L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE:Twenty

第九幕


川を渡った先の少し荒れ地になっているところ、
幾らか八重が切り開いたのだろう、切り口も真新しいそこに打ち棄てられて少し
荒れてはいるが一晩の借宿にするくらいなら充分な家があり、
先に渡された順で片付けや掃除もしていて、久しぶりに野宿じゃない、
そして切り開いた草木を八重は既にカラカラに乾かしていたので
それを床に敷き詰め、久しぶりに普通の壁と屋根のある場所での晩になる、
幾ら八重が足取りを軽く調整していたとは言え、精神的な緊迫感はまた別だし
少し解放された気分で特に花街の宿の一行は姐さん含め大きく安堵のため息をついた。

大丸と嵯峨丸の来訪もあり、八重のように突かないと、そして探りを入れながらで無いと
察せない悟れない話さない人ではなく、割と調子よく今までの旅のことなどを
気前よく、でもやっぱりギリギリの所は判っているのか大丸の話は
何かちょっとした物語のようでみんな聞き入っては盛り上がっていた。

食事も済み、八重が湯の用意が出来たという。
簡単な衝立(ついたて)と共に、岩を床に石と木と、隙間に粘土を詰め
恐らく祓いで乾かし、溶け出すのを防止するための塗装もしてある。
そして岩は掘られており、火が焚かれていた。

湯が減ることを計算してか、岩の端で桶に別の水も温めている。

「アンタはホントに湯浴みが好きだねぇ」

姐さんが呆れ返って言う、大丸が先に言いたかったのに矢張りそこは
付き合いの年月の差なのか。

「譲れないね、こればかりは。
 まぁ沐浴でもいいんだが、冷えると行けない。
 この先峠を越えるし山の方に用事がある、次にこんな思いが出来るのは
 いつになるやらだよ」

そう言われると、折角だと湯に浸かる一行だった。
そして祓いの二人にも容赦はなかった八重、洗濯を手伝わせた。
洗剤…とまでは言わないが植物由来の汚れを落とす効果のある物を使って
一行の下着なんかを(とにかくその間は上着一枚でいる)洗いまくり
祓いで布が傷んだところは補修し、乾かし、綺麗に伸ばし
裁縫が必要な部分は姐さんを始めとした一行が全員でやって。

その間にも減ったお湯のつぎ足し、水の追加で汲みに行くことも祓いの三人で。

中々ひとっ風呂浴びられない二人はちょっとシケたツラになっているのだが
八重はそんな二人を微笑ましく見つめ黙々と作業をこなした。

やっと大丸の番になり(流石に二人入られるような大きさはない)元気に「お先に!」
となった時だった。

「大丸、湯に浸かりながらでいい、ちょいと辺りを警戒しておいてくれ
 …そして嵯峨丸、風呂の前にちょっと付き合ってくれ」

「はい?」

そこへ大丸が不満げに湯船に凭れながら

「えー、なんで嵯峨丸だけだよー」

「剣の腕前を知っておきたい、そして何か教えられることもあるかも知れない
 大きくおおまかには知っているけれど細かく手合わせしたことはないからな」

「そうか、そう言えばそうだったな、行ってこいよ、嵯峨丸!」

「う、うん」



少し林に分け入り、多少掛け声的な物を発してもうるさくない程度の場所。

嵯峨丸は八重のあとをついて行っていたが、八重がふと止まり

「半分は口実なんだよな、半分はその通りなんだが」

嵯峨丸はその言葉に

「どういう事です? 僕だけに伝えたい何かがあるって事ですよね?」

「ああ…だが…どこから言おうかな…今それを考え倦ねていてね」

「何かそんなに沢山…」

説教でも始まるのかとちょっと臆した表情の嵯峨丸、かわいい。
八重は振り返ってふっと笑い

「別に説教なんかしないさ、嵯峨丸、だがこれは大切な意見と質問なんだ
 キッチリ受け止めてキッチリ正直に答えて欲しい」

「え、は…はい」

八重が環頭太刀に手を掛け、凄く短い範囲、嵯峨丸にだけ響くように詞で心に直接

『まぁ、とりあえず手合わせもしたいんだ、抜きな』

言われるがまま嵯峨丸は太刀を抜いてからの剣術使いなので
八重に戦いを仕掛けるわけだが、剣が一瞬交わった次の瞬間にお互いの立ち位置を変えて

『矢張り上面からの振り下ろしか…嵯峨丸、何処までになるかは私にも判らないが
 いずれその刀の振り方は出来なくなるだろう、今のままじゃ刀で戦えなくなる』

『えっ、な…なぜです!?』

『そこで質問も絡んでくるんだが…』

八重は嵯峨丸に歩み寄り、

『いずれお前は育っちまったモンが邪魔になるって事さ』

と言いながら、その嵯峨丸の細い胸板を軽く叩く。

「痛…ッ!」

思わず普通に声を上げた嵯峨丸

『それはお前が望んでそうしたのか?』

『え…、な…何のことです?』

素だった、八重はまぁそうだろうとは思っていたが余りに何も分かっていない
その嵯峨丸の様子に少し呆れもして

『お前さん、胸が膨らみ始めて居る、もっと言おうか、お前さんの体が中から
 変化を始めて居る、幾ら四條院でその中でも殊更に女っぽいと言っても
 限度があるし、その体を作り上げている小さな小さな房に収められている
 …なんていうかな、絡んだ紐みたいなのがあるんだが、
 男と女でそこが違うんだよ、どれほどどっちっぽくても決定的にね』

『ど…どういう事です?』

『まぁたまに発育の異常とかふたなりとかあやふやなのは居るんだが…
 お前さんは初めて会った時は確実に男だった、それは確かだ。
 だが、今、その体が女になり始めている』

嵯峨丸の目が見開かれる。

『もう一度聞く、それほど女に間違われるのなら、いっそ女であったなら
 大丸の子だって産めるのに、そういう風には思ったかい?』

質問の意味が見えてきた、嵯峨丸は少し罪悪感に囚われたような表情になり

『…思いました、思っています、これからもっとその思いは強くなるでしょう…
 でも、僕は…八重様の聞きたいことが判りました、
 その為に祓いを使うなどと言うことはしておりません!』

八重は目をつぶり、腕組みをして天を仰ぎつつ

『やはりそうか、お前みたいな優しくて真っ直ぐな子が私情でそんな大きな力を
 自分に使うとは思えなくてね、ちょっとそれで聞きたかったのさ』

『でも…僕が女にって…』

『お前さんは確かに男の子だった、四條院の男の中でもとりわけ女っぽかったが
 ちゃんと体の中の房の一つ一つに刻まれていた絡んだ紐はお前さんを男だと
 言っていたんだ…それがさっき…久しぶりに会ってみたら
 女が混じってきて少しずつ置き換わって言っている』

『八重様…人の体の細かいところにも目を配っておられたんですね』

『医者でもあるからね、祓いは。
 というか、四條院ほど豪快に治せないからこその小手先の技さ、
 元々刀の中に潜む「特別な材料」を見つけるために開眼したんだが
 怪我を治すのにも壊れた体の組織を観察することは十条にとっては大事でね
 なに、刀の材料だとか金銀を見分けるのよりは遙かに楽さ、
 ただし物凄く複雑で何がどういう働きをしているのかとかまでは
 良くは判らないままだけれどね』

『それで…僕の体に変化が起きていると…確かに…最近体の節々もおかしくて
 胸は触れるのも耐えがたいほどに痛いです…、でもそれは何か打撲の影響か
 旅の疲れの重なった物かと思っていました…』

『恐らく、お前さんを後見している神様がそうさせたんだろうな』

『な…なぜです?』

八重は何処まで言った物かと少し考え

『三人目に何かあったんだろう、あんたらとは合流出来ない何か…
 それに嵯峨丸は大丸とも通じ合っている…それなら…
 いっそ嵯峨丸に大丸の子を産んで貰って、「次」に託せないか、そういう事なんだろう』

素直に喜べない、自らの存在意義がそうと知らない間に変更されていたなんて
嵯峨丸は肩を落として泣きそうになっていた。

『これからなるだろう事、今からやめて貰うよう陳情に行くかい?』

そこで嵯峨丸は

『僕の…僕の下心がある意味…』

『おっと、その考えは良くないな、こう考えてみな、出会うべきったと言っても
 それは普通ならであって魔が全力で邪魔に入れば果たされないことだってあるだろ
 実際、二人は…気があうとは言え婆さんの差し向ける魔を祓い続けて今ある
 そんな状況で、神様はきっと考えたのさ、この代で急ぐよりそのほうがいいと』

『そうでしょうか…』

『そうでなきゃその体の変化の説明がつかないよ、でな嵯峨丸』

『はい』

八重は上着を一端腰の紐の所まで脱ぎ、体に巻き付けていた布を取る
凄いボリュームの胸が現れるわけで、まだ幾分男でもある嵯峨丸は顔を赤くして困ったが
八重は上を羽織り直して環頭太刀を上から構え、ゆっくり真上から、斜めに
振り下ろして見せた。

うん、邪魔そうだ。

『まだお前さんが何処まで育つか判らない、ただ、今までの傾向で言えば
 四條院の女は立派な体したのも多い、お前さんの母さんもそうだろ?』

『そ…そうですね、ええ…詰まりひょっとしたら八重さん以上に…』

『かもしれない、だから、上面からの戦法をやめる必要がある、
 横から、あるいは下から体勢変えつつ掬い上げたり、
 そうでなければ私のように抜刀術を学ぶといい、いいかい、胸がでかくなりかけって
 時にさらしなんかで押さえつけたって痛苦しいわロクな事ない
 成長具合を見ながら大きく動かずなるべく派手に動かないようなやり方が必要だ』

と言って環頭太刀の柄に手を掛け、そこからの型を幾つか見せた。
そして、そこからは結構親切に何を練習すべきかその順番は、と嵯峨丸に伝授していった。



流石に結構な時間を費やしてしまったので、しびれを切らした大丸がやって来た。
八重が気付いて軽く手挨拶するのだが、嵯峨丸は動きは小さいながら
抜刀の速度、正確さ、そして抜いてからの太刀筋をまるっきり一からやり直す
という感じで大丸にも気付かないほど真剣に、汗だくになって修行に打ち込んでいた。

嵯峨丸は剣士としても腕前は良かったが、そんな嵯峨丸が一からやり直す勢いで
物凄く真剣に抜刀からの太刀筋に打ち込む姿、声を掛けたら悪いと言うよりは
少し心奪われたような、そんな表情をした大丸に八重が手振りで指示を出す

あ、そうか、という感じで

「おーい、薪だって限りがあるんだ、さっさと湯浴みしてくれ」

ちょっとわざとらしかったかも知れないが、大丸精一杯の演技だった。
八重が嵯峨丸の太刀筋を受ける形で嵯峨丸の修行をしていたのだが
八重がおかしそうな表情をした。

そして、はたと嵯峨丸が気付いて動きが止まる

「よし、いきなり全部を身につけようッたってどだい無理な話だ、
 何かのおりに少しずつ修行を重ねな、今日はもう汗を流して、ホラ」

嵯峨丸の肩を軽く押して向きを誘導する。
真剣な嵯峨丸の表情が大丸を見た瞬間、完全に恋する乙女という表情になる、かわいい。
大丸もドキッとするのだが、何かちょっと困惑していた。

「そ…そうだぜ、オレ達に暇は無いが時はある、明日もある、だからその辺にしとけよ」

何か物凄く嵯峨丸を気遣った言葉になっていた。

「うん、そうだね」

そして嵯峨丸が大丸の横を通りがかる時に

「僕は何が何でも、教えて貰った抜刀術や剣術を修めないとならない。
 明日よりもっと先のために、君のために、僕のために」

そう言って大丸に微笑みかけ、粗末な湯殿へ向かっていった。
そこへ八重もやって来てやや呆けて固まっている大丸の肩を叩き

「さ、お前も湯冷めすると行けない、もう寝な、私が長湯のついでに
 見張りもしばらくやっとくからさ」

促されやっと歩く大丸と八重。

「あんな真剣な嵯峨丸久しぶりに見たよ…何かそんな大事なことだったのか?」

「ああ、とても大事なことさ」

「…オレも…何か出来たらなぁ」

「お前は一通りの体術の型は知っているようだがそれにはめ込むのは勿体ない、
 その変化した姿そのままに、どこか常識に縛られない研ぎ澄まされた
 野性みたいな物を伸ばせばいいと思うんだ、
 それに必要なのは、嵯峨丸への思いが一番いいのかな」

大丸は少しばつの悪そうに赤らみ俯きながらも

「…オレ達…別にヘンじゃあないよな…?」

「それを私に聞くのかい?」

「あ、そうか…、でもあんたは先輩だ、色んな人とも会ってきているし
 どうだろう、オレ達おかしくないかな」

「…何もおかしくは無い、馬鹿にする奴がいたら、侮蔑しようとする奴がいたら
 真っ直ぐに怒ればいい、そうだな…立場や身分は気にすることはあっても、
 私らは幸いにも祓いなんだ、それに四條院や天野じゃ元々珍しいことでもないはずだ」

「…そーなんだけど…オレも嵯峨丸も最初はそんなんじゃなかったからさ」

「私は物心ついた頃には女好きの女だったけれどさ、
 心の底から好きになった人が同性だったからと言って、そんなに落ち込むことはないよ
 それこそ身分や立場が余りに違うならまだ悩めるだろうけど」

「そういう物かな」

「言っておくけどこの世界、あらゆる生き物でもそこまで珍しいことじゃないよ
 …ましてや相手があの嵯峨丸じゃなぁ」

「おれ…さっきこっちに気付いて振り返った嵯峨丸が物凄く…嵯峨丸可愛いよな?」

「男らしくあろうとしても何処か染みついた何かが邪魔するのか
 可憐にしか見えないよね、私から見ても可愛いと思うよ」

そこで大丸は素で

「おい、嵯峨丸はやらねーぞ!」

八重は高らかに笑って

「はっはっはw 確かに可愛いと思うがそんな事はないよ、例え何があったって」

八重は稜威雌に手を掛け、それを愛おしそうに見つめながら

「もう姐さん辺りから色々話も聞いたろ…
 私にはこの刀だけが唯一の「相手」さ、それ以外はあり得ない」

大丸の胸が一気に詰まる、愛した人を失った結果、或いは自分が、
或いは嵯峨丸が味わうかも知れない未来の姿。

「…オレ、もっと食ってもっと動いて…でかくなって筋肉ももっと付けてさ…
 ちょっとやそっとの攻撃じゃびくともしないようになるよ…」

「お前は天野だ、己の成長がそのまま祓いに転化する祓いだ、それがいい
 お前に言いたいことはたった一つだな」

八重が歩を止め、大丸に向けて

「後悔だけはしないように」

大丸はしっかりとした表情で強く頷き

「…ああ!」



皆が先に寝静まった頃、八重は一人湯の温度も調整しながら物思いに耽るでもなく
ただ本当に長湯の構えで、湯船に腰掛け軽く体を擦ればそれを洗い落とし、
また湯船に戻り…そんなことを繰り返していた。

平たく言えば魂が抜けたようだった。

そんな虚ろな八重だったが、急に湯船に掛けておいていた稜威雌を手に取ると
全裸のまま、解いた髪も濡らしたまま、走り出して河原の一点で抜刀術を仕掛けた。
振り返り、稜威雌を鞘に収める時に背後の魔は両断されて浄化して行く。
その青い光に梅も微かに照らされた。

「夜盗も居ない、魔もこれっきり…婆さん、「仕事はした」って事かい」

「人の動きまで操らないよ、それにしてもアンタ動けるもんだねぇ、
 大丈夫かって思うほど魂抜けてたよ」

「そこはね…まぁ一応こっちも成長はするもんでね」

「しかしまぁ立派な躰(からだ)だねぇ、ある意味どっちにも目の毒だよ、
 さっさと湯船に戻りな」

湯船に戻り入浴を続けながら

「…で、何かあったかい」

「とぼけるんでないよ、言ったね、嵯峨丸に」

「早急に手を打たないとあの子は戦術の切り替えが間に合わないと思ったんでね…
 ありゃ多分四條院系の躰を体現する変化になるだろう、
 私はまだあちこちの筋やら引き締めて回ってるからいいが、
 あの子は戦い方を変えないと胸が邪魔になって仕方なくなるぞ」

「四條院てのはそういう血なのかい?」

「婆さんの時代はどうだった? 姓は無くともそういう血はあったと思うよ」

「あったねぇ…詞がその代わり強烈だから大体距離を置く形になるんだが…」

「嵯峨丸はどうもその辺剣術で間合いを決めて飛び詞、或いはほぼ触れる祓い
 という感じだからなぁ…普通の四條院より相当動く」

「そうか…女になってもそこは変わりそうもないかね」

「そういう根っこまでは神さんもいじらないだろ…あくまで性別だけ…」

「なんだかねぇ次世代って先ずどういう事なんだ、
 あの二人の子が育つまでの話なのか、それとも…」

「否定は出来ないが、婆さんは「この世代で」と言ったんだ
 きっと…いよいよ生まれるって時には流石の婆さんでもホントに抹殺しかねない
 魔を差し向けないとならないんだろうな」

「いや、アタシは外されるよ、絶対手心を加える、下手したら加勢する
 そうは思われているからね…外されるんだろうさ」

「外されたなら外されたで立場が宙に浮くな」

「そうだね」

そんな時に草履の音がして

「アンタまだ入ってるのかい、ふやけちまうよ」

姐さんだった、ふと目を覚ましたようだ。

「はは…w なかなかこんなにしつこく入っていられる機会も無くてね」

梅はちょっとどうしたモノかという所在なさげな呈であったが

「アンタが大丸に「ばーちゃんばーちゃん」って慕われてる人だろ。
 色んな事を知っていて色々結構深いこと教えてくれるってさ
 なに、この繋がりで婆さん一人素人なんて思うわけないだろ」

「お前も中々肝が据わってるねぇ」

呆れつつ口の端を上げる梅

「メチャクチャな人間は一杯見てきたよ、結局遊女を殺す目的で通ってた奴とかね
 あの時はアンタ(八重)に斬って貰ったっけ」

「ああ、そういう事もあったな…」

「ある意味目的がはっきりしている死霊だの魔だのよりこっち側の筈の
 狂った人間の方が余程厄介さ、悪霊になりかけた遊女の霊もアンタに任せたねぇ」

「ああ」

「それでさぁ、大丸の奴がさぁ」

「私の名前言ってしまったんだろ、そういう迂闊さは変わらないみたいだからな」

「悪いね、知っちまったモンなかった事にも出来ないもんでさ…
 そこで一つ頼みたいんだ、いつもいつも引っ越し先に居る必要はないが
 アンタ時々ウチ立ち寄りで色々やってくれないかな、今でも結構やらせてるけど」

「ああ、構わないよ」

「そこで…これは正式に書面として残しておかなくちゃ何だよね
 それで…今は書状は書かないが、これは大事な約束事になる、だから覚えておくれ」

「うん」

「七条の前というのが遊女としての名、そしてホントの名は「陵(みささぎ)」さ
 どうも落ちぶれた墓守の一族の末裔らしくてね、生まれた場所にそういうのがあったから 
 そういう名を賜った、覚えてお呉れ」

「墓守の家系か…何か道理で…と思う部分もあるな」

「アタシは祓いとかそんな偉い力ないよぉ?」

「いや、でもなんとなく悪霊を察知したり見たりできた、普通余程怨が強くないと
 そこまで霊は見えるモンじゃない」

「ああ…まぁそこは確かに感じたりは出来る方だったね」

八重は考え込んで

「なるほど、姐さんの優しさというか弔いの心はそういう所からか…
 姐さん、詞とは言わないが多少何か技は使えるかも知れない、教えようか」

「あー、一国一城の主になるわけだしねぇ、もし出来るなら覚えたいモンだ」

「姐さんは私のことはもう八重でいいよ、私は今更みささぎさんなんて
 改まるのもどうだと思うし、呼び捨ても何か違う」

「構わないさ、好き合って教え合ったのとはちょっと違うんだからね」

やや置いてけぼりだった梅が

「取り敢えず、あの子達の運命に余り絡むと八重」

「ああ、半ば覚悟はしているよ、そうなるならそうなるで仕方ないだろう」

流石の八重も湯船から上がり祓いで一瞬にして濡れた身体を乾かした。

「ああ、さっぱりした肌着はいいモンだな」

「裸のとこ久しぶりに見たけど、傷も増えたねぇ…勿体ない」

「何だかんだ私は戦いの中に生きているからね」

「それじゃ、アタシはやることたァやった、ではまたどこかでね」

「ああ、機会があったらな」

梅が闇に溶け込むように居なくなる

「あの婆さん、大まかに言えば敵だけど、でもなんか微妙なようだね
 話からしても態度からしても」

「大丸や嵯峨丸に懐かれて流石に情が湧いてきたんだってさ」

「そうかい、そういう人なら色々と弁えてはいそうだ」

八重はそんな姐さんの言葉に微笑みつつ髪を縛り

「さ、寝てくれ、一応朝まで頑張って…明日一日は動く」



遠江と駿河の間に流れる大井川、二人の用事はその上流と言うことであった。
そこで街道沿いに大井川の手前の開けた里で現地の祓いから細かい陳情を聞く。
当然この時は花街ご一行は休憩と言うことで他で休み、祓いの三人で参じた。

「若い二人と聞いたが、十条殿まで、如何為された」

この祓い、特殊であった。

「藤枝様がこの代限り、とは心より惜しく思います、私は道中都合が合いまして
 別道なのですがもし必要であればと参じました」

八重が綺麗な礼で応えると、その土地の祓いの女性…年の頃は「姐さん」くらいだろうか
だが何が凄いと言って鎧まで着込んで武装していることである。

「ふ、元々私に余り継ぐだの何のと気概が少ないところにやっと参った夫は
 荘園持ち、初夜のその晩の前に出陣してそれっきり。
 家督がこちらに回ってきて、このままでは格好もつかぬ、
 元々武装し戦う祓いであったがゆえ、取った向こうの血縁を養子が
 充分独り立ちするまではと私は武士として生きる羽目、もうこの年になっては
 今から初産というわけにも参らん、致し方ない」

「なるほど、以前お目に掛かった時にはそこまで事情も知りませんでした故…
 受け継いだ「藤枝」の姓を守る方をお選びになりましたか」

「夫も浮かばれまい、結ばれることもなかったが、面倒面倒で婚姻を
 先延ばしにした私が「まぁいいか」と思えた相手であったからな、
 祓いの方は川向こう…駿河の天野や四條院が私亡き後こちらに分家を据えるだろう」

藤枝は名ではなく姓、二人がアレ、と思った。
その表情が読み取れたのだろう、藤枝はまたふっと笑い

「私は三家筋でも王家筋でもない、土蜘蛛の血だ」

祓いの世界が三家と王家の四つ、話には聞く出雲の合わせて五つ以上にある事を知った。
新鮮な、心からの驚きを表情にまた出した。

「あの…畏れながら…断絶すると言うことですか…?」

嵯峨丸が愕然として恐る恐る聞いてきたので、

「私の名は阿拝(あえ)、せめてその心に刻んでくれ、この血筋は絶えても
 祓いは絶えない、それでいいのだ」

八重もやや神妙には聞いていたが、若い二人にはショックだろうと心底思った。
滅びるのが判っていて生きると言うことがあるなどと、認めたくないだろうと。

「ホントに…それでいいのか」

大丸の言葉に阿拝は

「荘園などと言う物を継いで家督などと言う物が出てこられては致し方あるまい。
 それにそれは夫側の血筋の問題、向こうの間でも再婚に適した者も居ないし
 義理の弟の次男坊を養子に…継ぐのは「藤枝」の名と家督…
 少し前までこちらの親類も居てこの間の大地震までは先もあったのだが、
 …十条殿、その節は大変に世話になった」

阿拝が礼をする、そうか、大地震の時八重は相模から向こうという感じに
担当したのだから面識はあるだろうし、ある程度事情も知っていた、なるほど。
八重もそれに礼でのみ応えた、余計なことは言わぬが吉というわけである。
ただ、八重は個人的な気持ちとして

「十条の白んだ青とは違う、深い藍色の祓い、心に焼き付いております」

「うん…、それを覚えていて呉れ、どこかに…この血もあるのかも知れないが」

土蜘蛛は総称であり、古代より祓いの血を含み、流れ流れて「やまと」になった
血筋もあり、今でも反抗する血筋もあり…そう、古代よりあるのだから
どこかに親戚筋の「藍色の祓い」を持つ血があるのかもしれない、が、
もう遠い昔の枝分かれ、どこに居るとも知れず、また今この「藤枝」のように
「やまと」…日本に馴染むとも限らず、血筋としては八方塞がりなのだ。

「…そうだ、二人とも、ここは私が預かろう、
 どうか藤枝様、この二人に同行して見せてあげてくれないか」

言われた阿拝が少々ビックリするも、八重の提案に微笑んだ

「実力の程は大した物ではない、鎧がなければ身を守れぬ、
 詞もそう強い物でもない、だが…そうだな、せめて、見修めていって欲しい」

阿拝が言うと、大丸が八重に

「でも…あの姐さん達どうするんだよ、ここにお邪魔するったって…」

八重は阿拝に

「納屋を貸して戴きたく」

「いや…数人一晩二晩寝起きするくらい、釜を焚くくらい構わない母屋を貸そう。
 旅の途中だというならちゃんと屋根も壁もあるような所で寝るのもそう叶うまい」

八重は返礼し、二人に微笑みかけた。

「こちらの用事を先にと思ったが、いい機会だ、そっちの用事を先に済ませてくれ」

その八重の二人に対する語りかけに阿拝が

「其方(そなた)の用事とは?」

「二年ほど前、藤枝様にも紹介させて戴いた刀工です、
 こちらの…嵯峨丸にもいい太刀があろうと」

「おお…それはいい(二人を向いて)、嵯峨丸とは其方のことか、
 良い刀だ、コツは要るが鋼を断つ太刀だ、良い物だぞ」

「鋼を…ですか、凄い…」

八重はそう言えば重量が掛かった金で出来た魔を断ち切っていた。
柔らかいとは言え密度の高い金属、更に上からの圧力が掛かっていた状態。
八重は静かに二人のやりとりを聞いているだけで特に何を言いもしなかったが

「そうと決まったなら行こうぜ、詳しい現場は何処なんだ?
 飛んで行くにしても今この時間じゃ一晩はかかる」

大丸が急かすように言った。
別に「今すぐ」という話でもなかっただろうに、大丸は行く気満々だった。
目を伏せ静かに聴いていただけの八重の口の端がその時上がった。


第九幕  閉


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