L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE:Twenty

第三幕


その日から一年半ほど経った。
元号は正応に切り替わり、この間には大変な出来事があの後直ぐに起こっていた。
「霜月騒動」端的に言えばこの一連の事件で仕事の依頼人、安達泰盛が死に追い込まれ、
一族郎党も追い詰められたのだ。

泰盛は寺社…政治の姿やその権威を保護、復権させたがっていたが、
矢張り時代に合わせ変化した物、一代一気にそれを戻すなどと言うことは
到底不可能で政治的にも孤立し、そして滅びることになったのだ。

猛きモノもついには滅びぬ、とは平家物語の節であるが、奇しくもその成立年代頃の話。

二人の刀は、と言えば前途多難で既に試行錯誤が数振り繰り返されていた。
「もう、普通に作った方がいいのでは」
と言う声も周りから出るが確かに一つずつ何か感触を深めて行く事だけは掴めていた二人は
首を縦に振ることもなく作刀に没頭した。

…とはいえ、八重には仕事もある。

既に依頼人はその一族に至るまで居ないものの、仕事の中味としては引き継ぎで受けており、
そちらに抜けることもあってそう毎日毎日が作刀だった訳でもない。

そして仕事から帰ると八重は稼ぎを大量の炭や鋼に替えて戻り、
今しばらく工房そのものを移動せずとも仕事が続けられるようにも奮闘した。

とにかく一から工房を作り直す時間が惜しかった、それはもう執念だった。



「硬くなると言うことは柔らかくないと言うこと…どうしても脆くなってしまいますね…」

愛し合った二人だが浸り続けるでもなく、矢張り問題の洗い出しと打開策を練る。

「砂粒より細かい粒一つでいいのかもしれないな…「多い」という感触はある。
 殆ど普通の刀を作るのと変わりなく、だがほんの一粒だけ、加える…」

「砂粒よりも小さな一粒…なんて繊細なのでしょう、拘ると言うことは」

「どうせ作るならと多めにしたりして作ったモノはことごとく駄目になったからな…
 恐らく…各地の名刀の一部も…わざわざ足したのではなくて
 最初っから含んでいたんだろう、ホンの少しだけ…見えないほどに少しだけ」

「でも…それならばそれで、いよいよ見えて参りました、八重様…
 年に一つも折らないようにはなりましたが、新しいモノが出来ない状況、
 もう少しだけ、お手伝いください」

「何を言うんだ、こっちが言い出したことだ、俺が付き合わせちまってるんだ」

一女はその指を八重の唇に縦に触れ

「言葉遣いも、お願いしますね、せめて自分のことは「私」と」

「…うん…偉い人の前では言えるんだが…こうなると何だが恥ずかしいな」

「言ってみてください」

「ん…わ…私…は、それでも一女と最高の一振りを作り上げたい」

一女が八重に口付け

「私も貴女と作り上げたい」

そしてまた、ひとしきり燃え上がる二人。



八重の師匠、稚彦にも死期が訪れていた。
八重は作刀の助手と悪党討伐の仕事と本来の祓いの仕事の合間に見舞いにやって来た。

「…ああ…婆さんが逝っちまった後にしてはオレも良く持ったよ…」

もうほぼ抜け殻となって食べ物も受け付けず、あとは静かに死に行くのみ、
八重は全く悲しくないと言えば嘘になるが、還暦過ぎまで祓いが生きることは先だって
言及したように大往生と言っていい、八重は微笑んで

「お疲れさん、いや、お疲れ様でした、
 貴方に師事を請うた最後の弟子としてせめて見届けるよ」

稚彦は弱々しくも嬉しさを滲ませた表情で口の端を上げつつ

「最後に…一つ聞いてくれ、これは…オレの勘に近いモノだから気に留める必要も
 無いかも知れねぇんだが…」

意外な引き継ぎに八重は姿勢を良くして

「なんだい?」

「源平の戦い以後…この世には悪霊はともかく魔や鬼も増えた…世の大乱から
 招いたことなのかも知れないんだが…一つだけ…気になることがあって…
 オレの師匠はオレの祖父なんだが…爺様が若い頃…魔が出でた所に偶然
 居合わせたことがある、と言うんだが…問題はその魔じゃねぇ…」

「魔を手引きした奴が居たとかか?」

「…へっ、勘も冴えやがる…たぁ言え…判らねぇんだ、
 直接何か力の行使をした時とかならそう確信しても良かったんだろうが…、
 その魔に何か指示をするような老婆がいたそうなんだ、
 老婆と言うには派手な柄の服着てよ…」

「うん…それで?」

「爺様もそれっきりで修行中のオレにぽつりと「あれは何だったんだろう」
 と言うくらいで…その後だ…お前を育て始める少し前のことだ…
 婆さんとオレで請け負った仕事の最中、似たような光景に出くわしたんだ…、
 魔が現れた瞬間と、その側に居て…直ぐ居なくなったが
 派手なナリの老婆…すっかり…頭の隅だったんだが…
 最近ふと「あれは何だったんだろう」と思い返すようになってな…」

「…なるほど…、魔なら永遠とは言わずとも人よりは遙かにその命も長いと聞いた
 「もしかして」その老婆が魔と何らかの関わりを持って…あるいは…
 悪霊なんぞを魔として格上げする事をしでかしている…「かも」と言うことだな?」

「気のせいならそれでいい、たまたま似たようなモノを見ただけなのかも知れない…だが…
 逝く前に…なんとなく伝えておきたくてな…」

「判った、その「気がかり」引き継ごう」

八重の言葉は強かった。

「頼んだぞ…」

それを托すために八重が見舞うのを待っていた、とばかりに一気に稚彦の命が燃え尽き、
ぼやっとした…魂が昇華していった。

八重は稚彦の亡骸に平伏し

「お疲れ様でした」

稚彦の亡骸をその妻であり祓い人…もう一人の師匠だった志津子の側に埋葬し詞を手向けた。
これには意味があり、死後にその骸が悪用されないように、と言うモノである。

魂はどこから来てどこへ行くのか、また八重の中でそれが反復された。



稚彦の死と、その土地…家が無主になったことを伝えに八重は京に戻り、
四條院(志津子は元四條院)と天野の両家に精神的に重荷にならない程度の遺品を持って参じ
その旨を告げた。

悲しみもあるが、八重を引き取り独り立ちするまでは祓い人としても活動していた二人に
それぞれ「お疲れ様でした」という思いが強く、二人の子供で今は京の二家それぞれの
責任者となっている二人も、取り乱すことなく粛々とその死を受け入れた。
稚彦と志津子の二人の子供は他にも居るのだが、流石に全国へ散ってしまったこともあり
その辺りは八重ではなく二家の方で取り次ぐと言う、八重はお役御免の筈だったのだが…

「そう言えば…父の方から今修行中の二人の件については聞いていたかな」

天野の方は割と早い生まれで既に四十路に差し掛かる頃の男性だ。

「聞いては居る…だが私にはまだもう少し粘りたいことがあって、もう少しだけ
 待って貰いたいんだ」

「うん…、それはこちらも聞いた、いや、それはそれでいいんだ…問題はそこではなくて…
 その天野側の子についてなんだが」

「どうしたんだ?」

「大丸(ひろまる)と名付けたんだが…いや、そうとしか名付けられなくて」

「それはどう言う捩(もじ)りだい?」

「口を形の似た記号の○に置き換え漢字にしたのさ、真神じゃあ余りにも明け透けだし」

「大口真神か、狼の神だが、それがどうかしたのか?」

少し言いづらいという風体を天野氏は取るが、ウンと頷き

「闘争心がある程度上がると…特に激高した時には必ず体が変異してね、狼の姿になるんだ」

「はぁ?」

そんな例は少なくとも三家に伝わっていない、

「祓いの具現としてそうなると言うことは十四になる今までには確認したのだが…
 これから…なるべく近いうちに…八重殿は特に決まった持ち場のない特殊な祓いだし、
 二家で無くてもいい、伝承でも、それらしいのがないか聞いてはくれまいか
 若しかして、余り血に拘り無くやって来たのが仇となって、どこかで
 土蜘蛛や蝦夷などの祓いの血が入ったのかも知れない」

「成る程なぁ…聞いて置いて良かった、
 何も知らされないままだとこっちがひっくり返りそうだ」

「手数を掛ける、四條院の嵯峨丸とはとても仲も良く息も合っているようなのだが
 もし…もし何かの切っ掛けで外の血なりなんなりが騒ぎ出すのも行けない」

「うーん…馬の合うほどの仲ならその嵯峨丸は大丈夫だろうが、
 「もし」の事態に大丸を止められるか…となると独り立ちもしてない今、不味いかもなぁ」

「宜しく頼む」

「判った…、何も出てこなければ取り敢えず良し、と言う方向で承る」



「やぁ、姐さん」

花街の一軒の宿、来慣れた場所だったが、
一女との思いが叶ってからは立ち寄るだけになっていた。

「えらくご無沙汰じゃあないのさ、上手くやってるかい?」

八重は少し赤らみ決まり悪そうに

「ああ…いや、今日はそれじゃあなくてな…というか姐さん普通の着物だが…」

「うん、あんたがしばらく関東はやめとけっていうの待ってたら店任されちまってさァ」

「へぇ…いずれ移動するつもりは?」

「あるよぉ、でもあんたが「いいよ」って言うまで待つさ、しょうがない」

「済まないな…、いや…w 私が謝ることでもないんだが」

「あんたが「私」かぁ、変わるもんだねぇ、人は」

「まぁね…それで…中身はやっぱり「もう少し待った方がいい」なんだよな、悪いんだが」

「他ならないあんたが言うんだ、それは当たっているんだろうさ、ああ、待つよ、
 その間にこっち継げそうなの育てておくからさ」

「引き継ぎか…どこもかしこも代替わりしていくんだな」

「そりゃぁそうさ、と言うことは? じいさんも亡くなったのかい?」

「ああ、つい先ほどな、引き継げるモンは全部引き継いだと思う、後は私自身が後一押しだ」

姐さんは柱に背を凭(もた)れ、腕組みで苦笑し

「一押しが終わったと思ったらまた何かが始まるモンだ、気を抜きなさんな」



墳墓跡の丘にて、八重は早速聞き込みを開始したのだが、

「さぁ…聞いたことないねぇ…多分家の人も…人が獣に変わるなんて、
 日本武尊が死んで白鳥にって言うのも謂われに過ぎない訳だし…」

今日そこに居たのは墓守の女房で、彼女は少し名のある所から嫁いできたので
(この頃埋葬などをする「非人」はまだ
 「俗世と黄泉の渡し人」という扱いが強く相応に敬意を持たれていた)
教養もそれなりにある人だったのだが、最初から人外と扱われているか、
或いは人の無念などから魔や鬼と化したモノでない限りは聞いたことがないという。

「そうか…あんたを疑う訳じゃあないんだが、一応墓守にも話を聞きたい、今どこに?」

「麓の村だよ、何か鎮めてほしいものがあるとかで」

「へぇ…それはひょっとしたらこっちの領分になるかもしれないな…私も行こう」

「ああ、そうしておくれ、こっちは守りであって魔になられちゃどうしようもないからね」



「良いところに来た、話に加わってはくれまいか」

麓の村長宅に訪れると墓守が唐突に言ったので八重は少し面食らったが、
刀を腰元から外し座りながら

「こっちの領分って事かい?」

その顔ぶれは村長に墓守に僧侶がいて、後は地方の役人など数名。

「そこな者は?」

役人が言うと八重は僅かな荷物から書状を出す。
こう言うことはままあるので手慣れた様子という感じだ。

「最初に依頼した者は今は亡き者だけどね、
 お内裏様と将軍様の執政筋には引き継ぎで許可を得ている」

その書状、確かに都からの物であった、役人は飛び退る勢いで平伏したが

「まぁそう固くなりなさんな、で、どういう事なのか教えてくれるかい?」

そこへ村長が

「まず…悪党どもがこちら方面に寄ってきている、と言う警戒令でお役人様が…」

そしてそこへ僧侶が

「もう一つは、拙僧が狙われている」

その一言に、八重は僧を見て

「…蓬莱殿の筋かい?」

「然り…流石です」

「なるほど…悪党と魔、その二つが重なったわけだ、そりゃ確かにこっちの領分だな」

「とはいえ、拙僧も戦えはしますゆえ…どうしたモノかと」

「無茶するな、土着の坊さんに迂闊なことがあったらそれこそ大変だぞ…
 「力」持っているなら尚更だ」

「とはいえ、黙っているわけにも参りません」

「まぁそうだよな…、判った、悪党の方はいつ来た物だか読めないが、魔の気配なら読める
 可成り広域に一帯守るわけだから確かに加勢出来るまでは持ちこたえても居て欲しい」

そこへ墓守が

「地鎮はしよう、魔そのものまでは防げないがその眷属までなら防げるはず」

「うん…あとは…お役人さん達は戦えるのかい」

ビクッとした役人、ああ、取り巻きはともかくこいつはダメだな、と八重は直感した。
ちょっと開いた間に八重が切り出し

「まぁイイや、どのみち連絡係は居てくれないと困る、
 二人ばかり貸して村を守ってくれればいい、
 墓守は地域を鎮めたら丘に戻ってそっちを守ってやってくれ、
 あとはこっちが気配やら読みながら何とかする」

そこへ村長が

「とはいえ、ほんの数人で守り切れる物では…」

八重は静かに

「まぁ、任せて呉れ」

特に重圧には感じていないように八重は静かに言った。
墓守も八重の実力を直接知っているわけではないが、

「祓いは都から鎌倉まで広く方々の手助けに走る程、必ずや力になりましょう」

でかい女がでかい太刀、座り方はとてつもなく綺麗で荒々しさは感じない。
読めないが、しかしこの場に居てくれただけでも儲けものというか有り難い、
その静かな様子に取り敢えず場は任せるしかない、となった。



「蓬莱殿の現状はどうなっているのか教えてくれないかな、
 四條院や天野ならそれなりに連絡もあるんだろうけど、何しろ私は十条だから
 祓いの世情に少しばかり疎くて済まない」

話が終わって夕刻前、一度寺院まで足を伸ばすついでに八重が蓬莱殿の僧に訪ねた。

「いえ…蓬莱殿は祓いという面ではもう民に根ざした物になっておりますゆえ、
 余り祓いとの連携もなく…然りとて政での決め事には大人しく従っている状態…
 もう数十年前から度々魔に狙われては潰される者も居ります…」

「それ、四條院や天野には?」

「申しておりません…いえ、こう言うことは祓いであれば何処でもある物かと」

「確かにそうかも知れないが…蓬莱殿に少しでも偏っているようなら
 それは話を通しておいた方がいいんあじゃあないのか?」

「神職側にはありませぬか、そのような話は」

「…そう言われるとな…
 呼ばれるのでもない限りは受け身が多いからキッチリとした因果は結べないな」

「そうか…そちらは余り土着と言うことも無いのでしたな」

「土着に近いのも居るんだがまぁ…町としては拠点に出来るところも多いだろうから
 蓬莱殿よりは網の目が粗い分だけ助けは呼びやすいって言えばそうかも知れないなぁ…」

「…では…今回のことでもそちら独自で調べてくださりませんか」

「そうだな…、しかしそうなると…そうであるとしたなら魔が可成り強い繋がりと
 計画を持って、しかも長い時間を掛けてこの国を蝕んでいることにもなる」

「そうですな、そうであっては欲しくありませぬが」

「しかし「逆の立場」なら…網の目を破りその間に拠点を築き上げることは必要だろう…
 実は…ちょっとした「気がかり」を抱えていて…若しかして蓬莱殿側で情報は無いかな」

と言って八重は稚彦の遺言でもある「派手な態(なり)の老婆」を伝えた。

「…はっきりとは判りませぬ…しかし、魔の手引きをして居る者が介在していることは
 伝わっております、祓いを潰す魔の現れる所にそれも居ると」

「ふむ…よし、寺を見たら今一度村や墓守の所に行って見慣れない者を警戒させよう」

「そうですな」

一抹の予感であったが、それが何か巡り合わせを手繰るようにここへ来るような、
そんな予感がした八重だった。



「ああ、しまった! 天野の獸化について坊さんに聞くの忘れた!」

夕刻にとりあえず獲物と共に食事は墓守の家で摂っていた八重が
食べている最中にそれを思い出し右手を顔に当てて天を仰いだ。
墓守の一家が笑いに包まれる。

「ははは、色んな事が一編にやってきて追いつかないようだな」

八重はシケたツラをして墓守の言葉を受け止めつつ肉を頬張り思案顔で

「…全くだ…まだまだ青いなぁ」

「…とはいえ、かつて無い危機だ、居合わせてくれて良かったよ」

「魔と悪党か…一編には来ないで欲しいが、そんなこと言っていると来そうなんだよなぁ」

「魔は先ずは蓬莱殿…というのが本当なら、悪党くらいならしばらくは持たせるさ」

「そうは言ってもなぁ、中には結構な手練れも居るし、気は緩めないでくれ」

「ああ…あとは…人が獣になるという奴か…あったとしてそれは神の所業だろうし
 普通の祓いでそれとなるとやっぱり渡来の知識がある坊さんでも難しいんじゃ無いかな」

「やっぱそうかな…ま…それならそれでもいいさ「そういう事もある」で片付けられる」

「人の心さえ残っているなら何とかなろう」

「全くだ」

食事後に八重も出来る限りの武器の支援をして回り、村人、特に矢面に立つだろう
男衆に警戒と、見慣れない人物…もっと言うなら「派手な態の老婆」について
見掛けても迂闊には触れて回らないように釘を刺して回った。



「今宵は月食ですな…」

小さい寺とはいえ、一応基本的には全部揃った境内にて空を見上げ僧が言う。
あれからホンの少し増援もあり、全く実力的には補助的ながらも僧兵が二人加わっていた。

「今日の新月は特に赤く色付くはず、別になんて事無い現象なんだが
 ヘンに吉凶に結びつけて騒いで欲しくないなぁ、まぁ村人には願うべくもないか」

「仕方のない事です、そして新月や月食でも
 月が完全に覆われるような物は魔を呼び寄せるのもまた事実ですから」

「なんでだろうなぁ、魔の方もこれを吉兆に結びつけたいのが居るのかなぁ」

僧は少し笑って八重のその言葉に

「そうかもしれませんな…w
 天野の獸化についてですが…切っ掛けが怒り…心だというなら問題は無いでしょう
 やはりそれは心掛けに依るでしょうから、後は本人の精進でしょうな」

「そうか…、まだ若いようだから、その辺も私の指導に掛かるのかな、いやはや、
 私自身まだまだ青いというのに」

「時勢という物は時に何の前触れも無くいきなりやって来ます、何も知らぬまま
 任されることになるよりは、貴女も心積もりも持てましょう」

「結局はそうなるな、それにしても…今日は一段と冷え込むな…」

「体が固まってはいけない、拙僧も体をほぐして参ります」

「ああ…だが、寺の域からはなるべく出ないようにしてくれ」

八重はそのまま参道に立ち、夜空を見上げいよいよ色付く月を見た。
そして逆に体を一歳動かさず精神統一を始める。
普段なら見過ごすようなどんな小さな霊も見逃さないように、
どんな小さな異変にも動けるように。

僧兵が寒空の下ピクリとも動かない八重に声を掛ける

「少し火に当たってくだされ」

「…いや、こちらは大丈夫だ、坊さんの守りに就いてくれ…」

そして、ややもしばらくしてそれは来た!

と、同時に寺の裏手から僧の声が上がる、そしてその気配は…!

「ダメだ! 坊さん! 林へ入るなッ!」

八重があっという間の出来事に驚愕しつつも裏手に回ると、
幾つもの死霊を相手に戦う僧と僧兵、それだけなら僧も対処出来たのだろう、
だがそこには八重の感じた「気配」がない!

「戻れ! そいつらの相手は私がするッ!」

「戻れぬ…! はじき出されたようなのだ…!」

八重は舌打ちをして辺りに警戒を一段と強く張り巡らしつつ林に分け入ろうとしたとき…!
木の上に…それは居る!

冬の枯れ木の枝、赤い月を背に、老婆がいる!

その老婆が八重に目をくれた瞬間、まさにその瞬間には八重は老婆の背を取っていた!



「…見くびっていたよ…なかなかやるじゃあないか、小娘」

「六尺近い私に対して「小娘」とは言ってくれる」

「小娘だよ、アンタは…なぜアタシを躊躇無く祓わない?」

「あんたに対して「気がかり」を受け継いでいる、あんたが次に何かする前に
 聞きたいことが幾つかあるんだが、背中を取った褒美に教えては呉れないかな」

「知りたがりは、命を縮めるよ」

「詰まらない脅しだな、源平の頃から魔との手引きをしている…間違いないか」

「知られている範囲はそんなモンかい…
 ヒヒ…まぁだいぶ半端祓いは片付けたしそんな物か…」

「なぜ蓬莱殿を」

「簡単さ、神社だけは苦手でね、仏閣なら最初の手出しくらいは出来る…」

「あんたに…魔だけで無い…何かを感じるんだが…」

「そこは掘るべきで無いね…というかアンタ…アタシが何をしなくても企みは進んでいると
 なぜ思えないんだい、だから小娘なのさ…!」

そうか、手引きという以上相手が一人の訳は無い!
図星を突かれて間が出来たとき、僧の叫びが聞こえた!

「しまった…! とはいえ…もう為っちまったことだ、お前さんが何者か…」

老婆は呆れたように鼻で笑いつつも

「フン…、大物の器だねェ、為っちまったことはクヨクヨしない、か。
 アタシが何者かだなんてしかしそれは踏み込みすぎだよ」

「そうか、では少し門前から声を掛けるようにしてみようか、私は十条八重、祓いだ」

「今回はここまでだね、アンタもここから先アタシに構うどころじゃなくなるだろ、
 折角名乗らせちまったんだ、アタシも名ばかりは教えてやるよ、梅と呼びな!」

八重の僅かに攻守の薄い部分をつき、見事な身のこなし、そして八重との少しの攻防の後
梅と名乗った老婆に距離を取られた!

「婆さん、あんたもなかなかやるな…見くびっていた」

「一日の長…ヒヒ…せっかくだ、お手並み拝見と行くかい」

八重の背後に鬼が迫る、それは僧の体を乗っ取り、その肉体を変化させ巨大化し
僧兵の一人を食いながらやって来た。

「…一目見て魔の下しか無理だろうとは思っていた、だが自分も戦えるという気位はあった
 だから敢えて任せてみたが…矢張りか、残念だ」

八重は振り返らず野太刀に手を掛ける。

そんな時だ、村に別な乱れが近づいてくる!

流石の八重も一瞬そちらに気を取られた、しかし木の上の梅もそちらを怪訝な表情で見た。

「おやおや…、アンタもよっぽどな巡り合わせを持ってるんだねェ」

「…クッソ! こんな時に悪党までやって来やがった!!」

「流石に人間の悪党とまでは手引きはしてないよ、さぁ、どうするね
 僧に憑いた鬼を祓えば村は悪党に荒らされる、
 とはいえ、悪党を先にしても結局は同じだよ?」

八重はホンの少しだけ考えて

「どのみちというならば…、こうしようか」

振り返りざま八重の手には刀では無く祓いの弓矢が現れていて、それを射ると
鬼の手前で分裂し、操られ背後を取るように祓いの矢が迫る!

幾つかなぎ倒されるが、鬼もそれで薙ぎ払った腕にダメージがある!
八重は直ぐさま二つ目、三つ目を射つつ、村の方へ鬼を誘導するつもりのようである。

「ホ、中々やるね、正気の沙汰とは思えないが、そのくらい思い切りが良くないとねぇ」

片方ずつでは無い、両方を相手取るというのだ!

鬼も追尾し潰すにはダメージのある物をまともに食らうわけにも行かず、怒りが先走り
とうとう八重のペースで村までなだれ込んでいった。

「役目は終わりなんだが、久しくこんな無茶な奴見てなかったせいか気になるね」

梅もちょっとこの八重という人物に興味が出て間を置きつつ、ついて行く事にした。



八重の誘導は中々手慣れていて民家を避けさせ、今は閑農期と言うこともあり
田畑という割と広いフィールドを確保しつつ鬼は村まで誘導されてしまった。

今まさに略奪を…という一軒の農家にまでやって来て
八重は地に足を付け鬼を迎え撃つ形になりつつ、側に居た形になる悪党の一人を斬った。

悪党の人数は結構なもので三十数名、
どこからともなくでかい帯刀した女がやってきたと思えば
仲間が今まさに腕を落とされ呆然とした後叫び声を上げた。

鬼は僅かに負ったダメージを癒やすのに丁度いい獲物を見つけたことと
八重との戦いで少々見境も無くなっていた。

そして八重はと言うと、積極的に鬼を祓うわけでも無し、悪党を斬るでもなし、
ただ農家に被害の最小限なように立ち振る舞った。

魔…鬼は人にも見えるし人でもダメージは与えられる、恐慌状態に陥りつつも
その中でも正気に近い物が立ち向かおうとするも、
八重はその身に似合わぬ素早く華麗な動きで攻撃を躱すかと思えば
立ち位置的に鬼の前に立たされて餌食に為り、
或いは鬼に直接斬り掛かりに行って返り討ちだったり、

「…やるじゃあないか、小娘は失礼だったね、八重、アンタ中々黒いね
 しかもその黒さをキチンと仕事にしちまっている、気に入ったよ!」

「そりゃ、どうも…!」

しかも八重は悪党が逃げることがままならないようにも誘導していた。
梅はその八重の間合いには絶対に入らない位置にキッチリと居て状況を見ていた。

「食えない婆さんだぜ…まったく、あんたも大したモンだよ」

「ヒヒ…そりゃぁね」

そのうち悪党の一人が八重に

「貴様! 何と言うことをする! それでも人の子か!」

「ああ? 人の道踏み外した輩に言われる筋合いは無いね」

どうにもこの状況を作り出したのが八重である事だけは気付いた悪党どもは、
目配せで八重に集中して攻撃を食らわしてきた!

間合いはほぼ三尺以内、四方八方からの太刀の振り下ろし、突き、躱しようが無い!


第三幕  閉


戻る   第一幕へ   第二幕へ   第四幕