L'hallucination ~アルシナシオン~

CASE:TwentyThree point Five


順調で幸せな日々が一転して地獄のような展開。
夕方に合流して色々買い込んできた裕子、葵、そして亜美と志茂が愕然と
稜威雌からの涙の告白を聞く。

稜威雌はこんな冗談を言う人では無い、弥生もこんな冗談をする人では無い。

その魂は滅んでなく、まだ世界のどこかを駆け巡っているとして
法的には亡き者にされてしまったのだ。

裕子は堪らず弥生のPCに駆け寄り弥生が稜威雌に残した「忠告」を受け止めつつ
今にも崩れそうな心で弥生の「体が眠る」ドライブを特定し、PCの電源を落として
それを外す。

堪えきれない涙でそれを抱えて泣いてしまう裕子。
葵も亜美の胸で泣きつつその亜美も志茂も泣いている。

埒があかない、一番最初に冷静に戻ったのは既に刀に戻り「元の神」に戻った稜威雌だった。
力を振り絞り葵を呼んで、稜威雌を持って貰い葵の体を共鳴体にして祓いを通し
祓い抜きでも周りに響くよう

「とにかく、皆様何かこの事態を打開するような心当たりはありましょうか」

そんな時、弥生の住居側ドアが開き、あやめが駆け込んできた。

「さっき、弥生さんからメール来たんですけどこれ、本当ですか!」

文面にはいつもの弥生の如く
「ドジ踏んで私デジタルデータ化されて今追っ手かわしながら魂だけの状態で
 あちこち逃げ回ってて、取り敢えず家に行ってくれないかなぁ」
と言う物だった。

稜威雌の声が響く

「本当です、目の当たりにしたのは私だけですが」

「稜威雌さん、色々判明するまでは取り敢えず箝口令敷きます、
 何か色々伝えられてませんか」

流石あやめだった、心中穏やかではないだろうに、「今できることは何か」を
必死に遂行しようとしている。

法的に「生きてない状態にされた」訳だからと遺言書のことや元兇には触れぬ事など
一通り伝え、

「まさか…こんな事になるなんて…」

稜威雌も矢張り気丈に振る舞っただけで直ぐ涙に暮れそうになる。

「裕子ちゃん、貴女なら直接玄蒼市に連絡付けられるよね? お願い出来る?」

あやめの指示、なるほど玄蒼市なら…!
裕子は藁にもすがる思いで電話をかけ始めた、その際あやめにデータドライブを
「これが今叔母様の体です」と言付けて。

裕子の電話を待ちながらあやめは葵に

「弥生さんがパソコン関連の物を締まってるのどこかな?」

と聞き、涙ながらに葵はそこに案内すると、あやめはそこから何かを取りだし

「流石弥生さんだな…、いざという時の新品も確保、移動もオフラインで出来るように
 なっている…」

そんな時に事務所に電話が掛かってくるも、冷静に出られそうな人が居ない。
あやめが代わりに出て、応対する

「はい、十条探偵事務所…」

『うん? 裕子ちゃんでも葵クンでもないのね? あやめって人?』

「あ…ええと…そうですけど…あ、ひょっとして「普通の仕事」を回してるって言う…」

『あー、軽くは話して置いたって言ってたけど、その通り。
 アタシは海老名めぐみ、その名も海老名調査社の一応所長やってるの、宜しくね』

「あ、はい、宜しくです…と言うことは弥生さんから本格的に普通の仕事全部任せる
 と言う連絡ですか?」

『そーなの、急に電話掛かってきて「時間ないから」って要件だけで
 詳しいことはこっちで誰かに聞いてって、どういう事?』

この海老名さんとは縁の外側ギリギリの人なんだ、という思いをあやめは思い出し

「かなり厄介な事件に巻き込まれまして、長い間席を外さないとならない事態なんです
 それもいきなりな物ですからこちらもビックリで」

『なんか物凄くヤバい事に巻き込まれた?』

そこでスッとあやめはひと息ついて

「いえ、考えられる…中では最悪のケースだったと思いますが、弥生さんにとっては
 誤算ではあっても予想外と言うほどでは無かったと思います、
 勿論貴女に飛び火などはさせませんよ」

『そう? うんまぁいーんだけど、あの弥生がそこまでの何かって気になるなぁ』

「そこは絶対に突かないでください、わたし道警警備部から中央署に出向の身ですが
 富士あやめ警部補と言います、この件に関しては絶対に探ろうとなさらないでください
 それこそ類が貴女に及んでしまうと、ひたすら弥生さんの弱点になりかねませんので」

ドきっぱり言った、でもそれは正しいことだ。

『…そこまでか、警察の火消し課までそう言わせるほどではあるンだ、判った
 アタシは絶対にそこまでは踏み込まないし、ドンドン普通のはこっち寄越して
 でも、普通じゃないのはどうするの?』

「そこはしばらく特備直通になりますね、穏当に大事にならないように…
 という願いはある程度課の特性上叶えられますのでその線しかないかと」

『結構キレる人だわ、弥生がそっちへ寄越したって理由も分かる、じゃあ
 あたし自身はここまでね、で、弥生が戻る目処は?』

「…そこはまだ、立っていません」

『そっか…ん、ま、判ったわ、上手く行くことを祈る』

「はい、そうしてください」

丁度その頃接続を何度か繰り返す専用回線で裕子の携帯が通話になる

『どうしたの? 裕子、貴女の方から直接あたしになんてただごとじゃないって
 言っているような物だわ、冷静に状況を説明出来る?』

裕子は心を乱し加減で息も荒く、今にもまた涙に溢れそうであった

「変わろうか?」

入れ違いで終わった事務所の受話器を置きながらあやめが裕子に言うと
裕子は深呼吸を何度かして

「百合原様、叔母様が敵の罠に掛かり、デジタルデータ化されて
 諸共ネットの世界で刺客が待ち受ける状態に晒され、
 機転で体だけのテータと魂のデータを分け、今叔母様は世界中のネットや電話、
 いえ、通信形態にはよらずありとあらゆる方法で戦えない分素早く逃げ回ることで
 時間稼ぎを余儀なくされている状態にあります…」

電話向こうの瑠奈もかなりの事態であることに少し間が開き

『そりゃ、厄介だわね…理由は幾つか在るんだけど、
 人間をデジタルデータ化するだけでもまず大変なのよ、コピペくらいならまだしも』

「…そうですか…でも…そうなりますと…悪魔というのは…」

『流石勘も鋭いわね、貴女も探偵稼業に向いているかもよ
 実はこれ地味に「よくよく考えたら七不思議」な事なの』

「七不思議…? あ、スピーカーホン…音声をブルートゥースのAIスピーカーに…」

『そうして、その場に何人か居るようだし』

作業の間裕子ももう少し落ち着くべく深く呼吸をしつつ、居間の方に戻り

『これはあたしが去年四月に出くわした事件から端を発していてね…』

百合原 瑠奈によると、玄蒼市で「外から来た人物が殺された」時に
その煽りで巻き込まれた一般の「外の」人が居て、半ば保護しつつ
事件に突っ込まざるを得なかったこと、その結果としてその人物は
国土交通省特殊地域課にスカウトされ今は担当になっているけれど、と来て

「それが凜ちゃんかぁ、確かにいま百合原さんが言っていたような事件を言ってました」

『貴女がでは弥生の担当のあやめって人ね、凜の従姉妹の』

「はい、そうです、でも細かいことはちんぷんかんぷんだったって」

『そりゃそうよ、目の前に起こっていることを理解するだけで精一杯だと思うわ
 それで七不思議というのはね、そもそも1987年、今より非力なCPU、少ない記憶容量、
 少ない通信量、そんな状態で果たして悪魔なんて「いち生物」を完全に
 記録再生出来る物なのか、とまぁとある人物に改めて問われてね
 言われてみれば…確かに時代の流れで上がって行く性能で色々悪魔に関して
 出来ることは増えていったけれど、それだって生物一つ分にはあまりにデータが軽い』

そこへ裕子が

「やはり…何かがあるのですね」

『オカルトの領域だけどさ、「アカシックレコード」ってあるじゃ無い
 古今東西森羅万象ありとあらゆる記録があるっていう…それその物とは言えずとも
 今この世界…玄蒼市でも魔界でも外でもいい、そもそも外で起きた出来事だし
 それに似た…データベースがあって、それも時代に合わせてどんどん更新…
 新たな悪魔の登録やその育ち方と言った部分まで…「どこかで誰かが」
 やっているのではないか、という仮説に行き着いたのよ』

「悪魔のデータベース…」

裕子は呟くと

『そう、悪魔召喚プログラム自体基礎部分はいじれない仕様、
 一文字でもどうにかしようものなら機能しなくなる物なの、何処の誰がそこまでしたのか
 なんのために…? 判らない事だらけよ、ひょっとしたら日本その物に根付く
 …ええと「禍の領域」でしたっけ、そっちにも絡んで物凄く複雑に
 作用している物なのかも知れない、とにかく一つの生物を無圧縮データなんてとても無理
 圧縮データにしても今は何とか為ったとしてもあの当時では無理、
 一体誰が何処になんの目的で?
 そのサーバーを運用していることになるわ』

あやめがそこへ

「かなり不味いですね…でもそれ、凄くニュートラルな人が管理してないとおかしいですよね」

『矢張り凜の従姉妹、貴女もいい勘だわ、利害の有無関係なしに誰かが無償で
 正しその力をどう使おうと召喚者の心一つに任せて運営していることになる』

「ひょっとしたら…政府のどこか機関…公安特備は有り得ないでしょうから
 何かもっと特別な省内庁があるのかも知れませんね…」

『玄蒼市にしたって悪魔召喚プログラムは元々「流れてきた物」だからね
 通信手段も謎、でもどこか悪魔のデータがあるサーバーに照会することで
 現実に悪魔を呼ぶことも出来る…その原理までたどり着こうという状況に
 当時の玄蒼市はなかったのよ』

「やっと悪魔に対抗するための手段を一つ手に入れた…と言うところでしょうからね」

『そ、盲点中の盲点だったのよ、ただやっぱりこれも…探るには色々と既に壁があってね
 少なくとも去年の事件の段階ではもう完全に立ち入り禁止案件』

「つまり…そもそもどうやって悪魔の基礎データをデータベースにしているか…
 そこが不明であるために今回の弥生さんに掛けられた罠は…」

志茂が推理すると瑠奈が

『そう、そもそも「何をされたのか」が判らない状態なのよ、さっきも言ったけど
 AB地点間でコピーペーストくらいの事は出来る、でもそれには多大な電力や
 性能も必要なのよね、メモリから何から特殊な物も使わないとならない
 それはでも玄蒼内での技術だから外で応用は出来ない、これは翻訳も不可』

そこへ涙声の葵が

「翻訳も出来ないって…どうして?」

『そこは…魔界が普通に影響及ぼしていて魔術が普通にあってって世界でこそ
 出来る「簡単な作業」なのよね、でも誰もその原理までは探らなかった
 使えればそれで充分良かったからね』

そこへあやめが

「バックアップ一つ終了…どうしましょう、玄蒼市の方でお渡ししておきます?」

『あっても圧縮が詞を使った弥生独自の物…って言う枷があって…しかも翻訳も必要な
 こっちにあっても果たして意味があるか…』

そこへ、向こうの瑠奈の奥から話を聞いていたのだろう低めの女性の声で紳士口調の

『それでもこちらに回して呉れ給え、なんとか解析してみよう
 まさに「悪魔の基礎データ部分」で壁に当たっていたんだ、そこからの解除がないと
 研究が先に進まない状態だった』

そこで瑠奈が

『ちょっと待ってドクター、貴女まさか』

『造魔で人間を作ってみよう、その為のデータベースにはなる』

裕子が

「造魔…ってなんです?」

『大正時代に外国から渡ってきた錬金術師を名乗る男性が開発した技術なんだ。
 ただ、勿論それに関しての出版物や発表物はほぼ握りつぶされたけれどね
 …だが私は見つけた、悪魔合体で「入れ物」を進化させ、特定の組み合わせでのみ
 実現出来る造魔からの「偉人」という今は公式には無いカテゴリの悪魔…
 と言えばいいのか…とにかく、例えば現在「魔人」に分類されるジャンヌや
 義経と言った物もそもそもは造魔越しに「偉人」として現れた物なんだ
 いつそれらに改変が加えられたのかは判らない、なぜ造魔が封印されたのかは…
 それはまぁ、何となく想像も付くのだが…とにかく、今このままでは
 「偉人」と「魔人」のカテゴリ変更でどうにもならない事態になっていたのさ』

そこへ葵が藁にもすがる思いで

「ひょっとして弥生さんを再現出来るかも?」

『最初にハッキリ言っておくよ、先ほど百合原君も言っていたとおり先ずは
 十条弥生という人物をとことん分析するところから始まる、
 そしてデータから復旧を試みるのにも時間が掛かる、独自の圧縮だからね
 そしてもう一つ、これは大事な事なんだ』

そこで気付いたのはあやめで

「あ…上手く行ったとしても玄蒼市の中だけ…」

『そう、存在その物が禁止事項の造魔による復元という枷もある、恐らく
 玄蒼市を起点に一時許可で方々を巡る…などと言うことも制限されるだろう
 それでも、やってみるかい?』

堪えきれず葵が

「お願い、弥生さんに仮でもいいから使える体を用意して上げて!」

『よし、正しいつになるかの約束なんて出来ないよ、しかし私はやり遂げて見せよう、
 それまで君は待てるね?』

ドクターの強い意志と優しい口調。
そこに居た全員で

「宜しくお願いします!」

『ドクターったら悪魔データサーバーがないなら作ってしまえばいいとかやり始めたところに
 とんでもない事まで引き受けたモンだわね…でも判った、弥生を削られたってことは
 割と近いうちにそちらも何かアクションがあるかも知れない、
 くれぐれも敵の罠には気をつけて、弥生は敵が現れる兆候を掴みかけてはいたけど
 それだって規模にも依るだろうし、基本受け身なのは変わらないと思う、
 「造魔」の事はしばらく忘れて、弥生が抜けた穴を埋めて逆に覆い被すくらい
 貴女達は成長して見せて、宜しくね』

何気な瑠奈の要望だがそのくらいの意気がなくてはこちらが押し負ける、全員が強い意志で

「はい!」

と応え、そして志茂が

「あ、そうだ…資料になるかも知れないなら今までのこちらで撮った記録なんかも
 役に立つかも知れない」

『新宿のは要らないからね』

「判ってます、こちらで独自に記録映像として残せないか弥生さんの発案で始めて居たんです」

『法則も何も違う普通の土地でまぁあの女も益々侮れないわねぇ…
 そういうのは確かに必要だわ、今から大使館に連絡を取って三十分後に
 そっちの部屋と十秒ほど直通させるからそれまでに出来る限り用意させておいて』

「三十分か…間に合うかな」

あやめの呟き、裕子が

「若しかして今までの事件記録を?」

「ホンの少しでも役に立つなら、デジタルデータ化も進めてるから…!
 署外持ち出し禁止とかそんなの構っていられないし!」

あやめがそう言って飛びだしていった。

『熱い子だわ、なるほど凜の従姉妹ね、弥生はただ逃げ回るだけでなく
 やっぱり関連しそうなオカルトなんかにも触れると言っていた?』

「はい…! 確かに仰有ってました!」

稜威雌が葵を通して発した。

『真偽の程はともかく、今は昔のそういう妖しげな書物のデジタルデータ化も進んでいるし
 恐らく日本語由来でなくどこかの言語からの派生魔術言語のはず、そのまま
 プログラムに乗せられるようにアルファベット化してね…
 時々弥生からは隙を伺って貴女達に連絡も入るのでしょう?
 信じて上げて、弥生を、そしてあたし達をね』

あやめが抜けた全員でまた「はい!」と元気よく応え、繋げる前に連絡を入れると
先ずは通話が終った。

志茂が

「今日今すぐ仕掛けてくるって事は無いかな」

「有り得ます…警戒を最大にしなくては…」

そんな時に事務所に電話が。
それは焦りに焦りまくった皐月からの物であった。
矢張りぽつりぽつりと隙を伺っては重要だろう拠点への連絡はして行っているようだ。

さっきまで泣いていた札幌の面々だが、今度は相手をなだめ、とにかく弥生の言うとおりで
でも法的には亡き者にされても体も魂も別々で体は保存、魂はダメージを受けないこと前提で
世界中の通信回線を逃げ回っていることを告げ、
そして玄蒼市の方で仮にでも体を与えられないかという計画も立ち上がったことを告げる。

「とにかく今は、機を待つ以外無い」と。



データ引き渡しの場で緊急要請として札幌専任の大使館要員増員出来たと言うことで
取り敢えず牽制の形を取り、三月中はとにかく周りに影響をなるべく与えないように、
しかし「弥生は当分復帰不可能である」事を告げて回らねば無かった。
父にだけは連絡は取ったらしいが、法的には死んだものと扱わねばならない事に父は悲しんだ。

そして矢張り屋台骨が奪われたという事は動揺を生んだが、特に裕子が必死に
それらを引き締めて回った、直接あまり接触のない中坊軍団にも。
僅かな時間を縫ってそろそろレストランと大学のみに落ち着きつつあった地黄や
逃げ癖のある栄和も襟首掴んででも参加させ、詞や詞遣いとその力を
どこからどう持ってきて…というコツのような物を他の特に中坊組に伝える役目を与えた。

裕子の変わりようと来たら…いや、それも裕子の弥生に対する強烈な憧れを思えば仕方ない。
打って変わってとてつもなく厳しくなった。
弥生が居てこそ「なるように任せる」であって、その前提が崩れた今、
しっかりしなくてはならないのは自分たちなのだ、と大学生組と光月・祥子は気を引き締めた。

ただ、時々弥生から連絡も入る

「確かに大事な事だけれど、そこまで焦らなくてもいいのよ」

と。

葵はひたすら弥生を心配して居るが、それも諭される。

「抱きしめては上げられない、側に居られるわけじゃ無い、でも完全に
 居なくなったわけでも無いのだから、私を信じて」

と。

弥生は大体がメールであるが、時々は電話で肉声として連絡もした。

『向こうも私が何をしたいのかは判っているんでしょうね、
 そして答えそのものでは無くともヒントにはなり得るし或いは到達可能
 と言う証左でもある、私への追っ手が増えててさ、笑えてくるわ、
 今…多分そこそこの強さだろうのが三つほど、あっちこっちから挟み撃ちを
 狙ってきてるけど、向こうはほぼケーブルでしか通れない、私は電波でも行ける』

「叔母様…笑い事ではないのですよ」

「そうだよ弥生さん」

『私は一発でも食らったらヤバい、それを覚悟して選んだスピードだからねぇ
 まぁ、大丈夫よ、飛んだり跳んだりするのと早々変わりない
 むしろ、私の始末に業を煮やしてそちらに仕掛ける可能性もあるわ、
 気を引き締めて…とはいえ、あっちも大使館増員ですって?
 折角掴んだ好機にあっという間にあやめの指示で対処されちゃったモンだから
 向こうも歯ぎしりしてるでしょうよ』

「あの時冷静でいられたのはあやめさん一人でした…わたくしもまだまだです」

『流石に私もあんな盛大なドジ踏むとは思わなかったと言うか…抜けてたのはそこかと
 やっと気づけたのよねぇ…まぁその機会で一気に私を消せなかった時点で
 向こうも「私がどんな形で介入してくるか判らない」っていうのもあるでしょう』

「介入って?」

葵が言うと

『リアルに手出しは出来ずとも私はちょくちょく札幌の様子は見ているわ、
 全道なるべくくまなくね、警戒も出動も、私からの指示があれば直ぐ動くよう
 本郷を通じて道警を通し地方署にはもう通達も行き届いているわ
 例えば大使館で捉えた現象に対して貴女達に要請が入るのとほぼ同時に
 私はその付近への応援要請が出来る、ある意味もっと手出ししにくい状況にはあるのよ』

「…なるほど…でも…寂しいですわ」

「ボクも…」

『そりゃぁね…私だって…おっと、そろそろ本気で逃げルート探さないと
 じゃあ、くれぐれも体調には気をつけて、稜威雌にはもういつでも会える状態だから
 遠慮せず体調を崩したら頼って上げて』

「はい…」

電話が終り

「そういえばおねーさん、車…本面ちゃんと受けないと」

「そうですわね…ある程度わたくしが動けるようになりませんと…」

「事件の報告書とかからボクも色々記憶辿るから探偵仕事も…」

「そうですわね、叔母様だって引き継ぎ不十分な状態から十二年掛けて見つけた本道、
 わたくしも焦らず何年掛かろうと、必ず引き継ぎます!」

葵はデスクの裕子に覆い被さるようにして

「ボクもついてるから」

「…慰めて貰えます?」

「うん、いいよ」



札幌専任監視官が出来たことその物はよかった、しかしそれが魔界の方でも
役人として持てあまされ気味な者を寄越してきたらしく、
割と思い込みが激しくちょっとしたことでも通報してきて空振り…何て言うこともあった。

「おいおい…しっかりしてくれよ…」

出動してみれば「気のせいレベルの揺らぎ」だった後で本郷は煙草に火を付けながらぼやく。

葵と光月・祥子の三人も最近こう言うことが多くて流石に頷いてしまった。

『申し訳在りませんねぇ…しかしこちらも何を切っ掛けとしてどんな規模で…
 となると彼の要請を断れない物で…』

本郷は愛飲のセブンスターをふーっと煙噴き

「…ま、何も無いことはいいことだ…これに油断して、って言うのが一番怖い
 だがもう少し、ノイズキャンセリング的な調整出来ない物かな」

『そうですねぇ…ただここで揺らぎを調整してしまいますとそれこそ
 一手遅れかねないのですよ、そこで…少しやり方を変えてみます』

「どんな風に?」

『そこは…まぁ少しこちらにお任せください』

「うーん、まぁこっちも魔界大使館で一体何をどうしているのか、玄蒼との
 関わり具合はとか判らない事も多いから任せる、としか言え無いのが歯がゆいな」

『とりあえず、もうしばらく、空振りでも出動その物はお願いします』

「判った、狼少年だって最後には本物が来るわけだからな」

『ええ』

電話を終えて本郷が

「つー事で、ちょいと早いが昼飯でも食うか?」

光月と祥子が断りを入れて

「いえ、この時間当たりから忙しくなりますので、では!」

と言ってあっという間に飛び去る、勿論それももう「網に引っかかりにくいルート」
と言う物をキッチリ特備の方で作っていて祓いの卵には全員渡していた。

「葵はどうする?」

「おとーさんはお弁当もあるだろうから、ボクも学校戻るよ」

「そういやお前さん中三で進級試験はないと言ってたがマジでいいのか?」

「一応成績で審査はあるよ、追試って言う形でならあるって
 でも先生が言うには問題は無いって」

「お前も出動大変だろうがテストはちゃんと受けて点数取っとけよ」

「うん!」

「よし、解散!」



札幌郊外、当別町と現石狩市厚田区の間にひっそりとある小さな市…忍満別
ホームタウンとして開発が進んでいる物の、街のメイン通りから東側斜面だけは
未開発な部分が広がって居る。

「…市になって開発進んだことは有り難いわ…ここでだけは休める…
 裸でもいいけど服なんかも一応テキトーにあしらって…」

枯れ野とは言え季節の移ろいで暖かい中、弥生はそこでだけ半ば実体として居られた。

「五代から聞いた祓いが徹底的に清めたと言うここだけは…
 昔から居心地がいいとは思ってたけど、理由も分かって、ここでだけは安らげる」

とはいえ、追っ手も回線のどこかで待ち受ける事も判ってる、ここでひと息つけば
弥生はまた世界中を逃げ回らねばならない。
半ばうつつの中にある弥生だが、そこへ近づく足音一つ、

「お久しぶりです、…でもいつもここに居るんですね」

「…居心地が良くてねぇ…貴女も大人になったわね」

「初めて会ったのはいつ頃でしたっけ、私中学生だったような」

「…私が高校生辺りの頃かなぁ…ここが何故居心地がいいのか最近判ってね…」

「ここって妙に安らぎますよね、実はここ今、私の土地なんですよ」

弥生はちょっと驚いて半身を起こし、彼女を見た。

「ええと、今24とかそんな感じでしたっけ」

「ですねぇ、あの頃から撮りためてたここの風景を自費出版で本にした辺りから
 私の人生なんだかいい方に転がっていて…ここ、買ったんです、幽霊屋敷込みで」

「…あの家ね、どうやらウチの血縁…と言っても遠いんだけど…の物だったらしいわ」

「そうなんですか!? それなら…ご存命のご家族に連絡しないと不味いかな」

「構わないで、霊能力者だったという「彼女」の持ち物のまま忘れ去られて
 そっちの家系ももう別なところに吸収されたようだし、ここの町的にも
 宙に浮いた状態だったのでしょう?
 むしろ、安らぎを共有出来る人が買ってくれて良かったわ」

「えっと、その人のお名前と行方は…」

「ホントにある日フッと居なくなったんですって、どこかに移動したとかでもなく
 突然この地から消えたらしいわ、勿論死んだわけでもない、名前は…聞き忘れちゃった」

「…なんだか不思議な話です」

「でもまぁ、そういう事もある世界なのよ…
 ああ…そう言えば貴女の名前が百合ということと「すぎの」って名字の音は知ってる
 「の」はなんて書くの?」

「? 何故それを今?」

「貴女の血筋でさ…一人…もうちょっと帰ってこられそうにないところに行った…
 貴女より五つか六つくらい上の人、知らない?」

「あー、スイマセン、ウチあまり親戚付き合い濃くなくて」

「そう」

「でも、平仮名の「の」の字の基字ですよ」

「…なるほどね、有り難う、少し休ませてくれる?」

「寒くないんですか? 弥生さん」

「んーまあ色々あってねぇ寒くはないわ、大丈夫、日が落ちる頃には居なくなってるから」

「会って貰いたい人も居るんですけどね、今の私の生きる支えにもなってる同居人で」

「…(微笑みながら)大事にしてあげなさい、貴女の心のひらめきとその深さ、洞察力、
 その全てを多分相手は知っていて、それ故の悲しみや苦しみもきっと知っている」

百合は少しドキッとして

「判るモノなんです?」

「判るわ…貴女が選んだ相手なのだから」

そういいつつ、弥生はカンカン帽を顔に被せ寝てしまったようだ。

「相変わらずですね、物凄くマイペースで…透き通っているのか不透明なのか
 初めて会った頃から変わらない…」

杉乃百合はそう呟いて、少し慎重にその寝姿を含めた風景写真を撮って去って行く。
彼女は写真家として活動しているようだ。
敢えてメインに昔のフィルムカメラを使った、そういう子だった。
その子も大人になった、時は流れる、この土地の由来も知った。

弥生はただ時々ここに寄って少し精神力を補充するようになったが、
この場所を誰かに教えることだけはないように努めた。

なんとなく、この土地を再び穢れに晒しそうで、昔はその意味も分からなかったが
今は判る、そして追われる立場になった自分がここに居ることは味方にすら
悟られてはならない、それこそ「どんな手を使ってでも」とここを穢すことになる。

弥生は、少しそこで眠った。


Case:23.5  閉


戻る   Case:24へ進む。