L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE:Twenty

第五幕


工房に急ぎ戻る八重の左目に燃える工房と、内外で争っているのだろう人々が見える

「一女ェェエエエエエーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」

八重の心からの叫び、一直線に業火の中、二人が作刀していた辺りに突っ込み
刀に詞を込め振り回すと一気に辺りが凍り付く勢いで炎は吹き飛ばされ、
水分が凍り行き冷却を兼ねる。

散乱した工房、焼けた死体の数々、そして武具。

思ったより早く八重が戻ってきたので悪党どもは退却を図ったのだろう、
合図の声が外から聞こえてくる。

まだ状況を掴んでいないが、八重はその声のした方向に飛び出していった。

慌てて逃亡を図る悪党どもの最後尾自分を追い抜いて木々に紛れようと
逃げる奴数人の首をあっという間にはねて、八重は辺りを見回す。

追う事を考えなかった訳では無いが、彼らは取り敢えず手にした武器以外は
特にひとなどは連れていなかった。
次の瞬間には八重の左目は一女を求めた。

取り敢えず撤収したと言う事で怪我をした者の手当などに工房の者達が惑う中

「…八重殿…」

「かしら…」

頭も怪我をしていたが八重の心情は判っている、怪我した部分を抑えながら
頭は目線で八重を案内する、その表情は推して測るべし…
八重に動揺が広がる。

「あっという間だった、八重殿が離れて少し間を置いて、
 あっという間の急襲だったよ…済まない、八重殿…」

頭が立ち止まったそこ、焼け焦げた色々な者に混じってそこに

「…娘を真っ先にカラビトが捕らえようとした、武器も取ろうと、娘は抗い
 火も掛けられ、斬り捨てられ、それでも刀を渡さず…それ以上は判らない
 こちらも抗う事で精一杯だった…」

焼け焦げた人、女、この工房で作刀の場には女は一人しか居ない、
悪党が何を奪おうとしてもこれだけは守るという意志だったのだろう、
そして、火にさらしても行けないと思ったのだろう、
死にかけ、体が燃えている中でも周囲の土や何やらかき集めて
少し盛り上がった地面を守るように力尽きたそれが一女だった。

八重は只呆然とへたり込み、そのうつ伏せの死体を抱き上げるも
それは無残に焼けた死体であった。

刹那、祓いを持たぬ人でも判るほどの憎悪が辺りを包んだ。

なぜあの時・もっとこうしていれば・もっと上手く出来ていたのでは・
愛する人が・自分の未熟さで・自分の思慮の浅さでこんな事に…!

八重は一言も上げなかったが、周囲の誰もに悲痛な慟哭が聞こえた、
そういう感覚を覚えた。

そしてそれが憎悪になって行く、悪党どもが纏っていた物など可愛いくらいの憎悪…!

そんな時

「八重殿!」

頭の強い言葉、そして頭は一女の覆い被さっていた物を避けて行き
そこから一振りの、出来上がったばかりの刀身を取りだし、八重の眼前へ。

「八重殿、娘と貴女の結晶だ、娘が何をしても守りたかった物だ!」

八重の左目に正気が戻ってきて涙がボロボロとこぼれ落ちる。
そして一女の死体を、どんな酷い姿になったとしてもその体を抱きしめ
少しの間だけ泣いた。

「…こちらこそ済まない、かしら…今…手当てをしよう」

「うん? いや、八重殿こそ酷い有様じゃないか」

「大丈夫だ…いや、この痛みは己の未熟さの痛みとその証…
 一女の味わった苦しみに比べたらこんな物怪我とも呼べない」

八重が左手を口元に持って行き、詞を載せるとその指先が青く光る。
そして怪我をしている部分を覆う手と着物を退かせて、傷口にそれを触れさせると
あっという間に耐えられるほどの痛みになり、傷口も塞がれた。

たまに火傷など怪我をした者の治療で詞を使う事はあった、
だが頭自身はそれを初めて受けた。
押し殺した八重の負の心が、そしてそれに立ち向かおうとする心が伝わる。

「八重殿…これからどうする」

「無論討つ、仕事という以上にこの怨念を正しく発露してやる
 あいつらに死の穢れを与える」

「…平静だな?」

「ああ…一女が守った刀に賭けて、至って静かさ」

「よし、バラバラに出来上がったこれらを一つにして一振りの野太刀に仕上げるのは
 せめて父親である俺にさせてくれ、その間…仲間達の怪我を頼む」

「判った」

八重は一女を降ろして立ち上がり、外に向かう時、厨房の方から一人の男が投げ出され
その奥から怪我をした菜さんが中華包丁を握りしめながら出てくる。
投げ出された男はカラビトなのだろう、宋の方の言葉だろうか、
何かを菜さんに向かって叫びつつも八重の方向に投げ出されてきた。

八重は眉一つ動かさず、まるで「ちょっと抜刀してみた」とでも言うように
そのカラビトを斬り捨て、菜さんに寄り

「怪我を見せな」



夕刻に差し掛かる頃、まだ早春の中であるがこの地域は所々に温泉も湧いていたし
そこまで行かずとも地熱でやや暖かいところも在り、その一角、
軽く窪地になっているところの近くに源泉があるところを利用して悪党の残党がいた。

とりあえず人数は減った物の武器や食料もそこそこ補充できたこともあり
追ってくる気配もない、と言う事で軽く宴の様子であった。

「千倉の奴、賞金首になってまで武士もヘッタクレもないというのにバカな奴」

少し酒も入り、東金は戦利品を満足そうに眺めつつ更に一杯煽った。
周りの残党ももはや東金に付き従い持て囃す者のみだ、

「あの女はちょいと惜しかった!」

「ああ、メチャクチャにしてやりたかった!」

部下どもの言葉に多少の侮蔑は持ちつつ、また一杯…と言うとき
ふと気付くと道は倒木で塞がれていて、辺りに火がおこっていた。

「…何!」

東金が声を上げたときに、窪地の上の方に刀工達と、そして八重が居た。

「見張りの者は何をしていた、なぜ、誰にも気付かれずに!」

「見張りってのはこれかい」

八重が生首の髪の毛を掴んで悪党どもにかざし、中央のたき火に投げつけた。

「音や気配なんてどうとでも出来る、普段只の人間相手にはやらないんだが」

八重が跳び上がると同時に既に中央のたき火の真ん中、燃えさかる火の中、
くべられた生首の上に立ち、燃える事無く冷たい眼差しで周囲一回転で抜刀術を仕掛けた。

そのひと太刀で殆どの者は両足の臑から下を斬られる。

東金だけは多少反応出来た物の、しかし矢張り片足は失った。

「火に当たっても燃えないようにする詞、熱さを熱いとも感じなくする詞
 音を消す、気配を消す詞、何でもある、そして…そんな「詞」を持っていながら
 それを活かしきる事も出来なかった、そう言う意味では…
 東金ッたっけか、アンタには負けたよ」

そして八重が目配せをすると「本当にいいのか」という顔はする物の
やれと言われた燃えさかる炭の山をその八重の居る窪地へ投げ入れた。

「同じ目に遭わせてやるよ、斬られ焼かれ、のたうち回るがいいのさ」

燃えさかる窪地の中、この世の物とも思えない断末魔の坩堝(るつぼ)。
何人かはもがきながら八重につかみかかろうとするも、そんな腕を切る。

「貴様…!」

東金ばかりは火を払い片足になりつつも八重に掛かってくるつもりのようだ。

「最初からそうしてろよ、自分ばかりいい目見て生き延びようなんて思うから」

次の瞬間には東金の両手も残る片足も斬られ、そして八重の後押しで
業火の中に息ながら身を投じる事になる。

「先に死んでいった三河島、井土ヶ谷、花月、千倉の分も苦しめ」

八重がその場を跳び離れ、刀工達の元へ戻る。
人の断末魔など見ていて気持ちの良い物ではないのに、この時ばかりは全員の気持ちが
一致していたし、罵声を浴びせながら見張りの首から下も投げ込み、
まだ燃えていない炭も投げ込み徹底的に悪党どもを焼き尽くした。

「音を立てても気付かれない、火を焚いたのに気付かれない、
 祓いってのはこんな事も出来たんだな」

刀工の一人が呟くと、八重が

「そんな事は化け物と戦うときだけにしておきたかったよ
 …でもそれであの子を死なせてしまった」

八重の言う事は良く判る、人外の技を持つなんて確かに最初からそういうチカラを
全面に出しながらだったらとてもじゃない、八重など受け入れられなかっただろう。
人の心を持つ人であるからこそ持たねばならない分別だった、
だが、それを徹底した事で工房を守り切る事も出来なかった。

一女はあの工房の花だった、仕事の愚痴など判る人にしか出来ない物で
そして一女も刀工であるが故にそれが出来たのだ。

その体と心は八重の物であったが、その人となりは全ての人の癒やしであった。

静まりかえりつつ、少しその火の様子を見ると、内側の火と外側の火が
引かれあって燃やす物を失い鎮火して行く。

もしもの延焼を防ぐための工作も既にしていた。

燃え尽きるのを待つ事もなく、刀工達はそこを後にした。



残った材料や武具を荷物に、もう半ば強制的に引っ越しの運びになる。
その前に、使える物、使えない物を分別し片付けに入って居た。

誰もが突然やって来た事態を残念に思った。
しかし、ある意味そういう世の中なのだ、誰を恨む物でもない、
例え八重がその力を最初から全開で使っていたなら…という「もしも」があったとて
それを言ってもしょうがない、それを誰よりも悔やんでいるのは八重だからだ。

八重は耐えた、例え仇討ちをしたとして一女は帰ってこない。
そしてその魂も見当たらない、どうした訳か何処にもない、
せめて一言告げたいのに、それも出来ないのかと八重は悲しんだ。

夜もだいぶ更けて、今からの移動では流石にという事で崩さなくても
危険のない幾つかの建物に分かれて一晩を過ごそうと言う事になる、
道中での荷物を減らす目的、取り敢えず力を付けておく名目で
厨房は菜さんが命がけで守り建物ごと無事だった事もあって量もたんまりと
夕食(ゆうげ)の時が来た。

「そういえば菜さん、あんたカラビトになんて言われてたんだ?」

いつもは厨房に籠もっている菜さんだがこの日は全員と食事を共にし、
八重の質問に眉をしかめ肉にかぶりつきながら

「同郷のよしみであっちで働けと言われたんですよ、
 いきなり押しかけてみんなを酷い目に遭わせて厨房に踏み込んで
 そんな事言われたって、ここで皆さんの体の具合を見ながら食事を作る事は
 私の生きがいなのに、それを壊しておいてこいとは言われる覚えはありません」

菜さんはさらに汁を飲みつつ

「私は確かに一度故郷は捨てました、でもそれは騎馬民族に支配されたくないから
 彼らの血も涙もない有様は知っていましたから、それでこちらに渡ってきたんですよ」

「済まないな、こっちでもイヤな目に遭わせてしまって」

「いやいや、今日の事は残念です、でも、これで終わりじゃない」

その通りだ。
八重の心に菜さんの言葉が残る。

八重は普段からよく食べるが、この日はその八重も含め全員がよく食べた。
取り敢えず生き延びて次を考え行動するには力を付けなくてはならない。
悔しさも悲しさも全部飲み込んで消化しなくてはならない、
そうしないと心が壊れてしまう。

そんな時、悪党どもを倒した方角から何か大きな足音が聞こえてきた。
禍々しい、逆恨みを纏ったその大きな邪悪の気配。

半分焼けただれた巨人、そんな感じだった。
日本語ではない何かを呻くように呟きながら、ゆっくりそれはやって来た。

「宋の言葉じゃないですね、何を言っているのか判らない」

菜さんが割と冷静にそう言った。
八重が骨付きの肉をかじり取りながらも立ち上がる、そこへ頭が

「八重殿、これを」

それは、八重が一女と二人で作り上げた刀だった、すっかり仕上がり
柄も鞘も装飾も、何もかも仕上がった野太刀だ。

そこへ声がする。

「贐(はなむけ)だ、あの場を他の仲間を犠牲に生き残った奴に周りの穢れた
 カラビトの魂を寄せ集めて固めたモンだ」

八重はその言葉を聞きながら頭の前に膝を突き両手でそれを受け取り

「一つ一つは取るに足らないと思ったが、一塊になられると中々酷いな
 受け取るよ、婆さん」

「こんな事をアタシが言うのも何だが、ほっとしているよ」

「ああ…」

周りの刀工達にしてみれば何がなんだか判らないが、これが話に聞く「魔」
その禍々しさ、その穢らわしさは例え祓いの力を持っていなくとも判る!

八重は刀を腰に結わえ、歩き魔に向かう、その歩みに迷いも恐れもない

そして、その八重の両掌がほの青く光るのが判る、傷の手当てなどの時にも見たが
夜になるとはっきり判る、人外の力なのに、そこには何か尊いモノがある。

魔がその両手で八重を握りつぶそうと物凄い勢いで被さってきた!

次の瞬間には魔は青い光を纏った野太刀に綺麗に真っ二つにされ、
そして八重の右手と左足でそれぞれ泣き別れた左右を打ち、蹴ると
青白い光がその魔を一瞬に包み破裂するように細かい光になり散って空に消えゆく。

そして八重は空を蹴り、踏み込んだ位置に戻ってきて刀を収めながら振り返った。
月光を背負ったその姿、無表情で静かに歩むその姿、雄々しくもどこか嫋やかであった。

「いい刀だ…、私は死んでもこの刀を手放さない」

そう呟いて、八重はまたもとの席に着き食事を続けた。
誰もが呆気にとられ、今の声は誰なのか、知り合いのようだけれど
敵のようでもあるその振る舞い、何者なのかと問いたかったが、
八重が黙々と食事を続けるので誰も問えないまま夜が更けて、
英気を養うために寝るしかなかった。





日が昇ると移動開始である。

死んだ者達も八重がそれ専用の荷車を引く。
生と死の狭間を継ぐ神職でもある祓い人。
勿論一女もその中の一人。

八重は既に当たりを付けていた地域に全員を無事連れて行った。
そこは元の地域よりはもう少し人里も近い、都からは少しばかり離れたが、
鎌倉との間に近い場所だと八重は言う、そう言う意味では悪くない場所だ。

そして改めて、死者を弔った。
そうした時だけは八重も着替えて巫女の姿で詞を捧げた。
その動きや声はなるほど確かに八重は女だった。

既に当たりを付けていたと言うだけはあり、ある程度を八重は切り開いていて
材木も幾分生乾きではある物の、後は細かく切って組むだけになっていたし、
簡単な地図で街道への接続場所も示し、その領地の地頭への挨拶へも同行した。

新たな地でやり直そう、刀工達はそこへ根付き、
以前よりは幾分商人以外にも直接里と関わりを持ち、そのうちそこで
新しい家庭なども出来てくるだろう、それでいい。

八重はそれらをある程度見届けてから、その地を去る。

「直しが必要な時や、一女に会いたくなったらいつでも来るといい」

頭は特に強く引き留めるでもなく、そう八重に言葉を手向けた。



正応の時も幾年か(1290年と少し)、
二十代も半ばに差し掛かろうという八重、ほぼつぶれた右目に痛々しい傷跡、
それを敢えてそのままに、普段は片目であるかのように過ごした。

そして八重にとって大きな出来事もその頃には起こっていた。

「佐渡って何処だよぉ…」

「ぅう…凄い揺れ…」

二人の少年が日本海の荒波に揉まれる船の上で伸びていた。
八重はその様子に眼を細め

「もうしばらく我慢してくれ、越後の沖の島国なんだが都からだと
 能登から潮の流れに乗った方がいいからな」

「越後って何処だよ…」

「都からは結構遠い北の地さ、しっかりしな、もっと遠い国から
 やって来る旅人だっているんだ」

ダウンしている二人の少年の一人…と言うには余りに線の細い、少女のような
四條院の子が具合悪い表情を隠しきれずに

「八重様は平気なのですか」

「多少は揺さぶられる、今もね、私も修業時代には吐きまくった物さ」

そこへもう一人の少年、浅黒い、若い割には逞しい少年が

「八重さんでもそうなのか…吐いたら楽になるか?」

八重はからから笑って

「病気の時は楽になるモンだが、船酔いの始末に悪いところは
 吐いても楽にならない所なんだよな」

二人の少年はウンザリした。

そう、この二人こそが件の二人である。
浅黒くて口の悪い天野大丸の方が変身をする祓いなのだ。

「とりあえず進む方向に寝ておけよ、少しはマシだぞ」

「はい…」

四條院嵯峨丸・天野大丸、京の出身ではあるがお互い外れの方で
しばらく面識がなかったが、祓いとして成長が見込まれると言う頃合流し、
これがまた馬の合う二人でめきめきと力を付けていったが、そこで
大丸の「狼に変身する能力」が顕在化してしまい、混乱の元となった。

狼になるとやや理性が効かなくなるのだが、嵯峨丸にだけはそれでも
心を開くためしばらくそれで中級のまま二人都の近辺を踏みとどまる状態で
八重が「もう何があっても受け止められるよ」と二人の上級への橋渡しを
受けて、そしてその仕事の第一弾が佐渡国での魔の退治だった。

そして、この二人と八重にはもう一つ奇妙な共通点があった。

「ばあちゃんに言われてたけどここまでとは思わなかったな…」

「…そうだね…まぁ…薬も貴重だし…」

八重は荷物から小さな壺を取り出し

「取り敢えずこれ食っとけ、少しは気が楽になるかもよ?
 婆さんに因んだわけじゃないぞ」

それは梅干しであった。
この頃梅干しはまだ一般食と言うよりは縁起物のような感覚で
余り広く、いつでも食べられる物ではなかったが平安時代には薬としての効用も
取り上げられるほどには名の広まった物でもある。

「ううっすっぺ! 酸っぱいなぁ…こんなんで効くのかよ」

「人それぞれだけど少し吐きそうな感じは抑えられると思うよ」

酸っぱさに耐えて居た嵯峨丸が

「…あ、本当だ…少し胃の辺りが楽になったかも…」

「ばあちゃんも確かに梅干しなんかも少しはって言ってた、
 八重さんもばあちゃんから教わったのか?」

そう、この三人には共通の知り合いとしてあの魔人・梅が絡んでいた。

「いや、私は私の師匠から、お前達二人には婆さんはどんな接し方をしてたんだ?」

梅干しの衝撃もあり少し具合の回復した二人は見つめ合って、嵯峨丸が先に

「最初は敵として…というかその手引きとして現れたんです、
 でもそのたびにそれを越えてきました…そしてある時思ったんです、
 この人は魔だけれど、ひょっとして自分の与える試練についてきて
 越える人を探しているんじゃないかなって」

「オレはそんな難しい事は考えなかったな、あの人は魔だけど
 悪い人じゃない、悪い事はするけど悪人じゃない、なんかそれだけは
 判ったから色々話しかけてるうちに諦めて色々話してくれるようになった。
 祓いだしさ、婆ちゃんとかまでの世代って良く判らないから
 オレにとってはあの人がばあちゃんかな」

八重は納得したように頷いて

「二人それぞれの言い分は判るな、まぁ「私の婆さん」は四條院志津子…
 嵯峨丸のホントの婆さんに当たる人で、静かで上品な人だったけど
 確かに何か凄く人生の先輩でそう言う意味では格が違うって思う、
 そして、私もまた試された一人でもある、試練を越えた贐に魔を
 倒して見ろとか言う感じだけどさ」

八重は海風で髪をなびかせ近づいてきた佐渡島を見据えながら

「掘り返しちゃ行けない深みなんだろうが、気にはなるよな」

「はい…」

嵯峨丸は即座に同意したが、大丸は何か納得のいかない様子で

「何だかんだ物知りで色々教えてくれる、ちょいとおっかない人だけど
 どこか…なんてーのかなぁ、あの人も和の中だと思えるんだよなぁ。
 抗って生き延びるか、座して死を待つのか、何を利用してでも生き延びたいなら
 生き延びてご覧、的なさ…」

「全く同感だ、敵とか味方とかそういう一応の位置はあるけど、
 それよりもう一つ高いところに居るような気がするんだ、だから…
 三家にもお内裏様にも幕府にも…何処にも言ってない」

嵯峨丸が少しその八重の言葉に考え込むように

「…いいのかなって思うんですけどね」

「うん…まぁいいさ、こうして婆さんの馴染みの祓いが三人揃った事も
 何かの巡り合わせだ…しばらく伏せておこう
 …時に、具合の方はどうだい?」

二人は相変わらず床に寝っ転がったままだが、梅干し効果なのか、
少し気になる話をしたからなのか、その空を見上げる表情に具合悪さでは無い表情で

「先ほどよりはだいぶん良くなりました」

「ああ…にしてもさ…帰りもまた乗るのかと思うとちょっとイヤになるよな」

「つく前から帰る事を考えるか、いい器だよ、帰りは能登じゃなくて越後に…
 今右に見えてる方に行くからまぁまだマシだろうさ」



「大佛(おさらぎ)北条様からの委託と言う事ですが…本当に貴方達三人で…?」

佐渡国の雑太(さわだ)城、守護代本間氏はやって来たのが
ただ者では無い雰囲気だがでかい女と少年少女(嵯峨丸は女だと思われた)と言う事で
やや怪訝な表情で問うてきた。

面白くなさそうな大丸を先に制するように八重は書状を差し出し、

「宣時(のぶとき)様の指示もある、何ならお内裏様の方も出そうか」

「いやいやいや…いや、なるほど…失礼致した…」

本間氏は書状を汗たっぷりに読んで声を上げた。
天皇の勅命の方が効きそうな物だが、大佛宣時といえば直上の上司とも言える。
武士の世界には武士の繋がりが良かろうという八重の判断だった。

「どんな魔が動いているのか聞きたい」

「…金色の武者で刀が銀と言われている…身の丈は一丈半(4.5メートル)
 腕が沢山あって弓を射てくるらしいのです」

「…ふむ、金銀に意味があるのかは分からないがなるほど」

「この地には金(きん)が眠っているという話が御座在りましてな…
 時々それを狙って探りを入れる者がいるようです、
 はて、そのなれの果ての霊なのか、そこまで判申さぬ」

「場所を教えてくれ」



佐渡島の外海側に山地が広がっていて、その山地のほぼ中程、北山と呼ばれる辺り、

「水縁かと思ったが思いっきり山の中だな…」

八重がほぼ獣道というそこをぐんぐん進みながら見回す。
体力に自信のある大丸がややその体力に不安のある嵯峨丸を気遣いながら

「どういう事だ?」

「…いや、金の見つかり方にも色々あるけど、川に沿って砂金の形で
 ここでは見つかる事があるようだから、その上流かと思ったんだが当てが外れた」

少し息も上がり気味の嵯峨丸がその八重の言葉に

「金銀に身を包んだ姿と言うところが気になりますか?」

「なるね、金銀は人を狂わせるよ、増して外国からの攻撃をはね除けたって
 国内での富を回せない、相手の国から償いが来たわけでもないからな、
 それで身を持ち崩した奴も沢山居る、こう言うところで一旗揚げようって
 そういう欲望に駆られた奴も居るだろうさ」

大丸には良く判らない価値観なので「そういう物かなぁ」と思いつつ

「だとしたらそれってそんな古い霊じゃないだろ、そこまで強烈な魔になるかな」

「…そこで…婆さん…とは言わないが「他に似たような役目の魔が居るのか」だな」

若い二人はハッとした、確かにその可能性は考えても良いというか
充分あり得る話だ、どうも魔にも勢力があってそれなりに組織だって居るようだから
梅の役割が梅一人とは限らない。
麓などからの目撃証言を元に現場付近をぐんぐん歩く八重の後ろ姿を
「なるほど、流石に先輩だ」と少し二人は尊敬の念を抱いた。

まだ会ってひと月も経っていない、実力の程は判らないし、ちょっとした霊も悪霊も
八重は手を出さず二人を見極めているようだった。
二人にしてみたら「そういう八重はどうなんだ」という所だったが、
確実に二人より経験は積んでいて思慮も深い、
その長身からしても大きな野太刀を二つ腰に、荷物には弓矢もあるし
何というか、武芸百般的な雰囲気は確かに醸し出している。

夕刻に差し掛かる頃には早々に寝泊まり場所を決めて
付近で温泉まで見つける周到さ。

「…匂いがしないし…うん、特に毒になるような物も含まれていないな。
 効能はないに等しいが冷ませば普通に飲み水になるだろう」

掌に掬った温泉をじっと見据えてその成分まで見分ける。
少しずつ、若い二人にも八重の凄さのような物が分かってきた。
ただ、その凄さが戦いでなく野営などの方向で発揮される事に少々戸惑いもした。



「別に見たっていいさ、確かに広くはないし少々熱めだがなかなかいいぞ」

顔を真っ赤にした二人を余所に八重は自分のペースで過ごした。

「わかんねーひとだなぁ…、俺達だって一応男だぜ?」

「只で済むと思ってるならそうしてみればいいさ」

余りにさらっと言ってのける。

「い…いや…、まぁ狩りにでも行ってくる、嵯峨丸は山菜な」

「う、うん」

ややもして二人が戻ってくると、八重は一風呂浴び終えており、
火を前に石を見て何かを考えて居た。

「どうしたよ?」

「うん…? まぁ、気にするな、それより汗落としなよ、大丈夫、
 背中向けておくからさ、食事の用意もしておこう」

その石、普通の人なら片手で持つような大きさではない、そう言う意味でも
八重の力量が僅かずつではあるが見えてくるのだが…二人は言われるがまま
ひとっ風呂浴びる以外になかった。

…そして、あり合わせの食材を使っての食事の最中

「矢張りこの辺は金銀が出るようだ」

八重が割って一部すりつぶした石からそのかけらや水で軽い物を流した残りを見せる。
成る程、金と銀がある。

「何やってんのかなと思ったら調べてたのか」

「温泉の枠に敷いた石の中に金があってね、僅かだったが…割ってみたら
 そこそこの大きさで石になってた」

「そんなところまで見ていたんですか、なんていうか流石です」

「じゃあ、これをあの本間とか言う役人に言うのか?」

「言わない」

二人は驚いて

「なぜ!?」

「本間氏の上司は北条だ、私の最初の依頼人である安達泰盛の仇かも知れないんだ、
 私は武士じゃないが朝廷に対して昔そうであったようにチカラを再び
 付けて欲しいと願っていた彼を一族郎党討った裏なのかも知れなくてね
 …ちょっとした復讐さ」

この八重という人物、単純な善悪という物差しでは動いていない。
では直接朝廷に進言すれば…と思わなくもないが、そうしたらそうしたで
矢張りいつか武士の財源になるのだろう、それを許さないという。
なるほど、梅に気に入られるだけはある、物凄く「ギリギリ」な人物だ。

「武士の世の中がお嫌いですか?」

「気に入るも何も無い、世の中は変わっていって当然さ、だが
 流されるばかりが生き方でもない、幸い私達祓いは人の世という和の中の
 外れの方に居つつもその生存を認められた者なんだから、
 少し外側からこの日ノ本を眺めていたいんだ」

自己責任で危険、死と隣り合わせの世界に生きる祓い、八重の精神は
確かにそれに深く根ざしていた。
計り知れなさと共に、二人は改めて八重の深さを思った。


第五幕  閉


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