L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE:Twenty

第八幕


「おいおい、覗きかい? 婆さん」

野営地は人が利用出来るよう整備した温泉の少し上にあり、その藪の中に居た梅が
いつの間にか密着する勢いで背中を取っていた八重に流石にビクッとした。

「人聞きの悪いことをお言いで無いよ、怪我ぁいいのかい」

「ああ…まぁ冗談は置いておいて…あの二人…矢張り何かあるのか
 恐らく本来は今頃三人に成って居ないとならないのではと思い至っていたんだが」

「…迂闊にも背中取られちまった、それでも斬ったり力を弱めようとか封印も
 しないアンタに敬意を表して…と言いたいところだがね…」

「…ふむ、じゃあ…場所を変えよう」

野営地の外れにちょっとした崖があり、八重は荷物から横笛を取りだしそこに座り

「刀に手を触れて心の半分だけその中に入ってくれ、そこには
 私か稜威雌の許しが無ければ入れない場所がある、私が招く」

「ここのミズチは知っていた、ここに刀工があった事も知っていた。
 でも何があったかまではアタシも知らない、ある日何もかも無くなっていた。
 ここは大和と蝦夷のひしめき合いもあったところだ、そういう流れなんだろうね。
 そして…巡り合わせだねぇ、どれ、お邪魔させて貰うよ、確かにこの中なら都合がいい」

「そうか…アンタでも知らないのか…」

稜威雌の世界にやって来て、しかし屋内には入らず縁側に梅を招待した。
稜威雌が驚くが八重は相手が魔人であるとかそんなことは全くお構いなしに
稜威雌を紹介し、基本神社造りのその家屋の外れにて着座し、梅は
「神社は苦手だって覚えていたのかい」と少々呆れつつも感心し話し出す。

「もう今は神代の昔の話さ…」



それはまだ文字により歴史が紡がれるより前の話…
当時既に大国で在った「中原の国」に於いては既に人と人のぶつかり合いが主だったが
ことこの日ノ本…列島においてはまだまだ魔の力が強く、
それぞれムラからクニへとなった地方地方は
・田畑の領域の拡張と防衛
・詰まり人と人との攻防
・その土地に芽吹いた精・神の扱い
・そして魔との攻防
この四つの制約があり、上手く統一国家になれないで居た。

悪霊に関してはまだ祖先信仰からくる軽い祓いもあれば間に合ったので
小国でもなんとか維持出来ていたのだが、そこへ人も増え、争いも増えた頃
魔の勢いも増したのだ、人の営みが大きくなり放置されれば魔も勢いを増す。

各地それぞれに独自の祓いは居たが、それらを一番強力に鍛えられ
王家自らがその祓いの力を最大に持っているクニ…
曰わくに「やまと」、祓いを大まかに四つに分類し、取り敢えず型にはめて
ある程度育てるという方式、細かい差異は独り立ちをしてから探れば良い
そうやって、単純な兵力だけで無く「祓い」という面で勢いを付けた「やまと」は
徐々に勢力を強め、単純な征服では無く、連合国家として手を差し伸べ
各地に祓いと兵を代表で置くだけにして基本その土地のことはその土地に任せた。
各地で微妙に気候風土、神の違うこの日ノ本にあってはそれが功を奏して
「やまと」は祓いの頂点の家系としてその力を維持しつつ勢力を広めた。

そんなある時代…

「やまと」はほぼ日ノ本統一に王手を掛けた状態になる。
とはいえ、まだまだ直接支配地はそれほど多くは無かったのだが、その連合国家は
すでに関東地方にまで編み目が及び、まぁそのままの勢いであれば時間の問題
多少何かあってももうひっくり返る事もなく少しずつ統一に向かうだろうという状態。

オオキミに値する人物が一時代に三人も輩出されたのだ。
そこで先代王の見事なところは、そのうちの一人に絞るのでは無く、
一人一人の力量を見て代表として一番上の姉を据えはしたが、
兵による戦いや遠征専門、そして姉と組んで主に月の運行から農耕を司る
そういう三人体制としたことで「やまと」の勢いは決定的となったのだ。

そして、そうなると因果な物で魔の力も強まり、各地で何とか
「やまと」をひっくり返そうと策を巡らせた。

策に填まりかけたある手練れの祓いは自ら魔への生け贄となることでやまとへの難は逃れたが
誓約としてお互いに代表を出し合ってはお互いの死を賭して勝敗を付けるべく
そしてどちらかが勝てばその力量はもうどちらかを滅ぼせる勢いになっている
あとはそのものに任せる、そういう誓約をした。

最初の戦いはそのキミメを中心とした時代にあり、大勝した物の
キミメは魔は決して滅ぶことは無いと知っていたし、例えその時存在した魔を
キミメとその配下の…いや全国の祓いを集めても全てとなると相打ち覚悟である。
結局その場は一定の封だけをして先ずは日ノ本の統一に邁進した。

以後…数百年の後に、その宿命を持った祓いが生まれたりするのだが、
キミメとの戦いで「基本、魔は祓われるためにある」事を自覚した
魔の大君に当たるモノはとにかく直接対決を避けるように動きに出始める。

自分が滅んでも次に誰かが魔王になるのであろうが、それは許せなかった魔王は
祓いの方で準備が出来掛かった頃に邪魔をする事で自らは滅ぶこと無く、
そしていつの日か「ひっくり返せる力を持つこと」で
その時に全力で祓いを、やまとを潰す、それが目的になっていた。

何度か巡り合わせが来そうになってはそれを導くようで欺いて、
そうして今この時まで来たのだ。



「…そんな大昔からの因縁が今まで続いているのか…で、婆さんは「どっち」なんだ」

八重の言葉に梅は長いこと言えなかった心の底を吐露するが如く

「早くこんな馬鹿げたことは終わって欲しいさ…導くようで邪魔をするなど」

「…ふむ、なんとなく見えてきたぞ、もうこの時代は残念ながら解決しそうに無い事も」

「矢張りキレる奴だね…三人が会わなければ為らなかった
 もう無理さ、三人に揃ったとしてもうどうにも為らない事態だよ」

「嵯峨丸と大丸が出来ちまったことか」

「…魔王からの命だとそれとなく三人目の居るところに近づけないように…
 ただそれだけだったのさ、八重、いい線は突いているが、あの二人が出来た
 と言うだけでは終わりには為らない」

「流石にそこから先は私には鍵が少なくて錠前を開けられないな」

「…どうせもう今時代は無理だ、お前は半ば当事者として臨機応変に
 応じられるだろう、敢えてこの先は言わんよ」

「そりゃ、手厳しいな…だが判った、それでもあの二人にはこれからも
 でかい魔が差し向けられるんだろう、上級になったんだから尚更だ、
 アンタも余り手は抜けないだろうし…判った、二人の勝利にだけは貢献しよう」

「済まないね、「それが仕事になっちまった」モンだからね」

「敢えて言わないがアンタも自らの正体の切れ端掴ませてくれた、それだけで充分だ
 …問題はあの二人じゃ無い、だとしたらアンタはどうするんだって事さ」

「どうもこうもないねぇ…いや、「この代での仕事」が終わったら
 アタシは少々寝かせて貰うよ、どうせまた「次の機会が巡る代」になれば
 こき使われるんだからさ」

「死ねないか、私の力は必要ないか」

「正確に言うと今アタシの命の尻尾は魔王に掴まれている。
 例えキミメ様の祓いだとて魔のアタシは何度でも使われるために復活するだろうさ」

「酷い話だ…だが「そうなってしまった」と言うことだな、
 祓いが最終的にその魔王に勝てれば、アンタも放免って訳だ」

「そうなるね、でもアンタが魔王に立ち向かったって無駄だよ
 そこは魔のための場所になる、祓いには厳しい場所だ…そして
 魔王にたどり着くには気の遠くなるような戦いをせねばならぬだろう」

「少しは考えたが、矢張り無駄か…判った、時の巡りがいつか来るというなら
 未来の祓いに任せるしか無いな」

「済まないね」

そこへ稜威雌が物凄く悲しい顔で

「あの…恐らく貴女様は私よりも長い間…しかも私のように自我も失っていた
 時期があったわけでもなく、ずっと、ずっと生きてこられたと言うことでしょうか」

梅は少しニヤリとして

「心根は図太い方でね、なるべく過ぎたことは振り返らないように
 なに、「今思えば随分遠くまで来た」とは思うが、それだけさ」

稜威雌は思わず涙を流し、八重は神妙にそれを聞いた。
恐らくは千年、或いはそれ以上生かされていると言うことだからだ。

「同情など結構、アタシが自分で選んだことでもある、後悔なんてしないさ
 目的を遂げるまではね…ただ…流石に大丸や嵯峨丸に懐かれてしまって
 情が移ってそこが困るよ」

「明け透けに本当のこと言うわけにも行かないしな」

「時々ここに愚痴りに来ていいかい」

「時と場合によってはまともに迎えられないが、それでもいいならおいで」

八重の言葉に稜威雌が梅に頭を垂れて

「わたくし、もしかしたら自分の事も…と思っておりましたが
 大変に罰当たりなことを願っておりました、お詫び致します、申し訳無く…」

梅は稜威雌を一瞥して

「アンタ個人の事なんて知りはしないよ、あの頃だってそこそこ人の営みはあったんだ
 …ただ、「どんな時代だったか」は教えてあげられるよ、
 だがアンタはもう「別の新しい一つの心」として生まれ変わったんだ
 話を聞いたとしても、もうその時代に郷愁を感じることも無いだろうよ」

「そうですか…」

「八重と一から積み直すんだね」

稜威雌が赤らんだ。

「ああ、溜まりに溜まった鬱憤、結構流せたよ、こちらこそ礼を言う、アリガトさん」

「気にしないでくれ、アンタは魔というには何か違うとずっと感じていたんだ」

「時にアンタの笛…表の体の方で吹いている…面白い音だね」

「失敗した素材をそのままにするのも何だから横笛を作ってみて
 でもただ作っただけでも面白くなくて色々探ってついでに
 木の筒に収めてみたんだ、面白いだろう」

「琵琶とか琴とかは試さなかったのかい」

「そっちは素材を板にするだけでもダメで、更に鉄をくっつける
 と言う作業も必要でね、弦は作ったことがあるんだが、
 張り方を間違うとえらい凶器になっちまう」

「お前さん、実直な奴かと思ったが、案外遊び心に溢れてる酔狂だね」

「ふふ、実は芸事も歌や楽器に関しては何年か習ったんだ
 祓いとして使い物にならなくなってもつぶしが利くかなってね」

「そういう所は実直だねぇ、さぁ、二人もいい加減湯から上がって
 こちらに来る、アタシはお暇するよ」

「ああ、またどこかで会おう」

「機会があったらね」

稜威雌は八重の隣で静かに頭を垂れていた。



目をつぶって半分集中して笛を吹いていた八重が目を開けると既に梅は
どこか夜の闇に紛れて去っていた。

八重が笛を吹きながら立ち上がると、後ろから二人分の足音
丁度良い節なので終わりにして振り返ると大丸が

「さっきから聞こえていたけど…面白い笛だな、節も面白いって言うか
 っていうか笛なんて吹けたんだな」

八重は優しく微笑みながら

「色々あってしばらくこう言うの封印していたんだが、ちょいとこう言うのも
 いいかなと思ってね…因みに今の曲は、嵯峨丸の父さんのお国のモノらしいよ」

「えっ、確かに父は地の果ての更に向こうから来たと言っては居ましたが…」

「まだアンタも小さい頃にこっちの曲や節回しが独特で面白いって言われてね
 じゃあ、向こうではどうなんだって聞いたら色々教えてくれた。
 向こうの楽器とか、色々ね、それでただ再現するのでは面白くないから
 何か工夫出来ないかと思って色々考えて作ってみたんだ」

「へぇ…」

二人がそろって声を上げた。

「ただ、もう帰ろうったって帰ることの出来るような所じゃ無い
 そのうち辛くなってしまったらしくて、余り深くは聞けなかったんだよな」

「そうですか…父には余り聞きはしませんでしたが」

「これからも余り深くは突かないでやってくれ」

「はい、そうします…でも僕にはその血が半分流れているからなのか…
 どこか懐かしいとさえ思ってしまいます」

「うん、かもしれないな、血の記憶…そういうのは確かにある」

「音が上に伸びたり下に伸びたりするのは何だ?」

笛というのは指で穴を押さえる場合半音のポルタメントは出来るが
八重の笛はもっと大きくそれが出来た。

「なに、管の長さを調整出来るんだ、管を長く調整すれば音は低くなるし、
 短くすれば高くなる、本当ならそれを指使いで全部出来るのが理想なんだが、
 余り凝った笛も作れなくてね」

「いや、充分凝ってると思うけど…」

すかさず大丸が言うと

「やろうと思えばもっと色々試せたんだ、でもそれが本筋じゃ無かったからな
 鋼の筒と木の筒を隙間を空けつつ重ねてそれでいて両方の音を
 一編に出す吹き込み口や穴の押さえ…細かい音の調整が出来るようにあとから
 筒の長さを変えられるようにして…うん、充分やり過ぎたかな」

八重がシケたツラをした、そんな表情を見るのも初めてだ。
なんだか稜威雌という精を刀に宿してから明らかに八重は変わった。

「そんなことより、声は漏れていなかったが、あったかい思いは出来たかい?」

八重が悪戯っぽく言うと二人が真っ赤になった。

「ば…バレてたのか…」

「判るさ、私だって人並みに恋をしたことはある、女にだがね
 さぁ、あんたらの方が疲れは上の筈だ、私は稜威雌のお陰で
 だいぶ休めたし、今宵は私が夜営を張ろう、おやすみ」

優しい表情で、単純に「年長・先輩としての威厳」から来る物では無い
優しい顔で八重が温かい眼差しを二人に向けていった。

色々取り繕うことも考えた二人だったが、お互いの目を見て、
その言葉に甘えることにした。

しばらくの間、八重は静かな曲を奏で、月夜の森にその音を響かせていた。



仕事は終わり、上級になった二人にいつまでも八重が付いているわけにも行かなかった。
三人だと明らかに余るのだ。
少しの間は一緒にあちこちの仕事に同行したが、余りに呆気なく終わってしまう。

「何かマズいと思ったらいつでも祓いの通達を入れてくれ」

結局はそうなり、八重はまた一基本人に戻った。

そして久しぶりに都へ戻り、花街へ。

「なんだい、ご無沙汰だと思ったらその顔の右の傷はどうしたのさ!
 痛ましいったらありゃしないねぇ!」

「ああ、目は潰れてないから(右目を薄く開けつつ)…いや、姐さん
 まだ東の方に行く気はあるかい?」

「うん? ああ、その気はまだあるよ、もういいのかい?」

「不幸中の幸いとでも言うのかな、鎌倉の辺りから広く東の方で大きな地震があってね」

「そうらしいねぇ! まさかアンタそこに居たのかい?」

「地震の時は少し離れていたんだ、ただ丁度仕事の依頼人の前だったんでね
 そっちの色々…何やらかにやら関わったんだ、もうしばらく大きな
 お偉いさんの混乱も無さそうでね、それで、不幸中の幸いというのは
 結構な人通りの街道筋も更地になっちまったトコロも結構在ってさ」

「成る程ねぇ、そりゃ亡くなった方には悪いが確かに美味しい話だ、良し判った!
 引き継ぎはいつでも出来るんだ、ただ向こうに渡るとなると引っ越しが大変だ」

「そこでまた都合があってね、私が丁度手が空いたのさ、姐さんを守るのと
 荷物なんかは私が引くよ、ただ、向こうで手に入れられそうな物は
 向こうで手に入れることも考えておくれ、これ…路銀の代わりにでも」

それはまた結構な量の金だった。

「なんだい、これは」

「仕事のついでに金が採れるところだったんで採ってきた
 それだけさ、上げると言って素直に受け取る人じゃ無いのはよく知っているよ
 だから…小銭の束がかさばるようならそれと交換しよう」

姐さんはなんだかすっかり驚いて

「剣の道以外は疎い子だと思っていたが、立派になったねぇ」

「初めて会ってからもう十何年か経ったからな…でも姐さんの中では
 剣の道以外には疎い子で居てもいいな」

「いやいや、年を感じるねぇ、今改めてそれを感じたよ
 わかった、金目になりそうなモノや数貫ある小銭なんかと交換しておくれ
 それでアンタはそれをどこに?」

「うん? 世話になった刀工に今までと「もしこれから」の分で渡してくるさ」

「…余り深く聞かない方が良さそうだね、その言い方だと」

八重は微笑んで

「やっぱり姐さんは優しいな」



数日後、善は急げと息巻く姐さんとそれについて行く数人の子が
八重の先導の元、街道を渡り武蔵の国へ向かった。

細かく何処の土地と指定をして居たわけでも無い、ただ偉い人伝に
いつか独立して武蔵国辺りに店を構えるという「約束」だけは親書として書かせていた。
まこと、抜け目の無いヒトでもあり、そう言う意味ではその抜かりの無いところは
八重も影響されたと言っていい、ある意味…二つの意味で師なのだ。

場所の指定がないと言うことは弱みでもあるが強みにも為る、
いざ実際の交渉になった時には改めて色々な…彼女の人生で培った物が炸裂するだろう、
八重と交換した金もその一助になるに違いない。

「結構な旅路…命がけになることも覚悟していたんだが…アンタかい?
 出発してから時々アタシらに何事か呟いてるだろ」

「うん、まぁそれも祓いの範囲なのさ、気にしないで享受してくれ
 ただし飯だけは仮令(たとい)ひえやあわの混じった米だろうと一日の量は
 限らせて貰うよ、肉だろうと何だろうと食って貰う」

「まぁ命がけの旅に穢れもヘッタクレもないね」

「そもそも肉食(にくじき)そのものは禁忌でも無いからな、
 食らい尽くすと巡り巡って人に返ってくるから食い尽くさぬようにと言うだけで」

「例えば?」

「鹿を狩れば猪や狼や熊が困る、猪や熊は人里にもやって来てせっかく育てた作物や
 熊は下手をしたら人の味を覚える、そういう事さ
 人の数が多くなった今、子を山ほど産むような魚とか、山ほど実る米や大豆
 といった物を真ん中にしないと人を養いきれない、そう言う意味なんだ」

「じゃあ、猪や熊を狩れば?」

「鹿やウサギなんかが増える、草が足りなくなる、畑が狙われる、同じ事さ」

「なるほどねぇ…、でも、こんな山奥の道をえっちら歩いて行軍するには
 そういうのも襲いかかってくるだろうからせっかく狩るなら食ってしまおうと」

「そういう事」

当時の鎌倉街道(東海道)は今現在で言う東海道本線に近いルートで不明な点はあるが
一度岐阜の中程まで行って名古屋に行き、そこから海岸線を舐めつつやや内陸側…
というルートがメインだった。

既に旅を始めて数日目、姐さんについて行く娘達は多くが陸奥(みちのく)出身で
例え死ぬような思いをしても…という気概を持った子達であった。
にしても足取りも八重によって軽くなり、肉食を強要されるにも訳がある事を知り、
単に「カッコイイ姐さん好み」だけでは無いのだと思い知り、憧れと尊敬を抱いた。

夜になれば、熊や猪は賑やかな音が基本苦手だというので
どうせならと芸子としての稽古も付けられる。
その間だけ八重は寝られるだけ寝ておいて、みなが寝静まる頃には朝まで起きて
時には狩りをして、朝みなが起きた頃には汁の一丁上がりというわけである。

菜さんから貰ったり作り方を教わった調味料などを八重は大事に使って居て
普段は余り使わないが、こう言う時には使われる。
料理自体余り繊細で無く上手、とは言いがたいが最低限のことは出来ている。
菜さんから臭み消しなどの方法も教わっていて、一応は食べ慣れない人でも
食べられる程度にはしてある。

とにかく、食べて前に進まなくては為らない。

近江から美濃、そこから尾張へ近付いた辺り、
揖斐川・長良川・木曽川これを渡らねばならない。
他にも水路はあるが難所は大井川、大きいのは相模川、多摩川辺り、他は天候による。

とにかく近い範囲で大きな三つの川を越えなくては為らない。

「そうか…水路があるんだな…」

「うん? そりゃしょうがないだろ」

「だが、これだけの人数に荷物、馬鹿にならない」

「そーだねぇ」

「よし、先ずちょっと向こうの宿か宿に出来そうな場所探してくる」

「えっ」

と言うやいなや、八重は荷車を置いて単身跳び上がると空を蹴り
物凄い勢いで川三つ向こうまで跳び去って行った。

今まで祓いの底上げや、ちょっとした具合の悪いのや怪我は受けていた物の、
その余りに人間離れした跳躍に一同呆気にとられた、それは姐さんでさえも。

「姐さん…あの方…本当に人間なんですか?」

遊女の一人が声を絞り出すと

「肌合わせてたこともあるアタシが言うんだ、間違いなく人間さ…
 今は派手に(と言って手で顔をなぞり)傷跡見えてるけどさ、
 前は脱がないと判らないような体に幾つも痛々しい傷跡があって…
 …でも本当は殆ど判らない程度に傷は消せるんだってさ、
 ほら、この中でも何人か怪我とか月の物が酷い時なんかは世話になったろ」

そう言うと遊女達は頷く、

「祓いとは言っても傷病の祓いさん…医者なのかと思ってました」

「…アタシも祓いに関してはその程度だったんだが、肌を重ねると判る
 何で治さないのさって言ったら、戒めなんだと
 己の未熟さとか甘さとか、そういうのが引き金で負った傷は
 残すようにしてたんだってさ、でも見えるところなんかは綺麗だったんだ
 そしたらあの右の傷さ…戒めなんだろう、ほぼ片目みたいになっても
 それを戒めとするようなさ…」

姐さんは近くの岩に寄りかかり腕組みをしながら

「アイツには思い人がいて互いに互いの名前を知り呼び合う仲の子が居たんだ
 でも、なんっにもここまで来るのにも言わなかったよね、
 アタシも敢えて聞かなかった。
 今でっかい野太刀二振りと何か大昔の刀っぽい三本差しだけど…
 その野太刀の方をその子と一緒に作っていたって事は知っている
 漆塗りの普通の鞘のは狩りの時にも使っているが
 もう一つ、金銀であしらった立派な刀の方は今のところ一回も使って居ない、
 恐らく「それ」が「その子との全て」なんだろう」

雰囲気は柔らかいし、気立ては優しい、そんな彼女にも重く抱えたモノがある
そしてそれとはもう二度と会うことも叶わない、そしてそうなってしまった時に
何か彼女に落ち度があり、その落ち度を忘れないためにあの目立つ傷を残した…
結構気さくに接していた遊女達もちょっと重たい雰囲気になる。

「思うんだがね、人と接する時には…それが罪人でも…
 アイツは殆ど磨いた剣術や体術だけで過ごしていたんだ、
 ウチの店に迷惑が来た時にもちょうど厄介祓いして貰ったことがあるよ。
 そして…何処のことかは知らないんだが、客の一人がひいきにしてた
 刀工が悪党に襲われて結構な被害を受けてもう少し人里の近くの方に
 移動したんだって言ってたが…恐らく「そこ」だったんだろうね」

姐さんは八重の跳び去って行った方向へ遠い目をしつつ

「悪党…人間相手だと加減をしてその子を失う羽目になったんだろうさ
 「だから」もう何があっても後悔しないように力をおおっぴらに使って、
 誰に何を思われようともう気にするような世間体も無い、
 今、アイツのもっとも信用おけるのはあの刀になってしまったんだろ」

流石に付き合いの長い姐さんだけはある、的確な想像だった。
そんな時、一行にいつの間にか二人増えていて、浅黒い逞しい少年の方が

「そうか…そんな事があったのか…なるほど、凄く納得した
 だからあの刀や刀工の精にあれだけ思い入れたっぷりだったんだな…」

もう一人の少女(に見えた)は涙を流していて言葉にならないようだった。
余りに当たり前に呟いてきて話に信憑性を与えるような事だったので
当の想像で語った姐さんも一瞬深く考え込むのだが

「お待ち、あんたら何者だい、アイツの居ない今この子らを守るのはアタシの仕事だ」

姐さんは短刀に手を掛ける。

「オレも聞きたいよ、あんたらこそ八重さんの何なんだ、親しいようだけど」

全く毒気の無い、純粋な問いかけに呆気にとられた一行。

「…アタシがアイツの古い馴染みなのさ、繋がりかなんて何だっていいじゃないか」

若い子のようだし、純粋なようだし、遊女のご一行だなどとは言わず濁す。

「あの人もオトナだし先輩だし、オレ達の知らない繋がりはあって当然かぁ」

「それよりアンタ、気前よくフツーにアイツの名前言って呉れちゃって
 アタシアイツの名前初めて知ったよ、十何年の付き合いだけど」

「え、なんで?」

常識もよく知らないのか、姐さんは天を仰ぎつつ

「あのねぇ、自分の名前を人様に軽々しく教える物じゃ無いんだよ、普通はね」

「それじゃあ不便じゃあないのか?」

「アンタ祓いだね? 祓いなら偉い人相手に名乗ったり
 書物に名を残すこともあるだろうからまぁあんたらにとっては不便かもだけどさ…
 普通そう言う時のために「祓い」とか屋号のような物で話したりするんだよ」

「そういや…そうだな、こっちは名乗っても余り普通の人達は名乗ってくれなかった
 でもなんでだ?」

そこへ涙を拭いた子が

「名前を教えると言うことは命を預けるのと同じ事だって考えがあるんだよ」

「へぇ」

「そっちの子はまだ常識が通用しそうだね、そういう訳さ、
 アタシとアイツはそこまで深い仲じゃ無い、「それでいい」って今まで来たのに
 まぁ見事にぶち壊して呉れちゃって」

「スマン、そうか、でも良く判った、名前って大事なんだな」

「例えそれがありきたりな物でもね、「それがその人の魂の証だ」ってモンなのさ」

「そうか…じゃあ、今の忘れてくれ」

「無茶をお言いで無いよぉ、もうアタシ多弁の桜見る度に思い出すわ
 アイツが育ててた子たちって事でいいのかい?」

「ホンの幾月かですけど…」

「でもその幾月かでオレ達を上まで引っ張り上げてくれたからな、恩人さ」

姐さんは呆れ返りつつも

「あんたらがどれほどアイツを慕ってるのかは良く判った、
 ついでだ、刀工の精とやらのことを教えておくれ」



「悪い悪い、思ったより広くあちこち見回ってたものでさ」

八重が戻ってくる、物凄い勢いで三つ川向こうから跳んできたのだろうに
着地の音も静かで柔らかく、深い体勢から戻りながら火をおこして
休止していた一行を見て

「何だ、二人ともどうしたんだ? あ、姐さん、この二人は少しの間
 後押ししてた二人でね、若いけれど祓いとしてはもう一人前だよ」

「アンタさぁ、この子らに常識は教えなかったようだねぇ、その話はもう聞いたよ」

少し呆れたような八重の表情に嵯峨丸の声が祓いで届く

『お婆さんのことは最大にボカしましたよ、流石に大丸もそこまでは迂闊ではないです』

『ならいいんだが…』

そんな時、ふっと八重が真剣な表情になり、嵯峨丸に詰め寄った。

「え、な…なんですか」

誰が見ても「少年剣士の格好をした可憐な少女」の嵯峨丸を少しの間真剣に見て

「そうか…なるほど…、いや、こっちのことさ」

といっていつもの距離感に戻りつつ、何がなんだか判らない一行を差し置いて

「で、二人はなぜここに?」

呆気にとられていた大丸が

「あ、ああ…、いや、遠江と駿河の間にある川の上流で仕事があるらしくて、
 でもそれほど急いでいないって言うから、丁度や…あんたが
 何かどう言う一団か知らないけど陸路で関東に行くらしいっていうから
 ついでにと思って」

八重は片眉を…左眉を上げ

「ほうほう、それは丁度いい、二人とも手伝ってくれ、この三つの川を渡りたいんだ
 そのあと蔦の細道の…宇都ノ谷峠からちょいと山寄りに野暮用があって
 特に嵯峨丸に丁度いい、馴染みの刀工…とは言え、今職人足りなくて
 派手に忙しいかもしれないんだが、結構な業物を作るよ」

そこで嵯峨丸は「その腰元の野太刀のような?」と聞きたかったし、
姐さんの話を聞くまでは聞いていただろう、でも、それは聞いてはいけない。

「そうなんですか、この間の金、まだ可成り余っているので丁度いいです」

「うん、彫金の材料にもなるし物々交換で行けるだろ、よし、じゃあ…」

と言って、さっさと割り振りを決め、飛んだり跳んだりで可成りの短時間、
荷物も含めて手間が掛かりそうだと思っていた難所を乗りきった。


第八幕  閉


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