L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE:Nineteen

第二幕


亜美の右足には力なく、でもしっかりとその脚に絡みつく子供の霊がいる。
その有様たるや筆舌に尽くしがたいとだけは言っておこう。
志茂が亜美へ

「一人一人の霊のことを構っていられないほどの事態なのか…しかも亜美に憑いた霊にすら…」

亜美が恐る恐るではあるが、その水死体の霊に体勢を調整してもっと近づき、
離れないその霊の頭にに手を置き

「残念だけど、ワタシ、一緒には行けないの、何故ってワタシはまだ生きているから、
 苦しかったでしょう、しかもまだ見つかっていないかもなんだよね、辛いよね、寂しいよね…」

亜美の語りかけは優しかった。
弥生がもう少しで逝けそうと言ったことを信じて恐怖を押し殺した。

「…多分みんな傷ついている、アナタのご両親もそのまたご両親も
 アナタはもう死んでしまったけれど、でもそれを伝えて行くところに行かなくちゃ
 そうでないと、誰も前に進めなくなるよ?
 今なら…弥生が一緒に逝く人をみんな導いているわ、それなら寂しくないはずよ?」

水死体のぶよぶよしたそれは頭をもたげて亜美を見た。

「さぁ、出来れば最後に家族に別れを告げて上げて、誰のせいでもないと言うことを
 そうして、逝くべきところに逝くの、そうすれば…アナタはもう一度…いえ、何度でも
 やり直せるかも知れない、何もかも真っ新にして、もう一度…ね?」

子供の霊は俯き、より亜美の脚にしっかりしがみつく、志茂としては気が気では無かったが、
亜美はその子に覆い被さるようにして

「もう大丈夫だよ、もう苦しくないはずだよ、だって、アナタは死んでしまったんだから
 残念だけれど、それはもうどうしようもないから、だからもう一度やり直して
 ひょっとしたらもうご両親もやり直しているのかも知れない、
 でもそれを自分のせいだと思ってはダメ、仕方がなかったのよ」

亜美はもっとその子に抱きつくようにして

「さぁ、ここは海の底じゃないよ、周りを良く見て、アナタはもうお日様の下にあるの」

子供の霊が光りだし、その水死体の霊は生前の姿に戻って行く。
そしてその子の魂は昇華しながら消えて行く、その表情は決して明るくなく
涙に濡れてはいたけれど、いつまで待っても海の底ではない、少なくとも確かに、
自分は引き上げられ逝くところに逝かないと誰も幸せになれない事を悟ったようだ。

「子供は、ちゃんと見てるのよね、ちょっとしたことも、そして子供なりに理解して考えて居る
 判ってる、ワタシこれでも教師だからね、アナタの逝きたいように、でもそれは一人で
 ちゃんと逝かないとダメよ?」

小学校中学年くらいのその子は泣きながらも頷き、そして消えていった。
亜美はそれを見送りながら涙を流して

「弥生はこんな風に世界を見ていたんだ…こういう世界で生きて来たんだ…」

「そうだね…悲しいよね、特に自分が何者か知らなかった頃は、ただただ苦痛だったかも知れない」

志茂も答えた。

「弥生、ちゃんと水の中でも浄化じゃなくて昇華を先ず使って居る、それが今なら判る…
 それで納得出来た人だけが今海から揮発して行っている…
 納得出来ない人達が今、日向さん達に諦めを付けさせられている、
 祓いってこういう世界なのね、悲しいけれど…悲しいだけでもない、
 ワタシなら、こんな日常耐えられないなぁ…w」

涙に濡れながらも、亜美は笑って見せた。

「だから…五月の学校の事件まで、弥生さんは亜美をただただ巻き込まないようにして居たんだね」

「そうみたい、弥生、強いし時々怖いけれど、でも優しい人」

「亜美…これからどうする?」

「どうもこうもないわよ、こんな事で引いてナイナイ出来ちゃうほど軽い縁じゃないもの」

「だよね…さ、あとは何もかもが上手く行くことを確信して上げて」

「うん」

昇華したあとの、抜け殻になった骸骨の一部を抱えて志茂の側に亜美はくっついた。



弥生が沖のやや深いところまで潜り、何本目かの祓いの矢を射た時だった。
昇華されて行く霊もさすがやや少なくなって「それ」が見えてきた。



『やっと見つけたわ、これは何? 私への挑戦?』

それは海底であぐらをかいて座していたが、顔をもたげギロリと弥生をにらみつけ

『驚きだ、ここまで戦いながらやってこられるほど息が続くとは…』

『色々あってね、気絶して沈んだのでも無い限りここは海よ? 酸素は幾らでもあるって』

『そうか…しかし…海の中では地上ほど早くは動けまい?』

「それ」は海の中とは思えない早さで弥生の後ろへ回り込み、剣を抜いて一閃…!

『ム…!』

『祓いに地上も海もないって…』

弥生は祓いの手を実物の両手とは別に動かし、背中の稜威雌を鞘に収まったまま
その攻撃を受け止めていた!

『そんなことまで出来るとは…流石だな!』

『それはどーも有り難う、貴方、名前は? まさか須佐とか言わないわよね?』

『ふむ、それもいいな』

『それは流石に罰当たりだと思うけど、いいわけ?』

『構わん! その力を取り込み魔人となった事には変わりが無い!』

『後悔しないでね?』

須佐に対し後ろを向いたままの弥生の方向から矢が僅かな時間差で二本、飛んでくる!
須佐は素早く躱すのだが幾ら水中が得意と言っても空気中と同様に動ける訳でもない!

『ほれほれ、追尾するわよ、言っとくけど今私に死角はない、全方位何処でも見えるからね』

『成る程…確かにこれは手強い…、だが!』

須佐の振るった剣が弾かれ、弥生の方角へ!
しかしそれは弥生の手前で分散し、弧を描いて再び須佐の元へ!

『言ったでしょう、追尾すると、そんじょそこらのミサイルと一緒にしないで』

『おのれ…!』

そこで須佐は逃げるのではなく、弥生に向かって突進してきた、また背後から…
と、思わせて素早い動きで胴から上を真っ二つに切り上げる動き!
弥生は生身の両手で「衝撃」を使い素早くのけぞる…!

『…もうちょっと深かったらヤバかったわね』

水着の胸真ん中部分が切られぱっくりと斬られるが、そこに肉体は無し!

『クソ…体の線が見えているとは言え、何処にも肉が詰まっている訳でも無しか…!』

『まーねー、こんな体でも、育ってくれてたまに役に立つんだわ、とはいえ、流石に』

須佐の猛攻、祓いの矢も多少のダメージ覚悟で薙ぎ払われ、ホンの少しは浄化も導ける物の
そこは「しつこい霊」を取り込んで速攻無かったことにされる。

弥生は祓いの手で須佐に向けて衝撃を与えつつ、その反動で一気に浮上するようだ。

『逃げるか! 俺はここから動かんとしたら如何する?』

弥生は祓いの手に持たれた稜威雌で360度祓いの一閃を二度、範囲的に与えつつ
生身の手では再び祓いの弓を持ち、四連続で矢を射つつ、

『動かざるを得ないようにするまでよ』

稜威雌の周囲一閃はその四尺という長さを超えて数十メートル先まで昇華からの浄化で霊を祓いつつ
矢は須佐を狙っているようで炸裂し、彼の「補給」を次々と浄化し、断つ!

物凄い勢いで水面にでようとする弥生に須佐が迫り、今度は突き!



海水浴客は粗方避難させ、更新会の五人や祓いを持たない寿、そしてやって来た警察によって保護され
砂浜とテトラポッドの領域までほぼ理想的な戦の場になっていた、更に言えば写真や動画の記録は
禁じられている状態、何をどう足掻こうと記録として残らない以上は立証など出来ない!

蓬が何度目かの奮い立ちを施し、薙刀を振るうも、矢張り元が初級祓い、タフネスが続かない!
丘野もテトラポッドへの半分くらいの所で祓いをほぼ使い切った。
光月はまだもう少し粘れそうだが、それももう長くは持つまい、
更に裕子が領域指定と祓いの弓での攻撃のため、これも消耗が可成り激しかった!
子も祓いの力は最小限に体力勝負、祓いの時だけ祓いを使うようにしたがそれも持たない、
葵のクラスメート達も同様で、むしろ葵が避難させていた。

その葵も、格闘タイプな訳で矢張り負荷の強い水中での動きに息も上がり始める。

常建や咲耶も同様だ、流石に水中をメインに動くとなると…そして咲耶は裕子も気にしていた。

「裕子はん! 領域引き継ぐよ!」

「有り難う御座います! 水中にはあとどのくらい居ります?」

そこへ常建が

「減ってはいる、昇華が必要な奴は殆どいない、ほぼ浄化のみだ、もう少し!」

あやめが残る海水浴客の避難と、荷物などの受け渡しに奔走しつつ

「「ヤバい奴」って今どうなっているんだろう!?」

と、言った時に少し沖の海面が爆発するようにはじけ飛び、弥生と「そいつ」が飛び出してきた!
弥生は水面に「着地」し、そいつは遠浅の領域までやって来る。

『釣られてしまったか! しかしここならまだ補給も出来よう!』

「舐めない方がいいわよ? 須佐、退路はまだあるなんてのは油断だからね?」

須佐と呼ばれたそれ、三メートル程か?
やはり「悪魔一覧」には無い、デビルマンは確定のようだが…

『先ずは攻めよう!』

須佐が目を付けたのは祓いでない只の人間!
それはテトラポッド上の亜美と志茂!

…目前まで迫った! と言う時弥生が既に眼前にいて凍るようなまなざしで片手による「衝撃」を
至近距離で須佐のみぞおちに食らわせ、須佐が軽く吹き飛ばされた!

「テメェ、いきなり禁じ手かよ、しかも人の女に」



弥生の怒り、祓い人として、人間十条弥生として、その両方の怒り!
弥生が須佐に跳びかかる…と思いきや角度を空を蹴り変え、須佐が気付いた時には直上!

『何ィ!』

しかし弥生の一手は須佐のすぐ側にある海面に「衝撃」で打ち付けられ、周辺十メートルほどの
海全部が打ち上げられた所に弥生が稜威雌を振るう動きに合わせ凍り付いて行き、
須佐が氷の壁に囲まれる形に!

「今ですわ! よもぎさん! もう一回だけ、力を!」

「判った…!」

奮い立ちを受けての裕子や光月の渾身の祓いの矢、そして逃げ道を塞ぐ咲耶の上からの飛び詞!
いつ氷の壁を破ってもいいように常建と葵はその力を貯めた!

そしてそんな時、空の一部領域が割かれ、そこから巨大な剣が!

「あれは…!」

葵が驚く、それは動物センターを占拠しようとした円行を葬った剣!
弥生に向かって物凄い勢いで振りかざされるそれ!

しかし弥生は振り返りざまそれを中程から強い衝撃で割り、
切っ先は祓いを込めた稜威雌で両断し浄化させた!

「「誰かさん」が直に私を狙うとはね…そう、そのくらいには私は貴方にとって驚異な訳だ?」

『クッ…!』

忌々しげなそれは引っ込んで行くが、その機を逃さないのが裕子であった、
祓いの矢が続々とその空間の向こうに!

空間は閉じられたが、

「幾つかは当たった筈ですわ、手応えはありました、祓いきるには足りないでしょうけれど」

「良くやった、ナイス、裕子」

そんな時ダメージを負いつつも壁を破り、須佐が現れる!
葵は「誰かさんの直の手出し」の方に気を取られてしまったが、常建は虎視眈々と須佐を狙っていた。
そして水面を荒々しくではあるが走り、素早い太刀さばきで須佐のダメージを深める!

弥生はそうやって固定される須佐に向けて祓いの矢で狙いを付けた時…!

『おーう、ちょっと待った』

海面が一部柱のように吹き上がって、そこから物凄い気を持った者が現れる

「素戔嗚尊!?」

裕子が思わず声を上げる。
そしてスサノオは須佐をがっちりと掴んで

『オメー、何俺の名前使ってくれちゃってるンだよ、
 俺はなぁ、姉貴を困らせることは多々あっても…、姉貴に楯突いたことは一度もねぇ!』

意気を削がれた弥生がテトラポッドまで歩いて行き亜美と志茂の側に座りながら

「あ〜あ、だから言ったじゃないの、罰当たるわよって、幾らその能力にスサノオを取り込んだって
 そのスサノオは分霊でしょ? モノホンが怒って出てきたじゃあないのさ」

素戔嗚尊は弥生の方を見て

『剣の礼も兼ねてめんどくせー許可とって降りてきたぜ、お陰さんで俺の力は100%だ!』

「それは良かった、役に立ったようで」

『祓いは姉貴の手足、その末裔に俺の名を騙り襲いかかるなんざ、オメーに
 ちょいと悪魔の心得っツーのを教え込まねぇとならねぇな、来て貰うぜ』

『ま…待ってくれ…あんたは破壊神だろう! なぜだ!』

『言っただろーが、俺は姉貴に楯突いたことまでは一度もねー、姉貴を尊敬して居るんだ
 そして祓いはさっきも言った通り、姉貴の手足となって働いた、俺にとっても
 国にとっても大事な存在だ、オメーはそれを無視した、ただ破壊神という属性だけで
 俺の名を騙ったんだ、その罪滅ぼしはして貰うぞ』

『や…やめてくれェェーーーーーーーーーーーーーーーーー!』

もう一度水面が柱のように吹き上がると、素戔嗚尊も須佐もいなかった。

「よし、なんぼか逃どしたやけど諦めん悪い霊も殆ど祓ったよ!」

咲耶の一言、海水浴場が何事もなかったかのような空間に戻る。
弥生が手を一回打ち

「はい、終わり。 お疲れ様、みんな良くやってくれたわ」

場の空気も元に戻った。
目撃者は多数なれど記録に残させないことで手打だし、誰も誰のフルネームまでは言っていない。

根岸女学校組が特に力が抜けてへたり込んだ。

「ちょ…蓬さん!」

市ヶ谷が駆けつけると、蓬は可成りキツそうながらも笑って見せて

「やり切りました、私、満足です」

取り敢えず市ヶ谷は蓬をレジャーシートに寝かせ、順次大崎含む後~会組で裕子も光月も丘野も
レジャーシートの上、休ませた。

あやめは本郷へ

「終わりましたよ、あとはこれが…弥生さんの刻印入りのビデオカメラ…
 ユキの予備ですけど、これで記録出来ていればいいんですけど」

『一般の記録には残させねぇ…か、まぁ海水浴場じゃあしょうがあんめーな、初級共はどうだ?』

「結構グロッキーですね、今夜大丈夫かな」

『弥生は?』

「ピンピンしていますよ」

『じゃあ何とかするだろうぜ、予定はそのまま、あとはじゃあ手稲や小樽の警察への指示宜しくな』

「はい、判りました」

あやめはこの混乱の中冷静に荷物から「どんな時でも身分証明だけは出来るように」
持ってきていたバッジを元に、応援で駆けつけた警察に指示を出し、取り敢えず一夜
海水浴場を封鎖することで決着が付いた。

とはいえ、ホンの少し離れたところにドリームビーチもある、
まだ海水浴を楽しみたい一般客などはそちらへ移動、あるいは午後と言うこともありそのまま帰る。

海の家などは大打撃…と思いきや、そこに「先ずは補給」とばかりに
祓いの面々が食材を買い占める勢いで注文をする物だからトントンという奴だ。



主に根岸女学校組が軽く睡眠を取り目覚めた頃には妙に元気もでている。

「私の消化不良の分、みんなに少し分けたから」

弥生が少しシケたツラで裕子に言った。
竹之丸は騒動の最中図太く寝ていたが、起きてグロッキー組の容態を見ながら
弥生のノートパソコンを借り、細かくそれを記録していた。
裕子が起き上がった時にはちょうど丘野の脈などを測っていて

「ふむ…細かい科学検査が出来ない状態だけれど…呼吸体温脈拍、どれも正常に戻っているわ」

「皆、半段から一段は上がったかもね」

弥生の声に葵は多少グロッキーながらも

「でもまだ空を蹴るのは出来ないなぁ」

「うーん、まぁその辺りは追々とね、焦ってもしょうがない」

弥生が葵を撫でながら、

「祓いもそうで無いヒトも、初級の子達も、それぞれの身の程の上で頑張ったわ
 大事な事よ、身の程を知りつつ、少しずつそれを越えて行く意志はね」

そこへ竹之丸が

「意志、そうか意志か…精神検査というか、何かそういう診断があってもいいな」

「やることどんどん増えるわね、マルも」

「ええ、あとは裕子用の宿題なんかも作らなくてはね」

裕子は戻ってきた日常の感覚に少し苦笑して

「そう言えばそうでした…w」



夕方になりつつある傾いた日差しに、昼寝を挟んで弥生の気力を分けられたこともあり
特に祓いの全員はそこそこ元気が戻ってきていた。

「それにしても、スサノオさん、100%なんて言葉使うんだねぇw」

あやめが思い出し笑いをすると、

「便利な言葉や概念はどんどん取り込む方針なんでしょうね…あと…ここは日本、
 ずぅっと信仰が続いてきた国です、観光目的もあったとしても
 何百年も千何百年もその時代の人々の信仰を集めれば、やはり新たな言葉や概念は
 入り込んでくるでしょうからねぇ」

裕子が微笑みながら呟くと常建が

「弥生さんも余り畏まることなく接していたし、そういう個性なんだろうな」

そこにあやめが

「実際、分類が破壊神だからと言ってそれが益をなすかどうかなんて受け取り側の思うことだし
 破天荒な神様だけど、天照大神に対して謀反までは起こさなかったこともその通りだし
 八岐大蛇はニュートラルだし、属性や種族なんてやっぱりその時々だよねぇ」

「それに、弥生はんや御奈加はんや皐月はんが新宿で祓った一団も
 善行や法に基づく神さんんはずやからねぇ」

長い長い時の流れに一つの宗教だって宗派や原理主義を謳った「新たな解釈」が出てくる。
そう言う意味では例えそれが日本の神でも、古来そのままの信仰を受けているところなど少ないだろう。

咲耶は京都の生まれ育ち、四條院とは言え仏教との神仏習合にあって長く都だった土地だ、
何が正しくて何が悪なのかはその時その時の判断でしかない。

あやめに戻って

「今は俯瞰で色んな事が考えられる、ある意味いい時代だけど、判断には難しい時代でもあるね」

そこへ志茂が海辺を歩く弥生と亜美を写真に収めながら

「最後に大事なのは自分の判断、どこかで折り合いを付けることは仕方がない、
 それがあとで間違っていたなら、訂正すればいいんだよ、私にはそれが許された」

何よりそれで考えが180度変わった志茂の言葉だ、葵がそこに

「ユキさんはでも180度で、90度とか270度とかにならなかったのはなぜ?」

「簡単だよ、もっともらしいだけではダメで、今調べられることを元に
 どう考えて捕らえた方がより自然か、というのを煮詰めただけ、ましてや今この現代に
 過去の考え方をそのまま持ってくることも、その逆も無意味なことさ
 ただし、過去を教訓にすることは大事だけれどね」

「そうだねぇ」

「教訓の活かし方もでも思想の下になっちゃう、でもその時は信じて居ることやるしかないんだよね」

あやめが言うと、ふと、里穂が

「先生がサロベツ原野で言ってた弥生さんの美学ってそういう事か…」

志茂が微笑んで

「ん、そうだね」

あやめが

「それってどういう?」

そこで葵がCase:11の該当部分について語ると志茂が

「あの二人、普段の態度が正反対なようで、どこかで深く交わっているんだよね、
 見てご覧よ…なんて絵になる二人だろう」

それは三代の話に依る「花の向こうの恋し合う二人」に対する憧れのような、
何かそこには嫉妬も余計なマイナス感情も介入しない純然たる思いが込められていた。

海岸を歩く弥生と亜美、水面に幾つも煌めく陽光、黄色から少し赤みがかってきた光りの中のその二人
弥生は静かに何かを語り、聞き、亜美は楽しそうに語り、聞く。



里穂達、桜木中高生にしてみれば亜美は物凄く身近な先生であり、
弥生は実際物凄く遠い天上の人みたいな感覚なのは以前の通り、ただその「天上」が
単なる憧れとかそういうものから実践的な祓いという物になっただけで、
何か正反対の存在のようで、でもその二人は古くからの密接な関係、

丘野がそこへ

「陰陽ってこういう事なのかもしれない、正反対って言うだけでなく、それらは
 それぞれお互いを交換し変換しあう物でもあるっていう」

裕子がそれに感じ入って左手を頬に当て浸りながら

「ああ、そうですわねぇ」

そんな裕子に常建が苦笑いしながら

「すっかり八千代様の癖が移ったな、でも裕子らしいとも思うよ」

「せやなぁ」



流石に日も沈みかけた頃には全員が取り敢えずスーパー銭湯のような所で先ずは一日の疲れを落とし
その上で夜の初代記録朗読に参加する者としない者で別れる。

帰宅組は、祓いという現場に初めて直面し、興奮したモノの興奮しすぎて体力消耗した
蓬の弟寿、そうなると後~会の面々も自動的に…となるのだが、市ヶ谷だけは残ると言って
市ヶ谷のみ参戦、大崎は何かまだ心の準備が…と帰宅組になった。

そして子の弟…奈良から招聘された四條院系統の祓いで一番四條院らしいと長兄から
評されたはずの栄和も寿が帰ると言ったからなのだろうか、帰るという。

子が理解不能という感じで問いただすのだが、そこは弥生が「まぁまぁ」と好きにさせた。

桜木中高で葵以外の面々は全員参加、二代・三代・五代の話を聞いていない彼ら彼女らにとっては
先ずは体験してみたい事だったからだ。

あやめがちょくちょく本郷らと時間調整をしたこともあり、どこか郊外レストランで
食事を済ませた後、マンションに戻ってきたところで本郷達とも合流した。

金沢八景という男、ひょろ長い印象でとても力仕事というかハードな現場には合いそうもない印象、
しかし弥生は握手で迎え、怪訝そうながらもやっぱりそれなりに美形な弥生に
何か一言でも触れた方がいいやら、と一瞬迷う金沢に

「ま、そんな気にしないで、基本貴方は事務方だって言うし夜中取り次ぎか内容によっては
 それほどハードでない現場…という感じでしょ?」

思っていたことも何もかも見透かされる感じ、弥生は稜威雌神社に初代の資料を取りに行き
金沢が本郷を見ると

「これが「阿吽の呼吸」まで行けばやりやすいんだぜ」

そこへあやめがやや苦笑気味に

「まぁでも、そこまで見透かしますかって時もありますけどねぇ」

本郷は落ち着いて

「そりゃお互い様だろ、何気ないようで結構お互いに探り入れる感じ、覚えとけよ、
 流されるがまま、あるいは妙にはっきりしないままだとついて行けないぜ?」

本郷が金沢に言うと金沢も少し自信なさげではあるが頷いた。

「私も最初はそうでしたよ、私の場合は状況がそれを許しませんでしたけどねw」

あやめが笑いかけると葵が

「いや、ホントあやめさんは可愛そうなくらい次々とだったけど、でももうすっかり頼もしいよねぇ」

「この状況で私が出来る次のことは何だろうって考えるの癖になったからねぇ
 っていうか適切な行動しないと不味いって事もあったし、葵ちゃんの学校の魔階事件とか」

そこへ本郷が

「今回も直で「誰かさん」が突き入れに来たとか、イヤでも鍛えられるよなぁ
 まぁ事務方にそんな無茶はさせねぇから、そこは安心してくれや」

人数が多いだけに雑談をしていた亜美がそこへ素っ頓狂な声を上げて

「秋葉! なに? アナタも来たの!?」

秋葉は少し決まりが悪そうながらも

「まぁ…弥生の仕事のこと少し知ってて警察で、火消しの応援とかで何度か特備に応援行っているし…
 その他にも…そこは置いておいて…(咳払い)、ワタシも片足突っ込んだ訳だからねぇ
 この際弥生の仕事の意義がどんな物か詳しく知りたくてさ」

「ワタシも今日初めて知ったよ、あの体験だけでお腹いっぱいになりそうだったけど
 でも凄く知りたいのよねぇ」

「弥生ってホント、隠すの上手いよね、少し見せて肝心なところ隠すの」

「でも、それに納得もしたわ、弥生って言うか、祓いの人の目で見る世界って凄い」

「うん、やっぱりそれも知りたい、と言う訳でワタシも参加なのよね」

そこで子が呟いた

「こうやって…祓いの外で知りたい人が居るって言うのに、なんで一番有望株な栄和が帰るかなぁ」

そこへ弥生が資料を担いで戻ってきながら

「まぁいきなり力があるからって修行に担ぎ出されて移住までしてって言うんじゃね
 ちょっと内向的というか、余り自分の行動の意味とか責任とか、そういう重さに
 耐えられない感じの子だったから、私は無理強いはしないわ」

「でもこのままですと…」

「それもまたしょうがないのよ、来る者拒まず去る者追わず、彼が何か思い立って
 何処のタイミングかで戻って来るも良し、そのまま祓いを縁遠い世界と片付けてしまうのも
 …別に私はそれで構わない」

さ、行きましょ、と先導する弥生、子を始め皆ついて行きながら

「私は昔からアクションとかそういうの好きだったけど、確かに栄和や地黄兄はなぁ…」

そこへ光月が

「私としては私が弓だし子さんが相手を打ちつつ止めてくれると有り難いけどね」

「四條院系の祓いとしては私、下の方なんで、やっぱり飛び詞で相手を牽制した方が…」

弥生や葵、市ヶ谷や特備組、亜美と志茂がエレベーターで先に行く、そこへ常建が

「いや…、どんなやり方でないとダメだなんて考えは成長を阻害するぜ、
 って言う説教を俺も六月に裕子にされてさ」

常建は苦笑しつつ続けた

「実際その通りだったんだ、お陰で俺は上級になれた、咲耶もな」

裕子がそれに

「でもあの時も申しました、常建さんが咲耶さんと組む限りいつかは気付いたことでしょう、
 ただ私はそれをあの時にしただけで」

「やて、そないせんと勝ておへんどしたか…それとももっとボロボロになっとったかも、どすえ」

「その通りだ、時間が全てを解決するかも知れないが、時にはそんなこと言ってられない」

中学生組は多少うろたえつつも、優が

「今日はそんな日でもありましたよね」

「問答無用だったな、弥生さんがいち早く水死者の霊に気付いて
 祓いの使い分けを殆どしなくていい状態にしてくれたからまだ楽だったけどな」

そこへ中里君が

「昇華と浄化って俺達まだ良く判んないんスけど、そんな違うモノなんスか?」

「どれほど違うかって言われると…そうだな…バンジージャンプでどうしても足がすくむ奴に
 覚悟決めろと後押しをするのが昇華、問答無用が浄化、問答無用でも種類あるけどな
 軽く押すのと蹴り落とすのと、今日の海岸にいたのは「軽く押す」くらいの奴で
 力の出し具合は昇華とそれほど変わりない」

「じゃあ、何が違うンです?」

駒込君も参加してきた。

「どう言う気持ちでそれをするか、そういう差なんだよ」

エレベーターは二基あって、京都二人と中学組が一緒になったので常建が続ける

「霊の場合、仮にも相手は元は生きていた人間だからな、悼む気持ちを持つかどうか」

「それを弱さと思うかも知れへんやけど、
 そないゆー気持ちが祓いには大事なん、かてわいらは祓いやからね」

なるほど、業の深いというか…弥生の言っていた初級の「祓うべきか否か」という判断も
この修行には含まれていた、そして今日はその判断をほぼしなくて良い場合だった。

南澄が少し残念そうに

「わたし達まだまだだねぇ…」

中学生組が少しうなだれると

「でもお前らまだ二ヶ月とかそんなモンだろ?
 よっぽど才能に富んでいるって言うんでもない限り、まだまだ焦るような時間じゃないぜ」

「うちらは生まれて歩いて喋られへんようにならはったらほぼ直ぐやから三歳か四歳ん頃には、やからね」

「そんなに…」

「裕子によると弥生さんですら初級から中級に上がるのに数ヶ月、上級まで一年だそうだ、
 弥生さんですら、だぞ? 気にすることないよ、裕子も五歳の頃から少しずつ始めて
 上級に上がったのが俺達と会う少し前だって言うんだから十二年修行積んでる」

そこへ中里君が

「俺達中二になってから…しかも特に血筋って訳でもないからなぁ」

「血筋って言うなら葵はほぼ関係ないだろ?
 始めた年を言うなら弥生さんだって同じ頃だ、その二人は例外中の例外だけどさ
 上を目指す気持ちだけがあればいいんだよ」

「そやよ、今わてがどこにいてるかやけをキチンと理解しいやね」

中々複雑だが、一行が十二階に付く。


第二幕  閉


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