L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE:10.5&11.5 「その時の弥生と少しその後」

第三幕


「先ずどこから手をつけたい? 初代だと鎌倉時代、二代室町、三代戦国
 四代は入手が難しくて無くて、五代は明治、言っておくれど、祓いの歴史その物は
 凄く昔からあるみたいだけど、当然文字記録なんて無いし、特にあの刀の所持者に
 纏わる記録メインだから、イイトコ740年前だけれど…」

「…いきなり古文も何ですので…明治から…かなぁ…」

「判った、ちょっと待ってて、今弥生の図書室から明治の資料引っ張り出してくる」

と言って弥生も「五代用」に明治時代を再編していたようだ、これは判りやすい、と
竹之丸がその中から幾つか必要だろう資料を持ち部屋に戻ると、丘野は既に
五代の活動記録…つまりおやいがしたためたそれを読んで涙を流していた。

平沼橋 丘野、度のきついメガネとソバカスと余りぱっとしない髪型だけれど
発育とか顔の作りとかは悪くない、可愛いと言える。
いきなりそんな物を見て、竹之丸はちょっとドキッとした。
でも、何を読んでいるかは彼女も目を通したので知っている、資料を丘野の側に置き

「…もういきなり「時代が違う」事を知ってしまったね、歴史はロマンじゃない
 点と点を結ぶのに時に必要ってだけ…実証主義的な実に現実的な仕事。
 いきなり悲しい所読んで胸に迫ったんだろうけど、アナタはそれを堪えて
 「納得して」読まなければならないよ、五代でその有り様だと
 それ以前の読めなくなるよ」

肩ポンポンして慰めてみる。

アイヌの子を救って引取ったがばかりに勘当され、それでも大らかに笑って
少しくらいひもじくてもおやいに学校に通わせ仕事に奔走した先代。
確かにそこで泣いていてはこの先など読めるはずもなし、

「ここに書いてある出来事を年代順に公的資料の方を見ると
 「ひょっとしてこの事を書いてるのかな」なんて言うのにも出くわすはず
 これは、…そうだな…裏付け捜査をする鑑識のようなキモチで見なさい、
 感情移入はそれからだってできる」

その竹之丸の言葉に丘野は頷いて涙を拭いた。
竹之丸もアタシなんでこんな優しい言葉掛けてるんだか…と思いつつ、丘野を
慰めるのに、何かちょっとこの子個人的に可愛いかもなぁ、と思ったのだった。

和室の方では取り急ぎ道着などを用意して(三人娘は用意していた)
裕子と弥生は早速奈良子安のお土産の巫女服でとりあえず組み手などを始めたようだ。
(新品同士なのでお互い遠慮が入るためそうしたw)

丘野を慰めた竹之丸はコーヒーやお茶を入れることくらいは出来るので、
自分と丘野の分も入れていると葵がやって来て

「あやめさんのお土産具にしてオニギリ作るんだ!」

とうきうきしながら作業を開始した。
お米をかなり多量に炊いてるその様を見て竹之丸が

「二瓶くらいじゃ、足りないだろう…その量」

「ん、そーいえばそーだね」

と言うときに丘野が

「あの…軽く自炊なら出来ますので、何か軽いおかず作りましょうか
 必要なら…側がスーパーですから買ってきますし」

「お客さんにそれをさせるのも悪いかなぁーって思う」

葵の言葉に、竹之丸が二千円ほど出して

「梅とか昆布の佃煮とかさ…そう言うのもちょっとイイかなと思う、
 これで買ってきな、アタシのリクエストって事で」

「いいの?」

「だってアタシのリクエストだよ?」

「ん、わかった、丘野さんだっけ、いこっか」

「はい」

と言って買い出しに出た。
竹之丸は居間に戻り、コーヒーをすすりながら丘野が読んで涙したのであろう部分を読んだ、
それは、アイヌコタンが悪霊に取り憑かれ「災厄」と化した恐怖と絶望の時から、
それに立ち向かう先代弥生の勇ましさ、美しさ、そして自分の治癒能力を期待しての
無茶な戦法での勝利、瀕死の兄に生き延びてくれと言われ自分以外が全滅したコタン。
先代の治療の時にその無残な傷跡すらも陽に当たって美しいと思ったこと、
そして何もかも覚悟した上でおやいを引取ると言ったこと、
自らの宗教では無いはずの賛美歌と共にコタンの無念を祓う弥生、
そして初の共同作業は羆の死体を札幌まで運ぶため、おやいが弥生の自転車を運んだこと。
先代は半分ウソをついてまでコタンの人々の名誉を守ったこと、
因果がどっちにあるにせよ、和人とアイヌの両方を刺激しないために箝口令が敷かれた事、
そして先代は勘当されつつも前向きに前向きに生きておやいを養ったこと。

「確かに…ある意味いきなりヘヴィだわ…」

竹之丸はそれがあった二十年代半ば辺りの地図や資料を出しておき、順繰りに
関係すると思われる事件や出来事などの資料と、弥生のPCからも資料になる
Webページを用意しておき、二人の帰りを待った。

隣では個別の指導が始まったようである、とはいえ武道的な面より、
「詞」を教えてみるなどの祓いの実用面・初級編第一幕ってカンジの指導のようである。
体術も交えているという事は弥生曰くの「身体能力向上」辺りなのだろうか

葵と丘野が帰ってきて、台所で温野菜サラダ辺りを作っているようだ。
蒸し時間が来る頃には米も炊きあがり、そちらにも精を出す二人、
丘野は決して手際が凄くいい訳ではないが、確かに一通りはこなせるようだ。

何気なく見ていた竹之丸は

「何か手伝えることある? 調理以外で」

葵が気付いて

「おにぎり作れる?」

「丸握りですらゴツゴツするけど」

「うーん」

丘野がそれではと温野菜サラダに使うソースをちゃんとこれは何グラムこれが何グラムと
指定してソースを作って欲しいという。

「まぁ…グラム数で測れる物なら…」

と、竹之丸がその作業をしている。
そんな時に葵が何かに気付いたように

「そうか! 大さじ・小さじ・すり切り・いっぱい・適量とかそう言うから弥生さんも
 ダメなんだ、ちゃんと重さとか数字の量で指定すればいいんだね!」

「竹之丸さん、凄く理系っぽそうだから、厳密な方がいいのかなって」

丘野が微笑みかける、迂闊にもソースを作る作業をしつつ竹之丸は赤面してしまった。

「いやまぁ…でも料理の手際はどうしても余り…全スキルを理系と医学に捧げたから…」

「裕子さんが凄い人と知り合えたって言ってたんですよ」

竹之丸は苦笑しながら

「趣味と仕事にスキル全振りで料理まるでダメなくせに一人暮らし…
 四十代になったらきっとあっちこっち体悪くするわ」

葵はそこへ

「確かにHONG KONGやきそば箱買いとか、やきBEN箱買いとかは良くないねぇ」

「あれは…事件の影響で体調落としてたのもあったから…」

「ああ、そうかぁ…」

バツの悪そうに弁解する竹之丸に丘野は微笑んで見ていた。

軽く昼食が出来た頃、お昼にはまだ少し早いのでラップを掛けておき、
葵は和室へ、そして居間に戻った丘野はそこにちりばめられた資料やら何やらが
自分の見ていた物に関連するものだと気付いて物凄く嬉しそうに竹之丸を見た。
竹之丸は少しバツの悪そうに視線を逸らしつつ、顔を赤らめながら

「いや…、別にアナタの為とかじゃなくて…効率よく…」

丘野は「ああ、これがツンデレかぁ、何か可愛いかも」と思いつつ、微笑んで

「有り難うございます、明治二十年代かぁ…」

と言って活動記録だけでない当時の世相、文化などの資料も併せて読み出した。
そのうち、丘野が資料だけでもピンと来ない部分が出てきたらしい。
「確かに、その本に書いてあることはサラッと流しちゃってるわね…」
と竹之丸は呟き、和室の戸を少し開け、弥生に聞いた

「明治の資料のさ…○○とか××とかに関するもうちょっと細かい資料無かったっけ」

和装というか変則巫女服で正座をして稽古を見守っていた弥生は半分しけたツラで

「そう言う古い蔵書の入荷分はウチになければマルの家よ、
 いつも僅差で貴女が先に買って行ってしまうんだから」

薹人堂は古本や日本各地からデッドストックや貴重な古本や資料などを
集めてくる専用の鼻の利く社員が居るらしく、また、そうであるが為に
在庫数に限りのあるものも多かった、弥生と竹之丸は割と本の趣味が近い部分があり
(学芸的な分野に関しては特に)弥生の家になければ確実に竹之丸の家にある。
弥生はそう言う所からもセックス抜きで蔵書を読みに行ったりしていたのだ。

バツの悪そうに和室を後にし、丘野に対して自分が当該資料に関する本を読んだ記憶から

「そこはね…△△という本によると……(ちょっと長い講釈)という事情があるらしいけど、
 それも結局当時の捜査や取材がどこまで反映されているか判らない、
 だから、その点と点を結ぶには知識と経験と勘にそこに初めて「ロマン」が加わって
 「こう言う事じゃないか」と言えるのよ、これは歴史を遡れば遡るほど
 そういう知識と経験が物を言うようになる、アタシは恐らくアナタのその疑問に
 対しては…□□…と言う事じゃないかと思ってるわ」

「なるほど…」

「現代の感覚で当時を振り返ってはいけない、ほんの百年前とはいえ人生観も
 死生観すらも違う時代、そんな中で人々はそれでも喜びを見出し善く生きようと
 するのだけれど、その一部の「善きこと」のために泣く人も居る、堪え忍ぶ人が居る。
 でも、それが時代というもの、先ず歴史を紐解くには、その時代を知ることが大事」

「はい、そうですね…それでさっきちらっと聞こえたんですけど…
 ここで足りない資料や本は竹之丸さんの家にあるって…」

「…うん、まぁ、マニア認定本屋御用達歴はアタシのが長いからねぇ、
 歴史も興味の範囲でね…人の心理というか…残された物証からそういう面も
 当時の世界観死生観に繋がるからね」

「あの…お暇な日に見に行っていいですか? あ、お礼に多少の家事くらいは…」

「あーいやぁ…医者なんてやってるとさ…急な夜勤もあったりでなかなか今日なら
 って言える日が無いのね、もしアナタがだから今日ここで色々読んで
 「足りない」と思う部分があったら…アタシに…(といって携帯を操作して画面を示し)
 メールでも頂戴な、とりあえず探してはおくから…」

「でもそれだと受け渡しが…」

「それもそうなんだよねぇ、うーん…」

竹之丸は考えた。

「まぁ見られて困るようなものも特にないし…」

そしてスペアキーを丘野に渡して

「じゃあ、自由に見て行っていいわ、それでも判らない所とか、
 もっと他に蔵書がないのかとかは書き置きでもして居てくれれば
 アタシ探しておくから、一応分類分けはしてあるからそのうちアナタも
 自分で探せるようになるでしょ、知識を溜め込みなさい、それは確かな強さになる」

ちょっと丘野は上目遣いで

「…いいんですか?」

「持て成しも何も出来ないし、ひょっとしたら寝ているときもあるかも知れないけどね
 気にしないで、そして考古学を修めるなら多少理系もかじった方がいい、
 今は何かと科学捜査的な目や検証も必要な時代だしね
 例えば縄文土器は面白いわよ…当時の人の指紋が残っていたりするの
 左手でここは捏ねたなとか、とかそう言うのも見えてくる
 鑑識への就職も考えたアタシにはそういうの大興奮でね…大学生の時
 そういう発掘遺物の洗浄とかのバイトやった事あるのよ、アナタも
 そう言う機会があったら触れてみなさい」

「はい、そうですね! …そして鍵…あの…お預かりします」

「さぁ、明治三十年代や四十年代がまだある」

「はい!」

丘野はキラキラしていた、ぐんぐんと智を吸収する様子が見て取れる。
活動記録と資料と、そしてPC操作と、一通りは矢張りこなせるし一人でどんどん調べて、
そして判らない要点もメモして行っている。
裕子といい、この子と言い、可愛らしいなぁ…と竹之丸は思った。



お昼になり、流石にダイニングキッチンでは九人はキツイので、
居間を片付けて居間で昼食をとる。
おにぎりはちゃんと中の具が何であるかを上に少し具を載せて示してあった。
竹之丸は梅・昆布・鮭の順番で食す、食いたいと言ったからには…と言うのも
あるのだろうが、丘野はそれをちょっと愛しそうに見つめた。
そしてそんな視線に裕子は「あらあらこれはひょっとします?」と思った。
そんな時あやめがぼやきにぼやいた。

「そう言えば弥生さんや裕子ちゃんと手合わせしたことはなかったけど、
 やっぱ強いですねぇ、特に弥生さんは…強化ナシですよね?」

弥生は鮭→梅と食べつつ

「魔と戦う訳でもなしそこまで手合わせで勝つことに拘ってないわよ…
 でもあやめ、貴女の動き筋がいいわ…もうちょっと実用的な…
 武道でなく武術というか…そう言う方面目指した方がいいかも。
 柔道の動きに上手く剣道の軽やかさと重さが入ってて正直びっくりしたわ」

「いやぁ、でも警察であるからには武道は逮捕術に関わるコトですからねぇ、
 これ以上行ってしまうと…でも…特備になったって事はそう言うことも必要なのかも
 知れませんねぇ、本郷さんもちょくちょく実践的な体術やってるようですし」

「そうよ、必要だと思うわ」

そこへ葵が里穂達へ

「…大丈夫? 結構へばっちゃったカンジ?」

南澄が心底疲れたと言うよりは神経すり減ったというカンジで

「裕子さんと弥生さんの組み手見ただけで先の長さと壁の高さ感じて…
 でもやらないと一歩だって進めないんだって…」

「受け身の練習もこなすと結構効くよねぇ…」

優がそれに応え、里穂がトドメに

「地吹雪を相手にして居るみたいだった…弥生さんは特に」

弥生は「ふむ、」と考える所があり

「そうか…力量をそういう風に例えたり乗り越えたりする意思はあるというコトね
 本格的に例え初級でも育ててみる価値あるわね、身の程を知ることはいい事だわ」

「まぁ、叔母様もうちょっと手加減しても…と思って居ましたら思いっきり
 壁になるつもりだったのですね」

「武道だけじゃあないわ、何にしてもそう、私だって無敵じゃあない、
 身の程はいつでも考えて居る…まぁ…12年前の上級卒業試験以来ルール破りのおうじ↑
 くらいでしか気を張り詰めないとならないのって出会ってないけれど…
 「これから」があるしねぇ…みんなにもそれなりに自分を守れる
 力くらいは持っていて欲しいという願いはあるから先ず壁を知ることかなって」

裕子が微笑んで三人娘におにぎりやサラダを勧めながら

「午後からは、ではもう少しマイルドに、そして詞についても
 一歩を確実に踏むようにしましょう、普段の道場通いはそれはそれで続けてくださいね」

三人娘がやや元気なく「は〜い」と応える。

ちなみに和室での葵の役目は動きを見ていてもう少しこう動く意識をした方がいいとか
そういうアドバイスだった、天性の才能と、実戦で積んだそれは確かに有意義だった。
ただ、柔道なら柔道のルールに則られると、結構あやめに負けたりもする。
天性の勘と動きがあっても、矢張りそこには多少の隙がまだまだあるようで、
葵もやっぱり何か格闘技やりたいとこぼしたが、弥生が

「背丈欲しいなら少し待ちなさい、ホラもっと牛乳でも何でも飲んで」

と言う感じで葵にはカルシウムというか例え科学的根拠に乏しくても
おまじない程度であってもそれを勧めるのであった、そして弥生は竹之丸に

「そっちはどう?」

「ん? うん、まだ今日会ったばかりだし今日結論を出すのは早すぎるんだけど…
 でも敢えて言うと、物凄く将来有望だと思う、丘野もそして裕子もね」

それを言われて裕子は兎も角丘野が凄く頬を赤らめた
「あらあらこれはひょっとして」と弥生も思った、
第一竹之丸が人を「将来家の希望込みで」褒めることなんてあまり無いからだ。



お昼休憩の後は、弥生・裕子・葵・あやめ、そして葵のクラスメート三人娘で
近くの広場でちょっと詞の実習を兼ねた講義をするという。
今度は本格的に二人きりになった竹之丸と丘野、丘野は裕子が普段の生活の中で
他の光月や蓬と共に指導するのがいいし、今日丘野は記録を見に来たのだから、と
そういう事になってしまったのである。

「戦国時代や室町、鎌倉辺りになると…流石に資料も少ない上に
 一研究者の意向が結構混じってるのも多いから…とりあえず参考程度にね」

「はい、先ずでもなんて言いますか…w 三代八千代さんの資料というのは
 一文字一文字しっかり書いているからか調べながらでも読めますけど、
 二代初代はキツイですねぇ…」

「記録者の性格の違いだろうね、三代八千代は…弥生のレポートも
 併せて読むといいかもしれない、ただ、泣くんじゃないよ」

「そう言われると既に泣きそうなんですが…w」

丘野が確かにちょっと涙を我慢するような表情をする、可愛い。
受け専で来たけど攻めに目覚めそうな竹之丸がぐっとその下心を抑えて

「戦国時代はある程度進むまで結構な略奪行為なんかも行われていた。
 三代は私塾の生徒達を守るために果て、彼女の一番の弟子というか
 ぶっちゃけ愛人が全ての引き継ぎを終えた後自刃した訳だけれど
 …忘れちゃ行けないのは、それで結果的に二人とも昇華成仏
 してしまってることだね、十条の弥生系列の祓い人が祓い以外の事で
 死ぬのは二例目のようだけど、幸せにはそれぞれある物さ」

「三代さんは交流の広かった人のようですね、文人や学者、
 祓い人とも…この資料自体四條院さんのもののようですし…」

「祓い人は多分知っている、一番美しいものも人は持って居るが
 一番醜い物を持っているのもまた人だと、初代・二代・五代辺りは
 人付き合いが限定されていたみたいだよね、精神医学なんて
 ここ百何十年のものだけど、それだって基本西洋の物差し…
 結局、人の心には触れてみなければ綺麗も汚いも判らないモンでさ…
 アタシもこんな名前だとそう言う片鱗良く味わってひねたモンだ…w
 弥生とその繋がりに触れてから何か急に開けた気がする」

「傷つくことは誰だって好き好んで受けたいとは思いませんものね」

「まさにそう…でも、基本死人相手とは言え弥生達はそれをやっていて
 アタシも医療の現場で働くようになって…結構見方も変わってきたかな
 …あ、煙草吸っていい?」

「どうぞ、ウチは父が吸いますから慣れてます」

「今寮でしょ?」

「ええ…まぁ折角の機会なんだし将来の独り立ちのための準備で共同生活
 くらいやっておけって、ウチ片親なんですけど、父も一通り家事は出来ますから」

「ふーん…ご兄弟は?」

「居ますよ、弟と妹が」

「そうか…」

「竹之丸さんは?」

「ウチはちょっと特殊でねぇ…離婚の果てにどっちも養育断って
 両祖父母や親戚の家に厄介になったクチなんで…まぁそれも
 本の虫になった切っ掛けの一つかなぁ、とはいえさ、同情する必要なんて無いのよ
 世の中にゃあ、何をどうしたらこんな酷い環境で…っていう子供なんて
 山ほど居るからね、あの葵って子だって、捨て子だったらしいし
 …でも、そう言う過去を知りつつ、あの子は強烈に輝いてるよね
 関係ないんだよ、親の影響は皆無では無いだろうが、振り切ることは出来る」

「そうですね…」

「アタシ最近やっと竹之丸って自分の名前好きになれそうでさ、
 アンタや裕子のお陰というか…なんかそう呼ばれたくなったというか」

「立派な人ですよ、竹之丸さんは」

「まだまださ、まだまだ積むべきものは山とある」

「私も…積んでいかないとついて行けなくなりますね」

「…別について来なくても…と言いたい所だが、分野は違えど
 アタシの世界の中を自由に行ったり来たりできるような…
 弥生よりもっとアタシの領域で…そう言う人にはなって欲しいかなぁ」

「はい、頑張ります、きっと智の海を渡れるような」

少し頬を染め丘野がそう言う、竹之丸はじんわりと微笑んで丘野を撫でた。
弥生とは興味からの付き合いで心も掴まれたカンジだが、自分からじわりと
そんな「愛しさ」を抱いたことに竹之丸はちょっと喜びと戸惑いも感じた。
そして、午後の授業は再開された。



一方の三人娘側。
弥生のマンションを南側に出て、南東沿いの琴似川支流の道をダイニという
スーパーを越えた所にちょっとした空き地というか公園というかがある。
そこへ三人とあやめを連れて行き、弥生は言った。

「先ず、「見る」「感じる」「話す」と言った詞を教えるけれど、
 貴女達はここで耐えなければならないことに直面する、
 悲しいし可哀想だけれど、どうしようもない、と言った感情に支配されるかもしれない」

と言うと、裕子も葵も神妙な面持ちで頷いた、あやめがびっくりして

「え、私にも出来ますかね?」

「祓いにもならない「見る」「話す」くらいまでなら出来るかなと期待してる」

そこへ里穂が代表してそれに対し

「何が…あるんですか? ここに…」

「正確にはこの公園じゃないんだ…いいかい? きっちり一字一言一句
 発音もなるべくそのままに覚えて唱えて、もし指先に淡く何かが灯るようなら
 それを額に当てて、辺りを見回しなさい、そうすれば直ぐ答えは判るわ」

と言って弥生が手本を見せ、裕子が補佐をする。
四人とも苦戦したが、ほぼ同じタイミングで指に祓いの光が灯る。
四人は感動し、それを額に当て回りを知覚する。

四人の表情が一気に曇った、物凄く悲しい表情を浮かべ、涙すら浮かべる子も居る。
弥生が感情を込めず言った。

「この公園の真ん前にあるあの建物…札幌市動物管理センター…
 いきなり極端な例を見せてしまったけれど、要するに貴女達は祓いの力で
 世界を見ると多少なりこう言う事に直面するのよ」

いわゆる保健所…主に飼い主の事情や野良など犬猫の…最終処分場でもある。
そう、悲しみと怒りと、自分の身に起っていることが理解できない感情と、
それでも人を愛している愛情とが入り乱れている、場所だ。

「可哀想、何とかしてあげたい、と思ったでしょ?
 でもじゃあどうするの? 引取るったって限度がある、増やすのも人間のエゴなら
 減らすのも人間のエゴ、引取りたいなんてのも人間のエゴに過ぎない。
 ここは、「運命の賭場」なのよ」

弥生の言葉は鋭く冷たいが、確かに通り一辺倒な感情ではこんな事解決できない。
運良く、引取りたいと言った人に対して…それも無条件では無く
審査をした上でセンターが「よし」とした人にだけ譲渡は行われる。
裕子がちょっと重い面持ちで

「叔母様の選んだこの場所…いきなり重過ぎると思います、
 ここまでやらなくても…と言う気もしないでもありません…でも…
 確かにこう言う世界なんです、今は対象が動物ですが、人も同じ事…」

そこへ葵が

「ボクなんか最初泣いて弥生さんにどうにかしてって頼んだんだ、
 でも弥生さんは言った。
 「年間犬何頭も、ネコ何匹も引取ってその世話は? そのお金や管理は?
  誰かが場所と人員とお金を用意してやってくれるって言うならまだしも
  そんな奇跡は先ずあり得ない、世の中は理不尽だと、受け止めなさい」
 ってね…でもそれを言った弥生さんも複雑な心境なんだよ
 だって弥生さん、ネコ大好きだからね」

四人は弥生を見るも、弥生は視線を外していた。
弥生も辛そうな表情をして居た、弥生だって、人間、エゴもある、どうにかしてやりたい
でも、際限がない、世は理不尽だと諦めるしかないのだ、これは初級も中級もない
人である限り抱えるジレンマ、特にあやめは実家に猫(ワラビ)が居る。

四人は悲しみや悔しさを堪えた。

「ただしね…余りに世への…人への恨みを強く死んだ霊なんかは祓ってるわ。
 そこは…商売外でね…で…センターの後ろ…
 北海道脳神経外科病院なんてのまであるでしょ?
 そこからは時々正式に依頼も来るわ、そこから漏れ伝わる苦しみみたいなものも
 貴女達には伝わるかしら? ある意味ここは霊的にキッツイ場所でもあるのよね」

里穂がそこへ

「どうしてここに住もうと思ったんですか?」

「理由は二つあって…一つは車さえあれば割とドコへも急行しやすいこと…
 後は…自分を律するため、葵クンを育てる為…
 霊的に最悪な場所と言うだけならもっと酷いとこあるけど、精神修行をするためだけに
 生きてる訳じゃなく探偵でもある訳だからね、そして人として営みをしなければならない、
 そこそこ静かでそれでいて交通の便も悪くなく、然りとて辛い現実もそこに在る。
 ここの物件見つけたとき、ここしかないって思ったのよ」

そこへ裕子が補足で

「自らを律すること、これは祓い人としてそれなりに厳しく保たなくてはなりません
 感情にまかせてチカラを放出することは時に死を招くからです、
 そして、普通はいかな霊でも数年もあれば自分で納得して成仏するもなのです。
 かなり理不尽な思いをして死んだ方でも、その心がけ次第では自力で
 成仏できる魂も多いんですよ、ただし、ちょっとした事でもくじけて
 世を儚み恨む霊も存在します、祓い人は、そうした霊を祓うのが本来なのです」

葵も参戦し

「ボクもダイブ掴んできたんだ、ホントに何とかしなくちゃ行けない霊と
 今は辛くてもじきにちゃんと成仏できる霊との区別」

三人娘とあやめは、その祓い人の意外な苦悩と独特の分別に戸惑いつつも、
なる程とそれぞれが思った、三人娘は特に自分たちもそんな風にキモチを保たないと、
軽い気持ちで祓いが持てたらと思っていた事は大変な思い違いであった事、
でも…ここまで知ったからには出来る限りやって見たい、そう言う気持ちも湧いてくる。

その三人娘の気概を汲み取ったかのように弥生は少し微笑んで

「…丁度いい所に丁度面白いのが居るわ…、着いてきなさい、紹介してあげるわ」

と言って弥生はその場を後にし、宮森北二十四条通という太い道路に出て
琴似川を横断し、マクダーナル(ファストフード店)を過ぎて柵で囲われた
広い見通しの良い北大の敷地に来た。


「その時の弥生と少しその後」 第三幕  閉


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