「不思議な女だ」
彼は、そう思った。



第一幕 開幕


日付まで彼らは深く考えていなかった、
ただそれが2月で、その割りに少し暖かい日だったかなと言うことくらいで。

2007年二月某日、イギリスはロンドンの市街地寄りではあるが、
少し古い建物が込み入っていて脇道の多い場所を彼らは走り回っていた。

「まったくよォー! ひっさびさの大型捕り物ならオレも愚痴ったりは
 しねェーけどよォー!」

息を切らしつつあるこの若者は、体も細く、ガリガリと言っていい。
五分刈りの頭に中央だけモヒカンで逆立て赤く染めた若者である。

「動物ばっかりはなぁ…言うこと素直に聞けばこんな苦労もしないで
 済むんだけどな…」

変形スーツのようなちょっと特殊な服装に帽子を被った、体格の良い
背の高い男がそれに応えてぼやいた。

裏路次を走りながら二人が追いかけていたのはカラフルな鳥であった。
彼らは、飼い主の元から逃げ出したそれを捕まえる依頼を受けての捕り物であった。

鳥が、そのうち角を曲がった先のちょっとした広場と記憶する場所に向かったのを見て

「…この辺は3,4階建てで建築資材の残骸やら何やらで留まれる場所も多い
 あの鳥も羽を少し整えてあるから高くは飛べん、
 どこかに留まってることを期待するか…!」

変形スーツに帽子の体格のいい男がそれを言うと

「じゃあー先に行っててくれよォー…オレ、ちょっともう限界だわ」

パンクス風情の彼が速度を緩め、大きく肩で息をしている。

「だらしがねぇなぁ、もうちょっと鍛えろよ、俺みたいに」

そうは言っても今この瞬間にいきなり鍛え上げられるモノでもない、
体格のいい方がそのまま鳥を追いかけ、角を曲がった。

彼の記憶通りにそこはブロックやら土管やら鉄管やら線材がちょくちょく置いてある
広場で、その土管に腰を掛けて飛んできた鳥を自らの指の上に留まらせ
優しく話しかけるようにしている「女」が居た。

こんな所に女?
そこはスラムとは言わないが余り人の営みのない場所である
咄嗟に捕まえてくれるよう声を掛けるべきだったのだが、
彼はその露出の多い割りには品性を感じ、少なくとも娼婦とは思えない
混血らしい、そして「鍛えてあるな」と判るそのボディライン
そうでいて物腰も柔らかそうで優しい瞳をしたその「女」に少し間が出来てしまった。

そこへパンクス風情の彼も息を切らしながら合流した。

「どーしたんだよォー…、居たんなら捕まえねぇーと」

「あ…、おう」

二人のそのやりとりの間に「女」はこちらを向いていた。

「その鳥…捜索依頼が出ている「迷子」なんだよ、悪いんだが
 逃げないようにして居てくれるか?」

体格の良い男が「女」に慎重に言った、移民関係なのだとしたら
英語だって危ういかも知れないわけだし、彼は努めて高圧的にならないように言った。

「女」はその指に留まる鳥に向かい、言った。

「自由には自己責任や危険がつきまとう物だわ、
 生命と安全の保証の代わりに、貴方はその綺麗な姿と声で
 対価を払っているのよ」

もの凄く綺麗な英語だった、そして「女」は少し特殊な呼吸をしたかと思うと
そのまま立ち上がり、こちらへ近づいてきた。

「あ、おいよォー、飛んでっちまわないよーにしてくれよォー」

「大丈夫よ、鳥かごの戸を開けてこちらに向けてくださる?」

鳥は確かに飛び立とうかなともして居るようだが、「女」の指から
飛び立てないようだった、パニックこそ起こしていないが、それも
もう片手の指で撫でられてなだめられているから…以外にも理由があると
体格のいい男は思いつつ、言われたとおりにして「女」の手の高さの位置で
その引き渡しが出来るような高さでこちらも少し歩み寄った。

鳥をカゴの中に戻し、指から離れさせた時に、鳥はちょっと攻撃性を増し
「女」の指に噛みつこうとしたその時、彼ら二人は驚愕した。

「女」の指のほんの僅か外側に「別な金属っぽい指」が見えてその噛みつきを
防いだのだった、「彼ら」は警戒した、「女」は「スタンド使い」なのだ!

ちょっと急いで手を式抜く時に「女」はカゴのどこかに
手を引っかけたらしく、血をにじませ軽く痛がった。

なんだなんだ…?
鳥をカゴの中で放す時に鳥からの逆襲には備えたが、
カゴから手を引き抜く時に「引っかけるかも」とまでは予想しなかった?
「彼ら」は警戒して半歩下がりつつちょっと呆れたように

「礼を言う、なんか怪我させちまったみたいだが…それよりあんた…」

「スタンド使いだよなァー? オレ、ちょっぴり見えたぜェー」

「女」は手の傷をなめながら

「ええ、と言うことはあなたたちも「そう」と言うことのようね」

「こんな所で何をしていた? 目的は?」

「知ってどうするの? …それに聞いたらもっと呆れるわよ?」

どういうことだ、緊張感のねぇ女だな…と体格のいい男は思いつつ

「あんたも知ってるだろ、経験則は」

「敵じゃねェーって保証、ないもんなァー」

それに対して「女」は少しばかりどうした物かと軽く考えたようだ
手の甲に負っていたはずの傷は、消えていた。

「…わたし今年の一月まで郊外に住んでいたのよ」

「女」が喋りだした。
なんだ、なにかトラブルか?

「…で、先月下旬にちょっと用事で出掛けて数日前戻ってきたら
 家の更新忘れていてね、もう別な誰かが住んでいたの」

「はァ?」

「だから、どうしようかなぁってとりあえずこの辺りをブラブラしていたの」

呆れた、彼女の宣言通り本当に呆れた、生活力がないのか?

「ただ、予感とまで言わないけれど、何となく私物の整理はしていたのよね
 「潮時だった」ということなのかも」

とまで「女」が言うと

「…良くわからねぇ、意味や目的があったわけじゃあないんだな?
 どっかの回しモンとか、そういう事は…」

それに対して「女」は苦笑気味に言ってのけた。

「その質問、もし相手が本物のプロなら無意味だわ、探偵さんのようだけれど
 気を付けた方がいいわ、わたしが「もし」本当に敵だったら…」

身につまされる、確かにあきれ果てて馬鹿な質問をしてしまった。
ちょっとばつを悪くした体格のいい男に気付いたのか気付いていないのか
もう一人のモヒカンの彼が

「「本当に」ってことたァーよォ、あんた別に敵じゃあねーってこといいか?」

今度は「彼女」がこちら側に呆れたようだが、微笑ましそうにしながら

「わたしについては…わたしを敵だと思うのは、貴方がわたしに敵意を
 抱きかけているから、とだけ言っておくわ」

あーなんか、こっちのレベルに向こうが合わせたって感じになっちまった
ヤバい、これはヤバい、探偵とは言っても年数ばかりで大した仕事
したことねーってのがバレバレだ、と体格のいい男は思いつつ

「いや…悪かった、この辺りはスラムって程じゃあねーが
 決して治安のいいって訳でもないからな、済まなかった」

体格のいい男が素直に頭を垂れたので、モヒカンの彼も軽く頭を下げつつ

「でもよォ−、二月の寒空にそんなカッコで寒くね?
 行くトコねェーんなら、ウチの会社来る?」

「おい、ケント!」

突飛な提案に怒るという風でなく、度肝を抜かれた感じで体格のいい男が声をあげた。

「会社にって、探偵さんという以外にどう言う会社なの?」

「女」が興味ありげに聞いてきた。
体格のいい男はどうすべきかちょっと半分頭がパニックと真っ白でマーブル模様に
なっているところを、ケントと呼ばれたモヒカン男は言った。

「いやァー、こっからちょっと行ったアパート街っつかその二階の二部屋で
 住居兼ちっちぇェー探偵事務所やってんのよォ、フロアの他も空き室だし
 カネあるならそこ住んじまえば?」

ああ…こいつホントに馬鹿だな、という風に体格のいい男が天を仰ぎ見る。
「女」はその余りにお人好しな提案に満面に近い笑みを浮かべて

「紹介していただけると有り難いわ、最近は何かと入居に紹介や保証の必要な
 場合もあるし」

身寄りもないのか? 社会的な繋がりを何も持っていないのか?
何者なんだ、この女は…しかし、入居に紹介や保証を気にする悪人などおるまい。
体格のいい男は、今ひとつ緊張感のないこの状況で

「行く所がないなら、しょうがないよな…
 しかもどうやらそれほど多額の持ち金もないようだし…
 あんたがどれほどの実力かは知らないが、どうもあんたも
 ただの「一般人スタンド使い」って訳でもなさそうだ、
 来るなら、所長を介してなんとかするぜ」

「有り難いわ、わたし個人は寒さなんてどうにでもなるけれど
 見ている方が不快ですものね」

「いやァー、いいモン見たって思うぜェー」

ケントと呼ばれた男がちょっとデレる。
体格のいい男はその頭を軽く殴りながら

「失礼を言った、俺はウインストン、
 ウィンストン=ウィンフィールドだ」

「オレはケント=ロスマンズ、宜しくなァー」

紳士的に、気持ちよく名乗る彼らに「女」は満足そうに微笑みながら

「わたしはジョーン、ジョーン=ジョットよ」




鳥の引き渡しも終え、事務所に戻ってきた三人、なるほどそこは
規模としてはそこそこ、年式はちょっと古そうな四階建ての区画角にあり
一階部分はちょっとした駐車スペースと共に店舗形式のようなフロアがあるようだが
今は車もなく、空きフロアのようだった。
その脇の階段を上り、二階に上がり直ぐ右手に「K.U.D.O探偵社」と
ささやかな看板が掲げられている。
言われたとおり、二階部分もほぼ空き室であり、外から見て三階以降に
幾世帯か入居がある程度のやや閑散としたアパートのようだった。
構造的に奥にも階段があり、基本箱形のアパートだが、その構造上
敷地内に中庭と呼べるようなスペースもあるようだが、特に何があるわけでもない。

ウィンストンがドアを開く、
事務所の中は成る程探偵事務所なのかな、という法令関係や
科学知識や犯罪心理学等の本、博物図鑑がそれなりに置いてあり、
且つ食器棚などもある、住居兼事務所なのだと判る。

ジョーンがちょっと物珍しそうに中を一瞥して向き直ると、
所長なのだろう中年の、スーツもちゃんとしていて体型も振る舞いも
それなりに磨かれた、しかしちょっと頼りなさそうな男性が声を掛けてきた。

「おや、そちらのご婦人は…ご依頼ですかな?」

それに応えてタイプライターを打っていた散切り頭と言ってもいいくらい
ほぼ無頓着に髪を切って、オーバーオールにセーターという出で立ちの
大きなべっ甲淵の度のきつそうな眼鏡を掛けたソバカスの女性が

「違うみたいよ、何か事情があるようだけれど、ねぇケント」

ケントがそれに軽く応えつつ、ソファの上で寝そべって本を読んでいた
女の子…と言っても差し支えのないような童顔で背も低め、髪の毛は
ブロンドでカールさせまくっていて、服もちょっと派手な女性が

「なぁに? ナンパ?」

「違ぇよ…」

ウィンストンが「そんな事するかよ…」という顔で短く答えるとケントが

「いやぁー、家をなくしたスタンド使いでさぁー」

その言葉に、事務所内が凍り付くのが判る。
ジョーンはその何とも身も蓋もない表現に吹き出しそうになった。

「…スタンド使いってどう言う事? 家をなくしたとは…?」

眼鏡でソバカスの女が眉間にしわを寄せて警戒マックスという体で慎重に聞いてきた。

「あ、でもこの人笑いそうになってるしぃ、ウィンストンも呆れてるしぃ
 「これ以上ない」ってくらいシンプルに言うと、なんだろ〜ねぇ〜」

「…ああ、スタンド使いなのはただの偶然だ、色々タイミングが悪くて
 住んでいた住居の更新が出来ずに路頭に迷っていただけのようだ」

ウィンストンが気を使ってジョーンの身の上で事務所の人々を必要以上に
呆れさせないように言葉を選んだのが判る、

「スタンド使いで路頭に迷っていて…我が社で住み込みで働きたいと?」

所長がちょっと気の早いことを言った。

「いや、そこまでは言ってねぇだろ、ただ、住むトコくらい金も
 持っていない訳じゃあなさそうだし、紹介が必要ならって連れてきただけさ」

ウィンストンの言葉にソバカスの女があきれ顔で

「そんな根拠でどこの誰とも判らないスタンド使いの女を連れ込んできたわけ?
 何考えてるの、警戒心とか危機感とか最近たるんでない?」

正論だ、ソバカスの女の発言に対してジョーンが軽く頷いた事が
ソバカスの女もあきれ顔にさせ、そしてなんだか「社の恥をさらした」気がして
ばつの悪い顔になった。

「あーでもなんか、この人は凄く穏やかだねぇ〜、
 「隠した殺気」みたいな物も見えないから、危険はなさそうだよ〜
 そして確かにスタンド使いだね、どんな能力なのかまでは
 やっぱりあたしにはわからないや」

髪のカールした派手目で小粒な女の「線状のスタンド」は端から見て
円陣を組んで中に何かしら模様というかパターンが出てくるようだ、
何が現れているのか他の誰にも判らないようだが、彼女自身には判るようだ。
そして、自らの能力の限界も心得ているようだ。
ジョーンはそのスタンドに凄く興味を持ったようだった。

「危険はないと踏んだんだ、というか今のここの空気見ろよ、
 どこに持続する緊張感が渦巻いてるよ、
 ただし、このジョーンは…素人でもないみたいなんだよな」

少し注目を集めてしまった所で、ジョーンは何気に一言だけ

「…昔の話だけれどね、探偵っぽい事もやったことがあるわ」

「おう、じゃあー丁度いいじゃん」

ケントは全く自然にそれを言った。
緊張しようにもことごとくそれらは続かず気の抜ける空気。
所長は「うん、」と一言呟いてから立ち上がり

「では、どうかね? 暫くここで働いてみては」

彼は結論の遠くなりそうな事は考え込まないのが信条だった。
もうシンプルにジョーンをスカウトした。
その余りの思い切りの良さにジョーンは少し呆気にとられたが

「ええと…それで、わたしは一体どこに」

「事務所の隣だねぇ、あたしとルナで今二人だけど
 もう一人くらいなら何とかなるんじゃないかなぁ?」

「え、ちょっと待って、もう確定事項なの?
 もうちょっと何か面接的なことはあってもいいんじゃあないの?」

ルナと言うらしいソバカスの女が状況の変化について来られなそうな雰囲気で言った。
でも言いながら、結局は受け入れる方向になりそうなこの流れに
「一体この流れは何?」という混乱も見える。

「いや、ルナ、シンプルに行こう、彼女にその気があるなら私は構わない、
 とはいえ、一人増えることは大家さんには伝えなければならないし、
 その為の費用も必要なのだが…」

所長が現実的な話題を振ると

「今…こう言う物しかないのだけれど、宜しいかしら」

彼女のちょっとしたカバンと言うよりはバッグと言う言葉のイメージの方が強い
大きさの荷物から更に小袋を出し、その手に中味を出した。

「ほェー…なんだよこれペンスとかじゃねぇーしユーロでもねぇーし」

ケントは言うし、ウィンストンなども「なんだこりゃ」という顔で見ているのだが
その手のひらにこぼされる音から光り方から、それに反応したのはルナと呼ばれた
ソバカスの女だった。

「…ちょっとナニコレ、見せて!
 …オランダのダカット金貨…フローリン金貨…グルデンの金銀まで…
 こっちはイギリスのジョージ三世ギニー金貨…しかもほぼ未使用…なんでこんな物を!?」

「お、さっすがルナ詳しいねぇ〜、高い物なの?」

「古銭商に持って行ったってそれなりの物だわ、
 博物館行きとか言うほど偉い物じゃあないけれど
 ほぼ同時期の…18世紀後半の物だわ…刻印もそうなってる…」

ジョーンはもの凄く感心したようにそのルナの言葉を聞いていた。

「盗んだ物じゃあないわ、「昔の仕事の謝礼」なのよ」

「昔の仕事って…」

ルナがジョーンに何かとんでもない秘密がありそうな雰囲気を感じたが

「うん、随分と酔狂な取引もあった物なんだね」

所長が何気に言うと、成る程「昔」がどうと言うより「酔狂な取引」という方が
全員の心にしっくり来た。

「一室新たに借りることも出来そうだが、どうするね?」

「わたしはどちらでも…でも折角だから相部屋も面白そうかも」

「へぇ〜〜何だか判らないけど凄い人そう、宜しくね、
 あ、あたしアイリー、アイリー=アイランド」

髪をカールした小粒な女はそう名乗り、

「わたしが所長のポール=モール、宜しく頼むよ」

そして眉間にしわを寄せいぶかしげにジョーンを見ているソバカスの女が

「ルナ=リリー」

ジョーンは改めて名乗り、宜しくと挨拶をした。

考え込んでいたルナが

「あ、ちょっと待って、大事なことだわ、免許はあるの?」

イギリスの探偵業には免許が必要である。
その代わりに、捜査権も一部持っているのだが、そう言う性質から
元軍人や警察官など、それなりに銃など訓練をして場数を踏んできた者が
なる事が多いのだ、これはアメリカなどもそうである。

「今はないけれど…」

ジョーンは自分に集中する視線にちょっと面食らいながら

「どうとでもなるわ」

余りにさらっと言ったが、
「無免許で活動するのも何とも思わず、必要なら偽造も可能」
と言うような言いっぷりにルナが言葉を失った。

「…必要なら取得して呉れ給え、この金貨から
 その手続きなどお膳立ては私がする、当面は免許を持っている
 私か…とはいえ私はほぼ事務所内なので
 ウィンストンかルナと同行することになるね、いいかね?」

ポールはこう言ったが、ウィンストンは知っている
「自分の知らない間に何気に完璧な偽造が出来るなら、構わないのだが」
と言う心の声を。
ポールはそれなりに遵法意識もあるのだが、何しろ探偵である。
時にはそういう「技能」だってあっても良いと思っている人物だ。

そして、そんなポールの空気をジョーンもくみ取ったような表情をした事を
ウィンストンは見逃さなかった。
こいつ、何者だ?

2007年二月某日、よもやこれがこれから僅か半年ばかりで大きく
この小さな会社を変貌させようとは誰も思っていなかった。



2、3日が過ぎた。
仕事のペースは一日1・2件、ほぼ遺失物調査で、「盗まれた」よりは
「紛失してしまった」系であり、アイリーがスタンドで探して
免許持ちのルナが同行し解決する、そんな程度で、そうでなければ
報告書提出などの事務的な用事でウィンストンが出掛ける程度。

ジョーンはあれから事務所内や住居スペース内の配線や配管を
何気に調べているようである、この日もそんな感じで
暇な朝、ジョーンが「女性従業員室」に居残っているようで
事務所内には元の五人のメンバーが軽くお茶などで過ごしていた時であった

「…彼女…行かないのよ」

アイリーの突然の呟きにルナは黙りこくり、男性陣が理解不能という表情をした。

「あー、ゴメン、判んねぇーよ」

ケントが言うと

「行かないのよ! 女王陛下だってローマ法王だって有り得ない!」

アイリーの訴えはやはりよく判らない。
ポールがその辺りを読み取って

「お手洗いを利用しない、その素振りもない、という意味でいいかね?」

その言葉に、アイリーは深刻な表情でこくりと頷いた。

「バスタブには湯を張ってきっちり入浴しているけれど…
 どうやらそう言う瞬間でもないようなのよね…
 あたしも変態じゃないんだからわざわざ確かめた訳じゃあないけれど」

ルナも口を開いた、そして飲んでいる紅茶のカップを見つめて

「そしてみんな、どう思う? 最近水の質、上がったと思わない?」

そういえば…とポールが同意した、ケントやウィンストンは水の味まではよく判らなかったが、
この二・三日ジョーンが率先して台所仕事をしていて

「そういやぁ飯うめぇなぁとは思うが作れる奴が作ってるから
 そう思うだけかなぁと思ってたぜ」

「オレもだぜェー」

「確かにイタリアンをベースにしたような料理も美味しいのだけど
 やっぱり水よ、ジョーンは配線や配管を見て回っていること、何か関連がある気がしてならない」

「それとあともう一つ!」

ルナの慎重な言葉にアイリーが鼻息荒く割って入ってきた。

「まだ何かあるのかよォー」

「彼女、寝ている時に殆ど呼吸をしていないの!」

アイリーの力のこもった報告に「そんな馬鹿な」という男性陣の表情

「あたしも証人よ、睡眠時無呼吸症候群とかそう言うのではないわ
 まるで生命活動そのものをコントロールしきっているかのようなのよ」

ルナがアイリーの力説に対してきちんとそれなりに推論を立ててくる。

「生きてるように見えるだけのリビングデッドだったりするんかよォ?」

「でも全然呼吸してないわけでもないのよぉ〜…死人なら死人で片付くけどさぁ〜」

「片付くのかよ…」

ウィンストンが思わず突っ込むが、今のアイリーにはそれが通じなかったようだ。
ちょっと事務所内の空気が凍り付いた。

「…さて、それはそれとして今日の仕事だがね」

ポールが何気にメモを手にとり、通達事項に入った。
従業員の四人は「ええー!? 丸ごとスルーかよ」という表情になったが
ウィンストンが立ち直り

「…そうだな、まずは仕事だ、やっつけちまおう」

結論の遠い推測はしない!
ポールの見事なこの切り返しをウィンストンは呆れつつも少し尊敬していた。
少なくともスタンドという特殊能力を持つ自分たちは、一般人にしてみれば
十分「謎めいた」存在なのだ。
こいつのこのテキトーな性格が案外この社を零細ながらも
続かせている原動力なのかも知れない、とウィンストンは思っていた。

アイリーやルナは納得いかない感がバリバリだったし
「判んねぇ事考えたって肌荒れるぜ」と言おうとも思ったが
今やそれはセクシャルハラスメントに相当するかも知れない、
めんどくせぇなぁとウィンストンが思っていると

「ジョーンが話してくれるンならよォ、本人に聞きゃーいーんだぜ? なァ?」

ケントは時々このように身も蓋もない正解を言う。

「そうだね、彼女が隠すなら謎だし、話すなら聞けばいいのさ
 では、まずルナとアイリーでこちらに回ってくれ(メモを渡しながら)
 これはなかなか大きな仕事だよ?」

「カナビス=カサブランカ…やり手の事業者だわね」

その指定された邸宅も矢張り高級住宅街だ

「ほぇー、金持ちから依頼かよぉー、あいつらンところじゃなくてかよぉ−?」

ケントの言う「あいつら」はまた次の機会に譲るとしよう、
「同じくスタンド使い達による探偵社がある」くらいに思って戴ければいい。

「おい、それはマトモな仕事なんだろうな?」

ルナは運動音痴だが探偵免許を取得するくらいには「頑張った」奴だし
スタンドも弱っちいとはいえ戦えないこともないんだが、
アイリーはまだ「見習い」段階で体も小さいし何よりスタンドに戦闘能力はない
ウィンストンはそう思い、ちょっとアイリーに心配の目を向ける。
アイリーはそんなウィンストンの気遣いを嬉しく思うのか、にこっと
微笑んで応えると、ウィンストンは少し照れたように帽子のつばを下げた。

「いや、内容はいつもの遺失物調査なんだよ」

ポールがあっけなく言う。

「そう、依頼者が一般市民かハイソな人かって差だけって訳ね」

ルナが呟く。
ルナはなかなか向上心というかこの会社が零細と言う事もあり
もう少しくらい会社らしく運営できても良いのでは、といつも思っていた。
だから危険はなさそうだというのに、少し気の抜けた様子になった。

「とはいえだね、報酬は弾んでいるんだよ、物が物だけに」

「何を探すのぉ?」

「ネックレスだそうだ、時価10万ポンド(2007年当時2千万強)程だそうだが」

四人の従業員からジョーンへの疑念は吹き飛んだ。
そんな高価な遺失物、取り扱ったことは当然今まではない。

「物が物だけに無傷で回収できたら相場の10倍払ってもいい、ということだよ」

ポールが何気に誇らしげに言っている。
ケントやアイリーは素直に喜んでいるが

「あのよぉ、それってあらかじめ入ってた傷とか判るのかよ?」

喜んでいた二人と何気に誇らしげだったポールが「えっ」という態度になる。

「カサブランカとかって奴の性格は知らんがやり手のようだし
 見つけても何だかんだ難癖つけられて下手したらただ働きとかよ」

「さすがウィンストン、考えが黒いぜェー」

「考えが黒いってなんだよ…」

「いえ、確かにあり得るわ、弱小をいじめた所でたかが知れてるでしょうから
 更に損害賠償をこちらに求めるまではせずとも、値切る・ただ働きを強要する
 くらいは考えられなくもないわね」

ルナが特に感情を込めず言った。
まぁどんな品物か、無くなった経緯は、誰が盗んだのか、それらを考え合わせ
最初に写真などである程度外観は伝えられるのだろうが。

「うむむ…私としたことが元の価値の段階で舞い上がってしまっていたようだが」

「あたしの能力は対生物軽治療であって物は直せないし…
 まぁ、投げる選択はないわ、今から放棄すればそれだけでケチが付く
 行くわよ、アイリー」

「あいさー!」

ちょっとした防寒着を羽織って二人は出動していった。
ちょっと不安に思いつつも、ルナもルナでけっこう頭のキレる女だ

「…なんとかなると、祈るしかないかね」

「カサブランカとか言う奴の噂とか、ポールあんた知ってるか?」

「まぁ、清廉潔白とは言い難いくらいかね、ただし表立った悪行があるわけでもない」

「祈っとくぜェー、それでよォー、オレ達は?」

「ああ、君たちは…」

ポールが内容を伝えようとした時に、事務所のドアが開き、
紅茶のお代わりを持ってきたジョーンが入室してきた。

「ああ、丁度良い、ジョーン君、君も二人と一緒に頼むよ」

「…えっ?」

今までの二・三日、自分には仕事を振られなかったので不意を突かれたジョーンが目を丸くした。



二月のロンドンの寒空の街にしけた男二人と訳の判っていない女一人。

「全く…前がインコで次は猫かよ…」

ルナ組の油断のならなさとの落差にウィンストンは思わず愚痴をこぼした。

「しゃぁーねぇーや、失敗できないのはあっちだかんなァー
 ただの猫か10万ポンドのネックレスじゃぁーよぉー」

「命の方が取り返しの付かないと思うけれど…」

「ケントじゃあないがしょうがねーよ、でかい信用と
 普通の信用の秤じゃどうしたってでかい方に傾くモンだぜ」

「まぁーよぉー、事故にさえ遭ってなければ
 ちょっとした怪我くらいならルナのスタンドで治せンだろー」

「俺達、あんまこの件に関して役に立ってねぇ気がするが…
 まぁ相手は猫だ、俺の風もケント、お前の壁もインコよりは
 使えるはずだぜ」

「だといーけどよぉー」

そうこうしているうちに依頼者の家だ。
事務所からそう遠くない似たようなアパートひしめく一角にそれはあった。

「写真はこれです、この子です! 家の大切な家族なんです、お願いします!」

若い一家で旦那とおぼしきは仕事で留守のようであり、立って歩けるようになった
子供が世話しなく動き回っている家の奥方が依頼人だった。
年は27歳のウィンストンと同じか若干若い…ジョーンが二十代中程に見えるので
それと同程度の感じの、でも近頃の状況を見ればまだ若い方と言える母親だった。
猫はちょっと白毛も混ざってるが概ね黒猫と言っていい猫だった。

「んでぇー、なんか最近変わった事とかあるンすかぁ?」

ファッションパンクスなケントだが、すべき質問をしていた。

「ちょっと落ち着きが無くなったかな…と思ったら太りだして…
 いつもと同じようにしか食べさせなかった積もりなんですけれど」

「成る程…写真の猫、短毛の黒猫だけにシルエットは判りやすい、
 写真のは標準的だが、太ったのか」

ウィンストンが情報を元に「デブ猫」というやつを色々連想する

「元々外に出る子だったんですか?」

ジョーンが更にリサーチする。

「ええ…でも、以前は玄関から廊下をちょっとくらいだったんです
 そのうち…非常階段の方から近所の屋根に移れる事を覚えて…
 でもそれも昼寝の間くらいだったんです…
 太り始めてから段々長くなって…
 もう三週間近くになります!
 家も主人は仕事ですし、私は子供もおりますので広く探す事も出来ず…
 どうかお願いします!」

「三週間か…誰かに世話して貰ってなければ結構ヤバいな」

ウィンストンの呟きに、依頼主は顔を青くしたが

「大丈夫です、迅速に探して見せます」

ジョーンが自信を滲ませしっかりとした口調で告げた。
依頼主の家から出てジョーンはまず非常階段へ向かった。

「…散歩コースの確認か」

ウィンストンが呟き一つ二つ階数を降りると、なるほど
階段にくっつきそうな距離に隣の家屋の屋根が来ている。

「こっから更にどっかへってことだよなァー、どこ行ったんだかよォー」

ケントが手すり越しに下を見るようにすると、横で何かが手すりを飛び越えて行った
それはジョーンだった。

「え、おい!」

ウィンストンが思わず声を掛けると
ジョーンは隣の家の屋根に音も立てず着地して

「大丈夫よ、下の人に迷惑は掛けないわ」

屋根の上を歩き回るが少なくとも環境音にかき消される程度の足音しか発してないようで

「なんだありゃ…ニンジャかよ…」

「お、日本大好きウィンストンらしー表現だなァー、…でもマジそれっぽよなァー」

ジョーンはあちこち見て回り、こちらに戻ってきた。

「降りましょう、確認したいことがあるわ、案外母子共に健康かも」

「母子?」

ケントが突っ込むと

「…ああ、そうか、あの家まだ理性なんて形作られてない乳幼児がいるし
 ちょっと早いが猫も春頃は盛りの時期だ、
 太ったんじゃなく、散歩中にデキちまったけど家ではゆっくり
 出産も子育てもできそーにねーから家出した…そういう訳か」

ウィンストンがそう言うと、ジョーンが頷いて非常階段を更に下る。
通りに出て件の「隣の建物」は、依頼者のアパートから逆側に
猫なら問題なく降りられるような構造もある、そして通りを「隣の家」から向こうを見る。
見慣れた看板が数軒先に一同に見えた。

「マクドナルドかよォー母子共に健康で居られっかなァ」

「うんまぁ…猫が常食するモンじゃあねぇが…即死ぬって程の毒でもねぇだろ」

「廃棄のバーガーやら何やらは夜中に出るはず、黒猫なら横道の奥側から狙いやすいわ」

「ってーこたぁー」

ジョーンが先頭でマクドナルドの店舗横の脇道に入り、ジョーンは選択的に狭い方狭い方へ
分け入っていった。

その細い路次というかもうスキマといった方が正しい場所は左右の建物の屋根や構造
そして地面に廃棄されている物などで雨風は凌げるし、日はほぼ当たらないが
何かダンボールや紙類布類でもあれば確かに猫が隠れ住むには適していそうな場所だった。

「狭めぇーなーおい…」

ウィンストンがギュウギュウになりながら進んでいる、ケントは元々痩せているので
二番手をまだ余裕はありそうな感じで進んでいると、

「おいおい、あれよォ−www」

ケントが振り返り、ひそひそ声でウィンストンに話しかけ、指さす先は…
先頭のジョーンはとても前に進むのに苦労していた。
腰もつかえそうだが、何よりその胸だ。
ウィンストンは意識しないようにしていたが、
ジョーンは鍛えてある以上に凸凹の激しいプロポーションだった。
腰はある程度真横に真横にそれほど体を動かさずに進めるが
上半身はそうも行かない、肩や背中を動かさなければ手でかき分けることも出来ない為
ゴム毬かっていうその胸は変形しまくっていた。
服装も薄い布一枚っぽい上半身、めくれかけてはなんとか直し直し進んでいる。

「正体不明・謎に包まれた奇妙な女」という意識で居たウィンストンも
流石にそんな指摘をされたら意識せざるを得なかった。
恐らく同じ道をアイリーが通っても、ルナもそうはなるまい。
むしろルナはあからさまに細いので(セーターで誤魔化しているが)
すいすい通れるかも知れない。
『ああ…いや、何を考えてるんだ俺はッ!』
ウィンストンは邪念を払い

「今は仕事に集中しやがれッ!」

ケントの頭をぽかりと殴りたいが手が自由に動かせない、半端に叩くに留まった。

「いやー、そーだけどよぉーこの有様端から見てたら馬鹿見てーだろーなァー
 なぁーんて思って言い出しっぺ見たらあれだもんよォー」

確かにそうだ、だがしかし彼は落ち着こうとした。
目を瞑って何も考えず先に進んでいると、二番手でまだ余裕があるはずのケントにぶつかった

「お、どうした?」

先頭のジョーンがちょっと申し訳なさそうに

「奥に行くほど狭くなっていて…これ以上進めないわ…」

「…ああ、胸がスゲー事になってンな」

目をつむり邪念を振り払った彼が再び目を開けた時の光景をウィンストンは
ただただストレートに言ってしまった。
彼は心の中で叫んだ。
『何言ってンだ俺ェェエエーーーッ!!』
彼の痛恨の一撃をケントは「やっぱ意識してやンの」的にニヤニヤウィンストンを見ているし
ジョーンはジョーンで申し訳なさそうではあるが

「でも…ほら…この先…見て」

「お前ももっと言葉を選べないのかよ…この先ってどの先だよ」

「おいよぉー開き直ってエロってんじゃねぇーよぉーwww」

「「わたしの居る先」…これで良いかしら?」

ジョーンもここまで酷い事になるとは思っていなかったのだろう、
折角それなりに紳士的に振る舞おうとしてくれていたウィンストンを
闇に突き落としたような申し訳なさを表情に滲ませていた。

狭いスキマの向こうに目を懲らしてみるが、

「暗くて判らねぇ…何とかならんか」

ウィンストンが言うと
ジョーンは左を前に進んでいたのだが、その左手の先と思われる位置が発光した。

「…どう?」

それこそ恐らく廃棄のダンボール箱とかそう言う物の中に組み立て状態で
捨てられていたジョーンより4,5メートル先にそれは居た!
光が差したことで親猫は警戒し、まだ目は開いたかどうかという子猫は気配を察知し
か細い声を上げだした。

「居たぜェー!マジで居た!」

「ケント!人間がこれ以上進めねぇ以上は向こうの退路を塞げ!」

「よっしゃぁぁああーッ『フォー・エンクローズド・ウォールズ!』」

猫のいるダンボール箱の後ろ側にはまだ15cmほどの幅でスキマがあり、
奥に進めることから親猫が逃げる可能性がある。
ケントの名乗り上げでその箱の後ろ側から石の壁がこちら向き斜めに長さ2mほど出現し
確かに退路を断った。

「ケントの壁なら強度は大丈夫だ、「生えている場所」さえしっかり出来ていれば
 斜めでも水平でも倒れることもない「守りの壁」だ」

しかしジョーンは危機感を募らせ

「斜めでは高さが足りないわッ!」

ジョーンの叫びと共に親猫が飛び出し、箱→壁→ウォールズの壁と飛んでいったが

「やべッ!」

ケントが焦って壁をもう一枚後ろに出現させつつ、
最初の壁を彼の能力いっぱいに伸ばそうとした!

「ああッ…ダメよ! そんな所まで…ッ!」

「ジョーン…お前…わざとやってないか、その言葉選び…」

「あ、いえ…ごめんなさい、その猫が乗っている壁の先に…!」

ジョーンのもの凄く誤解を受けやすい言葉にモヤモヤしつつ
ウィンストンが猫に気を戻すと、

「あ…! マジだヤバい! ケント今すぐその壁を…!」

とまで叫んだ時にはもう遅かった、猫は元々右側の壁にあっただろう
非常階段跡の朽ちた残骸のような出っ張りに飛び移り、
どんどん上へ上へと逃げて行ってしまった。

「ああ…」

息を漏らすようなジョーンの落胆の声がまた無駄に色っぽくて
ウィンストンはなんだかジョーンが手に負えない姉か何かのような気がしてきた。

「やっちまったァーッ! どーすべェよ、オレの壁の射程は十メートルくらいまでだぜぇー」

「俺の風ならギリで届く…しかし20メートル近い上から落としてこんな自由の利かない路地裏で
 上手くコントロールしてキャッチできる程の自信はねぇなぁ…」

その言葉にジョーンが真剣な顔でこちらに向き直り言った。

「ケント君、壁は何枚までつかえるの? 名の通り四枚?」

「お、おう、そうだぜェー」

「ウィンストンの能力は風、しかもある程度コントロール出来るのね?」

「ああ、しかしどうする気だ」

「今この状況で親猫を逃がせば周りの状況が判らない、事故の可能性も上がるわ
 これは賭けだけれど…ケント君、貴方が今ここで成長できれば仕事を遂行できるわ…!」

「………!?」

二人は眉をひそめつつ、こんな状況で何か策があるのかと淡い期待を抱いた。


第一幕 閉幕

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