L'hallucination ~アルシナシオン~

CASE:TwentyFour

第三幕


「実はみんなより結構頻繁にあたしには弥生から連絡があってね、
 面白い空間を見つけたって言ってたのよね」

裕子は少しビックリしたが

「何か智に繋がる発見や断片があったら竹之丸さんに調べたりして貰うためですね」

「そうそう、時にはあたしから特備越しに玄蒼市に連絡取ったりね」

「…その「面白い空間」とは…」

竹之丸は何枚か並べたモニターにそれぞれ別々の、しかし近似したデータを並べつつ

「いつだったかな、何重にも壁やら障壁やらが張り巡らせてあるけど
 「魂だけのデータの自分には何のこともなく通ることの出来る通路があって
 そこを抜けた空間に膨大な「ボディのみのデータ」が眠っている場所がある」ってさ」

大概の覚悟をした裕子だが矢張り驚いた

「…! あの、それって若しかして…!」

「あたしは直で聞いてないが、そう、玄蒼市でも探している「悪魔のデータセンター」
 …と言うことなんだろうね、残念なのは「それが何処にあるのか」までは
 弥生も特定出来ないってさ、普通の体を持ったデータだと入り込めない代わりに
 ただ「データ回線」と言うだけではない複雑な魔術も絡んでいそうだって」

「…しかし矢張り…、そういう場所があるのですね…」

「弥生は魂だけだし、弥生に見合うような体がそこにあるわけでもないから
 データセンターの人に侵入は即バレたけど、歓迎もされず、
 と言って積極的に排除もせず、ただ
 「体のデータに引きずられないように調べるにしても慎重に」と注意されたって
 割と年の行っている男の声だった、と弥生は言ってた」

「…なるほど、場所の特定が出来ずに、力の行使も出来ない叔母様は
 向こうにしてみても「興味深い奇妙な来訪者」という感覚のようですわね」

「そこで…今回の事件…そして「彼女」さ
 「彼女」の遺伝子は確かに人間なんだ、「人間として象られ人間として使う部分は」ね」

裕子は固唾を飲む思いで

「人間以外の要素が混じっている…と」

「裕子の勘が当たったね、そう、人間だけど「それだけじゃない」何かも持っている」

竹之丸はそこで「木下真美」の血液から「人間として使う部分」以外の遺伝子や
他の直接人の形成には関係ないところも含めたデータを切り抜き

「…弥生に頼んでみたんだ、データセンターに該当データがないか」

「…どうでした?」

「ここからがまた奇妙でね、ここに収容されて直ぐ調査依頼して
 三日間居られるだけ居て膨大なデータを探って貰った」

竹之丸は「木下真美」のデータを映しているモニタの両側のモニタでウィンドウを
色々いじり大きさや場所を示しながら

「…所が「これだ」というのが見つからないのよ、その一報が昨日で…
 そして今日、朝追加で送られてきたデータ、それによると…
 特定の悪魔じゃない、でも「傾向」として大種族・小種族という大きな枠でなら
 幾つか共通点を見つけたと…」

弥生のメールでの報告書を読みながら裕子が呟くように

「「大きく神族…そして大きく鳥族の範囲で類似の箇所がある」…と言うことは…」

「たださ、デビルマンになると完全に二つの融合になる、
 簡単な下級悪魔のデータは持ち出しても構わないと言う許可を得たそうで
 幾つか弥生越しに貰ったんだけどね、あたしの祓いの研究に興味持ってくれたみたいで
 こっちでシミュレーションしたんだけど、デビルマンでは無いのよ、
 彼女は人間なの、でも、人間じゃない要素も持ってるの」

「少なくとも二つ以上の悪魔が一人の人間に何かの切っ掛けで飲み込まれた…?」

竹之丸はそこで玄蒼市からのデータをオフライン端末で示しながら

「ついさっきよ、それについて玄蒼市に見解を求めたら予想通りというか
 百合原って女が食いついてきてね、読んで」

「『或いは錬金術派生で呼び出された悪魔と人がお互いの主導権について
  折り合いが付く場合、どちらかの要素を強く残すこともあり得る…らしい』
 とありますね…、これがまたどういう事なのか…」

「そういう例があったらしいのよ、人間側が主導権を持った…
 「単純な融合デビルマン」ではなく「悪魔の能力を持った本当の意味の「魔人」」
 という例が…過去百数十年間で数件…そしてそれより遙か昔…
 中世から近世に掛けての欧州で…大真面目にデビルマン作りを研究した結果
 その意に反して「詰まり契約によって縛られた悪魔の状態ではなく人として」
 悪魔の力を得ることでその研究者を返り討ちにして野に下った「魔人」…」

裕子は長いレポートを読みながら

「…はい、書いてありますね…しかもその内の一つ…
 彼女の探偵社の社員一人が「元」魔人であった…とも…」

「なぜ「元」になったかは正確には分からないけど、英国からの調査として
 玄蒼に送られたはいいけどその玄蒼市ならではの風土によって変質したのではないか…
 どうもそれが、その社員の第一の仲魔として半ば分離した形で落ち着いた…
 しかし切っても切れない縁、六百年くらい、年も取れず過ごしている…らしい」

「向こうの科学や魔術を持ってしても解明が難しいと言うことですわね…」

竹之丸は珈琲を飲みつつ

「それについてもレポートには書いてる、今現在の玄蒼市の魔術なんて
 方言はあれどほぼ体系化された物、昔の一学者が手探りでまぐれ当たりを掴んだような
 成果の詳細なんて「成果を示した書物が残されていない限り」永遠に分からない、とね」

裕子も半ば溜息をつきながら

「そうですわよね…なるほど…詰まりデジタルデビルとしての「魔人」ではなく
 現実に何か事情があって「そうなってしまった」魔人が居て…「彼女」の場合
 後者である可能性が高いことになりますね」

「そして本人に記憶がない限りもう真相なんて分からない訳よ、
 あれは記憶喪失じゃない、完全に経験自体積み直さなくちゃ行けない「真っ新」に近いのよ」

「…魔人としてもかなり特殊…そういう事になりますわね…」

竹之丸は機材で開いていたデータをとじて別なタスクを走らせつつ

「ああ…裕子、話は変わるんだけどさ…
 これは弥生にも報告済なんだけど、「祓いの光・電磁波置き換え仮説」
 勿論そのまんまじゃないけど、正しそうだ」

「え…! それでは…!」

「丘野はともかくとして、大崎の一昨年前とついさっき取ったデータから
 確かに「見えない波長にも祓いはある」事は確認した、
 違うのは電磁波と違ってそのまま光子一個分の持つエネルギー…振幅の違いでは無く…
 「効果の差」と言うところに現れるというか…
 電磁波はその振幅から来るエネルギー差で作用が違うけど、
 祓いはそこまで複雑じゃない、結構単純なことだった」

「細かくは判ります?」

「そこはもう少し整理が必要なのと…あと一人が持つ祓いの幅って言うのかな
 例えば同じ天野系でもピンポイントレーザー的な絞りで威力を出す光月的なのと、
 体含めた武器や格闘という「全身」でそのまま体現するのでは他の波長も
 絡んでくる、まぁ音で言う「倍音」のような物でその辺変わってくる」

「倍音…なるほど…それなら同じ十条でも叔母様のようなタイプとわたくしのような
 タイプがある事も納得が行きます」

「大崎が電波波長タイプで完全に目には見えない、ただ倍音成分で
 今後は探知の精度や直接祓い、自己修復くらいのことは出来るかも知れない、
 本人にもそう伝えた」

「丘野さんのような「語り部」はどうなるのでしょう」

「これも主に目には見えない…正しマイクロ波~赤外線領域的なんだけど、
 丘野の場合貴女や弥生からの師事もあって倍音成分がちょっと強くてうっすらと
 青緑っぽい光で見える、光で見ると弱々しいけど、
 「読み」の時の丘野の赤外領域は半端ないわ、地味に語り部としては上位なのかも
 比較対照がないのでなんとも言えないけどピークが光月と遜色ない」

「なるほど…納得出来ます」

「で、貴女は倍音が緑側に大きくて、勿論ピークは青で紫外波長にも行ってる、
 かなり綺麗な青だけど、緑側にも結構なピークがある、
 なるほど治療向き…正し青側の特徴としてその程度が緑の四條院とはだいぶ違う
 発揮のされ方をする…まぁいわゆる「無かったことにする」って具合だわね
 貴女はこれから医学を勉強するわけで、短波側で細かい指定も出来るようにもなるでしょう
 紫外領域の振幅を上げられたら、無敵の癒やし手になるかもね」

「…わたくしは詰まり「細かく何をどうと指定し手術するように集中するような
 祓いを鍛えればそこにたどり着けるかも…と言う感じでしょうか」

「医学の道に進んだ事は完全な正解だったね」

親にも弥生にも多少迷惑というか心配を掛けたわけだが「それが間違っていなかった」
事を裕子は悟り、強い表情で微笑んだ。
竹之丸もそれに応えて微笑み

「葵クンが判らない、あの子だけは、ピークが何処に来ても無い
 弥生に師事していたから青に若干膨らんでいるけど倍音も何も無いのよね
 だから葵クンの場合は天野的な育て方、四條院的な、語り部や探査、
 或いは全部試さないと判らないかもね、ただ、才能の塊だって事は判る」

「なるほど…「特性」が見当たらない…ただその膨大な祓いで全てを粉砕する…
 という荒々しいまま…と言うことですわね、判りました、その辺りも
 色々考慮に入れてみます」

「ええ、弥生からも「裕子にヨロシク」って」

裕子は頷いた

「と、ここまでの流れからすると叔母様…稜威雌持ち六人の系統というのは…」

「弥生の祓いが青白く見えるのは波長じゃ無い、その祓いのすさまじさが
 他の波長を喚起して全波長っぽく…白っぽくカモフラージュが入るだけ
 裕子とは真逆で青にピークが入って長波長側にもピークは幾つもあるけれど
 紫をすっ飛ばす勢いで紫外領域からX線波長領域にも大きくピークがある、
 極めたらガンマ線領域も行くんでしょうね、それで出来ることは…
 医学的にはそれこそ体を開くこと無く腫瘍だけを焼くとか…矢張りそこは
 電磁波と似たような凄い限定的な、でも呆れ返るほど強い効果になるでしょう」

「叔母様は今…」

「今というか体無い訳だから、最後のデータの時点…罠に嵌まる数日前なんだけど
 その段階ではガンマ波長側にも手を掛けては居たみたい」

「凄い…」

「ええ、桁違いだわ、波長の長短がそのまま強さに直結しないって言うところが
 電磁波と違う所だけど、ピークの天井がまた高くってねぇ…」

裕子は固唾を飲み

「四代の仰有っていた「先代の遠い背中」が今こうして科学的に客観的に
 感じられるようになるとは…」

「全くだわ、弥生は桁違いよ、そりゃ敵も弥生だけは潰しておきたくなるでしょうね」

「あのこれ…全国のワケあり病院で検査方法を共有することは…」

「直近として奈良組と京都組でしょ、判る、だから検査方法は教えておいた。
 ただデータの読み方はこっちじゃ無いと精密な分析出来ないから
 送って貰う形でね、んで既に玄蒼市側にも「面白い空間」の情報と共に
 弥生のデータも送っておいたわ、「仮の体」とはいえ、一助にはなるでしょうからね」

「そうですか…これで何もかもが進んでくれると良いのですが…」

「まーあとは「木下真美」についてだけね、そこは裕子に任せるわ」

裕子がちょっとビックリして

「わたくしですか?」

「青い祓いに覚えがある気がするっていうその一言だけが彼女の基本的な記憶以外
 唯一の「憶え」だからねぇ」

「なるほど…」

竹之丸は裕子の持った荷物を見てちょっとニヤリとしつつ

「どのみちお見舞いには行くつもりだったんでしょう、ここは病院だし
 どうしても食事は色々制限入る、とはいえ、彼女は淡々とそれも食べていたけど」

裕子は少し顔を赤らめ

「あ…あの、では、お見舞いに」

「…ちょっと好み?」

益々顔の赤くなる裕子だが

「そ…そうかもしれません、でもそこはまた別ですよ」

「ま、早く行ってあげな」



札にある「木下真美」の名前、どうやら仮名がそのまま名前になりそうだな、
と裕子は思いつつも個室に入ると、かなり本気でビックリした。
本、本、本…恐らく竹之丸経由だろう本が沢山積まれていて彼女はただ只管それを読んでいた。

真美は裕子に気付き

「やぁ」

「…あ、どうも…怪我自体はありませんでしたし、退屈でしたでしょう」

「…そうでもない、面白い、世の中には役に立つ立たないでは無い智が山のようにある」

確かに中にはただの小説や雑誌も含まれていて専門書ばかりでは無い。
裕子は少し微笑み椅子を出して近くに座り

「横溝正史ですとか北杜夫ですとか…色々ですわね」

「ああ、十条弥生…君の叔母さんって人もこの辺好きだったらしいね、
 ただ横溝正史は会話が固すぎて、北杜夫固くなるとやや目が滑る…とか」

「それは竹之丸…山手先生から?」

「教えて貰ったんだ、君という人を知るのに、必要だと思ったんだ」

ちょっとドキッとした裕子だが

「それは何故…」

「君が…「救い」に見えたんだ…どう言う意味でなのかまでは判らない…でも直感に近く」

裕子が益々赤くなった。

「といいますか…その、青い光を知っているかも知れない…あの一言が
 わたくしには忘れられなくて…」

「うん…思い出せないんだ、でも、その光は…何か物凄い力強い希望…とだけは刻まれていて」

「…そうですか、これから…少し色々手続きが大変になるかも知れません、
 貴女に戸籍を作り、一人の日本人として生きて貰わないと」

「…それは構わないんだけど…参ったな、どこから何に手を付けたやらなんだ
 それもあって色々読んでいる」

裕子はそこでふっと横溝正史の「白と黒」の単行本を手に取り

「探偵って…如何でしょう…一応日本の法律上何か免許が必要というわけでも無いので」

真美は読んでいた本にしおりを挟みとじて天井を向き

「探偵か…自分を知るにもまず人間という物を知らなければならない気がする
 そう言う意味では…ほぼ人間の裏側を知る仕事になるのだろうけど…」

「反面教師、と言う物の見方もあります、如何でしょう、
 わたくし、叔母様の後を継いだのは良いですがこちらの大学に通ってまだ二年目
 と言う学生でもあるのです、しばらくは叔母様の作成した報告書などから
 仕事を覚えて…」

「…ただ、私に祓いはないんだよね」

「ああ…そうでした」

「…でも、戦える気はする」

「…ん、少し試してみましょうか? 屋上ででも…」

「そうだね、君も強そうだから遠慮は要らないかな」

その言葉に少しドキッとした裕子だった、裕子の力量をどことなく測っていて
裕子となら「稽古になる」と言っているのだ、この人…かなりの使い手なのかも知れない。



ワケあり病棟の屋上を祓いで仕切り、結構な動き回りも可能な空間を作った

「…なるほど…」

「うっすらと目に見えると思います、感じるとも、
 そして外からはわたくし共はほぼ見えません、その姿を記録することも」

「判った…、私は今どうやって動いたらいいのか判らない、掛かってきてくれないかな」

「はい、では…」

歩いて間を詰め、格闘の領域に入ろうと言う時

「待った、そこは私の間合いだ、そこでいい」

瞬間、何かとてつもなく鋭い突きが来る!
裕子は祓いの防御を集中最大展開でそれを払う!
祓いの領域が幾らか破壊されていて咄嗟の事とはいえ向こうも本気では無いだろう、
裕子は戦慄した。

「…なんて…破壊力…魔に近い…でも魔でもない…何か…純粋な「破壊」…!」

「良かった、君が強そうだからこっちも割と本気で殺すつもりだったんだ…
 受け流してくれて本当に良かったよ…間合いと威力は…何となく手探りだけど行けるかな」

「…真美さん、貴女なら…無念の祓いという面以外の…そう、魔の進行という意味でなら
 やれます…、祓いが必要な場面ではちょっと手を抜いて貰わなくてはなりませんが…
 貴女なら、「仕事」も引き継げます…!」

「…うん、それもいいかな…ただ、あの人(竹之丸)がいつまで私を調べるか
 それにもよるから、いつから君のところに行けばいいのか」

「なるべく早く願うよう伝えます…!」

「判った」

そして真美は裕子の額に額を寄せ

「…うん、やはりこの感じだ…不思議だ、これだけは何か覚えがある…」

裕子はもう完全に落ちた、されるがまま、真美を見つめていた。

「私が何故こうなったのか…私は何故生まれたのか…もう今となっては何も判らない
 …或いは…これから積み直す事で見つけられるのかも知れないな」

「出来ることは致しますよ、貴女に社会的な立場と保証を付けることとか…
 住む場所、仕事…」

「…殆ど全部だね…w この際は有り難く享受するよ」

ドキドキしながらも裕子は慎重に少し上目遣いで

「あの…貴女には…その…」

夕暮れの中、ほぼぴったり寄り添った二人、額は触れたまま、真美はフッと微笑んで

「聞きたいことは判る、でも自分の嗜好など思い出せない…
 ただ、あの人(竹之丸)も君も…同性愛者…弥生という人も、葵という子もそうだって
 事は聞いているし、何となく調べはしたよ、本で判る事なんて微々たる物だけどね
 だから…君が欲しいと言うなら、応えよう
 ただ私には、恋愛という物も分からない、君に応えるこの気持ちがそれに当たるのか
 それも分からない、それでもいいなら、私も出来る限りの礼はする」

裕子は真っ直ぐに真美を見つめ

「そんな損得ではありませんよ、応えたくなったら、でいいのです
 …正直その…私…一目惚れ…って…初めてかも…」

「光栄だね、嗜好の特殊さとかじゃ無い、その気持ちが」

これだけはなんとか書物から得たのであろう、真美は裕子にキスをした。
裕子も気持ちたっぷりにそれに応えた。
あの、壱年前の「夢の宴」で感じたような、安らぎの気を感じる
自らがそれを発している、それが判る。

「…どうあれ、私にとって君は…重要な人になると思う」

裕子の胸に甘酸っぱい思いが広がった、弥生に対して抱いていた「憧れ」とも違う
今自分がこれを抱いているのだという感覚。

「…貴女の服を…先ずは選ばないとなりませんね」

「そこは…本から探しておくよ、私の体中の数字は恐らくあの人が知っていると思う。
 その分の費用は…取り敢えず頼るけれど、きっと探偵仕事を引き継いでお返しするよ」

裕子は微笑んだ





その週末、真美が弥生改め裕子宅にやって来た。

「…凄いところに住んでいるんだな…、しかも二軒分…何となくこれが
 「普通有り得ない」って事だけは判るよ…」

黒いスーツが基本だが弥生よりはもう少し体の線の出やすい上着にリボンのような物を
ネクタイのようにしてあり、弥生は前のボタンをしめなかったが
真美はキッチリ上着もボタンで留めていた。

「叔母様の学生時代の稼ぎと、お婆さまの遺産とで先ずはそうしたそうですよ」

「仕事…か」

「祓いの他にも色々やっていらっしゃったようです、特備の方に行けば
 その資料もあるとは思いますが、わたくし共にはそう言った「枠外の仕事」
 話してくださらなかったんですよね」

そこへ住居部分にいた葵と友人達が

「おかえりー、その人が真美さんって…ひ…と」

受ける印象は思いっきり冷めた時の弥生に近い、でもその心が空っぽである事も葵には判る。
何もかもを手探りでこれから探さなくてはならない悲哀や苛立ち…そう言った物を感じた。

真美はちょっと驚いた表情で

「この子が葵? …凄いな私と真逆に居るような子だ、可愛い子だね」

真美が微笑んで葵を撫でると、気を遣ったのだろう、葵の霊会話で

『こんなにひとりぼっちな魂見たことが無い、苦しいでしょ? でも、ここに居れば
 何かが満たされると思うから!』

真美はフッと微笑んで葵にキスをした。
何となく弥生がいつも葵にするような、そんな雰囲気にも近かったので「おおっ」
とは思ったが、それは別人。

裕子がその様子を見て

「やはり葵クンには何か大きな物が潜んでいると真美さんも気付かれたようですね」

「…ああ…、確かにここでなら…私は何故・如何してを埋めることが出来るかも知れない」

一通り高校生組に紹介をしてから

「あのインドラジットの暴れた範囲で唯一の生き残り…ただし「戸籍上存在しない人」です」

ちなみに、人質になった女性は既に死んでいたのだった。

「私も自分が何者なのか判らないんだ、ただ、どうも悪魔の力を潜ませているらしい
 潜ませているらしいがそれも変質しているという、自分が何者なのか
 何故こうなって、如何すればいいのかも全く判らない」

真美の空虚な呟きに、裕子は

「でも、恐らく剣技はかなり体に染みついておられるようです、
 現物の刃では無い真美さんの「力その物の具現」という剣なのですが」

それを聞くと、高校生組の優が

「じゃあ、あの、お手合わせ願えませんか、ただ、折らないでくださいね」

優が楽器入れのようなケースを持ってきて開けると、そこには三尺程の太刀がある。

「え…優、なにそれ」

里穂が思わず聞くと

「もうみんなとは進むべき道も少し違うと判ったから教えるね、
 弥生さんから受け取った物なんだ、多分私は力を付けると普通に生きては死ねないタイプ
 でも私はやる気だったから、だからこの太刀をくれたんだと思う」

「でもだってそんな…「もし」があったらどうするの」

南澄の言葉に優は涼しげに

「母には感謝する部分もある、でも、あの人も何かちょっとおかしいし
 私もそんな血を継いでるんだよね、あの人が一生懸命に働けば働くほど
 家事とかのしわ寄せこっちに来るし、もう慣れたけどさ。
 「早く私に楽させてよ」なんて台詞、聞きたくないんだよね、その気の有無は全然別でさ」

判る気はする、優の家は母子家庭で優の母親も飲み屋で働く、
別に悪い人では無いのだけど、でも優の家はなんだか殺伐としていて
余り居心地の良いところでは無かった。
優は太刀を腰にしながら

「あの人の血なんだと思う、ただし愛情の前貸しで自分が楽をしたいからとかじゃなく
 自分が生きるために自分の何もかもを捧げるような何かがあって…
 それがこれだったって事、剣術も抜刀術も習ってるけど、足りないんだよね
 だって命のなんて掛かりっこないような前提でやってるんだから」

その言葉だけなら「ただの反抗期のようなもの」と言えただろう、
しかし優はそれで祥子と二人で篠路を守り切り重症を負ったのだ。
その覚悟は本物だった。

「…判った、私もまだ何処まで出来るか知らないし、刀を折ることは
 君が言うほど簡単なことじゃないよ、やってみよう」

和室に入り素足になってお互いの間合い近くに身を置く。

「…凄いな、凄い殺気だ、いいよ、凄くいい」

真美がそれを満足げに言うと、優も

「真美さん、二刀遣いですね…、どっちも凄い力量なのが判ります」

えっ、と裕子が思った。
裕子でも真美が二刀流だという事までは判らなかった。
そこは矢張り、「剣を極めんとするモノ」だからこそなのか…

葵が物凄く心配そうに見ていた、力の見極めとかが出来るのなら判るはずだと思った。
でも力量差を判っていてでもやめようとしない優を心配した。

正面向き合っての一瞬の凍り付いたような時間の後、金属音が響いて
二人が密着するような形になって止まった…!

「…凄いな、現代人かい、君は…」

真美の剣の片方は優が鞘と共に祓いで押さえていたし、
もう片方がその腕と共にお互いを牽制しつつお互いの胴をもう少しの所で止められている。
ただし、力比べをすれば完全に真美が勝つだろう事も判った。

「…私にもどこか遠くに十条の刀使いの血が流れているかも知れません、
 記憶を受け継ぐまでの事はありませんが、でも…彼女達の人生は私を芯から
 奮い立たせるんです、例え、それがどう言う形であれ…必ずその一点を狙う…」

「それには、まだ修行が必要だね、確かに今この現代じゃ君の領域に満足する
 師匠なんてまぁ先ずいないだろう、判った、君の面倒は私が見るよ」

「有り難う御座います」

二人は緊張を解き、優は太刀を鞘に収めた。
太刀と言うからにはそれは天神差しで反りを下にした稜威雌と同じ持ち方である。
その太刀も稜威雌ほどではないがやや腰ぞりで反りの後は直刀に近い。

高校生組は優が物凄く遠いところに行こうとしているのを感じた。
凄く近くに居て、ごく普通に接しているのに、でも彼女が見ている地平は
自分たちと余りに違う「死中に活を求める」ような生き方。

「あ~、まだまだだなぁ、本番じゃなくて良かった」

なんて軽く言って皆のところに戻ってくる、それはもういつもの優だった。
葵は物凄く心配したけれど、そんな優に

「無謀だけど…弥生さん達稜威雌使いの何かがそうさせちゃったんだね、
 弥生さんも、こう言うところでも罪作りだなぁ」

優はカラッと笑って「そうだねw」と応えた。

「私は益々その「稜威雌使い」というモノを知らなければならないな…」

そこへ葵が

「動画なら二年前の新宿での戦いとか、後は去年春までユキさんが撮ってた
 動画がパソコンに入っているはずだよ、見て見るといいと思う、
 でも、ボクが見る感じ、真美さんと弥生さんは何かが根本的に違う気がする」

そこへ葵に押されるように裕子が

「ああ…あと…丘野さんの「朗読」が初代から五代までありますので…
 それも聞くと宜しいかも知れません」

「朗読…? あの先生が言ってた「語り部」…丘野って子の事かな」

「ああ、そうです、録音したモノからでもある程度…それこそ稜威雌様がありますので
 響きやすいです、数日はどのみち仕事を覚えたりなんなり忙しいでしょうから
 週末はまず叔母様とそれに纏わる血の記憶をお伝えしましょう」

そこへ葵が稜威雌を持ってやって来て

「この刀だよ!」

真美の表情が少し凍り付いたのが判る、いつも飄々とした…生気の抜けた感じなのに
そこに初めてなにか「畏れ」のような物を感じた。
葵が真美へ稜威雌を渡すのでそれを真美は慎重に両手で受け取りつつ

「…これはなんだ…何かがここに居る…」

そこへ裕子が

「ああ…いつ何時も現世(うつしよ)に在りその持ち手と共にあった刃に宿る神なのです
 ですので、今に言う「LNC(秩序・均衡・混沌)」属性には当てはまっていないかも」

「これは…格が上だ…いや…私もその和(LNC属性)から外れたし、寄りこちらに近い
 と言えば近い…だからこそ判る、何者なんだ、こんな桁外れな力を奮う血とは…」

「それを知るには、遙か七百三十年を遡って語り部の朗読を聞かなければなりません」

「ただの人間…いや…「祓い」というのか…その力を持つという事は
 行き着くとこういう領域になるんだな…興味が益々深まった
 朗読の前に、十条弥生の動きを見ておきたいんだけどいいかな」

「いいですわよ、あ、皆様も…新宿のは何度か見ましたけれど、
 それ以外の事件記録は見た事が無いでしょう、中にはわたくしや葵クン…
 蓬さんや光月さん、丘野さん祥子さんを記録したモノもあります」

優が自分たちとは違う方向へ行こうとしている、でもだとすれば尚更、

「見ます! 俺達はここからなんとしても「皆で生き残る」道を探さないとならない」

中里君と駒込君が交互に言った。
真剣だった、友人を死の淵に置いたままにしておけるかという意思も感じる。
裕子は微笑んだ、葵は優を見ると、優はちょっと苦笑気味だった。

そして、数々の記録された「特備絡みの祓いの仕事」を先ずは皆で見た。


第三幕  閉


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