L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE:Fourteen

第五幕


騒然とした場に冬の凍てつく張り詰めた空気がさらに緊張して当たりを包んだ!
千倉の刀はカラビトの茸(たけ)の寸前で止められていた。
彼の心は大変な葛藤で霊にもかかわらず大量の汗が滲んでいた。

「千倉さん、…良く、耐えてくれました」



確認すると弓が一礼した。

『…正直呪わしい、この手で粉々にしてやりたい…しかしそれでは此奴らを散らすだけ…』

葛藤と戦いつつ、少しずつ千倉は力を抜き、平静に戻りつつあった。
しかしそんな時、そんな二人をあざ笑うかのようにカラビト茸はその一つを自壊させ
自らを飛び散らし、二人に覆い被さろうとする!

『いかん! 弓殿!』

茸からの距離、千倉で三尺余り(一メートル程)、弓で五尺程(約1.5メートル)
道に対し千倉が真正面、弓が左に居る、弓は詞を展開しようとするが、それは千倉にとっては攻撃、
取り決めを破る事にもなる、一瞬行動が遅れた!

千倉がその大半を被る形で弓の方へ飛ぶ胞子をまたかぶりに動く!

その行動に、弓はここでこれが違反は違反だといわれても仕方がない、と詞を展開したが、
やってくる千倉により胸部から頭部は守れたが、右手と腹から下は各所に胞子を浴びる!
大変なケガレが自分を蝕もうとしている!

『うぉぉおおおおおおおあああああああああああああああああああ!!!』

千倉もまたそうだ、元々悪霊だというのにそれさえも蝕んで我が物にしようとする、
なんて…なんて邪悪!

『今なら…今なら俺を斬っても飛び散らん! こいつらを捕まえておく…! 俺を斬れ!
 斬ってくれ! 俺は腐っても武士! こいつらに取り込まれ我欲の権化にはなりたくない!』

自らにも沼気(傷んだ水源の臭気)のようなモノを纏った瘴気がにじみ、体を蝕んでくる、
その痛みに耐えながら刀に手を掛けつつ、弓は矢張り少し戸惑ってしまう

『その刀で俺を断て! そして浄化しろ! それなら今なら…今なら祓える!』

弓は確認のため「のように」言った

「…斬って欲しいのですね」

『ああ、斬って欲しいのだ!』

「申し訳ありません…!」

その時、千倉も刀を振るった!

『この世は諸行無常…死んでなおこの世への未練を断ち切れん我らの方がおかしいのだ、
 そんな事は判っておる…だが…お主のその体の一部も…もはや逃れられん…
 俺が一緒に連れて行く…どこかで…どこかで代わりを探せ…』

弓の右腕に腹の一部、足は両足とも断ち切られた。
すでに浄化に入った千倉がそれらを抱え込み

『ふふふ…せめてもの戦利品だ…』

襲いかかってくる痛みや出血の対処をしながら弓が地に転がった稜威雌を左手に握りしめ

「申し訳ありません、もう少し判断が速く付けば…」

『誓約を気にしたのであろう、矢張りお主は信用に足る…ふふふ…
 力とかいう天野の男にいつか伝えてくれ…先に逝くと』

「…承りました…」

そして、千倉は沢山のカラビトのケガレを祓いの浄化に巻き込み、多くの
嘆きの声と共に登ってきた日の光を浴びながら消えていった。

「…ですが千倉さん…ちょっと持って行きすぎです…」

このままでは自分の命も危うい、祓いによる痛み止めと止血をして居るとは言え、
本当なら即死していてもおかしくない程の状態!

「眼を全開に…どこかに…死んだばかりの同じ年頃の人は…」



その日、麓の村では悲しみにくれていた、不慮の事故で死人が出たのだ。
重体なら祓い人を…弓を呼べるが即死はどうにもならないと話を受けていた
潔く諦める事も人の道、村では簡素に弔いの晩を開け、墓地に埋葬に向かっていた。
死んだ人の埋葬などは非人…この場合神職に委ねられるのであるが、弓は祓いであるし
他の神職も居ないので自分たちでやると言うことだ。

麓の村の墓地…それは二人が住む丘の近くでもあった。
恐らくは太古からここが墓地であったのだろう、太古には丘も判りやすい墓だったのだろうから。

弓に確認を取って詞の一つも捧げて貰おう、そんな風に家族や近所の人が悲しみの中でも
その死体を墓地へと持ってきて穴を掘っていた時である。

山の向こうから弓が跳んできた!
血だらけになってあちこち斬られている!
地面に転がりそうな勢いを止めるのに地に稜威雌を刺し左手一本で最後は転がるのを止まり、
そして左手一本で這いずりながら皆に寄ってきて声を振り絞る

「…申し訳ありません…彼女の…体を…ください…!」

村人は戦いた、何がなんだか判らず逃げ出す者も居たが

「な…な…何があったんで…」

「後で詳しい事はお話しします…ですが…見つけました…、カラビトの巣…!」

「あんたでも勝てねぇのか…その有様…!」

「これには少々事情がありまして…その前に…体をください…、このままでは私まで…!」

家族であった村人が死体と弓を交互に見ながら

「でも…あんたとは色々合わないぞ…?」

「合わせます…! ですから先ずは…!」

「わ…判った…お…、おい、村長さんを! 俺らはこの人を丘の家の方に…!
 弓さん、欲しい部分を言ってくれ、俺が斬る、せめてもこれだけはやらせてくれ」

「承知致しました…感謝致します…」

飛んでしまいそうな意識の中、欲しい部分とそれが届けられたら痛みを耐えての詞による接合、
幾度か繰り返し、最初に接いだ右腕は既にくっついたのか両手で這いずって稜威雌を手に取り
鞘に収めたところで弓は気絶した。
そんなになってもその刀は大事なのか、村人は戦きながらも一種の敬意のような物を持ち
死体を運んできた板に弓を載せ丘の上の家に運んだ。



夢のような一晩が明けたと思ったら地獄のような光景が守を待っていた。

運び込まれた弓は血だらけ、右手や両足、腹など明らかに別な人から接いだという色やサイズの違い
流石に信じて待つ、という前向きな心も揺さぶられた。

泣きそうになりながら寝床に寝かせ、そして弓の周りに陣を敷いた。
守りと治癒の二重掛け、そして後は祈る他は無かった。

村長が急いでやって来て事のあらましを聞くが守には当然判らない、
死んだ女の家族の村人からの情報によるとカラビトの巣が見つかり、そこで何かがあって
弓がこんなになってしまった、それしか判らない。

「とりあえず…都だ…都に伝えねば…」

村長がその弓の有様を見て唸るように言った。



『千倉という武士…やり過ぎですよ…こんなに持って行かなくても…』

そこは稜威雌の中の世界、寝殿に寝かされながら弓は気絶してもそこで戦っていた。

「局所的に斬っても毒のように効き目は薄いと思ったのでしょう…その判断は…正しい」

他にも小さく胞子を浴びた箇所がある、それらを一つ一つ弓と稜威雌は潰していった。

『貴女が守へ陣を教えたのは正解でした…、それが無ければもっと厳しかったでしょう』

「あの子は…私の一生です…」

外…つまり弓の肉体の周りで心配そうに見守る守と村民達、彼ら彼女らの目には
弓の体から時々あちこち昇華して行っている何かが見えている事だろう、
守には判るはず、こうしている間も弓は戦っているのだと言う事が…そしてそれを
村民に伝えるだろう、しばらく安静だと。

『継ぎ合わせた箇所の馴染みにはしばらく掛かります、貴女は一から鍛え直さなくてはならない
 部分もあるでしょう、しかしカラビト…恐ろしい…』

「近づきすぎる事は行けないと言う事が判ったのも成果と言えば成果です…ふふ…」

『何を笑っておいでですか…これは大変な祓いになりますよ…茸の傘の一つが破裂しただけでこれとは…』

「無念さんで使った手が使えるという証左でもあります…ただ…無念さんより厳重に
 確実にやらねばなりませんね…」

『あとはゆっくりお休みください、決して私を手放さないでくださいね』

「死んでも手放しません」



数日後、弓は目覚めた。
その場に居た払い人は丁度都を訪れていた時に一報を聞いた摂津と力であった。
そして守と村民数人、村長を呼びに一人慌てて出ていった。

「思ったより早く目覚められました…摂津さんの詞のお陰ですね…?
 あとは守の陣…稜威雌も感謝していましたよ…この…
 (と言って石の一つを手に取り)
 陣が無ければもっと厳しかったと…」

今この時、体の馴染みで右腕と両足が軋みを上げその音が周りにも聞こえていた程だった
きっと弓の全身に激痛が走っているだろうに、弓は静かに穏やかにいつものように言った。

そして詳細を語ると、友を失ったと力は男泣きに泣いた。

守は痛いところを摩(さす)ってあげたいところをグッと我慢しながら

「カラビトは強敵なの?」

「強敵です…しかし絶対に祓えない訳でも無い…入念な準備と態勢が必要です
 村長さん…参りましたね…まず…山向こうの道…どこに続いているか判りませんが…
 そこを封じてください、あの辺りを人が通る事の無いように願います、
 祓いのお二人も協力願います」

「一村長の言葉などとは思いますが、祓いの方が口添えくれるなら聞き入れられましょう、
 どうか手をお貸しくだされ」

村長が頭を下げる。
摂津がそれに頷きつつ、地図を広げる。
当時にしては中々正確で、何より街道の殆どが網羅してあった。

「弓様、先ず現場を」

「…ここ…ここです、目印は地獄谷の上…一カ所だけ植物がやたらと育っている一角があります
 恐らく…三尺より近く寄ると反応してしまいます…山道は一丈(約三メートル)も無い…」

摂津がその道を地図上に通じる村などを確認しながら

「力、あんたは美濃側、私は伊勢側をそれぞれに回るよ、これ以上先ず奴らにエサを与えないように」

「…承知した! 最後に男を見せた千倉殿に報いるためにも、この天野力、全力で出来る事を!」

「そんなに感じ入らなくても…ま、悪霊とは言え腐っても武士と言った事には二言は無かった、
 天晴れな奴だったね、今詞を掛けるよ、長時間持たせるには少々効力としては
 弱めになってしまうけれど、今から昼夜関係なく先ずは連絡しなくては」

「申し訳ありません、わたくしは同行も出来ず…」

弓の弱々しい言葉に摂津が

「いーえ、矢張り大したお方です、私がその場に居たなら私死んでますよ…
 そして核心に触れた事は何よりでした、これで色々進むでしょう
 ここのお墓…三人で検めたいですね」

弓はそれに微笑みで応えた。

「先ずは弓殿、しっかりと体を治してくだされ!」

力の力のこもった言葉にも弓は微笑んで頷いた。
最初に接いだ右腕はもう色も長さも弓の物になっている、その手を痛くないように優しく守が握り

「そうだよ、先ずはしっかり」

弓はそれには握った手を握り返す事で伝えた。

「ああ…そうです…わたくしの体になってくれた方へ…もう魂はありませんが…その体へ
 詞を捧げてくれませんか…動けるようになったらわたくしも捧げますが…」

摂津が律儀な人だな、という表情をするも力強く微笑んで

「私達は祓いですからね、さて、村長さん、誰が村を代表して行くか、決めてます?」

「いや…これから…」

「んもー決めておいてくださいよー、じゃあ、今から村に二人で行きます。
 墓地は途中ですから、弔いもその時にしましょう」

弓はそのいつもの調子の摂津に弱々しく微笑みつつ

「お願いします」



そこからまた月日が経ってしまう。
弓の右手と両足の鍛錬積み直しも厳しかった、あの日、摂津が敷石をどかした時のように
以前の弓なら難なく持ち上げてしまった石ですら矢張り息が上がってしまう。
基礎体力と、戦うための力と、それ以外の作業をするための三つの鍛錬やり直し、
一年やそこらで完遂する物では無く、方々の祓いの手助けをその鍛錬の一つに
以前にも増して精力的に方々を回った。

そして、大和組の二人を頭に現場の確認なども行われた。

「聞きしに勝るとはこの事だよ…酷いな…」

「ここは丁度山道もひと息つきたいような場所にある、旅人も疲れ切った時に
 襲いかかられては確かに生き霊も吸われるし奴らに入り込まれもするだろうな」

摂津と力が弓に言われた範囲より二尺広め…1.5メートルを限度範囲に草木幾らかを刈り取り
全容を判りやすくした。
おびただしい…とまでは言わないが何人かの死体…もう骨であるが…がある。

既に人の通りは制限した。
主要とまで言わないがそこを通らなければと言う場合もある事から完全通行禁止には出来ず、
中級くらいの払い人を交代で番に付けつつ、一間程の山道の半分近くを石によって封鎖し、
近寄れないようにもした。

「確かに一つ一つは大変に弱いね…胞子となって飛んでいった者も大半は祓われるか、
 自然の中で浄化されちまうかだ…人に取り憑いた者は…地方地方の払い人に監視させているけど
 今のところ目立った変化は無い、本当に「何かに付け入る」隙が無ければ特に危険は無い
 とはいえ…特に強い奴が迂闊に散らばりどこかに根付いてしまったら事だ…
 監視と観察と祓いを行いながら時を待とう」

こう見えて摂津は可成り優秀であった。
学者肌で行うべきをきちんとこなしていた。

同行していて番に付いたり、後学のためにと参加した払い人全員が恐れ戦いた。
弱くても、数の暴力という物もある、蟻がそうだ。

カラビト茸は近距離で一斉に襲いかかると弓のような強い払い人にすら休養と
回復に手間を取らせるような猛毒になる…、ただそれも少し離れるとばらけてしまい、
一つ一つは祓うに苦慮する程では無くなる、本当に蝿や蚊を叩くような作業だ。
いや、素早く飛び回ったり、軽い体で気流を上手く逃げ回る蝿や蚊の方がまだ手こずるかも知れない。



「あれから監視を続けていたんですけどねー
 美濃の方で取り憑かれていた奴が精神的な動揺…まぁ欲望に基づく…駆られると
 潜んでいたソイツが一気に乗っ取る事もあるようですねー、
 ですので、「時」が来たら方々に一斉隆起を喚起するかしないと或いは可成り世が混乱するかもですねー」

時々経過を報告に弓のところへ参じていた摂津と力であるが、摂津のその報告に

「大事(おおごと)ですね…」

「ええ、まぁ救いは…記録のある限り…四條院本家ですから大和一円のみに限られてしまいますが
 これほどの事態は無かった事、詰まり奴らは基本茸に成れるほどじゃないってところですねぇ
 茸にまで為るには余程核になる奴の怨が深い時…とはいえそれは正統な物でない訳ですが…
 よっぽど…カラビトの間ですら「それは流石に無茶だ」と思うほどの逆恨みが必要なようです」

そう言って、摂津は弓に四條院の古い記録の写しを見せた。

弓はそれを見つつもあり得ない大きさの石を両手と両足に乗せ平行を保ちながら
持ち上げたり引いたりを繰り返していた。
息が上がるほどでは無くなっているが、流石に短期間で勘を戻す鍛錬と言う事で汗は滲ませていた。

めくり上がった裾からは接いだ手足の傷や、一帯が酷くただれた痕のようになっている部分もある。

「弓殿、まだ足りませぬか」

力の言葉に弓が

「出来ましたらもう少し…」

摂津がそこに

「こちらも全国に通達出しませんとねぇ、今はこの辺り一円に止まっていますが、
 カラビトも妙な繋がりを持っていますから、全国での一斉注意が必要かもしれません」

「ええ…それは警戒しておいた方がいいでしょうね…」

弓はまだ鍛練を積むと言う事で、ひと息ついて行って欲しいという言葉に甘え、
家に入ると、守が夕食(ゆうげ)の支度をして居る。

「弓はまだだろうね、こっちからご飯だよって声かけるまでずーっとだよ、ここ最近。
 まぁ少し遠出しての狩りとか漁の訓練で肉や魚は一杯あるけどね」

「凄いな、食べたら食べたで寝る時には寝る時にでしょ」

摂津の言葉に守が顔を真っ赤にして

「ヘンな事言わないでよ! でも…以前にも増して激しいって言うか…こう言う事も鍛練なの?」

「我は聞いた事はないが…摂津はどうか?」

「うーん? ここ最近ご無沙汰だよ、真面目に仕事してるし、見張り番の頭にされちゃったし」

その二人の反応に守は一つ思い当たる。
これは…もうそろそろいつ訪れるかも知れない、ひょっとしたら最後の仕事の前に
一生分でも守を愛してしまいたいという激しさなのかと…
嬉しいけれど、切ない。

そして同じ事を思ったのだろう、摂津が

「ま、受け止めておきなよ、だーいじょうぶだって、
 それが終わったってまだここの検めが残っているんだよ?
 それにカラ茸の方の後始末にも方々回るだろうしさ、恐らく人じゃ無くて動物とか
 大人しい魔に取り憑いたりとかで少し祓いも忙しくなると思う」

「それにこうしている間にも方々で戦までは行かぬが戦いも起きておるしな」

「祓いってホントに大変だね」

「でもね、守、君が自分の血筋に何か誇りを感じているように、
 私達も祓いを持ちそれで活動する事が誇りなのさ、だから大丈夫!」

そこで力がちょっと慌てたように

「た…ただ…、戦いの中で死んで行く事もまた受け止めねばならないのだ、
 それが出来ぬと自らが地に縛られる霊…もっと悪ければ悪霊になってしまうのでな」

守は妙に納得した

「あ…そうか…そうだよね、自分が死んで自分が浮かばれないなんて事になったら
 祓い人としてはこの上ない恥だろうし」

「うんまぁ…だからホントはあんまり一般の人は巻き込まないものなんだけどねぇ
 守は…ちょっと特別な力もあるし、だから私らも全部を見せるけど」

「なるほど…」

守はちょっと考え事で自分の中に入りかけると

「あ、お鍋噴いてるよ」

「えっ、あっ!」



また少し月日の経ち、弓の体力などもほぼ復調と言っていい状態になった。
ただ、守から「今ひとつ肉付きが足りない」と言われたが体調としては特に何も無い。
加齢による物では無いか、自分ももう男女の仲なら行き遅れと言われる年である
加齢に伴い衰える事こそ避けられない物である事、でも少なくとも気力は以前にも増して満ちていて
生きている事にこんなにも喜びを見出していると守を愛したし、仕事にも精力的に回った。

そんな遠征の帰りであった。
守と会うのは三日ぶりになるであろうか、弓は街道には余り詳しくないのだが、それは何より
現場と家とを直線で行き来するからである。
独り立ちして直ぐの頃は街道沿いに歩いたりもしていた、急ぐ事が何も無かったからだ。
家に帰るのが待ち遠しい、守もそうだ、そう思うと山を縫い走る道路を律儀に進む事ですら億劫だった。

どこかの山地の間を跳んでいた時、突然吐き気に襲われる弓。
高い木に止まるが、我慢出来るような物では無い、そのまま根元まで殆ど落ちるようにずり下がり
しょうがない、吐いてしまおうと遠慮無く戻した時だった。
…それは血…!
しかも真新しい血も含まれる、肺では無い、肺なら判るはずだし、自分に何か異常が起こっている
しかしその前に…弓は戻される血を全て吐ききり、腹の周辺に何かあるのか祓いで探った。

「…これは…」

真っ先にカラビトの不浄が絡むのかと思ったが、違う、それは右の腹の中…
そこはその不浄を千倉が斬って持っていったはずである、今そこにあるのは村人の女性を元にした物
割ってみなければ判らぬ、弓は着物を腹まで開き、詞を腹と作業用に作った短刀に込め
容赦なく自分の腹を割った。

幾らか痛みや衝撃は低減してあるとは言え、矢張り衝撃、しかし苦痛に身を任せる暇はない。

腹圧により飛び出ようとする腑を抑えながら、原因を探った、そしてそれは肝臓であると
間もなく判っていよいよ苦痛に耐える覚悟をし着物を噛みながら短刀で「これだ」と思われる
箇所を切り取り、腹部は胸が邪魔でよく見えない事もあり、手にとって良く祓いの眼で確認する。

正常な肝臓に芽生え食い込むように広がった異物がある、これに善も悪も感じない

「腫瘍…なるほど…肝臓とあってこんなになるまで判らなかった…腎臓や膵臓は無事でしょうか…」

肝臓腎臓膵臓は悪化まで気付かない事も多い、肝臓を切ったとあってまた大量の出血と痛みで
気を失いそうではあるが、そこだけは最低限調べてしまわないと閉じる事は出来ない。
何度も斬って戻してを繰り返せるほどには体力は無限では無い、
実際、弓の右腕は幾度も似たような箇所を斬られた事(旅立ちの晩や先の千倉など、多々)で
右腕の「接ぎ痕」は戒めも何も無くもう消せないほどになっていたし、
やはり祓いと言えど限度はあった、何とか最低限の調べを済ませ詞による縫い合わせを施しつつ

全てが終わった頃には辺り一面血だらけ、弓は動くにも辛いほど体力を消耗していた。

「さぁ…わたくしの血で獣たちもおびき寄せられるでしょう…」

その瞬間までなるべく動かず、必要な血は既に清め幾らか体に戻したとは言え動きは最小限に留めた。
そして現れる狼や熊。

「ふふ…戴きます…あなた方の血肉を…」

狼の群れには弓を矢継ぎ早に、そして熊には稜威雌で電光石火の弓、健在であった。
美味い不味いなど言っていられぬ、ただ祓いによる清めだけは行いその血を弓は飲む。
もし、この瞬間を人に見られたら、自分こそが悪鬼に見られるのだろうな、と弓は思った。
しかし、そんな遠慮などしていられない、自分は生き延びなければならない。
果たさねばならぬ使命のため、そして、守のため。

一日遅れで弓が家に戻る、

「どーしたの? 何かあったの?」

「途中どうしてもお腹が空きまして…w」

半分は間違っては居ない、お土産にと狼や熊の剥いだ皮や流石に食べきれなかった肉などを下ろし、
弓はいつものように笑って見せた。
勿論服にもどこにも異常など残っていない。

「それだけじゃ無い、何か隠してますって顔に書いてるよ!」

もう付きあいもそこそこ長い、そして何よりお互いが深く信じ思い合っている、
これも愛なのか、弓はしかしこれで守にまた不要な心配を掛ける事を半ば覚悟し
帰る途中での出来事を隠さず話した。

「あの時武士霊団に襲われていたら流石に不味かったと思います、しかし大丈夫でした。
 腫瘍も取り除き、とりあえず周囲に転移は認められませんでした、肩の荷は下ろして戴けますか」

「もう、大変な事があったんじゃない! 一度くまなく調べた方がいいよ」

「それを見越して重病化しやすい箇所は調べましたそれに守、わたくしがほぼ復調したと言う事は」

守は少し気が気でない感情は隠さずに、でも矢張り「判っている」という表情で

「うん、カラビトを祓わないとならないね」

「全身を調べて例え少しでも憂いがあってそれを祓って…となるとまた後退してしまいます、
 せめてカラビト祓いまでは」

「判った…」

弓は守を抱きしめ、そして寝床へ

「えっ…ちょっと…まだ日は高いよ?」

「燃え上がってしまった気持ちはもう抑えられません、守、貴女が愛おしい」

そんな風に言われると守もほだされる



時は来た。

「大変時間を取ってしまいました、十条弓、今日のため万全に御座居ます」

カラビト茸の現場に三家上級の祓いが集結した、弓が発見してから実にこれが初である。
そして…そこには守もいた。

「こちらも少し前まで全国の祓いとは接触しておきましたよ、一斉に警戒も出せるでしょう
 でも、守を連れてきて大丈夫ですか?」

流石人なつこい摂津といえどこの時ばかりは真剣であった。

「守には大切な役目があります…」

「まぁ我ら…いざとなれば守殿は守りましょう」

「無用! あたしに役目があるというなら、あたしもこの組の一人だ!」

力の提言に守が力強く言った、ちょっと意外という力に摂津、だが摂津がやっといつもの感じに笑って

「ま、私達が動かずとも弓様が動くでしょ、私達は私達の為すべきに集中集中!」

改めてカラビト茸に向き合う。
守は初めて見るが、これが不幸を招き入れ、そして自分を長きにわたり動けなくしていて
村まで脅かしていたのだと思うと、気圧されるより前に闘志が湧いていた。

弓が静かに語り出す。

「先ず守にこの辺り一帯の封の陣を敷いて貰います」

摂津がそこへ

「私がその役目とならないのは…」

「はい、摂津さんにはこの茸(たけ)へ…幾重にも幾重にも直接的な祓いの封を施していって貰いたいのです
 わたくしも途中入りましょう、無念さんは二重か三重もあれば良かったでしょうが…
 これだけは二人の祓いで幾重にも封を施さなければなりません」

「イヤな奴だ、本当に…」

摂津が茸をして言うと力が

「某(それがし)は如何なさいましょう」

「それでも封の一カ所を突破口にしようとするでしょう、それを祓って戴きたく…それに…」

弓は山道から広く地平までを見つめ

「恐らく最初の陣による封の段階で方々から群れてくるでしょう、先ずは全員でそれを…
 機を見てその役目と中から吹き出す物の役目は力さんに、
 摂津さんは主に封を、わたくしは両者の補助と共になるべく状況に合わせて臨機応変に対応しようと」

摂津も力も頷き

「なるほど、承知」

力が代表して言う。

「それでは、守」

弓の言葉に守は大きく頷き、石を数個取りだし何かを唱え始める
摂津がその動作を見ながら自らも詞を唱え始めた。
弓も全てを研ぎ澄ます詞を唱え始めたが、摂津がやろうしている事は封だと気付く、
先ずは茸に何もさせないよう、と言う事かなるほど。

守の石が投げられ地域の封の効力が発動しようとする丁度その時に摂津も先ず一重の封を茸にお見舞いする!
「本拠地への攻撃」にカラビトの魂が集まる。

「あー、番の皆さん方も参加してください、大丈夫、初級でも倒せますよ、一つ一つなら」

摂津がそう言うと耳を覆うようにして心の声が遠くまで飛んで行くのが判る

『カラビト一斉蜂起の可能性あり、或いはどこまでも逃げおおせようとするかも知れない
 各土地の払い人はなるべくこれらを発見し等級にかかわらず立ち向かってください!』

そして飛び詞による周囲の掃除を始めると今度は戦い始めて居た力が同じ事をする、
弓はその間に周囲への矢による炸裂払い(当たった場所を起点に花火のように広がる祓い)を
幾つか射た後、茸の傘の一つがまた破裂と共に突き破ろうとする封に向かい一矢、
それは茸その物では無くその封に当たったかと思えば矢の後ろに集中させた祓いが展開し
二重目の封になる、カラビト達が激怒した、少し作戦めいた事もやっていたが
もう一直線に一団へ向かってくる、守へも!

守はそれを見据え、戦う意思でY字の良くしなる枝を取り出し、間に挟んだ皮付きの糸に
石を置き引いてそれを打つ!
「守の石」とその意思によって当たったカラビトの魂が浄化される!

「舐めんな、あたしはただ守られる為に居るんじゃあ無いッ!
 石はこの日のために幾つも幾つも用意していたんだ、あんたらだけは許さない!」

守も立派な戦士だ、三人にまた新たな力が湧く。
そして力の祓いの力による全国通達が終わった頃、

「弓様、都は貴女様の方が声も届きやすいと思いますよ、私も力も都は外しました」

虚を突かれたが、もうそのつもりで摂津は周囲への祓いと茸への三重の封を開始しているし
力も同様、茸からホンの少しでも漏れ出すモノがあろうとするとその大柄なお体に見合わぬ速さで
可成り範囲的に太刀筋と共に祓う、
力も燃えていた、祓いと言うだけでは無い、千倉にも報いなければならない、そういう闘志だ。

弓はまた一矢炸裂払いを宙のカラビトにお見舞いすると
静かに、ただ静かにその思いを伝えた

『都の祓いの皆様、弓に御座居ます…カラビトの茸…祓いに入りました、
 こちらへ向かうモノもありましょうが、都の中で取り憑くモノを探し蜂起するモノ、
 とことんどこまでも逃げようとするモノ、出始めるでしょう、立ち向かう気持ちさえあり
 見えるならば祓いの力などは関係ない、皆様、これを機にその殲滅を目指しましょう』

そして弓は少し間を開け続けた

『稚日女様、芹生様、そして二人の血を継いだ子供達…貴方達も出番に御座います
 先ずは身内を…親は子を子は親を…守り立ち向かってください
 余力がありましたら少しずつその範囲を広げてください』

あの時以来離れてからは初めて声を掛けた、弓はその濁った眼と目つきを厳しく引き締まらせ、
そして再び戦いと封に全力を傾けた。
何かが吹っ切れた、その動きのキレや祓いは今まさに最高点に達しようとしていた。


第五幕  閉


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