L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE:SEVEN

第五幕


「裕子ちゃーん、もう少し高く飛ぶか、領域指定で回りから見えないようには出来るかなぁ」

「申し訳御座いません、今のわたくしではそこまでは…」

「そっか…やっぱ弥生さんって凄いんだなぁ、難なく訳なくやっちゃうんだもの」

「十三歳からこの稼業をしていらっしゃいますからね…経験が段違いですわ」

「うん、判った、アトシマツとかは私に任せて! 思いっきり行こう!」

そのあやめの言葉は、まだまだ駆け出しの二人には心強かった。
あやめから元気を少し貰って「ソイツ」を追う、
矢張り「ソイツ」は弥生のマンションの方角に向かっている。
葵は不安になり、呟いた。

「今の弥生さんでアレを迎え打てるかなぁ…」

「…それは出来れば避けたいですわね…スピードを上げて手前に回り込みましょう!
 マンションも見えてきてしまいましたわ!」

スピードを上げ「ソイツ」を追い抜くそんな時、裕子に抱きつく志茂の片目が
ちょいと見開いた。

「…あれ…」

マンション十二階のベランダ手すりの上に日本刀を左手に構え立つ、それは

「弥生さん!」

葵とあやめが同時に叫んだ。
その姿、ぱんつ一丁にキャミソール、目も半分据わっている。
弥生はためらいもせず「ソイツ」に向かって飛びかかり

「抱いて欲しい癖に抱いてくれとも言えないようなのぁ気に入らないね!
 抱きたいのに抱かせてくれとも言えず襲うなんてのは以ての外だ!
 いいかい、セックスなんてモノはちょいとでもお互いにキモチが通い合うモノがあるから
 行為として…成り立つんだ!」

弥生がぱんつの左側に鞘を挟み、初代の刀を抜き、左手を刃に添えながら

「一方通行のセックスなんてのはなぁ、オナニーと同じなんだよ!」

弥生と「ソイツ」とのすれ違いざま、誰もの目に一瞬時が止まったように感じられた。

「また…詰まらんモノを斬ったか!」

あやめは『それじゃ石川五ヱ門だよ…』というツッコミを心の中でしたが、
「ソイツ」の体を構成していた淫の気はことごとく祓われ、むき出しの核…つまり
「ソイツ自身」が落下して行く。

「あ、やばい…!」

葵や裕子達がソイツを受け止めるのと弥生を迎えるのとで追って行く。

「やっぱり桁違いだなぁ…この人は…」

地上に降り、「ソイツ」も葵が保護し、あやめが手錠を掛け本郷に確保の連絡を入れる。
弥生はまだ本調子ではないようで、既に阿美も出掛けてしまっていたらしく
迫り来る淫の気に一気に不機嫌になったようだった。
祓いの一撃とその身体能力の確保だけはしたものの、いざ着地をした後はちょっとフラフラしてた。

「…しょうがないな…私も後で行くけど、とりあえず弥生さん寝かしつけるのに
 ここは残るよ、あやめ達は早く署に戻って、本郷警部から許可降りれば裕子も葵ちゃんも
 二人とも学校には間に合うでしょ」

志茂が自分の上着を弥生に着せて支えつつ、三人+一に声を掛けた。
志茂の車は中央警察署駐車場、あやめの車は現場側である。

「あー、もし何だったら私の車使っていいわよ」

とちょっと具合悪そうな弥生が、それでも状況は見えているらしく
「飛んでここまで来たと言うことは車は今ないのだろう」と言うことは把握していた。

「あ、そーだ、今の状態じゃインキーに近いよ」

葵が「ソイツ」の拘束を裕子とあやめに任せ、自室へジャンプで戻る。

「改めてハイパーだなぁ…」

あやめが困り笑いというか、複雑な表情でそれを見送った。
ややもして葵が普通に玄関からやって来る、「玄関の鍵は開けた」と言うことで
その手には車のキーも握られている。

志茂に支えられ家に戻る弥生はそんな葵をちょっと弱々しいながらもニッコリ笑って
その頭を撫で、

「そう、このくらいの積極性がなければね」

と言って部屋に戻っていった。
ちょっと顔を赤くしながらあやめ達の元に戻る葵。

「叔母様のことですから、外から鍵を開けるなど造作もないことなのでしょうが
 車のキーを取りに行くことなど出来る事を見つけてさっさと動く、
 その積極性が叔母様のタイプという証明ですわね」

裕子が葵に微笑み掛けると葵は更に赤くなったが、

「まぁまぁ、とりあえずコイツ連行して署に戻ろう、全部そっからだ」

あやめが「ハイ、そこまで」を入れて場を収め、MT車も運転できるので
弥生の車でとりあえずは署に戻るのだった。



そこから数日は本郷が突入隊の指揮を執ったことで火消しに参加できず
基本的にあやめ一人で映像記録の抹消などに走らねばならず、地獄の日々が戻って来た。
秋葉が飛行ルート上の辺りで協力を仰げそうなかつての同窓達などに声を掛け、
多少は軽減されたモノの…

葵や裕子、志茂も捜査協力で学校や仕事の傍ら毎日警察に出頭して情報の整理や
見解の統一などをせねばならず、また「面倒くさい大人の世界」を垣間見た。

弥生はあれから二日ほどまた調子を落とし、ほぼ寝ていたが、なぜかずっと
初代の刀を手に持ったままであった。



地下の街であるが、あれから件のマニア二人には正式に捜査協力を依頼し
地図の戸塚氏にはその成り立ち、その街独自の教育…教科書などを押収できたので
言語に関する分析を杉田氏が担当することになった、公式な捜査協力…つまり
真っ当な「仕事」というわけで彼らにとっては「好き」が実った瞬間でもあり興奮した。

実は、一定以上の年齢…70歳より上と思われる世代…殆どいないのだが…は
日本語が普通に判るらしいのだが、黙秘を続けていてそれ以外の人物は
言葉が通じないと言う事で取り調べは非常に難儀していた。

朧気に見えてきたその街の成り立ちは矢張り明治時代…1890年代らしい。
部分的には公的な工事で作られていることから、市役所…或いは道庁などに問い合わせ
判った事は「確かに日露戦争や太平洋戦争の煽りで一部要塞化、
 或いは避難場所としての施行はしたが余りに効率が悪く頓挫し、
 埋め立てて破棄されたはずである」とのことであった。
要はそういう所は掘り返して「再利用していた」わけである。
丈夫に作られているので、発電所や工場…町工場みたいなモノだが…を主に
そう言う場所に置いたようだ。

一般施工会社では資料自体が古すぎて判別が難しいか、資料自体が役所預かり
と言うことでそれまでマニアも手が出なかったようであった。

全容が見えてくると、段々と本来の目的と今のズレが見えてきた。

途中までは天候に依らない安定した場所の確保くらいの意味合いだったらしい。
それが、戦争やら何やらの影響で、社会主義が入り込んだり、宗教的になっていって
今があるようだった、つまり最後に少なくとも葵に怪我をさせた老人は
今現在、あの地下に住まう人達に必要以上に外の情報を与えず、何とか
全体主義的なようで、貴族社会を作っていたようだったのだ。

なので、自力で「外に出る方法」を見つけてしまったあの窃盗犯…彼の存在が
余りに異質であったが、得体の知れない何かがあり、手に余していたところに
とうとう裕子や葵が公的権力をひっさげて調査に乗り出して全ての破綻が始まった。

「およそそういう事なのだろう」という筋道だけは立てられた…しかし裏付けが取れない。

狸小路の「彼ら」を利用してきた人々も一旦「そうなって」しまうと薄情なモノで
知らん顔で襟を正して普通に普通のコストで動き出してしまう。
本郷は渋い表情(かお)をし、あやめはそんな彼の表情に「仕方ないですよ…」
と言うほかは無かった。

「かれら」は一体どうなるのか…これは大問題であった。
二人逮捕者が出ていること、そのうち一人が地下都市が完全独自路線になる切っ掛け
だっただろうと言う事で重罪は確定なのだが、何しろ首謀者格は頑として口を割らない。
一般の地下民は何かを言いたいようであるが何しろ日本語を知らない。

杉田氏の懸命な翻訳作業が実を結ぶには今しばらく時間が必要であった。

そんな何曜日かの事である。
警察署に巫女が現れた。

「弥生! なにそれどーしたの !?」

秋葉がいち早くそれは弥生だと気づいた。
弥生は古風な中分けの髪型にセットし直し、背中の中程で一度結んでいて
薄くではあるが肌の色などを整える為に化粧もしていてアイラインも入れて紅をさしていた。
弥生が秋葉を見てにこっとしただけだったので続いて

「車そういやこっちだよね…まさか歩いて来たの? 凄くなかった?」

「凄かったw 外人さんもそうだけど、日本人もこうなると別なのかすげぇ撮られたよw」

「なんでまた…っていうか、弥生、それ持ち歩いてきたの?」

弥生は日本刀まで持って来ていた。

「凄いよね、婆さんは明治時代とは言えこんなカッコウで街中闊歩してたんだよ」

「いや、えーと、師匠の人だっけ…それはいいんだけど…なぜ?」

弥生はちょっと「うーん」と一考し

「「お告げ」みたいなモノかな、口割らない奴ンとこ連れてって。
 捜査権は付与されてるんだ、私は最後の最後で返り討ちにしたとはいえ
 襲われた身でもあるんだから、事情聴取させて欲しい」

「「お告げ」とかそういう風なことをそんなカッコで言われちゃぁなぁ」

秋葉は本郷に連絡を取り、弥生は取調室に向かうのだが…
合流しようとしていた本郷とその他捜査員達が固まった、「いつもの弥生じゃないから」
ではない固まり方だった、とても驚愕していたのだ。
弥生がニヤッとして

「効果ありだね、聴取させてくれるね?」

本郷がやっと絞り出した声で

「あ…ああ…」

弥生をまず聴取室の隣で面通しして

「うん、あの年齢で直で婆さんを知るはずはない…けど、まぁ行ってくるわ」

弥生が面通しの部屋を出て、聴取室に入ると、老人は正に「魂消た(たまげた)」

面通しの部屋にいる捜査員が本郷に声を掛けた。

「生き写しとはこの事ですね…」

「直の血筋じゃないだけで同じ一族だからな…」

この事態は一体どう言うことなのか…なぜ初代弥生が今ここで?



「言ったはずだよ、たびたび大火に焼かれて札幌から逃げ出されたんじゃ
 お上も敵わないだろうから、地下にでも一時仮住してはとは言ったけど
 安定してきたら地下生活なんて不健康極まりない習慣は捨てるんだねってさ」

「っていうかさ、まぁこれは直でアンタが悪い分けじゃないんだけど、
 上に住み続けた人達と地下に住み続けた人達で連携が出来ちゃって
 実際に地下生活を捨てた人達も居たことからお上にも本格的には目を付けられず
 地下生活で逃げ回るウチに符丁が出来て行き…まぁそこまでが初代の記憶さ」

弥生は一貫して日本語で喋っていた。

「大正デモクラシー…今一般にそう呼ばれている期間を越え…
 昭和の戦争期には今度は共産主義が跋扈し…アンタはそう言う活動家を
 親に持った人だよね、多分さ、そしてその活動拠点に地下の街に潜んでた…
 下手に立憲君主制なんて敷いてるからイカンのだって言うね…
 トコロが戦争が終わってみたらどうだ、GHQの方がよっぽど悪辣だっていう有様だw
 古き帝国時代の日本を偲びつつ、アンタかアンタの親はそこに信仰を一つ作り上げ
 その教祖的存在に収まる事で己の存在意義を満たそうという訳だ…
 符丁を暗号に、そして言語にまで昇華させたのは親の世代かな?
 大した苦労だとは思うけどさ」

弥生は一息置いて

「宗教一つひねり出すのに明治の住人達がその惨状から持ち帰った
 「祓い人・十條 彌生」の活動記録を元にしてまさか女神として担がれちまうなんて
 死んだ彌生も夢にも思わなかっただろうさ、まぁ元からヘンに慕われていたようだから
 担ぎやすかったと言えば易かったんだろうけどね」

寝込んでいたはずの弥生が何故それを知っているのか?
葵は居るにしても、捜査の全容などは知るはずもない。
というか相手は口すら割っていない、何故それを知っているのか?

老人はすっかり観念して、そして口を開いた。

「貴女は一体…」

それは日本語だった、矢張り古い世代は日本語を話せるはずだと踏んでいた
本郷達は予想通りだったことに「やった!」というキモチと、
「だからこそ」口を割らなかったその据わった根性に腹も立てた。

「直の血縁じゃあないが…知ってると思うけどね、あの人は死ぬまで独身だったからさ
 …だが私の名は「十条 弥生」そしてこの刀は…先代が死しても尚手放さなくて
 地下民達も持ち去れなかった遺品を受け継いだ十条の祓い人さ」

それを頂点として作り上げた宗教の正に「生き写し」がそこに居て
その「聖なる武器」も受け継いだ正式な二代目という訳である、これはもう
彼には降参するしか無く、供述を始めた。
概ね弥生の追及をなぞり、肯定する内容だった。

「教祖」が口を割ったことで一気に捜査は進んだ。
翻訳の方も進んでいて、少しずつ地下民達とのコミュニケーションもとれるように
なっていって、やはり「明治の祓い人・十條 彌生」は神格化されていたようだった。

というのも、先程も触れたが押収物に初代が…或いはその近しい人がしたためたのであろう
活動記録などが「聖なるモノ」として祀られていた…そう、あの自転車もだ

初代が大きな祓いの果てに成功しつつ命も落としたことは先で触れたが
その時遺体と刀以外で残ったモノ殆どが地下民に持ち去られてしまった。
それもあって活動記録が殆ど無かったのだった、そしてこれは当時の十条の記録にも
無い事であったが、初代はほぼ勘当の身であった。

一通り供述が済んで、細かい所に入る時、本郷達と弥生は入れ替わった。

「助かったけどよ…一体どう言うからくりだ?」

「信じる信じないを別にすれば後で報告書は出すよ、公式には採用できない報告に
 なってるけれど、まぁ、本郷くらい頭がテキトーに出来てれば納得はするかも?」

「そう願っておくわ…いや…それにしてもビックリした…
 押収物に厳重に保管されていた明治の写真の中に…巫女姿で刀を持った女…
 矢張りアレは先代なのか…なんか印象似てるとは思ったが…」

「写真に何もキャプション無かったの?」

「無かったんだよ、文章記録で十條彌生に関する活動が何故かある事は判っていたが
 写真がその彌生なのか? 確信がなかったんだが…お前見て確信したぜ…」

「私は彼女が昇華成仏する時に一回直でお目見えしてるからね、
 古い写真じゃ伝わらない細かいニュアンスもばっちりさ、似てるでしょ?」

「ああ、こっちも魂消たよ…お疲れさん、休んでいってくれ」

「ええ、そうさせて貰うわ、化粧も落としていつもに戻りたいし」

「あ、いやいや…捜査員達に見せて回ろう、こうなったら全員驚かせてやる」

「アンタも趣味悪いねぇ…w」

と言いつつ、ちょっとそれも楽しそうと思ってノった弥生であった。



一通り捜査員達を驚かせた後(流石に地下民達には会わせられなかった)
あやめや捜査協力に来ていた志茂も仰天し

「外出て撮影会しましょう!」

とか大興奮する志茂に少々付き合いつつも流石に疲れてきた弥生は
持参してきた「いつものカッコウ」に戻り、特備でコーヒーを一杯、一息ついた。

「なんかここ数日弥生さん、刀と共に寝て起きたら一心不乱にノートパソコンに
 何か打ち込んでてこちらの捜査に興味がないかのようだったって葵ちゃん
 言ってましたよ? それで居て何であんなピンポイントな…」

あやめは未だ醒めやらぬインパクトに胸をドキドキ…というかバクバクさせて
(明治の人が目の前に! という心臓に悪い的な衝撃)
すっかりいつも通りのスーツ姿に小さめで特別あつらえのカンカン帽の弥生に話題を振った。

「凄い記憶を聞いちゃったよ、私これで十条の祓いの歴史に関する…正確に言えば
 この刀を所持してきた十条の祓いの女に関する本書けるかもw」

その刀、今の今まで「日本刀」とだけしてきたが、日本刀だってある時期に合わせた
規格がそれぞれにあって全てが似たような大きさや構造であるとは限らない。

それは実際「野太刀」と呼ばれる四尺弱…一メートル強ほどの刃渡りの
刃に対して時代時代で直したりして今に伝わるモノ、銘はなく、今の今まで
いつの作かも不明だったモノであった。

「信じて貰うしかないんだけどさ…モヤッとした時コイツと一緒に寝ると
 「その鬱気を祓う」と言って「その女」は現れるんだ」

志茂がそれに

「つまり…その刀には守護霊というか守護神が居て、何か条件が揃うと
 それが夢枕に立つってカンジですかね」

「夢って言うか、一種の精神世界みたいなトコで対面できるって感じ」

「へぇ…それでその刀の来歴は?」

「製作された厳密な時期は判らないってさ、刀とか武器の歴史は遥か古代から
 終戦までそれなりに身近なモノだったから、一つ一つに何かが宿るまでは
 なかなか行かないんだって、だから正確な製作時期は不明…ただ、
 これを手にして祓いの力を込め使用し、祓い人が刀に守護を取り付けたのが
 鎌倉時代…永仁年間のどこかだってさ、あの頃は二・三年で元号コロコロ
 変わってたから正確には覚えてないって」

あやめがそこに

「えっと、それは…祓い人の人が亡くなって守護に付いたのではなく、
 商売道具として大事に使った事で「宿った」と言うことでいいんでしょうか」

「後者のようよ、昔から十条は体崩す時は盛大に崩してたらしいわ、
 そんな時、その災厄を多少なりとも軽減する役目も持ってるんだって、もっと早く…
 っていうか婆さんも教えてくれれば今あんなに仕事に穴開けなくて済んだのにさぁ
 ま、コイツ手にして散々戦ってその日のうちに婆さんも昇華成仏しちゃったからね
 教える間もなかっただろうけど」

あやめがヤケに感動したか

「少なくとも鎌倉時代から受け継がれてきた刀なんですね」

「そうなるわね、700年ちょっとの歴史があるって事になるわ」

「すご…刀の守護者と守護を取り付けた祓い人の名前なんかもじゃあ」

「ええもうバッチリ、ご飯と睡眠とお風呂と日常会話以外の全部を掛けて
 パソコンに記録してやったわw
 まぁ家系図辿っていけば本州の十条のどこかに正式に記録として残ってるかも
 知れないけれど、刀から直接聞いたとなればなかなか生々しい話も込みでw
 っていうか婆さんもなんで勘当に近かったのか判った、大収穫だわ」

「うわ、なんか私まで気になっちゃうな」

あやめが言うと志茂が我慢できないって感じで

「済みません、それもし宜しければパソコンのテキスト見せて戴けませんか」

「んー、もうちょっと整理させて、寝てる時に阿美や葵クンにメモを求めて
 寝惚け眼で書き留めつつ、起きてる時間に出来る限りって感じで
 まだ完全じゃないんだわ、あ、そういえば私もラジオ体操復帰まで行ったから
 流石にそろそろ阿美を有り難くお返ししたいんだけど…」

「未だに捜査協力だっつって署に入り浸り、お泊まりセットまで完備状態ですよ、
 今週末くらいまでマトモに帰れないかも」

「じゃあ、週末まで阿美借りるわね」

「そうしてください、葵ちゃんと同伴登校で鼻血出そうって興奮してますからw」

あやめが苦笑して

「しょうがない人だけど、いい人生送ってるなぁ」

三人でちょっと微笑み合ったあと、ふとあやめが

「あ、質問に答えが返ってきてないや、弥生さんその刀の守護者の名前と
 最初に守護を取り付けた人の名前何て言うんですか?」

弥生は「うん?」とあやめを見て

「知りたい?」

「何となく、700年の歴史って気になったモノですから」

「うん、そーよねぇ、流れ流れて北海道なんてあの当時思いもよらなかったでしょうね
 元々四條院と並んで呪術的だった十条に対して、
 この刀のオーナーとして刀に詞を込めるという天野的戦法を取り入れたのは
 「八重」って人だって、八番目の子だったか、八重桜の時期だったからじゃないかな」

「…どことなくイージーですね…十条の人って」

「でも名前何て余程じゃない限り「そう言うモノ」でもあるでしょ」

弥生はここから「ちょっと長くなるわよ」と前置いて

「で、刀の方に宿ったのは…これは微妙に固有名詞とも言い難いんだけど
 …日本書紀にある「イツノヲバシリ(稜威雄走)」…これが刀剣工房だった説も
 在る分けなんだけど、実証というのか…まぁ実際に古代に於いて
 そういう職人の中にあって多分親方の娘で才能があったがゆえに
 大した名前もないけれど…北斎の娘みたいにね…腕は良かった刀工で、
 その人が亡くなって昇華して半ば神の扱いとなるも、名のある刀神とまで行かず
 流れ流れて同じように鎌倉時代のどこかの工房でその親方の娘が作刀し
 それを手にした巫女というか祓い人「十條八重」によって精が宿る事になって
 降りてきたのが「イツノヲバシリ」の女、日本書紀だと「稜威雄走」って
 字が充てられてるから、ハシリを抜いて「ヲ(雄)」を「メ(雌)」に変えて
 「イツノメ」と言う名前で八重からは呼ばれていたらしいわ」

「うーん、女だらけ」

あやめの一言に弥生が笑って

「そうよね、でも、女が名を残すなんてほぼ有り得なかった時代だし、
 そういう「女の意地」みたいなのがなんか集まって結実したのかもね」

そう聞くとあやめも頷いた

「名も無き刀工ですものね…あったとして工房名として看板の名前しか付けられない」

「そこは規模や時代によっては個人名を入れることもあったのだろうけれど、
 二十世紀に入ってからでさえ、偉大な学者だけど女性だってだけで
 取材の価値無しって判断されたり、18世紀末ラボアジエの妻は夫の
 出版物に見事な挿し絵を入れたけれど、署名は男性名だったりね
 女ってだけで割り食った時代は長かったのよ」

あやめはそれを聞くと悲しそうな表情で

「そういう風に思うと、出会うべくして出会った神と刀と祓い人だったんですね」

「そう思う、七百年掛けて私のトコロに来るまでに、紆余曲折あった運命そのもの。
 この刀、銘はないけど目立たないトコに何か平仮名が彫ってあったりもするのよ
 若い頃からそれがそもそもなんなのか不明だったんだけど、
 イツノメから話聞いてやっとその正体が判ってなかなか満ち足りてるわ
 それは先代に関わることだった、そして先代について深く聞くウチに
 今回の事件の肝にぶち当たったって訳だわ」

「なるほど…」

「で、今朝になって「ひょっとして事件のからくりはこうなんじゃないの?」
 と葵クンに聞いたら「まだそこまで裏付け取れてないよ!」って言われて…
 じゃあ、口割らせるのに阿美に協力して貰って、昔、玄蒼市に行くかも知れない
 って時に用意だけしてた巫女衣装…向こうでは神社宛がわれることになってたからね…
 それ着て、記憶に基づいて先代の髪型とメイクを再現して、
 阿美と葵クンを送り出した後、一服してここに至る、と」

「全然違うアプローチから偶然合流した訳ですね…」

「偶然の合流と言えばもう一つあるんだわ、先代が住んでたのもあの辺だった。
 だから淫の気を纏って悪魔化したソイツは「伝承にある十條彌生を求め」
 飛んできたそこに「偶然」二代目である私が住んでて、纏った淫の気の元である
 女学生のマトで、しかも私は不機嫌MAXだったと言う巡り合わせだわw」

志茂がそれに

「なんか、出来すぎてますけど、でも巡り合わせってそう言うモノなんですよね」

「先代がなんで当時ド田舎だった琴似川支流のぶつかるあの辺に済んでいたかは…
 知ってみるとそれはそれで結構胸の痛い事情があったけれど、そこには…
 ま、明治って時代ならではって感じでねぇ…
 つかなんだよ、ばーさん人の性的嗜好「どーでもいい」とか抜かしつつ
 同類じゃないのさっていうね」

あやめがそれについては何となく予感がしてたのか汗しながらも

「あ、やっぱりそんな感じです?」

「判っちゃうもんかなぁ?」

弥生が素で聞いてくるモノだからあやめもなんと答えたものだか。

「祓いの力って一代で使い切ってあんまり継ぐモノって感じしないんですよね
 少なくとも弥生さんの回りを見る限りは…そして祓いの力もある時「ぽっ」と
 出現したりするみたいですから、直系であるとかは意味余りないのかなぁって」

「うん、それに関してはどうもそうっぽい、勿論子を作って、子を産んで継ぐ人って
 のも居るみたいなんだけど、大体に於いて一代限りで使い切りなのよね
 この刀…面倒だからイツノメって呼ぶけど、このオーナーだって
 百年二百年はザラに間が開いてるのよね」

「そのたびに失伝の危機だったんですか? 先代さんのように」

「いえ、そこは「ここが開拓期の北海道だった」という何よりの事情が…
 事実先代は生まれから十を数えるまでは京都、それから東京に移って…
 十代半ばでこっちに…当時開拓期の北海道に来たんだって
 だから祓いの手ほどきは四條院や天野、他の十条とも交流があったようで
 問題なかったみたいね」

「なる程…ここ北海道…しかも開拓期…更に言えば爆発的に増える人や街に対して
 祓い人なんて急に増やせるモノじゃないでしょうから…それで先代は
 「迂闊な事に次を用意できなかった」事が悔いになってた訳ですね」

「そう…丁度その頃、正にあやめが今言ったように、西洋文明…医学とかで
 急激に平均寿命も延び始める時期、江戸時代の総人口三千万、
 終戦頃の総人口七千万って言うんだから、80年ほどで街も人も激増状態で
 北海道は百年くらい祓いの三家からの祓い人が居なかった時代だった」

志茂が話をずっと聞いていて

「先代さんのお話、気になりますね…今こうやって断片的に聞けば聞くほど
 なんでそれがどうなってこうなったっていうナゾが気になります」

「だってそりゃあ、ちょっとは聞いて欲しいかなって私も思いつつ話してるからね」

「意地悪な人だなぁ、弥生さ〜ん」

志茂の指先が弥生の頬にめり込んでくりくりのの字を描いてる
弥生も弥生で「だぁってぇ〜折角のでかい話題なんだもん〜」とかノリにノってる。
あやめは汗しつつ

「お聞きしたいのは山々ですが、流石に今は私も火消し、志茂さんも映像から
 ドキュメント作成まで仕事山積みですからね…
 もうホントは全部投げ出して昔話を聞きたい気分ですよ、トホホ」

「うーん、じゃあウチの回り…私がパンイチで十二階から飛びかかった辺りのは
 私が責任持って探して消すわ」

「あ、やってくれます? やっと「空を飛んでた全行程」の半分少しってトコなんですよ…
 神田さんと連携してあの辺じゃあお願いしますね…それなら週末には何とかなるかな」

志茂が

「全てが週末に向いて動いてる…これは土曜か日曜に集まってみんなで話を聞けと言う
 天の啓示だね」

あやめもそれに同調し

「そうかもしれない、正直先代さんの活動内容とか記録…詳しく知りたいし…
 当時も火消し係いたっぽいから今後の参考にも成るかも」

弥生が

「そういや、火消しの人いたっぽいね、何かもう凄く気のいいあんちゃんってカンジ
 だったみたいだけれど」

「ええっ、そう言うお話なんですか?」

「だって、私がイツノメから聞いたのは先代弥生視点のその生涯だし」

「それはそれで…生の情報ですね…うーん、でも結局両方聞いて記録も読まないと
 実情には迫れないのか、トホホ…」

「どんな災厄が街を襲っていたか、どんな大禍で先代は死に至ったか…
 そう言うのは生の話として聞いたけどねぇ、まぁ今と変わらないと言えば
 変わらない部分も大きいけれど、彼女の最後だけは「あの当時だから」と
 言えたのかも知れない、火消しに関しても今と違って御用医者に掛からせて
 「それは見間違い・幻覚」と言わせる為の案内人みたいな感じだったっぽいわ
 映像記録や音声記録なんてよっぽどって時代だからね」

「そうですかぁ、まぁチラチラ資料の方も見せて貰おう…というわけで弥生さん
 やると言ったからには手伝ってくださいね、火消し」

「ん…改めて念を押されるとちょっと引けてしまうわね」

「やると言ったらやってください、週末のお話、楽しみにしてますから」

とりあえず、学校忍び込み・窃盗事件は大きくその有様を変容しつつ、
収束に向かいつつあり、その代わりに「先代弥生とはいかな人物か」という
大きな問題が関係者を包み始めていた。


第五幕  閉


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