L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE:Twenty

第十幕


大井川上流を目指し飛び、大丸嵯峨丸、そして阿拝が先頭で案内をする。

「しかしまたなぜ阿拝様では祓いが立ちゆかなかったのですか?」

嵯峨丸の質問に阿拝は

「間が悪かった、こちらは一人だし、川向こうの二家もまだ修行中の身
 それでも近ければ良かったのだが…何しろ上流では時間も掛かる」

大丸がそこへ

「相手は何なんだ?」

「悪霊と言うよりは…亡霊のクニがある、縄張り意識も強く…
 亡霊どもの数もそこそこ居て、飛び詞が変化した魔に近い波動を沢山打ち込んできてな
 縄張りと言うだけあって一つ所からはほぼ動かないので急いでいない、と」

「なるほど…、でもそんな山奥の亡霊達なんて放って置いても弱まるんじゃないのか」

「詳しいことは判らぬ、だがあれらは神代の時代の他のクニの者達だったのだろう
 怨念とまで言わぬが…そこそこ強い者達でね…
 その頃に比べたらこの現世、人はかなり増えている様子だ、地震はあったが…
 いつかどんな山奥にも人は分け入ることだろう、いつかはやっておかねばならぬ事」

阿拝の言葉に嵯峨丸が慎重に

「その血筋は…」

「ああ、だが私の血族とは限らぬ、土蜘蛛ではなく蝦夷(えみし)であるとか
 …そこは判らぬ、祓いの色も魔の側に墜ちてしまえばもう判らぬ。
 とはいえだ、もし直系の祖先であったとて構わぬ、時代は変わって行く
 時は移ろうモノなのだ」

少しの沈黙の後、大丸が

「…なぁ、本当にもう先はないのか?
 年と言ってもあり得ない程の年には思えない」

これまた唐突な、阿拝も嵯峨丸も呆気にとられるのだが、嵯峨丸が

「四條院の祓いは大きく傷病を治したりは出来ますが、原因の一端も
 掴めないまま施す治療でもあります、ですが、八重様であれば…
 物の根源にまで迫る、そしてそれが何であるかまで考える八重様であれば
 今から子を宿し産むこと、そしてその子が健康である事も決して絵空事では無いと」

言われると少し心揺さぶられる阿拝であったが

「…しかし向こうにもうまともな種が残っておらぬ、義弟もまた戦で果てた」

大丸が自然に

「子と言えば子だけど、引き取った義理の息子は?
 オレ達より少し若いくらいなら、間に合うと思うぜ」

種の保存に関わること、大丸は結構大胆なこともこう言う時は平気で言える。
しかし嵯峨丸は可成り恥ずかしそうに

「…その…個人差はあります、ですが健康に育っていれば…はい」

阿拝はその提案に空で止まった。

「八重さんはさぁ、広く世間様的な身分とかそういう事も重んじる人だけど
 オレからしたら今この有様でそんなこと気にしていられないと思うんだ」

大丸の主張に嵯峨丸も強く同意し

「…まだ、抗う時間はあります」

「…」

阿拝はひとしきり考えて、また勢いを付け飛び始める。
余計なことだったかな、武士という生き方には反するのかな、と二人が思うと

「…確かに…まだ間に合うかも知れない…とりあえず…仕事を終わらせよう」

検討に値すると思ったようだった、二人はおっかなびっくりではあるが
顔を見合わせて少しだけ希望を見た気がした。



大井川は可成り蛇行した川なのでショートカットで進む物の、
それでもだいぶ遠くまで来た気がする。

「本当にここなのか? 山だらけだぜ」

「間違いない、ただ、今は埋もれて再び川の流れと共に谷となった場所のようだ」

「こんな所に人は住むのですね…」

「左右どちらの山も一つ越えてそれぞれ人家がある、人の生業や選んだ道、
 何か葛藤もあったのかも知れないが、居る物なのだ」

「すげぇな、まぁオレはこー言う場所でも平気だけど」

阿拝はそんな大丸の言葉に笑みを浮かべ、そして表情を引き締め

「この辺りだ、気をつけろ、魔祓いで来るか矢で来るか、その両方か判らない」

「はい」

嵯峨丸が応え、そしてなるべく三人の間になるように位置取りをして降りてゆく…
暗闇のあちこちが何か光は光だけれど祓い人の感性で見ると「濁った」光が
襲いかかってくるも、嵯峨丸は反射的に可成り強い祓いの障壁でそれを守り、

「黒曜石の鏃に魔で穢れた祓いが乗っています…!」

「両方か…しかし流石だ、めり込ませもせず完全に守ったおまけに
 穢れは祓っている、若いと言ってもやはり詞の四條院と言われるだけはある」

そこで大丸が服の帯を緩め狼に変貌し、そして物凄い早さでその中に突っ込んでゆく。
夜の闇に赤い光が飛び込み、あちこちで浄化の光が散ってゆく。

祓いの声で大丸が

『多いぞ、結構手間かも知れない』

嵯峨丸が防ぎつつ飛び詞で攻撃、或いは牽制し基本的な立ち位置を作り上げ降り立つ

相手は体に入れ墨を施し、黒や赤で色や模様をあしらった服に装飾、
三人が揃って間合いを計るのに一度固まったところで何やら叫んでいる
叫んでいるのだが判るようで判らない言葉、恐らく日本語の原型なのは
間違いないのだが、古いからなのか、方言だからなのか、言葉としては判らない。

だがその概念は祓いを伝って判ってくる。

『わがくにおかすべからず われらがちからをもってよみにおとさん』

嵯峨丸がいつでも戻ってこられるべく、足下に印を付け、そこから数メートルの範囲を
陣地とする詞を唱えつつ、阿拝、自分、大丸の順で次々と守りと身体能力向上を付加
可成り手早かったが、向こうも多勢、どんどん祓いの壁際まで寄ってきて
矢や石の剣、斧などに魔祓いを込めその結界を破ろうとする。

魔に落ちたとは言え元は祓いだからなのか、それとも詞自体が古い分
野性的な、荒々しい強い力だからなのか、それは祓われることもなく
少しずつ祓いの障壁に綻びも生じてくる。

大丸がその大きな狼の姿、左右で明度の違う赤い眼を光らせ結界の外へ出て行って
荒れ狂わんばかりにそれらを蹴散らしてゆくが、以前のミズチに操られた
死霊どもに比べたら矢張り耐性もあるのか、動きに牽制は良く効く物の
祓いにまでは中々届かず、一人一人が精々のようだ、
嵯峨丸の投げ詞もそうで、投網のような祓いでは縛り付けるのが精一杯で、
祓おうと思えば矢張り太刀による攻撃で弱らせてからの直接祓いか
投げ詞でも集中させ範囲を絞らなければならない。

そんな中、阿拝は弓を引き、矢に祓いを込めるのだが
同じ青系統でも八重が水面の波のような広がりであるとするなら
阿拝の深い藍色の祓いは海の底で流れる海流のような、
ゆっくりと、だが力強い祓いが込められる。

嵯峨丸も大丸もその祓いの波にホンの一瞬ではあるが心奪われた。

揺らぎが矢の一点に集約されそれを射ると、力強い祓いのうねりがその矢と共に
射た一人から回り数人くらいは祓えている、ただ、一矢射るのに
矢張りそれなりに間が必要なため阿拝はその相手の集団に開いた穴へ結界からでて
今度は太刀による祓いの込められた攻撃で一人一人倒してゆく。

阿拝の祓い、攻撃に向いた物のようで成る程鎧が必要、
嵯峨丸の個別守りも入って居ることから多少の反撃も物ともせず冷静に一人一人祓う。

しかし矢張り、数が多い。

雑念のように古い霊達の言葉も聞こえてくる。

余り長く戦い続けられる場所ではない、こちらの集中力や体力がじわりと
削られてゆくのを感じる、しかし、やらねばならない。
何千年と続く怨念を断ち切り、未来にこの場所を開放しなければならない。

嵯峨丸は少し考え覚悟し、一気に壁を消した!

『何やってる! 嵯峨丸!』

大丸の声が響き、嵯峨丸へ古い霊達が群がるそこへ嵯峨丸はギリギリまで引きつけ、
投網祓いを360度展開し、一気に十数人の古い霊達を絡め取り
そして八重に教わった低い位置から真横に近い太刀筋で一閃する!

祓いで縛られただけの実体あるそれらは太刀というダメージで弱り
投網祓いでも祓えるようになった、
そうか!
大丸は嵯峨丸の意図を理解し、今度はかつての滝壺での戦いのように
縛られた嵯峨丸とは反対側の縛られた一団に体当たりや噛みつきつつ
そのほとばしりで更に周りも祓うというかつての戦法も通じるように、

二人で分担してゆけばもっと早く、多く倒せる!
阿拝もその重い祓いを纏った緩いが力強い太刀筋で威力が弱まる辺りで
嵯峨丸の投網に掛かった古い霊を捕らえ勢いで祓えるように立ち位置を調整する、

三人がそれぞれの領分を持ちつつ、それぞれ重なり合って三人ひと組で
あるかのように確実に、戦況を祓い側に寄せていった。

このままでは不味いと向こうも思ったのだろう、
それら実体を持つ古い霊達が固まって行き、何か不思議な人型…
今現在で判明しているところの土偶の出で立ち、大きな硬い実体の悪霊として
三人の前に立ちはだかった、この奥の手は強い、三人はそれは確信した物の
でも、行ける、行かなくてはならない、明日へ未来へ。
形勢が不利に傾くような状況のその時、三人の心もより燃え上がった。



藤枝邸では旅の一行の他に八重が修行中という祓いを集めて、
そして義理の子として阿拝の育てている子も教養という点で四條院と一緒に
勉学と、そして体術など一緒に面倒を見ていた。

「母上は、いつも何か歯がゆい思いをしているようです、母は鎧を纏い戦いますが
 どうもただ戦っているのではないようです、でも、わたくしには
 何も仰らず、何の心配もせず、武士として立派になってくれと、
 そう言うばかりなのです、なぜなのでしょう、それは祓いという物が
 なにか関係あるのでしょうか」

義理の子とは言え、引き取ってからは既に数年、大丸や嵯峨丸より
二三歳若い程度に育っているこの子は判り掛けてきた大人の事情の中で
義理とは言え母が多大な覚悟で自分を育てていることに少し戸惑いを感じていた。

そのため、一般教養と共に祓いのなんたるかを一緒に教える事にしたのだ。
一般教養というのは自分の持つ概念を開いたり、深めたりするのに重要で
特に詞の四條院と言われているとおり四條院やその傍系には必須科目でもあった。

そして、阿拝の置かれた立場をかみ砕いてその子にも隠すことなく伝えた。
まだ年は若いが武家ともなると元服が歳の一桁なんて事もある、
大人になろうとしているのだから、知っておくべきと八重は包み隠さず伝えた。

一晩を過ごし、朝飯を挟んで昼過ぎだろうか、
戦いを終えた三人が帰って来た、怪我は大きく治したようだが所々傷跡や
服、阿拝の鎧など戦いの痕も生々しい。
八重も詳細は聞かない方向で柔らかく迎え、その頃には修行や勉学を横にして
旅の一行が一宿一飯の恩義とばかりに家全体の掃除をしていた。

帰って来て阿拝が先ず八重に寄り、修行中の四條院に混じって勉学に励みつつ
帰って来た阿拝に気付き、阿拝を見た子に何とも言えない微笑みを見せつつ

「十条殿、少し二人で話をしたい」

八重はその帰って来た三人の表情と阿拝のちょっとした動きや仕草から
何も言わず頷いて阿拝に促され離席し、
そして二人は修行中の祓いに囲まれ掛けるも阿拝の義理の子に

「ちょっと聞きたいことがあるんだ」

と、大丸が話しかけ、これまた家の外に出て行ってしまった。
残された修行中の祓いと旅の一行はポカンとそれらを見送るしかなかった。



「なるほど、確かに大丸なら言いそうなことだ、藤枝様、そのつもりで宜しいのですか」

「ああ、どうか、今からでも間に合うのか、少しばかり怪しいのだとしても
 貴殿の細かく詳しく見る祓いで何とか整えては呉れまいか」

八重は腕を組み少し俯き

「…あの子も大人になりつつあり、細かい機微も見えて考えを巡らせるように
 なってきております、それなりにその後も色々と面倒があるかもしれません
 覚悟はお有りですね」

八重の慎重な確認に阿拝は強く頷いた。

「宜しく頼む…!」

「では、横になってください、お召し物も全て脱いで」



その日の晩、もう一夜泊まることになって夜、川向こうに戻った修行中の方へ
アレコレ聞かれたり修行をせがんだりする後輩(年齢的には上の者も居るが)の
面倒を見ざるを得なくて疲れ切った表情で戻ってきた二人を容赦なく八重は捕まえ
家の裏手に連れて行き、静かに、強く言った。

「お前達の考えも希望も判る、この場合は確かにそれも一つの手だろうと思う
 だが、今後は余り迂闊なことを思っても言うな」

「なんでだよ、オレ達も見たよ、あの人の祓い、あれを絶やすのは勿体ない」

「そうですよ、例え武家や世間のしがらみがあろうとも、
 その世間の常識のほんのちょっと外れの和の中に居ると言ったのは八重様です」

八重はヤレヤレと思いつつも

「今回は、それも一つの手だとさっきも言った、
 でも今後は言う前にもう少し色々考えを巡らせてくれ
 時にそれは、より悲惨な未来を導くことにもなりかねない」

「例えば?」

「いいか、子を宿し産み、育むとなると最低四五年、病気にもやられず
 放っておいてもちゃんと育つだろうと思えるまでは七つまでは様子を見なくては
 ましてここは召使いなどがいるわけでもない、阿拝殿がほぼ一人で
 その年数を過ごさなくてはならないんだ、いいかい、
 私が言えた義理ではないのだが、それを覚えておいてくれ」

修行が追いつかなければ数年祓いの穴が開きかねない、そういう事なのだ。
祓いに限らない、何かその土地で希少にして必要な人物であれば
その穴が開くことというのは、確かに災いを招きかねない。
八重は個人的な感情ではなく、広い見識での警告をしていたのだ。

二人が俯く、確かに考え無しに「そうすべき」と思って言ってしまった感は否めない。

「今回は…いい判断だと思うよ、あくまで今後は気をつけて、よくその状況や
 周りを見て考えてからそういう助言はして欲しい、いいかい?」

二人は頷いた。

「飯は?」

八重の突然の話題の切り替えに嵯峨丸が

「はい?」

「食ったのかい?」

「あ、ああ…向こうで何か一杯」

「そうか、じゃあお前達の仕事は終わって報告に戻らねばならないだろうが
 あと数日付き合ってくれ、もう少しで刀工がある」

八重は言うことは言ったが怒っては居ないようだ、二人が顔を見合わせると

「これから修行でも付けようか?」

疲れ切った二人は流石に焦って「お休み」を言って寝床に指定された場所に戻った。

「はは、アンタは女好きの女だが子を宿すの産むの育てるのと言った修羅場は
 ウチの店で良く見てたからねぇ」

いつの間にか来ていた姐さんに八重はシケたツラで

「察しが良すぎるのも考え物だよ」

「何言ってるのさ、修行だ勉強だ掃除だ炊事だってアタシぁほっとかれっぱなしだよ
 何かアタシに出来る技があるって言うんだから教えてお呉れよ」

アレコレと考えを巡らすウチにすっかり頭から抜け落ちていた事を思い出し
八重はばつが悪そうに顔を赤らめた。

「そうだった、この際だから短刀よりはもう少し刃渡りのある刀も刀工で都合しよう
 その剣術や簡単な武術も教えるよ、破落戸(ごろつき)くらいなら退治できるようなさ」

「そら、いいね」

八重のような抜け目ない人でも「つい」「信頼されているが故」に忘れられる
やはり自分にとって八重はいつまでもどこか「可愛い愛人」のようなものだと
姐さんはじんわりと噛みしめて微笑んだ。



「八重殿、その後はどうだ」

「頭は、色々あったようだな」

縁あったのだろう、あれからの間に変化があった。

「所帯を持つことなどもう無いだろうと思っていたんだがな」

一回りほど年が下の…とはいえ、頭の年齢からするとやはり姐さんくらいの
年齢にはなるのだが、訳ありで子連れの女と再び所帯を持ち、その人との間の子も
生まれていたのだった。
職人も幾らか新しいのが入ったり、或いは馴染みの中でも子持ちも増えた。

前よりは職人の数はやや少ないが、所帯じみた賑やかさは比較にならないほど。

勿論頭の現妻は頭もまた先妻はなくして娘もいたことはちゃんと知らされていたし、
立派ではないがそこにある一女の墓のことも知っていた。

八重は幾つかある墓標のもう文字もかすれて読めなくなったものから
迷うことなく一女の墓に参りその空っぽの亡骸に黙祷をした。

「お前の心は燃え尽きちまったようだが…いつでもここにあって、
 そして側に居る…」

その後ろ姿は嵯峨丸や大丸にとってはかつてないほどの悲壮感を受けた。

「…さ、じゃあ頭、その子…嵯峨丸に合うと思われる刀を見繕ってくれないかな」

八重が環頭太刀を抜き、嵯峨丸にも促す。
折を見て修行はしていた嵯峨丸だが、いざ八重と手合わせとなると
やはり後れは取るし、いいとこ無しな訳だが頭はそれを真剣に見て、
そして嵯峨丸の刀を見せて貰う。

「…なかなかの刀だが、良くここまで持ったな」

頭が刀の一点を指で弾くと刀が割れた。

「君の太刀筋から見ると、刀で攻撃も防御もしようというのは無理なのかも知れない
 祓い人なのだから、守りは詞だけに集中して太刀はここぞという一点を
 一閃できれば理想かな…」

八重はその詞から刀に拘らず物質の根源まで感じる事が出来るわけだが、
頭は流石に刀工頭、長い間の経験でその刀がもう寿命である事を見抜いた。
ただの人間の筈の彼の、職人の技を見て純粋に驚いた。

峠を更に山道の向こうまで歩いてきた旅の一行はへばっていたが
祓いの三人と頭が新たに設けた店の方に回ると姐さんも

「ちょいと、アタシの刀も忘れないでお呉れよ」

疲れた体にむち打って彼女も店に押し入る。



「重い…」

嵯峨丸に渡されたそれは太刀と同じ…二尺と数寸の筈のその太刀はだが
野太刀程ではないにせよ、その大きさに見合わない重さだった。

「八重殿が見繕ってきた材料をあれこれと試して作ってみたんだ
 しなやかさは余りない、しかし、鋭く硬い」

八重が祓いの鑑識でそれを見て驚いて

「凄いな…勘と経験でここまで出来るのか…矢張り流石だ」

端的に言えば、刀という芯と刃の部分に絶妙な配置で希少材料が入って居て
成る程柔らかさは殆ど無し、と言うことは一種もろくもあるのだが
並の刀程度には堅牢でありつつも、何処までも硬く鋭い、

「野太刀の長さには流石に向かないが、普通の太刀なら出来る」

頭がそう言い、金の代金と引き替えに嵯峨丸の使って居た柄や鍔を再利用し、
刃渡りも反りもまったく特異なところはないので鞘まで再利用できて
そしてそれを嵯峨丸に渡した。

「これ…使いこなすのも大変そうです…」

嵯峨丸のちょっとした弱音に八重は

「なに、戦いの場ならその力も上げられるだろう?
 それに、藤枝殿の太刀筋も見ている、ゆるりと重く、確実に、そこを掴むんだね」

「はい…」

自分に出来るだろうか…という心配もある物の嵯峨丸はそれを受け取って握りしめた。
材料もあれこれと試したと言う言葉を裏付けるように構成する成分が少し違う
見本の揃ったそれぞれは光り方や色も少しずつ違うモノが色々あって
大丸は武器は持たないが興味津々でそれを見ていた。



その日はこの工場(こうば)が割と山にあると言うことで、買い付けに来る物の
泊まってゆく客も居るためにほぼ寝床だが別棟もあり、
そして八重が見つけたその土地、頭にかつて言われた条件の他に
八重がどうしても譲れなかった一点、温泉も完備である。

旅の一行も嵯峨丸も大丸も思いっきり数人ずつで入れる大きさの湯殿
土地の選考は八重がしたことは頭から聞いてその「何処までも湯浴み、特に温泉が好き」
という拘りに呆れもしつつ、この際はありがたいと全員旅の疲れを落とした。

八重は菜さんを始めとした馴染みと久しぶりと言うことで軽く飲み交わし
「あの時」を共有した身としてしみじみとした彼らだけの時間を過ごしていた。

そんな宴の外、一女やあの時の犠牲者の墓場に居た頭に二人が
八重の「その時」のことを聞いた。
知っておかなくてはならないとさえ思った。

姐さんからも多少は若い頃の話は聞くけれど、真剣に恋をして、
真剣に二人で「これぞ」という刀を作り上げるという数年間、そしてあの日
右目の傷の意味、そして手にした野太刀、今それに稜威雌という精が宿っていることは
二人から頭に告げられた。

「余程似た魂の持ち主だったんだな、二つの魂が合わさって一つになるなんて、
 そんなことあるのかとさえ思ったけれど」

大丸が言葉を振り絞った。
嵯峨丸は泣いていた。
矢張り八重が背負った物は何処までも重かった。
そして梅もまたどこかで似たような思いをしているのかも知れないことも
頭の目撃譚から伺い知れた。

二人の前に梅は「差し向けられつつ」二人に毒気を抜かれ馴染んだ感じだが、
八重と梅はどこか似た魂を持っているのかも知れない、それが伺い知れた。

「稜威雌か…どことなく似た名前なのは…意識はしたのかも知れないが
 これもたまたまなんだろう、イツノオバシリは神話に確実に存在する
 刀神にしてそれが作った刀の名でもある、要するに銘でもある
 そうか、もうあの子はないにせよ、何かその繋がりは続いているんだな」

頭がどこか納得して呟いた。
姿だけが焼き付いていた魂の欠片とは言え、大昔の似た魂を持つ者を受け入れ
八重を守り続けているのだ、恋愛の末に子が生まれたわけではないが、
野太刀「稜威雌」は矢張り二人の「全ての結晶」なのだ。
環頭太刀という古めかしい刀を八重が持っていたことにも納得した。
全ては、巡り合わせなのだ。
辛く悲しくとも、それも巡り合わせなのだ。

「長い間話してしまった、さ、二人とも湯に浸かって旅の疲れを落とすといい」

宴会までは行かない飲みも終わっていたようだし、
二人は頭を下げ、言葉に甘える事にした。

「…八重様が誰か他人の人生に深く関わるようなことに慎重なのは
 自分の持って生まれた好みによる物だったんだな…」

嵯峨丸がしみじみ湯殿に向かいながら呟く。

「ここの娘さんも何年越し、姐さんも十何年の付き合いだもんな」

大丸も少しその意味を噛みしめていた。
そして二人で湯に入って巡る考えと抜ける疲れの狭間でモヤモヤとしていた頃
湯殿に八重と姐さんも入ってきた。

「ん、二人とも随分遅い湯浴みだな」

八重が言うと焦った二人は背を向けた。

「なんだいなんだい、何処までもウブな子達だねぇ、このくらいで
 おたついててどうするのさ」

呆れ顔の姐さんは桶に湯を汲み、汗を流してから湯船に浸かる。
なんだかもう色々抜け落ちてゆく安堵の声と共に。

「ふっ二人も遅かったじゃねーか」

「姐さんに刀の抜き方とかちょっとした体術とか色々教えてたからな」

八重も同様に湯殿に入る。

「いやぁ、でもキッチリ覚えておかないと、アタシも京でも鎌倉でもない
 別場所に店構えようってんだから、教わっておいて良かったよ」

「刀の抜き方…抜刀術ですか?」

嵯峨丸の疑問に姐さんが

「いんや、そんな力はアタシには無いからね、
 如何にさり気なく相手に近づき突きを喰らわせられるか、そういうのさ
 後は腕の捻り上げ方とか、非力でもある程度やれることをさ」

「骨を断つほどの深手なんて負わせることもない、腹にでも決められれば
 普通ならもう相手はろくに動けないからな」

「でも戦う力を持つって事は返り討ちに遭う事だって覚悟しないとだろ」

大丸が自然に言った、人の運命を握るような、そういう教えだからだ。

「さっきも言ったろぉー?
 アタシは街道筋とは言え田舎に男相手の店構えるって言うんだ、
 最悪店守るための覚悟くらいはしなきゃさ」

「男相手?」

嵯峨丸と大丸の二人が声を揃えた。
そうだ、何の店かまではまだ言ってなかった、と、姐さんは天を仰ぎ自らの額に
掌を打ち付けた。
ええい、ここの用事が終わればこのウブな二人とももう会うかは判らない。

「アタシらは遊女さ、花街で春をひさぐ女の集まりさ、
 ただそれだけじゃ芸もないから歌や楽器もやって宴会芸の一つもやれるけれどね」

二人は姐さん達が宿屋か何かなのかと思っていたが、当たらずとも遠からじとは言え
それはもうドロドロとした大人の世界の住人だった。

二人の背中が所在なさげな恥ずかしさに満ちるのが判る。

「あんたらはあんたらで出来てるんだろ、だったらウチなんて関係ない
 ただ「世の中にはそういう必要もあるんだ」って事だけ覚えておきな」

としたら普段陽気なあの仲居さんだと思っていた人達も
好むと好まざるに関わらず、そういう世界に身を投じざるを得なかった
そういう人達の集まりでもあるのだ、そう思うと、気恥ずかしさの次には
なんともやるせない背中になってゆくのが判る。

そこへ湯に浸りながらくつろいでいた八重が

「何とかしてやりたいとか思っただろ。
 でもじゃあ足抜けさせるにしてもどうやって、ただ抜けさせただけじゃ
 無責任って奴だ、その後の人生も含めて世話するくらいの覚悟がないとな」

その通りだ、いっときの同情で何とか為る事では無い。
ここにも矢張り心と実情の距離の測り方がある。

阿拝に対して言った事が本当にただの無責任になるかも知れない
そういう危険性を今はっきりと痛感した二人。

「…オレ達、時々あの人のところに様子見に行くよ、手伝える事は手伝うし」

その言葉に八重はうっすらと微笑み

「よし、その言葉が聞きたかった。
 まぁ私も主治医になったような物だから、私も時々様子伺いには行くが、
 もしお前達が行ったときに健康上の問題がありそうだったら私にいつでも知らせてくれ」

嵯峨丸もしっかりと受け止め

「判りました」

「まぁ…でも良い判断だと思うよ、藤枝様についてはね
 子の方も家名よりもっと深いところにある血の断絶には憂慮したようだしさ」

そこへ姐さんが

「でも、あの年の差で夫婦と名乗る訳にも行かないだろうから
 そこを上手く折り合い付けられるかだねぇ」

「なに、一応婚姻には限りが設けられているが、断絶してしまっては元も子もない
 在って無きが如しの決まり事…そこを越える覚悟があるならあとは祈るしかないのさ」

確かに、それが偉い人の家系であればあるほど、決まりには例外が増える。

「…そしてもしも…いざとなったら私が宇都宮様を通して話は付けるさ」

使える物は何でも使う、一度深く関わるとなったら何処までも、
八重の心意気はまた軽々しくない分、とても重たい物でもあった。

「アンタは怖いねぇ」

「何言ってるんだ、私のこういう部分は姐さん譲りだぞ」

「まぁねw」

「あの…お二人はそうなるとどう言う繋がりで…」

嵯峨丸が少し戸惑いつつ聞くとどちらともなく

「若い頃の愛人で騙し騙され利用できるモノは何でも利用する師弟関係のようなもの」

「ただ、コイツのために言うけど、コイツが真剣に恋するようになった頃には
 愛人関係はなくなっていたよ」

「姐さんは優しいな、二人とも、頭と話していたって事は割と詳しい事聞いたか」

「ああ、聞いちまった、いや、アンタという人を知るために、オレ達は
 知らなければならないとすら思った、頭のために言うけど、
 その心意気で話して貰ったようなもんだ」

八重は静かに

「藤枝様の台詞を、私がお前達に言おう。
 私という生き方があった事を、刻んでおいてくれ」

「はい」

嵯峨丸はしっかりと応えた。

湯浴みが終わり、一晩休んだ後にはまたそれぞれの道を歩む。


第十幕  閉


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