L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE:Fourteen

第二幕


いわゆる丑三つ時の頃…稚日女は果てた。
耐え目なく攻め続けられ、気絶に近い状態で眠りについてしまった。

「喘ぐ貴女も美しい、有り難う御座いました…そして…」

弓は手元の弓を取り天井に向け一矢射た!

『おいおいおい…中々いい腕してやる…いつから気付いていた…?』

「質問をしたいのはわたくしの方です…」

『ははっ、いいモン見せて貰ったぜ、オレは…まぁ武士崩れの盗人だったモノさ』

「なぜわたくしを?」

『そこの天野のねーちゃんを狙っていると思わないのは何故だ?』

「あなたの目線はわたくしを追っていたようでしたので」

『なるほど、これは厄介だ。 確かに「祓いの眼」ってやつは潰しておかないとな』

「こう言うことでしょうか、フィミカ様のような死角の無い祓いが増えられては困る、と」

『そういう事だ、アイツ一人だけなら反対に逃げればいいが二人以上に増えられるとな』

「フィミカ様を「アイツ」呼ばわりと言うだけで万死に値します、覚悟をして戴きます」

『その前になんか着ろよ、オレも昔は武士だった端くれ、裸の女を斬ったってそんなこと威張れやしねぇ』

弓はそれを見据え

「それはどうも有り難う御座います、ではお言葉に甘えまして」

旅支度に戻る弓、それは四條院巫女式を少し改造した巫女服だった。
そして眠る稚日女に着物を掛け、少しその身に頬ずりをした。

「…さぁ、いつでも構いませんよ」

『いつでもどこからでもか?』

「勿論」

『名は井土ヶ谷 弘明』

「十条 弓」



悪霊と魔の間の存在、それは強い力を及ぼす時には現世(うつしよ)にも影響を及ぼす。
いざ戦いが始まったとみるやいなや井土ヶ谷は庭に投げ出されていた!

「今の音は…!」

芹生が駆けつける、その音の方向には…

「お前は…そんな馬鹿な!」

『ああ、祓いのアンチャンか…ははっ残念だったな、この通り、治った…』

とばかり言った頃今度は射られた矢が飛び込んできたことで井土ヶ谷は回避に移った。

「無駄口を叩く暇はありませんよ、芹生様、手出しは無用に願います
 このものの狙いはわたくしであります…「もし」があったとして貴方様のすべきは
 稚日女様をお守りすることです、今宵というひとときを有り難う御座いました」

そう言われてしまうと、芹生も祓いではあるが将来のある男と稚日女は女、
悔しいが言葉に甘えるしか無かった。

「だが…弓と言う武器はこの手の相手に決して相性は良くない…大丈夫か…」

「何とかなりましょう」

弓がまた矢を射る、多少の追尾で動くが幾度か井土ヶ谷を追うと弓は次の矢を射るので
庭のあちこちに矢が刺さって放置されて行く。

『ハハハ! まぁ人間だった頃や悪霊として目覚めた始めの頃ならヤバかっただろうがな!
 そう無闇に矢を射たところで「次」が無くなるだけだぞ?』

弓は微笑んで

「それはどうでしょう」

瞬間、庭に刺さった矢が光の壁を形成し、その矢は封の壁として二人を囲った!

『なにッ!』

「土壇場で趣旨替えされてはたまりませんので、どちらかが果てるまで閉じ込めさせて戴きます」

『くそ…! 実力的にまだまだかと思えば小賢しいことも…、読めねぇ、コイツの力の程が…!』

芹生も同じ事を思った、確かに一人での祓いもするようになったし、その中には結構名うての
悪霊も含んでいた、怪我などはしているのかも知れないが少なくとも見える位置にそんな物を残さない
三人だと一つの祓いには多すぎて分担したがそれはそれで弓の力量の程が測れない。



しばし隙の探り合いとなっていた。
満月の光差し込む十条本家の庭に作られた戦いの場…
弓がその弓を構えようと動いた時!
井土ヶ谷が動いた! 一直線に弓へ!

弓は慌てること無く矢を射たが、ホンの少しの動きで躱され、そしてゼロ距離!
弓から格闘へ移ろうとしたその動きの…その隙だった!
下から上へ振り上げられる太刀、弓の右腕が二の腕の半分程から断ち切られ血を噴く!

「弓!」

芹生の声も響く

『ハハハ! 弓も組み手も基本的には両手が必要だぜ! ハハハ! どうするよ』

挑発するかのように弓の至近距離を井土ヶ谷は動き回る。
弓は静かに斬られた右腕を持ち上げ、そして呟くように言った。

「こんな事で勝ったつもりですか…? まだまだ私の魂は取っておりませんのに。
 …それにしても…中々切れ味の良い太刀をお使いですね…お陰様で…」

左手に祓いを込め、弓はその時ばかりは苦痛の表情を浮かべたが右腕の断面と断面を合わせた!

『おい…まさか…』

「はい…、この通り…!」

井土ヶ谷に向かってその右手の指を動かして見せた、くっつけたのだ!

『馬鹿な! オレの気を纏いお前の傷の治りは悪くなるはず!』

そう、それで稚日女の傷の治りも悪かったのだ

「…貴方の気の波とわたくしのではそのままでは合わないだけ…そんな物は
 合わせてしまえば良いのです、そうすれば逆に治癒の助けになる」

魔の気を祓いの気に変えた!? そんなことが…いや、今弓がそうした!
芹生に衝撃が走った。
祓いや霊や魔を「波」と捉えることすら初めての概念だった、しかし…弓の師はもう一人居る
祓いの頂点にして弓と同じく盲だが祓いの眼で世を見渡す…フィミカ様!

「魔と祓いは波を打ち消し合うような存在です、しかし、波は整えれば打ち消すだけで無く
 その波を高めることも出来る…」

『やはりこの女…全力で潰すしか無い…危険すぎる…』

「どちらが何に対して危険だというのでしょう、絶対数で申しますと、生きている人間に対して
 危害を及ぼす貴方の方が余程危険だと申しておきましょう」

構える弓、左腕が若干芹生の方を向いた、そこに何か武器が必要だ…芹生はそう思い、
その部屋の上座に飾られ簡素ではあるが祀られたそれを「これしか無い」と思い手に取り

「弓!」

そして投げた!

『む、手出しは無用ってさっきコイツが言っただろう!』

井土ヶ谷は弓を翻弄するように急角度であちこちを物凄いスピードで翻弄しながら芹生に言った。

「手出しでは無い!」

芹生は言い放つ、

「それが弓に引きつけられたのだ! それは弓の物だ!」

構えた弓の左手に丁度収まるようにそれは受け止められた!
しかしその時井土ヶ谷がまた急角度からのゼロ距離戦法をとり、弓ののど元に白刃を突きつけ

『ちょっと遅かったな…このままちょいとこの刀を押し込めばお前は今度こそ死ぬんだ…
 それにその獲物…この距離で抜ける訳がネェだろ…』

…と、次の瞬間井土ヶ谷は下から上へ「刀ごと」断ち切られ真っ二つになっていた。
満月に照らされるその刀身、四尺あるその長い身を大きな動きをすること無く弓は抜いて、
そして井土ヶ谷を斬っていた。

『そんな…いつの間に…危険だ…この事を…』

弓が刀の鞘で泣き別れた井土ヶ谷の二つを叩くようにするとそれは昇華では無く
飛び散り、消滅していった。

そして構え戻し、高々と天を指していた刀身をくるりと回し鞘に収めた。

野太刀・稜威雌、初代八重の果てた後、次にそれが相応しい者へ託すと十条家に祀られていた刀。

「フィミカ様をアイツ呼ばわりだけで万死に値すると言いました、貴方には和に戻す事すら許しません」

弓は確かに弓を使い慣れていたが、薙刀や槍、そして大太刀も稚日女に教わっていた、
全ては稜威雌が弓の手に収まるためにあったかのような…

「素晴らしい太刀筋…野太刀を大きく動くこと無く抜くとは…」

芹生の感嘆の声に弓が

「簡単なことです、祓いを込め白刃側の鞘を抜けばいいことです」

そして弓は斬られた服の袂を拾いそこにまた祓いの光を満たして行く。
血は弓の体に戻り、絹は絹、木綿は木綿とそれぞれがそんなダメージなど無かったように戻る。
これに関しては四條院も同じように出来る。

「なるほど…鞘を全て抜かなくても良いようにしたという訳か…いや…それにしても見事だったよ」

弓は振り返り、笑顔で

「有り難う御座います、そして有り難う御座いました」

「矢張り今発つのかい?」

「はい、朝の浄い光の中旅立つなど勿体ない、わたくしには月光の方が性に合います
 なんと美しい夜でありましょう」

卑屈からでた物では無い、弓は本気で夜が好きなようだった、でも、

「もう、都へは戻らないつもりかい?」

「…そんな事はありませんよ、しばらくは都周辺で動きますし、どこへ行こうとわたくしはわたくしです」

もう何も言うまい、思い出にはなっただろうが、これはまた新たな悩みの種にもなるのだ。
それを判っているから、なるべく都には近寄らず然りとて都の近くで二人のために先ずは働くと
そう言っているのだ、そしてそれが終われば次はフィミカ様のために働くと。
ただ一つだけ

「どうあっても生まれの負い目だけは拭えぬか…?」

弓はその言葉に

「今この時もわたくしは病かのように肌が白く、髪は乾いた土のようで毛先は波打って縮んでおります
 そして、祓いで世界は見ても、わたくしの目が見えないのは変わりません、死ぬまで変わりません」

「…そうか…そこまで背負ってしまう物なのだな…」

「しかしフィミカ様は仰いました、転んでもただでは起きなければよい、と。
 一生、何度でも転びましょう、そのたびに立ち上がるまでです、一人で転び一人で立ち上がる…
 それがわたくしの人生です」

「稚日女はもうやらん、だが…いい人を見つけなさい」

弓はちょっとにこっとして

「しっかり抱き留めてくださいね」

そして武器や荷物を携え、弓は都を発った



そしてまた幾年…
政情としてはまた一悶着があり、大規模な戦にはならなかったが矢張り益々天皇家側の力が
武士の力には敵わないという方向に転んだ時期でもあった。

弓は実家に戻ることも無く宣言通り都の領域端ギリギリを縫うように、そしてそれらを少しずつ
広げるように動いていたし、それによって都の祓いは一段落していた。

恐らく二人は所帯を持ったであろう、贐(はなむけ)だ、幸福になって欲しい、
自分のことはどこかで引っかかるだろう、それでも生まれてくる命に引っ張られ
それは隅に落ち着くことだろう。
それでいい。

もう一つ気になることもあって弓は実家に帰らずに居た。

それは井土ヶ谷の言葉の端々に魔と悪霊には魔と悪霊の組織…勢力があることを匂わせる
発言があったことだ、実際独り立ちをした瞬間から時々刺客に襲われた。
そのたびに返り討ちにはしてきたが。

弓はその為一つところに収まることもままならず、寝泊まりも物凄く簡素でうち捨てられたような
朽ちかけた仮住まいを修復することで山奥を起点として動いていた。

主に夜に行動することから祓いであるにもかかわらず人々から恐れられもした。
その風貌は幽霊のようでもあったからだ。

しかし弓はそれを逆手に生きた。
誰に感謝されることはおろか恐れられることをも辞さず誰の手助けも借りずに生きること
望んだことでもあった、自分に負い目があったからこそ多くの人に助けられ生きたこと
その全てに対する返礼のつもりもあった。
普通は逆になるのであろうが、言った通り外見も眼が濁っていて見えないことも変えられない。
一人で生きて行けるようになったなら、とことん一人で生き抜く、それが弓の返礼であった。



恐れられようと我を貫く、その姿勢も重ねて行けば畏れの他に敬いが入ってくる。
何しろやっていることは祓いである。
その土地で恐れられた悪霊などを祓って行っているのであるから
見ているひとはちゃんと見ている物でもあった。

幽玄とした外見で夜に活動していたのだとしても道すがらや家の隙間などから垣間見るその姿は
美しい物でもあったし、その濁った眼で何も見えぬはずなのにどこから襲いかかられても
冷静に対処し、確実に祓いを実行する。
戦で亡くなった武士や巻き添えで死んだものなどの悪霊化が多かったこともあり、
巫女姿の弓は畏れはすれど少なくとも益をもたらす存在として半ば神のような扱いを受けた。

方々の仮拠点にはいつの間にか簡素でも鳥居が置かれたり、家には捧げ物があったり。

時には滞在中人を捧げられることもあった。
勿論死人ではなく生きた人、意味や用途は判らぬがとりあえず生け贄、と言う訳である。

そのうちの十代の女の子だけを弓は受け取る。
たっぷりと可愛がり、自分は半ば異形の人である事、畏れ敬われるのは任せるけれど
「祭」の形での奉納をされても自分は困ること、そして自分は女好きの女であるし
捧げ物として生け贄にされたからには一度は抱くけれど、その事は忘れて
自分の幸せを見つけること、などを説き「立場上神の御使い」からの返礼と言うことで
その子と一種守りになる物を持たせふもとに返していた。

因みに言うと、稜威雌とは恋心を分かち合う…稜威雌にとっては愛した人はもう居ない、
弓にとってはお互いのためにもう触れあうことは無い、少し違いはあるがそういう気持ちを
分かち合う仲間のような絆で結ばれていた。



都からほど近い仮拠点をもう充分と一つ廃し、一周分外回りでの(とは言え直線で何里も向こうになるが)
新たな拠点を…と思い弓はまた人里を確認し、その近くにうち捨てられた家屋などが無いかを探して
歩いていたのだが、この時は昼間であった。

おかしな場所があった。
小高い丘のような場所の奥に廃屋寸前の家があり、その丘自体は浄いのにやけに周りに取り憑き彷徨う
もう形も薄ぼんやりとした…だが人にとっては害を為す魂がある事。

弓はそれらを射た矢で祓い、あらかたを片付けるとその家に向かった。

矢張りその土地は浄い物であるのに、何か食べ物に集る蝿のようにそれをめがけてやってくる
不浄の魂がある、「矢をまた作らなくては」そう思いながらも弓はまた射た矢で祓い、
その家の前に来た、その家は無人では無く、一人の気配があった。

「もし…、この地に纏わる言い伝えなど存じ上げませんか」

弓が外から中へ声を掛けてみた、ややもして中から年の頃十代半ばと思われる女の子の声。

「…誰…? 言葉遣いからして何か偉い人?」

「偉くはありません、ただ、祓いをして生きております、この土地に気になることがありまして」

「…あたしもよく知らない…話して貰う前に家の人はみんな戦に巻き込まれて…
 父ちゃんや母ちゃんと一緒じゃ無いと迂闊に外にも出られないのに…」

天涯孤独でこのおかしな土地に住み丘の浄さで守られたこの家にしがみつくことで
今まで不浄からの難を逃れてきた、なるほど。

弓は引き戸に掛けられた棒に触れること無くそれを外し、問答無用で戸を開け中に入る。
少女は矢張りびくっと驚くが、それでも上体を少し起こした程度に留まった。
肉付きは悪くない、特に不健康の雰囲気も無い、ただ、この地で生きると言うことは
大変に気力を使う…そのためほぼ動かずに過ごすようである。

「なるほど…貴女には祓いとまでは言いませんが守の役目の血があるようです…
 ここは…ひょっとしてどなたか古の貴人(あてひと)のお墓なのか…」

戸から日の光を逆光に浴びてどうやったかつっかえを外し中に入ってきた…それは確かに巫女のようである
しかし見慣れぬその姿、目は見えないようなのに何もかもを見透かすようなその言葉、少女は少し畏れた。

「そんなに堅くなることはありません、こう見えて私は人です、色々あって
 多少人並み外れた力を持ったに過ぎない、ただの人ですよ」

弓の言葉に少女は少しだけ落ち着いたが

「眼…見えないのかい? でもその割には…」

「目は見えません、光をこの目で見ることはありません、ですが
 別の手立てでわたくしは世を見回しております、貴女の顔も姿も、判りますよ」

今まで家に入って真っ直ぐの目線は、この時少女に向けられた。
矢張りその目に光は宿っていない。

「…大変だったろう、今まで」

少女の意外な労りの言葉に弓は反応して

「大変でしたし苦でした、永遠に続くと思っておりました、ですがわたくしに祓いの力による
 眼を与えてくれた人と出会ったお陰で全てが流れ始めました、今はその人に報いるため
 こうして方々をたずねては祓いをしております」

「…やっぱり誰かの助けはあったよね…そりゃそうだよね」

なるほど、そういう事か、弓は少女に近寄り片膝をついて優しく

「でもそれはわたくしが十と余年…貴女より少し若い頃になってやっと開けた事…
 貴女の希望の扉を開ける役目…わたくしに願えませんか?」

弓の優しい言葉に少女は少し表情を明るくしかけたが、直ぐその表情は恐怖に変わった!
弓の背後に…武士の悪霊がいつの間にかやって来ていて弓に刃を振り下ろそうとしているのが見えた!
はっきりとは見えないが、でも確かに居る!

少女が何かを言いかけたその時、弓は稜威雌を電光石火の如く抜き、次の瞬間には
悪霊の右腕を落とし、それを浄化させた!

「丁度良い…刺客の方ですね?
 名は聞き及んでいると思いますが、十条弓、手前の名をお聞かせください」

『くそ…早い…!』

悪霊は弓の問いかけに応えず逃走しようとするが、弓は左手…素手で悪霊を掴み
(物凄い力のぶつかり合いというか波の打ち消し合いのような物が起こり、光が蒸気のように
 まるで熱した鉄に水を掛けるかのように激しく揮発して行く)

「逃しはしませんよ、ここで会ったが最後と覚悟をお決めください」

弓の言葉は柔らかかったがやっていることはとてもドライであった。
悪霊の首から下も順次浄化して揮発して行っており、頭だけを残すつもりのようだ。

『うわぁぁあああ…やめてくれ…オレの名は花月 園前(はなづき そのまえ)…!
 なんだ…何が聞きたい!? だが…』

「承知しております、仲間は売らぬと申したいのでしょう、今までの刺客もそうでした
 わたくしが聞きたいのは…この地に関することです…貴方が生きていた頃…或いはその頃には既に
 言い伝えに成って居た頃の記憶です」

『詳しくは知らねぇ…、ホントだ…! だが…この辺りにはカラビトの集落があった…
 丁度俺達が元とか言う国の手先と戦っていた頃だ…!』

「カラビト…なるほど…この国の浄さに恨みを抱くモノ…」

『ああ…、手先は追い払ったがどこからどうやってか中に入り込んだ奴らがいて…その
 落ち場所がこの近くにはあった…!
 そいつらは元を追い払ったと聞くや命乞いを始めて見逃したが…それが間違いだった…!』

「大方想像は付きますが、どうぞお続けください」

『世代を一つ重ねた頃俺達の組ににも子孫が入ってきた…日ノ本で生まれ育った筈のそいつらの中身は
 だがしかし親の怨を受け継ぐ異物だった…戦の手柄は殆ど立てずに奪い、殺し、
 必要以上に残虐で必要以上に乾いていた…そいつらのせいでオレの組はお取りつぶしさ!
 カラビト村も図版に載る前に潰された…しかしそいつらは今でも…!』

弓が稜威雌を振るうと幾つかの不浄が浄化される

『そんな風にこの辺りを彷徨うんだ…! 体を失ってまでこの日ノ本に害を残す…
 流石祓いとは真逆のオレ達もこいつらだけは蹴散らしてもいいとなっていて…オレも
 幾つか倒してお前の背後を取ったと思ったのに…!』

「…大変に良く判りました、あなた達ですら持てあますほどの不浄がこの辺りのどこかに
 あるという訳ですね?」

『ああ…、もういいだろう?』

「はい、祓いと真逆と言うことでいつもは消えて貰っていたのですが…
 日ノ本を憂う気持ちを貴方は持っています、貴方を和に戻しましょう、
 そして次があった時には、その時は和を外れるような事の無きよう…」

『さらばだ』

「はい、さらばです」

花月の霊を鎮め昇華させる。
少女は何か物凄く尊いモノを見たような気がした。

「わたくしはしばらくここを根城にします、その許しを得たい」

この人はなるほど祓い人で不浄の魂を相手に戦い続ける宿命にあるのだと少女は知った。
そして自分の住んでいる土地がそういう人を招き入れるほどになっていることも…!

「…それとも貴女は実家に引取って貰うという手もありますね、事情を知れば
 実家は貴女を手厚く迎えるでしょう」

その時になってやっと少女の口が開いた

「この土地は…父ちゃんと母ちゃん…その父ちゃんや…ずっと昔からご先祖様が生きてきた土地だ…
 ここを離れるなんてあり得ない…!」

「では、ここにわたくしを置いてください」

「判った…でもいいのか…」

「わたくしがむしろ良いのかと聞きたいですよ、何しろわたくしは群れ集る蝿のような不浄を…」

弓がまた稜威雌を振るうと幾つかの不浄が祓われる。

「呼び込む体質をして居ますから」

「今は五月蠅くても…いつかは減るんだろう? それならそれでいいよ」

弓は微笑み

「強い心と遠き未来を望むその光、貴女は強い人です」



先ず弓は丘の周辺に結界を張りそれを持続するようにした。
同じ効力の守りも作り、少女に持たせた。
これだけで刺客のような強い悪霊はともかく、一つ一つは弱い不浄は近寄れなくなる。

次に弓は完全な円では無く瓢箪のような形のその丘の…家の手前側の広い領域から掘り始め
そこに石で封をされた通路を発見する。

「矢張りここは貴人(あてびと)の墓でありました」

入り口を開けること無く、弓は礼をしてそれを埋め戻し…そして岩を切り崩し
その細い体のどこにそんな力が…と言うほどの怪力でそれを運び、玄室入り口の封を
強化するかのように平らに斬った岩を並べて丘を登り、そこが参道であるようにした。

「ここを神社にします、ダメですか?」

「…いきなり神社にしようなんて言うなら止めたけど…ホントに誰か偉い人の墓の上に
 住んでいたみたいだから…そうした方がいいと思う」

弓は微笑みその子の頭を撫で、簡素ではあるが先ず参道前に鳥居を立て、山に分け入り食料の調達に入る。

「いいの? そんなに獣や鳥を狩っていって!」

少女の問いかけ、弓は野生動物をどんどん狩っていったのだ。

「ハレとケガレは長い間にその意味を違えてしまいました。
 元々は私ども人にとって益であるか害であるかくらいの意味しか無かったモノです、
 仏教が更にこれを推し進めました、肉食(にくじき)がケガレなどと言うのは遠い国から伝来した
 仏教が元になっております、この国には元々そんな物はありません、ただ、
 わざわざ獣を飼育して食べ物にすることが根付かなかっただけ…あれには相当な草を欲します
 この日ノ本でそんな膨大な草を常に用意するだけの余裕は無い、
 だから肉は主に狩りで得るもの…それだけのことですよ」

「でも…」

「気が咎めますか? 確かにそれはそれで尊いモノの考え方です。
 それに…取り尽くしては次が無い、止め処(とめど)も大切なことですね、ただ…」

「どうかした?」

弓はそこで少し恥ずかしそうに

「…わたくし大食いなモノですから、多少の「多いかな」という気持ちは持つだけにしてください」

少女は笑った、大食いなのか、なるほど細いのに立派な胸といい、大きな体躯といい納得した。
弓も静かに微笑み、そして問うた。

「わたくしは先ほども花月に名乗りましたが、十条弓、貴女の名は?」

「名前なんて無いよ、七つになる前に親が死んだからね」

「そうですか…、それでは貴女の名は守(もり)です、例え言い伝えが途切れても
 その地に根付き生きる貴女の血に捧げましょう」

「守か…悪くない…アナタの事は様付けで呼んだ方がいいのかな、でも言葉遣いなんて知らないし」

「気にすることはありません、少なくともわたくしは気にしません、呼びたいように呼ぶのが何よりです、
 わたくしの言葉が堅いのはこれもまた性分というモノです」

「そっか…じゃあ…弓で」

「構いませんよ、わたくしも貴女だけは守と呼び捨てで参りましょう」

弓は微笑み、狩った動物をまとめる他食べられる野草の類いや木の実、茸など
どこで見分けているのかきちんと食べられる、食べられないを見分けて採取しているようだ。

「どうやって毒があるのかを見分けているの?」

「古くからの知恵が先ず一つと、あとはわたくしの祓いの眼ですね、
 摂ってはいけないものを感じる事も出来るのです」

「便利、いいなぁ」

「でもこれは、目をつぶっていようと寝ていようと常にあらゆるモノが頭に流れ込んでくるモノですよ」

「それは…弓も大変だね、気の休まる暇(いとま)もない」

「命は縮めているでしょうね、でもお陰で永らえても居る」

言いたいことは判る、自然に死ぬのは早まるかも知れないが、先ほどのような襲撃で
死ぬことは先ず無い、とそういう事だろうから。
守には弓が遠い人のようにも思えたが、不思議とお互いの手をのばし合えば手を取り合える
そういう絆のようなモノも感じた。

弓にしても「孤独」や「劣等感(コンプレックス)」というモノがその向きや多少強さが違うとは言え
そんな「寂しい心」がここにもあるのだと知り、守を愛おしく思っていた。
この後の距離がどうなるかなど判らないし、この子は生け贄でも何でも無い、むしろ自分が願い出て
同居させてくれと言う居候の身分なのだから、自らが進んで手を付けることもあるまいと思った。



また大量の獲物を獲り、捌き、そして薪も集め囲炉裏(ゆるり)に火をおこし、その間に
井戸で血抜きをして洗い流し、塩をまぶし主に獸肉を炉の上に干した。
その為の道具もちゃんと家にはあり、なるほどかつてこうやって食べ物を確保していたのだと言うことも
守はこの時初めて心得た。

そして鳥肉を弓はそのまま糧にするようである。

じっくり炉の近くで解体された肉が焼けて行く。

弓が持ち歩いていた鍋には一部獸肉と共に茸や草、木の実が加えられ味噌で煮込まれる。
室町時代に入り大豆は一般食となりつつあり、味噌はそれぞれの家庭で作られるモノ
と言う流れにもなっている。

実際余り一つところに構える気は無い弓とは言え、拠点では大豆だけは育てていた。
ここでもそうした。

幾つかある簡素ではあるが漆塗りの椀の幾つかを守に渡していざ食事入る、
弓は決して下品では無いがとても健啖(けんたん・大食い)であった。
満足そうに全てを平らげ気付くと別な肉を頬張っている。

呆気にとられる守だが、その美味しそうに食べる弓の姿に頬も緩む。
実際、きちんと味噌なりを使って調理したものを食べるのは何年ぶりだろう、
生き延びるだけで精一杯だった、食べられそうな物は何でも食べる、生だろうと何だろうと。

少し遠い昔に置き去りにされた「幸せ」というものを噛みしめて守もありがたく食べた。
とてつもなく美味しいモノに感じられた。

「鶏くらいは飼ってもいいかもね」

ぽつりと言う守に弓は微笑んで

「それはいいですね」



この頃一般には土間で寝具と言えば藁というのが標準であった。

「いずれここを板間にして畳くらいは敷きたいモノです」

干し草を追加して自分の寝床を確保した弓が着物を脱ぎそれを掛けて寝る準備をしながら言った。
本来は藁に潜り込んでただ寝るのであるが、矢張りそこは生まれと育ちがでる、
藁の上に着物を掛けて寝るのが弓であり、至極当然の動きでそれをしたため、守も何も言えず
「矢張りこの人はどこか良いところの出身なのだな」と思うに留めた。

因みに敷き布団や掛け布団と言ったモノはもっと後世に、一般に至っては昭和になるまで
広くは普及しなかった、江戸時代に入っても身分の高い人でも一部畳の上にそのまま、
日中着ていた服をそのまま掛けて寝るスタイルが一般的であった。

囲炉裏のほのかな灯りに照らされる弓の肢体、青白いとはいえ基本的に大変美しいのであるが
良く見ると右二の腕中ほどに一直線に走る溶接したような痕であるとか、
脱がないと判らないような位置に結構沢山の傷跡があった。

「痛かった?」

つい守がその傷跡を眺めながら問うた。

「ええ、痛い物は痛いです…、でもそれに身を任せることは許されません、死にますから」

「それでも弱音なんて吐かないんだ、凄いね、弓は」

「吐けませんね、確かに。 でも安らぎが全くない訳ではありません。
 丁度今この時のように、わたくしは今安らいでいます、不思議なほど、
 屹度(きっと)、守の強く優しい心がもたらしてくれてあるのだと承知しますよ」

守はちょっと自嘲気味に笑いつつ

「図太いって意味では確かに弓とタメ張れるかも」

弓の手が守を撫でつつ

「それで良いのです、立派な力です」

弓は言葉遣いや礼儀は心得ているのに意地汚いことも時には良しと生きてきただけあってか
素のままの守をただそのままに認めた。
もっとこうした方が良い、ああした方が良いと言うことも無く、ありのままを受け止めた。

「もっと早く弓に会っていたかった」

「今からでも遅くはありません、貴女はまだまだ若い、これからです」

愛おしさが満開になり、弓は守を自分の元へ引き寄せ抱きしめてそして寝た。
何をするでも無く女の子を抱きしめ寝るなど弓にとっても初めてのことであった。


第二幕 閉


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