L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE:Sixteen

第六幕


「お前が八千代という祓い人か」

少々時間が経ったが尾張の清洲城に参じ、八千代はその城主…尾張の国主の前に頭を垂れた。

「何ぞ、悪霊というのか? それが時折場内を騒がせて居ってな…、見えたり見えなかったり…
 一応城下の祓いに何度か依頼したのだが、どうにも全てを祓うには手間が掛かるとか申してな、
 こちらも眠りを妨げられては五月蠅くて敵わん。
 それで何か手はないかと聞くと甲斐に十条八千代という者が居ると言う。
 同盟国とはいえ甲斐にいきなり尾張の者を使いに出す訳にも行かなくてな、小競り合いのついでに
 その弟が丁度近場で働いて居ると言うので間者に書状を渡した、そして来たのが貴殿だ」

「はい、間違いなく私は十条八千代に御座いますよ」

「フン、お前からしたら心中穏やかでない者からの依頼であろうが祓いに国境は無いと聞く
 それが嘘か誠か、この俺も判らない、そして貴殿は片腕と来たモノだ」

国主は結構な剣捌きで八千代に刀を向け振り下ろす!

「…ほお成る程、ぱっと見た目で人を判断してはならぬという事だな、無礼をした」

その切っ先は祓いの右手でつまんで止められていた、八千代は頭を下げたままだ。

「ええ、見くびられる事もまた駆け引き…ここまでは私も織り込み済みです」

「成る程な、いや…、誠に申し訳がない、どうか頭を上げてくれ」

八千代が顔を上げ

「書状と今のお話を聞く限り、確かに相手は強いと言うよりはしつこい…
 怨念の寄り集まりで御座います、一つに見えてもそれは多数の集まり、なので
 一気に全てを祓わなければ何度でも怨の補充をしてこちらへ参る事でしょう」

「やれやれだな、桶狭間での戦の後、疲れて付き追うてられん、ではそれを頼まれてくれるか?」

「引き受けましょう」

「城内は自由に往来して良いと配下や下々には伝えよう、頼んだぞ」

「お任せください」

八千代が廊下近くまで下がり稜威雌を手に取り下がろうという時だ

「ああ、時に」

「はい? 何でしょう」

「何を食ったらそのようになるのだ?」

長身と言うだけでは無い、八千代は非常に凸凹した体の持ち主でもあった。

「先ずは血でしょうか…、代々ですし…もう一つは祓いには食べるに禁忌など御座いません。
 そのようなものはこの国に仏教が広まってから長い年月の間に「なった事」で御座います、
 私は人以外の生き物で必要であると思えば何でも食べますよ」

「なるほどな、まったく仏の教えというモノは得るものもあるが
 そこをそぎ落としたらどうなると言うところまで削ぎ落とそうとしやる、
 そのわりに手前らはこそこそと、或いは堂々と破りもしやる、厄介だ」

「その点に関しましては心から同意致します。
 先ずは生きて食わねばならぬと言うのに禁忌など笑止というモノ」

「あい判った、引き留めて済まんな、旅の疲れを落として時を待ってくれ」

「何か合図が御座いましょうか」

「さぁてな、ただどうやら月が欠けきりまた光を取り戻す間に多いとか、もし何なら
 城下にて土地の祓いに詳細を聞くが良い」



新月まで数日を要し、唯物論者である国主にちょくちょく質問されもした。

「貴殿達「祓い」には世はどう見えて居る?」

「祓いという力を持ちその目で見えるモノに触れられるという事はそれは「在る」と言う事で良いのか?」

「なぜその橋渡しは「祓い」でなければならぬのだろう」

彼は神霊を信じては居ないようだった、しかし自分の目には見えないが祓いには見える「何か」があって
それが自分の睡眠を妨げるのが不愉快だ、と。
ああ、この人もこの人なりに真理に近づきたいのだ、と言うのが八千代には判った。
宗教や「そうだからそうなのだ」という概念でなく、納得が欲しいのだ、
そう言う意味では立場や目指すモノが全く違うとは言え、少し共感しないでもない。

八千代も言葉や知識を選び積み重ね説明しようとするのだが、矢張りどこかで
解明しきれない壁に突き当たる、八千代が降参する以外になく、国主は少し残念そうにする。

そしてこれも話しには聞いていたとの事で大量の食べ物を用意されていて、
しかも八千代はそれを全て平らげるという健啖さも見せた。



そしてある夜、城が騒然となる。
「それ」はやって来た、しかも今までより数段強力になって…!

大きなドクロに見えるそれ…しかしその骨の一つ一つに至るまでが人の骨の集まりであった
大きな怨を抱えたそれが夜営の武士を鷲掴みにし、握りつぶそうと力を込めた時、
その手が断たれ、祓われる。

「お待ちしておりました」

『…いつもの祓いではないな』

「ええ、毎度逃げられては敵わないという事で」

『二人から一人…しかも片腕…その割に持つ刀は野太刀…得体の知れぬ女だ』

「どう思おうと構いません、しかしやっと来てくれたお陰でやっと準備が役立つというモノです」

八千代が詞を込め左手に持った稜威雌を地に刺すとその大きな集合ドクロを含む庭全域に
淡く青い光の壁が立つ。

「前任の二人に成り代わって、今宵こそは逃がしはしませんよ」

『オノレ…!』

…と、そこへ

「なんだ、見えるではないか」

寝室から着流しで現れた国守、皆が焦って「殿はどうか中へ!」とか声を掛ける中

「八千代、片手で打ち勝てるほどソイツは弱いのか?」

余りに緊張感のない…というか事態を意に介していない国主の言葉にやや八千代も意気を削がれつつ

「あ、いえ…その」

「おお、そうか、それも織り込み済みであったな、重ね重ね済まん、起き抜けな物でな」

そして国主はその集合ドクロをみて

「しかしなんだ、恨み辛みというモノはそんな物を生み出すのか」

『元はと言えばお前の…お前のぉぉぉおおおおおおおおおおおおお!!』

怪訝な表情の国主

「俺を知っているのか? まぁ心当たりは多々あるがなぁ」

『庶家の分際で貴様なんぞが出しゃばる…!』

「ああ、今のでなんとなく察したぞ、この野郎、しつこいんだよ、本当にしつこいんだな」

国主は自らの刀を寝床から持ってきて祓いの囲いの中に入り抜刀しつつ

「見えるなら切れよう」

「えっ、いえいえ、あ、いえ、切れはします、しますがそれでは解決になりません」

「何故だ」

「人の性根こそは目に見えぬモノ、その性根がこの魔の力の源です」

「そうか、しかしあれだろう」

『ごちゃごちゃ話しておるな! お前を石臼で挽くが如く握りつぶしてやる!』

ドクロの手が(因みに斬られて祓った分は他の場所から修復されている)国主を掴まんとする!
…その片手は真っ直ぐ骨に沿って斬られそして両断され、
縦に二つに割られた上断たれたそれを八千代がやや慌てて浄化させる

「それ、そのように八千代が都度祓えばなんて事もなかろう」

「しかし、それでは殿の身が穢れますよ!?」

「穢れ? 知らんなぁ」

『俺の怨が…俺の怨が通じぬ…! 俺の怨が染み渡らぬ!』

国主はまた一太刀ドクロに浴びせ、断たれた分は八千代が祓う。

「何とも詰まらんな、いいか、この国はもうかつてのようなマツリゴトは通じん
 誰もがしのぎを削るような世の中も長く続いては世が疲弊するばかりだ
 誰かが天下を取りこの日本を纏めねばならん、それも早急にだ」

国主がまた一太刀を浴びせ八千代が祓いつつ

「俺がそれをやってやると言うのだ、いいか、お前ごとき一人や派閥の恨み辛みなど知った事では無い」

ここで国主はうろたえるドクロに対し何太刀も何太刀も浴びせ、削り取られた分は八千代が祓う
どんどん構成するドクロが断たれ祓われて行き、そしてその心臓部である一人の骸骨が露わになる。

「いいか信友、業など皆背負っている、いちいちそれに付き合って怒りだの哀れみだの
 持っていては身が持たん、俺が切って捨てたのだから、お前はなぁ」

そこまで言って国主は八千代に眼で合図をした。
…と、同時に心臓部を祓いの載った稜威雌に両断され、泣き別れも次々と浄化されて行く。

その様子を見届ける事もなく、国主は刀を納めきびすを返し

「俺の目に見えないところへ永遠に消え去ってくれ、五月蠅くて敵わん」

断末魔の叫びを上げながらも浄化され消えゆく怨念、八千代はこの国主を器だと思った。
人の上に立つ器を持っている事、でもそれを満たすには少し心が足りないという事も。

縁側に上がりながら国主は八千代の方を向かないまま

「終わりか?」

「はい、仕舞いまして御座います」

「ご苦労だったな、いや、成る程判ってみれば納得のしつこさだ」

「それにしましても悪霊から格を上げた魔に気力と技だけで立ち向かうとは、お見逸れ致しました」

「なに、生半可な怨念など気に掛けておる間もない、では休んでくれ、俺も寝直す」

八千代は深く頭を下げた。



十条家では緊張と言うほどでは無いが矢張り最初の一日二日は微妙な空気だった。
千代は居辛さをを感じていたが、何しろ近くの四條院家にも呼ばれ、おっと様おっか様を含め
代替わりした祓いやその弟子達に八千代の事を根掘り葉掘り聞かれ、
巌も笹子もやはり八千代の手紙では見えてこない部分を聞きたがる。
特に巌は師として八千代は立派にやっているかを聞きたがった。

千代は八千代の人柄や知識のお陰でどれほど自分が救われ読み書きや生きる術など何も知らない自分が
何とかここまでやってこられた事に感謝し、特に家族の事は良く聞き及んでいた事から
一人一人にお礼を深々とした。(四條院家の二人の親にも)

とはいえ、頼である。
やっぱりどこか「最愛の姉を奪ってしまった」という気持ちもあるし
向こうも全く何も思っていない訳では無いだろう、
穏やかに過ごしはする物の、どこか素っ気なく感じもして矢張り少し居づらいかな、と千代は思った。

尾張の方では八千代と国主の無茶な祓いが展開していた夜である。
頼は猛勉強をしていた。
もっと智を、もっと深く、幅広く、有用な知識を、次代十条家当主と言うだけで無く
偉大な父や姉にも負けぬよう、頼は夜遅くまで僅かな灯火で本を読んだり書き物をしたりして居た。

やはりその姿のどこかに八千代の姿も被さる。
八千代も自分と会った頃にはまだ勉学にも励んでいたから、その細かな仕草や姿勢に「血」を見た。
何気なくその姿を横目に自分も習慣で認めていた日記を書いていた時

「過去はどうあれ…、今幸せですか?」

頼の声が、振り返りはしない物の自分に向けられた物だと千代は気づき

「幸せですよ」

「あね様は…時折良く判らない人です…、深く物を考えていないようで
 どこかで筋道を整えてその通りに動かそうとする人です。
 周りには…それが思いがけなくとんでもない決断に見えて…
 片手を失った事に不自由を覚悟でそのまま過ごすなど、到底私には出来ません、
 そういう部分は甲が受け継いでしまったようですが」

「…でも矢張り家族なんだなって思います、甲様も頼様も巌様も笹子様も
 一人一人に一人一人が少しずつ宿っているような…」

「私の中にもあね様が居ますか」

「居ますよ、頼様のちょっとした動きや姿勢、そして夜更けまで猛勉強や写本をする姿…
 出会って数年は先生もそうしていました」

「…あね様は憧れです、いえ、おかしな意味は…否定はしきれませんが先ずありません
 あのように強くでも柔らかく暖かくありたいと」

「頼様、少しずつ似ているとは言え矢張り頼様は頼様です、
 確かに時は戦国…気などなかなかには抜けないと思います、でも…
 先生は多分それでも笑いを忘れません、寝る事や食べる事に喜びを見出してどこでも過ごすと思います。
 頼様もどこかで少し、一所懸命の場所をずらして頼様なりの拘りで気を抜かれるといいと思いますよ
 …差し出がましいですが」

「…そうですねぇ…(この発音や抑揚もまたよく似ていた)
 あの日飲んだはじける水を使った葡萄酒は美味しかった、葡萄酒は今回あね様と千代さんが
 作った物を持ってきてくれまして矢張り美味しいのですが、あの味がなんとなく忘れられません」

「あのはじける水って…ここからそう遠くもないみたいですよね、でも、今このご時世では…」

「…でも、汲んでこようかなぁ…」

「であれば…もし先生が戻られたら一緒に汲みに行きましょうか、
 大丈夫、私基本農家の娘ですから力はあります!」

ちょっとビックリしたように頼が振り向いて千代を見た。

「うん、振り向いたその表情にも、少し先生が見えます、笑って欲しいです、喜んで欲しいです、心から」

頼はここで初めて感情が見えるように微笑んで

「なんて前向きな人でしょう、なるほど、少し判りました、あね様が貴女を選んだ理由」

「えっいえ、選んだと言いますかそもそも乱取りに遭っている最中に…」

「そういう義侠心から来る部分は切っ掛けであったとしても、あね様は貴女に救われたのだと
 今判りました、なるほど、あね様もあね様で抱えた物に苦しんでいらっしゃったのですね」

何かこう、普通の会話の筈なのにどこか推理を挟まないとならないかのようなこのやりとり
やはり二人は姉妹なのだな、と千代は思って苦笑のような微笑みを浮かべて

「誰だって一つや二つ抱えている物だと思います、降ろしたり脇に置いたり
 …時に誰かにも少し持って欲しかったり…そう言う物なんだと思います。
 わたしも先生の人生全てを知っている訳ではありません、知らない事の方が多いと思います、
 でも私は今の先生を知っています、それでいいのだと…」

「私も誰か…見つけようかな、あね様と千代さんを取り合うのもいいかもしれませんねw」

千代は少し赤くなって

「えっ、いえ、あの」

「あね様と罔象様や桜様は心だけでなく通じ合っていた事は知っていました、
 現場を見たとかではなく、そういう物は何かこう…伝わってくると言いますか
 おかしい事とは思いませんでしたね、物心つく前から見ていましたから
 世間様とは少しズレているだけ…そういう事もある、そういう幸せもある
 それを追求出来るかどうかには力も必要でしょう、智もまた力、やっぱりもう少し頑張らなくては」

そうして頼はまた勉強に戻った。

「本当に、それぞれがそれぞれを認め尊敬し合う良い家族で、それぞれがそれぞれに少し溶け合った
 家族だと思いますよ、頼様」

「はい、自慢の家族です」

その頼の返答に千代は微笑み、一足お先に眠る事にした。



翌朝、折角だからと頼も加わって朝食の準備中、玄関からやや急いだと思われる八千代の声が

「とと様、はは様、甲はどちらですか?」

「さぁ…最近は家に居ることよりも城に居ることも多いからな、そちらに出向いてはどうだ?
 というか、何かあったのか? ただ今も言わずに」

「ああ…申し訳ありません、では…申し訳ありませんが皆を集めて戴けませんか、大事なお話があります」

なんだなんだと女中含む全員が集まった場で八千代は言った。

「尾張に抵抗するのは構いません、ですが逆らうことは無きよう願います」

「何かあったのですか、あね様」

頼が思わず口を出した。
頼も甲ほどでは無いが地元を守るために腐心している部分もあるからだ。

「あれは器です、天下を完全に掌握出来るかはともかく最後に残る数人の一人にはなりましょう、
 そして非常に唯物的です、実利に敵ったモノの見方をする人物です、
 「手強い」と思わせる分には構いません、ですが完全な敵対は容赦なく叩き潰す、そういう人物です、
 ですから、もうどうしてもとなったら投降することも視野に入れてください」

それは八千代の心からの忠告であった。
頼は固唾を飲んで

「それほどの人物なのですか」

八千代はきっぱりと

「はい、あれは器です、ただ、それを満たすには少し心が足りない…しかしそれは
 今後何か入れ替えることもあるかも知れません、そうなれば彼は天下を納めるでしょう
 恐らく院にはなるべく触れぬ形でそこは大丈夫だと思いますが…」

一家が重くなる、巌が

「移動も考えた方が良いか…」

「いえ…そうですね…甲斐の殿様も可成りの手練れ…移るならそちらでしょうが、
 最終的には激しくぶつかることも考えなければなりません、そしてそうであるが故
 尾張は安全とは言い難いのです、この日本のどこに居ようと、何れは何らかの波が押し寄せるでしょう」

「うむむ…何と難儀な時代であろうか」

頼がそこへ

「どこへ行こうと何れ押し寄せる波とあれば被る心構えや飲み込まれるにしても
 なるべく有利に事を運ぶ必要がありましょう、引っ越していてはそのような方策も練られない、
 とと様やはは様には良き余生を送るために本家に身を寄せるなども考えて良いと思いますが
 私は…そして恐らくは甲もここへ残ると言うでしょう、ここは故郷ですから」

やはりそうなるか、という表情をして少し八千代が思い詰め軽く俯いた
血を分けた姉妹、例え幼い頃までの記憶しか無くとも予想はしていたし矢張りそうなった、

「まぁ…八千代、判っているだろう、どこへ行こうと何があろうと儂たちは家族だ
 儂から見たら未来ある子供達は、笹子だけは…と思うし笹子も笹子で子だけは…と思うだろう
 そういうモノだ、そしてここで出来る限りのことをする、
 手伝いさんたちは手伝いさんたちの家や家族の意向があるだろうから、それはそれに任そう
 とりあえず庶家十条はここにあるよ」

「はい、でも取り敢えず言うだけは言いました、甲が城に居るというなら
 こちらの殿様にも進言はしてきましょう、とにかく、抗うにしても程を見極めないといけません」

そこへ千代が

「それ…先ほども先生仰いましたね、甲斐も何れと…」

「…はい、ですがまだ時間はあります、甲斐の殿様とは尾張も今全面対決とは行きません、
 寄り都に近い分、まずは関内をという流れでしょうし、それを阻止せんと今尾張は方々から
 狙われている状態でもあります、しかし、ゆくゆくは尾張の殿はもはや尾張だけでなく
 ほぼこの日本を手に収めるというところまで行きましょう、その最後の方で甲斐とは
 戦う運命に御座いましょう、そこから先はまだ見えません」

「あね様がそこまで仰るのですから相当なのですね」

「魔に穢れることなど意に介さず自ら太刀を振るい崩した部分の祓いと最後の一撃だけを
 当然のように私へまわす…そんなことを瞬時に考え実際に行ってしまう、ある意味魔より恐ろしい
 自らが仏教に言う「業」を背負うことなど当然すぎて「詰まらん」と言い放つ、
 あんな人初めてまみえます」

祓いという特殊分野にまで入れる部分はずかずかと入り込むその豪気、そして
引き際も完全に心得て任せるところは何も言わずに八千代に任せる、その冷静で冷酷な判断力
八千代は続ける

「とりあえずこの事を甲にも…」



「いえ、聞いておりましたよ、姉様が戻ると聞き及びまして出迎えにと思いましたが
 余程急いで戻られたようで」

甲が玄関に居て一同に声を掛けた。

「聞いていたのでしたら話は早い、その魂燃やし尽くしても抗うという気負いなど
 彼には「どうでも良い」事、甲もその辺り引き際を見極めてください、せめて、生き延びてください
 姉からの願いです」

甲は少しやるせなさを感じた物のうっすらと微笑み

「そうですね、そこまでの豪傑とあっては…」

とりあえず言いたいことは言った、一家はどこか心の奥底で何れどう言う形にも決めねばならぬ
「線」についてそれぞれ思いを馳せつつ、それでも今はと朝食を囲んだ。



尾張への警戒もあり結局は三人で水を汲みに行くという案も果たせぬまま
時は永禄五年(1562年)七月、四年夏には小畠が亡くなったと聞き、弔いにも向かった。
小畠の子息が家督を継ぎ、引き続き松代にて同様の任に付き、そして第四次川中島の戦いを越えて翌年
八千代の元へ八咫烏がやって来た。

「ぇええ!? フィミカ様から直々の依頼ですか!?」

「然り…急ぎ願いたい…」

「わ…判りました…と言いたいところなのですが…今すぐというのは少々…」

「…手習いや畑、蚕など生業がある事は判り申したが事は急ぎと…」

「フィミカ様が支援を必要とするほどの祓いですものね…」

「悔いの無きようとも」

その一言で千代の心が不安に包まれた。
しかし信じて待つのが自分の努めである、そう告げようとした時である。

「千代さん、一緒に来てくれます? いえ、戦いにまで参加しろとは言いません」

「えっ」

八千代は少し寂しそうに微笑み

「ただ、近くに居てほしいものですから」

千代の胸が締め付けられる、半ば死を覚悟しているのだ、八千代は。
そこへ八咫烏が

「然れば吾が近くの祓いにここの代わりを頼みに参る」

「お願い出来ます?」

「道をあないすることは出来ずば宜しいか」

「フィミカ様とは一度まみえております、それを頼りに参りましょう」

「あい判った」

八咫烏が飛び立った。
八千代は稜威雌を手に

「では、家はこのままで構いません、いっときもあれば代わりも参りましょう」

「先生!」

「…何でしょう?」

「例えどれほどの強敵であろうとも…」

「判っておりますよ、先ずは千代さんのため」

既に泣きそうな千代を抱き寄せその額に口付ける八千代。

「死なない程度に死ぬ気で頑張ります」



八千代の体に必死で捕まりつつ、八千代も千代をその左手でしっかりとつなぎ止め、
鳥よりも早い勢いで翌日の夕刻前には出雲国、そしてその象徴たる出雲大社へと二人はたどり着く。

「立派な神社ですね…」

思わず千代が感嘆の言葉を洩らすと

「大和からも一目置かれた古い国ですからね、ん…あれは…」

最後の跳躍、と言う時に見えてきた出雲大社とその鳥居、そこに居るのは…
八千代は鳥居の前に降り、そのまま片膝の姿勢で頭を下げ

「十条八千代、参じました」

千代も平伏そうと思いつつ、話しには聞いていた「フィミカ様」に驚く。
八千代はその外見的特長までは言っていなかった。
まさか子供の姿だとは…

「おう、待っておったぞ、でかくなりおったなぁ、呆れ返るほどじゃ、八千代。
 丁度良い、もうそろ地の祓いの者達も抑えが効かぬそうじゃが、
 先ずは…その娘が「心残り」か、八千代」

「はい、千代に御座います」

「うむ、では二人とも来い、先ずは腹ごしらえじゃ、その後は千代はこの社に残れ」

やはり現場にまではついて行けないか…千代は少し残念に思い俯くと

「心残りの無いようにというのは永久(とわ)の別れと言う意味では無い、案ずるな」

見透かしたようにフィミカ様は言いつつ二人を先導する。



とんでもない勢いで腹ごしらえをする二人、八千代もいつもの健啖さと言うよりは
必死にかぶりつき多くの物を取り入れようと必死な様子であった。

食事も終わり頃、出雲の祓いの一人がはせ参じ、

「どうか、急ぎお願い致します…!」

魚にかぶりついていたフィミカ様がぷっと骨を吹き戻し皿でキャッチしながら

「ようし、そろ、いいじゃろ」

八千代も豪快に骨付きの肉を骨だけ外れるように綺麗に抜き食べつつ

「はい…」

そしてフィミカ様は伝令の者に

「お主はここに残れ、無傷のが一人でも多く居た方がいい、千代もじゃぞ、戦場(いくさば)には来るな」

稜威雌を手に既に縁に出ていた八千代は振り返り、千代にほほえみかけた。

「どうか…ご無事で」

千代は確かに鍛えはしたが祓いではない、平伏して送り出す以外になかった、八千代の無事を祈って。



「大きな気配が…とんでもない魔が潜んでいるようですね…」

「うむ、ここまでのは滅多にないが…」

現場には身体能力向上の上二人とも空を蹴っていた。
何気にこれは中の上級技で、出張の多い祓い人とかでも無いと中々習得しない物でもあった。

多くの場合、土地の者では手に負えないとなっても鎮魂だけは施し…詰まり封をして
それ以上の動きをとれないようにしてから救援を呼ぶ。
伝令にも幾段階かあり、身体向上くらいで走り呼ぶ場合が大概である。
この上が身体向上の上の跳躍、これも二段階で空を蹴るのが二段階目、結構急ぎ。
次が八咫烏を使った伝令、ここまで来ると可成り切迫状態。
これを受ける者は空を蹴る技を心得ていなければならない。
最上級が繋がりを持つ祓いから祓いへの祓いの力を使った伝令である。
弓のカラビト祓いの時がそれであった。

現場に到着すると出雲の祓い…三家とは別の系統の祓いで唯一その勢力を持ったまま
日本という国に組み入れられ、出雲の為のみに働く祓いが数人で地鎮をしていた。

その色は強い者ほど黄色、下位になると橙がかって行くようだ。

「フィミカ、参じたぞ」

「十条八千代、フィミカ様の命により助太刀に参りました」

「よかった…もう持ちませぬ…!」

そこへフィミカ様が喝を入れる

「へたばるでないぞ! お主らにはまだ戦って貰わねばならぬ!
 相手は一体では無い、必ず眷属も引っ張られてくる、封を解いてその眷属と戦う息を整えよ!
 本体はわらわと八千代で倒すでな!」

八千代がその時になってふと何がこの地にわき出ようとしているのかを聞いていないことの気づき

「時にフィミカ様、一体何が出てこようとしているのですか?」

戦闘体勢に入ろうとしていたフィミカ様だったが、

「聞いておらなんだか?」

「はい」

「そうか、とりあえず八千代、主に雷(いかずち)を纏い戦っておくれ」

「判りました…それで」

「来るぞよ…!」

確かにもう押さえも限界だ、地を裂きそれは頭をもたげ現れる、そして眷属やそれに引っ張られて
出てきた魔も居る、これは…確かに厳しい戦いになる…!
そしてその首謀格の魔は幾つもの頭を持った…

「八岐大蛇…!」

八千代に緊張が漲る


第六幕  閉


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