Sorenante JoJo? Part One : Ordinary World

番外編:3「Wild Ambitions」

第一幕 開


1849年…

北アフリカ…いや、現在の地図で言うならそこは北と中央と西と…
その境界線前後の場所で、当時は酷く曖昧な場所であった。

見渡す限りの砂漠…そうでなければたまにあっても岩場…

照りつける灼熱の陽光、そして容赦なく照り返す砂漠の中を一人の男が彷徨っていた。
…彼はどうも探検のための装備をしてはいるようだが、仲間も、ガイドも…
もう既に誰も居なかった。
…それでも夜になれば北極星は現れる、遭難したのだとしても、何とかなったのかも
しれないのに、彼は昼間に、何処へともなく彷徨っていた。

そのうち、彼が倒れた。

もう、死ぬのか…そんな諦めに似た感情が彼を支配しようとする時だった。
彼の朧気な眼前が影になり、そして口に水滴が落ちてくる。
そして、彼の体感温度も下がった気がする、狂っていた体機能も復活して行く。

意識を戻した彼はそこに砂漠の民とも思えない…ジプシーの踊り子のような…
混血らしい女が目の前にいるのが見えた。

「こんな…所…で……君…は…天使…か……」

彼女は立ち上がり、熱のこもらない声で言った。

「悪魔」



彼は体調を幾らか回復はしたが「彼女」に支えられ、岩場に身を寄せた。

「無茶をする物だわ、たまたま彷徨ってみたら、死体が点点とあって…
 辿ってみたら…何故こんな何もない砂漠を…?」

「…かつては…ここにも緑が茂っていた時期があったんだ…
 人の営みももっと…盛んだった時期があったはずなんだ…私は…
 そんな時代にあったのだろう幻の王国を探している…」

「先史時代の話だわ…王国なんて本当にあったものだかも判らないものを…」

「…はは…エジプトの方で色々と見つかってくるとね…どうしても…
 ここにも何かあったはずだと…思えてね…」

「…そこまでは否定はしないけれど…無謀すぎるわ…自殺したいとしか思えない
 一万年前とかならいざ知らず…今この広大な砂漠を充てもなく彷徨うなんて」

彼は自らの懐を探ったがお目当ての物は見つからなかったようで苦笑を漏らしながら

「ともかく…礼を言うよ…私の名は…ブライト=ブラックストーン…イギリスのしがない考古学者だ…」

それに対して、彼女は少し返答を考えたようだった。

「…ジョランダ…ジョエル…ジョフィエ…何でもいいわ…呼びやすいように呼んで」

彼は面食らった、悪気はないのだが、つい聞いてしまった。

「名前がないのかい?」

「ファーストネームはね…「ジョ」さえついていれば何でもいいの」

「なぜ?」

そこで彼女はちょっと空虚な目をして

「砂漠のこんな所で貴方を見つけて保護できる…それがただの女とでも思うの?」

彼は暫く考えたが。

「もし君が悪魔ならそれでもいい、きっと私は自らの魂と引き替えに私の
 欲しい物が手に入れられるというのなら、それも悪くない、君と契約してもいい」

彼女はそこで初めて少しふっと笑って

「要らないわ、魂なんて…私の活力にはならない…今欧州では各地で革命などの
 混乱で…居づらかったからここに来ただけ…月と星を見に来ただけ
 …だから名前何てどうでもいいわ」

「月を見にわざわざ砂漠へ?」

「…貴方よりはまだはっきりとした目標だと思うけれど?」

一本とられた、と言うように彼は笑って

「ははは…そうかも知れない…ただ…この地域の少数民族の言語などから
 古代の言語の概要は掴んでいるんだ…ここには…遠く…何千年…いや…
 一万年かも知れない…エジプトに王国が出来るより以前に…何かがあったはずなんだ
 私はそれを求めている…そのための気力を君が甦らせてくれたんだ…
 だから…そうだ…ファーストネームはと言ったね?
 ファミリーネームはあるのだろう?」

彼女は苦笑の面持ちで

「ファーストネームはさっき言ったとおり、ジョから始まれば何でもいいわ
 ファミリーネームは…ジョット」

「ミス…ジョットで…いいかな? ジョットと言う事はイタリア人だろうか」

「ファミリーネームで男性名というのもおかしな話だけれどね」

「…それにしても君は…完璧な英語を話す…少しばかり言い回わしが古い気もするが…」

「…イギリスにも居た事はあるわ、そしてわたしが英語を話すのは貴方が英語で話しかけてきたから」

「そうか…なぁ、君が悪魔なんだとして…何故私を助けたんだい?」

「放っておいても目覚めが悪いじゃあないの…私は神じゃない
 何もかもを試練で済ますほど薄情でもないのよ」

そればかり聞くと彼はまた少し苦笑気味に

「なるほど、諦める事を許さない、と言う意味では君は悪魔なのかもな」

「馬鹿な事を言わないで、わたしは貴方に幻の王国を探せなどと言うつもりはないわ」

彼はよろめきながらも立ち上がって

「…君が何者にしろ…私は諦めるつもりはないよ…ここまで払った犠牲の為にも…」

彼女は彼が立ち上がった事を咎めもせず、ふらふらと歩き出す彼について行きながら

「ここまで払った義性のためにも帰るという選択はないのね」

「私は…取り憑かれたのさ…」

「そのようだわ」

砂漠をまた歩いて進んだが、不思議な事に彼女が居るとさほど日光も照り返しもきつくない
気温も多少暑い程度で済んでいる。

「君まで巻き込むつもりはない…もしこの不思議な快適さが君の力だというなら…
 私に気を遣う事はないよ…」

「巻き込まれるつもりはないわ、そしてこのまま突き放すのは目覚めも悪いの、気にしないで」

彼は「不思議な女だ」と思いながらも、ひたすら砂漠を歩いた。



夜になる。
砂丘の上で彼は空を見上げ、歩を止めた。

「…気にした事もなかったよ…地面か地平線ばかり見ていたからね…」

「考古学者さんには余り縁はないかもね…」

彼女が砂丘の上に座る。
彼女の黒い瞳に月が映る。

「そう言えば…三年ほど前だったかな…惑星が一つ…新たに発見されたのだっけ」

彼も座った、不思議な事に昼間緩和された暑さが今冷え込むはずの彼を暖かく包んでいた。
これも、彼女の力なのだろうと思いつつ。

「海王星ね、今…(といって指を差しながら)あそこにあるわ、青い…美しい星よ」

それは肉眼で見えるような星ではない事を彼は知っていたが…彼女が嘘を言っていない事は
何となく実感としてあった。

「青い星なのか…」

「都会や…植物の生い茂るような場所ではよく見えないわ、星を見るならこう言うところか、高地ね」

「君は…天文学者なのか?」

「いえ…ただ…摂動…万有引力から求められた天王星軌道のずれからそこにあると予言され発見に至った…
 人類の科学の勝利よね」

「…考古学はこう言う時に肩身が狭いよ…考古学に最新科学はどうしようもないからね」

この当時、放射性の炭素14に依る年代測定などはなかった。
X線による検査…音波や航空写真…と言った手もまだまだ実用化されていない。
というか、炭素は知られていても「放射性同位体」などと行った概念も無かった頃。
X線も発見されていなかった頃である…それらが考古学に於いて力を発揮するには…
まだまだ100年程の時間が必要だった…

「…フィールドワークや伝説から遺跡に至る…アプローチは間違っていないわ」

「「緑に包まれていた」とは言った物の…ここは本当に緑に包まれていたのだろうか…」

「さぁ…流石にわたしにもわからないわね…ただ…」

彼女は僅かな手荷物から小さめの瓶とビスケットを取り出し

「無謀なのだとしても、命を賭して探す必要があると貴方が思うのなら
 それは決して無駄な行為ではないと思うわ…ワインとビスケットだけど、どうぞ」

「それはいけない…君の命綱だろう?」

「どうとでもなるわ、飲まず食わずでも数年なら」

そういう風に言われてしまうと、そうなのかも知れないと思ってしまう
彼女にはそう言う得体の知れなさというか、有無を言わせない迫力のような物があった。

「それに…水くらいなら」

彼女が両手のひらでくぼみを作ると…そこに水が貯まって行く。

「流石に砂漠、余り大量には集められないけれど」

彼女はそれを飲み干す。

「じゃあ…頂くよ…有り難う」

彼が久しぶりのワインと、数日前に食べきってしまった食物のことを思い出しながら
噛みしめてそれらを食していると、彼女が満天の星空を見上げながら

「…宇宙は無限なのかしら」

「…さぁ…でもそうなんじゃないのかい?
 ああ、でも太陽は流石に宇宙の中心ではなさそうだけどね」

「無限なのだとしたら、何故夜空は暗いのかしら」

「…うん?」

彼にとって「夜は暗い物」なので思いもしない疑問に面食らった。

「無限の宇宙に無限の星があるのだとしたら、どれほど遠くてもその光はいつか届くはずだわ
 …でも、遠い星であればあるほど…目に見えない赤外線になって行く、どう言う事なのかしら」

「光が赤外線になる…だって?」

「蛇は種類によっては赤外線を感知して獲物を狙うわ、赤い光よりももう少し緩い光…」

1800年に赤外線がウイリアム=ハーシェルによって、1801年にはその発見に刺激を受け
彼とは別に紫外線も発見される事になる。
そしてそれらが目に見える光と同じ性質を持つ…人間の目には見えないだけで…という
事が確認されるのは、今この出会いから少し先になる。
そして、それら波長の違う光が電場と磁場を伴い一定の速度で進む「電磁波」である
と言う事がマックスウェルにより説明されるには、後ここから20年ほどの月日が必要であった。

「どう言う…一体何を君は言っているんだろう…私には判らないよ…申し訳ないけれど」

「わたしにもまだよく判らないわ…でもひょっとしたら…夜空が光で埋まらない理由は…
 宇宙が膨張しているからなのかも…アンドロメダ…あの星雲は少しばかり紫外線側になっている
 あれは近づいているのね…あの星雲は…この天の川の外にある「もっと遠い天の川」なのだわ」

「…考えもしない事ばかりだ…だが…このサハラ砂漠を何の手がかりもなく歩くのと同じように…
 宇宙も…見える範囲は物凄く限られている…それは君の言うとおりなんだと思う。
 …我々は何と狭い世界の中で足掻く存在なのだろうね」

「…だからこそ足掻くのよ…立ち止まっては明日が見えない生き物なのだわ、人間は…」

その通りだと彼は思ったが、悪魔なのか天使なのかも知れないこの女性がそれを言うのも
何だかおかしいとまでは言わないが、変な感じがした。

「…久しぶりに…まともに眠くなった…寝ても大丈夫かな…」

彼女が何者にしろ、少しそれに甘えたくなった。

「構わないわ、お休みなさい」

「君は…?」

「もう少し星を見ているわ」

月や天の川を映しているようにしか見えない彼女の黒い瞳は、でももっと宇宙の深淵を
見ているようだ、神でも、悪魔でもない、それで居て人を超越している、
彼女は何者なのだろう、彼はそう思いながら、眠りについた。



「少なくとも何かしらヒントのような物はあるの?」

朝になり、再び彷徨う彼に彼女は聞いた。

「…そうだな…オアシス伝説…というかな…砂漠の中に…
 何か隙間のような場所があって…そこを抜けると森があると…
 隙間と言っても岩場という意味ではないらしい…砂と砂…空気と空気の…
 隙間らしいんだ…」

「…人間の目に見える範囲で空気に隙間など無いわ…」

「私も…どう言う事なのかさっぱりなんだ…
 こんな…科学の発達している時期におかしな話だが…魔術のような物なのか…」

「基本的に…人が体験する出来事には何らかの…自然的原因や精神的原因はあるものだけれど…
 …そうね、理屈ではない「そうだからそうなのだ」という現象がある事は…否定できないわね」

「…とすると…だ、徒労に終わるかも知れないこの探検に…どれほど可能性は低くとも…
 体験しうる可能性そのものは…否定できないと思うんだよ…」

「その数字にさえ目をつぶれば…貴方は正しいわ」

「この砂漠をそれなりによく知る、方々の村で二年掛け念入りに調べた。
 準備期間を入れたら…私は半生をここに掛けていると言っていい…
 この砂と岩しかないようなこの中のどこかに…そこはある……ん…うおッ!!」

彼の足下の砂が流れ始め、砂丘が崩れ出す。
彼女は彼に頭に巻いていた布をロープのように差し出し、彼はそれにつかまる。

「い…いかん!君の足下まで崩れて行く…!」

しかし彼女は涼しい顔で

「大丈夫よ、布を手にしっかり巻き付けて離さないようにして」

彼女が大きく…特徴的な呼吸を繰り返すと、彼女の足下の…まるで水のように
流れる砂に不自然な波紋が浮かび上がる。
そして彼女が歩くと、そのたびに…まるでその水のような砂が一瞬固まって
彼女が足を離せば、それはまた崩れてどこか地底に流れ込んで行く。

「何処まで行けば助かるかしらね…問題はそこ…」

彼にはもう何が何だか判らなくなっていた。
しかし…彼女にも判らない事があるというのだけは理解できたので…

「ああ…、さっきから流れていない岩が…君の…右…十数メートルの所に…!」

「なるほど、あれね…あれもいつまで持つのやら…だけれど…」

岩の上に彼女は登り(その時点で地面から1メートルほど)指先でその岩を
触れると、何かが響いているのが彼にも聞こえた。

「…かなり大きな岩のようだわ、ドクターブラックストーン、暫くこの上で待機するしかないわ」

確かにまだまだ砂は数百メートル先へ流され、何処へ続くとも知れない地底へと吸い込まれているようだ。

「…この岩は…」

「どうかしたの?」

「ああ…いや…もう少し全体像が知れるとはっきりした事が言えると思うんだが…
 どうも人為的に形を整えたらしい跡が…」

彼女は考古学には疎いようで

「…残念ながらわたしには何も判らないわね…特に石は…」

「そうだね…人類最古の打製石器と言われる物も…議論の対象だよ…
 しかし…この岩肌を見てごらん…結晶に添っているとも思えない一定の方向に
 石で打って整えたかのようだ」

「…言われてみれば…そのような…でも、安心したわ、ちゃんと現実を見ているようね」

「…ん、あ…ああ(苦笑気味に)何らかの文明の痕跡かも知れない…」

この岩に取り付いた時には高さ1メートルほどだったのに、どんどん砂面が下がって行くのと反比例して
相対的に岩の頂上付近が高くなって行く。
彼は、少し身を乗り出しながら

「ミス・ジョット、私では上手く確認出来ない…5メートルほど下…洞窟状になっていないだろうか?」

彼女は僅か2,3本の指を…しかも体重なんか掛けている様子もなく岩に触れさせながら
少し下に降りて行き…

「…確かに…貴方の言うとおり、少し砂を掻き出さなくてはならないけれど…
 わたしの言うとおりの所に足をかけながら降りてきて、大丈夫よ」

彼女の指示の通りに降りていた、その矢先であった。

「…うわッ! なんだ!?」

彼が思わず岩から手を離すと、彼の左の手のひらはぱっくりと裂けていて、血が噴き出した。

「何があったの!右手は離さないで!」

彼はかなりの痛みを感じたようだが、自分の手を切った物を確認した。

「…うう…ここに…何か…古い時代の…矢だろうか…が…あるな…
 恐らく砂に流されたりするうちに…そこに引っかかったのだろう…」

しかし、彼の意識が遠のく、力を失い、砂の海に落ち行く時に彼女の声がした…気がした。



彼の目が醒める、左手は綺麗にさっくりと切れたはずなのにやけに痛む。
既に夜のようだ…彼女は彼の側にいた。

「貴方の手を傷つけた物は…これだわ」

彼女は多分、自分を何とか救った後、その元凶を探るのにその場所へ行き
引っかかっていた物を取ってきたのだろう。

「…古い…石矢の…ようだね…」

「この矢には…小さすぎて生物とも呼べないような…何か空気の苦手な「物」が
 沢山住み着いているわ…貴方の体の中に入って…今猛烈な勢いで繁殖しようとしている…」

勿論この当時「ウィルス」と言う概念すらない。

「ん…それは…どう言う事なのだろう…済まない、医学にもとんと疎い物で…」

「わたしにもこれを何と呼んでいいかの知識はないわ…一つ言えるのは…
 ペストだとかそう言う物を引き起こす「生物」よりもっと…小さくてシンプルな…
 「生命の欠片」のような物が…そして…わたしはこれを知っている…」

「うん…?どういうこと…なのかな…?」

「この矢に触れた者は…「試される運命に置かれる」のよ」

「試される…?何に?」

「神とも…悪魔とも…何とも呼べないような…そのどちらとも言えるような
 そんな力を得るか…得られないかの岐路に…」

「…君の…ような…?」

「そう…」

「…君も…その岐路から力を得た一人なのかい?」

「いえ…わたしは生まれもってのもの…ただ…わたしはこの矢を知っている…
 イギリスで…この矢を使って「実験」を楽しんでいた男を知っている…」

「実験…? …ああ、と言う事は…それなりに致死率があるんだね…」

彼は何となく、覚悟を決めているようだった。

「…わたしの能力では…これを0にすることは出来ない…何とか抑える事は
 出来るけれど…何れにしても…貴方は選ばれる運命にあるわ…」

「…そういえば…私の祖父も考古学者でね…エジプトでの発掘の後…
 なんと言ったか…ミスター何とか言う高官に色々売ったような…そんな話を聞いたな…」

「ミスター・スリム…」

「…知っているのかい…私の生まれる前の…話なんだが…」

「ええ…そう、彼の矢の出所は…エジプトだったのね…」

「…そう…らしいよ…ああ…なぁ…もう少し…出入り口の方に寄せてはくれまいか…」

「どうしたの?」

「昨日…君と見上げた星が忘れられない、もう一度見たいんだ…君に…聞きたい事もあるんだ」

彼女は彼を抱え、床が少し外に出っ張ったような構造のそこへ、彼を連れて行った。

「なぁ…ええと…ああ…あれだ……いやあっちだったか…ミス・ジョット…
 土星ってどれだろう…」

「土星…あれね」

「ガリレオは…土星にこぶがあると称した…その後…ホイヘンスだっけか…
 それはこぶではない、輪であると言ったのは…はは…まぁそれはいいんだ…
 この宇宙とやらが…万有引力とやら…でさ…引き合ってバランスを保っている…
 まぁ…それはいいんだが…土星の輪ってのは…なんなんだろう…」

彼女は地面に残る砂を一握り掴み、また何か呼吸をしてそれを宙に弧を描かせながら投げた。
それは、固定までは言わないが、ゆっくりとキラキラ月光を反射させながら砂に落ちて行く。

「砂ではなく、氷の塊だけれど…土星の輪は板ではないわね…粒の集まり」

「ああ…そうか…そうだよな…板って昔友人に聞いてさ…「そんなこと…あり得るのか」と
 思ったものでね…ははは…」

「…多分…科学でそれを確かめるには…まだまだ長い時間が掛かると思うわ…
 私が今それが「小さな欠片の集まり」と言ったところで…誰も確かめる術がない…」

「君は…どんな望遠鏡よりも…いい目をしているらしい…」

「まぁ…ね…それがいい事なのか…余計な事なのか…判らないけれど」

「見てみたいよ…私も…何か…人の…見えない何かが…見えるように………」

とばかり言った頃、彼は意識を失った。
彼女はここが山だと思った、これで彼が生き残ったとしたら…



彼が目を覚ますと、やはり夜だった。

「…ん…私は…」

「目を覚ましたのね…とはいえ…予断は許さない…体中痛むはずよ」

確かに、ちょっと手を動かそうとしただけで大変な痛みが襲ってくる。

「うう…一体…この「選別」とはどういう…」

「簡単に言えば…この病気から回復するかどうか…」

「…ああ…だめだ…私は…どのくらい眠っていたのだろう…」

「丸一日」

「そうか…ん…この石部屋…下にも通じるんだね…」

「元々三階建てくらいの家だったようよ…とはいえ、何がありそうでもないから下まで行ってないけれど」

「…何か…気配がしないかい…?」

「気配…いいえ?」

彼女には本当に何も感じなかった、彼女が感じないと言う事は、少なくとも
物理的にはそこに何も…彼が気にするような存在は無い事を示していた。

「おかしい…僕の耳には…鼻には…感じるんだ…人の営みと…緑の匂いが」

彼女が彼の頭や目、耳、鼻に手を当てている、

「物理的な匂いや気配ではないわね…」

「私の…気が狂ったのか…いや…」

彼は痛みを伴う体を起こし、下の階へ行く階段へ行った

「まだ動いてはいけないわ」

「下だよ…外からじゃあない…下だ…」

彼は取り憑かれたように階段を這って下がっていった。

「いけないわ、じっとしていないと…」

と、言いつつ、彼はひょっとしたら選ばれたのか…とも彼女は思った。
それにしても…皮膚はかなり崩れ…彼女が整えはしたものの…
いつまた出血してもおかしくないほどの…選ばれたとも思えない有様なのだけれど…

二階部分に降りた彼は一階へ下りる階段へ蓋がしてあるのを見て

「この…下だよ…多分…窓から下へ降りたのでは絶対に…通じない…
 この…蓋は…「もう一つのドア(Another Door)」なんだ…」

「Another Door…?」

彼がその乾燥した木で覆われた蓋を開けると…
確かに聞こえてくる…香ってくる…森の息吹…

「ああ、ここだ…ここなんだ…私が探していた…ところは…ここなんだ!」

彼は喜びの余り、一気に降りようとして階段を転落した

「!」

彼女は急いで後に続いたが…そこには…

原始的…と言えばそうなのだが、ある程度文明や文化的な物が育っている部屋で
陽光が差し込み、何か調理中でもあったのか、土器を使用している住人が…

彼女よりもう少し欧州の人種に近いような…でも結構有色人種の色も濃い…
何とも不思議な外見の人が居た…そして彼と彼女のいきなりの訪問に悲鳴を上げ
出て行ってしまった…その叫びから察するに…確かに…古い言語のようだ…

「ああ…驚かせてしまったようだ…どうしよう」

「…一番いいのは階段を戻り、「ドアを閉める事」だと思うけれど…
 貴方の気はそれでは済まない…わよね?」

「申し訳ない…だって…私の十数年来の夢なんだぜ…!?」

何か…ごく普通の住居として利用されていたらしいその家から彼を抱え彼女は外へ出た。
そこへ、簡単ではあるが武装した数人と共に…身分の高い者なのだろう…長老らしきが
逃げた住人と共にやってきた…
彼らがやってきた道の奥には…何かしら神殿のような施設も見える。

さぁ、言葉が通じるのか、通じるとしても何と言っていい物やら…と二人とも考えていると
…その長老なのだろう…彼の声が音の振動としてではなく、頭の中で「理解」として伝わってきた。

『何と…時々扉が開いてしまう事はあったが…自ら探し出し開けてしまう御仁があるとは…』

その言葉に彼女は

「そう…見えない物を見てみたいという強い心が…この力を開花させたのだわ…」

「…どういうことだい…?」

「これは多分…この土地の記憶…既に失われたはずの記憶の名残…
 見る事も触れる事も叶わない記憶の断片を…貴方は掴む能力を得たのよ…」

『今すぐ立ち去りなさい…この土地にあなた方は飲み込まれてしまう…
 元の世界に戻れなくなる…ここはもう存在しない…在るはずのない国』

「ああ…やはり…ここにはかつて…緑が茂り、人々が暮らしていたのですね…!」

『左様…記録を言葉による伝承でしか伝えなかったために…砂に埋もれた所じゃよ』

「あなた方に…聞きたい事が沢山ある…どのような社会なのか、どのような制度を持った
 どのような産業や工業があったのか…知りたい事が山のようにある…」

『知ってもどうにもなりますまい、もはや全ては砂の中…或いは地の底…
 この岩の家がたまたま残り続けたものですが…しかしもう何の痕跡もありますまい』

「でも…「ここに古い文明があった」という一つの証拠にはなるわ…
 ドクター・ブラックストーン…確かにここにずっと居ては…貴方の魂は
 ここに吸い取られ固定してしまう」

とは言った物の…彼女が取り繕った彼の体は再び崩れ始めていた。
どのみちもう、長くはない…

「私は…もう…死ぬのだろう? ミス・ジョット…ならば…
 私はここで死にたいのだ…私はこの満足に抱かれて死に行きたい…」

「…ロマンチックな…とはいえ…確かに貴方はもう砂漠を渡る体力はないかもしれない…」

『ここならば…貴方は死ぬ事はない…しかし回復する事もない…永遠に半死半生としてなら
 ここに留まる事も出来る…じゃが…そんな残酷な事を…』

「いえ…私は…それを望みます…それでいい…私は…この世界に留まりたい…!」

彼は彼女の方を向き

「済まない…君…一人で戻ってくれ…そして…これ…を…」

彼が懐から手帳を出し、ペンはもうすでにないので、血で何かを書き記した後

「これを…友人に…届けてはくれまいか…ジョシュア…ジョースター…へ…
 彼とは…共に考古学を学んだ仲なんだ…」

手帳と、自分の身を示すためのワッペンを引きちぎり、彼女に渡した。

「…判ったわ…でも少しだけ…最後に貴方の治療を少しだけやって行く…」

あちこち腫れてひび割れのようになった部分を治して行く、何とか…
「矢の生き物の欠片」の勢力を少しでも弱めるように…

『そちらのお方よ…その「矢」…ワシに預けておくれ、そんな物が…
 現世にあってはならぬ…その矢のせいで…我らは死に絶えた…
 唯一私が力に目覚めつつも死んだが故に…今こうして記憶だけの
 国になってしまっておる…』

「…そうね…数はこれだけではないけれど…一つでもこの世から
 消した方が…世界のためだわ…」

彼女は、それを武装した男に触れぬよう手渡した。

『貴女も既に矢に選ばれた身であるようだが…ここに居てはいけない…
 生きる意思があるのなら…ここに居てはいけない…』

「ええ…ドクター・ブラックストーン…ではわたしは…行くわね」

「そうしてくれ…宜しく頼む…」

「この場所と貴方に…もう後370年ほど前に出会っていたら…わたしも
 ここに居たいと懇願したのかも知れない…どうして…「今」なのかしらね…」

その言葉に、彼は彼女の抱える「力」が実はとてつもなく厄介な物なのだと知ったが

「…多分…それにはきっと意味があるんだ…砂漠で全ての装備を失っても
 進んだ私のように…いつか君にも…君の導きが現れる…」

「…そう…願いたい物だわ…」

「ああ…もしかしたら私は砂漠で死んでいたのかも知れない…
 だが…君が悪魔なのだとしても…私はそれで救われたのだ…
 君にも、神でも悪魔でも…この力でもいい…加護がありますように」

彼の側に住人たちが近寄る

『私共が彼に触れたところで貴女は帰れなくなってしまう…さぁ…行きなさい』

彼女は少し振り返ると、岩の住居に戻り、二階部分へ上がり、木の蓋を閉じた。

その二階の窓からは…やはり月明かりしかさし込まない。
森の匂いもない…何の気配もしない。

何の気なしに蓋を開けても…そこには矢張り、普通に遺跡としての砂に埋もれていた
階段…夜の階段しか見えない。

三階部分へ上がっても、彼の死体はなく(彼の血痕は間違いなくそこにあった)
一階に下りても、もうそこは半分砂に埋もれた遺跡でしかなかった。

「さようなら、夢を掴んだ人」

彼女はそこを去り、砂漠を渡っていった…



数ヶ月後…彼女はスペインにいた。

件のブライト=ブラックストーンの遺物を、何とかして届けようにも、
その地にいたイギリスの軍人などから渡すしかどうにもならなかったのであった。
欧州は、近代化・旧態からの脱却、独立で混乱していたのだ。
そこから避難するのに砂漠を歩いていたというのに…

彼女は「やれやれ」というようにイギリス軍と接触しやすいような街に滞在していた。

一週間ほど経った頃だった、彼女に訪問者があった。

「やぁ、僕はジョシュア=ジョースター、貴女が…ブライトの遺品を?」

「ええ、そうよ、彼は…そこに血で書いてあるとおり…
 幻の王国を発見したわ」

「凄い…彼は病気でもう長くないとの事で君にこれを託したようだが…
 そこへ行く事は…君が案内する事は出来ないのだろうか?」

彼女は首を横に振った。

「…そこは…生きた人間の訪れる場所ではないわ…わたしは
 たまたま「帰りなさい」と諭されたから帰れただけ…
 それに…信じて貰えないと思うわ…」

「サハラ砂漠に森などと…確かににわかには信じられない事なのだが…」

「そう、そこは…死を賭しても訪れたいと願う者だけが…行く事を
 許された場所なのかも知れない…でも…」

「…? 何か?」

彼女はスケッチブックを取り出した。

「信じる、信じないは貴方に任せる…その言語体系からしても…
 恐らくは数千年から一万年近く昔の…わたしが見た限りの記録…」

彼女はこの一週間の間で記憶の限りを描き残しておいていた。
言葉の断片から、部屋の中の様子、土器の形状と炉の形、
匂いから想像できたその中身、そしてその部屋の住人、そして…
道の向こうに見えた神殿と共に、そこからやってきた長老と兵士…

「地図で言うとこの辺り北緯…東経…そう、この辺りに…岩で出来た
 住居跡があると思う…彼がその病気を少し癒すために滞在もしたから、
 血痕もまだ在るかも知れない…でもそこは…近くに岩盤の割れ目があるのか…
 砂が積もっては地の底へ引きずられる場所…」

「…どう言う事なのかさっぱりだ…でも…君の言う事…見た物…この文化…
 凄く興味があるな…」

「一つ言うわ、興味だけでで探せば、命を失う」

「…困ったな…にしても…君は何故そんなところへ…?」

「欧州の居心地が悪くて…」

「ああ…そうだね…確かに…」

「それで、星を見に行ってたの」

「…なんだって?」

「砂漠に星を見に行ってたのよ…そうしたら、死にかけたドクター・ブラックストーンと出会って…」

「君は…何者なんだい?」

「何者でもないわ…そうね…悪魔かもね」

「めったな事を言うもんじゃあない、君はこうして友人の遺品を預かってきてくれた
 恩人なんだ、何か礼がしたいのだが…」

「何も要らないわ…彼の事を貴方に伝えられたなら、それで十分よ…じゃあ…
 そのスケッチブックも差し上げるわ…わたしは、行くわね」

「あ…どこへ…」

「さぁ…、どこか…落ち着けるところへ」

普段のジョシュアなら、引き留めただろう、こんな風に、とてもじゃあないが
欧州で大手を振って歩けるとは思えない女性をこのまま野放しにするなど
彼の信条には反していた…だが…なぜか…「そうせざるを得ない」気がして
彼は彼女を止められなかった。



ジョシュアの手元に渡ったスケッチブックと、手帳であるが…
学術的な価値よりも、彼はそれを「友人の大切な記憶」として保管した。
彼が夭折し、その息子であるジョージ一世の頃には、もうその記憶は途絶えていた。
ジョシュアはそれを、思い出として封印してしまったのである。

そして1888年…ジョナサン=ジョースターとディオ=ブランドーの戦いで、
その全ては誰の目に触れる事もなく、全ては灰になってしまった。

彼女の方も…ジョシュアに全てを引き継いだ事で…珍しく彼女にしては
詳細を忘れてしまった出来事でもあった。
「忘れなくてはいけないのだ」と彼女はそう思い、その通りになったのである。

今も…その記憶の王国はどこかで入り口を開く時があるのかも知れない。
そこに迷い込んでしまった者は、出会う事になるのだろう
病人だが唯一英語で会話できる男と…そして…ここに長く留まってはいけないと言われ、
後にすれば、その体験を誰かに語る事もあるのだろう

砂漠の中で見た、夢の記憶として…


第一幕 閉

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