L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE:Sixteen

第九幕


明らかに八千代という異能者を狙い襲撃した。
その犯人捜しと報復は凄まじいモノであった。

らしいのだが、歴史の名だたる戦いやその立役者の死没などにより、そして何より
祓いは日本の影という事でこれらはただ祓いの方で「けじめは付けた」旨だけが記録され、
誰が犯人で報復がどのようなモノであったかなどは一切記されていない。

ただ、その後の情勢を見るに玄蒼の地が関係している…つまり、伊豆や相模を基点とした北条氏か…
とも言われているが、それも定かでは無い。
ただ、足柄下部の地方に玄蒼はあり、無念の寄り濃い場所と言うことで推察である。
あるいは、直々で無く誰か家臣によるモノであったのかも知れない。

とにかく、八千代が亡くなり二家がやって来た後直ぐに千代はその骸と共に八千代の故郷へ。

祓いの宿命として戦いの中で果てる事その物は受け入れなければならない、
しかしそれは悪霊や魔では無く生きた人の襲撃による死没だったこと、殊更に家は悲しみに沈む。
頼などは父の時とは比べものにならないほど取り乱した。

まだ三十代、やっと若い頃頼の活動が実を結び人生に喜びを見出していた頃のこの仕打ち。
頼は世を呪った、しかし千代は折角八千代が勝ち取った平静を感情で乱しては悲しむと頼を諭し
頼はやりきれない想いをまた噛みしめ、後世のためにとより土地や街が良くなるように励んだ。
遠回しにそれは世の平静にも寄与するはずと。

そして…八千代の喪儀が行われたが、千代が既に地中の桶に土を被せるのは少し待って欲しいという。
他ならぬ千代の願いである、しばらくそこは千代一人だけになった。

千代は桶の蓋を開け、八千代と対面し。

「どんなになっても先生は綺麗です、先生に会えたことは、何よりも幸せです、
 過去のことではありません、今でも、これからも…」

そんな時、家の者から聞いたのだろう、まだ割と距離も或る墓地の千代に声を掛ける若者の声二つ。
それは昴と清であった。

もうあれからそれなりに本格的な祓いにも出ているのであろう、千代の手にあるこの稜威雌の受け取り、
そしてその十条本家への輸送と返却…恐らくそれが「試験」とされたのであろう。
大変な驚きと悲しみの中、それでもそれに耐えてこの任務を仰せつかったのであろう、
若い二人には何か瑞々しさが漲っていた。

「うん、これで私の役目は終わりですね、先生…では…」

近寄る二人にとっては刹那の出来事、千代は稜威雌を少し抜き、血で汚さないように
可成りの捌きで自らの首を半分切り、意識を失うまでの僅かに稜威雌を鞘に収め治し、自らの後ろに置いて

「先生、いいんですけど…少し怖い…」

千代は八千代最後の言葉に、当時八千代に掛けた言葉をそのまま返す形で意識を失って行き、
そして血の勢いが収まる頃、八千代の眠る桶の中に転げ落ちる。

余りの出来事に昴と清の二人は固まった。
いや、どのみち千代が斬ったのは首、その瞬間でもう助からないと判る、悲しいと言うよりは
それは二人にとって余りに衝撃的だった。
昇華して行く魂ははっきりとは姿を現さない物の、明らかに二人分だった。

祓い人がその死に対して強い思い残し、殉死を欲するなど本来あってはならないことだ!

…しかしこの戦国の世、身寄りの無い女一人、どこかへ世話になるとて
もう支えも何も無い、ただただ保護者があったとて優しさも心苦しさにしかならないだろう、
それが判っていたからなのか、八千代は敢えて無念の魂を残したかのようだった。

道中どれほどの動乱があろうとも、切り抜ける覚悟は出来ていた二人だが、
それを前にこの重すぎる愛の結末、そして初めて手にする稜威雌がとても、とても重たい物に感じた。

昴がそこへ残り、清が十条家に事を伝えた。

鈴谷も実は来ていて…他ならない八千代の死である、弔いたかったのもあったのだが、
その上、千代が自刃したことを伝えねばならないこの重さ、清はその報告を冷静にしようと思いつつ
もうただの泣き叫びに成って居た。

悲しみの上に更に悲しみ、鈴谷はこれも本来なら行けないことと知りつつ祓いの通信で
罔象と桜に二人の死を告げた。
祓い人が一人死んだくらいで、その恋人が死んだくらいで使ってはならない原則など吹き飛んでいた。

意外なことに二人は静かにそれを受け止めた。
そして自分の代で丘杜も閉じる旨を伝えた。

鈴谷は承知し、子供達を迎えにやるので一緒に稜威雌を返却しに行って欲しい旨を伝え、
罔象と桜もそれを了承した。

桶は二人が入ったまま一緒に父巌の近くに埋められた。

ここに、三代八千代の全てが終わった。



千代と八千代の墓には当然罔象や桜も訪れた。
そして出雲からもたくましく成長した凪、風の噂で聞きつけ特例で見舞いに来た。
記録には残っていないがフィミカ様も来たであろうと思われる。

そして何より意外なのは

「…なんだ、俺が来てはおかしいか?」

「いえ…ですが直接召し抱えた訳でも無い姉を見舞うとは正直意外です」

頼が継いだ家督、墓に案内してくれとやって来た織田の殿様。

「なに、何だかんだ働いて貰ったからな、
 甲斐ももう終わるだろう、信玄ももう年だし、アイツ一人の人徳で持っていたような部分もある
 武蔵の方面はこれからが正念場だ」

墓に来て手を合わせるのかと思いきや一礼で済ませ

「もう魂も何もココには無いのだろうが敢えて言うぞ、煩わしい怨念とか言う
 訳の分からんものを鎮めるのに、力を貸してくれ、お前の筋の誰かでもいい
 見えぬ物の相手などしていられる暇もない、祓いは影、将軍や朝廷よりそれだけは
 しっかりと賜った、もう将軍も追い出して足利の時代も終わったがな、俺が…天下を取る」

そして少しの間の後、頼に向かい

「もっと立派な墓にしてやれんのか」

頼はきっぱりと

「とと様の意向です、むやみに過去を引きずる物を残してはならない、
 朽ちるに任せ未来を向くべきと」

織田は口の端を上げ

「見上げた物では無いか、父巌とは話したことは無かったが、話してみたかったな」

「素晴らしい師に御座いました、あね様も生前よりそれに倣うと仰っていましたし
 どうも稜威雌の先代もそのように朽ちるに任せる形でしか標も無いそうです
 とと様はともかく、祓いとは「そういうものだ」と」

「なかなかの手練れであったというのに、野心も持たずか…
 部下であったらさぞ扱いづらいヤツだったろうな、ま、過ぎたことを言っても仕方がない
 俺にはまだやらねばならぬ事が山積みだ、失礼する」

頼はそれを一礼で見送った。



その後のことはもう余り記録には無い。
どれほど親交があったとて、矢張りその中心である八千代がいないのでははかも行かない。

毛利元就も死に、武田信玄も死に、それぞれ世代が変わって行くも勢力図は変わり続ける。

記録は主に四條院本家の活動控えと共に焼け残った千代の日記から抜粋された物である。

それによると、八千代の家だったところは更地に戻され、改めて神社が建立されたそうだが
祓いの系統では無かったらしく、もう何も詳しいことは伝わっていない。

八千代の生家は細々と代を繋いだらしいが、後世に別な場所に全てが移転と成って居る。
桜の実家の四條院家も勢力図の塗り代わりと共にどこかへ移転となっている。

昴と清の二人はあの重すぎる試験を何とか越えてその後四條院の「二人当主」として一時代を築いた。
八千代側の資料には鈴谷によるその旨の感謝の言葉しか無いので詳しいことは判らない。

そして…
罔象と桜は、その後しばらくは昴と清、或いはその仲間の来訪を迎えていたが、
二人当主となり忙しくなってしばらく振りに赴くと既に無人であった。
荒らされた形跡は無く、本当に静かに、どこかで眠っているのだろう。

その頃にはもうそこにはただ、弓が植えたとされる桜だけが生いきていた。
麓の村も何があったかは記録は無いが無人で野に帰っていた。

何もかもが、流転して行く。

歴史にあるように、織田も絶対では無かった、義を尽くした木下改め豊臣もまた。
八千代が甲斐国にあってその頭を通り過ぎるようにやりとりがあり、虎視眈々と時期を待った
松平改め徳川家康が戦国の世終わらせたのが八千代の死から三十三年、
五代綱吉の悪評とも名高い生類憐れみの令により、戦国の匂いが消えるまでにはまだ少し時間も掛かった。

八千代の死後から先の記録は鈴谷・昴・清、その後の四條院当主が加筆した。
戦国の世を呪いつつ、それでも生き死にを全うした二人に一礼を。




第九幕  三代八千代編  閉


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