L'hallucination ~アルシナシオン~

CASE:TwentyTwo

第五幕



江戸でのイギリス商船海賊の沙汰が下るまで結構間があったので、
その間宵は山桜神社へは掃除や要件伺いのための書状などがないかだけを確認に戻り
芸事の稽古や、手習い場所での教師としての傍ら、居場所としては半ば天照院になっていた。

季節はもう夏、祓いとしての活動もキッチリこなしているためフィミカ様も何も言えない。

玄蒼の港が隠れ蓑となって結構色んな国の船がやってくるようになり、
特にリンディスの乗っていたイギリス商船、その行方を追っていたイギリスよりの船で
事は江戸で裁判の最中であり、宵はお倫の船に積んであった辞書などから
以前よりは分かりやすい英語で事の顛末と一人生き残ったお倫は引き取る旨、

商船としての売り上げから税金などは街で立て替えられるだけ立て替えておいた。

オランダやフランスの船もいつの間にかこれを知るところになり、
あくまで商売でなく立ち寄りで骨休めのためと言う事で幾日か帆を休める事にもなった。

これは宵と言うよりは実は同じくらい珍し物好きだったりした大八が
つまり玄蒼を人の住める土地として開墾してから密かに誘致していたモノであった。
特別な経路を経なくては入り込めないと言う土地だけに、
日本人でも幕府直属とか強い縁が…という訳でも無いなら良い息抜きの場でもあった。

その為にも祓いは奮闘したし、大八達第一世代もそれに甘える事なく
自ら武装して銃などで魔を撃退したりもしていた、
「魔と戦うため」という名目もあれば、そしてそこにフィミカ様の一筆があれば
大体話は通ってしまうのでこの街には他よりももう少し自然に西洋の船が
立ち寄りだしていたのだ。

そしてここは玄蒼、長い航海と大事にされた経緯から本当に船に良い意味で
精霊のような物が憑く事もある、
そういう船とは会話もして船の何処が傷みそうであるとか、そういう情報から
船主に修理を促したり、洋の東西にかかわらず祓いの仕事も執り行う。

大八やホヲリ達第一世代が怒濤の勢いで広げた領域を、宵は確実に安定化させ
もはや街道から港側は特に霊的にも静かな場所となっていた。
街道沿いなら夜でも出歩けるような。

「大八やおぬしのところのお越など江戸に行った者達の帰りが遅いのぅ
 裁判の沙汰というものはそこまで掛かるモノなのか」

和やかな陽気の天照院縁側で将棋の盤を囲み一局指しながらフィミカ様が呟く。

「外国が絡んでますからねぇ、遭難からの漂流での海賊とは言え、
 下手に弱みなんか作りたくはないでしょうし、何を何処までどう沙汰を下せば
 手打になるやら、お上も難しい判断でしょうよ、こないだ
 イングランドの船が立ち寄って事の次第と出来る限り弁償金は
 払っておきましたけどね、彼らが果たしてさぁ、江戸に入れた物だか」

十七世紀半ばから十九世紀半ばの二百年、限られた港の限られた国以外は
通商外交に訪れても門前払いが基本であった。

「まぁ迂闊に外国に染まる事は危険じゃが、結局は漢・北魏・東晋、随や唐、宋…
 色々入り込んできたからのぅ…いつかは西洋の国々のやり方も学ばねばならぬじゃろう、
 …しかしお主中々粘るようになってきたな…」

宵の一手に少し次の一手を思案する時間も長くなってきたフィミカ様、
宵は特別あつらえの三つに分解出来る金属製の煙管で一服してその灰を煙管鉢に落としつつ

「将棋は中々に頭の体操になりますからね、碁は奥が深すぎるけれど」

「碁は定石という物があるからある程度約束事の消化じゃが、
 一旦そこを外してしまえば考えても考え尽くせぬ…定石なんて物が
 入り込む余地のない物になりかねんからのぅ」

「お約束…、いつかは色んな物の考え方からこれだという物を選んで順守するような
 そう言う時も来るのでしょうかねぇ」

「来るじゃろなぁ、人という物はそういう風に少しずつ世界を広げてきたから」

考え抜いた先のフィミカ様の一手、宵は情けない表情で

「あ~~~、一番やなとこに来た、流石ですよ…」

「こんな風に、痛いところを突き合って牽制し合う、国と国もそう
 それにはそれだけの力を持たねばならん、いつまでも国を閉じては居られまいが、
 いつかは方々から声も上がるじゃろうなぁ、国内での混乱はまだ幾つかある事じゃろ」

「それにはまだ一押しかなぁ…向こうも今はまだ命を賭けた大航海…
 蒸気機関やもっと進んだ仕掛けで世界中を股に掛けられるようになったらば…
 その時に選択を迫られる事でしょう、間に合うといいんですけど」

宵が考えた末に指した一手にフィミカ様は直ぐさま応え

「可成りの危険が纏わり付くじゃろうが…上手く行く事を祈るしかない
 わらわはもう政など御免被るし、時代にも合わんじゃろ…
 じゃがお主から聞くいんぐらんどと言う国に少し近い状態にある事は望ましい」

「君臨すれど統治せず、権威は権威として政はまた別になってますからね」

「そこで今回の沙汰もお国事情とは別にこの国の法に従って捌けられるように、
 より高いところにある法とその運用が出来るようになれば、いいのじゃが」

「そこはまだ当の西洋ですら越えられていない国も多い…もう少し…時間はありますか
 …こっちの余裕はもうないですが…うーん、何処へ打っても
 数手先には詰みだなぁ、負けました」

「うむ、折れる時は折れ、腕を磨きながら次の機会を待つ、そういう事も必要じゃな」

宵は酒を一つあおり

「桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿とならなければいいんですが」



にわかに海運の盛んになった、そして玄蒼ならではだろう、宵は各地から寄ってきた
数々の無念や怒りから発露し、今や港を襲わんとする海坊主と対峙していた。

因みにフィミカ様は開発されていった部分に祓いのアンテナのように祠を置き、
そこへ天照院から詞を送り、領域内の保護を強化するというのが基本の仕事で、
突然現れた魔に対しては力加減が上手くないのでそう言う時に宵が手足として
あちらへこちらへと言うわけである。

手こぎの小さな船を基点に、腰から上を海から出して魚人のような鱗やヒレに付く棘、
そして鋭い爪のある両手での攻撃を、上手く基点である船を壊させないように
宙を飛び空を蹴って相手の余力を引き出し、一気に片が付けられるように牽制していた。

江戸の方向からやって来た船も沖合で止められている。
時々ある事なので、船員達はとばっちりのないようにだけ祈った。

完全に相手の怒りの矛先を自分に向けさせて、宵は身の丈五丈(十五メートル程)の海坊主を
翻弄し、時には自分の着物の端を犠牲に相手の「やれる!」という気をそそり
完全に港からは興味を逸らせ、小舟の上に着地し、一呼吸…

と、海の下から大きな力、海坊主が両手でちゃぶ台返しのように海面を大きく掬い上げ、
宵は船ごと吹っ飛ばされた!

「おおっと、ちょいと見くびっていたかな…!」

沖合に止められていた船が丁度良かったのでそこへ着地しつつ、振り返らずに船員へ

「お邪魔するよ、もうすぐ終わるからもうちょいと待って」

海坊主の大きな腕の一振りが迫ろうとしているその時!

「お宵さん! 戻りましたよ!」

投げ詞で宵の防御力が上がる、丁度降ってきた小舟と共にそれを盾のようにして
海坊主の一撃を受け止めつつ、軽く振り返りニヤリと笑って

「お帰り、お越さん」

「貴女の事です、ぱっと外で食べてしまうか、フィミカ様のところでご飯に
 ありついていたのでしょう、そしてその海坊主、貴女一人でもやり切るでしょうが
 フィミカ様にも面倒掛けます、手狭にもなりましょう」

その間、宵は涼しい表情でバラバラに壊れた小舟を凄い勢いでお越を見たまま
海の底まで突き刺さる勢いで腕や鞘に収まったままの稜威雌で投下し、
海坊主のもう片手が海の下の方から船首ごと持ち上げようというのを阻止して
小舟の破片が刺さった腕を痛がりつつ振り回してそれを抜いていた。

「悪いね、どうにも料理ばっかりは手に付かなくてさ」

そこへお隅やお志摩もそれほど強くないとは言えほの緑の投げ詞で海坊主を牽制する。

「私含めお隅もお志摩も、貴女の教え方は「十条式」だからって
 向こうで審議のない日なんかは稽古付けて貰いましたよ、お宵さん、罪な人です」

宵はちょっとぎくりとして

「あ…若しかして…お沙智さん…」

「はい、もう聞きましたよ、あれやこれや」

海坊主を全く見ないまま宵は鞘に収まったままの稜威雌で海坊主の攻撃をいなし続け

「そこまでならフィミカ様の事気にせずここまで来ればいいのに、皆まとめて可愛がるから」

「呆れた人です、でも彼女も何だか陸奥(みちのく)の方に赴任とか」

「そうかぁ…」

そこへ海坊主が一直線に鋭い爪を真っ直ぐに宵へ突きを入れる!
…するとその腕に赤い光を纏った散弾と共にその腕を祓いで破壊して行く!

「おきゃあがれ! オメェが死んだ事には悼むが、
 だからって側杖を当てるような真似は寝かそうが起こそうが文句は言えねぇよ!」

銃口から煙を噴きながら構えていたお倫が言った。
同時に海坊主を既に真っ二つに斬り捨てていて皆を向き稜威雌を鞘に収める宵、
残りはお越やお隅・お志摩の三人が投げ詞で浄化を促して行く。

宵はまだ足掻き続け船の上の誰かに取り憑こうとする海坊主の欠片が宵の頭の上を
通り過ぎる瞬間に煙管に祓いを乗せ浄化、散らせた。

「…お倫、また見事な江戸っ子になったものね…」

宵が半ば呆れながら言うとお倫は顔を明るくして宵に飛びつき

「ちゃんと修行してわかった! お宵さんはぼてくろしい相模女と来たがそれでもいい、
 うちの衆(し)と言える、あっちはおちきりました!」

宵は物凄く複雑な苦笑で

「それ褒めてるの…?w」

お越が呆れながら宵の着物がボロになった部分を埃を払うようにして詞を通し直しつつ

「私やお隅お志摩の言葉遣いじゃ江戸の人が何言ってるか判らないって
 大八さんとか、お宵さんのご家族とかお客さんにまで江戸弁教わって…
 確かに判りはしませんよ、さっきからなんて言ってたんです?
 これじゃあいんぐらんど人だろうが何処の人だろうが殆ど代わりはしませんよ」

お倫をぶら下げながらお宵は困り顔で

「えー…よしな、お前が死んだ事は悼むけど、といって誰かにとばっちり当てようなんて
 どうされたって文句は言えないよってのと…
 私…宵は好色な女だけど主人と認め惚れました的な…」

お越はヤレヤレという表情で

「そう言う意味でしたか、おっこちたおっこちた言うから何だろうと思ったら
 …ま、気持ちは分かりますよ、なんとなく凄いと思っていたお宵さんが
 「どれほど凄いのか」が判りましたからね、恥ずい事言わせましたね」

危機が去ったと判断し、甲板に上がってきた一同に宵が心底驚いた

「…女将さん!!」

若き日出入りしていた芸者の修行と配置をしていた店(たな)の女将だった。

「言ったろぉ? アンタがこれっきりになるったって「判らないよ」ってさァ」

「まさかこっちに店構えるの?」

「そのまさかさ、港湾場所としてそこそこ栄えるってのに遊ぶ場所もあんま無い
 って大八さんに聞いたからさぁ、江戸に居たって足の引っ張り合いやらドロドロした物に
 まみれちまってて、お陸(みち、おみっちゃんと呼ばれた子)やお竹なんか
 アンタの真似事してて「見えるようになった」んだとさ、具合もいい、
 それならこっちで真っ新からやり直そうって、アタシも結構無理言ったさ、
 そしたらこのお倫かい? この子が漆塗りどこからか一杯仕入れて
 お国の人に売ってさ、その一切合切でアタシと言うか店ごとお引き取りだよw」

益々呆れた表情でお倫を見た宵、お倫はぶら下がっていた宵から降りつつ、
宵を見上げてこう言った。

「お宵さんは女泣かせだ、でも一生逢えないなんて悲しすぎる
 お沙智さんみたいな縦横に繋がりのある人はしょうがねぇが、
 縁あった人が側に居られるならそうした方がいい、そう思って」

宵は静かに

「それがどこか普通の田舎なら有り難い、でもね、
 ここはそういう訳には行かないんだ、さっきのみたいなのが時々現れて
 夜には霊が歩き回ってるのを普通の人でも見てしまうような、そんなトコなのよ?」

そこへ女将が

「「だから」お陸やお竹はちゃんと修行始めたんだよ、アンタに頼り切りにならずとも
 テメェらでテメェらは守れるようにさぁ…言ったろぉ?
 アンタはまだ人の心を知るにはまだまだ掛かる旅路の果てだねェ」

気に入った子にちょくちょく手出しする悪い癖が、しかしちょっとだけ
この土地の地盤固めに寄与するなんて、なんて巡り合わせだろうと、宵は複雑な思いだった。
でも、悪い気もしなかったところが「ああ、自分はまだ懲りてないな」とも思えた。



「まっこと賑やかになった物じゃな」

秋も過ぎ、収穫に一段落付いたところで祭の余興としても宵や芸子達で
主に和楽器による演奏や謡で盛り上がっても居た。
特に安里屋節はちょっとアップテンポに手拍子も入れやすく、そして
お囃子や合いの手を入れながら踊るお竹さんを代表する芸者達も南方の踊りで引き込んで
境内は人で賑やかな事になっていた。

「こんなに陽気に歌って踊られてしまった日には確かに多少の陰気など吹き飛びますねぇ」

お越は楽器の鍛練は積んでいないのでフィミカ様の側で聞いていた。

「そういう面もある、なってしまった事を頭の隅に置いて、先を向くための物でもある
 そう言う意味では正しい祭ではあるのじゃが、まぁしかしちゃんぽんじゃなぁ」

「ちゃんぽん?」

「長崎の方だったか、まぁ「なんでも混ぜ」みたいなものじゃ」

「ああ、確かに」

琉球でも竹富や石垣の方の民謡を少しアップテンポにした物を幾らか、
踊り疲れたかという頃に、それぞれ談笑する中、
宵は今度は唄が唄える程度に調整した津軽の唄を披露するのだが
基本緩いペースの日本の曲に対して非常に早い、しかも宵の足には撥(ばち)が
くくられていて足下には太鼓すらあり、唄の節目節目に足で太鼓も演奏する。

一通り終わると場所を拝殿前に移し、なんとコントラバスによる独奏を始める。
西洋音楽は馴染みがないものの、美しい曲である事、
そして宵が奏でるその低音楽器の腹から響き渡るような旋律、
矢継ぎ早にチェロに持ち替え、音の少し高くなった独奏、こちらも中音域を
強調した小品で、更にバイオリンに行く。

驚きなのはお倫に宵がちゃんと仕立てた欧州風のドレスを着させていて
活発なお倫は恥ずかしそうであったが、宵から楽器を幾つか習っていて
下手では無かったのでチェロの途中からコントラバスで参加したりもした



響き渡る音で境内を満たしたと思えば、今度はタンブーラ(打楽器)とともに
シタールを弾き、お倫がこれまたインドならではの不思議な節回しで
金属的な澄んだ音、世界って言うのは広いんだなと皆も思うし、
滞在している外国の船乗りなんかは聞き慣れた曲もあるからか満足げに聞いている

まだ時期的にはバッハから少し、という感じでインドの方も宮廷音楽の域だった頃、
一種堅苦しい音楽でもあるワケだが、そんな事情知る由もない日本人は純粋に楽しみつつ
収穫祭を楽しんだ、作柄は良いとは言え無かった物の、フィミカ様の備えもあり
ひと冬越すのに困ると言うほどでもない。

最後に芸子達がもう一度安里屋節を…と言う時にお倫はコントラバスを弓ではなく手で、
その沖縄の節にあるような低音パートを作り上げコントラバスのボディを叩いたりして
ベースラインとリズムを刻みつつ、宵はチェロを指で弾き独特のアルペジオを弾く。
殆どの者が歌って踊って祭は過ぎる。

「お主の伊達も役に立ってくれるのぅ」

「半ば一室物置にさせて貰っているお礼も兼ねましたw」

「うむ、まぁそこはよい、しかし…幾ら備えがあると言っても
 何年も不作が続くとチと不味い、何か新たな手立ても必要じゃなぁ」

そこへ大八がやって来て

「やぁ、楽しい時を有り難う、お宵さん、そして場所を有り難う御座います」

フィミカ様が大八へ

「なんぞ申す事があるようじゃな」

そろ還暦の大八、フィミカ様と出会ってこの地に押しかけ無理矢理切り開いて
三十数年、流石に祭の終わったタイミングでという登場に「また一手先を読まれた」
と言う苦笑顔で

「ええ…決して良い話ではありませんな…、ここの貿易額も無視出来ないものと
 なってきた事、そして国交のない国との事件もありました故、
 今まで止めて参りましたが、もう流石に役場を置かざるを得ません」

「そうか、金もそうじゃろうが米など作物も欲しいじゃろうし、
 こう不作が続いてとうとうここにも手を付けたか、仕方あるまい」

宵もため息交じりに思案顔で

「泣き面に蜂ですね、早生で病や長雨日照りに強くかつ沢山実る稲穂…
 なかなか難しいモンです」

「やろうと思えば出来るが、流石にそもそも食えるモノとして厳しいモノになる」

大八も参加し

「といって他の物へ簡単に切り替えするわけにも参りませんからな、
 貨幣は金本位、作物なら余程の事情がない限り米本位ですから」

「交易の方でなんとか利益を出したいところだけど、そこも関税入って
 これからは稼ぎも小さくなりそうだし…やり方を変えなくては…
 そうだ…折角ここも「立ち寄りとしてなら・多少の交易程度なら」
 オランダ以外の国と繋がる事も許されたようだし…、漆を使った木工品
 なんて言うのもいいかもしれませんね、器だけじゃない、根付けとか
 飾りモンなんかもきっと流行るでしょう、幸い木材だけは…
 建材から漏れた端材は山ほどある、この機会に炭作りや燃える石の炭を掘る事、
 そこから出た燃える空気の利用法なんかを考える…本格的に始めてもいいかもしれない」

そこへフィミカ様が

「余り手を広げると、朝早くから夜まで働く事にもなりかねんぞよ、
 それはそれで遣り甲斐もあればよかろうが、ただそうしようでは人も付いてくるまい
 「どこまでがせねばならぬ事」で「どこからが暮らしを上向ける事」かを
 キチンと説いて始めてお呉れ」

「そうですねぇ」

そうか、自分ばかりがやる気でも仕方がない、宵は少し冷静になって
フィミカ様を少し見つめた。



「宵様…あの、流石に少しばかり…あのぅ…過ぎるのではないかと…」

真夜中の皆が寝静まるなか、体調を崩した宵が稜威雌の中で治療を受けながら
言いづらそうに顔を赤くする稜威雌に苦言を呈された。
皆が寝静まっているのは、皆がそれぞれ気持ちが盛り上がって求めたのを
また律儀に全員相手にして撃沈させたのである。
しかもその前には「いつもの」夜回り祓いをした後である。
これはフィミカ様の力が上手く発揮されない夜にざわめく魔や霊達を
定期的に数カ所を回り一定数祓うのである。

稜威雌の治療を受けながらも宵はちょっと恥ずかしいような収まりの悪い表情で

「私の気の多さが招いた事だから…それにしても…体の不調を抑える詞は
 きちんと習った筈なんだけど…半年から一年にいっぺんはこうなる…
 歴代の話からすると…私は体弱いのかなぁ…」

「違います、ここの土地が少しばかり霊や魔に有利な土地柄であること…
 それだけならまだしも毎晩の祓いと毎日どなたかをお相手にしていらっしゃいます…
 増して今宵はここの全員と来ています…それは消耗もしますよ…」

「うーん…ダメだなぁ、まだまだ」

「…そうとも言い切れない部分もあるんですよね…、これを機に貴女様は
 また一段と高いところで安定するでしょう、この地で毎日魔祓いなど
 歴代ではあり得ない事をやっておりますので…」

「まぁ一戦一戦ただ消化するのではなく経験として積み重ねるようにはしているけれど…」

「確かに今は永きに渡った混乱や戦国の世も越えて大きく太平と言っていい時です
 そんな中例え年では同じくらいに私を使い始めたのだとしても、
 …焦りのような物は否めないのでしょうか」

「それはあるね…、偉大な歴代を知ってしまうと…その背中が遠くにでも見えてしまって
 …焦っているかなぁ」

「もう少し泰然自若とされていてもいいと思いますよ」

「…そう言えば三代は戦う機会そのものが多くなかったけれど一つ一つが大きい、
 それ以前は弓に、他の刀に、持っているんだよなぁ、私も貴女は「ここぞ」という時の
 決め手にするのもありなんだよなぁ、刀…私も作ってみようかな
 刀工に師事するのはまだやってなかった」

稜威雌は少し呆れて

「歌に楽器に体術剣術、詞も、商いや畑仕事の事まで考えてその上ですか」

「この際だもの、関連してくる全てを修めたい」

「…こんな事を言うのも差し出がましいですが、決まった相手を見つける事は
 されないのですか?」

「…ちょっと違うかも知れないけれど、既に居るんだよね」

「? どなたです?」

「そこばっかりは私も心を閉ざすよ」

「…判りました、詮索はしません」

「助かるね、胸の内だけにしておきたいんだ」



天照院から南側、職人街として賑わいを見せる真從郷に宵が現れカネ払ってでも
作刀を修めたい、という願いに職人誰もが驚いた。
「そんな立派な刀があるのに」

「立派だからこそ、普段使いじゃ下手したら刀の寿命を縮めるし」

宵はそう言って稜威雌ほどとは言わない、だが自分が振り回すに値するような
そんな刀を作りたいとまずは普通に作刀を師事しに行った。

程なくして自身の山桜神社にも小さい工場を構える事になる。
相槌を打ちながらお倫が汗だくでそれを手伝うようになっていた。

役所が作られる事になり、色々やり方を変えたり拡大したりするかと考え出してから
ここまで既に数年経っていた。
元号はまだ安永であるが、宵は二十代半ばに差し掛かりつつあり、
リンディス改めお倫も本国での成人は過ぎていた。
お隅とお志摩は祓いを継続しつつ、居は別に、港湾の百膳飯屋を二人で切り盛り始めて居て、
お越仕込みの腕前は中々評判も良く、完全に独立していた。

では山桜には三人なのかというと、そうでもなかったりした。

街はあれから益々発展し、外からまた少し流入があった事と、そして
蓬莱殿のお坊さんも根ざしていた。
祓いの力を多少でも持ちつつ、そして戸籍を管理する者としての赴任である。

そして人も増えてくるとそれぞれの家庭や有志で行われてきていた手習いの数々も
山桜神社で幾らか負うようになる。
更に言えば身元不明、(その理由はともあれ)そういう子供の一時引き取りも兼ねたので
何だかもう目も回るような忙しさになっていた。

どこから迷い込んだか猫の一家も住み着いて、当然のように入り込んできたり。
それ自体はどうと言うことも無いのだが、宵は無類の猫好きだったので
授業が脱線したり異種族交流というか猫と心を通わし猫と共に生きる為の心得なんかも説いた。

朝も早くから夜の遅くまで、宵は精力的にその全てに奔走していた。
誰の目にも生き急いでいたように見える。

「お宵さん、お倫ちゃん、その辺りでひと息入れてください」

また夏の暑い昼下がり、子供達は一時引き取りの子も共に外に遊びに出ていて
静けさが戻ってきたと思ったら作刀を始めた宵とお倫に呆れ顔でお越が
ガラスのコップに氷まで入れたお茶を出してくる。

氷はいつでも詞で作れたが、敢えて山桜地下を掘り氷室を作って
冬に作って切り出した氷を保存しておく事も修行としていた。
ガラスのコップは舶来物の成分から丁度工場で火も使う事だしと始めた事でもある。
伊達も伊達、一つ始めたら応用の利きそうな物は何でも並行して始めてしまう。

工場を使う時は白衣(はくえ)になるので(神事に則りそうする)
もう汗が凄い事になっているのがよく見える。

縁側で冷たいお茶に二人が染み渡る冷気と水分に息を吹き返すようなひと息。
お越は呆れつつもそんな二人が好きだった。
お代わりを継ぎつつ少し微笑んで、傍で寝る猫を撫でながら

「まぁ道を極めるとしたらそりゃあ大変でしょうけどね、
 あんまり根を詰めて数作るとまた真從の職人さん達にいい加減にしてくれって
 言われる羽目ですよ?」

「そう思って最近は今までの分含めてイマイチだなってのは全部潰して
 再利用してるんだけどねぇ、もうちょっと妥協点上げてみるかな」

「でも成分変わってきてあとで足す分と追い出す分が変わっていけねぇな」

「石炭(いしずみ)を燃えないように蒸して純に近い炭を作るのはいいんだけど
 油や瓦斯はともかく、ドロッドロのだけは少し手に余るんだなぁ、
 まぁ…なるべく体に付けないようにと船の防水用に安く卸したりしてるけど」

「お宵さんは本当にこう…何者になりたいのか今ひとつ判らない人ですよ」

宵は苦笑して猫の一匹を膝に載せ遊びながら

「それは私も時々自分は何してるんだろうと戸惑う事があるね」

三人で苦笑交じりに笑うと物凄く慌てた足音が参道を駆け上がるのが聞こえる。
足音からして二人、大人の男、と言う事はもう宵だけでなくお越にもお倫にも
判るようになっていた。

少なくともただ事ではない。

役所からだろうお侍さんが二人、役所からだとしたら天照院からやや
北側の海沿いに作られている。
そこから玄磨郷を抜け彩河岸のここだからそれはもう二人の息も上がっている。
お越は天晴れな物でよく冷えた茶を勧め先ず飲んで貰う。

息の上がった二人がそれでも落ち着く前に、

「審議中に下手人が暴れ出しまして…これがなかなかの手練れなのです…!
 この街の噂を聞きつけ渡ってきた…曰くに平塚二宮国府津ノ介(にぐう・こうづのすけ)、
 今この世に剣術を極めんと郷に入ったはいいが魔はともかく霊の扱いにお手上げで
 食うに困って強盗を働いたところを捕縛いたしまして…」

「まさか…調べ中に武器を手にした?」

「はい…、今は拮抗しておりますが逃亡を図る事でしょう、それを…」

宵は詞を両手に込め、役人武士にそれを掛け

「もうひと頑張り出来そうね?
 力も少し上がっている、大急ぎで戻って先ず逃げ道を大通りのど真ん中辺りにでも
 こっち方面に誘導させて、自警団使ってもいいわ」

彼らの疲れ切ったはずの体にまた力がみなぎっている。

「今貴方の力を少し持ち上げたけど過信はしないで、あくまで誘導をお願い」

「承知いたしました、あの…お宵殿は…」

「大丈夫、今すぐ跳んで行けるけれど、出来ればソイツと私で
 一騎打ちにさせて欲しいのよね、沙汰そのものは所払いか精々遠島でしょ
 ソイツも再び捕まるにしてもなるべく死人は出さないはず、特にお侍さんはね」
 
「わ…判りました、ではお願いしますぞ!」

彼らは来た道を去って行く。
そこへ宵の後ろからお越が

「はい、お宵さん、稜威雌です」

「有り難う、では…」

「お宵さん一人で行くのかい?」

お倫の疑問に

「お越さんと二人で行きたい、恐らく死人までは出さずとも怪我は続出だと思うから」

「じゃあ、あっちは留守番と火の様子見ておく、任しておきな」

宵はお倫の額にキスをして

「なるべく直ぐ戻るけれどね、行ってきます」



身体能力向上は掛けて、急ぎ街道筋を役所に向かう二人。
そのうち、街道の左右に先ほどの役人が犯人を囲み、走ってくるのが見える
宵とお越はドンドンそちらに向かい、二宮は見えてきた宵とお越に

「そこの二人、退きやがれ!」

近づいてくる宵、その目は強く光り、口は端を上げなお近寄る。

「おい! もしやその刀…お前…そうか、俺を道のど真ん中で走らせるのは…
 お前とぶつける気か!」

「良く出来ました、貴方の沙汰の一部は私が下す」

なるほど、二宮は手に刀を握っていて、大した傷は負わせていないようだが
何人かは牽制で切っている、べっとりと言うほどではないが血の跡は見える。
そして二宮が宵の間合い一歩外で止まった。

「大した物ね、こっちの間合いを僅かな時間で見切った」

「俺とて栢山(かやま)流師範の免許を持ち幾つかの道場は破ってきた…
 しかしなんだ…あり得ないほどでかい女だな」

「じゃあ貴方は小男でいいわね」

「俺は特に小さくねぇ! オメーがデカいんだ!」

「例えそうだとしても、
 私に向かってデカ女言うくらいならチビ言われる覚悟くらい持ちなさいよ」

宵は役人達には周囲の商人や住人通行人を規制させ、お越に遊んでいる子供達を避難させた。
少しずつにじり寄る二人だが、宵は抜く構えすら見せない。
右手は襟の前に入れたまま、ついに二宮の間合いに入る。

「抜かないのか?」

「抜刀術でね」

「はッ! 抜刀術も結構だがそんなデカい刀で今この打ち刀も届くって間合い、
 どうするんだよ、馬鹿なのかお前」

「やってみりゃー判る事よ」

宵がやっと刀に手を置くがそれは左手、ボサボサする気は無い、二宮は
振り被りは最小に半ば突きに近い、一気に止めを刺すと言うよりは動きを封じる、
手傷を負わせるひと太刀目、という筋である。

次の瞬間には二宮の両手が宙を舞っていた。



宵は左手のみで稜威雌を抜刀し、二宮の手を落としそのまま左手で刀を回転させ
既に鞘に収めようという体勢だった。
血の飛散でその軌道が判る、だが余りに早い、二宮は信じられないという表情をして
次に本格的に両腕から噴き出した血で叫び声を上げた。

三尺弱という近い間合いである事から、宵の白衣に返り血が飛び散り、赤黒く染まって行く。

その顔にも飛び散った血を宵は舌の届く範囲で舐め取りつつ

「貴方の血は骨の元になる物がちょいと足りないわ、
 魚食う時は食える時骨もキッチリ食っておきなさいよ」

二宮は痛みや衝撃より宵の目の冷たさに身も凍る思いをしてへたり込んだ。

「お越さん、腕継いであげて、傷は残したままでね、私は他の怪我人確認しながら
 先に役所へ向かうわ」

お越は涼しい表情(かお)で二宮の切り落とされた両腕を拾い、

「はい、行ってらっしゃい、私もここが済んだら向かいますから」

宵はニコッとしてあり得ないほどの跳躍から空を蹴り役所まで跳んだ。
割と凄惨な情景、宵の、そして稜威雌の余りの腕と切れ味に戦慄したその他の人々、

「貴方はそれでも運の良い人ですよ、恐らくは最初真面目に修行も積んだのでしょう
 貴方の腕前も見込んだから一旦両腕を落として「継ぐ」なんて手間を踏むんです、
 ただの悪党だなと思えば片手だけを落としてそれで終わりですよ」

二宮は切り口に腕が合わさる激痛を感じ呻くが

「見込んだ…?」

「貴方も判ったでしょう、お宵さんには貴方は敵いません、ここで
 魔祓いの手伝いをしてそれを罪滅ぼしとさせて戴きます、そういう事です」

「はぁ…? だがオレには幽霊は…」

「そこはこちらで何とかしますよ、とにかく、この街はまだまだ余地があります
 それを切り開くため、貴方の力を使いましょう、しばらくは痛みが残ります、
 それが治る間、牢にでも入って養生してくださいな」

お越が役人に目を向けると、我に返った彼らが二宮を取り押さえた。
あれだけ飛び散ったはずの血は、何故かほぼ消えて元の街道になっていた。


第五幕  閉


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