L'hallucination ~アルシナシオン~

CASE:TwentyFour

第五幕


月日が過ぎて行く。
あれから玄蒼市側と弥生が世界中のデジタル化された過去の書物より調べを進め
類似した罠避けの為のなるべく広範囲な祓いによる術式などを全員で手分けして行い、
完全防御は出来ないモノのなるべくそれが一般にも視認出来たり
それをそれとなく「蛍光スプレーによる落書き事件」のように報道して貰い
見つけ次第警察…特備に連絡を入れる用など手配をする事で未然に防いだりもした。

「新婚旅行だ何だ行けたモンじゃネェや、まぁ俺もアイツも判っちゃ居たが」

本郷のこぼしにあやめや金沢も苦笑しつつ、
研修にやって来て取り敢えず別の課なれどやって来た光月のフォローや指導をしながら
堅実に一進一退の事態ではあるものの、押されっぱなしでいる事も無く
確実に押されたら押し返し一歩進んでおくくらいの強さは見せるようになっていた。

木下真美は順調に探偵としての実績も積み、時に現れる「挑戦」に対しては
悦びの笑みさえ浮かべながら容赦なく戦って弥生とはやり方はだいぶ違う物の
確かに強く、自己修復能力も高い事から一足飛びに弥生と同じ
公職適用証明…詰まり捜査権を持つに至った。



少し違う所は、真美は人間の暗い裏を見るのが好きというか
「表の仮面を剥ぐ」という行為に悦びを見出す性質のようで、志茂の取材協力で
結構なスキャンダルをすっぱ抜いたりしつつ、上手く志茂に累が及ばないように
手配し、志茂の「情報屋」としての格を押し上げた。

公安特備から公安部その物へ情報を渡したりしつつ、時には「殺人許可」を与えられ
暗殺も受けようになって居たし、それは弥生より頻度も高かった。

何にせよ、大きな目で「秩序」の中で自分の周りの人間が安寧でいられるように
障害になりそうなモノは喜んで排除した。

趣味と、裕子や葵への思いの二つを叶える手段なのだからそれはもう念の入った物であった。

優はあれから本格的に真美の元で時には多少の怪我など辞さない覚悟での実戦稽古を組み
見えるような所に怪我は残さない物の…という稜威雌使いの血を受け継ぐかのような
事もやっていて、裕子も葵も心配するやら呆れるやら。

しかしそうやって「無理矢理にでも」付けた腕前は確かに上がっていたし、
独自に抜刀術や剣術も修行していたようであった。
そうでありつつ、涼しい顔をして高校に通うし、みんなともいつも通りに接するし、
遊びにも行くし、事情を知る葵以外は中級に手を掛けたかという感じの所から
優は一人上級に手を掛けていた。

弥生の見立てを越えて、非常事態や「敵側」の突きが後押しになる形で
皆それぞれに成長は遂げていた。

「ビックリしたよ…優ちゃん凄く強くなったね」

後神会の道場で手合わせした蓬と優はお互いの武器を収め縁側にて語り合う。
優は勧められたお茶とお菓子を食べながら。

「予感があったんでしょうね、弥生さんには見透かされていたのかも知れない
 居なくなる何日か前にやってきて「ヨロシクね」って一言でこれを渡してくれたんです」

「見透かされてた?」

「私には守りたい物があって、その為になら、それを成すためなら死ぬ覚悟だって
 越えて行くって言うか…それも元を辿れば初代さんの影響なんですけど…
 私が登場人物の誰でも無く初代さんに感じ入ったって言う事で…まぁ、
 中身は内緒でお願いしますよw」

「うん、まぁ…でもそうかぁ、弥生さんから直々に刀なんていいなあ」

「あ、私の他に誰がお手製の武器をと聞いて…警察官志望の二人にはギミック付きの…
 蓬さんの薙刀もかなりの業物だからそっちはとりあえずそっち使い倒して貰うって
 言っていましたよ」

そう聞くと蓬は少し俯いて

「そっか…」

間に合わなかった、いつになるかも判らないその復活、蓬は今使って居る薙刀を
では何処までも極めて弥生が復活したら注文を付けられるくらいになっておこうと誓った。
そこへ見稽古で参加していたウチの一人に大崎がいて

「二人とも動くようで動かなくてけっこー見てる方も緊張しましたよ」

静かに二人のやりとりを聞いていた市ヶ谷がそれに

「「動くようで動かない」と見えるようになっただけでも結構な進歩だな、大崎」

「いやー、流石に本気でタマ取り合うようなやりとり越えちまいますとねぇ…
 二人もヘタしたら相手を殺す事になるかも、なんて事も承知だった空気ですし」

「…普通なら、そんな経験越える事は無いんだろうけどな、いや、程度の差はあれ
 お前はそういう世界…ちょっと俺も予想外に派手な世界になっちまったが…
 入ってきたんだ、銃でも何でもいいから、お前も鍛えて置けよ」

「そっすねー…」

蓬がそこへ苦笑の面持ちで

「時間はある…って言いたいんですけど、屋台骨が行方不明ですからねぇ」

優がそこへ呟いた。

「私達に暇は無い、けど、時間はある…寝ても覚めてもその覚悟で行くしかないですね」

天野大丸の言葉だった、個人の意志とは関係なく定めを敷かれその上変更を食らっても
必死に追いついていって役目を果たした魂の言葉だ、その場にいた蓬や市ヶ谷は
難しい顔で頷いた。

「暇は無いけど時間はあるって、なんか頭の体操みたいな話ッスよねぇ」

大崎の台詞で、全員の気が抜けた。



北海道の短い夏が来た。

真美は探偵に向いてる性質で既に弥生の頃より上回るほどの収益も得ていた。
彼女は車の免許も取得していたが、大型二輪も取っていてどこからか古い外国製の
オートバイを手に入れて自分でリペアし乗りこなしてもいた。

車かバイクかの違いで、何か何処かしらレトロ趣味的なところも弥生に通じるな
と裕子や葵は思った。

葵は五代のローバー号を引き継ぎ、しかも真美の勧めで原付の免許を取り
ローバー号をその名の如し「原動機付き自転車」にして葵も割と交通法規に則り
道を走る、という事を覚えて行っていた。
裕子は少し微笑ましく感じた。

機械油まみれになって時に駐車場から稜威雌神社に移動しオーバーホールやら真美と葵
二人で何やらしている、葵にはこういう技能もあったんだな、と葵自身も裕子も思う。

「でもなんでバイクなの? 車は弥生さんのがあるのに」

「あの車も今は裕子に所有権が渡っているけど…何となくそのままにしておきたくてね
 勿論車検は通すけど、出来る限りは調整はする、でもあれは弥生の物なんじゃないかな」

そう言われると、確かにあの外見だけミニクーパーの車は弥生の象徴みたいな所がある。

「それに、単車の方が自分の体に近い感覚があってね」

「ああ、それはボクも思った、自動車まで行かなくていいけど、
 ボクも免許取れるようになったら中型くらい行けるようになりたいな」

「そりゃ、いいね」

マンションの方から裕子が冷たい差し入れと稜威雌を持ってきながら二人に勧め
裕子は稜威雌を奉納し、冷たい差し入れも稜威雌の中へ差し入れに行った。
それを見送りながら一休みしつつ

「稜威雌か…何かもう土俵が違う、現実にそこにあって現実にそれを使ってきた
 六人の祓い人が居て、それを現実に継いできた…、伝承とか神話とか
 そういうレベルじゃ無い、今そこにある七百年以上の時の積み重ねだ」

「真美さんの戦い方とは確かに合う物じゃないね、人間って
 そのままだととても弱い生き物だから…」

「うん、だから信仰は必要なんだとも判る、例え現実に紡いできた物があっても
 ここだって稜威雌を本尊とした信仰の場だしね。
 将来、神木となるべく植えられたあの桜もまだ若い、一体何年先まで見越しているのか」

「でもその信仰がややこしくなっちゃうと今みたいになっちゃう」

「そうなんだよな…民話に近い状態で伝承が紡がれてきたようなのはまだマシだが
 かつては盛大に祀られていた神、或いはその存在意義が物騒な神となると
 今この現代はかなりのストレスだと思うよ」

「「逆の立場なら」って考えたら、確かにそうだね」

裕子が出て来て稜威雌の所でも半分ほど付き合ったのだろう残りを合流して涼を取る。
葵はそのまま話題を続けて

「真美さんはやっぱり悪魔側の気持ちも分かるって感じ?」

「…どうかな…能力的には人を外れていても私は確かに人間の女としてここにある訳だし」

何となく話の流れはつかんだか裕子も

「大事な物の考え方ですわ、相手の立場になる事…正しそれは同情ではなく、ですが」

「うん…私は多分「それでは解決にならない」と思うんだ
 ただ、今こうなっては、人寄りに考えは傾くね、こんな時を失いたくは無い」

戦いを好む傾向にはあるが、矢張りこの平和な時間を愛してもしまったようだ。

「ボク達は基本待ちだけど、くれぐれも弥生さんの忠告だけは守って
 ヘタに突かないようにしなくちゃ」

「急いては事を為損じる、昔から言われている事ですからね…」

真美はデザートの最後の一口を頬張り

「なに、いつかは通る道だというならなるべく盤石なように…お互い様だろうけど
 そうするまでだよ」

「そうですわね」

弥生の居ない生活も少しずつ慣れ始めてきた事に、裕子もだが、特に葵が
胸を締め付けられた、今は稜威雌と時々一緒に寝て慰め合っているような状態、
一度思い始めるととてつもなく寂しさに襲われた。

真美はそれを読み取り、手は油にまみれているので額に額を寄せ

「大丈夫さ、きっと、上手く行く」

なんの根拠も無い言葉なのだが、言葉は詞、言霊、同じ満たすなら悲しみでは無く希望、
葵は微笑んで見せた。



そんな短い夏のある日、裕子が夕暮れに戻る。
いつもは掃除の時以外自分好みの暗さにしてある事務所に居る事の多い真美が住居の方で
ブラウスも半分ボタンを解いたリラックスした姿でタブレットで何かを読んでいるようだった。

「ただ今戻りました、葵クンは如何しました?」

「ああ、優達五人ととにかく修行と遊びを両立とか言って…何処まで言ったんだろうね
 もう優や里穂・南澄は飛ぶ詞も使えるようだから…それより…これさ」

真美が酒をあおりながらチーズなどそのまま食べられる物をやや物憂げに食しつつ
タブレットを差し出す。

「今から軽く何か作りますから…これは?」

「夕飯なんて作る余裕はないと思うよ、造魔による十条弥生の魂受け皿計画の概要だ」

「!!」

裕子がPDFの先頭まで戻って読んで行く。
共著にはなっているが、論文の大半は杉乃翠による物のようだ。
協力者には天照フィミカ・四條院沙織・天野宇津女ともあり、祓い人による
詞遣いなどの指導などもあるようだ、確かにこれは大きな資料だ。

『結論から言えば足りない物がある、逆を言えばそれを満たせば準備は完了だ』

と言う趣旨が最初に書いてあり、それに至るまでの経緯や技術論文になっている。
真美が要約し

「十条弥生が見つけた「どこか」から僅かばかり協力を得られたらしい、
 弥生自身がそこを見つけた「報償」のようなもの、と言う事で中級くらいまでの
 悪魔のデータをほぼそっくり移管する事が出来た、今この現代に敢えて
 造魔という技術の復活を試みた「危なっかしさ」も評価されたようだ」

「…ええ…そのようですわね…」

速読まで行かないが裕子はキッチリ一行一行読むにしては速いペースで
どんどん読み進めている。

「十条弥生のボディのデータ「解凍」についてかなり市内の祓い人の間で
 議論された上で百合原 瑠奈っていうのかい?
 彼女の「勘」で選んだ詞遣いで解凍に成功、いつでも造魔合成開始は出来るし
 その途中までは来ている、ボディの全データから必要な悪魔を揃えていって
 本霊に近いところからの悪魔合体という向こうでも前人未踏な事を始めて居る」

そこへ裕子が追いついたのか

「…そこで問題が二つ、魂のデータ量が判らない事、
 叔母様の体を具現化するにはデータじゃ無い「何か」が必要な事…」

「ああ、勿論「手順通り」オフラインにしてあるし盗聴の可能性は低い、
 ハッキングは試みてるかも知れないが、大丈夫」

「魂の…容量ですか…どうやら携帯電話だけはそのまま持っているようなので
 ただ魂と言うだけでもないのですね…これは…多少賭けになりますが
 まだ実現不可能では無いです…問題は「何か」ですわね…
 データでは無い…でも魂そのものでも無い…何なのでしょう…」

「なんとも言えないね、私にはむしろ想像も付かない」

そこへ、葵の元気な声が。

「ただいまー! 遅くなって御免ね、あ、おねーさんもおかえり、今から作るよ」

真美はフッと微笑み

「君にも、いや、君にこそ重大なニュースがあるよ、今日は
 インスタントでも出前でもなんでも時間と食うような余裕はないと思うよ」

「えっ」

そこで半ば震える声で裕子が弥生の魂受け皿計画の概要を伝えた。
必要なモノはあと二つ、一つは賭けになるけれど手に入れられる可能性があるけれど
残る一つがもう飛んだ謎かけである事…

やはり、普段気丈に振る舞っていても十条弥生に仮とは言え体が与えられるかも知れない
という情報は裕子以上の動揺を葵に呼び起こした。

「まぁ、先ずは落ち着いて…」

真美がソファから立ち上がり葵や裕子の頭を撫でる。
確かに動揺は隠せないし今から食事を作ろうにも絶対気など入れられない、

「一つについては置いておこう、先ずは君たち二人の心当たりで
 「欠けた何か」を当たってみてくれ、私は取り敢えず、
 酒やチーズやハム、幾らかの野菜があれば充分さ」

「…でも、矢張り何か作ります、お腹が空いていては考える力も出ません」

裕子が自分の買ってきた物や葵の買ってきた物から余り手間の掛からないモノを考える。
でも矢張り、材料を吟味する手が止まりがち。
そんな時葵がちらっと稜威雌を見て心を決めたように強い表情になったかと思うと

「ボク、作るよ。 やきそば大量だけどいいよね?」

「え…ええ、でも、葵クンこそ大丈夫ですか」

「だいじょおぶ、ボクはつおい!」

元気に、でも半ば思い詰めた表情も滲みながら豪快に鉄板での大量のやきそばを作る。
裕子は飲み物だけは用意して真美の元へ戻りつつ

「御免なさい、わたくし…貴女の事が好きです、でもわたくしにとって
 叔母様は色々な意味で師匠でもあり…憧れなのです」

真美は「しょうがないな」という感じで苦笑し

「そんな事は判っているよ、「そんな君も素敵だ」と言っているんだ
 何か大きな目標が君にはあって…その大事な一里塚を置いてくれる人
 そういう人だという事は判っているさ
 妬くも妬かないも無いね、「それが十条弥生と言う人」なんだろう
 山手先生とか特備とか、君を含めた大学生組、高校生組を見たって判る
 ほぼ孤独だって所からここまで持ってきた人でもある、そう言う意味では
 私も尊敬しているよ、でなければ君とも会えなかったかも知れない」

裕子は真美を見つめキスをする、酒と煙草の味がまたどこか弥生も思い出す。
でも真美は真美、弥生の代わりなどでは無い。
浸りかけたその瞬間、

「はい! 真美さん三玉! おねーさん四玉! ボク六玉!」

裕子が蒸しておいて冷凍していた野菜や鶏肉などをレンジで解凍しつつ
出来上がり寸前でどかどか盛った上目玉焼きも数個載っけてある。

真美は普通に食し始め

「うん、このちょっとジャンクな感じも捨てがたい、行儀など無用というのがいいね」

裕子も食べ始める、

「やきそばに半生の目玉焼きって狡いですよね、黄身と絡まる部分の美味しさと言ったら」

「とにかく食べよう!」

一通り食べて片付けて、足りないのは稜威雌だろうかという話になりつつ

「違うと思う、多分朗読のデータは既に竹之丸さんから全員分送られてると思うし
 そういう面での「調整は絶対にして居る」と思う」

葵が言った。

「データでも無く魂でも無く…そうなると心という物も少し違う…何でしょう…」

ひとしきり考え夜遅く、真美がもうそろそろ半ば潰れかけ

「まぁ、根を詰めてもどうにもならない、明日は土日とも裕子は休みかい?」

「休みには出来ます、竹之丸さんにも事情を話して何か掴めないか…」

「葵は?」

「ボクは夏休みだよ、ホントならおねーさんも夏休みに入っていていい期間なのに
 おねーさん飛び級も無いのに頑張るつもりだからねぇ」

「そう、飛び級は日本にはありません、でも、実績は作れます、
 なんとしてもわたくしは竹之丸さんの下で研修を受けたりしなければなりませんから」

「体壊さないようにね、ボク、稜威雌さんのところで寝るから」

「それは何か…」

「ううん? 何となく」



次の日の朝、騒然となった。
あれから真美は裕子を求め、裕子も一時ほだされすっかり寝てしまった事もあり
気付いた時には「温め直せばいい」状態で朝食が用意してあり、
葵はただ一言「行ってくる」という書き残しと共に居なくなっていたのだ。

取り敢えず距離の近そうな優に聞くも知らないと言うし、
特備に連絡しても来てないし、スマホも置いて行っている。

稜威雌もそこにある、身一つで改造ローバー号もそのままに葵は忽然と姿を消した。

「何か「心当たり」を見つけたのかも知れないな」

「でもなぜ…それならそれを玄蒼市に伝えるなり…」

「詳しい事は私よりむしろ君の方が詳しそうだけれど…」

と言った頃事務所で電話が鳴る。
真美が行って電話を受けているがどうも仕事の依頼らしい。

裕子は稜威雌を手に取り話しかけてみた。

「何か言っていませんでしたか…?」

『あ…ええと…本当なら先生や新橋様も…と言っていました』

「亜美さんに警視正…?」

『でもわたくしにも何をどうするのかは言わずに…』

「…少しずつ…見えてきました…」

『えっ』

「しかしそれにはまず…葵クンの所在を確かめなくては…」

そこへ真美が戻ってきて

「何か手がかりをつかんだかい?
 申し訳ないんだけど、私は結構大事な仕事が入ってしまってね」

「わたくしの思ったとおりであるとするならば…大丈夫です、行ってらっしゃいませ、
 あ、ご飯を温め直しますね」



その頃葵は山林を掻き分け低空で、しかも物凄い早さで南下していた。
PCからプリントアウトした大まかな航空写真地図を見ながら、
絶対に平野部や街のあるような場所を避けひたすら人目に付かないように南下していた。

「光る何かが物凄い早さで木々を縫って南に向かっている」
という一報が警察から防衛省に伝わり、公安特備にも流れてきた時、
それが「北海道から」目撃情報が散見されるという事で新橋警視正は「もしや」と思い
裕子…十条探偵事務所の方へに連絡を付けた。

『やはり…ですか…』

「どういう事でしょう、昨日の造魔報告書が関連していますか?」

『葵クンはわたくし共には…稜威雌様にすら何も言わず出て行きました、
 しかしこれで確信が持てました、今、「足りないもう一つ」を何とか致します』

事は緊急だ、新橋は「目撃情報」についてはそれとなく握りつぶしを命じながら、
裕子とは別に電話をかけ始める。

「私は日向君については余り知りませんが…、ひょっとしてそれは…
 出来る事なら赤羽さんや私もと言ったところでしょうかね」

『はい、そうです』

「…私にも判り掛けてきました、十条さんの体を形成するのに何が足りないのかを…」

そんな時、もう一方の電話が繋がり、新橋はただ短く

「君の成果が試される時が来ました、今すぐ、どんな手段でもいい、
 玄蒼市側と連絡を取り、君が正式に街に入れるよう手配します、急行してください」

『判りました、急行致します!』

と言う女性の返事と共に片方の電話が切れ、裕子がそこへ

『葵クンの正式な玄蒼入りは…』

「申し訳在りません、公安特備の中でも更に特殊な分類になろうとしている
 彼女の方は登録が済んでいて手配が出来ますが、そもそも北海道から
 動く予定すら無かった貴女達の入郷など思いも寄りませんでした」

『そうですか…判りました、百合原さんにこちらから掛け合ってみます』

「それも難しいと思います、彼女は今、魔術漏洩事件長期捜査のため
 東京に出ていて、基本的に玄蒼とは連絡が付かない状態になっています」

『あ…殆ど一般市民と変わらない状態に一時翻訳して…と言うやり方ですか…
 そちらも何か大変な事態に…』

「ご安心ください「いつもの範囲」です、実は百合原女史は結構出張も多いのです、
 大体が首都圏での漏洩捜査なのですが」

裕子は少し安心の溜息をつくも

『参りましたわ…こちらから直接玄蒼市へ…魔界大使館なども連絡する手段がありません
 大体叔母様直通か、百合原様越しに、でしたので…』

「まったく、これは貴女も含みますが「思いがけない」方達です、しかし
 これも何かの流れなのでしょう、出来る限りの事は致します」

『宜しくお願い致します』



「なるほどね、玄蒼市に直接…足りない物は…そうなると一つだけ、
 しかもそれは確かにデジタルな記録なんかでは保管出来る物じゃ無い」

横で電話を聞いていて机で食事をして居た真美が呟いた

「…であれば…わたくしのやる事はただ一つ…!」



かなり直線で途中までやってこられたが福島県に入った辺りから
旭岳、七ヶ岳、帝釈山、そこから南西へ苗場山の南付近、そして榛名山と浅間山の
間を縫って軽井沢を避けながら箱根山の近くを目指す。

葵の勘は冴えていた、どこかに祓いでも感知出来る「壁」があるはずだと思っていた。
魔術的に隔離されたというのだから、それが壁となっているはず、
普通には見えないけれど、あるはずだとそれを目標にして居た。

そしてそれは軽井沢の近く当たりには既にあったのだが、やたらと長い、流石に
壁その物は越えられそうにないので壁を伝ってどこかに「門」があるはずだと進んで居た。

流石に高速で飛ぶのはまずい、という所々開けた場所に来て葵はただただ神経を研ぎ澄まし、
その辺りに「あるはずの無い道」を探し進んで行く。

場所的には小田原・箱根・真鶴・湯河原…その辺りの地域である。
四代の話で知っている、海もあるはずだ。
四代の記録で出てくる地図から真鶴半島が何らかの見極めになる、
葵は慎重に「市街地なりの気配消しをされた」壁の気配を探りながらどこかに
あるはずの「現世と、その境にある街」の入り口を探した。



真美は仕事で出掛けてしまい、早く帰る、とは言った物の企業関係の調査依頼
という弥生の頃もやっては居たが結構大がかりな調査仕事、一日二日で
終わらない可能性もある、裕子は落ち着きを取り戻すべく紅茶を入れて飲みつつ、

仕事用のPCと自分のスマホに向かい、祓いを発し

「叔母様…一瞬で宜しいのです、直ぐオフラインに致します、痕跡も残しません
 ただ、少しの間だけ「影」を残してください」

電話が掛かり、それは矢張り弥生。

『御免、地球の反対側とかグルグル回ってたから最近こっち見られなくて…
 何かあった?』

裕子は事情を話し、「必要なモノ」を暗号めいた言葉で伝える。

『…なるほど…葵クンったら無茶な事を…でも動き出したからにはしょうがないわね
 私への追っ手はもう既に二桁乗ってて…これも幾つもの回線や接続を切り替えながら…
 そっちに行く隙を伺うのもキツいけれど…やってみるわ』

「どうか、宜しくお願い致します」

『しかもこんな時に限ってあの女は出張中か…ホントとことん会えない巡り合わせだわ』

「叔母様のタイミングで構いません、影を落としていってください」

『オッケー、祓いの目をヨロシク、それでなら私が「通り過ぎて行った跡」も判ると思う』

「判りました」

裕子は自らのスマホやノートパソコンも独自に「モバイルホットスポット」として
メインのPCに接続し、いつでもどの方向からでも弥生が通り過ぎられるように準備をした。



その頃、葵は門の前に居た。
ここだ、でも確かに固く閉ざされていてただ普通に通る事など出来ない。
門番がいるわけでも無い、ただ、既に察知はされているだろう。
事情を話せば開けてくれるかも知れない。

そうはならないかも知れない。

葵は力を全開にしてファイティングポーズを取ってみる。
進まなければならない、待つ暇も事情を話す余裕などもない。
ただ行かなければならない。

しかし、いつものような力で押すようなやり方ではこの門は開けられないだろう。

それだけは判った。

「ボクはただ…弥生さんに会いたいだけなんだ」

葵から緊張が解け、しかしその力は増し、煌々と輝く手が門に触れた途端、
その門は吹き飛んでしまった。

葵自身何が起こっているだとか考えるよりも先に、玄蒼内へ分け入って行く。
沢山の悪魔や禍が群がってくるが、葵に近づくより先に浄化されてしまう。

「開けっ放しは悪いかな…」

魔術的な門とは言え視認出来るのでそれを拾って祓いの力を乗せてはめ込むと
何事も無かったかのように門はまた固く閉じられたモノになる。

葵が中に入ったという事実以外は。


第五幕  閉


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