L'hallucination ~アルシナシオン~

CASE:TwentyTwo

第三幕


「あなた方がただの人で無いって事は判る、恐らく神なのだろうと言うことも、
 でもそんなあなた方が必要とする相手ってのは誰でどこに居るんです?」

「それを説明するには先ず…今、世界の一定以上の文明国では
 物の理を理解し、人が人力で行う以上の仕事を探し模索しています」

「…イングランド人に聞いたことがある、蒸気機関と言う奴?」

「お知りですか」

甚だ意外だと言う感じに檜上が言うと

「私は手広くやって幕府やお内裏様も相手に密貿易的なこともやってる商家の生まれ、
 絵図面見たわけじゃないから原理までは理解していない、でも
 火を燃す勢いで仕掛けを動かし、大きな輸送力なんかを実現しようとしている
 って言う話はそのイングランド人から聞いたの」

檜上さんはにっこり笑って

「それだけ知っていれば充分です、人が人の領分をいよいよ大きく越えようと
 しているわけです、そこで問題なのが、信仰なのですよ」

「時代によって変わって行くとかそういう事では無く?」

「そこで折り合いが付けば良いのですが、どうしても信仰を置いて行く形に
 人が生み出し、人が運用する、人間第一主義とでもいうのでしょうかね
 それはそれでいいのですが、そうすることで忘れ去られる信仰もある
 その神…いえ、あちらでは色々厳密に分けられておりますので、簡単のために
 全てを総称し「悪魔」と言っておきましょう、良い悪いの意味では無く」

「強い魔…そういう事?」

「はい、そうはいえ、物によっては人の信仰を何千年も、少なくとも何百年も
 その畏怖を受けて確かな「そこに在る者」となってしまった者達にとって
 居場所がなくなることは避けねばなりません、とはいえ、勢いづいた人々という物は
 そうたやすく止められる物でもありません、
 各地それぞれに「天国」とか「地獄」とか「あの世」とか言われていた物が…
 今「魔界」として一つの界隈に纏まりつつあります、考え方などの折り合いは別で」

「ふむふむ、それで?」

「それぞれの悪魔が人の世界との繋がりはある程度持たなければその力を維持出来ません
 しかし、物の理を解き明かして行く学問が出来て、人が理屈に染まって行けば
 もう昔のままでは居られません、しかし…例外的に人の力がどうであれ
 存在出来る現世(うつしよ)もあります」

「…それが、この玄蒼…」

「ここは千年以上人の恨み辛みが積み重なってきた穢れの地、
 フィミカ様だとてそう短い年月ですっかり祓うなどとは出来ることではありません
 そこはフィミカ様も認めております」

「フィミカ様にしてみたら折角始めた仕事に水を差された上にホヲリ様を
 失ったわけで泣きっ面に蜂とでも言うか、感情的になるのも仕方ないのか…」

「私どもはかつて彼女に仕えておりました、このやまと…日ノ本の者であれば
 その信仰の場、あるいは霊の強い場になれば現れることも出来ます、
 それはいいのです、洋の東西にかかわらず、あらゆる魔がこの都合良い玄蒼に
 集まろうとしている、それは避けなければなりませんが…しかし、
 フィミカ様や我々、悪魔達だけでも進まないことなのです、
 諸行無常、それは悪魔とて避けられないこと、しかしそこに在る者として
 その意味は無くしたくはない、誰だってそうでしょう、それで…
 時々こちらへ強行に突入してくるようになったのです、この玄蒼の地に」

「それを倒せば…?」

「残念ながら完全な浄化は出来ません、うっすらとは言え未だ信仰はありますから。
 しかし、一度追い返せば結構な期間封じることは出来ます」

「判った、キッチリ追い返すとしましょう」

何か景色の良く判らない通路で話していて目の前が開けたと思えば、
そのあり得ないほど背の高い樹木から「玄蒼のどこか」なのだと言うことは判る。

そこで宵が見たものは…

見たこともないような兵装、見たこともないような様々な異形、
それらが入り乱れて多数戦いあっている圏外ギリギリの場所であった。

「これは…どっちがどっち…という隔ては?」

息をのんだ宵に檜上さんはキッチリ、はっきりと

「ありません、どちらも魔です、悪魔です」

「それは簡単でいい…とはいえ…やったこと無いけど出来るかな…」

宵が詞を呟き両手で構えると、そこに祓いで作られた弓と矢が現れる。
既に弓に宛がわれた祓いの矢は右手指にもう一本と…後は出来損ないだろう一本
弓と二本の矢は煌々と青い光を纏っているが、宵は出来損ないを引っ込めつつ

「…やっぱり鍛練を積まないとキツいな…使える矢は二本か…
 弓様や八重様のようには行かないや…」

鶴谷さんが戦闘体勢に入りつつ

「それって誰です?」

「この刀の…私は四代目の持ち主で…その二代が弓様、名の通り弓の名手で
 その名はフィミカ様から賜っているみたいなんだよね、まだ足利の時代」

「それ…フィミカ様は」

「知らない、私も刀に宿った稜威雌から聞くまで知らなかった。
 知ると何か巡り合わせがあるんだなと思うけれど、
 私は…そんな抗いがたい巡り合わせなんかじゃ無い、
 たまたまフィミカ様の眼鏡に適った祓い人としてお仕えしたいのよね。
 何て言うかな、巡り合わせで出会うには…私は、まだまだ青い」

「判りました、貴女の思いは尊重します、では…行きましょうか」

と言って檜上さんも詞で物凄く強力な守りという事は判る障壁を三人に施し
檜上さんは緑、鶴谷さんは赤、それぞれの光を纏い、そして戦いは始まった!



宵の矢による第一波は相手の中でも弱いと判る者に炸裂して
数を減らし、鶴谷さんは中堅どころと思われる悪魔を肉弾で次々に倒していった。
檜上さんも投げ詞で多数を相手に一歩も退かず、冷静さも失わず
次々に悪魔を倒して行く、強い、流石に神。

宵は持ってきていた自らの突いた餅を口にくわえ「やっぱり固いな」という
苦笑の面持ちで弓による第二波を二発打つが、修行の足りない今、
やり続けるには値しないと判断し、なるべく祓いだけに頼らず相手を弱らす目的で
体術により相手を転ばせてから相手の武器そのもので止めを刺す、などの戦法を使い
長期戦にも耐えうる戦いを始めた。

ここで浄化を余り深く考えなくていいという旨の檜上さんの言葉が役に立った。

日本の魔であればそれはその畏怖の中心でもある土地だけに、祓いを交えなければ
追い返すこともままならないがそれが信仰の対象でもその土地でも無い悪魔なら
取り敢えず倒してしまえばある程度時間稼ぎは出来る。
今祓いのことまで考えてこの戦場で戦えるほどには自分は強くない、
宵はそれを自覚していて、それが悔しくもあったが、そこは矢張り経験。

少しずつ倒す強い相手に切り替え、少しずつ止めのみ祓いを込めて、
という流れにして行く。

先ずは数の暴力をどうにかしなければならない。

身のこなしは素晴らしいのだが、それも
「初代であればもっと泰然自若と余り動くこと無くここという一瞬を狙えるのだろう」
と思うと、余りに遠い歴代の背中、祓いとしての働きは少ないが
いざという時には見事な剣技を腕一本で肘を支えに華麗に数を捌けた三代、
彼女の凄さも身に染み入る。

「少しその背中まで…駆け足で進みますよ…!」

宵は初代とも二代とも違う、そして身体的事情からそうなった三代とも違う、
軽やかでそして動きに独特な間と遊びがありつつ隙は少ない、
そして斬って祓った後には見栄だって切る。

そう言った緩やかな動きの後にはまた鋭く、しかしまるで踊っているかのような
それでいて確かな太刀筋で次々と悪魔を祓っていった。

「なかなかやりますねぇ! そういう流派なんですか?」

戦いつつも、結構な戦力でその動きをもって敵を翻弄しつつ戦う宵に
鶴谷さんは思わず声を掛けた。

「いえいえw これはあくまで我流、強いていうなら女歌舞伎とその流れの影響かな」

「はぁ!?」

それは全く武術に即した物では無い、しかし檜上さんは含み笑いをしつつ

「なるほど、一見格好だけの見栄のようで、それは研究された「動き」
 そこに剣術を当てはめましたか、面白い、興味深い方です」

「これはこれででも…」

まだまだ多勢の相手の攻撃も受けてしまう

「見切られたらそれまで…かな」

ダメージを負ったなら負ったで動きを直線的に、直感的にそのダメージを与えた敵へ
的確に反撃をする。

檜上さんがそこへ可成り広範囲な相手への呪詛を込めた詞を掛け、
その上でそれに縛られなかった相手、なるべく大勢に向けて強烈に「何か」が
紫に爆裂する詞を使い、辺りを強い物以外一掃する。

「余り無茶はなさらないでください、僕は今の状態では治癒が出来ませんので…」

「それよりその強烈な詞は…」

「これは、大君の血筋から伝わる奥の手のような物です、傍系でも無い
 僕も最近になってやっとなんとか使えるようになったくらいで…
 そしてこれには大変な気力が必要です、数を撃てる物ではありません」

鶴谷さんが少し焦りつつ

「それにオレ達、気力が尽きたところで戻らなくちゃならないんですよ!
 どこか近くでも総本社があればいいんですけど、何しろ「ここ」ですからねぇ」

「そうか…余り甘えても行けないのね」

「…しかし…実力は確かなようです、ホヲリ様は確かにお強かった、
 ですが彼ももう尽き果てかけておりました故、僕たちも限度一杯まで
 戦ったのですが及びませんでした、できれば、それを繰り返したくはありません」

「承知…よし…じゃあ覚悟を決めるかな…!」

「えっ…覚悟って…」

鶴谷さんが焦り、少し攻撃の手が緩んで反撃を受けそうになったところを
宵がスッと割って入り、一太刀の元でそこそこ強い相手を先ほどより強い祓いの光で
両断、浄化しつつ

「死ぬって意味じゃ無い、でも、一人ででもこれを成し遂げる…その覚悟!」

結構嫋やかな動きに体だった宵が全身に緊張を滾らせ、少し筋肉も浮き上がるほど、
更に言えば目つきも「生きるか死ぬか、結果がどうであれやり遂げる」という
光を点し、「でも私は生き残る」と最高最大の動きで死をはね除ける、そういう動き!

長期戦だけを見越す加減では無く、瞬時に相手の力量を見極め緩急付ける
そういう読みにくい動きになった、代わりに少し祓いが尽きるまでは早くなる。

回転を上げた祓い、二人の神も目で合図をしてそれに応え、
居られなくなるギリギリまで回転を速め祓いを続けて行く。



最後の一体を倒した時には三人ともそれなりに怪我をしていたが、
まだ限界、と言うほどでも無かった。

「やったー…やりましたよ…助かりました、お宵さん!」

大の字で倒れ込みながら鶴谷さんが言う

「お怪我はどうですか」

檜上さんも怪我をした部分に手を当てながら宵に聞く

「あっちこち折れてるかも…」

祓いで何とかつなぎ止めていたが治療までは追いつかず、闘志の鎮静と共に
それは顕著になり苦痛の表情で倒れ込む。

「右手と軸足の左だけは守ったんだけど…いやぁ…こんな凄い怪我したこと無いから…
 けっこー厳しいかも」

鶴谷さんはそれでもニヤリと笑って

「でも、やり遂げましたね!」

「十条君、取り敢えず君を天照院まで…もう我々にも余り時間がありません」

といって宵に歩み寄ったその時…!

『そうか、もうそろそろ力の限りか、それは好機!』

地面からしみ出すように現れたそれは明らかにこの日本の者、魔!
鶴谷さんが物凄くウンザリした表情で

「この野郎…俺達が気を抜くまで待ってやがったなぁ? 檜上さーん!」

檜上さんはその魔を見据え立ち上がりつつ

「判っています、これは金鬼…、鶴谷君の攻撃は効きません…!」

『隠形鬼を屠った祓い、お前ももうその体を立て直した上で儂を切れぬだろう
 祓いを溜め込まないと、そんな細長い刀では儂は斬れんぞ!
 丁度良い、その二人諸共お前を潰す! 先ずは…!』

破壊の詞を唱え始めた檜上さんに金鬼は襲いかかり、檜上さんも
数発では詠唱をやめず唱えているのだが…

『詠唱が終わるまでに立っていられるかなぁ!?
 その前にお前が足場を崩されたら詠唱を断たざるを得ないぞ!!』

その破壊の詞、威力が高いだけに詞も長く、慎重に唱えねばならず
その間は甘んじて攻撃を受けるつもりだった檜上さんも足下がぐらつき
そしてとうとう後ずさり詠唱が中断され膝を付いた…!

勝機を見たと思った金鬼の目の前に宵が迫っていた!

「勝ったと思うのは確実に命を絶ってからにして頂戴な…!」

その掌に祓いの衝撃が纏われ、金鬼の胸に打ち付ける!
金鬼は衝撃に弱いのだが、宵の衝撃での一撃はそれを狙った物では無い
のけぞり吹き飛びかける金鬼がその上向いた視線、それが左右でズレる…!

金鬼は下から上へ両断されており、愕然と

『馬鹿な…それしきの祓いで…その刀でこの儂を…』

新調したての巫女服も体もボロボロで血を吐いてすら居る宵、その口元がニヤリと笑い

「この刀とて祓いの元で幾星霜、その力を受けて振るわれてきて…
 なに、ホンの少しでいい…ホンの少し刃先にまんべんなく載せればそれでいい…
 あとは例えどんな物にでも潜むその斬る一点…それだけで充分」

そして宵はまだ大事ない左足で跳びつつ右手に祓いを込め

「さぁ、これで六段目(お仕舞い)だ、田舎へ帰んな、隠形鬼が寂しいって泣いてら」

強烈な衝撃を含みつつも浄化の祓いを掌から断面に押し当て、
金鬼は吹き飛びながら浄化されて行く。

と、同時に宵が倒れた、鶴谷さんが半分這うように容態を確認する

「どうですか…?」

流石に可成りの痛手を負った檜上さんが問いかけ

「生きてます…! この死んでも離さないって勢いの刀…
 千切れかけた左手でそれでも握りしめた刀…この刀がお宵さんを整えていますよ!」

「…なるほど…、伊達に神の名をもじった精が宿っているわけでも無い…
 知る人こそ限られている物の…どうやら現世(うつしよ)で役目を果たし続ける神です」

「動けますか?」

「ちょっと無理かもしれません…しかし…」

「何言ってるんですか、今ここでカッコ付けたっていい獲物ですよ!
 四鬼はあと二人残ってるみたいですし、早くずらかりませんと!」

「ずらかる…と言う表現はこの場合如何したものか…」

「そんなこと気にしてる場合じゃあ無いでしょう、ホラ!」



宵が目を覚ますと日差しや空気からそれは朝、
随分立派な木材で組まれて縄文土器が飾られている部屋、間違いなくフィミカ様の
天照院、そして…布団に寝かされた自分の近くではフィミカ様とはとほるが
重なるように寝ている。

「ありゃ…看病させちゃったな…どれ…雷が落ちる前に…と」

宵はこっそり布団から出て真冬の寒さに身を震わせつつ、
二人に布団を掛けて起き上がるのだが、もうほぼ痛みは無い。
傷は幾らか残ったが、それに誇らしさすら感じた。
袴だけ脱がされていたのでそれを穿き、服も直し終えていたので

「今日は二日か? 三日か…もっと後かな…」

天照院裏手の広大な田畑に向かう。
一月と言うことで大半は閑散としているのだが、そんな中に一人の霊がいた。

天照院裏手の畑は元々フィミカ様が試験農場として小規模な物だったのだが
まだ悪霊や魔まで行かず、全うに成仏したいと願う霊が最後に畑で
「種から芽が出ること、実が成ること、世話をしたり、収穫直前まで持って行く」
という前向きな生産作業をすることで自力昇華に向かうようにした。

ここへ来てそれでも逝けない場合はフィミカ様が後押しをする。

そういう段階だろうに、一人の霊…恐らく戦国の世かそれより幾らか前、
農民から足軽などになった者だろう、兵装も軽く粗末な槍を持っているくらい。

『どうしたのさ、田んぼは今時期何も無いよ、田起こしにもまだ早い』

『判っちゃ居るんだ…でも俺は米農家…それっきゃ知らねぇんだ』

宵は微笑みながら

『今時期だって採れる物はあるよ、私がここへ持ち込んだものもあるよ、
 ペルシアから来た菠薐草、お江戸生まれの小松菜、今だって採れる、ほら、そこ
 千住ネギなんていうのも私が持ち込んだ、他にもあるけど夏野菜だから今は無い』

宵はその霊を促し塀に囲まれた敷地を見回して

『それにほら、見てご覧よ、紫蘇に蕗に牛蒡も蓮根も、百合だって百合根の採れる種だ、
 フィミカ様は伊達や酔狂でこの田畑をやっているわけじゃあないんだ
 殆どのものが食べられる、それは自分で食べる分もあるけど、
 いざという時に皆に分けられるように、或いは不作が予見される年には
 冷えに強い作物を植えるために種も保存している』

冬だというのに青々と力強く生えるそれらに心奪われる霊、

『あの方こそキミメ様だ、さあ、流石に今時期米はないけどさ、柿や蜜柑もあるよ、
 ここにはその命を人に分けて呉れる物で一杯さ』

『俺はもう寒さは感じねぇが…確かに寒そうだ、今年はどうなんだろうなぁ、
 米は、作物はどうなるんだろう』

『そこは実際なってみないことにはフィミカ様にも「どれほどか」までは判らないってさ、
 でもその為に備えてる場所でもあるんだ、実際去年もフィミカ様は種籾を
 米農家に渡していたし、もう味が美味いのなんの言ってられないよね、
 早生で多少の事ではびくともしないようなさ、そういう米をここで
 探っていらっしゃるんだ、今でもさ』

霊は肩を落とし

『ああ、国に帰りたい』

『いいんだ、帰ればいいんだよ、誰に何の恨み辛み、或いは遣り残しがあったっても
 もうアンタは死んでしまったんだからお仕舞いさ、草むしりでもしていって、
 この辺りの草は流石に食えない奴だから、その槍で薙ぎ払ってくれてもいい
 米農家だってそういう事はやっていただろう、お願いするよ、
 そして国へ帰って、もう一度、今度こそは生を全うしてよ』

『…ああ』

一度は武士を目指そうと思ったか徴兵なのかそれは判らないが霊は頷き、
槍で雑草を刈り、霜で持ち上がった畑をならして行く、そしてその体は光に包まれ
作業をしながら散っていった。
後には、彼の持っていた槍が残され地面に落ちた。

宵はそれを見送り、槍を手に取って

「武器を手放していったか、ホント次は殺すことで無く、生きること生かすことで
 命を全うしてよ、ここへ来なくってもいいように」

そこへ足音と共に

「語りかけその言葉を聞くだけで昇華させおったか、なかなかのものじゃ」

「おや、フィミカ様、お早う御座います」

宵が向き返りフィミカ様に深々とお辞儀をする、

「うむ、お早うなのじゃ、中々に無茶な奴と思うたが、ちゃんと静かに
 送ることも出来るとあっては先日の事も水に流そう、わらわを呼べば良かったのに」

「いやぁ…なんだかこっちも燃えてしまいましてね」

「お主を見ているとなんかこう…それが十条の血なのかのぅ」

「良く判りませんが、そうなのかもしれませんねw」

本当は知っている、それは血であり稜威雌を通して継がれてきた魂なのだと。
でもそれを言ってしまうとフィミカ様は悟ってしまうだろう、
直接交流は無かったとは言え初代も、その名を授けた二代、その流れで
出会うことになった三代、歴代皆命を燃やし尽くして死んだのだ、

自分は例外かも知れない、そうでないかも知れない、
もう少し、見極めてからでもいいのだろう、今はそれでいい、まだまだこれからだ。

「この辺の菜っ葉は流石に摘んでしまった方がいいな…まだ若いけど」

宵が小松菜などの収穫を始める。
フィミカ様が同じように菠薐草など他の葉物でこのままでは枯れるという物を収穫し

「お主が来てからと言う物なかなか通年で何かしら食える幅も広がった、感謝して居る」

「こう言うのは任せてください、この郷にはギリギリまでお役所なんて建てさせず
 海外から色々取り寄せます、そこは商家の生まれの私です」

「うむ、土着の和が乱れるのなんのの前に食って行かねばならぬ、増して
 ここ百年二百年明らかに冷害の年が多い、蔦ね聞いた大昔には
 大陸と陸続きに成る程陸が海に水が回らず氷で覆われたそうじゃ、
 しかしそんな時に我らの先祖はまさにそんな凍って陸続きになった北の最果てからの
 流民のようなのじゃ、お陰でこの日ノ本に人が住みだしたが、
 また今度同じ事があるとしたら、今度はわらわ達は守らねばならぬ」

「そうですね、徳川の将軍様達は埋め立てで平地を広げて行ってますが、
 それでは地盤も緩いままです、食糧は確保しなければなりません
 どんな時でもおおよそ生きて行けるようには」

「水は大事な物じゃが恐ろしい物でもある、治水という物は苦労する」

「つい何年か前もそれが切っ掛けで美濃国で一揆がありましてね」

「米が国力を測る物になってしまったからのぅ、まぁ仕方ないのじゃが
 わらわも現役時代率先して涼しい場所でも実る苗をアレコレ試したし…
 と、そろそろ飯じゃぞ、動けるほどにはなったようじゃから、食って帰れ」

宵はキラキラして

「はい、戴きます♪」



「お宵さん、何だか大変な事になってたらしいじゃないですか」

自身の山桜神社に戻るとお越が慌ててまだ続いているのだろうちょっとした年始の
お祭りの準備をして居たところであった。
宵は頭を掻きながら

「あ~うん、やっぱりお越さんは呼ばなくて良かった、修行だ何だって勢いじゃ
 なかったし…それで…」

「なんですか?」

「今日何日?」

「そこまで?」

「いやもう…戦い済んだ…って辺りからもうまるっきり覚えが無くって」

お越は少しとんでもない世界に足を踏み入れたのかなと思いつつも呆れ顔で

「深酒したみたいな物言いで、何だか締まりも無いんですから!
 まだ正月二日、あれからまだ丸一日は経っておりませんよ
 森の向こうの方で物凄い音やら何やらが止んだと思ったら
 街の人がここまですっ飛んできましてね、慌てて見舞いに行ったら
 フィミカ様ったら見せてくれないんですもの、ちゃんと治すからって」

左腕が千切れかけ、右足も可成りぐしゃぐしゃになり、他裂傷打撲切り傷
本当に僅かに右腕と左足だけ深いダメージ「は」無い状態だったのまでは覚えている。
言わないでおこう、と宵は思いつつ

「あ~…それで、保護した子達は?」

「もう朝食(あさげ)も終わって支度してますよ、そろ、町の人も来るでしょ
 さぁさぁ、お宵さんも今日はキッチリ働いてください!」

少し年上だけれどほぼ対等で居られるお越、少しだけど祓いの力を持つ同士でもある
お越を宵は可成り気に入っていて、偉い事になった先日の事を「それはそれで」
普段と変わりない営みに戻してくれたお越に微笑み、感謝した。
思わず後ろから抱きしめ

「いや、ホント、お越さんには助かってるよ」

お越は顔を赤らめつつ

「今は止してくれます? これからお日様も天辺に上がるって時に」

既に一線は越えていたが、しかし恋人のように、とはなっていなかった。
何かこう、一種の愛や恋かも知れないが、でもちょっと違うと言うのがあって
二人はそれほどお互いに深入りをしていなかった。

また宵は気も多い物だからいちいち嫉妬したって女と女、宵は生来のというが
お越は宵によって「目覚めてしまった」口であり、将来の事となると
またどう転ぶか判らないと言う事もあり「保留」という意味もある。

「ん~、無患子(ムクロジ)と柑橘のいい匂い」

「お宵さんと出会って良かったなって今一番思う事の一つ、頭を洗う習慣ですね、
 朝にやるとさっぱりしていいです、でも、江戸に居た頃から?」

「髪もなんとなく伸ばしてただけだったし体動かすと地獄だからさぁ、
 最初はムクロジだけだったんだけど髪の毛ゴワゴワして、色々試して
 行き着いたんだよねぇ、皮ごと絞るからちょっと潤いも出るしねw」

「まぁ、毎日毎日とは行きませんけどね、でもただ香や油に頼るでなく
 さっぱりしておくってのは良い事です、何気に肌の調子もいいですし」

「でも垢がでるからって擦りすぎたらかえって肌悪くするから気をつけてね?」

お越のうなじに少し擦りすぎた痕が見受けられたので詞をそのまま唇に乗せて
口付けながら、宵が言う、お越は益々気まずく赤くなり

「ですからぁ、お宵さん!」

「うんうん、御免なさいね」

そんな様子を保護した子が通りすがりに見てしまい、三人で固まる。
その子は顔を赤くして来た方へ戻って行ってしまった。

「ほらぁ! 今居る二人にしたってもうこっちの方まで興味津々ですよ?」

「年頃的にはまぁ、興味を持って然るべき年頃ではあるねぇ」

「そうですけど…お宵さん、貴女は薬と毒の背中合わせですよ、過ぎると
 女同士でしか乳繰り合えないようなのばっかりになって困るでしょ」

宵はちょっとばつの悪そうにお越から離れて指先で頬をかきながら

「ま…うん、あまり妙な事に貢献しないように気をつける」

「はい、ではお宵さんは二人の稽古を付けてください、祓いのほうはどうです?」

「まだ何とも言えないなぁ、年頃としてポッとそういうのが湧き出す事もあるから」

「私もまだ烏合の衆とも言えないような初心者ですけど、
 それでも一人でも増えてくれた方が安心して留守を預かれるって物です
 宜しく頼みますね?」

宵はもうキッチリお辞儀で返すしか無かった。
でも、こういうやりとりが何か楽しくもあった。




日も高くなり参道では幾つか並んだ縁日で宵の突いた固い餅を煮込んで雑煮や汁粉にして
格安で振る舞う催しも盛りを迎えていた。

今回の分の積み荷になる材木を港で働く者達が取りに来たので宵は帳簿などを持って

「お越さん、いってきます」

「早めに戻ってくださいね、こっちも大変なんですから」

「はぁい」

宵は人足達と一緒に大量の材木を専用の荷車二台で一台を丸々宵一人で引っ張り
港のほうへ向かった。



「…特別需要も大体ここまでか、じゃあ…」

宵は算盤をはじき売値を示し、しばし値引くのこれ以上は負からないのと
…とはいえこれはほぼお約束の流れであり、大体最初に示した値の何掛け
と言うように決まっていた、ただ、需要と供給の偏りで幾らか変動するので
矢張り必要な儀式であった。

「材木はあとどのくらいあります?」

商人が聞いてきたので

「その気になればまだまだ今までの分より多く行けますけどね、
 その辺りは焦っちゃ行けないと思うんだな」

「その通りです、いやぁ、今時こんな立派な木も中々ないモンで、
 いい商売させて貰ってますよ」

「送り先は境のほうだっけ」

「ええ、こう言うのは船大工も喜びますからね」

「まー幾ら商売優先でもさ、沈んでしまったら元も子もない、
 幾らこことは言え木にも限りがあるから無駄にはしないでね?」

「ははは、まぁ積み荷は木だ、最悪これにとっ捕まってどこかに流れ着きますわ」

「商魂たくましいねぇ、じゃあ…あっちの樽廻船は逆向きだから江戸かな」

「ああ、何でも南蛮渡来の酒やら煙草やら色々あるとか」

「ほうほう、物色してこようかなぁ」

「早めに行った方がいいですよ、もう粗方作業終わってますから」

宵はちょっと急ぎ少し離れた樽廻船に近寄ろうとすると、何やら様子がおかしい。
宵は声を掛け、買い物として「積み荷を検めさせて頂戴」と言ったのだが、
船の持ち主含め全員挙動不審で急いで船を出航しようとしている。

まだ取引を完全に終えてない玄蒼側の商人も焦るのだが、足蹴にしてでも
出港を急いでいる、宵が港の自治もまかなっている事を当然知っている。

波止場から船が離れようとした時、何かがガタン! と崩れたような音がした。
そして微かにではあるが中から外へ、恐らくは握った手の小指側面で
船底近くを弱々しくではあるが叩く音が微かに宵の耳に届いた。

宵は辺りを見回し長そうな縄二本を売り物でもある錨に素早くくくりつけ、

「ちょいとそこの…樽廻船ッ!!」

まるで投げ縄でもやるかのように頭上で縄にくくられた錨を回し振り、勢いを付ける
宵が力持ちである事はこの街の者であれば誰もが知るところではあるが、
それにしたって木材を運ぶとか積み荷の上げ下ろしと言ったところであって
鉄の塊である錨、百貫(約375kg)あるそれを振り回しそして

「戻ってきて貰うよッ!!」

宵が錨を宙に放ると綺麗な放物線で屋倉の根元部分に大穴を開けて、
しかも突き破る深さも宵は投げている最中に縄で調節し、沈没させたり
船に損傷を大きく与えないようにも気遣って縄を引き、
返し部分を屋倉部分に深く食い込ませ、荷物は混載の総重量200トンはあるような
船をまんじりともせずたぐり寄せた。

宵はすかさず港の者へ

「縄を切られちゃ行けない、帆、やっちゃって」

「おおっしゃ、この積み荷泥棒!」

業者が直々火矢を用意して射るのだが、これがそんないい腕前の訳は無く
あっちこっちに火矢が突き刺さる、濡れた船体部分などはいいのだが、
矢張り乾いているところやそして帆や掛けた縄部分に刺されば
いかな後ろ暗い商人だとは言え、沈没の危機だけは避けたい、
結局、宵がある程度たぐり寄せたところで次々と鉤付きの縄を張られ、
もはや逃げ道は無い、積み荷だけは守ろうと慌てて消化に専念するも
宵が船に跳んで乗り込み、稜威雌で燃えた辺りの空を斬ると、火はしぶきやら
何やらが凍った勢いなどであっという間に消し去られる。

呆気にとられる船頭以下船員に対して

「荷物を検めさせて貰うよ」


第三幕  閉


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