玄蒼市奇譚

第〇章

第三幕


夕方前には交渉も決着が付き、事務所に今日は夕飯要ると伝えて、瑠奈はそのまま
バスター管理局へ向かった。

「コピーは取らせて貰ったけれど、これが鴨翼邸から持ち出された魔術書一覧よ」

毎度間をすっ飛ばして直通で長官室へ来る瑠奈に長官もヤレヤレと思いながらも

「…悪魔召喚や魂換術の他にも霊を魔に昇格させたり
 魔を更に強化させるような…危険な本ばかりだね…この街では
 悪魔合体として技術集団「邪教の館」だけが正規でそれを扱える身分だが…」

「…多分そのうち日本のどこかから問い合わせが来ると思うわ。
 あたしはこれから独自に一覧の「偽物」を用意しておくつもりだけどいいわね?」

「当然だ…というか専門家に任せたい所だが一覧が多岐にわたっていて
 煩雑になる、色々かじった君に頼むしかなさそうだね」

「当然色はつけてね」

「判っているよ…確かに君という割と自由に動けて実力もそこそこ高い
 バスターを気楽に使いすぎたかもしれないとは市長からも言葉を頂いたし」

「判ってくれればいいわ、まぁ、学生の頃だと二足のわらじでこっちもペーペーで
 ある意味鍛えさせて貰っているんだから、みたいな謙虚さもあったけれどね、
 探偵として一本立ちしたとなればもう話は別だわ、これはビジネスなんだから」

「判っている…判っているよ…
 ではこの中から君の余り触れていない分野の偽物作りだけは専門の研究者に
 回そう、君がそれを選んで呉れ給え」

瑠奈はその一覧に幾つか赤ペンで印をしていって

「戦闘技術や上位悪魔の扱いまではあたしには判らないから、ホント
 上級者向けのモノはお願い、宜しくね」

「判った、期限は特になくていいのかね?」

瑠奈はそこで少し思案顔になり

「…それは…相手の出方次第ね…とはいえ、外からこの街への通信、
 或いはその逆についても長時間使用は流石に檜上さんも見逃さないでしょうから
 今日明日直ぐって訳にもいかないでしょう、ま、ホントに相手の出方次第よ」

「…ヤレヤレ…」

「全くやれやれって奴だわ、じゃあ、あたしは帰宅する」

「ああ、ご苦労だったね」

瑠奈は手でそれに応えつつ退室する。
長官は一覧から早速研究者へのコンタクトを試みた。



「おっ、おねーちゃん、今日は上でちゃんと食べるんだ」

事務所兼住宅である探偵社のダイニングで食事を今か今かと待ち受ける
高校二年生になったばかりの少女が口を開いた。
守上 蘭(もるうえ・らん)彼女はバスター養成所兼施設寮からあぶれたのを
瑠奈が引取った子で、オタクで何かと瑠奈に気易く、割に早く
瑠奈を「おねーちゃん」と呼んで子供らしくおねだりも、瑠奈の時には派手な
散財に口を挟むこともある瑠奈にとっては割と本気で妹っぽい子だった。

「…とりあえずね、ここからまたあたしは仕事が待ってるけれど、
 御免なさいね、ジョーンもジタンもあたしの分まで仕事押しつけて、
 はい、これ臨時ボーナスよ」

瑠奈がCOMP端末越しに二人へトレードを申請し、ジョーンが腕輪型COMP
ジタンは指輪型COMPでそれぞれを受ける。
ジタンがその金額に驚いて

「いいのか? 結構な額だぜ?」

言葉遣いは男口調だが、ジタンはかなり凸凹した体型での胸の目立つナイスバディ
しかも薄い青と薄い黄色のオッドアイと来たフランス系イギリス人の
かなりの美人であった、彼女がここに来ることになった事情も中々複雑であった。
ジョーンがそれに

「有り難く頂いておくわ、装備一つの強化代にはなりそうだし」

そこへ、事務所から地下へ通じるエレベータがこちらの階へやって来る旨の音が鳴り

「いやぁ…今さっきまで寝てたよ…開頭手術三人分はやっぱり神経使うね…」

瑠奈はニッコリ笑って

「じゃあ、お早うドクター、貴女にもはい、償却費用込みで臨時ボーナスよ」

ドクターのCOMPは投影型の本の形状をした物であった。

「やぁ、助かるよ…これを元にじゃあ、いよいよあれに着手してみるかな」

瑠奈がそれに

「あれってまさか…」

「そう、まさかだ、正規でこんな活動まだまだ認められないだろうからね」

「…うん、多分幾らか遅れてバスター研究部署でも始めるんでしょうけど
 まぁ、そういう貴女の先見性のお陰で今回かなりの報酬と色を付けて貰ったわ」

「今回一回限りかも知れないね、君も私も正確にはモグリだってバラしたわけだから」

「…あたしの予感は「それでも」ここへ頼まざるを得ない案件が舞い込むと予想してるわ」

そんな時にジョーンが

「はい、仕事の話はそこまでよ、子供達もお腹を空かせているわ、座って」

そこへジタンが

「ああ、俺は帰るよ、おチビさんにも「今日は臨時でボーナスが出る」って事で
 好きなモン好きなだけ食おうって外食の約束しちまったからな」

「あら、時雨も呼んで一緒に食べればいいのに」

とジョーンが言うも

「気持ちだけ頂くよ、このダイニングに七人はちょっと狭いだろ」

「じゃあ…(手際よくジョーンは料理の幾つかをタッパー詰めして)
 冷蔵でもして明日にでも食べて」

ジタンは微笑んで

「喜んでいただくよ、君の料理は美味いからなじゃ、今日の所はお疲れ様」

事務所のそれぞれが「お疲れ様」と声を掛け、ジタンは退所していった。
配膳の手伝いをしていたメイド姿の少女…リーザ=エーデルステン。
彼女は高校一年生、瑠奈が駆け出しの頃保護した事が切っ掛けで引取ることになった少女。

「…どうしましょう、副菜などはもう七人分用意してしまいましたのに」

そこへ蘭が元気よく

「わたしとおねーちゃんが二人分行くよ! ね、そのくらいはお腹空いたでしょ?」

瑠奈はこの三日間を思い出し

「そういや、マトモに座って食べるような食事は殆どしなかったわね、お腹が空いた」

苦笑気味に言うと、主菜はジタンと時雨という「おチビさん」とも呼ばれた子に
ジョーンも分けたので、副菜のみ蘭と瑠奈が二人分という形で食事が始まった。

ちなみに契約悪魔は通常人の食事はとらない、摂ったとしても人間のようには消化も排泄も
されない、人間と契約した悪魔には、それにはそれで「生体マグネタイト」という
この街…魔界ならではの物質があり、そのコストで普段は十分なのであった。

これも勿論例外があって全てが全てというわけでもないのだが。

枠がキッチリあるようでどこかに例外は存在し、それがまたこの街を含めた
世の中を白とも黒とも言えないグレーな世界にしているのだ。



食事中は少し雑談がある程度で皆結構黙々と食べているのだが、
瑠奈が端末越しにちょっと気になる情報を得たらしく、ジョーンに

「ねぇ、ちょっとテレビの天気情報見ていいかしら」

「…構わないわよ? と言うか別にいつでも付けっぱなしでも私は構わないのに」

「時間によっては蘭がアニメに夢中になっちゃうからね」

「だから最近録画して自分で後から編集してるよ、大丈夫だよ」

蘭が言うと苦笑したように瑠奈はテレビを付ける。
この街のテレビはケーブルテレビのみ、番組の構成などは外の世界を結構
取り入れていて、番組自体はこの市内独自制作だったりするのだが
(1987年以前の放送物に関しては全国放送も流れてきていたので
 その再放送専用チャンネルもある)
天気に関してだけはこの市も地球の大きな枠の中なので全国の天気が流れる。

「うーわ、北海道雪だって、さすが北の大地だね」

蘭が言うと

「本州も前線が掛かっているわ、暫く洗濯物は乾燥機も使わなくちゃね」

おさんどんの他にも家事も大体をこなしているジョーンがこぼした。
瑠奈が割と真剣にその全国の空模様を見ながら眉間にしわを寄せた、
リーザがその様子に気付き、

「…何か嫌な予感がしますか? 瑠奈」

リーザが瑠奈を呼び捨てなのは瑠奈がそうさせているから、
リーザの命を救ったばかりでなく色々便宜を図った上引取った負い目を
感じさせないために、ファーストネームで呼び合うというのはまぁ、瑠奈の性格もあって
固定されていた。

「…何となくの勘だけれどね…昨日の今日でまさかとは思うけれど、
 この街の内外で色々ありそうな…当たって欲しくない予感を天気から感じたのよ」

ジョーンは少し苦笑気味に食事を進めながら

「…貴女がそう言うって言うことは…残念ながら何かが動くって事ね」

「仕事があることは結構だけれど、人の生き死にに関する事件だけはイヤだわ」

「そんなもの…歓迎する体制側の者なんて居ないわ、人にも悪魔にも」

「過激派というか…そう言う奴ら以外はね…」

瑠奈はテレビをそのままにし、食事を続けた。



「川口です、入ります」

そこはどこかの狭いが司令室のような場所だった。

「入り給え、報告があるのだろう?」

デスクに座った男、その側に立つ女、彼らは別段驚くには値しないだろう報告を
今から受ける事を承知しているように見えた。

川口曹長は少しその様子に背筋の凍る感覚を覚えたが、伝えるべくを伝えるよう
平静を保ち、はきはきとした口調で二人に報告した。

「防衛省「特務課」からの要請です、「餅は餅屋に作らせろ」」

やはり、と言う感じに男は目を伏せ静かに微笑んで

「判った、君ら隊員にもだいぶん無茶をさせてきたし、今後は
 専門の人々に全てを任そうではないか、下がり給え」

川口曹長は頭を深く下げ、退室した。
女の方が口を開く

「敵も然る者…とはいえ、まだ名前や所属まではバレてないでしょうね?」

「候補地は絞りきらなかったはずだ、人間の思考を人間が読み取る術など
 まだまだそう完成度は高くないだろうからね、
 防衛省の一件もたまたま「祓い人に対して事件解決数が合わない」事に関して
 こちらに釘を刺したくらいだろうさ」

「…次の計画では地域封鎖もやむを得ない損害が予想されます、
 ま、こちらも税金を使って養成した隊員をむざむざ失うわけにも行きませんものね」

「ま、見せて貰おうではないか、北海道唯一の公式祓い人の実力を…
 ただし地域封鎖や証拠消しを含めそこは我々が迅速に事を運ぶ必要がある、
 表向き「災害派遣」としてね…」

「…その前に「街の中」の方も迂闊に外へ派遣など出来ないようにしませんとね」

「手は打ってある、手はず通りなら今夜にでも…こちらの計画は
 あちらで捜査が本格的に始まる辺りで決行しよう」

「この地を我らのモノに」

「ああ、この地を我らのモノに、一旦我らが支配をしてしまえば
 それを覆す程の結束も決断力も今の魔界には無いだろうさ、グダグダと
 決まり切らない決めごとばかりを延々話し合って…ウンザリさ」

「問題は神殺しとも言われるSS級バスターですが…」

「ま、そこまで行く頃にはこちらも万全の対策を立てさせて貰うさ、
 大凡一年…少し長丁場になるしこちらの祓い人の成長を促すという面倒も
 増やしそうだが…どこかであの女だけは無力化させないとな」

「屋台骨ですものね、この札幌の祓いに関する…」

「ああ」

男はまた少し俯き、不敵な笑みを浮かべながら

「まぁ、それでも多少の敵の成長も想定の範囲内さ…」

「では早速…近未来研究所の工作員に与野家への接触を図りますね」

「ああ、宜しく頼む」

女も退室した所で、男は穏やかそうな笑みながらも野望に満ちた目の光と口の端を曲げ

「計画発動だ」



翌日、玄蒼市内は雨だった。
パラパラよりは強いがドドド言うほどの豪雨でもなく、割と強めの雨だった。

朝早く警察から呼び出された瑠奈は形式の古い軽自動車から出るのに
すこし雨の強さが嫌だな、と思いつつ、傘を開きながら現場の路上へ向かった。

「よう、昨夜くらいはよく眠れたかよ?」

三谷が相変わらずのつっけんどんさで雨合羽越しにこちらへ向いて言う。

「ドコへ渡ったか判らない「危ない論文の偽物作り」があってね…ま、そこそこは」

「アンタも大した女だよ、まだ若ぇからってのもあるんだろうが」

「…で、それが被害者?」

もうすっかり雨で血も殆ど流れ尽くした路上にあるそれはもはや「人間の欠片」
と言っていいくらい食い散らかされていた。
韮淵がそこへ

「酷いモンですよ、警報装置を持っていた一般市民なのかどうかすら判らない」

あちこち食いちぎられたそれ、この街の一般市民で特にバスター訓練を受けていない
者に対しては、警報装置が渡され、ワンタッチで通報とその地域の監視カメラなどが
そちらを向き、警報装置が生きている限りそれを撮り続けるというものであったが
被害者の利き手にかかわらずもう腕も腰も足も頭も半分くらいに
食いちぎられていたし、どうも束縛状態でそれらは行われたらしいのだ。

二浦刑事が

「…一応…こちらの鑑識へ先ず回しますが、多分そちらのドクターさんに再鑑定
 と言う流れになるでしょうな、こんな食い散らかし、例え熊だって有り得ないし
 玄蒼市街地に熊なんてもう何十年もない、住み分けも出来ているはずですから」

「こんな雨じゃ下足痕(げそこん)も特定不可能でしょうしね」

瑠奈の言葉に鑑識さんが

「誠にもって悔しいです…出来る限りの事はしますが、後はお任せすることになるかと」

「OKよ、いつでもどうぞ」

そこへ三谷刑事が

「今ここで何か言えることはあるか?」

瑠奈はかがみ込んで肩に留まっていたアイリーが傘を支える役目を引き継ぎ、
その無惨な死体を幾らか見聞しながら

「…苦痛を味わいながら死んでいった顔してるわよね、半分しかないけど」

「「地下組織の「総括」とかの可能性もあるかな」

「そうね…一気にこうなったのでは無くてどこかで絶命はしたのでしょうけれど
 食われながら死んでいったのに口元に何の叫ばないようにしたような痕跡も
 見当たらないって事は…その可能性も濃いのかな…手足は縛られているのに。
 一般人を連れ込んでわざわざ…と言う可能性も無いでも無いから
 行方不明者を洗うのは貴方がたにお願いするわね」

「ああ、…しかしなんて残忍な…」

「嬲り殺すのを楽しんでいた節さえ見受けられる、犠牲者が増えないうちに
 包囲網は狭めなくてはならないわ」

「言われなくても判ってるよ、ただ…玄蒼市市街地だけで真從区(まじゅう)
 玄磨区(げんま)、彩河岸区(あやかし)と大きく三つある上に
 山岳地帯の方にもそれぞれの郊外地域があるからな…流石に直ぐってわけにも
 いかねぇ…もどかしいぜ…」

「彩河岸地区は外してみて、あそこは巫女が二人、一応24時間体制で
 警戒を敷いているはずだわ、こんな殺し方をしておいてあの二人が
 その魂の叫びを聞き取れなかったとは思えない」

「何らかの魔術的障壁で囲った空間があったとしたら?」

「その壁を感じて動いていたはずだわ、「祓い人」はストレートでは
 この街では動けないけれど、彼女達はその力をコントロールしつつ
 A級バスターでもある、有り得ない、そんな見過ごしは」

そこへ韮淵が

「だったら真從区と玄蒼区の間の天照院付近も外していいッスかね」

「…イイと思うんだけど…それが真夜中だとなぁ…フィミカ様は真夜中だけは苦手だから」

そこへ鑑識の麦原が鑑識を代表し

「では先ず死亡時間の特定ですね、急いで運搬しましょう、この雨は少々キツイです」

「ええ、そうして…」

独自の祈りの形をして瑠奈はその死体が運ばれるのを見送った。

「お前さんのそれ、ドコの宗教だ?」

「宗教って言うか…フィミカ様式、あの人は神道でも国家神道じゃないから…
 あの人は本物だわ、少なくとも文字記録でここの開祖でもあり
 写真も明治四年からのが残っている、あの人が信仰する物は大きな自然サイクル
 森羅万象とそこに存在する全てに及ぶわ、あの人だけはあたしは信じられる」

「ま、信教の自由があるとは言え、明治時代に国家神道にも飲まれなかったんだから
 それなりの人なんだろうな、じゃあ、俺達もこれから捜査会議と早速捜査の開始だ、
 アンタは仕事が入ってもいつものジョーンとジタンの二人に回して待機しててくれ」

「了解よ、ただ余り間は空けさせないで」

二浦が苦笑の面持ちで

「鑑識で出来ることは僅かだと思うよ、そう時間は掛からないさ」

「ええ、とりあえずあたしはこの付近を少し調査して行く」

「頼んだぜアイリー、「魔の匂い」って奴まで雨に流されるってんなら仕方ないが」

「それは何とも言えないなぁ〜、殺害現場はここじゃないっぽいし」

三人の刑事達も手で挨拶をして去って行く。

「矢張り天気の崩れを利用して割り出しに手間の掛かるような事件を仕掛けてきたか」

瑠奈のこぼしに

「バスター管理局ももうちょっと市政や警察とか、あと檜上さんトコと
 連携深めるように言った方がイイかもしれないね」

「そうね…とりあえず車から投げ捨てた位置とは思えないから
 引きずって持って来たんだとして…真從区と玄蒼区の奥側から軽く捜査を開始しましょう」

「おっけ、何か判るといいけどね」

「多分空振りよ、現場は特定出来ても、次は別な現場を使う事でしょう、
 犯人像を絞らないことにはいたちごっこになるとしか思えないわ」

「面倒な事件が起ったねぇ」

「…そして多分これはバスター側を迂闊に外に出さないための工作でもあるとあたしは思う訳だ」

「瑠奈は色々考えてるねぇ」

「それで飯食ってるからね」

二人もまた発見現場から車で去って行った。


これが玄蒼市の中と外とを巻き込んだ大きな、長期にわたる事件の先駆けになる事までは
まだ瑠奈の推理の外だった。


玄蒼市奇譚第〇章 第三幕  閉


キャラクター紹介その3

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