L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE:Sixteen

第七幕


大蛇の頭の一つが咆哮を上げると辺り一面を凍らせる…!
…が、被害無し!

「ふん、手始めに辺り一面に一打を与えるだろうとは思っておったぞよ、そうはいかん」

フィミカ様の白い光が辺りに人も土地も守る形で展開していた!

「八千代や、わらわも最後には全力を出さねばならぬ、じゃが、その為には下から奴を
 上にしてその力を使いたい、よいか?」

八千代は矢張り最強と言われるフィミカ様の完璧な守り、草木の一つにすら影響を及ぼさせなかった
祓いの力に畏敬の念を初めて深く覚え、煌々と光る青い祓いの手を出現させ稜威雌を抜く。

「判りました…!」

力強くそう言うと、先ずは眷属諸共雷の力を纏った太刀筋で祓う、

「ミズチには気をつけるのじゃぞ、あれは時折雷を跳ね返す」

フィミカ様が守りに徹しつつ八千代や周囲にそれとなく伝える。
眷属の幾らかは祓えたがまだまだ数は多い、八千代は「いつもの祓い」でもう一度
周囲に太刀を浴びせながら

「フィミカ様は…オロチやその眷属とは戦い慣れておられるようですね?」

「…と言って数える程じゃぞ、流石に
 それに…伝承の形が定まらん頃には如何様(いかよう)にも形を為していた、
 首の数が定まった物では無かったり、大きさもその力も様々じゃ」

忌々しそうな大蛇の首の一つがフィミカ様に噛みつこうとするも、
八千代が「あっ」と思った時にはフィミカ様に牙が届く前にその頭は祓われて行く。
フィミカ様の周囲に守りつつ相手を浄化させる祓いを纏っているという感じだ、

「伝承が定まってきてその力にもブレがなくなり強力になったと言うことでしょうか」

「かもしれん、じゃが「八岐大蛇とは」と聞かれおよそ万人が何らかの
 答えを持つに至る頃には幾つかに定まろう、それは水害の謂われであったり
 溶けて流れ出す鉄の謂われでもあり…「やまた」と言うからには首の数も…というようにな」

八千代は眷属からいきなり大蛇の不意を突きその首二つを立て続けに断ち、祓いつつ

「成る程、納得です」

と、八千代の横から頭の一つが頭突きを噛ましてきたと同時に物凄い火炎を八千代に浴びせる!

「八千代!」

流石のフィミカ様も自分以外の誰かの細かいダメージコントロールまでは出来ない、
しかし、叩き付けられた木に貼り付けの形になって浴びたはずの強烈な火炎は
その木を若干焦がすに止まり、八千代自身も少々の火傷と言った感じでにっこりと顔を上げ

「大丈夫です、戦うのが主に雷と言われただけ、火炎には火炎の、氷結には氷結への守りがあり
 私はちゃんとそれを使い分けられますよ」

とはいえ、その口の端から血が一筋、物理攻撃の激しさに少々やられたようではある。
しかしフィミカ様はにやりと笑い

「ようし、お主を名指した甲斐があるというものじゃ」

「期待には必ず添います…!」

物凄い早さで、しかも空を蹴る技で大蛇に動きを読まれないよう翻弄し、八千代はまた一つ首を祓う、
正直時間さえ掛けても良いならいつかは勝てるだろう、出雲の祓いは思ったが、
祓いには弱点がある、それは使い手があくまで人間であり、祓いの力は無限では無いと言うこと。
いつか「祓いの息切れ」が来るのだ、それまでには倒さねばならない!

大蛇も流石に魔を束ねるだけはあり、八千代の奇襲作戦も二度目以降ははかが良くない。
眷属であるノズチ・ミズチ、その他悪霊や魔は出雲の祓いや八千代が倒して行き、
「全体攻撃」はフィミカ様によって封じられているが、未だ四つ残る大蛇の首の
奇襲を躱しつつ攻撃に転じる場合だけは誰が狙われるとも知れない、
回避しつつ、眷属を先行した祓い、フィミカ様と八千代が主に大蛇を引きつける、
そういう分担になりつつあった。

大蛇はそのうちフィミカ様が自ら攻撃に転ずることはないが、守りも完璧では無く
個人攻撃でなら相手にダメージを与えられることを学習し、狙うは八千代だった!
同時に四方から襲いかかられると流石に躱すにしても幾らかのダメージは覚悟しなければならない、
フィミカ様は信じて「大まかな全体の守り」を解くことはなく、見守る。

出雲の祓いも地鎮の後直ぐ眷属との戦いと言うこともあり、中々はかが行かない。

少しずつボロボロになって行く八千代だが、少しずつは大蛇にもダメージを与えており
物凄い一進一退の様相を呈していた、どちらかのタフネスが尽きた方が倒される、

そんな時、八千代が空中で大蛇の勢いに体勢を崩した「ここぞ」という場面を四つの首は
見逃しはしなかった、四つの首に四方から押さえ込まれ地面にそのまま叩き付けられ、
そのうえ四つの首がそれぞれ炎・氷・炎・氷という順に八千代へ直接たたき込む!

何かが割れるイヤな音がして、八千代の手足が砕けたのがその散って舞う残骸から判った。
そして大蛇が勝ち誇ったかのように笑った、「五月蠅い蝿を落としてやった」と。

「…、八千代! 仕方がない…横撃ちはしとうなかったが…出雲の! 四方に…!」

散れ、と指示を出しかけたその時。

「大丈夫ですよ…、フィミカ様…、どうかそのまま…」

三尺ほど地面が凹んだ窪地から八千代の声が。

「生きておるか!」

「当然です…この程度のことで…」

『この程度だと? その右腕には少々手こずったが四肢を砕いてはどうだ?
 お前は今臓腑も骨も砕けておるぞ、それで一体なにをせんとする?』

大蛇が勝ち誇ったように言うと
窪地から祓いの手が伸びて穴の淵を掴み起き上がってくる八千代。
整えた綺麗な髪もボロボロ、服もボロボロ、盛大に吐いた血の跡、とてもじゃない、
まともな状態では無いはずなのに、その口は笑っていた。
狂気すら感じるほどに、喜びすら感じているほどに。

「「だからなんだ」というのでしょう、あなたは私を一撃では倒せなかった、充分です」

『何が充分なのだ』

「あなたは私には勝てない、そう言っているのですよ」

とばかり言うと、地面すれすれに目にもとまらぬ早さで八千代が大蛇へ深く切り込む!
その四肢は全てが祓い、祓いの四肢にまで成って居た!

その動きを止めようと大蛇は周囲への氷結を行うも、それはそう、フィミカ様がしっかりと守っている!
「しまった…!」大蛇がそう思った時には大蛇の体の下に稜威雌が刺さっており、
そして八千代はあらん限りの声で雄叫びのように稜威雌の峰で大蛇を持ち上げ空へ放り投げ、
そして落ちてこないように、むしろどんどん空へ持ち上げるように地面と宙の大蛇への攻撃を
矢継ぎ早に繰り返す!

「よし! 八千代!」

フィミカ様が声を掛ける、八千代は頭の一つに対して言った

「では、さらばです…なかなか楽しゅう御座いましたよ…」

八千代が跳び去るとそこからは物凄い光の塊が迫る…!
宙の大蛇を中心に頭と尻尾が若干残る程度に、一瞬にして大蛇の体は球状に浄化、消されてしまった!

「うむ…横に撃っては山を吹き飛ばしてしまうでな…」

一瞬、西日本ほぼ一体が真昼のような明るさになった。
それは当然社で待つ千代の目にも見えた。

「あれは…!」

大社の守りを仰せつかった出雲の払い人が言う、

「あれこそは伝え聞くフィミカ様の祓い…、何と強力な…いや…強力なんてものでは…」

大蛇の最後の咆哮もその強烈な光で途切れた。
光ったと同時に大蛇は倒されたのだ…八千代は…!



フィミカ様が残りの悪霊や魔を振り払うような動きで全て消し去ると

「お疲れであった、これで仕舞いじゃ」

と言って八千代の元へ、祓いの四肢は消えていて息も絶え絶えの八千代が転がっていた

「良くやった、先ず何をする?」

「ひだり…左腕を…」

「判った」

凍って砕けた左腕、両足をなるべくかき集め(出雲にも手伝わせ)左腕だけはほぼ完璧にくっつけ
細かく足りない傷もなるべく治した。

「…済まぬがわらわも今力の限りじゃ、他はくっつけるだけにして後はお主に任せる形になるがよいか?」

「有り難う御座います…大丈夫です…」

そう言って八千代はくっついて動くようになった左手で稜威雌を握りしめ、死んでも離さない
と言う勢いでそのまま気絶した。



出雲大社へ慌ただしく複数の足音が聞こえてきた時には千代が何よりもそれを迎えた。
二人の出雲の祓いに抱えられて気絶している酷い姿の八千代、フィミカ様も支えられふらふらだ。

「千代…、言われんでもそうするじゃろうが、八千代の側に居てやれ」

フィミカ様ももう消え入りそうでげっそりとしている。
出雲の払い人達も疲れ切っていた、とりあえず割り振られた寝所へ二人を運ぶと
その頃にはフィミカ様も深く眠っており、出雲の祓い人も付き添い以外は引き上げていった。

千代は八千代の稜威雌を握りしめたその左手を両手で覆うようにしてとにかく側に居た。
長く美しい黒髪は所々焼けていたりだし、いつもの巫女服もボロボロ、あちこちひび割れたり
火傷したのであろう傷跡、そしてそれ以外にも激しく出血している、いつもは調整しているはずの
その血は女の宿命でもあるが、その調整すら出来ないのか…しかし痛ましいがでも生きている。

辛いけれど嬉しい、生きて帰って来てくれたことが何より嬉しかった千代。



「左手が温かい」

「千代さんが貴女様の手をとっていますから」

そこは稜威雌の中であった。
八千代はしばしその左手の暖かに感じ入った後思い出したように

「しかし流石は神話の魔物…強う御座いました」

「これを切っ掛けに貴女様の中で十条の血が本格的に目覚めたようです、
 もう近々に貴女に敵う人や魔などごく一部を除き居りますまい」

「私…最後の辺りは完全に戦いを楽しんでいました…あの状況で魂が燃えるような喜びを味わうなど
 私は矢張り、普通には生きて死ねない祓い人なのだと痛感しました」

「そうですね、私を手にした限りは…そう言う意味ではわたくしは…」

「貴女を手にすることが出来たことは光栄です…本当ですよ」

八千代の言葉に稜威雌は言葉を飲み込み、八千代の体の整えに集中した。



八千代は数日安静の身であった。
とはいえ、生きてその体も復調しつつある事に伝令の八咫烏も驚き、
体調が戻り次第八千代と千代は帰る旨をまた甲斐の自宅へ伝えに行く。

八千代もフィミカ様も大変な食欲を見せ、品の良い八千代にしては貪るように体の中へ
食物を取り込んで行っていた。

出雲の祓いもすっかり感服はしたのだが、自分のことは記録に残してくれるなと二人とも言う。
フィミカ様は担がれたくないから、という理由であるが、八千代は「目立ちたくないから」であった。

「この話がヘンに広まってあちこちから声が掛かっては生活に障ります…
 私は祓いですが手習いでもあり医師のような物でもあり…そして農業試験をやっていて
 蚕も飼っています、その生活もそれはそれで忙しく遣り甲斐もありますので…」

「それにあれじゃ、わらわが参加した祓いなど記録に残しても何の参考にもならん、
 後世のために残すというのであれば、八千代が控えてくれと言うのじゃし
 お主達が自力でどうにかしたように書けば良い」

そこへ肉を頬張りつつ八千代が

「ああ、そうです、来る途中月山(がっさん)のお城で戦が御座いました。
 もし何であれば地元の領主と話し合い彼らに手柄を手向けるというのも」

出雲の祓い頭が

「流石にそれは…しかしお二人の意向、なるべく汲みましょう」

「お願いしますね、もう本当にどうしようもないと言う時は遠慮無く呼んで戴ければ…」

「そうじゃな、それはわらわも吝かでない、
 とはいえ大蛇などこうなれば可成りの年月押さえられると思うぞよ」

そこで祓い頭がため息をつき

「…そうなると一番厄介なのは当分人ですな…」

「そうじゃな、八千代もこちらへ赴く際戦を見かけたと言って居るし」

「…出雲は毛利のお殿様が獲るでしょうね、今からその旨働きかけておくと良いと思います」

「八千代殿はそう見ますか、尼子に勝ち目はありませんか」

「はい、恐らくは」

「そうですか…判りました」

一番厄介なのは人…確かに祓いとは何の関係もないところで戦は進行していた、
千代は尾張にもほど近い八千代の実家…八千代の面影が少しずつ宿る一家を案じすこし悲しくなった。
八千代は八千代で武士は武士の世界、魔に対して、祓いに対して踏み込んできて欲しくないと願った。
罔象や桜がそれで引退を余儀なくされたこと、少なくとも八千代はそれを許していなかった。



本当は直ぐにも発ちたかった八千代だが、何しろ通り道になりそうな所では戦が展開している、
まだ体の端々は傷むし、傷も所々生々しい、フィミカ様や出雲の祓い、何より千代の勧めもあって
しばらく出雲に滞在することになった。
フィミカ様は既に旅立っていた。

「濁りはついつい進んでしまいます…蕎麦も美味しゅう御座います、
 ああ、たまにはゆっくり過ごすのもいい物ですねぇ」

八千代がうっとりといつものポーズで濁り酒を飲みつつ挽いた蕎麦と小麦を練った物に漬け物などを
包んで焼いた…信濃国に言う「お焼き」のようなものを自分なりにアレンジした物をつまんでいた。
しかし千代は八千代が落ち着いてくるにつれて落ち着かなくなって行き

「でも…「何かしなくちゃ」っていう気になってしまいます…掃除でも炊事でも何でも良いので…
 させて欲しいと言ってもさせてくれません…客人だからと…」

「お気持ちは察せます、私も家のことが心配でないと言えば嘘になりますから…でも帰り道の一帯で
 戦とあっては足止めも仕方ありません、体調も万全ではありませんし…
 報酬を切り崩しながらでも隙を伺うしかありませんね、千代さんも開き直って過ごすと良いと思いますよ」

「事情は分かるんですけど…こう…性に合わないというか…」

「まぁまぁ…飲みましょう、甲斐とここは規模は似ていますが矢張り土地の成り立ちも気候も違う、
 地の物も違いますし味付けも違う、せいぜい楽しみましょうよ」

「先生…もぅ」

そこへ出雲の祓いでも世話係の「凪(なぎ)」という少女(年の頃は十六・七)が

「ご不便を掛けまして…」

と謝られれば千代も焦って

「いえいえいえ…まだ夕刻というのにかえって先生が奔放になられてご迷惑を…」

「いえいえいえいえいえ…こちらも大蛇など足止めで精一杯で…
 どうも百年から二百年おきに現れているそうなのですが、ここ三百年ほどはフィミカ様や
 大和の方々に良くして戴いているようで…」

「あの方って…」

酔った八千代がそこに割って入り

「はい、千代さん、詮索はそこまでですよ、掘り下げては行けないことと言うのもあるのです
 まぁ正確には…知ってしまうととてつもなく悲しくなってしまいますよ」

「いえ、その…三百年という数字だけでもう大変な人生だろうなと…」

「そうなんです、でもあの方は自ら死ぬようなことはありません、であれば
 その時その時を楽しく過ごすまでですよ、本当なら平伏したいところですけれどね、
 正直要望にきっちり応えることに必死でしたけれど…w」

そこへ凪が平伏し

「凄まじく御座いました、鬼気迫るとはまさにあの事です」

「あの時、不思議でしたねぇ…痛いとか苦しいとか言う物が全て闘志に変わった感覚です…
 正直大蛇より私の方が怖かったかも知れませんねぇ…
 それでその後盛大に体調も崩して皆さんに迷惑を…」

「いえ! 感服致しました!」

その様子を八千代が「少し悲しげに」微笑みながら見て

「頭を上げてくださいよ、私もただの祓いの一人に過ぎません」

と言ってよろよろと立ち上がり「少し風に当たってきます」と部屋を出て行った。
それを見送る凪、その横顔には自分にも覚えがあると千代は感じた、でも、見ている方向が違う。

「私…戦っている先生って一度しか見たことないんですよね、私を保護した時…
 乱取りの最中に出くわして…「人として見過ごせない」という義憤で…でも本気を出すことなく
 相手にも家族も何もあるだろうと結局は逃がして…
 私も祓いの使い手なら…「そういう惹かれ方」も出来たんでしょうね」

一応成人の身、とはいえまだ未熟な少女でもある凪、思いを見透かされて平伏した。

「も…申し訳ありません…横恋慕のようなマネなど…」

「いえ、こちらこそ…やっぱり嫉妬なのかな…これは…といっても貴女に対してではなくて…
 同じ土俵で一緒に戦うことが出来ることが羨ましいって言うか…」

千代がちょっと繕うように、照れたように言った。
自分が嫉妬なんて、とでも言うように。

凪はそこで顔を上げ

「しかし同じ土俵で戦うと言うことは、辛くもあります、
 仲間が死んで行くことも覚悟しなければなりません、八千代様は「だから」
 貴女様を選んだのかも知れません」

千代は色々思うことが渦巻き少し俯いて

「そうか…そういう考え方もありますね…ああ、いけない、
 「考えちゃ行けないこと」沢山考えてしまう!
 私も飲みます! 凪さんもどうですか、もう一緒に飲んで今のは流しちゃいましょう!」

「いえ、私は任務中ですから…」

「私達の相手が任務なら、いいじゃないですか!」

確かにそう言われるとそうだし、凪もちょっと切ない、酒を勧める千代に凪は杯をかざした。



普段余りお酒など飲まない二人、千代は八千代が余り飲む方ではないと言うことと、
やはり生活がそれなりに忙しいこと、経済的にも決して楽とは言えないこと、
元々庶民の間では酒はハレの飲み物だ、飲んだとして年に一度から数度
凪にしてみればまだ体も未熟であると言うことと、ある意味二十四時間体制の祓いである事。

酔いつぶれている二人の側で戻ってきた八千代がまた飲んでいた。
二人にそれぞれ出雲の方から賜った着物を被せてやって、
二人の寝顔を愛おしそうにも、少し切なそうにも見ていた。

「…良い月夜です、夏の暑さになまめかしい風、そして煌々と照る満月…」

うっとりと八千代は眼を細めて満月の光を浴びつつ

「私は知っている、それは日の光に照らされた姿だと…自らが光る星では無いのだと
 そのくらいでいい、私も、そのくらいで丁度いい」

また一口煽ろうと言う時だった、大蛇ほどでは無いが感じる、魔の気配…!

「…大蛇の出てきた場所…閉じきってませんでしたか…フィミカ様の言う通りでした
 …しかし無粋ですねぇ…こんな夜に…」

慌ただしく大社へ一度集う出雲の衆に八千代も千鳥足で歩み寄り

「回復待ちと共に警戒を頼むと言われて居りました、その通りの事態です、参じましょう」

しかしどう見ても八千代は泥酔に近い、出雲の頭が驚いて

「いえ…しかしそのような…」

「なに、何とかなりましょう」

その裏手…客室に割り当てられた部屋では出雲の祓いの一人が凪を起こし、酒の回った体も
覚醒させている、その様子を八千代は横目で見つつ

「大丈夫、現場に着くまでにあのように酔いも覚ましておきますよ」

「はぁ…そう仰るのでしたら」

許しが出ると八千代はいつの間にか体に染み渡らせていた詞を使い現場に一直線で跳んで行く。
推し量れぬその力に出雲は戸惑いつつも後を追った。



まだ大蛇の暴れた跡も生々しい現場、更に出現場所から現れ出でたそれ。
そこへ空を蹴り、間合いのギリギリに着地するもよろめく八千代。

「ようこそ、いらっしゃいませ出雲へ、鵺の魔さん」

ここに言う鵺はまだ伝承の確立の上でその例えに忠実な
頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎に似るという魔物、色々な非業の塊でもある。
しかも結構大きい、座った姿勢でも二十尺(六メートル)ほど…鵺は八千代が酔っていると知ると
虎に似るというその逞しい腕で先ずは先制攻撃を…、
八千代はそれを鞘に収まったままの稜威雌を使いいなしながら

「おぉ、いきなりいい挨拶です…、個人的には貴方の族に恨みもあります故、祓わせて戴きます」

鵺がそれを嘲笑い、パンチを連続で仕掛けてくる。
物凄くギリギリのようにしかし八千代は鞘に収まったままの稜威雌でそれをいなす。

『ウデは確かなようだが…そこまで酔っていて我が祓えるモノか』

「祓えますよ…今は少し酔っていたい気分なのです」

『見くびられたモノだ…!』

上から振りかぶるようでもう片手で下からすくい上げるような一撃は稜威雌に受けられはしたが
八千代は上に吹き飛ばされ、現場に急行する出雲の祓い達にも見えた。

「八千代様…!」

凪の叫びと、そして凪は速度を増し現場へ急行して行く。
出雲の祓い頭はそれを少し複雑な思いで見送り追うしかなかった。

八千代は直ぐさま空を蹴り一直線に鵺へ、
その閃きと鋭さに鵺は一歩引き八千代はまた着地してはふらふらしている、
一歩退いてしまった、そう、直感として八千代は強いと感じたのだが、しかし泥酔していて
まっすぐ立つこともままならない様子、見くびったものだか慎重に行くべきか鵺も戸惑った。

「ふふふ…迷いましたね? しかし一歩退くとは中々貴方も分を弁えているようで…」

鵺にイヤな汗が滲み

『オノレ…お前が読めぬ…、きっちり我と戦わぬか!』

「もっと速く「今夜行くからね」と言ってくださればそうしたのですがね…
 いきなり現れておいてそれもどうかと思いますよ…?」

『我を舐めるな!!』

鵺が後ろ足で立ち爪を大きく開きつつ、八千代がもう稜威雌でいなせないような両手の攻撃を仕掛ける!
八千代も目つきが変わり稜威雌の柄に手を掛け斬ろうとする!

そこへ真正面から迫り来る鵺の尾、蛇!

「八千代様!」

凪は突っ込んだ、自分などどうなってもいい、八千代を守るために果てたのなら、
千代にも手出しの出来ない八千代の心の隅に置かれるだろう、それでいい!

鵺の爪の交差する少し鵺側、そして尾の蛇の口を伸ばした左腕…三尺ほど手前…!
稜威雌は抜かれていていつの間にか鵺の両の爪は斬られ、そして蛇の開けられた口には
稜威雌の鞘が縦に、祓いの右手により挟まれていて凪は八千代が一歩進んだ分
その体に受け止められるように飛び込む形になった!

当然凪に怪我などない

「許しませんよ、私の心の中へ死んで飛び込もうなど…貴女は若いのです
 こんな所で私などへの気の迷いで捨てるほど貴女の命は軽くはありません、
 世の中がなんと言おうと、貴女の重みは私の心には少し辛う御座います」

自分の想いなどとうに見透かされていてそれに殉じ死すことも見透かされ禁じられた…
凪は少しだけ涙を堪えきれず八千代の胸で泣いた。

そして稜威雌の鞘など噛み潰そうとするその蛇の頭だが、稜威雌の鞘がまるで刃のように
その上あご、下あごを貫通し、その傷口から祓われて行く。

「おっと…退く気ですね…」

八千代が器用に左手一本で稜威雌を回転させると何ともまるで「麩」でも斬るが如く
その蛇の頭は断たれ、浄化し散って行く。

這々の体で一歩退いた鵺

『…強い…!』

「酔って居ることを相手が見くびることも利用し嬲り殺そうと思いましたが…
 貴方もなかなかの手練れの魂のようで…」

八千代は自分の胸で泣く凪の頭に少し頬を寄せ擦りつつ、

「私の大切な師二人は貴方の同族の祓いで…その蛇に噛まれたところを
 手柄横取りの勢いで参じた兵に邪魔をされ大怪我をし引退を余儀なくされた…
 私は…貴方に対しては逆恨みを…しかし何より呪っているのは
 今この世に名を馳せんといきり立つ兵達…」

八千代は凪をその祓いの右手で撫でて脇に誘導し、殺気鋭く鵺を見据え

「「せねばならぬ」戦は仕方がありますまい、しかしそれが大きくなりすぎるともはや狂気の沙汰
 魔は人の世から出でて祓いもそれに応じて出現するというのに、
 それをも凌駕する狂気が今この世…お互いイヤな時に現れてしまいましたね」

八千代は一歩一歩鵺に詰め寄り、そして一瞬の間

ハタと鵺や凪が気付くと、鵺は自らが両断されていて八千代は後ろで稜威雌を鞘に収めているところだった、
凪は想いを祓いに変え八千代が両断したそれの片方を全力で祓う、仲間達も合流していて
鵺の祓いは完了した。

「…しかし私はその命ある限り生き延びます」

八千代は呟き、きびすを返して大社へ歩き去って行く。

鵺の後始末を終えた出雲の祓い、凪はやりきれない想いで拳を堅く握り涙を堪えていた。

「あの方は遠いお方だ、だが…今なら側に居る、どんな形であれきちんと決着を着けてきなさい」

どっちにも転ぶことの無いままでは今後に障る、そういう判断だった。
凪は頭を一つ下げて八千代を追った。



八千代は大社手前、池で禊ぎをしていた。
満月に照らされたその肢体、美しい。
凪も自ら脱ぎ、それに加わった。

「私こう見えて結構弱い心の持ち主なんですよ…余り惑わさないでください…」

八千代が視線から凪を外すようにしているのが判る。
凪は静かに語った。

「不思議です、同性に惹かれることがあるなんて…最初は気付きませんでした
 でも…千代様に見透かされて気付きました、これは憧れよりも強いと」

体の端々に水を軽く浴びせながら八千代が

「出雲では珍しいことに御座いますか」

「はい…」

「そうですか…どうも十条の「祓い」となると少々世間様とズレるようで…
 四條院と天野の場合「相性」というモノが絡みますので同性で愛し合うことも
 ままあることと聞きますしある意味理に適っているのですが」

「貴方様はある意味魔です、とても何か強く惹きつけられる…どうしようもないほど」

「魔性の女…女限定の…w 中々に厄介な代物ですね…w」

「貴方様の心の中に無理矢理入り込もうとしたこと…お詫び致します…」

「…一度きりと納得の上でならまだしもですけれど…思いというのは「重い」ものです…」

凪が八千代に後ろから寄り添う形で触れる。

「千代様には申し訳なく思います…でも…」

鵺との戦いの時、感じた八千代の鼓動は平静そのものだった、何の乱れも焦りもなかった。
しかし今この時、背中越しに感じる八千代は明らかに鼓動が上がっていた。

「…一つだけ言いますね、どう足掻こうと私はここを去りますし、貴女はここを
 迂闊に離れる訳にも行かないでしょう、どうか、いい人を見つけてください」



朝になり、千代が目覚めると柔らかく暖かい感触がある、八千代が右を下に
左手で自分を囲うように、そして自分の髪の毛から頭に口づけるようにして寝ていた。

なんとなく判る、「その前」に何があったか。

浮気は浮気だけれど、凪の気持ちも分かる、八千代の性格や性質から心苦しくとも
衝動には弱いという事も良く知っている。
誰にも、自分にも腹は立たなかった。

むしろその穴だらけの心を一つでも埋めたいと思った。
出来ることなら凪の心の穴も。

自分は甘いだろうか、そう思いはするけれど、でも自分に出来ることはしたい、それが本音だった。

「先生、朝ですよ」

寝返りで八千代の方を向いて八千代にそう語りかける。

少しして八千代の手が千代を抱き寄せ結構熱烈な口付けを始めた。
いきなりのことでビックリするやら、朝だし恥ずかしいやら、でも、自分へ対する申し訳なさから
全力で自分を愛したいという八千代の気持ちも分かるやら、
少しだけ付き合って、その気になる前には口を離し

「いいんですよ、せめて全員で少しずつ背負いましょうよ」

八千代は涙を流していた。
でも謝罪の言葉は心を重くするばかり、八千代は精一杯言った。

「貴女には…本当に救われます…」



二日ほど経ち、気持ちの方も落ちついてきて体調もだいぶ良くなった。
早く帰りたい気持ちが強かった三日前に比べたら引かれる後ろ髪もある事が最大の違いだが…

大社の前で祓い頭が代表で八千代達二人を見送る。
千代は本当に自然に

「凪さんは、どうされたのですか? せめて挨拶くらい…」

頭は苦笑気味だが微笑んで

「心の広いお方だ、場合によっては切腹しても足りないくらいだというのに」

「とんでもない! 何て言うか…私にとっては見ているところが少し違うだけで
 むしろ同情しますよ、せめて往来が自由であるなら少しの間なら…と言うくらいで」

「凪は、修行をやり直すと言って古戦場跡…出雲の修行場なのですが、そちらに赴きました
 私も妻を持ち子の居る身ですから、多少なりともお三方全員の気持ちはそれぞれ分かるつもりです
 凪はただただ「引きずってはならない」「前を向かなくてはならない」確認のための修行ですよ」

「そこはまぁ…そうですよね…、私もちょっと無責任かな」

そこへ八千代が

「私の意志は置いてけぼりですか?」

「据え膳に我慢が強く利く人だとは思えませんよ」

「うぅっ…確かに…」

「ははは…、まぁ、いいんです「済んだこと」とお三方がそれぞれに納得出来なくとも
 飲み込めば良い話しです、千代さん、こう言うことに悩めるというのはある意味大変な幸福ですよ」

「はい、生き死にの狭間、女の基本的な立場、時代、それは理解しているつもりなのですが…」

そこへ八千代が

「祓いは昔ながらの「非人」、朝廷では代表的な格でしたからね…色々大目に見られていますよ」

そこへ出雲の頭が

「仏教が浸透し、マツリゴトのあり方も変わり、今や非人と言えばただの虐げ対象ですからね…
 お気を付けください、それもあり凪は心を強くあるために修行に赴いたのです」

もう少し誰もが規範を持った上で気ままが通れば…時は残酷だと千代は改めて思った。


第七幕  閉


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