L'hallucination ~アルシナシオン~

CASE:TwentyTwo

第八幕



「これは…お宵さぁ、普段使いと言いつつやり過ぎたんじゃあねぇのかい?」

いよいよ完成に向かう一振りの野太刀の姿を見てお倫が一言洩らした。
夏の暑い時期に更に暑い工場で汗水垂らした宵もシケたツラで

「…うん、どうせならって思いが強すぎたね…」

「チリが一重だってだけでほぼ「稜威雌」さんですね」

お越も作業自体はしないが作刀の知識だけは付けていたので呆れたように言う。

「参ったなぁ、これじゃあ普段使いも何も無いや」

本研ぎに入った宵は魂込めすぎたその一刀に矢張り丹精込めて研いだ。

「いざって時にそれじゃあどっち握ったもんだか余程柄で工夫しないと
 こんがらがっちまうぞ、ったー言え稜威雌さんとも退いた仲でもねぇ(ほぼ同じ)出来だし、
 潰すにゃぁ無是つ気ない(余りに勿体ない)、どうしたもんかね」

お倫の尤もな一言に宵は

「これは…奉納するかなぁ…フィミカ様のトコにでも」

お越がそれに

「そうですねぇ、平塚さんも打刀ですし、ウチにあったら混乱の元ですよ、
 大太刀なんかは確かに奉納して神事としての向きの方が今の常ですし
 ただ刀の世話もしなくっちゃぁなりません、少々心も痛みますが」

「だよねぇ…世話の方も含めお願いしてみるかぁ」

「じゃあ、明日のお土産には何か気合い入れてこちらも作りますよ」

「悪いねぇ、お越さん」

「それはまぁいいんですけど、それでどうするんです?」

「どうもこうも…もう一振り…本気でありつつ反りから何から違う物を作らないと
 …稜威雌一人を使い続けるにはこの土地は厳しすぎる」

「そうだなぁ、尻に挟む(問題にしない)訳にも行かねぇ、それっきゃねーや」

お倫の一言に取り敢えず工場を閉める片付けやら何やら、いい時間になったので
宵はその間奉納に向け作っておいた柄と鞘に仕舞い、手入れ道具など用意して
その日は一通り三人で燃え上がってまた就寝となった。



夜中に宵が飛び起きた、時間はそれこそ逆牛(正午の逆)、

「不味い…! しかし私一人じゃあ…お越さん、お倫! 力を貸して!
 こんな時間にフィミカ様を起こすわけには行かない!」

寝ぼけ眼で起きた二人を抱えて宵は力を最大限に使い二人の力もやや問答無用に
使いつつ広範囲に、フィミカ様の祠などに広範囲で強大な力を行使しだした!
寝ぼけ眼の二人も急な出来事ではあるが宵の力に合わせる。
一体何が起きたのだ…そう思った時にそれは来た。

割に大きな地震が辺りを大きく揺らし始めたのだ!

「うう…町全体となるとキツい…!」

街全体がきしんでいるのが判る、そんな時霊会話で

『ちょいと早起きしてしまったが状況は掴んだ、三人とも良くやってくれた、
 後はわらわが引き継ごう、お疲れなのじゃ』

「フィミカ様…申し訳ないです、我々三人では矢張りフィミカ様に及びません」

『なんの、良くやってくれた…それはそれで最後かや?』

「いえ…本震がまだ来ます、ただそれが正確にいつとなると測りかねます
 ただ今すぐというわけでもないようです、先ずは今この時を…」

『判った、先ずここは任せてお呉れ、あす地域のモノと話し合おう』

「承知しました…」

天明二年七月十四日(グレゴリオ暦1782年8月23日)夜中にその大地震は来た。

取り敢えず一晩を過ごし、町の代表の幾人かが集まり天照院に集まった。



「魂消たぜ、物は倒れたりはしたが、祓いの光が見えた、
 お宵が地脈を読めるってのはホントらしいな」

二宮が口火を切ると大八が

「何十年に一度はあるらしいのですが、幸いこの街には大きな被害はなかった。
 しかしまだもっと強いのが来るかも知れないと?」

宵はそれに

「来る、ただ私も今それが来るって段階にならないと判らないのが歯がゆいなぁ…」

そこへフィミカ様が

「流石に夜中はキツいが、もしそうならこの街はわらわが守ろう、
 今から小田原や周辺の役所や祓いに通達を出そう、なるべく広範囲に
 その時の役所や祓いで何とか被害を最小にしなくてはならん、
 大八や、今すぐ手配を頼む」

「そうですな…次の地震はもっと大きくなると?」

宵はしばらく目を伏せ集中すると目を開け

「もう一段強いのが来ます、半日くらいは余裕もありましょう、
 どうか被害を最小にしないと…」

大八がそこへ

「判りました、方々でも既に被害が出ていることでしょう、
 手分けをして熱海から江戸に至るまで警戒は発しておきましょう」

「天候不順に地震か、ヤレヤレだなァ」

二宮の言葉に流石に集まった住人不安は滲んでしまっていた。

「取り敢えずそれに乗じて暴れるような禍(まか)は私ども三人が請け負いましょう
 港から町中は芸妓の三人や百膳の二人…後は何とか武器持ちの皆に頼みたい」

「頼んだぞよ」

「あ、それでフィミカ様、これを…」

と言って渾身で作り上げてしまった稜威雌似の野太刀を取りだし

「奉納させて欲しいのです、ウチに置くとこの刀と混同しそうで」

「ふむ、確かによく似た刀じゃな」

「手入れの仕方も認めておきました」

「判った、それはお弥撒と二人で覚えておこう」

宵は頭を下げ刀を奉納した

「名はあるのかや」

「いえ、無銘ですので…特には」

「ふむ、まぁよい、神事の奉納として取り敢えず受け取っておく」

「お願いします、あ、これお越さんが腕によりを掛けた洋菓子です、どうぞ」

「ふむ、なかなかの量じゃな、毎度済まぬのう、丁度良い食ってから行動開始じゃ」

とりあえずちょっとした座談の後、話し合いは終わった。



その日ばかりは港も午前で閉めてまだ要件のある船には事情を話した上で
沖に出て待機して貰うことにし、街にはまず倒れやすそうな棚や物は
あらかじめ横にするか、そして急ぎ補修で済みそうな家は補修に回り
昨晩以上の地震が来るとあっては流石に守り切れない家は先ず解体を急いだ。

日本は言わずと知れた世界でも有数の地震大国である。
記録にも残らないような、しかし結構な頻度で有感地震がある国である。
宵はその中でも現在で言う震度四、場合によっては倒壊や壁の崩れる場合により
緊急通報的に地域に霊会話で(それはフィミカ様の建てた祠の範囲内でのみ有効)
それをして居たこともあり、玄蒼の街ではそれも順調に行われた。

今で言う耐震基準的な物を設定し、一応今で言う震度五強くらいまでの対応はするように
方々にも言って回っていたが流石に全てが置き換わるにはまだ月日も浅い。

そして十四日夜八つに続き、この十五日夜五つ午後八時頃
フィミカ様もこの日は少し夜更けの構えで昼寝を取っていたこともあり、宵が霊会話で

『来ます! 昨夜より大きいのが来ます!』

「よし、守って見せようぞ、では祓いの方は頼むぞよ、蓬莱殿は
 民の逃げ場として居て貰わねばならぬでな」

『判っています!』

そして襲いかかる縦揺れも混じるその地の揺れ!
これが今でも地域に被害の認めが残る「天明・相模の地震」である。

『…この地震…この玄蒼の真下です…! 思ったより大きい…!』

この頃近辺で大きな街と言えたのが小田原くらいであったため小田原地震とも
言われていたが、どうも震源はもう少し内陸の相模辺りらしいことが判っている。
そう、それこそは玄蒼のある範囲に被る!
伝えによる推測、熱海には津波も寄せたらしい記録から震度は六ほどと推測されるが
震源地が玄蒼の範囲と言うことでこれは可成りの揺れであった!

「この近辺真下…流石に…全てを何事も無くとは行かぬな…」

フィミカ様の両手が開かれ、そこから白い祓いが地域一帯を包んでいるのは
誰にも見えるのだが、矢張り縦揺れ混じりの激しい揺れは、以外と広い
玄蒼の地を守り切るのに汗が滲んでいた。

「あにゃー」

はとほるが心配そうに声を掛ける。

「はとや、お主はこの揺れが去った後にそれでも出るかも知れぬ
 怪我人にその力を奮ってお呉れ、今は…今はただ、わらわを労ってお呉れ」

はとほるは祓いとは全く系統の違う魔法を使えるが
こんなに広い範囲をどうこう出来る力は無い、ただ揺れが収まるまで
フィミカ様の背中に身を寄せてその揺れが過ぎるのを待つしか無かった。



そして、矢張り郊外には魔が隆起していた。
して居たのだが、「外国の悪魔」と日本の「禍(まか)」がそれぞれに争ってもいた。
現場には既に先の禰宜姿の二人もいて、三つ巴のようであった。
悪魔側も別れているであろうに結託して禍と戦っていた。
駆けつけた三人は迷わず檜上・鶴谷の二人につきあっという間にお越が
何重にも範囲防御を入れたところで

「お二人とも、進んで戦って居ないって事は「そういうこと」でいいんですね?」

宵が稜威雌に手を掛けつつ二人へ慎重に聞くと、檜上さんは

「…ええ、ご覧の通りです。
 「どちらがこの地域の覇権を握るか」その戦いです、僕らはそのどちらにも
 与しません、ここが日本である限り所属などどうでもいい事…
 しかしそれでは収まりの付かない海外勢と「禍」のやりあいですよ…」

鶴谷さんもそこへ

「でも、と言ってこっちにとばっちりが来ないとは言い切れないですからね」

宵は手に掛けた稜威雌はそのままに辺り一面に響くよう声を張り上げた。

「あのさぁ、ケンカは常夜の方でやってくれないかな?」

海外勢の指揮系統だろう一人がこちらを振り向き

『我ら国も地域も越えた連合に土着の魔が扉を固く閉ざし
 現世に現れでもしないと競り合いも出来ぬ!
 文句があるなら其方は土着の民であろう、そちらに門を開けよと頼みたいところだ!』

とはいえ、現世が常夜との混ざり合いは有り得ない、だからこその現世と常夜なのだから。
宵はシケたツラをして一つ頭を掻き、一応禍の軍勢の指揮系統に

「言っても無駄だと思うけどさ、禍も大きく言えば悪魔の分類、
 その領域を明け渡し共存なんて事は出来ないかなぁ」

『出来るわけが無かろう! それはお主達人もまた同じ筈!』

「だーよーねー…、でもさぁ、やり方は変えてもいいんじゃないの?
 今この現世は「大君」はお飾りで未だに「禍大君(まかのおおきみ)」の
 専制政治とはまたちょっと違って時代に合わせているんだけどなぁ」

『聞けぬ事! では現世を常夜と魔界の在処にして見せようか!』

「おーっと、こっちに側杖当てようって魂胆だとしたら…」

宵は稜威雌の鍔に充てた親指を押していつでもするりと抜けるようにしつつ

「両方ともお帰り願う形になるよ?」

魔界と禍の利害が一致した、宵は稜威雌を抜きそのまま祓いの弓を
稜威雌に被せ大弓として矢を三本、同時に射った
いつもより数も勢いも強い軍勢を相手に、戦いの始まりだ。



地震も収まり、各地の被害状況やら一時避難で人がごった返す天照院の庭、
そこへ怪我だらけのお越とお倫が戦いの場から飛んできて
守りの領域で何とか地面激突の衝撃を防ぎつつ飛び込んできた。
フィミカ様が駆け寄りつつ険しい様子で

「戻りおったか! 様子はどうじゃ!? 宵はどうした!?」

巫女服もボロボロであちこちかなりの怪我を負っている二人だが、お越が頭を上げ

「…取り敢えずになりますが追い返しは出来ました、お宵さんは
 あちらにも人が待っていようと直接山桜へ、私どもは「とにかく回復を先」
 と言うことで…確かに山桜ですと怪我を押してあれこれ動きそうですから
 甘えさせて戴きました」

フィミカ様が二人に駆け寄りかなり憔悴の様子なれど力を振り絞って詞を二人に染み渡らせ

「確かに、この辺りだけは迂闊に魔も禍も入れぬ程には清めた、
 …よし、これで傷口だけは塞いだ、ご苦労であった、先ずは休むと良い」

避難民などにも支えられながら二人が休みに入る、フィミカ様は宵の容態が
気になったが、主が留守になる分山桜には海で働く者達が避難の対象、
芸妓のお陸とお竹などと共に割と力に覚えのある物が集うはずであるから
フィミカ様は自らの勤めとして被害状況の把握やいち早く動ける大工に指示をして
後処理に回らせ夜が明け、またその日が暮れるまで余震などの処理と指揮を執った。
それを見る人々は、矢張りこの街にはこの人が居てくれないと玄蒼とは言えない、と
改めてフィミカ様の中にあるキミメとしての血に敬意を表した。



三日ほど経ち、フィミカ様が山桜の宵が寝室にしている部屋の縁側に寄る。
宵は酷い有様であった、全身あちこち粉砕や複雑骨折、内蔵もまだ充分でないだろう
右手も左手もとにかくなんとか真っ直ぐにして保定されていた。

「お主もこっち(天照院)に来ると良かった物を…」

宵は激しい痛みに耐えながらも右頭に大きく怪我を負ったか
大きく清潔な布で覆われていたが既に血も滲んで、それでも顔をフィミカ様に向け

「ここはここで私の存在は必要でしたし…」

でも、稜威雌を引き離された事は失敗だった、とは言わなかった。

「まぁこっちはこっちで避難民の世話やら炊き出しやらでバタバタしておるが…
 ここはここで通いでお竹やお陸、お隅やお志摩…と言った所じゃろうが捗らんようじゃな」

「魔や禍はいつもより「丁寧に」お帰り戴きましたので…お越さんやお倫にも
 だいぶ無茶をさせてしましたよ…いやしかし…流石玄蒼の地…気の戻りが悪いですね…
 お陸やお竹、お志摩もお隅もなるべくいつも通りに働くようにも言ってあります…」

フィミカ様が縁側から寝所に上がり、宵の病床に座り

「お主らのお陰でここ数日朝の結界張りも最低限で済む、少しの間は
 あちらも自重しよう、と言うわけで力が余って居ってな。
 どれ、残しておきたい傷だけ教えるのじゃ」

「それはありがたい…では…」

宵の説明で残すべき傷以外は真っ新に成り行こうとした時、禰宜姿の二人も庭へ
やって来て、その手には色々抱えられていた。
フィミカ様が怪訝そうに

「何をしに…と思うたが、お主らも二日三日は動けなんだじゃろう、
 そんなに供物を持ってきて良いのか」

檜上さんが深くお辞儀をしつつ

「大丈夫です、現世にも回る程度には残しておきました。
 何より今回の地震で禍はここに集中してくれたお陰で天候以外に
 常夜の影響は少なくて済みそうで、それならば、こちらの方が入り用でしょう」

そこへ鶴谷さんが少しシケたツラで

「俺、あんま大々的に祀られた社も無いんで、こう言うのッスけど」

そこには捧げられた握り飯やらちょっとしたおはぎやらそういうものが
フィミカ様の治しでほぼ完治に向かう宵の左目が輝いた。
檜上さんが上品に微笑みつつ

「今はまず、鶴谷君の差し入れで英気を養ってください」

宵は起き上がり、肌着の一枚だけだが帯を締めるものの、えらくデカい胸や
肌着に胸のあれやがうっすら見える物だから鶴谷さんは見ないように見ないように
それを渡し、檜上さんも見ないよう横を向いている。

「お二人とも余りこういうの慣れない?」

「…まぁ、礼儀ですから」

「…俺はちょっと、ええ、純情派なもんで、ええ」

「有り難く戴きます!」

お陸やお竹も世話はしたのだろうが、何しろ戻ってきて二日ほど
噛むことすら激痛が走るほどの怪我、なんとか果実などをすりおろしたり
完全に汁状にして少しずつという感じだったので特に握り飯やおはぎを
物凄い勢いで、しかも至福の表情で食べる物で、目のやり場には少し困る物の
ここに居る三人微笑ましくそれを見守るが、フィミカ様が

「まて、宵、右目が治りきらなんだが選んだ中には無かった、足りなかったか」

「あ~~~右顔面べっこべこで目なんて当然破裂したんで…
 髪に隠れて誰にも見せませんでしたが、ちょっとこれはかなり複雑で難しそうです」

フィミカ様は渋い表情で

「う~む、目の仕組みその物が壊れておるな…光を絞ることも出来ず濁っておる…
 こういう細かいのには紫より鋭い光で本当に細かく治さねばキツかろうが、
 月読(つきよみ)の系列がおらんからなぁ…」

「月読の「系列」とはなんです?」

そこへ檜上さんが

「僕が使った「破壊の黒い光」あれを専門に操る王家筋なのですが、
 傍系として僅かにに存在したのですよ、ただ余りに細々としか継がれなかった
 ようでして…さぁ、今この日本にどれだけその芽を持った者がいるかは…」

「そうじゃのぅ…ある意味十条より希なんじゃ…仕方ない、宵や、
 これを覚えよ、そしてお主の場合戦いやその気配を感じた時だけ使うが良い
 右目の見え方は左目に倣うと良い、多少余計に力は使うが上手く使いこなせは
 お主に死角は無くなる」

それは「祓いの目」であった。
稜威雌から聞いては居たが自分の片目がそんなことになってしまったか。
でもこれで、また一つ先達の背中が近づいた、感慨深く宵はそれを修め
そして飛び込む情報の整理をした。

そんな時に着替えなどを持ってお陸やお竹がやって来て、つい今朝まで
やっと峠を越えたような宵が元気に握り飯を美味そうに食べている様子に驚き、
そこにフィミカ様が居ることからフィミカ様の力の大きさを改めて痛感し、
にこやかに、いつも通りに声を掛ける宵に抱きつき、少し泣きそうになって

「じゃあ…二人とも悪いんだけど、お隅とお志摩の百膳からとにかくもう
 色々見繕って持ってきてくれないかなぁ」

「いきなりそんなに食べて大丈夫ですか」

問うお竹に

「果物とか擂ったりしてくれたじゃない、大丈夫、腹は驚かないよw」

物凄く心配したのに、なんともあっけらかんとする宵にちょっと呆れも
でも死にかけたのなんので気持ちをいちいち揺さぶられないその精神力に敬服もし、
お陸がやっと口を開き

「では、半時からいっ時、お待ちくださいね」

そこへ檜上さんが賽銭を積めた袋を二人に渡し

「どうぞこれで買ってきてください」

この人達は誰なんだろうと思わないでも無いが禰宜姿でフィミカ様も特にどうというでもなく

「お願いするぞよ」

と言うので二人は少し急ぎ港に戻った、そこへフィミカ様も

「どれ、わらわも戻るぞよ、右目のことだけは二人に言うぞ、良いな、宵」

「ええ、もしなんなら帰りついでに百膳の出前の助けにでも」

「そうじゃな、ともかくお疲れ様じゃった、ではのぅ」

フィミカ様もふらりと居なくなった後、充分距離を測り檜上さんが宵へ

「先日の戦いでの提案、考えさせて戴きましたが…それで良いのでしょうか」

宵は少しそこで寂しさのような、でもどこか達観したような表情で

「今日明日とは言わないし、そこまでの予兆も無い、でもいつかやらないと
 この土地の為にならないと思う、…二人には嫌われ役を頼むことになるけれど」

宵が床に正座して二人に頭を下げる、鶴谷さんはそれをなだめつつ

「いえ、俺らはもうしょうがないです、確かにそれでなら、とも思います」

檜上さんも続いて

「しかしその代償は…少しばかり大きすぎますねぇ…ですのでこれは…
 「もし」十条さんの予見した時が来て「そうでもしなければ」と
 判断せざるを得なくなった時にこちらも…覚悟を致しましょう、そして
 今から「もし」の時の連携を…取れるところから取っては行きます」

宵はいつもの格好に着替えつつ、稜威雌を手に取り柄を通しその刀身に額に当てつつ

「「私はその為にここへ来た」そう確信した、刀に纏わる因縁はまた別、
 これからの時代、これから世界中で起こるだろう激動の波にこの国が
 ただ飲まれるわけにはいかない、表の世界も、裏の世界も」

檜上さんは少し思い詰め

「確かに…では、僕らも失礼します」

二人も礼と共に姿を消した。



震災の処理も玄蒼では終えて収穫の時期なのだが、より研究熱心に色んな作物を
植えて試していた山桜裏の畑では皆が渋い表情でその状況を見ていた。

「七月の小麦とライ麦は特にライ麦だけはナンとか普通の作柄だった、
 あっちや山桜関係者ならライ麦のパンも食うからいいとして、
 小麦がちょいと出来悪いのがなぁ、…とそれが来た後の米はもっと酷いな」

フィミカ様が厳しい表情で種類ごとの米の作柄をチェックし、

「今年はまぁ良いじゃろう、平年並みと言える。
 わらわの指定した苗を植えた農家は恐らくそれなりに収穫になったであろう。
 街全体となると、これはちょいと厳しいのぅ」

宵は畝を少し掘り返しつつ

「芋は、まぁまぁですね、こちらは収穫までもう少しかかりますが
 霜が降りる前にやらないと」

お越さんもあちこち回りながら

「山芋は…まぁまぁでしょうかね、麦や雑穀を混ぜたとろろ飯飯などなら
 何とかなりましょう、ムカゴもそれなり取れます」

周りを見てフィミカ様はひとまず安堵したように

「なるべく食える木を方々に植えることを推奨してはおる、柿や栗なども
 それなりにあろう、米は恐らく東北に送らねばならぬほどの危機じゃろうなぁ。
 無理に開墾し水害も多かったようであるし渡した種の数では間に合うまい
 後は山に入り「いざという時のために」団栗も拾わんと」

そこへ二宮が

「来年はもっとヤバい感じか?」

「うむ、少なくとも一年二年では済まぬ、宵も先の地震で…宵や、説明頼む」

「はい、この日本の大地は幾つもの折り重なりの層の上にあります、
 地震が多いのも火山が多いのもその為です、この土地に生きる限りの宿命かな
 大きな地震の影響があれば、火山もその勢いを増したりするのね、
 今この日ノ本だけでも…何カ所かドッカーンと行きそうなんだなぁ」

そこへフィミカ様が

「そうなると舞い上がった粉塵が空一杯に広がりこれがまた天候の悪化を招く、
 そして降り注いだ石や軽石は当然耕した畑に良い影響は与えん。
 ナンとか、余り天気に左右されることも無く短い期間で収穫出来るような
 そんな作物も必要になる」

そこへちょっと素っ頓狂な声を上げた宵

「あーそーだ! こんな中、幸か不幸か玄磨と彩河岸の間の奥の山なんですがね
 そこそこの湯量の温泉が湧きましてね!
 そのままじゃあ近くの穴に落っこちてどこへ行くのやらナンですが
 あれナンとか温泉街として開いてこっちにもお裾分けって出来ないモンですかね」

フィミカ様の目がキラリと光る(瞑ったままだけど)

「ほう! それはよいのぅ、どれ、そこまでどのくらい離れておる?」

「玄磨奥の祠より五六町(数百メートル)先ですね」

「よし、今すぐ石工や大工に道や祠を作らせよ、三人ともそれぞれに詞を捧げて回ってお呉れ」

お越がちょっと意外そうに

「温泉がお好きなんですね」

「うむ、好きじゃ、全国回っておった頃はあちこち入って回るのが楽しみであった」

二宮が少し呆れた感じで

「街のために身を粉にして働くかと思えば、こう言うところに我欲があるんだな」

そこへ宵が悪戯っぽく。

「結構な量だったし、街に引く分も結構あるよ、湯屋なんかも出来るかもね?」

二宮もそうなると

「そりゃぁ悪くねぇなw」

となり、各農家の作柄の統計と共に税として修める分や、苗としてとっておく分
特に宵の畑とフィミカ様の畑で取れたじゃが芋の大半は「種芋」として
各農家に幾らかと矢張り東北に送られることとなり、そして癒やしも必要だと
熱海に負けぬほどとまでは行かないが、温泉を地下水の流れを利用して
街のあちこちで湧き出させ、温泉宿やそれこそ海に近い場所で湯屋、
それ以外にも公共の銭湯などに分けていった。

勿論、天照院や山桜神社にもしれっと温泉を引いたことは言うまでも無い。
源泉部分にも立派な温泉場所を作り、霊的にもそれほどうるさい場所では無かったので
神社を一つ彩河岸側に作って一般的にそうであるように「大己貴神・少彦名命」が
取り敢えず祀られ、使いの者にそれぞれの分霊を祀るよう命じました。



天明二年年末、この年は更なる不作が続くであろう来年以降に関する地域の
会合を兼ねて新しく出来た温泉宿試運転を兼ねとりあえず無事になんとか次の年の収穫まで
過ごせそうと言うことで慰労会のようなモノが開かれた。

普段こう言う場所にフィミカ様は現れないのだが、温泉を楽しみにしており
既に街にも幾らか引いたとは言え温め直しなどが必要なため源泉であるこちらを
心待ちにして居たこともあってはとほると共に出席していた。

湯量も豊富で、男湯女湯にも分けられていたその露天風呂に街の衆達も別れ
それぞれ温泉を楽しんでいた。

「しもうた! なんぞここは蜘蛛の巣ではないかや!」

フィミカ様が入浴中ふと思い返し大変なことに気付いた。
その意図を読み取った男湯側の方から笑い声が上がる。
街の女で会合に出るようなのは祓い人やその周辺、詰まりが大体が宵の息のかかったモノ
女湯の方でも苦笑が満ちあふれ、お越さんが

「大丈夫ですよ、少なくともお宵さん以外は」

お宵はお宵で縁の部分に寄りかかり一杯引っかけながら

「そんな大それた事はしませんよ、とはいえ、そこはもう信じて貰うしか無いなぁ」

会合が夜だったことも有り、芸妓衆はお仕事でおらず百膳のお志摩とお隅がそこに居たが

「お宵さんは罪深い人です、でも、今までもちゃんとフィミカ様とは
 「そういうの抜き」でやってこられたではありませんか」

お志摩が言うと「うむむ」とフィミカ様。
神の化身とはいえ幼いはとほるには今ひとつ分からない感覚ではあったが
言われてみればお宵を中心に恋仲のようなそこまででもないような、
なにかこう、オトナの世界があると言うことは判ったので「あにゃー」
と言いつつ、ちょっとフィミカ様を庇うような位置になる。

お宵はまた一つ苦笑しながら

「大丈夫ですよぉ、中身はともあれ、私もそんな誰も彼も
 しかも仕えるべき人やその連れ、更に言えば年が半分に満たないような
 体にいちいちムラムラ出来ませんよ、ウチは手習いだってやってるんですから」

「むぅ…まぁ確かに…」

「でもお背中くらい洗わせてくだされば! 後髪の毛も!」

宵が言うと、フィミカ様はビビるのだがお倫がすかさず

「お宵は医者でもあるから、肌の調子や髪の毛の調子で髪を洗うのには
 何がいいとか見繕ってくれやすよ!」

「そうそう、私もそれは感謝してますよ」

お越も援護射撃に入った。
確かに、肌の質も髪の質も違う二人の傷を見る時にもフィミカ様は
その肌や髪が入念に手を得られたモノであることは判っていたが、

「そうか、二人の身綺麗さはお宵の見立てであったか」

そこへお隅やお志摩も「私たちもですよ」ときてお志摩が

「お竹さんお陸さんの所で使ってる白粉(おしろい)なんかも江戸で出回っていた物は
 体に悪いとちゃんと研究して今は体にも大きく不都合の無いようなモノにして居ます」

フィミカ様は思うところがあったか

「白粉か、確かにあれには鉛が入っておるようで、体に貯まっていかんな」

宵がそこで

「白粉としての使い道を損なわず、鉛を使わないようなモノを作りましてね」

宵の修められるモノは何でも修めてしまうといういつもの姿勢を思い出し

「お主はまこと伊達や酔狂までも道にしてしまうヤツじゃなぁ」

「というわけで、ずっとその肌の質や髪の質が知りたかったんですよ、
 お背中と髪の毛だけ、やらせて戴けませんか」

外見なぞどうでも…という考えがフィミカ様には根底にありつつ、しかし矢張り
ある程度身だしなみというモノは必要であると言うことも長い人生で思い知っていた。

「うーむ、本当にそれだけじゃゾ?」

「ええ、もう喜んで♪」

宵が温泉まで持ち込んだ道具箱を開けばなるほどそこには沢山の洗剤などが
あり、実際に背中流しと髪洗いを頼めばその様子からあれがいいかこれがいいかと
色々探りつつ「これは何々から抽出したもの」とか
「これはこういう材料からこういう風に混ぜ物をして作った物」であるとか
なるほど説明の一つ一つを聞く度にお宵が毒蜘蛛である事など片隅になり
感心しつつも半ば呆れた、しかし、体をある程度清潔に保つことは
確かに病の防止になるしそれによって見目も良くなる。
香料さえ入っていて良い匂いもする。

「フィミカ様は余り体をゴシゴシと擦らない方がイイですね、
 お月様係が肌の弱い方であったと言うようにフィミカ様も丈夫と言うほどでは無いようです
 ですので…まず体を洗うにはこれ…髪はまずこれを使って洗い落としてから
 こっちのを使って少し染みるのを待ってから洗い落とし、
 乾く頃にこれをまとめる部分に使えばいいでしょう、はとほるちゃんも似た感じかな。
 あとで作り方なんかはお教えしますよ」

「お主は本当に凝り性じゃなぁ、留守を預かっているお弥撒の分は?」

「姐さんとの付き合いはそれなりありますからw 江戸の頃のうちに既にw
 姐さんには綺麗であって欲しいですからねぇ」

それを言われると矢張り宵は毒蜘蛛なのだ。
半ば生きた心地はしないモノの、確かに自分の体に合った物を嬉々として
吟味し選ぶ宵にナンとも言え無いモノを感じるフィミカ様であった。


第八幕  閉


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