L'hallucination ~アルシナシオン~

CASE:TwentyTwo

第七幕



時は経ち、「この地方ならでは」というモノはありつつもそれなりに「順調」に、
安永十年四月二日、元号は天明に改められそしてそこから少し。

場所を江戸に戻す、その日、一つの事件の沙汰が執り行われていた。
下手人は女、三十とトウは立っているが実に美しい女であった。

担当であった北町奉行の曲淵影漸(まがりぶちかげつぐ)は取り調べ内容から
下手人の女に相違はないかを確かめてゆく。

「昼三(ちゅうさん)七条、名をお弥撒(みさ)、以上のことに相違はないな」

「やったことは素直に認めますよ、なんとでも言います、確かにアタシが
 この手で刺し殺したんですよ、さもなくば…」

「承知して居る、まだ痣になって残って居るのも痛ましい。
 殺めた丸山志久(まるやま・しひさ)は最初の方こそ揚げ代を揃えていたが
 後にしてその方を勝手に自分の物とし他の客を取ることを嫌がって
 付きまといや嫌がらせなどをしていたことも調べは付いている、
 そして、事件の夜、とうとう殺してでも自分の物にしようとその方に手を掛けた」

「ええ、その日に雨が降っていて良う御座ンしたよ、傘の仕込み刀まで手が届かなければ
 アタシの方が今頃仏ですよ」

「その方、最後の太夫の一人でもあったが」

「そんな十年以上も前のことですよ、アタシだってもう三十です
 選り好みなんかしていられないのは時の流れって奴ですよ今はただの昼三ですよ
 ま、三段くらいひとまとめに「花魁」とでも言えばいいんですかね
 仕込み刀と言ってもあれもお上の決めるところの「刀」とも違いますし、
 そこはお目こぼしくださいよ、でなきゃ…」

「承知している、かの男、他所でも似たようなことを繰り返していたようで
 其方に対し赦免の嘆願も来て居ってな…」

「おや、アイツったら他でもそんなことしてたんですか、
 まぁでもね、幾らそうでなければアタシがヤバかったって言っても
 アタシがアイツを殺したのはやり過ぎだと咎が入るのも当然という物でしょ
 別にアタシはどんな刑でも受けますよ」

中々に懐も広い、覚悟もある、そんな人格のお弥撒に曲淵は

「そう、赦免とは出来ない、とはいえ、証言や状況、首に残る痣、
 全てを鑑みて、江戸所払いとして沙汰とする」

「おや、いいんですかい、遠島とかでなくとも」

「状況とその方のその後のあり方、赦免の嘆願、全てを合わせた結果である」

お弥撒は頭を垂れ綺麗に礼をしつつ

「それじゃあ、お奉行様、アタシのワガママぁ一つ聞いてくださりますか」

意外な申し出に曲淵も少々面食らいつつも

「どこか行きたい場所でも? いや、所払いなのであるから…」

「そうでなくてですね、玄蒼の地へ放り込んで欲しいんですよ」

場がざわついた、曲淵が

「なぜその地を知っている、これは限られた者しか知らない事であるぞ」

「アタシは花魁ですよ? どう言う伝手があった物だか」

「…成る程確かに…しかし玄蒼の地に送ると言うことは…遠島よりも重いぞ」

「判ってますよ、基本的にお上の許しがなければ出入りすら出来ない場所
 穢れた土地に跋扈する魑魅魍魎、お奉行様は行ったことがお有りですかい?」

「数年前、彼の地に役所を建てることとなり、南町との交代期間で
 行ったり来たりをしていてな…」

「そうですか、じゃあ「魔祓い」なんかもご覧になったのです?」

「いや、私は…しかし、祓い人とその働きは目の当たりにした、
 強い剣術使いがその腕試しと潜り込んだが普通に切れぬ霊にはどうにもならぬと
 盗みを働き捕らえたのだが、矢張り手練れ、僅かな隙に逃げられ
 その時に…その者は祓い人ではあるが港に近い治安も預かっている、
 …今の時代に刃渡り四尺はあろうかという野太刀を華麗に振るい
 そして両断したはずの下手人の腕を接いで事を収めてしまった」

お弥撒はその内容に口の端を上げ、強い目線で

「お奉行様、矢張りアタシをそこに放り込んでくださいな」



「お宵さん! 江戸からの定期船着きましたよ」

お隅とお志摩の店で食事を取っていた宵が、急ぎ飯を掻き込みつつ

「はーい、進められるトコ進めておいて、直ぐ行くから」

港湾で働く取り次ぎがそれを承りつつ

「いやぁ、まぁお宵さん呼ぶほどじゃあ無いとは思うんだが、
 一応所払い喰らった罪人…とはいえこれがまたいい女なんだが…も居るんで
 とりあえず、報告しておくよ」

「へぇ…、玄蒼の地に所払い喰らうなんて、何やらかしたんだか」

二宮も「所払い」扱いで正式に玄蒼の地に置いた、そのくらい関東地方での
沙汰としては割と重い方の刑罰なのだ。

いつもの定期便としては関東以北の農産物や醤油・味噌などの調味料
酒などの嗜好品もそれに含む、これらは勿論玄蒼の地でも作られては居るが
宵がこの地に来て産業や商業を広げ、治安を一部預かり、祓いもするという
目の回る忙しさも手伝ってこの時代としては爆発的に人口が増えてもいたので
補充の為、と言うわけである。

人の移動はほぼないが、役人関係や正規の許可を取り出入りする僅かな者くらい、
罪人でここに来たなんて殆ど居ない、居ても見て納得の荒くれ者。

荒くれていそうもない「いい女」と来て何者なんだろうと宵が食事を終え
船着き場にやって来た時である、丁度その女も一応捕縛の状態で降りてきた。

宵の目が見開かれる。

「…姐さん!!」

見た目の雰囲気で血縁の姉じゃないことは判る、どう言う繋がりなのだか、
しかし宵にとっては青天の霹靂であった事は周りに居る全員に伝わった。
そしてそんな心の底から「予想外にも程がある」という驚きをした宵を珍しいと思った。

「やぁ、すっかり大人じゃあないか、元気かい?」

「姐さん」は涼しげに、そしてその言葉の一つ一つ、もう慣れた感じで
「ああ、花街由来の筋の人だな」と判った、宵が女好きの女なのは知っている、
「成る程、「そういう事」か」次の瞬間には誰もが理解をした。
その場に大八も居たのだが、「煙草を渡した花魁というのはこの人か」と納得した。

宵が一人この街に来たと言うことはすべき決別はしてきたし、
元々はただ「遊び」に対する好奇心から引き取るのと言った事では無く
ただただ、お互いがなんとなく気に入って過ごしたのだろう、
恋とも、愛とも少し違う、深い信頼のような、そんな関係だったのだろう。

「で…でも…姐さん、一体何がどうしてこんなトコロに…」

姐さんはフッと笑って

「川向こうの呉服次男坊、と言えば判るだろ」

「あいつ…まだ諦めてなかったの!?」

今で言うストーカーなのだが、厄介なのは最初の内はちゃんとルールを守った客であった
と言うことだ。

「段々揚げ代も疎かになってね、とはいえ、こっちも身分的に落ちるばっかでさ
 つい最近まで何とかナァナァでやってこれたのさ、
 トコロがそんなことやってるウチにアタシも老いて行くし、
 アイツも遊び回るほどには金回り良くなかったんだろ、
 若い他の子に目を付けだしたりしつつ、とうとうアタシを殺して手に入れようと、ね」

姐さんはまだ首に残る男の指の痕を着物を手繰って見せつつ

「あんたに仕込み刀入りの傘とかちょっとした剣術教えて貰って良かったよ、
 そして雨が降っていて良かった…でなきゃあの世行きはアタシの方だったろうさ」

「…そうか、姐さんは江戸生まれの江戸育ち、所払いと言って行く場所も無し、
 それで私の所に?」

そこで姐さんは役人に縛を解いて貰いつつ僅かな荷物を漁り

「いやぁ、別にアンタにおんぶに抱っこしようって分けじゃあないのさ、
 これ…ウチの古い荷物から出て来てね、ウチは昔っから世の中の
 あんまり綺麗なところでは生きてこなかったからさ…あちこち移転しつつも
 なんでかそのまんま、引き継ぎ受け継ぎ来ちまってさ…
 結構前に見つけていたんだが、他何も要らないからこれだけくれって、
 大昔…いつの書状だか知らないが、遠い祖先…直系かも判らないが、これ」

姐さんは確かに古そうな書状を宵にひょいと手渡した、
未だ動揺の抑えられない宵がその書状を見た時、更にその目が見開かれる!

宵には微かに見えた、それが誰によって、どんな状況で認められたか!

「こ…っ…これ…姐さんの家…詰まりあの宿のモノなの…?」

思った以上の反応に流石の姐さんも少々驚いて

「…あァ、といって直系かどうかも判らないよ、継ぐの何のに止ん事無い血が…
 って言うわけでもないからねぇ、血縁かどうかなら判らないけどさ、
 だが、確かにウチに伝わってきた物さ」

「…宿の抱えた厄介事で祓いの及ぶところを一任する旨、お互いがその命ある限り
 この認めに従い祓いに対し相応の礼を保証する…」

やや声の震えた宵が読み上げる、そんな動揺した宵は誰もが初めて見る。
そこへ姐さんが「そうか、それ程か」と少し納得したように調子を取り戻し

「十条八重ってのはやはりアンタの祖先かい」

脂汗を流す勢いで動揺していた宵だが、少しずつ落ち着きを取り戻し

「…血縁ではある…でも八重は私と同じ…」

「ははァ、成る程ね、どうもその認めをした宿の方もどうやら、
 アタシはキッチリ何かを受け継いじまったようだ」

「みささぎ…そう、確かに…私と姐さんの間に近い…」

「アタシも何の因果か「弥撒(みさ)」なんて名前付けられちまって、
 隠れ切支丹じゃないってのに…と思って居たが、どこかに受け継いだモノがあって
 巡ったことなのかもね、切支丹の行う弥撒では無くて、尊い人の眠る「陵」…
 そこから何かが巡ったんだ、今確かなモノになったよ」

「でも…なぜ…なぜ当時の情景まで見えてきたんだろう…その思いまで伝わる…」

「さぁね、でもいつからかね、寝物語を求めるようなのに聞かせてたら
 そんなこともあったみたいだね、どういう事何だか、今見えたよ
 アンタの驚き様の方に飲まれたが、アタシにも見えたよ、十条八重がどんな姿か
 どんな思いで陵と八重はそんな覚え書きをしたのか」

宵は少々難しい表情で考え込み、そして意を決し顔を上げ真っ直ぐに姐さんを見て

「…姐さん、ここでどう生きるつもりだった?」

なんだか思ったよりも重たい再会になったのが少し意外なように姐さんは表情を変え

「…さァね、花魁としちゃもうやってける年でもないだろ、花宿でも構えるかったって
 そんな金も無しだ、しょうがないちょいと癪だが先にここへ来た
 芸妓師範やってるアイツの所にでも転がり込むかなってさ」

「あ…そうか、女将さんとは同じ年頃だし、馴染みなの?」

「馴染みなんてモノじゃないよ、親戚なんだから」

余り個人個人の深いところに立ち入ることはなかったが故の宵にとっても衝撃の事実、
そこへ今まで話の外に居た大八がやって来て、宵に語りかける

「人の縁というものは、意外と深く染みこむモノだよ、「お互い判っていたはずだ」
 なんて言うのを越えて、どこかで繋がっているような、
 まさに今それを感じただろう、お宵さん、まだまだ、若いね」

宵はこんがらがりそうな思考を止めるかのように左の頬に手を当て

「…いや、本当だ、まだまだ遠い背中だな…」

ぼんやりそれを呟いてから、宵は姐さんに向けて

「姐さん、貴女には是非天照院に行って貰いたいんだ」

「話には聞いたけど、アタシにはまっこと縁の薄そうな場所じゃあ?」

宵は物凄く真剣な表情で

「いえ、姐さん、貴女こそが行くべき場所なんだ、
 私は知っている、みささぎさんがどんな人だったか、八重がどんな人だったか…」

そして宵は腰元の稜威雌を姐さんに示しながら

「私が祓いとして独り立ちをする証として受け継いだこれ…八重はこの刀の
 最初の持ち主、私はその四代目…そしてこの刀には神が宿っている、
 彼女からも聞けるだけ話は聞いた、恐らく姐さんも「見た」って言うのは
 この稜威雌の記憶と共鳴したからでしょう…
 姐さん、今から貴女をフィミカ様に紹介するけれど、この事刀のことは言わないで欲しい、
 ただなんとなく、その書状で「何か縁があるのかもね」くらいで…」

それはなぜ? と普通は聞くのだろうし、姐さんも一瞬そういう表情をしたが

「…判ったよ、何か…こちらの御仁(大八)の言うような…アタシにも思いの寄らなかった
 どこかに繋がった縁があるんだろ、余りそれを「定め」のように思わせたくない
 そういう事だね? 判ったよ」

阿吽過ぎる、宵はそして手続きを全て済ませ、姐さんを放免にして天照院へ連れて行く。
呆気にとられ見送る港湾の人々、そこへ

「なんだい、配達が遅いねと思ったら、成る程、真打ち登場か」

芸子師匠の「女将さん」が取り寄せていた荷物を取りに来てその後ろ姿を見送り言った。
ふと現実に連れ戻された港湾の人々、大八が女将さんへ

「彼女も来るだろう事も判っていらっしゃった?」

苦笑の面持ちで女将さんは

「ホントに来るとまでは思ってませんでしたけどね、お宵はちょっと
 手前の大きさに気付いていないというか、ちょいと自分を低く見積もりすぎだと
 思うんですよ、ウチの子達の心をかっさらっておきながらさ」

大八も苦笑し

「確かに…縁なんて直ぐにも逆縁に早変わりする薄っぺらいモノ、切ってしまえばそれまで
 と言う物ではありますが、意外としつこいというか丈夫なことがあって
 それがその人の持つ巡り合わせではありますな、そう言う意味では
 成る程、お宵さんは少々自らの持つ巡り合わせに疎いようだ」

「ま、それも「今」思い知ったでしょう、襟を正す時に恵まれるなんてのも
 あの子の持ち味でしょ、あとはなるようになれってもんですよ」

「お宵さんは初めてここに訪れた時から今までただ只管突き進んだ、
 道は前だけでなく振り返って見える事もあると知るのでしょう」

女将さんは荷物を受け取り一人二人の人足に手伝って貰いつつ移動を始め

「猪突猛進、でもそれがお宵の道なのかも知れません、
 振り返って「そっちにも進めるよ」と言うのは、ひょっとしたらあの子に
 縁の強い人の役割なのかも、そう言う意味じゃ、いつまでも青いのかもw」

女将はそれで去って行ったが、大八はしかしそれに少し、不安を覚えた。
それが何なのかまでは思いも寄らなかったが。



「ほむ、このお弥撒には力があるはずじゃと?」

いつも飄々と軽くやって来る宵が畏まってやって来たのにちょっとつまらないなと思いつつ
フィミカ様は先ず話を聞くことにした。

「はい、この姐さんには墓守の精神が宿っているはずです…(姐さんに向いて)
 姐さんとこういう話をしたことはなかったけれど…姐さん、霊が見えるね?」

なるほど、何かとんでもない巡り合わせがあるのだと姐さんも思い至るが

「…とはいえさァ、薄ぼんやりだったり、声だけ聞こえたりとかそんなモンだがねぇ」

フィミカ様と呼ばれた外見少女、しかし「ただ者では無い」雰囲気は纏っていたので
姐さんも綺麗に礼の形のままそう言うと

「聞こえると言うことは伝えられよう、恐れて居らぬと言うことはお主
 霊を「還した」事もあるな?」

「ええ、まぁ確かに、言い諭したことはありますねェ」

そこへ宵が

「あと…これは墓守に関係あるのでしょうか、何か古い書状などを元に
 彼女を通してその当時の情景も見えてきまして…」

フィミカ様が反応した。

「これは凄い、文字で歴史を記すようになればいずれなくなると思って居ったが
 「文字を通して」見て伝えることが出来る新しい種の「語り部」の力もあるというか」

フィミカ様が立ち上がって一冊の日記を持ってきてお弥撒に読ませる。
何気ない日記だがお土産や将棋を通して語り合う宵とフィミカ様の情景が入り込む。

宵も改めて驚いたが読んだ当の本人姐さんが何より驚いた。

「うむ、やはり…今は宵やわらわの気に当てられ強まった部分があろう、
 成る程お主、その折角の力を放っておくのは余りに惜しい、そして
 霊を説き伏せ還す役割は本来墓守のモノ、少々修行を積んで手伝って貰いたい」

「手伝うって…何をです?」

「なに、宵のようにあちこちに赴いて戦えというのではない、裏手の畑に
 還る寸前の魂が寄って畑仕事をするウチに還すという事もやって居るのじゃが、
 それだけでは還られんヤツも居る、お主ならそれらをちゃんと還すことも出来よう」

「アタシぁ、何かそんな御大層なモンだったんですかい?」

「祓いには血筋がある、しかしそれが全てではない、心を、その魂を受け継いで
 力が現れることもある、お主がまさにそれじゃ、この書状…
 十条八重か、会った事はないが大したヤツじゃった、何も聞かず黙って
 受け持ちを守り働いてくれたのじゃ、別の定めに巻き込まれ
 若くして散ることになったのは残念であったが、八重の血の憶えとして宵、
 花街を建て八重とも繋がりがあった墓守の家系であった陵のその魂の憶えとしてお主、
 巡り合わせじゃな、まぁ一部屋くらいどうにでもなる
 ここに住んで、お主の力を貸して欲しい」

フィミカ様も頭を下げるのだが、さすがに姐さんも焦って

「いえいえいえ、どうぞ頭を上げておくんなまし、アタシは薄汚れた
 花街で生まれ育った女ですよ、そんな偉い者じゃァ御座いません」

「いや、お主の力が必要じゃ、どうか貸してお呉れ」

「ええ、判りましたよ、でもそれっきりでいいんですかい?
 読み書きなんかは出来ますから他にもなにか申しつけくださいな」

「まぁ時と場合によって可成り色々頼むかも知らん、いつもはそれで
 宵のトコロに頼るでなぁ」

宵はやっといつもらしく微笑んで

「何を言ってるんですか、私専用の部屋まで作らせてしまったお礼もあります
 幾らでも使ってくださいよ」

と言って「それでも抜け目なく」取り寄せていた土産を差し出し

「じゃあ話も纏まった、皆でつつきましょう」

コロッと空気を変える宵、「うむ」と応えるフィミカ様、



でもそこにここまで軽いところは姐さんには見せていなかったか
姐さんがその落差に少し汗していた。



「あらあら、お弥撒さんまでいらっしゃったんですか、もう何だか
 お宵さんも年貢の納め時ですねぇ」

周辺の子の手習いも終わり、また工場に籠もる宵とお倫に差し入れに入りつつ
やはりその事は話題になって、ちょっと締まらない表情で宵が



「いやぁ…おかしいなぁ、キチンとその縁をここに置いておきますよとしたはずなのに
 …ところで、まぁお沙智さん辺りに聞いたのか姐さんのことよく知ってたね?」

「江戸での出来事は三つに分けてお倫の沙汰、祓いの修行、そして貴女を巡る旅のような
 モノでしたよ、でもそれはお沙智さんからでなく女将さんから聞いたんですけどね、
 又従姉妹(はとこ)でちょくちょく話はしていたようで」

「なんだぁ、お越さんやお倫は知っていたのか、私知らなかったよ、
 女将さんと姐さんが親戚だなんてさぁ、ビックリした」

そこへ作った鋳物の筒を調べながらお倫が

「お沙智さんも花街で誰と特に懇意とかは知らなかったようで、教えなかったのかい?」

「ああ、そっか、あの時は二人を連れ回しはしたけど病気の人限定だったからなぁ
 私が持っていて目覚めた力、祓い、やっと病気の人にどうしたらその病魔の苦から
 解放されるかとかそっちの方に一所懸命だったよ、当時はまだ
 細かく探ることも出来ない若輩だったからこっちも必死で尚更さ」

お越がちょっときょとんとして

「細かく探るってどういう事です? 解体新書を取り寄せになったようですが
 そんな物なくても骨や筋くらいなら判りましょう?」

「あー、基本これは十条特有だからなぁ…
 今から二人に詞を教えるよ、とはいえ、それで見える範囲もそれぞれで違うから」

宵がお越とお倫にそれぞれ詞を詳しく教え、そして宵が試作していた稜威雌代替の
刀を渡して指でなぞるなり、じっくり見るなり、色々やってみてと指示した。
当然、お越もお倫も驚く。

「ひいふうみいよぉ…と数えるのは無理だが…凄い…こりゃ一体…」

宵はまた刀作りを再開しつつ

「見える殆どは鉄、時々見えるのが炭、その他にも…硝子で使う物とか
 ホンの僅かにまだまだ知られていないようなものが混じってるのね、
 …これをきちんと必要な場所に持って行ければ…稜威雌に肩を並べる刀も作れる
 元々初代の八重様が見つけたものなんだ、これを応用すれば…
 人の体のような複雑極まりないモノを細かく操り病気の早い内なら
 ほぼ完全に予防することも出来るよ、それも初代がやっていたこと」

「初代さん…凄いですね、何者なんですか」

宵は作業を継続しつつ

「八重様が今の人だったら凄い学者になっただろうな…偉大な背中だよ」

お倫も相槌に入りつつ

「…あっちには「なんとなく」しか見えないし狙った一つだけ動かすとか無理そうだ」

お越も難しい表情で

「私は…物凄く気を払えば何とか…これは単純に強さの差なんでしょうかねぇ」

「いや…多分「それが十条」なんだと思う、逆を言えばいちいち細かく指定しないと
 手早く治すことも出来ない…、物凄く広い範囲を一気にやってしまえる四條院系や
 自身の気やその高ぶりで自らの傷なら速攻で治せるような天野系とも違う、
 限られた範囲を細かく見ることで治せるモノなのかな」

「そう聞くとなるほどとも思うなぁ」

「そうですね、それ…ちゃんと広めた方が良う御座いません?」

「…かも知れないね、…十条も少ないが南の方には遙か昔に分家になった血筋も
 居るらしいし…何か認めた方がいいのかなぁ」

「やっておくべきだと思いますよ、作り出したり極めるだけでは半歩、
 継いで行ってこそ一歩というモノじゃあ御座いません?」

「その通りだね、次の都向け船便が来たらその旨書状でも出すかなぁ」

何か決定的なモノが動き出した気がして少し宵が寂しそうな表情をした。
お越もお倫もそれに気づきはしたがそれが何を意味するかまでは判らなかった。



「フィミカ様ー、いい紅茶とお越さんの作ったショート・ブレッドで
 一休みしませんかー」

いつもの調子で街を見回るついでに休憩としていつものように天照院に寄る宵、
するとそこには姐さんがいて、地面から出土し接ぎ直した土器と対面していて

「おや、行き違いかねぇ? 今し方アンタの所に行ったはずだよ?」

「えぇ? 今時間こっちに来ることは知ってるはずなのに、どうしたんだろう」

「何でもフィミカ様宛に届いた祓い人の手紙の中にアンタ向けのもあって
 届けた方がいいのかと思ったようでさ」

宵はそれを聞くと一瞬目を瞑り何か祓いの気を一瞬燃えさからせて静め

「…これで私はこっちだと気付くでしょ、トコロで姐さん、土器に興味が?」

言われた姐さんは土器を愛おしそうに撫でながら

「興味って言うかね…見えるのさ、物凄く真っ新な気持ちで生きていた人達…
 アタシとかみたいな薄汚れた心じゃない、学なんてモノは無い代わりに
 凄く素直で真っ直ぐに生きた人達の息吹が見えるのさ、なにか…救われるんだよね」

「なるほど…語り部の力…かな」

「そうらしいね、あの人からちょっとずつ色々教えて貰って、自分が何に目覚めたのか
 段々判ってきた、生き方なんて身を売るくらいしか無いと思っていたのにね、
 そして逝くべき人を送るってのも悪くない、トウの立ったアタシには
 勿体ないくらいの隠居生活さ」

宵は部屋に上がって姐さんのそばに座り

「八重は陵さんとは口でだけお別れを付けて離れ離れで死んでいった。
 私が江戸を去る時が私で言うその時だったのかと思う、
 「その先」が来たからには姐さん、どっちが先に死ぬかなんてこの土地じゃ愚問だ
 私を、見送って欲しい」

「ええ、そうだね、そうすりゃ陵さんだってもう少し救われた…というか
 諦めも付いたろうね、ただ、人生なんて何が起こるか判りはしない、
 アンタ、アタシが先に死ぬ時はそれを見送りなさいよ?
 アンタに送られるまでアタシは逝かないからね?」

「判った、今度こそはどっちかがどっちかを見送る」

「よし、その旨書状も認めようか、大昔に果たせなかった何かを果たすんだ」

そして二人で書状と署名を認めている時に、庭先からフィミカ様とはとほるが

「いやぁ済まぬ、そうじゃった、お主今時間こちらに寄るんじゃった」

宵がにっこり笑ってもう一度紅茶とショートブレッドのことを告げ、
はとほるが台所まで用意に行きつつ、フィミカ様も二人の側に座って

「先ずわらわに向けた手紙の方からゆくぞよ、ここ最近天地の巡りが怪しいとは
 思うておったが、どうやら真のことになりそうでな…、
 特に北の方は可成り作物が打撃を受けそうである旨を…」

と言ってフィミカ様が裾から手紙を取りだし宵の近くに置く。
その差出人が…フィミカ様はもう一通を逆の裾から出して宵に手渡しながら

「安心せい、中は読んで居らぬ」

それは、お沙智からのモノであった。
矢張り何かが動いている、なるべく表情に出さないように宵はそれを受け取り

「ええ、いやぁ、多分そんな惚気るようなモノじゃあありませんよ、
 なのでそれより…可成り広い範囲で不作の年になるかも、と言うことですか?」

「これが…おぬし、地震の時地脈を読んだのう? 何か不安の種があるかや?」

思ったより話が大きそうだ、宵が真剣に精神統一しながら

「…先ず一つ言っておきます、この地球は生きているが如く熱が巡っています、
 表面に出て冷えた湯葉のようなモノがこの大地なんです
 そしてそれは幾つかに別れていて湯葉の湧き出す部分があれば、それが広がろうとして
 ぶつかり片方が沈み込んで再び豆乳に戻る…この大地は少しずつ動いています」

姐さんが感心しきりに

「へぇ、アンタもなんて言うかさすがなんでもかじっただけはあるねぇ」

「いや、これはまだ学説にもなっていない…学問的な検めや証なんて
 まだまだ…これはだから何年も地の底を読んだから出て来た私なりの答え…」

「ふむなるほど、地の揺れや燃えた泥を噴き出す山というモノはこの星が生きておる証か」

「ええ…、だから…この星に熱の巡り…味噌汁みたいなね…それがある限り、
 完全に免れることは出来ません」

「そしてそこから先はわらわじゃな、この温かさの幾らかも地の熱からのもの、
 地の揺れも無くなる頃には、この星も死ぬと言うことか」

「ただそれは…千年二千年では済まない遙かな先のはなし…
 熱の元がいつか尽きるまではまだ億年単位掛かりましょう、
 動き続ける湯葉のような大地は重なり片方が沈むところで摩擦を起こし
 溶けた岩が押し出され噴き出すことがあります。
 それでですね…この日本だけでも幾つか火を噴きそうな山はありますね…
 ありますが…これも吹き出物みたいにいつか治まるかも知れなければ
 破れて血膿を噴き出すこともあるかも知れない」

「なってみなくは判らぬと言うことか…そうか、しかし種はあるのじゃな?」

そこで宵は妙に繕うでもなくはっきりと

「はい」

「判った、これはひょっとしたら数年は米などに拘らずに食えるモノを
 育てて行くしかないやもしれんのぅ」

姐さんがそこへ

「あらあら、しかしそれが予め判っているのなら、飢えるものも抑えられましょう」

「そうじゃな、よし、お沙智に向けとりあえず幾つか種など送るとしよう」

「そういえばフィミカ様はお沙智さんとはやりとりを?」

「うむ、一二年に一度であるが、東北は矢張り厳しい地じゃからなぁ、
 その年に何か天雲の巡りの悪い兆しがないかとのぅ、こればかりは
 確かにそれぞれの地に任せるとばかりも言えず問われれば答えることにして居る、
 その中でもお沙智は可成り真面目にマメな方じゃな」

「うーん、お沙智さんらしい」

「そういうお主の方はどう言う手紙なのじゃ?」

宵は言われて手紙を開くも、宵に文面が見て取れた瞬間にそれを閉じた。
姐さんがにこっともにやっとも言えない笑いを浮かべ

「突かないが吉の内容って事ですねw」

苦笑の面持ちの宵にフィミカ様は少し怪訝に片眉を上げるが、そんな時に
はとほるが紅茶と軽く温め直したショートブレッドを持ってきた為、
なし崩しにお八つとなるのであった。



『貴女様の後を継ぎたく存じ上げます、その時が来たら通達をください、この私に』

稜威雌の寝殿で供物としてでは無く一時的に持ち込んだ手紙の文面を見て稜威雌が呟いた。

「見透かされたなぁ、そうか、私と共にあっては総崩れもあり得る、
 いつでも後釜になるという…しかもそれはそう遠い未来でもないと言う鋭い読みだ」

宵も矢張り年の上で祓い人としても先輩だけはあるなぁ、と思った。

『…まだ貴女様との繋がりは十年ほど…もう逝くことをお考えですか』

宵は悲しくなって俯いた稜威雌の頭を撫でながら

「ここは「そういう所」だからね…そういう風に見るなら…私は歴代より
 可成り激しい十年を送っていたことになる、そう思えば、結構遠い背中も近づいたかな」

『貴方様には貴方様の道がありましょう、現に今だって歴代以上に色々なことを
 身につけて行っています、それは比べることではありませんよ、
 でもわたくしとしましては…「それが役目で勤め」とはいえ…胸が詰まります』

宵は少し遠い目で

「こればっかりはね…巡り合わせが全てだろうから…いつかそれを断ち切る
 次代があるモノと、稜威雌はそれを待つといいよ」

『そういう方が…現れるのでしょうか…』

稜威雌の声は可成り絶望の響きがあったが

「同じように繰り返しているようでそれぞれち引きや押しや巡りのあった出来事
 いつかそれらを全て承知して為すべき事をなしつつ、ちゃんと貴女を
 一人にさせないような…そういうのが出てくるよ、何か凄く漠然としているけれど
 でも、そればかりは確信に近く思う」

『わたくしはそれでも悲しゅう御座います…八重様も、弓も、八千代様も…
 そして今度は宵様が…私は矢張り妖刀なのかと思いますよ』

「そんなことは言うモノじゃ無い、歴代の誰もが貴女を敬愛し次に托すべきと
 やるべき事を重ねたに過ぎない、恐らく私もそうと言うだけ、でもそれも
 後幾代かで終わるでしょう、きっと、それは上手く行くはず」

稜威雌には陰が晴れなかったが、宵はそんな稜威雌を撫でて慰めた。


第七幕  閉


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