L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE:Fourteen

第四幕


「墓を検めたい?」

弓の言葉、摂津はひれ伏しながらそれに応える

「はい、矢張りそれが「誰であるのか」を知りませぬと、「これから」の事もあります」

「ふむ…いえ、わたくしの懸念は…これでつむじを曲げられてしまうと
 この地のケガレが一気に深まる事で…」

「然りご尤もです、しかしその為に三家が揃うようにも組まれました」

「奈良の四條院本家のお達しなのですね?」

「はい」

弓は少し考え守を見た。

「うん? いや…あたしは弓がいいならそれでいいよ?」

弓は「少し思っている内容が違うのだけれど」というヤレヤレに似た表情、
でも愛情に溢れた表情で守を少し見つめつつ

「一時的にでもこの地の平安が乱れるかも知れない、守、わたくしの側に居てください」

えっ、あ、そういう事か…守はちょっと頬を赤らめた。



参道を麓から少し石段を登る。
大きめの敷石の脇に立ち、弓が言う。

「この一枚だけをはがせば後は下に掘るだけです」

「これをお一人で為されたのですよね」

「はい、でも貴方でも出来ると思うのですが」

「やった事はありませんねぇ…何しろ力勝負は力に任せていましたから」

「ではやってみれば良いかと」

「…そうですね、力も戻りませんし」

摂津の詞が唱えられる、守もいつも聞く「体をよりよく動かすため」の詞だ。
でもそれでうっすらと見える光は緑、弓は青、不思議だな、と守が思っていると、摂津が
試しに敷石を持ち上げる…物凄く重そうだが石をめくり上げ転がすほどには発揮出来た。
やっぱり凄い、でも見比べるとなるほど、弓は細身ではあるけれど実に硬く締まった体なのに対し
摂津は力仕事は力に任せていたと言う通り、その細腕はどこまで行っても細腕のようであった。

「…いやぁ…、やっぱりこう言うモノも普段の鍛錬が効いてきますね…」

ゼーハー言いながら何とか敷石をどかした摂津の弱音、守が少し笑った。

「詞が同じならある程度同じに…と思いましたがなるほど、普段の力の使い方にも依るのですね」

「判っていたはずですよぉ? 意地の悪いお方だ」

弓も微笑んで

「いえ、流石に師にやって見せてとは言え無かったモノで…w」

「そりゃ、そーですね」

初めて笑いをかみ殺したように弓が喋った、守はなんだか嬉しくなった。
日に日に弓に人らしさのようなモノが濃くなって行く気がする、少なくとも今、それは確実に濃くなった。
弓が少し冗談めかした事で、摂津の堅さも取れた、弓は何であれ影響力の強い人なのだと守はそれも感じた。

「流石に掘るのはお願いします、私…一気に汗が…」

確かに顔は真っ赤に、汗も可成り滲んでいる。 守は二人に

「こう言うのって力の前借りなの?」

弓と摂津が少し見つめ合い、摂津が口を開いた。

「そういう面もある、でもそれも鍛錬次第で本当に単純に力を倍々にも出来る。
 わたしは詞を唱えるまでは専門だけど、それを受けて動くのは力が専門だったから
 前借りの形になっちゃったのさ」

「なるほどー」

弓が林を見つめ

「戻ってきましたがあちらも多少息が上がっていますね、ではわたくしが掘りましょう」



ゼーハー言っている大和の二人組を置いて石室の扉まで掘り進めた弓、深々と頭を下げて

「あなた様を検めさせて戴く事になりました、お気を悪くせぬよう願います」

弓が扉…と言う名の石の蓋を開けようと手を掛け、

「摂津さん、宜しくお願い致します」

「はーい、判っています、それは私の専門でーす」

疲れていようと摂津の詞が唱えられ、掘った穴を覆うように展開され、それと同時に弓が石をどける。
その瞬間弓の脇に左手で抱きかかえられた守を更に少し強く弓が引き寄せた。
何があっても守ろうとしている、自分を。
そう思うと切なくなるほどに弓に対する思いも強くなる。

でもそんな守の恋心を打ち消すかのように、方々から派手な色の禍々しい何かが玄室の入り口に
集中して飛んできたのだ、そして弓による古墳その物を守る壁と、摂津の玄室を守る壁と、
どちらかに当たりかき消されて行くのも守には見えた。

「な…なんでカラビト達はここに入ろうとしているの?」

「この浄い空間を中から崩そうとして居るからです」

「ええ…? 何故そんなにしてまで…そこまでこの国が憎いって何なんだろう」

「今から足掻いても絶対手に入らないものを「格下で無ければならない」日ノ本は持っているからです」

「それは」

「伝統と伝統への敬い…」

守が身を屈めるほどだから、弓にとっては大変キツく通らなければならない通路、
いよいよ気の狂ったかのように突っ込んでくるカラビトの魂、そして万が一にも破られた時のため
待機する力と摂津、摂津は壁の重ね掛けも施していた。

そして玄室の中、副葬品もあるがそれほど豪華では無い。
あと、歴史時代に入るか入らないかの微妙な時期…今で言う古墳時代によくある
古墳その物に捧げられた埴輪などのモノも出なかった。
そちらの方は摂津の方がより専門なので、少し厳しい表情をする。

玄室には石棺があるが、しかしそれは…

「空(から)…石棺の中に人は居ない…!」

弓が声を上げると守が

「でも、開けてないじゃない? 開けないと」

「いえ…! この石棺は…鍵です、本物のお墓は…この下!」

「ど…どういうこと?」

弓はそれには応えなかったが、詞を込め、そして詞を石棺に捧げたようだった。
見守る守、しかし何も起こらない。

「…足りない…」

「足りないって何が?」

「これは…わたくしだけが開けようとしても無駄です…お二人とも、何とかこちらへ来られませんか?」

弓が入り口の方へ声を掛ける、二人は顔を見合わせた、厳しい。

「我らが行かねばならぬ事情とは何でありますか!」

力が弓に応える、そして弓は言った。

「この石棺の鍵は…三家が揃わないと開けられません、三家の力を合わせ白い光にしないと
 開けられないのです、そしてそれは…フィミカ様の持つ光、恐らくこれは
 古くオオキミの一族の誰かの…しかも力を持った人のお墓なのでしょう」

その言葉に二人は見つめ合い頷き、とりあえず入り口を見張って守りを堅くしなければならない
摂津だけが残り、力が奥へ参じた、そして試しに二人の力を合わせてみた…矢張りあかない…!

「摂津! どうやら本当である! 二人でも足りぬ!」

そこで弓が言った

「もうやめませんか、どうやらこの方がオオキミの血筋である事は確実です…
 それに…今この状況下で三人揃えるには危険が過ぎます…!」

「そうですな…! 先ずはカラビトの祓い…それをしませんとおちおち中も検められない…!」

力もそれに応えると、力がまず石室を抜け、そして弓も守を抱きかかえたまま石室を出て
そして三人で頷き合うと弓はせきしつを閉じて隙間もないように詞で溶接した。

カラビトの魂達はこれで機会を逃したと嘆きながら飛び去って行く。

「しつこいったらありゃぁしない…「だから」忌み嫌われるって言うのに
 それをこっちのせいにしてくる、余計に嫌われる…その繰り返しですよ」

摂津が吐き捨てた。
穴は弓と力で迅速に戻され、そしてまた敷石で厳重に蓋もされる。

「あたしも…この事で心に刻んだ…どうあってもここを守らなければならない…!」

守の強い口調、殆ど何の力も無いのに、それを意に介さぬ強い口調、
弓がそんな守を後ろから抱きしめ愛おしそうにその髪へ顔を埋める、少し切なそうでもある。

大和組の二人はそんな光景を見て頬が緩むモノの、ちょっと自分たちはどうしたらいいのか
という雰囲気にもなった、それを察知したか、守が恥ずかしがって

「とにかく! そうであるからにはここはちゃんと落ち着くまであたしが中を検める事を許さない」

「わたくしも賛成です…ひょっとしてこの代では叶わない事になるかも知れません、それでも…
 焦りは禁物です、このお墓はいつでもここにある」

弓は時々寂しい事を言う、その姿のように、儚いことを言う、でもそれをいつも考えて無くてはならない
それが祓い人なのだ、それが証拠に大和組の二人も頷き合って、こちらに頷いてくる。
人なつっこく軽いノリの摂津すら同意する、祓いとはそういう世界なのだ、

「とにかく、中止って事でこのまま帰すにはもう遅いから二人とも泊まっていって」

守の言葉に、弓も同調する

「そうしてください」

二人はまた見つめ合って力が代表で

「では、お言葉に甘えまして…」



どのみち今回の結果を書状に認めなければならない、摂津が事を詳らかに書き、
弓がそこに図を入れ、どこがどのようになって何が必要かを書き記し、
(或いはフィミカ様であれば一人で鍵を開けられる旨も添えた)
そして最後に参加した人物全ての名を、それぞれがそれぞれの筆で署名して行く。
弓はこの地の「守」である守の名も書かせた。
下手くそだから、と言っても書かせた。
この地に長く住まい、何があろうとこの地を守るという強い意志は立派に名を連ねるに値すると
弓はそうさせたし、大和組の二人も同意した。

守はそうやって、成長を促されても行ったのだ。

夕飯に入る頃、干しつつ燻してあった肉もその殆どを下ろした。
守が驚く中、それは祓いの三人の腹の中に綺麗に収まってしまったのは言うまでも無い。
弓が特別健啖である事は変わらないが、まぁ体の大きな力はともかく、摂津でさえも
結構な量を食べていた。

「祓いって食べる方でも大変なんだね」

汁の入っていた鍋も空、肉もなし、綺麗に全てを平らげた三人と一人。
摂津が流石に腹一杯という感じで少し姿勢も崩して緩みつつ

「奈良に都があった時分では祓いは陰とは言え公の生業だったから良かったんだけどね
 京に移ってからは陰もまた陰、裏から日ノ本を支える側に回っちゃって、
 お金にも何にも困る事になって、そんな時祓いを捨ててでも先ずは三家それぞれを
 支えるという側に回ったのが十条なんだ、そのうち十条には払いの手も少なくなって
 天野と四條院を支えるって風になっちゃって、十条に祓いが生まれても
 育てるのは四條院や天野の役目…で、今まで来た、祓いには物凄く気力や体力を使うから
 どうしたって食べるのだけは減らせない、十条が役人なんかをしてくれながら
 支えてくれるから私達は気兼ねなく払い人が出来るんだ」

「誰かがやらねばならなかった事、古くから独り立ちして民間の祓いをしていた天野や
 仏教に傾く世に馴染めず奈良に残った四條院、それぞれに理由もありましたし。
 たまたまそれが十条であった、それだけの事です」

弓が付け加え、更に続けた。

「むしろ本来であればそれぞれの地方に三家の祓い全てが揃わなければならないのに、
 十条はそういった意味ではその意義を半分削いでしまった事にもなります」

力がそこに

「時の流れと政情には逆らえませぬ、願わくば例えどんな形でも千代に三家が残る事のみ」

「そうだねぇ」

摂津も同意した。

そうして一晩の後、朝これは弓や守にとっても貴重ではあったのだが
雑穀と大豆の入った握りと残りの干し肉などを持たせ、大和の二人は帰っていった。



カラビトの巣がどこにあるかが未だ掴めない事を除けば他は全てが順調であった。
弓は居場所を作った事で他からの応援が良く掛かるようにもなり、流石に弓の電光石火といえど
数日から長くひと月ほど掛ける祓いにも出るようになっていた。
そう言う時は大体行きと帰りにそれぞれ他方の用事も含み一回の遠征で数件の応援をまとめたモノだ。

もう、守は寂しくは無かった、カラビトの祓いが残っている事、そして自分がここに居る事
絶対弓はここに帰る、当然帰るモノとして信じ迎える、それが自分の役目だと胸に刻んでいた。

また少し時が経ち、そろそろ大人の色も強くなってきた守、もう冬になる頃であった

「もし…守殿はご在宅かな」

尋ね人が耳を澄ますと足音が聞こえ、戸が開けられると筆を咥えた女性。

「あたし? 弓じゃ無くて?」

尋ね人はこれまた奇跡的に中性的というか…でも立ち振る舞いなどは男性である。
三十路に入って居るようだが若々しい。

「弓が果ては蝦夷の方まで祓いだというのは知っている、俺はその代わりでこの辺りの祓いを
 請け負ってね、帰りに…ちょっと君にだけは会っておきたくて…少しいいかな?」

守は尋ね人の天辺からつま先まで見て

「あなた「こんな形して女で男に興味ない」とか言わない?」

尋ね人は笑った。

「はっは! よく言われる、大和を中心に活躍している四條院に俺と真逆っぽいのが居てね」

「じゃあやっぱり貴方は四條院の? たまーに摂津と力が寄ってくけど」

「摂津、あの子も大した成長をしたそうだ、こっちで仕事もあったんだって?」

「あ…、もしや…貴方…芹生…様?」

「ん、知っているかい?」

「その摂津からと…後は弓から…」

とばかり言うと、守は深々と頭を下げて尋ね人、芹生を迎え

「どうぞ…何も無いところですがお入りください」

少しばかり虚を突かれた芹生であったが

「そう堅くなる事は無いよ、俺と稚日女が師なのは俺と稚日女が先に生まれ術を学んだからに過ぎない
 呼び捨てでも構わないよ、四條院や天野に身分は無い、好きなように呼ぶといい」

「そうは言って…いやえと、言いましても…うん? 違うな…仰るを使うんだっけ」

芹生は優しい眼で

「だから、無理をするくらいならありのままでいいよ」

守は締まらない表情で

「折角弓の最高の師って人が来たって言うのに、何か損だ、それじゃあ」

「それでいいんだよ、どうしても必要なら弓は君にもう教えているはずだ
 君はそれでいい、弓がそう言っているんだよ」

「なんだかなぁ…気後れしちゃうんだけど…じゃあまぁ…入って」

芹生が中に入ると、建物の見た目にもかかわらず存外に暖かい、通気を考慮しながらも断熱にも
力を入れた…外に対して中が一回り狭くはなっているが、代わりに快適な住空間になっている。

「弟子期間最後の二三年、弓は色んなひとに色んな事を修めに回ったが…建築まで学んだのか」

「冬も炭さえ絶やさなければ余り寒くなくて、夏はあちこち開けて結構涼しいんだ
 弓って何でも出来るけれど、これは芹生様じゃ無い?」

「ああ…俺は詞と学問を…稚日女は武器と体術を…戦う方に重きを置いた師だ…
 弓は料理や洗濯などは女中やら…鍛冶屋に赴き刀の手入れや鏃の作り方…
 木工のところに行っては弓の作り方、矢の作り方…それぞれの専門についてその全てを
 学んで旅立っていったんだよ、彼女の今のところの人生の大半は多くの人に頼らざるを得なかった
 そのお返しに、一人で立派に生きる事で報いようと…彼女らしいけどね」

「それ、あたしも会って間もない頃に言ったんだ、
 かたわだろうと盲だろうと、五体満足五感健康な人だってそう変わらないよって
 そりゃ、少しばかり重さは違うかも知れないけど、そんな遠慮ばっかりの人生じゃ苦しいだけだよって」

「それは俺も稚日女も言ったんだけど、君の言葉が響いたんだな」

「なんでだろう」

「村長さんに聞くところによると、君もだいぶ大変な人生だったようだね、
 それでも前向きに前向きに…欠けた物を補うのでは無く伸ばせるところを伸ばそうという…
 その前向きさが、弓の心に響いたのだと思う、君で無ければならなかったんだ」

「もう少し早く出会っていたかったって、最初に会った夜に弓に言った。
 今からでも遅くは無いと弓はあたしを抱きしめてくれた、暖かかった、冷たい体のひとなのに」

その夜の事を思い出した守、弓の脱がないと判らないところに沢山ある傷…
あの傷は見える傷、弓が何かの戒めで残しているのだろう、でも心の痛みは自分が絶対に癒やす。

芹生が少し言いにくいな、と思いつつも

「あー…弓とは…もう?」

言葉の意味は分かる、守は顔を赤らめながらも首を横に振った、芹生はちょっと驚いて

「へぇ…意外だな…実は…まぁいつか弓が君に言うだろうけれど、
 彼女方々で供物として差し出された君くらいの女の子は有り難く戴いちゃうんだよね。
 ひと夜限り…自分の事はこれっきりと忘れてくれってさ、
 そう簡単に忘れられる訳無いのに、罪作りなんだよ、方々の祓いが弓の祓いの後には
 専門外の慰めをしなくちゃならないって愚痴られる事もあってねw」

守は驚いた、でも、そう言う時の弓の空虚な気持ちもなんとなく判る。
それで満たされるのは半分だけ、残り半分が乾いてしまうだろう事、
でもそれなら何故さっさと自分を抱かないのだろう?

「君が何か心の準備とかあるのかな、それを言ったとか?」

守は首をまた横に振る

「あたし別に…そっちの人では無いけど…弓ならいいと思っている…いつだって…」

芹生は小さな座卓を見るとかつて自分が教えていたモノをさらに弓がかみ砕き記したモノを使って
守が勉強をして居るのが判る、守は筆を咥えて戸を開けた。
子を作り育てるばかりが世代を紡ぐ事では無い、芹生が微笑み

「祓いでは無くとも何かそれらしい事は?」

「あの…、「自分の石」を使って「陣を張る」事だけは出来るって」

そういって守は裾から小石を取り出し、彫りをしてある方を芹生に向け

「「守」の字の「、」をあたしの印として刻んで敵は出入り出来ない、とか
 治療を助ける、とか…と言っても…判らないんだ、ここは弓が守りを入れているし
 あたし、この付近から出た事ないから」

芹生は「さてそろそろ」と立ち上がりつつ守に優しく微笑んで

「君も知っていると思う、弓には弓だけを追うような武士の悪霊達が居るけれど
 ついでがあったとは言え、自分だけでは無くこの村…もっと言えば君に累が及ばないように
 彼らと誓約までしてしまった、俺はかつて言ったんだ
 「稚日女はもうやらん、だがいい人を見つけなさい」と
 見つけたんだ、弓は…生涯を掛けてこの人だけはってひとをね、それが守、君なんだ」

「だからあたしは、それに応えるために、弓が安心して戻ってこられるように信じて待っているんだ」

「判っているんだな、それでいい、やっぱりそのままの君でいいんだよ」

守は顔を赤らめたが、もう帰ろうとする芹生にそういえば、と

「あの稚日女様ってひとは…」

芹生がちょっと上目でとぼけるように

「あいつは今四人目がそろそろでね」

「色男さん」

「おいおい…、今のところ前の三人も健康だけど、そういうモノだろう?」

「そうだけど、」

「そうだけど何かな?」

「ううん、ただなんとなく貴方も女泣かせなのかなと思って」

「おいおい…俺は若い頃から稚日女が許嫁でね、これでも一直線なんだ、ジジババになってもね」

それを聞くと守は微笑んで

「大切にね、子供だけじゃ無くて稚日女様だけじゃ無くて、芹生様自身も」

芹生は締まらないながらもそれに応え

「弓みたいなことを言うんだな、判ってる、俺と稚日女は自身を含めて全部を守るよ」

守が頷く、芹生が「では」と去って行った。
そうか、あの人が師か、何か爽やかな納得を胸にしばらく余韻を味わってから守はまた座卓に向かう。



そして冬。
芹生が来ていて守に会いに来た事などは帰って直ぐに聞いたが弓は静かに聞いて微笑んだ。
やっぱり、いくら守が溶かしたと言っても全てが一気に溶ける訳では無い、
弓は矢張り二人の師の事を聞く時はどこか他人事のように聞いた。
そして、どこか他人事のように二人と四人の子供の幸福を祈った。
仕方の無いヒトだな、と守はそれはそれとして自分たちの生活を突き進んだ。

ある寒い日の夜

「もうそろそろまた年を重ねますね」

炭や薪などを上手に組み合わせ朝までの暖と薄明かりにするために守が弓から教わった
順序でそれらをくべていた時に、既に寝床(藁を布袋で包む藁布団というモノになっていた)で
いつものように服を脱ぎつつ脱いだ着物を上に掛けるためにぱたぱたしていた弓が言う。

「じゃあもう数え四年(この時点満二年)になるのか、弓と会ってから」

「ええ…正直少々揺らいでしまいます、そんな日々が続けばいいのに、全てを投げ出してでも…
 ちらっとでも思ってしまうわたくしは狡(ずる)い人間です」

守は、それは本心を言えば自分だってそうだ、と思いつつ

「でも、やっぱり責任は果たさないとね」

「そうなんですよね、そこで責任から逃げるとそれこそカラビトに付け入る隙を与える」

「カラビトの方は感触悪そうだね、正直もうしばらく見つからなければいいのにとさえ思うけど」

「見つけたい気持ちともうしばらくは…と思う気持ちと、どちらも本当なんですよね、
 これが生きると言う事なのですね」

「最後にはなるようになる、でもちょっとでも思ったようななるようにするためには、
 やっぱり小さい事でも頑張らないと」

「ええ、仰る通りです」

「で、責任って言ったけれど、責任取ってって言いたい女の子が方々にいるみたいだね」

弓はちょっと決まり悪そうに

「わたくしは供物をそうと受け取って欲しいだけを貰って返しただけです、言うべき事は言いました」

守も寝床に来つつ、着物を脱ぐ、この時期は特に寒いので二人で寝て二人分の着物で暖を取るのだ。

「言えばいいってモノでも無いでしょって、それは貴女も判っているよね
 何だかんだ、自分の足跡を残してしまう、それも生きたひとの証なんだと思う」

「余りいい足跡では無いですね…でも何かこう…こういう言い方はケガレかも知れませんが乾いていて」

守が弓に寄り添いつつ近い距離で弓と顔を合わせ

「弓って好物は最後まで取っておく方?」

一見食べ物の事を聞いているようでそうではない事は弓にも判った、弓の顔が赤くなる。

「弓ってこう言う時に判りやすいねw」

「正直そう言う意味ではわたくしは汚れています、貴女に迂闊に触れて良いのかすら戸惑われて」

「弓がさ…それも含めて全部があたしだって言うのと同じだよ、それも弓なんだ、あたしは判っている」

弓は守を下に覆い被さろうという位置になる。

「…いいのですね?」

矢張りいざとなるとドキドキする、守は声を出せなかったが頷いた。



まだ少し東の空が白んできたくらいの早朝、寝床でくたくたになって気絶するように眠っている守へ
着物を掛け直し、少し頬ずりをした後下着としての着物のみを着て簡素にひもで巻き
寒いがピンと引き締まった空気を吸いに表に出た。

『楽しんだか』

「千倉さんですね、どうしてこう、貴方達は覗きが好きなのですか」

『いやいやいや…進捗如何かなと問いに来たら…まぁその…しかしなんだ
 拙も生きておった頃には、そうして暖かい思いもしたモノだと思ってのう』

「貴方達は本当に無礼なのだか礼を弁えているのだか、しかし人を「そういう風に」
 襲う方のケガレにならなかったのは天晴れと言えましょう」

『端くれとは言え武士、武士がマツリゴトの世界にまで出張り世に広まろうと言う時に
 乱暴狼藉では世が認めてくれぬ、まぁ、そうした奴らも結構居たようであるが…』

「あなた方も名も知らぬ普通の人々が怖いですか」

『少なくともこの国は…天辺にさえ何も無ければ考える頭すらなくとも動く、そういう国だ
 それは、この国の民草がしっかりとしているからだ』

「そうですね…わたくしも畏れられる事を意に介さぬと言うだけでは仕事にならぬと
 ここ数年で学びました、どうしたってどこかで自分のやっている事を見せて認めて貰わねばなりません」

『…屹度…ぬしらも我らも居ようと居まいと世は何も変わらず動くのであろうな』

「…でしょうね…でもそれがどちらか片方だけはダメです、居なくなるなら両方一編に」

『しかしそれは無理な事』

「はい、命ある限り無念は無くなりません、そうであるなら祓いもまた無くなりません」

『不思議だ…なぜ同じ事を繰り返すのだろう』

「これもこれで「和」だからでしょう、正道の脇で正道に寄り添い巡る…」

問答めいたやりとりをして居る頃、地が揺れた。

『地震か?』

世の重力というモノには縛られない千倉は揺れを感じた弓の反応に声を掛けた。

「…この地方で今の揺れは少々珍しい…問題はありません…ですが流石に少々不意を受けました」

千倉が笑う

『はっはっは! 如何に死角なしのお主でも地震までは判らぬか』

「判りませんよ…見るべきものが大きすぎます…」

その時、近くの山々の一つ向こう、もっと高い方の山の中下腹から高く大量の蒸気が上がった。

『おお、ここいらには温泉があると聞いたが我らが死んだ頃には干上がっていたらしいのだ
 今の地震でまた湧いたのか』

弓はそれを必要以上に驚いて見つめていた、

『何ぞ、おぬし温泉は初めてでは無かろう?』

「…違います…、温泉…もしや…」

弓は急ぎつつ守を起こさぬように家に入ると流石にもう一枚衣を羽織り、
着流しはそのままに稜威雌を手に取り外へ出た。

『どうした』

「大陸北部の暖房に…地面を直接熱する方法が在ると聞き及んでいます」

『…もしや!』

「確かめます!」

弓は身体能力向上に空を蹴り先ずはカラビトの里へ、千倉も後を追った。



そこには各所からもうもうと蒸気が湧いていた、本当ならもっと微(かす)かであったろうが
なにぶん朝方で空気も冷たく張り詰めた今この時だからこそそれは大きく蒸気を纏っていた。

『おお…』

「しかしここでは無い…千倉さんのお話によると急に湧かなくなったのか徐々に湧かなくなったのか
 それが判りませんが…!」

そこだけが何も生えないいわゆる「地獄谷」と言われる山下腹から中腹の谷のあちこちから
蒸気が発せられている、見る限り全く干上がっていた訳でも無いようだが、
つい先ほどの地震でまたぞろ活発になったようである。

下腹から徐々に上を調べて行く要領で弓と千倉は「それ」を探した。

一番上の蒸気の吹き出し口まで来たが、とりあえず何も無い。

『気のせいでは無いのか?』

「…かも…知れません、千倉さん、この辺りの地理は?」

『余り詳しくは無いのだが…この上に山道があって人の往来もそこそこあるらしい
 そのくらいであるな』

「…そこです!」

弓はまたひとっ跳び、温泉直上の山道にまで登った。

「この辺り…この辺りのどこかにあるはずです…!」

祓いの眼だけでは無い、第六感全てを働かせ弓は全方向に頭を向け耳を傾け探る。
そこへ…そこだけ植生の違う領域がある。

妙に大きく育つ植物の大きな葉を避けたそこに…

禍々しさを纏ったちょっと見ると茸のような…そしてそれが胞子のように
不浄の魂を飛ばしている…!

『これか!』

千倉は素直に反応をしたが、弓が戦(おのの)いた!
こんな邪悪…見た事がない、何故これに気付かなかったのか、
違う、気付かなかったのでは無い、日ノ本に生まれ育ち、日ノ本の人々に囲まれた弓には
それはもう「見てはいけないモノ」と無意識にも避けていたのだ!

『おのれ…こいつらのせいで我らはお取りつぶしとなり、おのれらも滅亡したはずだというのに
 まだこの世にしがみつき己の欲する事のみを実行しようとするか!』

千倉もまた花月と同期だったのだろう、怒りにその魂を振るわせ、力が滾るのが伝わる。
その滾りに弓が我に返って

「行けません! 決して手を出してはなりません!」

雄叫びを上げ、千倉が刀を振るう!


第四幕  閉


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