L'hallucination ~アルシナシオン~

CASE:TwentyTwo

第九幕


天明三年元旦、それはいつもの年明けのように、天照院でのちょっとした催しと
宵の突く固い餅ももう名物であった、水分が足りないのかなんなのか、
でもそれは日持ちも良いので、何だかんだ好評で恒例になってしまった。

「正月にはお宵さんの固い餅食わねぇと年が明けたって気がしなくなってきて行けねぇ」

場が笑いに包まれる、本当ならお越が細かく指示をすればまぁ何とか
米や餅米を適正に炊いたりおはぎにするのに半殺しにすることも出来るのだが、
何しろ地元住民にとって「お宵の固い餅」が既に風物詩になっていた。

宵は苦笑する。

もう三十路も近いお越、ふと振り返るともう十年程ここに住み、祓いを見出され
自ら修行して宵が言うに中の上はあるという、血筋でも何でも無いところから、しかも
大人になってから始めた事、それらを鑑みてとても奇跡的なことらしい、
それは一度江戸に赴いた時にもお沙智さんに言われた。

そして、宵との間も定めぬままなんとなく今まで過ごした、でも、それでいいと
お越は改めて思った、ただただじわりと、宵やお倫、時々行く天照院はフィミカ様達
港の芸妓店、すっかり百膳飯が板に付いたお隅とお志摩、大八に代表される
矢張り江戸から渡った人が多いからかやや江戸の匂いを引き継いだ祓いではない人々
その子供達に手習いを施し、それらそれらがじわりと幸せを感じ心が満たされた、
それでいいと思えた。

お倫はもうすっかり文化的に日本に馴染み、西洋かぶれとまでは言わないが
文化と名の付けられるモノは何でも興味を示す宵に時々聞かれてやっと思い出すくらい
もう日本人になっていた、彼女ももう十代ではない、二十代に入っている。

流石にぞろぞろとした宵に作って貰った欧州風のドレスを着てこういう場に出ることも
なくなっていて、ベランメェな江戸弁そのままに動きやすい服で出初め式に参加した。

二宮は銃の試作品の二つを受け取りこれがなかなかの腕前で地味に地域に貢献している。

時折江戸の方から奉行がやって来て様子をうかがいに来る、特にお弥撒に沙汰を下した
曲淵はその行く末を案じて天照院にも訪れた。

お弥撒は魂送りとして、そして土器から当時のことを読み出して記録を残すのに
絵心のある宵から絵を習ったりして過ごしていて、それらを記してもいた。
春の季節から始めたので一緒に桜の絵なども描いた。

ドロドロとした情念から解き放たれたお弥撒の表情に女将さんが驚いた。

芸妓の店もそろそろ代替わりというかお陸やお竹ももう二十代後半な訳で
すっかり看板として脂が乗っていたし、祓いのほうも各自出来る範囲で磨いた。

あれから十年くらい、思い返せば「そんなもの」なのだが、
毎日毎日が濃いというか、宵の忙しさに合わせたからなのか、とても長い年月を
共に重ねたような気がした皆だった。



宵の洋菓子好きに当てられて小規模な酪農業と共に参道商店街に天明堂という
洋菓子も扱う和菓子店も出来たりした、当然そこへ寄り、明るい材料の少ない年だろうと
なにがしかお土産を持って八つ時に天照院へ通う宵の習慣は変わらなかった。

「フィミカ様、試作に試作を重ねました、これはどうでしょう」

ある日、いつものようにやって来た宵が懐から可成り小型の銃をフィミカ様の前に置いた。

「ほー、(手に取り方々を細かく眺め)ふむふむ、なるほど、ここを指で引けば
 弾が出ると言う事じゃな? なるほど、ここを引くと…弾は六発か」

「ええ、そしてそれは…キチンと金型を使ったり、工作機械も人力ながら
 「どこからどこまで」を機械の方で決めてある、
 部品から何から一度に幾つかではありますが同じ物が幾つも作れるモノから組みました」

「ちょいと失礼するぞよ、弥撒や、耳を塞ぐとよい」

あ、撃つ気だ、姐さんは瞬時に理解して耳を手で塞ぐ、
火縄銃ほど派手な音では無いが破裂音と共に弾が発射され…そしてそれは
何も無い空で回転を弱めながら空中に止まった。

「うむ、可成り真っ直ぐ飛んで居る、申し分ないのぅ」

「中をらせんで削ってましてね、そこばかりは多少個別差が出ますが、
 逆を言えばこれを使って罪を犯しても弾さえ残っているなら特定も可能」

「うん、よいな、後は自警団は当然として多少街の外側にいて分別ある
 大人に渡しておくのもよいだろう、弾には祓いが?」

「この中で使う分には最初から刻んで置いている物に私が効力を載せるだけですね、
 もし外にも伝えるなら…刻印の無い物を」

「そうじゃな、まぁこう言ったモノはそれぞれに使い続け良く改めて行かねばならぬ
 しばらくこの街の中だけに留めよう」

「判りました、では既に数十挺ありますので、弾と共に渡しておきますね」

「そうしておくれ、ここは矢張りどうしてもわらわが一日に一度詞で
 結界を張らねばならぬ土地、祓いだけでなく人々もそれに抗えるようにならぬと」

そこへ姐さんがため息交じりに

「判っちゃァ居ますが、因果なモンですね、こう言うモノぁ」

フィミカ様はそれに応え頷き

「力を正しく使えるか否か、こればかりは決め事の中でそれぞれが守らねばならぬ
 それが悪しき向きになるか、今までと変わらぬ日々で過ぎるかはもうなってみなければ」

「既にお役所には試作最終段の物を渡してあります、決め事の方も進みましょう」

姐さんは少し怖いと思ったが、しかし目の前に居るフィミカ様こそがそれをもう
何百年と感じ続け受け入れてきた人なのだ、この人に任せよう、そう思った。



「いかんな、暖冬のオマケにこの世界のどこかで大きな噴火があったようじゃ、飢饉は免れん」

空を見上げて呟いたフィミカ様、畑興しももう終盤に差し掛かった頃だ。
宵はパンを炭火であぶり、サンドイッチを作りつつ

「それほどですか…あ…」

宵は何かを感じ、目を伏せ集中した。
フィミカ様はその様子に

「どうした」

「…これは…東北の方ですね…浅間山の方でも…結構な噴火が…」

「そうか、小田原の地震の時なぞはお主の感知が早かったお陰で街の被害も抑えられた。
 うーむ、泣き面に蜂、これは相当不味いぞ…」

天明三年三月十二日には岩木山が噴火した、今、宵が感知したのはそれであった。

渋い表情をしつつ、宵は野菜やちょっとしたハムを包みながら数人分の
サンドイッチを作り上げ、

「どうぞ、握り飯感覚で」

「お主のお陰というか、わらわもすっかり色んなモノの味を覚えてしもうた、
 罪深い奴じゃなぁ、こう言うモノを「美味そう」と思えるようになってしもうた」

「これから先、こう言った機会も増えるかもですよ、慣れておきませんと
 それにしてもフィミカ様…地脈の動きが怪しい、他に連動する恐れがあります」

「まだ他にも来るかもしれんというのか、勘弁願いたいのぅ…」

サンドイッチと言いつつも黒パンを使った物なので結構みっしりとした食べ応えもある。
畑仕事の合間の休憩時間でのこと、勿論姐さんや山桜の面々やお隅お志摩、二宮も居り

「地を読めるお宵は便利というか、
 でもそんなお宵やフィミカ様でもやって来る飢饉までは止められないモンかい?」

二宮も洋食というか宵(お越)の振る舞うモノに慣れてすっかり普通に食しながら問うた。
宵とフィミカ様がそれぞれ

「地を読むだけ、それを抑える事なんて出来ない」

「わらわも特に空と日を読んで予想しているに過ぎぬ、もはや如何ともし難い」

「私達は神じゃない、いや、いわゆる神ですらこの世の全てを操るなんて出来ない
 この世の理(ことわり)は、それとは別に脈々と根っこから枝葉に至るまで現世に
 広く広く行き渡っているって事」

「そういうモンか」

「そうであるから人は知恵を持って足掻くのじゃ、うーむ、これはお沙智伝手に更に種籾を
 渡しておくべきかものぅ、宵や、船の都合を頼めるかや」

「承りましょう、しかし既存の食物では足りないかも知れない、米ではなくライ麦や
 じゃが芋を広く植えさせた方がいいと思うのですが…」

「今この日ノ本では難しい話であろうなぁ、そして食し方も気をつけねばならん。
 食いではあるが結構危険な作物じゃ、キチンと伝わり正しく栽培し食せられれば確かに今後数年
 飢えは最低限に抑えられよう、宵や、芋とらい麦の普及と矢張り米本位の世は変えられぬ、
 各自見極めも含み領主藩主にも伝わるよう一筆添えてお呉れ」

この頃になるとフィミカ様はもう公文書的な物に署名することはなくなっていた。
そうせずともキチンと指示を理性的に理解できる者も増えたし、
もう鶴の一声の時代でもなかろうと本格的に隠居の構えであった。

「あっちの国でも芋がだいぶ助けになっているけど、やっぱり麦も捨てられない
 そして芋は地の養分をすっかり持って行くから連続して植えられない、
 こういうの、むつかしいんだよな」

お倫が呟いた、そう、十六世紀に南米から欧州にもたらされたじゃが芋は
最初こそ学術的な栽培に止まったが、あっという間に欧州の気候風土にも馴染み普及し
人々の飢えを凌いでもいた、だが、何千年も積み重ねた小麦をベースとした
食生活を捨てるにも至らない。



麦の収穫も近く、夏の足音も聞こえてきた天照院にまたふらりと宵が現れた。

「おや、フィミカ様なら畑だよ?」

宵は縁側に腰を落ち着けつつ腰の刀を一旦外す。
そこには稜威雌の他にもう一振り、野太刀があって稜威雌よりはもう少し鳥居反りに近い
そして反ったあとはほぼ直刀のような稜威雌よりはもう少し日本刀らしい曲線だった。
宵は土産物をいつものように持ってきてお弥撒にも勧めながら

「うん、顔は出してきた、もう半月もすれば麦の収穫だしね
 うちは麦についてはお倫が居るから、取り敢えずこっちで待って居れと言われてさ」

宵がお弥撒の認めている物を見ながら

「ん、使ってくれてるみたいだね」

「ああ、筆と違って書き直しが利くってのぁいいもんだ」

16世紀イギリスで使われ始めた黒鉛(石墨)を使い、その後それを硫黄で練り固め
現在の鉛筆の原型のようなモノが出来上がり、お弥撒はそれでデッサンの練習をして居た。

「見た物を見たまんま描くってのはいいのかなと思うけど、西洋人ってのはこうやって
 絵を描いてるんだねぇ」

「なに、見た物を見たまんまってのはこの国にも幾分入り込んでるし
 そんな特別なことじゃなくなるさ」

紙を無駄にしないよう隙間という隙間に花や草木、猫、中にはフィミカ様を
スケッチした物もある。

「…あんたに言われるまで絵心なんてと思ったが、この器(縄文土器)をみてたら
 その奥に見える人らを書き残しておきたくなって、あんたに色々教わったが、
 人の方はまだちょいと自信も湧かないねぇ」

宵は自らの煙管で煙草をふかしつつ優しい目で

「頭の中に浮かんでくる画と今そこにある物じゃあどうしてもしょうがないわ」

と言いつつ宵が立ち上がり稜威雌だけを右手にとり肩に担ぎつつ

「私で練習してみる?」

お弥撒はニヤリとしたような悪戯っぽい微笑みで

「半時いっ時そのまんまで居てくれるかい?」

「いいよ、私もその後姐さん描くかな」

「いいよw」



「何をして居るんじゃ…と思うたが、なるほど絵か」

畑から戻ったフィミカ様だが様子を見て納得し、手などを洗って
いつもの土産と共にはとほると茶を人数分入れてやって来た。

「ほう、普段使いの刀も打ち上がったようじゃな」

「ええ、既に幾度か夜回りで「感じ」も掴みました」

「そうかそうか、お弥撒が今描いておるのは宵じゃな、古来の絵の作法に拘らず
 見た物を見たまま、うむ、こういう物も今後は増えることじゃろう」

口にくわえた面相筆で下書きをなぞり始めた姐さんがそれに

「そういうモンでしょうかねぇ…それにしたってなんでまた大和絵にしたって
 浮世絵にしたってああなっちまったもんだか」

「大陸の影響じゃろ、手本がそのまま「作法」になってしまった…
 あとは矢張り現し身という物は矢張り呪いのような匂いもするからのう。
 わらわより遙か昔のこの遺物…犬を象ったモノや熊を象ったモノは
 それなりにはっきりして居るが人となると途端に形を違う(たがう)
 実際に詞で一時的に現し身はやれるはやれるが、本来形は五体そろって居れば
 他はどうでも良かったりした物じゃ」

宵がモデルを続けながら

「かつては自分の名を名乗ることすら魂のやりとりに等しい事、
 確かに少しずつ、そう言った迷信も薄れてゆくのでしょうね」

「それで良い、その時その時に見合った物の見方や考え方が進んでゆく、それで良い」

宵もお弥撒も知っている、名を名乗ることすらはばかられた時代に稜威雌の歴史は
端を発していて、時代と共にそれらが変わってきたこと。
はとほるもはとほるで自分の象られた大昔の文化の切れ端を思い起こし
感慨深げにそれを聞きつつお八つと茶を戴いていた。
エジプトでは絵に作法は強いが彫像になるとやや具象的になる、
この日本でもその傾向が有り、仏像という物で無い限りは割と具象的にもなる。
遠い遠い異国の文化なのに、どこか共通した美学や物の考えがある。

「さて、こんなもんかねぇ、お宵、アタシがそっちに立つ前に八つにしてしまおう」

宵は微笑みながら戻ってきて改めて四人でのちょっとした喫茶の時間。
お弥撒の描いた自分の姿を見て

「…私ってこういう感じなのか」

半ば食べるのに忙しいフィミカ様がそれに

「うむ、似て居るというか、なるほどそこに線を引けばそうなるという写し絵じゃぞ」

お弥撒が

「フィミカ様は絵をおやりにはならないので?」

「宵にも勧められたのじゃが、どこからどのくらいの線をどのように引けば…という
 加減が全く掴めぬ、線で絵を描くのには誠に向いて居らぬでなぁ」

そこへはとほるがちょっと立ち去って持ってきたそれは、白黒で布張りの板に岩絵の具か
何かで描かれたと思われる宵とはとほるの姿であった。
お弥撒は息をのんだ、確かにそこに線で描いた部分は殆ど無い、どう言う技法か
それは色が無いだけでまるで見たそのままであった。

「…持って来おったか…、うむ、物の色や光の及ぼす明るさと暗さ、照り返し
 全てを色で表すのがわらわには難しすぎてな…といって、肌は肌の色…とやるのでは
 絵が薄っぺらくなってしまう、なのでまぁ、色を抜いて明るさだけで何とか塗ったのじゃ」

「あにゃー♪」

はとほるが「フィミカ様も絵は上手いんだ」という感じに一言上げる。
宵は既にお八つから一服に移っていて、外にふっと煙を噴かしながら

「フィミカ様が線で絵を描くことが出来ないって言うのがどういう事なのか
 これほど写実に描けるのに何故、と思いましたけれど、右目が潰れて
 祓いの右目で世の中を見るとなんとなく判ります、どこに線を置くのが妥当なのか
 判らなくなる、左目の見え方に合わせてやっと線でも描けるくらいに調整出来ましたが」

「うーむ、ナンというか、物の見え方が複雑すぎて、何かをとことん削ぎ落とさねば
 どう表現した物だかも判らなくなるのじゃ」

お弥撒は感心の後はやはり「基本目が見えない・祓いという手段で世を見る」
と言うことは普通に自分が目に見える物と違う世界があるのだと思うのだが

「…それにしたって、勿体ない話ですよ、見た感じアタシが来るより何年か前と
 一目で分かる、時の移ろいをそんな風に残してみては如何です」

「そうじゃなぁ、もう少し落ち着いたら、そんな認めも良いのかもしれぬのぅ」

八つ時を終え、談笑しつつも南国から取り寄せ、暖冬の影響か早咲きした
花を愛でつつモデルになるお弥撒を描く宵とフィミカ様やはとほるは
厳しい状況の中にもじわりと幸福を感じその日は終わった。





六月末、昼時を過ぎた港の百膳飯屋にて休憩と賄い中のお隅とお志摩に混じって
差し入れをしつつ、宵は芸妓であるお陸とお竹の二人を連れてきていて
差し入れと共に昼のついでで「落ち付いたら話すから」と先ずは食事を五人で。
改まってどうしたんだろう、宵以外の四人は顔を見合わせるのだ。

この四人には共通点がある。

「みんなさ、他に祓いがありそうなのは見つけた?」

お隅とお志摩がそれに

「いえ…ここは時折船に憑いたものが来るくらいで、この地域としては
 静かな方ですし、お客さんの中には特にそれをキチンと感じる人は居ないようですね」

「そう…「ちょっと勘が鋭いかな?」くらいですか」

「そっかぁ、おみっちゃんやお竹ちゃんは?」

「ウチには一人二人、いますかね、少しずつ…出来る範囲で」

「うん、やっぱり「売られるところだった」というのを引き取った…その間に
 色々あった…お隅ちゃんやお志摩ちゃんに近い経験をした子になりますか」

お倫の時は泣いてしまったお志摩とお隅だがこの二人ももう大人、苦笑の面持ちでお隅が

「この土地が元々後ろ暗い心の捨て所だったこともあるんでしょうね、
 「そういう黒い心」からの発露が多いみたいで、ウチのお客さん、
 基本的に逞しい方ばかりですからね」

「そうか…なるほどね、一人二人か…祓い専門になるほどの器かはまだ判らないだろうし
 そうなるとちょっと酷なお願いになるなぁ、いいかな?」

宵のもったいぶった切り出しにお志摩がちょっとお越に影響を受けたか

「方や百膳飯、方や芸妓とは言え片足突っ込んで半身は浸っているんです、何を今更ですよ」

宵はその言葉に満足げに微笑みつつ少し下を向き、そして言った。

「いつになるか判らない、でもそんな遠くない先に、多分この街上げての魔祓いを
 しなくちゃならない時が来ると思う、可成り確かな触りがある。
 そこで四人にお願いって言うのは、港は全部貴女達に任せたいのよ、いいかな」

四人は少し怯んだが、お竹が

「勿論それは地域の戦える人と連んでと言うことですよね?」

「そりゃ勿論、使えるものはなんでも使って、ただし、山桜や天照院からの増援は
 望めないものと覚悟して、死なない程度に死ぬ気で守らなくちゃならないと思う」

「そんなに大変なことになると…なぜ判るのです?」

お陸のご尤もな疑問に宵は

「お隅とお志摩はこないだの畑でのやりとり聞いたわよね、
 世界のどこかでデカい山がデカい火を噴き、灰を舞い上げて、そして
 この日ノ本でも地震から岩木山と来て…今…もう少しこっち寄りの浅間山で
 山が火を噴き掛かってるのよ」

お志摩がそこへ

「…あ、人の営みが崩れる…と言うことでしょうか」

宵は頷いて

「そうなったら大禍(おおまが)…魔の勢いが増すと思うのよね、
 始末に悪いことにこの街は今世界中の大禍…魔が大挙してその世界諸共
 この街に結びつこうとしているらしい、どうも人のそれらに対する
 畏敬の念が変化しつつある事に馴染めないような古い神々…とでも言うのか…
 それらも動かないとは限らない、だから…実力の程なんて関係ない、
 出来ると言う以上やって貰う、そういう有無を言わせない状況になりそうなの」

「そのお話…みんなには?」

「それとなくはね、人間余り長い時間緊張続きで備えることも出来ないだろうし、
 フィミカ様も毎日のお務めの後はそうそう無理も出来ないだろうし、
 第一魔が昼に来てくれるとは限らない」

「そんな聖書に言う「終末」のようなものが…」

「たださ、私もただそれを待ち構えるつもりもないんだ、出来るのなら…
 もう少し構図は簡単にしておきたい」

「といいますと?」

「そこは…ここから先の展開次第って部分もあってね、ぶっつけ本番になるか…
 私も読み切らないのよね、こっちについてはまぁ余り気にしないで、
 とにかく、四人…出来ることなら開眼しそうなあと二人も一緒に…港の地域を任せたいの」

四人はそれぞれ顔を見合わせ少々困惑するものの頷き合い、

「死なない程度に死ぬ気で、私達頑張ります!」

この四人の共通点は宵が自分のものにはならないだろうがそんな宵に惹かれた四人でもある
宵の頼みは大きくて果たし甲斐のあるもの、四人が強い表情で頷く。

「…有り難う、御免ね、こんな私で…でも、それは力、生き延びる為の力、お願い」

宵が頭を下げた、四人は慌てて頭を上げさせるが、そんなに凄い…酷いことが
起きようとしているのかと思うと、矢張り怖くも感じた。



六月から七月になる真夏…の割りには日射量も微妙で、矢張り稲の生育に被害が懸念される。
麦の方は何とかなり、水団・うどん・冷や麦の他に養鶏を奨励していたこの玄蒼の地では
カステラ生地(味付けに依らず)・信州の「お焼き」などの講習をお越さん主導で教えたりして
麦食や、米に混ぜて炊くような事も奨励する。

飢饉といえどこの地は順調に人口も増えていて、目に見える人間の犯罪などは
他方よりその数も少なかったことから、移植者やそれに合わせ蓬莱殿の伝手で
力の程度はそこそこなれど、寺による人口管理という面でもより多くに
目を行き届かせるような配慮もなされていた。

今まで出番は無かったが安政の中頃にやって来た蓬莱殿でも中~上級に分類される僧
蓬莱殿 三崎口(みさきぐち)、そろ五十代であるが、祓いの面では主に祓いが、
蓬莱殿としては檀家に取り憑く霊や或いはその地域に現れる霊や禍に対峙する
事があったくらいなので、この年でも若々しく、まだその力は衰えては居なかった。

元からあった玄磨の寺は若手に譲り、真從、そして彩河岸にそれぞれ急いで寺が建てられ
場所としては玄磨寺の奥側に本山としてほぼ完成しつつあったところに
集った三人の若い僧と、三崎口の四人を前に宵は綺麗に座り

「来て早々物騒なことを言わせて貰うけれど、ここの街の本番は夜、
 朝の早い坊さんにはキツいとは思うけれど、そう遠くない先に
 朝だ昼だ言っていられない事態が起こり得ます、
 港側は私の弟子達が、そして郊外は私達祓いが、大きく街をフィミカ様が守る、
 でも、街に入り込んでくる霊や禍も居るだろうと思う、ここはもうそれを
 呼び寄せる土地柄にもなっている、だから、どうか、町の人…特に
 百姓のみんなを作物と共に救うべく出来る限りのことをして欲しいのです」

宵が綺麗な座礼をすると三崎口が慎重に

「ここへ来て七年…八年になりますか、昨年の地震の時も拙僧はほぼ拝みより
 避難民の世話が主でしたが…それを後に回してでも…と言う事態が起こりうると…」

そこで宵は少し間を開けしっかりとした目つきで

「はい」

「拙僧が「今ここに」と言うことは、「或いは」と言うことでもありますかな」

「はい」

三崎口はしかしこれを緩やかに受け止め

「受諾申し上げますぞ、確かに今この世に坊主という物は民を束ね管理の役目で
 ありまするが拙僧も腕にそれなりの自信があってこちらに参った次第、
 少し遅きに失しましたが、今まで祓い人に任せてきた分、取り返しましょうぞ」

宵はそこでニッコリ笑って礼をし、真新しい寺院を後にする時に、北の空を見て

「…ご覧ください、西北西の方角から真東の方向までの空を、灰もぽつりと来るでしょう」

三崎口を始めとした四人の僧が改めて外へ出て驚く。

「あれは…方角からして信州か上毛か…!」

「浅間山ですね、少し前には噴火を始めて居ましたがいよいよ大きく来るでしょう、
 ただ、まだそれにはまだもう少し、もう少し猶予がある
 「外」からいらっしゃったお三方も、蓬莱殿式に則り僅かでも腕を磨いてください」

「猶予はどれほど…」

「さて…そればかりは私も「いざ今」となるまで判らないのです、
 一日二日では無い事だけは…少しばかり無茶でも郊外へ出て無念を祓うと良いでしょう、
 禍の大きく動くは災害そのものでは無く、それによって人々の心が陰ること…!」

三崎口を始めとした四人もイヤな汗を流しつつ、有無を言わさぬその瞬間までの
心構えという物にイヤでもくさびが打ち込まれた。



天明堂の土産と共に宵はいつものように気軽に現れつつ、

「フィミカ様、昼寝の取れる隙は見逃さず休んでおいてくださいね」

「むぅ、噴火は収まりそうにないか」

「まだデカいのが来ます、ホントに数年ダメかも知れませんね」

「…ここはまだ良い、水はけも良いし富士からの湧き水も富んでいる、
 灰被りは草木の灰などで何とか出来よう、何とか冷害に強く実りも多い稲を
 薦めれば殆どの者はやってくれるからのぅ、他にも作物もある、
 数年米が少なくとも何とか為ろう、問題はやはりここより北じゃ」

「こればかりは各藩の政策や横の連携もありますので
 こちらから手出し出来ることも限られますね、蓬莱殿含めた祓いが
 何を言おうと限度があります、もう、この際は物事が上手く流れることを祈るしか」

「そうじゃなぁ」

という会話でありつつ、いつもの天照院での四人の八つ時なのであるが、
お弥撒が一服しつつ

「アンタもそろそろ曲がり角だろ、いつまでも若いって訳には行かない
 休める時には休んでおきなよ」

「あにゃー」

はとほるも同調したように言う。
お宵はニッコリ笑ってはとほるの頭を撫でながら

「あはは、そうだなぁ…まぁちょっと山桜の方に詰める機会は多くなるかも、
 あちこち顔出しは流石にちょっとね」

「そうか、そうじゃなぁ」

フィミカ様は年を取れないが宵はそうも行かない、初めて出会った二十歳前の
小娘の雰囲気も少し残る宵ではない、もうそこにいい大人になった宵が居るのだ。
宵はそこで微笑みは崩さずとも、少し切なそうな表情をした。
お弥撒はそれを見逃さなかったが、と言ってどうなる物でも無い、

「ああ、お宵、アンタお手製アタシの仕込み刀ぁちょいと自分で手入れしてみたんだが
 どんなもんかねぇ」

この街へ所払いとなった後、ここはここで別な意味で物騒なので宵は今度は
自分でお弥撒用の仕込み刀も作っていた。
傘に仕込まれたそれを抜きながら宵は詞を唱えじっくりその刀身を眺め

「…うん、大丈夫、キチンといつでも使えるようになっている、納めた刀の方も
 じゃあ、改めて見なくても大丈夫かな」

そこへフィミカ様が菓子を口に放りながら

「まぁ、キッチリ任せぃ、大丈夫じゃ」

宵はニッコリ微笑んで

「お願いしますね」



それより先はお役所奉行所と共に大八を頭に自治団とも連携を確認しつつ
宵はほぼ山桜に籠もり何やら大量に認め始めた。
もう、手習いも何も閉めて臨戦態勢であった。
お越は沢山保存の利く携帯食料を作り、お倫はお倫で連発式の銃を自分なりに、
そして地域に納めた連発式銃と弾の規格を合わせるのに改良を行っていて弾を量産した。

家のひとところで何かをすることも多くなった三人に住み着いた猫やその子供も
その側でくつろいでいたりしてふっと、その愛おしさに猫を撫でたりする。

時折お越が気付いて三人集まって食事をする。

「お宵は何やってンだい?」

「うん、いや、継ぐだけじゃ半分、継いで一つというお越さんのいつかの言葉にね
 ちょっと書き残しておこうかなって事をね」

「良いことです、貴方の頭の中にある物をすっかり出してしまうのがいいでしょう」

「そうなんだよね、お越さんは料理に関することまとめたし
 お倫にはとにかく銃の弾を作って貰ってるし、私も一丁忍ばせることにしたから」

「弾に魂(たま)込めるのはお宵の仕事だから、そこは頼むよ」

「判ってる、ある程度貯まったら言ってね」

何となく心の整理も付いてきて、その夜はひとしきり三人で燃え上がった。
…が、夜中にお越目覚めると、お宵は寝床に僅かな灯りで書き物を続けている。
お越は思うところがありつつもただ宵に寄り添い、それを見た。

それは継いだモノを継ぐと言うよりは宵の半生を認めた物でもあった

「何一つこの世に置き忘れのないように…そういう事ですね」

「…うん、悪いね、こんな定めに巻き込んで」

「まったく…と言いたいところですが、私もなぜだか満たされています
 少なくとも、貴方の目に留まり売り払われるところを保護されてから、
 私の人生は上向きですよ、今も、感謝しています」

「そう言って貰えると、こっちも有り難う」

「貴女とはついぞ恋仲だとまでは言いませんでしたが、それもそれで良かったのかも
 それとは別に、大切な人でありますから」

「私もそう、大切な人だ」

お倫が大切じゃ無いと言う意味では無い、お宵も手探りの最初の最初からと言う意味で、
同志というか空気の読み合える関係であるという所はこの二人ならではの部分がある。
お越はいつもなら「無理せず休んでください」というのだが、
この時はただ宵に身を寄せ口付け、また眠りにつく、お宵は書いた、書き続けた。



奉行所や自警団や寺にも一応それなりに纏まった弾を納品したお倫が猫を肩に
お越特製のショートブレッドに形を似せた携帯食料も宵の代わりに届けに来た。

「お越さんが知恵振り絞って作ったモンだ、いざという時に食って
 少しでも腹の足し、力の足しにしておくんなまし」

「宵はどうしたのかや?」

「いやもう、籠もりっきりで色々書いてたんだが、こっちも後はお宵の
 祓いを込めるだけっていう弾も山のようになったんで今やって貰ってる」

「そうか…」

心なしかフィミカ様が寂しそうな表情をした、が、

「あ、いやいやいや、お主ではどうこうと言うことではない故気にせんでお呉れ」

お倫はカラッと笑って

「フィミカ様も結構お宵に情が移ってきましたかい?」

「いやいやいや…そう言う意味では無くじゃな」

慌てて否定に入るフィミカ様だが少しばつが悪そうだった。
お倫は空を見上げ、半ば黒く濁った空を見上げ

「まぁ、これが済めばまた「いつも」に戻るでしょうよ」

「うむ…」

お倫は頭を下げ、天照院を後にした。



携帯食とは別にご飯の匂いのする山桜に戻ったお倫。

「ああ、すっかり米の匂いが美味そうに感じられるようになっちまった」

台所のお越は頬を緩ませ

「ふふw まぁまだ炊き始めです、まだ掛かりましょう」

港で獲れた魚の頭やワタなどは既に火を通され猫たちに振る舞われていて
ブチ猫の血筋だろう親猫も子猫もそれにがっついていた、お倫の肩の猫も加わって。
お倫は猫達を一通り撫でて

「お宵はまだ工場(こうば)かな」

「そりゃ、幾ら「ある程度貯まったら」と言っても限度がありますよ…w
 一体何千発分作ったのですか」

お倫はちょっと締まり無い顔で顔を赤くし頭を掻きながら

「いやぁ…w こっちもついつい黙々とやっちまって…でも
 こないだみたいなことになったらあっち一人でも何百発使うか判らない」

お越も少し釜から吹き上がり始めた湯気を見上げるように

「…そうですねぇ、お宵さんったら私達にも見せないようにボロボロになってるんですから」

「あン人の格好付けは治らないよw あっちらで何となしなくちゃ」

「ホントそうですねぇ」

感慨に浸った頃、遠雷と共に判る程度にパラパラと灰が降ってきた。
それと共にお宵が工場からすっ飛んできて

「不味い! 二宮呼んできて! ここから真っ直ぐ郊外の方向から来る!」

宝暦暦天明三年七月七日の午後四時過ぎ、とうとう浅間山が大噴火を起こした。
現地の被害は推して測るべし、そしてその人々の無念や恐怖と共にそれらがやって来る!

炊き始めた釜の火加減を調整しつつ、お越は携帯食料を幾つも束ねた袋を肩掛け、
お倫はその瞬間には二宮を呼びに出た、

「お宵さんは!?」

「不味いことにまだ弾が揃ってない、少しだけ、少しだけ三人で足止めして!」

「判りました、出来た弾を道の方に出しておいてください!」

「お願いね!」

お宵はまた工場へ向かって残りの弾に既に刻印してある弾丸げ効果を施してゆく。



お越・お倫・二宮の三人が郊外に着く、なるほど、無念の魂が禍に結びつき
それらは魔物になって行きこちらに向かっている。

少し離れた場所に金のほとばしりも見える、蓬莱殿の祓いだ、初めて見る。

そしてまず長距離射程のお倫が牽制で数発銃を撃ちつつ、二宮は換えの弾の場所と位置を
確認しつつ、お越がいつものように守りを何重かに掛けようとした時だった。

『うむ、「いつも通り」の進行だがあの女がいないのは都合がいい』

どこからか聞こえてくるその声に郊外からそれほど激しくないとは言え水流が押し寄せる!

「な…何だ? ったーいえこの程度じゃ流されるにも足りねぇな」

二宮がビックリしつつも冷静さを取り戻した時、お越が何かを悟り反射的に叫ぶ

「二人とも、水に触れない程度に跳んでください!」

お越はその場で跳び上がりつつある二人にまず二重目の守りをそれぞれ掛けたその時

『待って居ったぞ、この刹那!』

いつの間にか目の前に沸き出でた鬼が武器を振るい辺りを凍らし、そして片手の指先
それぞれから氷柱を三人に目掛けて飛ばした!

「!!」

お倫は天性の運動神経や鍛え上げた祓いで直撃コースを逸れ氷柱で怪我は負いつつも
数発の弾を鬼に発射したが、それらは直前で凍らされ、勢いを落とされ命中しない!

二宮は足を貫かれ矢張り同じように数発撃つがそれも止められる!

そして…お越は二人への守りに集中し自分の守りが遅れたこと、相手はそれを読んでいた

『守りの要が自身の守りを後にする…ずっと見て居たぞ…!』

三つの氷柱がお越の体を貫き、そしてその一つは確実に心臓を貫いていた!

「お越!」

お倫が燃えるような赤い祓いを温度に変換し今度こそ鬼にあたる一撃を食らわす!
お越は足下を凍らせられ、その上で集中攻撃を受けたのだ!
のけぞりつつ、それは即死ダメージである事を伺わせ、のけぞり倒れ行く。

全ての時間の流れが遅く感じられた、「もういつもには戻れない」
それを目の当たりにしてしまった…!
しかし、のけぞり仰向けで倒れつつある死に行くお越には見えた、
大量の荷物を背負ったお宵が必死の表情でこちらへ向かって自分に手を差し伸べている姿を、
手は殆どもう動かせないが左手がそれを受け取ろうという動きをしつつ最後の祓いを纏う。
そしてお越は最後の瞬間少し微笑んだ。

倒れる寸前に宵は駆けつけ、お越を受け止めたが、既にお越の目に光はない。
お越は最後の命の灯火を宵に渡し、そして死んだのだ。

誰もがその瞬間時が止まった。

『さぁ、これで守りの壁と癒やしの祓いは居なくなった!』

その鬼が背後に沢山の禍を従えつつ、さて、一斉にと言う時だった。
俯いた宵がゆっくり顔を上げると共に物凄い勢いの祓いが宵から放出される!

『なっ…!』

周りの禍は一瞬で祓われ自身もかなりの弱体化を迫られ、その祓いの大波が
郊外一帯を包もうとした時だった、そこへ祓いと実際の声の混じった叫び声が響いた!

「『ならぬ! それだけはならぬぞ! 宵!』」

フィミカ様の声だった、宵の爆発的な祓いの発露は止まり、その左目に正気が戻る。
宵はもう一度俯き、お越を抱きしめつつ

「有り難う御座います、フィミカ様…もう少しで私は目的を見失うところだった…」

お倫や二宮を含めたフィミカ様の声が

「『目的?』」

宵は立ち上がりつつ、弾を少しだけ二宮の元に置き

「ここは二人で頼むね、二宮も今ので足治ったでしょ」

確認すると確かに氷柱で貫かれたはずの足はなんともない、
しかし、その一撃で即死が免れないお越だけは、どうにもならなかった。
そしてお宵は野太刀で目の前の空をひゅっと撫でたようにすると

「水鬼、流石最後の一人だよ、二人とも、後を頼むね、さぁ宜しく!」

「宜しく」は空に向かって叫んだ、後の第一歩は二人にも判る、
既に真っ二つにされていた水鬼を片方ずつ浄化するための追い打ちだ!

…と、その瞬間に宵は消えていた、どこへ?


第九幕  閉


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