追加するわ」

そこへ研修生君が

「あ、自分酒飲めないんで…」

「えー、それは何、体質的に?」

「全くダメってワケじゃないみたいなんですが…」

「んー、それは人生損してる気がするなぁ…まぁ今時そういうの煩いからしょうがない」

「あのそれで…いつ本番なんですか」

そこへ弥生が腕時計を見つつ

「出来れば日が落ちて…直ぐくらいが有り難いかな…気温は…いい感じ、
 出来れば雪降って欲しいけど、流石にそればかりは何とも言えないか」

竹之丸も懐中時計を見つつ

「…音響トラックも作らないとだよ、キッチリ脳波に合わせたタイミングのさ」

「ガイドクリック要るかしらね」

「無いとキツいと思うな、心電図からその辺りのタイミングも作るか」

なんとなく繰り広げられる二人の会話に葵が

「なんか判らないこと話しているよ」



午後六時、もう外は暗い、そして冷え込んできた。

「すっげぇ急ごしらえだけど音響は別室で調整しての移動…無駄に5.1chサラウンド
 数々のSEもイコライザやエフェクター調整の上デジタル出力…何で急ごしらえで
 ここまでやっちゃえたか…」

セッティングしつつ竹之丸が呟く

「家から機材持ってきたからねぇ、相当自然なSEトラックになってるはずよ、
 ガイドクリックはワイヤレスイヤホンで各自聞く…と」

弥生も手伝いながら大宮珠代の病室に機材が静かに持ち込まれセッティングされて行く。
ガイドクリックとは機械が一定のリズムを刻むメトロノームによって
音楽のテンポや曲の展開などを案内するものであるが、この場合のクリックは

「これは心音だね、ガイドクリックってこう言うことか」

葵が音を確認しながらそれが大宮珠代の心電図から作られた物だと知る。

「これも彼女はほぼループしている、流石に体調に依りけりな部分があるから
 本物の心音と場面を重ねてシンクロさせたうえで微調整をしながらでないと…
 あたし医者だよな、なんで舞台音響みたいなマネしてるんだ」



研修医君が

「山手先生が決められたって聞きましたけど」

「…そうなのよね…、もう、この上ガイドクリック越しに指示までする監督でもある訳だ」

「頼むわ、余り大勢を巻き込むわけにも行かないし業務止めるわけにも行かないし
 マル以外大宮さんのモニタリングで看護師とか本業で、後は出演者だからねぇ」

「これで本当に上手く行くんですかぁ?」

「勿論ただ音を鳴らして実際の声と状況を外から被せてってだけじゃないはず…
 でしょ? 弥生」

「そりゃぁ勿論、あの時の記憶から私は祓いで空間作りとかもして
 私や葵クンの声や音は全て祓いを載せて彼女の耳に伝えるわ、まぁ任せて」

葵は制服から「あの時」着ていた服に着替える。

「あ…そう言えばボク靴のサイズ合わなくなって同じデザインだけど替えちゃったんだよね
 大丈夫かな、1cmの差はどのくらい響くだろう」

「それだけじゃなくて葵クン身長も伸びてきてるからね、あれから半年、
 いやぁ、成長してきたわ」

「身体測定が二年になって割と直ぐだったから今の身長良く判らないや」

「4・5cmは高くなってるわ」

「ホント? だったらいいな♪」

竹之丸も脱線して

「おや、葵クン、何センチになりたい?」

「170にはなりたい!」

「ほうほう、それは弥生との釣り合いか」

「うん!」

「いいねぇ、今のペースだと高三くらいまでには達成するかも?
 まぁこう言うのには波と個人差もあるから突然伸びたり止まったりもあるけど」

「175より上にはなりたくないな〜」

「逆に160くらいで止まる可能性もゼロじゃない、頑張って背を伸ばしな」

「頑張って伸びるなら今すぐ伸びたい!」

そんな無駄話の外で看護師さんが物凄く冷静に

「悪夢、始まりました」

弥生がそこで冷静に戻り

「よし、ガイドクリックは開始から三つ目の大きな波からスタートするように
 なっているから…マル、タイミング調整お願いね、葵クン、下に降りるわよ
 研修生君も所定の位置で待機」

「あ、はい…」

何か音楽的な才能があるのか、竹之丸はガイドクリック開始から数拍で
ほぼブレのない状態に持って行き、階下の外で待機する弥生や葵にもマイクで

「今貴女のシナリオだと丁度電話が終った辺りだと思われるわ、
 祓いで領域指定やら音響の最終調整宜しく」

「任せて」

弥生が詞を唱え始め、それらが展開されて行く、
祓いを持たない人にもなんとなくほの青い領域で大宮家の間取りに近い空間が
作り上げられているのが判る。

「…そろそろだよ、スタンバイ」

竹之丸の声も流石に慎重になってきた。
一応心電図、心拍数、脳波から取ったデータで0.何秒単位もズレては居ないと思う、
ただ、完全にシンクロさせるのは夢そのものが見られない以上ほぼ不可能、
上手く行って欲しい、弥生も葵も真剣になりつつも、あの日、
割と軽いノリだったあの人思い出して邪念を払った。


第一幕  閉


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