L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE:Twenty

第四幕


舞い散る髪の毛と無残にも切り裂かれた…それは八重の着物のみ…!

八重はさらしに袴履きの出で立ちで自分の居場所確保に最低限、
敵の太刀をまだ完成とは言えない試作品とは言え、一女との思いのこもった野太刀で斬り
相手の刃を宙で指に挟み、突きを食らわそうとする者の右手指だけを
その切った刃先を投げ僅かな太刀筋の隙間に収まりつつ見得を切る形になった。

「対面での戦いは完璧、着物なんざいつでも目くらましにして
 躱しや防御すら次の間には攻撃に変えている、見事だね、敵ながら惚れ惚れするよ」

八重は梅の言葉にいちいち応えはしなかったが、更に突きで固まった数人の
腕を切り落とし、その中でも無事な刀を遠くへ蹴り飛ばした。

「バカな…! 吾が太刀とて山城物として名のある刀工の物だというのに、
 それを横に割るのでは無く斬っただと!?」

悪党の一人が信じられないと声を上げた。
八重は舞い落ちた自らの着物で野太刀を拭き、鞘に戻しつつ戦闘体勢は解かずに

「今の私には見える、およそどんな業物にも潜む「斬る」一点…」

「なんて化け物だ…人の皮を被った化け物だ…」

「別にそれでもいいよ、だがさっきも言ったが人の道ハズレた奴らには
 言われたくは無いね…」

この時代、まだ抜刀術には特に流派も無く…あったとして記録には残らず
どんな物であったかすらも判っては居ない、しかし少なくとも八重は
野太刀を構えつつ間合いを取るのでは無く、相手の出方の上で間合いを作る
抜刀術に長けていることだけは悪党の中でもまだ本来の原義に近い…
つまり「はぐれ武士」の数人には判った。

「元や南宋、高麗の兵などは特に怖くなど無かった…見慣れぬ武具に見慣れぬ兵法…
 それだけと言えばそれだけだったからだ…しかし…
 この三河島 千住(みかわしま・せんじゅ)…生まれて初めて…死を目の前にしたぞ」

「名乗りを入れたかい、よし、私は身分としては祓いで本来は
 そこの鬼だけが相手なんだが、お内裏様と策謀で亡くなったが安達のお館様に
 あんたらの始末も承っている、十条八重…私に名乗る勇気を持つ奴のみ覚えておけ」

「…安達か…判っている、内戦なら分ける報酬もあろうが
 外からの侵略に抗ったところで国内の富は回せぬ…判ってはいるが…
 それでは生きて行けぬ…!」

「話が長くなりそうだな…婆さん!」

「なんだい」

「私が気に入ったなら少しの間、或いは一定以上鬼を動かさないように
 少しだけお願い出来るかい」

梅は「仕方ない」という表情を隠さず、一瞬鬼と悪党・八重の集団の間に
光る壁のような物を表せた。

「アタシが立ってるここから先には取り敢えず行かせないよ、
 只飛び込んでくる分にはアタシは知らないからね?」

悪党の中でも新参…恐らくはカラビトなのだろう男が三人ほど
示し合わせたように梅に飛びかかっていった。
八重と訳知りであるイコール八重への人質というようである。

「あ、おい! やめろ! その婆さんは…!」

八重は言うのだが、その口ぶりで余計に「利用出来る」と踏んだのだろう
悪党の下っ端三人、ただ者では無いとしても老婆に大人三人なら…と
力加減もせずに押さえつける…!

「触るでないよ、汚らわしい、魔より汚らわしいなどさすがカラクニ出身
 カラビトなだけはあるねぇ…」

梅が忌々しげに吐き捨てた頃には三人の外に梅が居て、そして三人は…

「あああああ!」

三人それぞれの腕がそれぞれの体とつなぎ合わされて…くっついていた!
梅が指を鳴らすとしかも三人一塊になったその足の腱が切れ、力なく鬼側へ倒れ込む!

「だからやめろと言ったのに」

八重は悪党の命など全く気に留めておらず、ただ忠告に従わなかったことを残念がった。
勿論鬼側へ入り込んだ者は即座に捕らえられ、食われるのだ、
バラバラに動くことも出来ず、意思統一など出来るはずも無く
バラバラに逃げようと結果動けずにもがいていた者達など訳も無く捕まえられ
八重の祓いの矢で負った傷を癒やすには丁度良いとそれを食らうのだ。

人の死に様など山ほど見てきたとは言え、流石の歴戦の悪党どもも戦いた。

八重は物凄く冷静に

「間が悪い結構、世の中が悪い結構、それでも、人様に迷惑掛けないように
 落ちることだって出来た筈なんだ、田畑を耕せばいい、戦うことを生かしたかったなら
 獸相手に狩人になることだってありの筈なんだ、なぜそこで人から奪うことを選んだ?」

三河島を始めとした「はぐれ武士」は黙したが、梅がせせら笑いながら

「腐っても「侍を目指した武士」だからだろうさ、今更芋掘りなんか出来るもんかね…、
 しかしそんな真っ直ぐな物言いをする辺りはまだ青いねぇ」

言われて八重は少しばつの悪そうに

「婆さん、まぁまだひよっこなのは認めるがさ…」

梅はだが八重を馬鹿にするでもなく、遠い遠い目で

「多分アンタにもいつか来る、「なぜあの時」「もっと上手く出来たはずなのに」
 「これが自らの力の果てなのか」身を引き裂かれそうな苦しみが
 襲いかかるときが来るだろう、そこで全うで居られるか…
 その答えの一つがソイツらさ」

言われると悪党どもの中でもまだ志を持っていた奴らが俯いた。
八重も思いの外に重い梅の言葉が心に響きまくった。

「婆さん、あんた…」

梅は鼻で笑いながら

「…別に、アタシはただ長く生きればそういう事もあると言ったまでさ
 そしてそこで何を選ぶかによって人生なんてどうとでも転ぶ、それだけさ」

正しい、真理だ。
魔という敵の筈の梅の言葉はそこに何の立場も関係ない真理を語っていた。

三河島が身を震わせ、怒りを溜め込む。

「「だから」…「だから」我は一度持った刀が手放せぬ!
 例えそれが世間で何と呼ばれようと…吾が選んだ道を…誰にも…!」

三河島がそれまで仲間には見せなかったのだろう本気の殺気を纏い八重に近寄った。
仲間達がどよめき声を掛けようとする刹那…

お互い刀に手を掛けていた状態で太刀の間合いでの立ち合い、
次の瞬間には刀を抜いた状態で血を噴き出し倒れる三河島と、その右脇で
抜いた刀の刃を内向きに握り三河島を斬っていた八重。

野太刀という近距離に向かない重い刀を、どう扱えば迅速で最大の攻撃を
仕掛けられるのか、八重は若かったがそればかりは余程苦労して会得したのであろう、
早く、そして見事であった。

そして、仲間達が動かないようであるなら地面の自分の着ていた着物で
また血を軽く拭い、鞘に収めた。

武士としての生き様、そして死に様、三河島は少なくとも真っ向勝負で
自らの死を選んだのだ、天晴れだ、八重はそう思ったが、まだ戦いは途中
そのうち悪党の一人が

「吾が名は井土ヶ谷 弘明! いざ!」

名乗って恐らくは一人で死に行こうとしたのだろうが、便乗なのか
数で押す気なのか、数人が後に続いて走り込んできた。

八重はそこでやっとその野太刀の間合いらしく刀を横に構え来る井土ヶ谷の
腕から心臓までの胴体を斬りつつ、切っ先の向こうを更に突く形で
その後ろに迫っていた者も刺した、そして切り上げる形で振りかぶって
かと思えば刀を逆手に素早く持ち替え最小の範囲と動きで五・六人を一編に斬る。

強い、そこに何か超人めいた物は無かった、とことん磨いた自身の力、
自身の技を尽くした戦いなのだ。
まだ若いが、結構な場数を踏んできたことだけは判る。
どこからどんな攻撃がやって来るのか、どう動きどう捌き、何をどうすれば
それを攻勢に換えられるか、武人としては一流なのは間違いない。

「…話は終わったようだから、こっちは鬼を抑えるのをやめるよ
 後はどうとなり好きにするといいのさ」

「なに? 婆さん!」

「そこまで待つ義理は無いよ」

「確かに…! 甘えすぎたとも言える」

「そうそう、本来三つ巴なんだから、アンタがしっかりおし、
 この先どうなろうと、どう言う筋を選ぼうと、アンタの決めることさ」

と言って、あっという間に梅は八重の探知範囲外に抜けて更に気配も消した。
立場に関係ない真理を語るかと思えば、やはりと言って深く肩入れもしない
当然だ、八重はまた一つ己の未熟さを思いつつ、鬼と悪党どもの間合いを計る。

鬼は八重の戦いっぷりからどうも先に人を喰らいその血を得て力を高めることを
選んだようで、その目が悪党どもに向けられ、動き出す。

どよめく悪党達に八重は

「こっちももう止めないよ」

一気に恐慌に陥るのだが、そんな中一人の武士が

「吾が名は花月 園前! いざ!」

ひょっとしたら先の井土ヶ谷のように数人続くことを期待したのかもしれないが
そんな花月の背中を数人の悪党どもが蹴り、こちらに捧げるような形で
囮にして逃げ出していく。
鬼はそこへ割り込んでいって井土ヶ谷を掴んだ。
そしてそれは八重を悪党から遮る動きであった。

「おい…! 邪魔だ! 逃げる奴を倒さなくては!
 祓いの矢ではただの人には威力が余りに薄いし、今私はこの刀以外持ってない!」

八重がしょうがないと鬼に斬り掛かるのだが、流石に蓬莱殿の体を下敷きにした魔、
早さもその動きの鋭さも武士など問題ではない人外のもの!

仕方なく八重は先ほど折った相手の刀の切っ先を探して祓いを乗せ
投げつけるも、それも一人二人がせいぜい!
まだ十名ほど居たであろう残りを逃がす羽目になってしまう

花月はその間にも恐ろしい断末魔の声で食われて行く!

そして鬼は八重を牽制しつつも、その拳の間に武士達の刀を挟んでいった。

「…こいつは…厳しいな、流石に」

防御の言葉を極限まで急所などに集中させ、多少の負傷もやむを得ないと
戦いを繰り広げる。

物凄く遠巻きに役人付けの武士がいるが当然のように引け腰である、
八重は近くの民家から距離を置くように動き、鬼を引きつけながら

「加勢は考えなくていい! 農民を保護してくれ!」

と、声を掛けるのだが、その隙に鬼の片手から放たれた数本の刀が
八重の左足や左腕、左肩などに刺さる。

当然鬼はそれを隙にと思ったのだろうが、八重も祓いのモードに切り替わっていて
痛みなど感じていないかのように全力でそれを阻止した。

「どうあれ刀を手放したのはお前の失策だな」

鬼の武器を手放した方の手が八重に刺さった刀を更に深く切り裂こうという動きで
迫るのだが、八重は百も承知と敢えてギリギリまで待ち、
その腕を右手に込めた祓いで平手打ちのように叩くと鬼の片手が吹き飛び、祓われる
ただ、その際の勢いで刺さったままにしておいた刀が八重の体の中で動き傷も深まる!

流石の八重も、一つ大きく呼吸をした、そう長くは持たない、そういう呼吸だ。
鬼は敏感にそれを感じ取り、左半身を狙い今度は刀を挟んだもう片手で
幾らか回避されたとしても「より深手を負わせる」手段に出た、

勝負はここか!
八重は逆に立ち向かい、迫る拳を前に空を蹴り、角度を変えて鬼の指に挟まれた
幾多の太刀を野太刀でたたき割る!
流石に全ての太刀の全ての「斬る一点」を狙えず、長く持った野太刀も折れた、
しかし、割った太刀の先と折れた野太刀の先を空で蹴り、鬼の顔に集中させ放つ!

鬼は目の前に迫る刃を幾らか負傷覚悟で払いのけたが、それで一瞬視界を塞いでしまい
八重を見失ってしまった!

「やれやれ…散々だったな、お互い」

その声は真後ろ!
八重の足が鬼の首に掛かり、そしてその掌は煌々と青く光っている
鬼の咆哮
八重は鬼を完全に祓うのではなく、その後頭部に掌を打ち付け「鬼の魂」が
その勢いに押し出された、そして、まだ普通の太刀ほどには残っていた
折れた野太刀で祓いを込めその魂を浄化させた。

鬼の魂の抜けた肉体は変化をして行き、元の僧に戻る。
咄嗟に祓ってしまった片手は斬った悪党の腕で使えそうな物を見繕い継いで
抜くときばかりは苦痛で気合いを入れて自らに刺さっていた太刀を抜く八重。

大きく呼吸をしつつ、

「済まない、折っちまったよ…」

そこには居ない一女に謝りの言葉を呟いて、少しの間傷を癒やす。
恐る恐る役人武士と、地味に避難出来ていた一人の僧兵が遠巻きにやって来て

「なんと…元に戻るとは…」

「坊さんが「取り憑かれた末鬼になった」のは判っていたからな…
 そうでなきゃ諸共祓っていたよ…」

戦いが終わってさすがの八重も可成り疲労の色が濃い、が、ふらふらと立ち上がり
血で汚れたり斬られて多少ボロになった自分の着物を二度ほど振って空気で叩くと

「坊さんはそっちで任せた、私は残党が逃げた方向に墓守がいるからそっちを
 確認してその家で一晩休む、墓守も動くだろうがこの辺の
 死体の欠片…墓地の方へ集めといてくれ」

とてもじゃない、まともに動けなさそうな怪我なのに彼女は
ご丁寧に折れた野太刀の先を拾い上げて歩いて行った。

呆気にとられつつ、流石にもう襲撃はないだろうと武士や僧兵が撤収を始めた。



「覚悟を決めて斬られたはずが中々アンタ達も諦めの悪い…w
 いいとも、今一度お前達に武器を握らせてやるよ、人としてではなく
 悪霊としてだがね…ただ、それには時間と同じような魂を取り込むことが必要、
 焦るでないよ、アイツに復讐は叶わないだろうが、いつか祓いと対峙しよう」

村の外れ、一つ一つを昇華なり浄化なりまでやっていられなかった魂を
梅が集めて一つ一つに言い聞かせていた。

そしてそれは後に悪霊として復活することになり…その悪霊達と対峙したのは…



数日経った。
翌朝から丸一日は戦いの後始末に追われ、八重も治りきっていない体だが
襲われて殺され掛かった住民の「恐怖の心」を祓いで取り去ったり、葬式に立ち会ったり
二日目には細かな確認と報告に追われた。

墓守の家は付近に松明を幾つも置いて、案山子に武装させたりと
「人数が居る」事を演出しつつ、家族総出で弓を射たこともあり、
悪党の残党はそこを狙うこともなく更に外れへ逃げてゆき、その間にまた二人ほど
弓によって倒した。

残るは八人ほど?

「…魔の手引きに関しては…、それは確かにあると言うこと
 そしてその手引きを受けて狙われるのは主に仏教系である事、
 詰まり坊さん、アンタもっとチカラ付けて出直さないと、また同じ事になるかもだよ」

己の未熟さで殺されたならまだしも取り憑かれ人を食ったなど、僧にとっては
己の全てを破壊されたような気分だったが、どこかで取り憑かれていたときの
記憶も残っていて

「あの老婆…名前までは思い出せませぬが…何者でしょう、
 そう、私にも一旦力を付けたからにはと譲れぬモノがあった、
 それが故にそれに付け込まれてしまった部分がある…」

「アンタは決して弱くはない、だがこう言っちゃ何だがそれ程強いというわけでもない
 身の程を知って、心を押し殺してもう一度鍛練を積むんだね、
 あの婆さんの言ってたことは真理だ、魔だというのに、
 アンタはそこで己を呪うだけでは諦めず精進を積み直すんだ
 ここで心が折れちまったら、それこそ落ちるだけだ」

「…そうですな…」

とても悔しそうに蓬莱殿の僧は言った。

「こっちは当分大丈夫だろう、向こうもその出現頻度からしても
 そうそう矢継ぎ早に魂(たま)を用意出来るとは思えない、
 祓いに関してはキッチリこちらの仕事としてやるべき事はやったこと、
 悪党に関しては…私も関わったことにして呉れれば後はいいよ、
 役人さん達にも面目ってモノがあるだろ」

役人達は平伏して礼をした。
そこへ村長が

「貴女様は」

八重は折れた野太刀を差し出して

「…祓いで継げるって言えば継げる、今の私ならそれも出来る、
 でもそれじゃあダメなんだ、私の未熟さを見なかったことにする悪手だ、
 次こそは「これぞ」という刀を手にするために…あとは奴らの逃げた方向が
 ややその刀工に被ることもあって警戒を含めてそちらへ籠もる」

全員が座したままの礼でそれに応え、取り敢えずこの一件は済んだ。



「だいぶ持ったのに、やっぱりこっちも負傷覚悟となると、とうとうやっちまったよ」

折れた野太刀もだいぶ理想に近かったとは言え、話を軽く聞く限りでも
そうでもなければ、という思いは伝わった。
一女は強い表情で

「判りました、では八重様、今ある材料で最高の物を作りましょう
 私もだいぶ掴んで参りました」

「相槌は私が打つよ、あと…みんな、手が空いた時でいい、
 時々不審な奴がいないかずっとでなくていい、見張っていて呉れ
 見つけたら私を呼んでくれ…残り…八人ほどの筈なんだ」

緊張に包まれつつも職人達は皆頷いた。
武器をだいぶ奪ったので現場にやや近かったここを襲う可能性はある。

そして二人の全てを掛けた作刀が始まった。

寝食も忘れるほど打ち込んだかと思えば、八重の仮の居場所にある温泉と
寝床で疲れと気力を癒やし…時には愛を深め、そしてまた打ち込んだ。

もう一女にも音や感触でだいぶ判るようになっていた。
八重もその「材料を見る目」で相槌の度に「最適な場所」にそれらが回るよう
打ち込んで行く。

時には戦いで折れてしまった刀を前に二人で頭を付き合わせ

「折れた方の刃…欠けては居りませんがややつぶれているところがありますね」

「それはまとめて太刀を折った方のかな、たしか…刃こぼれはしてないが、
 (八重が状況を思い出しながら幾つかの場所を指し)
 ここで山城の業物とか言う奴を斬ったんだ、その時は相手が一人だったから
 冷静にそれが出来た」

「なるほど、刀と技、二つがより高みで揃えば…」

「できる、絶対に、成し遂げてみせる」

「はい」

この頃になると「多すぎた希少材料」などはそのコツと共に職人達にも
行き渡っており、無銘ながら大変に素晴らしい刀と言うことで
やや工房全体の収入も上がっていた。
工房全体の移動を目の前に、その目安の一つは八重の刀となっていて
それまでに手の空く職人は辺りの警戒にも走った。

武芸に覚えのある職人は弓を携え、時々それらしきを発見するが、
襲ってくることもなく、結局は八重の代わりに狩りをする、そんな日々。



もう後少し、あと少しで完成という所に来た。
彫金から何から何までと行きたかったが流石に無理なので
幾らか分業を挟む形になったが、本研ぎは一女自らやることにして
仮研ぎである鍛冶研ぎは行っていて、二人でその威力や求められた強度や
しなやかさは完璧と言っていい出来になっていた。

茎(なかご)仕立ては済ませ、分業が行き渡っているので装飾や鞘の仕立てなど
全てにおいて二人の意向が汲まれて専用の物が出来つつあった。

銘は工房の意に沿って無銘、また「いつか」の時に備えて
直ぐさま次にも取りかかろうという所、
しかし八重も仕事がある分けで仕上げを次の日に控えた今、
取り敢えずのお互いの労いもあり心ゆくまで愛し合った。

「今度のは大事にしてくださいね、次も作るとは言っても」

藁の寝床、クタクタになりつつも満足げに柔らかく、一女が釘を刺す。

「判っている、次を作ったとしても、二度と折らない覚悟で使うよ、
 二人の…一女の思いのこもった刀…一女だと思って使う」

「…道具…更に言えば命を賭けた物である以上は酷なことでしょうけれど、
 …私は…戦うことまでは出来ません、でも…
 貴女の帰りを待つために、信じて待つために、私は私でその刀を守りましょう
 何があっても、貴女を守るように」

愛おしさ満開で八重は一女を抱きしめた。

「そう言えば…戦い以外での貴女の繋がりを菜さんくらいしか知りません」

「うん…? 実家とかはお堅い役人だし気にすることはない、
 どのみち祓いになればそういうしがらみから良くも悪しくも解き放たれるんだ
 何の支援も受けられない」

「「姐さん」って人にも会いたいのですよ、私の知らない貴女を知っていそうで」

「姐さんは…」

流石に少しばつが悪い、八重は戸惑いつつも、彼女との関係は一女と結ばれる前には
終わっていたのだし、少し考えつつも

「姐さんは姐さんで今この世を必死に…そうと悟られぬように生きている人だ
 尊敬に値する人ではある、そうだな…都に武具収める用事が出来たら
 私と二人で寄ってみるかい?」

「そうですね、花街など私には遠い世界の人です、でも…
 そういう世界から見た人の姿も、知りたくあります」

「私には無理な世界だ、男に興味ないからね…」

「変わった方です、貴女は、でもそんな貴女に惹かれた私も変わり者ですね」

一女は笑った。

「性分なんだよな…こればっかりは…」

その時ふっと、一抹の不安を抱き八重は一女をまたグッと抱きしめた。

「どうされましたか?」

「うん…いや、私はお前を離さない…」

「離れ離れになることは往々に御座在りましょう、でも私の何かは貴女と共に
 そう、あの刀と共にありましょう」

一女も八重を一層愛しく思い、またひとしきり愛し合った。



翌日、朝から心技体全てに「ここ」という間を見て一女が研ぎに入った。
八重も出来る補佐はしつつそれを見守る。
周囲はまだ作刀を続ける者も居て、玉鋼を作る炉も動いていたが、
少しずつ引っ越しの準備にも入っていた。

そして

「祓いの! 奴らが潜んでいる!」

工場に監視が飛び込んできて、大事なときなのに…と八重は思いつつ一女が

「いってらっしゃいませ、お戻りになる頃にはお渡し出来ましょう」

「ん…行ってくる」

八重は試作品の中でも割と初期の物を代わりに携えて、
監視の案内で慎重に山の間を縫いつつ少し開けた場所を見下ろす林の中
その開けた場所から工房の方向を見ている。

「ここからじゃ一人しか見えないな…しかしやる気なのは判る…
 一人じゃないのは間違いないだろう…」

「ああ、やる気で一人しか見えないが一人じゃないのだけは判るんだ…どうする祓い」

「居るのが判っていて何もしないわけにも行かない…
 矢を射て牽制するのも在りだがそれで引っ込まれるとまた少し厄介だ」

八重は少し思案して

「よし、援護は要らない、このまま戻ってくれ」

「大丈夫か」

「イヤな予感がする、戻って工房を…みんなを守ってくれ」

「あい判った」

監視が戻って少し隙を伺い、八重は空を蹴り三角跳びで悪党の一人の背後を
取る形で素早くその後ろに着地する!

…と、足下に縄が掛けられていて、それを踏むと周りの竹に罠が仕掛けられており、
八重の体に絡みつく!

「ホントに背後を取りに来おった! バカめ!
 そんな事は東金は見越して罠を仕掛けていたのだ!」

「…、まぁ流石に無策って事はなかったか…」

落ち着いている八重、悪党の一人は少しだけひるむが

「我が名は千倉 九重! 武士の端くれとは言えお前の腕は判っている、
 白石を置かせたと思い我が太刀を浴びるが良い!」

千倉の太刀が動けないはずの八重に浴びせられる!
咄嗟に足下を無理矢理動かしホンの少し太刀筋を躱したとは言え、
それは八重の右頭部から右目、右胸、右の腰、そして
右大腿までどう見ても深々と食い込んだように振り下ろされた!

最大の抵抗をして手傷を負わせられる程度かと思っていた千倉は少々舞い上がり

「おお、やった! 三尺に満たぬ太刀とは言え、お前の体は両断寸前よォーーーッ!」

血を噴き出す八重だが、

「何浮かれてるんだ、深々と斬りつけた気になって、お前の刀、良く見て見ろ」

「何ッ!?」

千倉が刀を引くと、その切っ先は折れていた…!

「こっちだって何人潜んでいるのか、どんな手で来るのか判らない相手に
 只で飛び込み技だけで挑もうだとか考えてるわけがないだろう、
 せっかく体を縛り付けた罠…テメェで斬ってくれて有り難うよ…!」

足下はまだ多少罠が効いているが確かに腰から上の縄は斬って解放された状態!
八重が物凄い殺気と共にその刀に手を掛ける!

「例え深手ではないとしても!
 出てこい! 奴の右目は潰した!」

千倉が八重の右から斜め後ろに展開しつつ、藪の中から三人現れ同じように動く!
八重は多少動きを交えるが矢張り自在とは行かない、怪我もしている、
扇状に幾度か死角が出来る!
ここぞとその死角に四人が集まりそして集中的に太刀を浴びせ掛かる!

次の瞬間、斬られ潰したはずのまぶたが半分開き、血濡れつつ鋭い眼光が
四人を見据え、そして気付くと四人諸共ひと太刀目で腕を落とされ、返す勢いで
足も深々と切られ、崩れ落ちる。

「…目ン玉は更に念入りに守るさ、ご苦労さん、斬りやすいように固まってくれて」

普通の武士対武士であるならこの作戦でも良かったのだろう、
しかし相手は人外を相手に専門で戦う半ば人外なのだ、千倉達は愕然としながらも
深く納得した、まだ技に磨きを掛けて掛けて掛け抜いたならともかく、
自分たちのような身を持ち崩した盗賊まがいの武士崩れなどが敵う相手ではないと。

愕然としつつ、千倉は笑った。

「もうトドメなど刺さずとも我が命も時期尽きるだろう…
 ふふ…ここに居る四人は何とかお前にひと太刀浴びせたいと志願した四人だ…
 お前の策でひと太刀だけでも浴びせられた事で溜飲を下げよう…」

八重は縄を切り罠から脱しつつ

「残り四人か」

「…お前は…その考えは甘いぞ…」

「なに…?」

「確かにあの場に居たのは我らを含め残り八人…だがそれで全てだと思ったのか?」

八重の動きが固まった。

「…いや…、本来なら全員で、全力でお前と立ち向かいたかった…
 だが…東金…奴は最小の手数でお前を討ち取る事を考え…
 そして残りで…殆ど戦いでは使い物にならんカラビトだが…
 奴らは…殺し…奪う事にだけは我らをも凌ぐ執念を発揮する…!」

右半身血だらけでほぼ詞による治療も忘れ八重は愕然と千倉の言葉を聞き
左目を見開いていた、右目は眼球こそ無事な物の、瞼や頬を斬られた事で
瞬きが殆ど出来ない状態、しかも出血は続いている。

「我は腐っても…武士…だからお前と対峙する事を選んだ…
 そして…あの…カラビトどもだけは…どうにも許しがたい…だから…
 死ぬ前に…お前に…確かに…告げたぞ…」

八重は瞬時に視界から消え空を蹴り工房へ戻っていった。
そんな死屍累々の場所へ更に茂みの奥から一人

「思いの外早く来ちまったようだね、さぁ、八重…
 お前さんが「どっちに転ぶ」のか…ここから看させて貰うよ…
 …おっと、そこな四人、お前達にも時間は掛かるがもう一度今度は人外として
 力を奮う機会を与えよう…」

梅は呟いたがそれはどこか愁いを含んでいた。


第四幕  閉


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