L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE:Fourteen

第三幕


守が目覚めると弓は居なかった。
何をしに行ったのかは判らない、判らないが寂しいという気持ちと
それでも屹度絶対に帰ってくると言う確信だけはあった。

弓は荷物を殆ど置いて行っているし、今日は日暮れには戻るだろう。

朝と昼の分は既に弓が作って囲炉裏の鍋にあるが、帰ってきたなら
狩りや料理を覚えよう、生き抜くための技術を弓から学ぼうと決心し、
伸びっぱなしだった髪を弓の持っていた鋏で切り落とし、いわゆる散切りにした。

弓は先ずカラビトの集落跡を探していた。
勿論その間に群れてくる不浄の魂を祓いながら。

「それほど多くの集団では無かったはず、しかしながら何故こんなに多いのか…」

二度目の元寇から数えても百年以上時を経て捕虜として捕らえた者達や、
使節団からそのまま日本に住み着いた場合を除き、矢張り母数がそもそもそれほど多くないはずである。

かつて渡来人としてやってきた者達もごく初期の者は流石にすでに日本に溶け込んでいるし、
そうでないものは容赦なく排除されてきたはずである。

ここ昨日今日だけでももう両手の指はおろか足指を足しても足りないだけの魂は浄化したはず。
そしてそれらをし損じては居ない、確かに祓った。

では何故…?

既に山間の廃墟と化し朽ち果て、草木に覆われたそこに立ち尽くし弓は考えあぐねた。



弓の帰りを待つ守の耳に木を倒す音が聞こえる。
木こりがここまで来ることは余りない、弓か?

守が急いで外に出ると、果たしてそこには弓がおり鉈のほぼ二三刀で付近の雑木林を次々に切り開いて居た。

「あたしに何か出来ること…教えて!」

その守の声に振り返らずとも判るだろうにわざわざ守の方を振り向き、弓は微笑んで言った。

「判りました、では幾つか…」

木その物を運ぶことは流石に無理としても枝を打っておくことや、今日も帰りすがらに
狩ったのであろう獲物の裁き方、一つ一つを丁寧に先ずは言いながらやって見せ、
そしてやらせて見せ、出来たことは褒める、そうやって守に自分の知る全てを教え始めた。

日々を重ね、ふもとの農民達が何事だろうと半ば穢れに満ちたこの地へ訪れた。
そこには丘の上に家があり、何を生業としていたか生きる一家がある事だけは知っていた。
そして、数年前の動乱で村にもここにも被害が出て、娘一人を残して両親は死んだことも。

この近辺で悪霊や穢れた魂の仕業と思える事象が増えて娘を保護しようにも出来なかったこと…
この日訪れようと思ったのは、その穢れた事象が明らかに減り、ここへ来るまでの道のりも
以前ほどには「イヤな感じがしなかった」為であった。

そして村人は見た。

簡素な、片田舎の様相は呈しているものの、そこには神社が建立されており、
かつての小屋も少しずつ建て替えられていって居ること。
髪の毛が茶色で緩く巻き毛の長い、えらく色白な巫女はそれを束ねていてその細腕にはあり得ない
大量の木材を運んでおり、娘はその横で得た獲物や草や葉などの下処理をして居る。

二人の間には物凄く穏やかな空気が流れており、いつもなら第一印象が「怖い」であるはずの弓も
美しく見えた、そして引き取りに来られなかったことを恨まれて居るかも知れない
と思っていた娘の表情も明るかった。

服も皮膚も良い状態で、身ぎれいだったことも好印象に繋がる、やや惚けて光景を見ていた一団に守が

「どうしたの? もうここまで来られるくらいになったみたいだね!」

取り残されて放置されたことなど何とも思っていない屈託の無い元気で笑顔のその声に

「ああ…、いや…済まなかった」

「気にしちゃ居ないって言うか仕方ないじゃ無い、と言うかあんた達があたしを
 ふもとへ引っ張っていこうったってあたしはここを動かなかったよ!
 そして…弓が…この人がやって来てここを祓い始めたんだ、弓、確かにここは
 少しずつ穏やかな土地になって行っているよ!」

その守の声に弓は木材を置く場所まで持って行きそれを下ろすと一団に向かって一礼をし

「勝手に祓わせて戴きました、最初に会ったのがこの子だった物で」

「何言ってるのさ、あたしがそうしてって、
 弓をここに置くこととか神社にすることとかいいって言ったんだ」

弓が微笑んで守を撫でながら

「わたくしは十条弓、この子もわたくしが名付けました、守と言います。
 しばらくここに根付かせて戴きます、少々遅れましたが今その許可を戴きたく」

弓は頭を下げた。
見慣れぬ風貌だが、礼儀は弁えていてそして確かに土地を祓っている。
いつもの他の地方なら主に活動するのが夜とあってか、そして無表情である事か畏れられるが
今この弓には半ば異形であるにもかかわらず輝く何かがあった。
単純にそれは神話の中から出てきたかのような良い意味での幽玄さを携えて神々しさまで感じさせた。

「オレたちゃあ構わないんだが…というかこっちまで足を伸ばせた方がいいんだが…
 ご足労済まねぇが村長にも言ってくれねぇかな」

「道理ですね、少々遅れたことをお詫びに手土産の一つも持って参上仕(つかまつ)りましょう」



その夜、えらく大きな熊とイノシシを手土産に弓が守を連れ立ち麓の村へ訪れた。

「なるほど…丘向こうの方は行くことすら敵わなかったのですが、そうですか、貴女が」

村長宅でこれまでのことを話しつつ囲炉裏を囲んで村長がそう口を開いた。

「はい、祓い人としては順序が逆になってしまいましたが、滞在の許可を得たく存じます」

「祓い人ってちゃんと知られた生業なの?」

思わず口を挟んだ守、村長がそこへ微笑みながら

「それがちゃんとした仕事だと知っているのは儂のような束ねる立場の者だけだよ
 あとは近くに寺や他に神社があればそこの人も知っているだろうけどね」

その言葉に弓が

「都からやや離れた…とは申しましても遠い訳でも無い…なぜここには寺も神社も無かったのです?」

「儂がもう少し若かった頃はあったんだよ、寺がね…でも坊主にも大変偉い方も居れば
 生臭いのも居る…最後に住職になった者がとんでもない男でね…
 あれは御仏の教えの皮を被った我欲の発露だった」

「難しい事言うなぁ、どういうこと? 弓」

「仏の教えを騙って好き放題していたお坊さんが居たと言うことです」

「そりゃ酷い」

村長は少々うなだれ

「それが元でどんどん悪い者が引き寄せられるように居着いてね…果てはたびたび動乱を呼び込むに
 至ったんだよ、その最後の動乱でお前さんの親も亡くなった
 そして、そんな悪い噂に満ちたこの土地により着こうなんて商いも神職も…果ては
 坊さんもいなくなってしまった、お役人くらいだよ、きっちり年貢を取りに来る事を忘れないのは」

弓が少々気の重くなった守の背中に手を当てながら

「伺いたいことが御座います、カラビトの集落はそれより以前ですね」

急にそんな昔の話を、という感じで村長は少々驚き

「そりゃぁもう、儂の祖父の時代だね…その時も酷かったらしい、
 この土地は呪われていると捨てることも考えて居たのだけど…何しろ山間の土地を
 一から切り開くなんて決して楽なことでは無い、これで何も育たぬ土地というならまだ諦めも
 付いたでしょうが、作物も山の幸もそこそこ取れる、だから捨てるに捨てられない」

「もう少し開けそうですが、水が足りませんか」

「そうだね」

「今使って居る水源とは別の水源もあるようです、そちらから水をお引きになると宜しいかも」

「他に水源が? いやしかし湧き水なんてこの辺には…」

「湧いてはおりません、山の岩の中に筋として通っております」

「判るのかね」

「カラビトの集落跡を訪れた時に少々歩きつつあちこちで土地に耳を澄ませました」

「カラビトか…しかしまた何故それを?」

「これはひょっとしたらわたくしが命を賭けて挑まなければならない祓いになるかも知れません」

それほど!
守がビックリして弓を見つめた。
折角側に来てくれた希望なのに、もう去ることを考えて居るというのか?

「ただ…それにはまずどこがカラビトの怨の発祥地なのか、そしてその規模は…など
 調べなければならないことが山積みです、それで…幾年かここに身を置かせて戴きたく…
 勿論依頼があればそちらの祓いも致しましょう」

「カラビトの怨が全ての源かも知れない、と仰るのですか?」

「はい」

弓はきっぱりと応えた。

「手に負えない場合は?」

「その時ばかりは祓いを集結させなければならないでしょう、他の手を空かせることになりますが
 そうしてでも祓わなければなりません、カラビトの怨…大変にしつこい者と伺っております。
 …祓うべき悪霊からも…」

「…あ、弓と会った時の花月とか言う武士の霊が言っていたね」

守の言葉に村長が

「その悪霊とやらは…」

矢張りそこも気になるか、でもそれは村を守るため、仕方のない事だと弓は思いつつ。

「丁度良い」

弓は言いつつこれまた電光石火の早さで床に置いていた弓を真上に引き、射た。

『矢張り貴殿には奇襲などは無意味のようだ』

「ええ、無意味です、ですから皆の目や耳に届くよう姿を現し願います」

『致し方の無い』

突然の弓の行動にも驚いたが、その先に武士の霊が現れた。
この頃の霊は強く滅多に怨霊にならない代わりになったら人にも見えるようになる者が多かった。

『我が名は千倉 九重(ちくら ここのえ)』

「十条弓…とは言え、聞いていたでしょう、しばらくお互いに矛を収めませんか」

『カラビトの怨を祓うという話か』

「そう…そしてあなた方がひょっとしてカラビトにちょっかいを掛けている分
 失われずに散っている恐れがあります」

『む…それは聞き捨てがならぬな』

「あなた達は祓いとは逆の波ですが全く異質という訳でもありません、鍛え方によっては
 正式にカラビトの魂を消し去れるかも知れませんが…
 そうなるとあなた達も悪霊や怨念とはほど遠い存在となってしまうでしょう
 どうあれ日ノ本を憂える心は残っているようですから」

『祓いならそれがやれると?』

「少なくともそれが「祓い」ですから」

『説破、然りだ…しかし拙の意思一つで決められることでは無い』

「集団である事を認めて宜しいのですか」

『この際は致し方の無いもの、其方も気付いておったであろう』

「では、貴方の仕えし長にお伝えください、他の地方では構いません、ですが
 わたくしがこの地にあり、カラビトの全てを祓うまではわたくしに対する手出しは無用と」

『確認のため一つ聞こう』

「判っております、貴方達を避けるため一生何もせず引きこもろうなどは考えておりません、
 他の地方から助けが掛かることもありましょう、その時は遠慮無く…」

『承知、ではこの件は決まれば正式に村長に伝えよう…』

「宜しくお願い致します」

以上のやりとり、弓は全くそちらを見ることなく行われた。
弓の無表情、矢張り周りで聞いていた村長や村民などは少々気後れした。

弓にまた少し表情が戻りつつ

「そういうわけです、もし悪霊団の約束を取り付けられましたら、
 正式にわたくしをここへ置かせてください、せめて…カラビトを祓いきるまで…」

そう言って綺麗に頭を下げた、頭を下げる必要の無い守も頭を下げた。
弓ともっと一緒に暮らしたい、一生は無理かも知れないとは言え、その間はホンの一時でも
無駄に過ごしたくない、そういう守の必死さがそうさせた。

「少なくともあたしが最初に弓と会った時に見た悪霊は、突然襲いかかっては来たけど
 潔く負けは認める奴だった、屹度話せば判ってくれる…あいつらも生きていた時は
 カラビトに苦しめられたらしいんだ」

その言葉に村長が

「本当かね」

弓がそれに

「弘安の役の頃の記憶か記録が残るところへ…少なくとも花月 園前という武士は
 鎌倉の幕府に従い、元国と戦った後、組に招き入れたカラビトの暴虐無尽さのせいで
 組はお取りつぶし…カラビトの里もそれが元で滅ぼされたそうに御座います」

そう言って持ってきていた紙と筆に弓はすらすらとその名とあらすじを書き、村長に渡す。

「…判った、調べてみよう…とりあえず守や…良かった、皆お前を気にしては居たんだ」

「もういいよ、さっきも言ったけど…例えここへ連れてこようって言ってもあたしは動かなかった」

そこへ弓がすかさず

「もう伝承もおぼつかないようですが、あの地は古に貴人がお隠れになった場所に御座います、
 守の血筋がずっとあの土地を守っていたのでしょう、そのため、カラビトの穢れに満ちても
 あの丘だけは守られていたようです」

「何か…横穴の石壁があるのは確かめたんだ」

おお、と村人も声を上げた

「なるほど…いや…確かにあの丘は大事な土地だと言い伝えられていましてな…」

村長がそう言うと、決心したように

「判り申した、居てくだされ、時々別の仕事をお願いすると思います、
 あと、花月という武士のことを調べることもあり誰かを都へやりますが何かありますか」

弓より守の顔が輝いた、少なくとも何年か…判らないけれど弓の帰ってくる場所になる!

「では…こちらを…」

あらかじめ認(したた)めていたのであろう書状を取りだし、村長に差し出した。

「自ら赴こうかと思いましたが、一時でも無駄にしたくありません、それを都の十条へ…」

そう言って改めて弓が頭を下げた。



その後十日ほどが経って都の祓いが騒然となったことは言うまでも無い。
弓が生きて方々で活動をして居ることは知っていたし、その痕跡もあった。
ただ、誰がその場へ向かっても既に弓は居なかったし、麓の村では弓が去ったことを嘆く少女が居て
中々拭えないようだった事くらいだ。
その風貌や祓いの様子からしても払い人としては好調で…そして誰からの影響か少し女泣かせ。

都の祓いは落ち着いており、師の二人が所帯を持ち次代を繋ぐために子育てをするのに
現場を離れても回る程度にはなっていた。

書状を手に取り読んでいた芹生と稚日女…稚日女は天野では無く四條院となっていた。
そしてその腕にはまだ生まれて間もない子と、走り回るほどには元気な子も居た。

因みに室町時代、武家社会に上も下も倣って嫁入婚が主流となってきており、
場合によっては母権的な物は残ったが、家という単位と家長という者が確立して行く中
女が男の従属物になって行く時期でもある。
ただ、古代を色濃く残す祓い人やその家系となると未だ母権的なモノも強く、婿入りも多い。
稚日女と芹生の場合は稚日女が嫁入りする形になっただけ、と言えばだけである。
何より二人は対等のパートナーであるし、弓を二人で育てた経験も生かし、
稚日女に比重は置かれつつもと言って芹生も何もしない訳でも無い、そういう夫婦であった。

「美濃(岐阜)と近江(滋賀)の中程の山地のようだ、伊勢も近そうかな…元気で居るようだ」

芹生が呟くと

「あたし達にはただ二人の師に…と少しあるだけか、ま…しょうがないね…少々寂しい」

「転んでもただでは起きぬ…と言っていたが…方々で女泣かせをして居るようだ
 書状には勿論そんなことは書いていないけどね、今はその住むことになりそうな土地で
 守という名の子と暮らしているようだが」

「どんな子なんだろう、どんな場所に住んでいるのだろう、会いたいな
 でもそうするとあの子を追い詰めるのだろうか」

「…どうだろうね、心の奥底は中々覗けない、何気な顔で会うことだけは間違いないだろうが…
 どのみち稚日女、君はもう幾年か手も離せないだろう、俺もそろそろ上の子には
 教えられることを教えて行こうと思うし、たずねるとしても近隣の祓い人か
 都からにしても他の誰かになるだろう」

「あれから…もう四年かい、五年かい…」

過ぎゆく年月、そしてあの夜に対峙した悪霊との中で匂わせていた悪霊側も徒党を組んでいる可能性…
当然芹生も気付いていてそれとなく方々には知らせていた。

「生涯の敵を…見つけたか、弓、そんな悪霊たちと休戦してでも祓うべき敵を…」

「あの子は…他人に中々心を開かない…痛みも見せない、でもあの夜見た。
 あの子の体は本当は傷だらけだというのを…」

「落とされた右腕に愕然とすることも無く対処していたしね…まったく、無事生きているならいるで
 心配を掛けさせる弟子だよ」

「弓…」

稚日女と芹生は高い高い空を見上げた。



「貴人丘杜(あてびとのおかもり)」と名付けられ碑を立てられたその質素な神社に二人の男女がやって来た。
参拝をしてから、二人は住居の方へ向かい、真新しい高床式の大きくはないが家…
(囲炉裏部分のみ石組みの基礎を築き、元の場所そのままに使われている)

「あー、吾が名は天野 力(チカラ)、都から大和へ一報が入り訪ねし候」

「同じく、四條院 摂津(せつ)十条弓様、居られましょうや」

足音が奥から聞こえてきて戸が開けられるが、そこに居たのは筆を加えた散切りの少女

「弓なら隣村の祓いに今朝借り出されたよ、帰りはさぁ、明日あさって…近日中には戻ると思うけど」

「うむ! そうか入れ違いであったか…麓まで出て吾がでは隣村まで追うことにする」

「そう、行ってらっしゃい(守を向き)申し訳ないんだけどそれまで私は居させて貰うよ」

「いいけど…大したもてなしも出来ないよ?」

「挨拶だけが用事じゃ無いんで、それなりに直に話さないとならない事もあってね」

「何があるの? カラビトのこと?」

「それもあるけれど…ここの墓の事でね」

「弓は掘ったけど中は検めずに仕舞ったよ? それじゃ不味いの?」

「かも…知れなくてね、同じ祓い人とは言え弓様が先に手を付け鎮めたモノに
 迂闊に他の払いが手を付ける訳にも行かないのさ、彼女が死んだならともかく」

「そういう事、言わないでよ」

摂津はちょっと弁解するような手つきと表情で

「ああ、ゴメンよ…君は弓様の?」

「今は…ただの同居人」

「今は…か」

「今は…」

顔を真っ赤にして俯く守、摂津はにっこりして

「まぁまぁ、祓い人って言うのはどうしたって死と向かい合わせだから、ゴメンよ、無粋を言って
 あ、因みに私はこんな形(なり)をしているけれど、男で女には興味ないから」

物凄い驚愕の声が当たりに響く、摂津は耳を塞ぎながら

「そんなに驚く事無いじゃない…私は何か生まれながらに成長がおかしくてね、
 こっちの格好の方がしっくりくるし、何より色々便利な場面もあるんだ」

「そ…そう…まぁ…入って…あ、じゃああのチカラって人が…」

摂津はにっこり微笑んで

「彼は好みじゃ無いからw 祓いの相性はいいから組んでるけど」

また凄い事をさらっと言う。
やや馴れ馴れしく摂津は家に入り込みつつ

「君、年幾つ?」

「え…十七(満年齢この段階で十六)」

「私が一つ上なだけだ、摂津と呼び捨てでいいよ」

「凄い、声まで女の人」

「うん、そういう風に育っちゃったからね、仕方ないのさ、男らしさみたいなモノにも興味ないし
 …ところで君は何を?」

「あたしは守、弓に名付けて貰った、で、今…朝に宿題出されて、字とか色々習っているんだ」

「偉いなぁ、よし、じゃあ勝手に上がり込んで泊まるせめての礼に私も教えさせてよ」

「ぇえ?」

「ぇえ? じゃあないだろう? 言っておくけど弓様も文字とか教養とかは
 四條院から習っているんだよ、都の四條院 芹生って人、彼好みだったんだけどなぁ…」

いちいち挟まる何とも言いがたい一言に守は汗しつつ

「さっきから弓を様付けしてるけど、弓ってやっぱり偉い人なの?」

それについてはちょっとどう返答したものだか、摂津もちょっと考えた表情になり

「先ず年上だからって言うのが一つと…会った事は無い、無いけど彼女の仕事のあとは見た事がある
 凄い人だ…恐らく今活動している払い人の中でも三本の指に入るんじゃ無いかな、
 詰まりそういう「格」みたいなモノ込みなんだ」

「そんな…凄い人なんだ弓…確かに何でも出来るし何でも知っているし凄いけど」

「まず「祓いの眼」を持っている人がこの日ノ本に二人しか居ない、弓様と、
 私達払い人が何があっても従うべきキミメの…フィミカ様
 祓いの眼って要するにずーーーーーっと連続して祓いのチカラを使い続けているって事
 それだけで桁違いなんだよ、そしてそのフィミカ様に出会って言い渡された試験が…
 これ言って判るかな、無念さん、彼を祓う事、これも桁外れの要求なんだ」

「弓に聞いた事はある、無念さん…「そういう霊もいる」って話で」

「十条家は今は殆ど役人とか商人とかだけれど、その昔は祓いの一柱を担っていた。
 役人とかやってて鈍くなった祓いの血がある時一気に一人に集中して生まれてくるみたいでね
 つまり弓様は物凄く期待されていたんだ」

「…そっか…その期待が弓を押しつぶしていたんだ」

「会った事は無い、でも姿形は聞き及んでいる、目が見えないって事も。
 辛かったんだろうね、私も少しは判るんだ、このなりで生きてもいいって認められたの割と最近だからね」

そう言う意味では、この摂津の心の痛みもなんとなく伝わる、
それを紛らわすためのあの軽さなのだと言う事も。

「君みたいな人に出会った事は多分弓様にとって幸福なんだと思うよ、
 祓うべきモノがあるにせよ、一つところに住み着いて腰据えてって人じゃ無かったから」

「そうなんだ?」

「そういう事は話さない人なんだなぁ、私もちょっとずつ会うために彼女の事を聞かせて欲しいな」





チカラが村長の家で弓の行く先を聞いていた時だった。

『御免』

玄関から霊の声がする!?
力が愛武器である太刀を握りしめ振り返ると、武士の悪霊、そして向こうも驚いた!

『何故ここに弓以外の祓い人が!? 謀(たばか)られたか!』

刀を抜き掛かっていた力が「ムッ!」と声を上げ、その動きを止めた。

「なるほど、ぬしが休戦を提言されたという千倉というモノか
 吾が名は天野 力…この地へはぬしでは無い…岡の墓についてやって来た」

『カラビトでもなくか?』

「それもある…だがしかし未だどこにあるのか見当も付かぬと言うのでは我々も
 いつまでもここに居られる訳でも無いのでな、墓の件だけだ」

『そうか、おぬしは話が分かりそうだ』

「うむ、ぬしもそのようだ」

お互いに刀を納め、お互いに礼をした。
そしてお互いにやっと笑い

『お互い生まれた年を間違えたようだ』

「全くだ、主とはいい酒も飲めたろう」

置いてけぼりの村長がぽかんとする中二人が笑いを上げる。
そんな時、千倉の背後から

「賑やかな事で…千倉さん、お疲れ様です、その後どうなりました?」

弓だ隣村に行っていたのでは? 隣村と言っても山道を進み多少のショートカットは祓いで出来ても
そこから退治の戻っての…では一日は確実の筈、まだ四半日(約六時間)すら経っていない!

「村長、隣村のミズチ…祓って参りました、あれも矢張りカラビトの気で狂わされていたようです」

「も…もうか…」

「ええ、何ならお確かめに行きます?」

「い、いや…貴女が嘘をつくような人では無い事、知っている事は全部話してくれている事
 全て確認しました…今更二度手間な事を…」

「それで宜しいのでしたらいいのですが…では誰か隣に行く機会のある人にでも
 一応の言付けをしておいてください、わたくしも重ねた信頼を崩すようなマネはしたくありません」

「頑固なお人だ…判りました」

今度は帯刀二人組を置いてけぼりに弓と村長が話し込む。

「…それで、武士霊団の方はどうなりました?」

虚を突かれたが、千倉が応える

『うむ…ゴホン…今もおぬしは隣村という違う氏地に赴いておったようであるし、
 信用に足ると判断された、しかも悔しい事に我らの攻撃でカラビトの霊は散って増えているだけ
 と言う事も確認された…そしてこれは我らからの情報だ、心して聞け』

悪霊側から祓いに情報!
力が大いに魂消た。

「かつて似たような霊に会いました、それは無念さん。
 同じようにすれ違う霊や生きた人から心を吸い取り自らの糧としている…そう言うところでしょうか」

『む…うむ、言う事が無くなったでは無いか判っていたなら申さぬか』

「確証がありませんでした、しかしこれで確信を得ました、情報有り難う御座います(綺麗なお辞儀)
 そして無念さんと違うところは…いずれ大きな力をそれぞれが持った時に人に取り憑き、
 その人をカラビト化させる事…」

『そんな事になってはこの島国、地獄になる!』

「でしょうね…」

力がそこへおずおずと

「いや、しかしぃ…それで一体何を…」

「天野の方ですね、お初にお目に掛かります、十条弓と申します」

その濁った見えないはずの目、でも彼女は矢張りちゃんと、抑えていた祓いの力まで読み取った
力は名乗り、そしてカラビトの目的を再び問いただした。

「この日ノ本を破壊する事です、そして自らがそれになりかわる事です
 記紀によると二千年以上…この国は続いているのですよ、その途中からは明らかに
 大陸の文化風習も入ってきております、もっと向こうの波斯(ぺるしあ)まで…
 大陸の国はその間どのくらい入れ替わったでしょう、時に民族ごと、文化丸ごと…
 継承したのが文字や概念だから一続きのように振る舞いつつ、彼らは判っています
 何があろうと存在し続け、従わない日ノ本という国を憎んでいます」

『「そんな…」』

気の合う二人の帯刀者が声を揃えた。

「日本が下である事を内外共に認められる状態になるまで、彼らの逆恨みは続くでしょう
 でも、彼らのその欲求を満たしたところでまた次…また次…どんどん無茶になって行くでしょう
 海を隔てて向こうならそれでも勝手に恨めば良いと言えますが、
 この日ノ本に住み着きながら馴染まず死んでなお乗っ取ろうとする穢れた魂だけは
 どんな事をしても祓わなくてはなりません」

その場に居る全員が全力で頷いた。

『では…今回は竜頭蛇尾に終わったが…こちらも出来る協力はしよう』

「確かにこれは祓いだ悪霊だ言っていられない事態である」

村長がぽつりと

「全く…滅びてなおここいらに迷惑を掛けてるってかい…熟々イヤになるね…」

「面倒でも負けてはなりません、皆様、とりあえずここ幾月か過ごしたところでは
 急速に育つ事も無く、また育ったとしても一つ一つは然程強くはありません
 どこかに…本体があるはずです…巣と言ってもいい、先ずはそれを見つけて
 それから対策になります、順序を誤っては全てが水の泡…どうかご協力を」

それぞれが頷いて解散、おっと、と気づき力が弓を追いながら

「いやいやいや、待ってくだされ、弓様、我らが要件が…!」

村長宅から引き上げるべく歩き始めた弓が振り返らずに

「我ら…?」

「はいぃ、ご自宅の方では四條院 摂津というモノが待っております」

「そうですか、それでは早く戻りませんと」

「早く…」

弓は詞を唱え、その身に宿す、身体能力向上だ、そこまでは力も判る。
その後だ!

弓は地を蹴り飛び上がったかと思うと、何も無い空中を蹴って物凄い早さでその方向へ戻る。

「おぉお、待ってくだされ! そんな事が出来るなど…聞いておりませぬ!」

そんな時、力の心に弓の声が。

『そうですか…申し訳ありません、しかしこちらはもう付きますので、お待ちしております』

祓いの力は古代の方が一つ一つが大味ではあるが強かった。
しかし、ものの道理というか理屈が判るにつれて本来は少しずつそれに合わせ
詞なども進化せねばならないモノだった。

理屈が浸透して行けば行くほど、古代の力は弱まるのだ、今、三家ではその理屈に合わせて
詞をいじる前にあった、そう言う意味では、明治以降の二人の弥生などは
探究心も強く、その理屈に合わせ詞をいじる才能もあった。

この場合、「祓いの眼」で全てを見通せる土台があって、更に考える力があって
弓はこの能力を発揮出来た。

今はただ、力が必死に祠へ戻らねばと走って追いかけるしか無かったのだった。


第三幕  閉


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