L'hallucination ~アルシナシオン~

CASE:TwentyTwo

第十一幕


「案ずるな、お主と戦おうなどとは思って居らぬ」

身長は五尺半と少し(170cm近く)、淀みなく流れるような川のように綺麗な黒髪
目は伏せられていて、しかし全てを見通すその気配、年の頃は…二十代中程か、

「魔界とやらを通しこちらに来て動くには本来の力でなくては来られん、
 激しく身を削るが、今のお主くらいならほぼ無に出来るがやるかや?」

『フィミカ…!』

「そうじゃよ、死ねぬ身になったからにはそれも意味があろうと敢えて
 童女の姿で過ごしたが、いざここまで乗り込むとあっては仕方がない」

『儂を討つのではないのなら何をしに来た!』

フィミカ様は手持ちの包みをほどきつつ片膝立ちで座り握り飯を宵に差し出しながら

「迎えに来たのじゃ、それだけじゃ、わらわは契約には携わって居らん
 部下に命じてただ割り込んだだけじゃ、ほれ、禍の都を堅持したくば
 はよ全国に散らばる禍共をかき集めんか、宵に止めなど刺しておる場合か」

怒りに打ち震えつつ、しかし確かに今フィミカ様とまで戦う力も無く、
そうすれば益々禍の力を弱めるわけで、禍大君は怨念を滾らせながらも
大内裏の屋根に空いた穴から中へ入っていった。

燃え尽き掛けていた宵、微かな声で

「わざわざ…有り難う御座います…」

「もう食う力も厳しいじゃろうが食え、お越が最後に炊いた飯に漬物を詰めた」

お越、そう聞くと最後に受け取った力のことを思い宵は何とかそれにかぶりつき食べ始めた。

「…スマンがわらわももうお前を連れ帰るだけで精一杯じゃ、幸いヤツの刃は
 左肺辺りに集中したようで胃を痛めんではおらなんだのが幸いじゃな、それ…」

フィミカ様は宵を背負い、結構弱々しくではあるが玄蒼の方向へ帰る。
二個目の握り飯はちゃんと自分の手で食べつつ

「申し訳在りません、お手間を取らせます、しかしここが良く判りましたね」

「なに、大方予想は付いて居った、昔の都のどこかであろうと、
 そしてお前の祓いを感じたのじゃ」

フィミカ様は攻撃対象外、と言う事を日本の神々から厳命されていることも有り
悪魔達は襲ってこず、あちこちで「常夜」が「魔界」に変貌しつつある。
時々八咫烏がやって来ては

「玄蒼の地までご案内召しましょう」

と声が掛かるが、フィミカ様は丁寧に断り「まずはすべき事をせよ」と告げた。
宵は飯は食べたがもうそれによって回復は出来ないだろう。
死ぬまでの時間が少し稼げただけだ。

「お召し物を血で汚してしまいますね」

「お前の血、尊く孤高の血じゃ、重いが、わらわはそれを受け止める」

「…フィミカ様…こんな時に狡いとは判っておりますが…言わせてください」

「…なんじゃ」

「今のそのフィミカ様のお姿、私が時々見ていた姿です、初めて会った時も…」

「うむ、それでお前は「良くやってくれる」と確信もした」

「これは…死んでしまったお越さんやお倫、お沙智さんには悪いのですが…
 いえ、お越さんは気付いてたかな…フィミカ様…私は貴方に心惹かれていました。
 私の初恋でした…勿論それでどうこうしようなどとは思っておりませんでしたよ
 貴方に正しく直向きに仕えることで…それだけで満足でした…」

「…うむ…思えば色々節も見える…そうだったのじゃろうな…
 宵よ…お主のその気持ちには残念ながら応えられん」

「…ええ…」

フィミカ様はそこで決心したように

「じゃが、その気持ちだけは嬉しく思うぞよ」

宵の体にほんのり慈愛が満ち、フィミカ様にもそれが満ち、交換し合う
お互いの傷まではどうにもならないが疲労などがそれで緩和される。

「わらわを口説くなど…豪気なヤツじゃ…初めてじゃぞ、後にも先にも」

「…玄蒼へ来て良かった…貴方に仕えることが出来て、私は本当に満足でした」

「わらわをすっかり道楽者にしおって、お主は罪作りなヤツじゃよ…」

「はい…貴方に…知って欲しかった、色々なことを…それが楽しかった」

「うむ…わらわも楽しみにして居った…」

フィミカ様の声が少し涙声になった。
玄蒼近くの門の近くに来ると既に門は破壊されている。

「ここまでじゃ…ここから先はまたいつもの童女に戻ってお主を引きずって
 天照院に戻ることになる、済まんな」

「気にしないでください…半端に生き残って申し訳ないのです…」

「いや、生きて帰ることも出来よう、わらわとの約束も守って貰うぞ」

「はい…」



玄蒼市は大わらわだった、何とかフィミカ様がお越の最後の炊飯で炊いた米から
漬物などを詰め込み、普段はやらない鮮度も調整し握り飯を大量に握り、
干してあった干物の魚などを猫に与えつつ、天照院に戻ってくると
とにかく食えと祓い人や坊さん達に食わせ、自らも食べつつもハトホルは人よりは
魔力の回復も早いのでしたら怪我人を頼むとフィミカ様がふとどこかへ行ってしまったのだ

そしてはとほるが力を振り絞り、少なくとも命に関わるような怪我は
天照院に集まっていた全員分に使ってから、握り飯と共に方々の戦場跡を巡り
席を外していた。

本殿や拝殿ではなく、家屋側の縁側からフィミカ様が宵を背負って最後の
軒石から縁側に上がれないようで苦戦していたが、何とか動けるようになった
お倫がその手を引き、居間に倒れ込むように帰ってきた。

宵の着物が既にズタズタなのは先に記したとおり、全身で祓いの防御を込めたとは言え
それでも何度も体を貫かれたり切り裂かれた後、そしてトドメの胸への深く大きな傷。
血も吐きまくった宵、今この状態でこの宵を助けられる者など居ない。

生きて帰っては来たが、それも風前の灯火なのだ。
誰の目にも判る、猫が宵の傷をなめるが余りに怪我は深く、どうしようもない。

宵はそれでも「帰ってきた」という喜びを少し見せ

「姐…さん…」

お弥撒は流石に裏の畑で弱めの禍などを相手にしていたのでまだ怪我の具合も少ないが
それでも幾らか痛みに耐え宵の元へ。

「今度こそさようならだ…でも私の心でも力でも無いけど「何か」…
 それが貴方を一生守るよ…仕込み刀を…」

姐さんは流石に冷静に仕込み刀を渡し

「ああ、アタシを見送ってお呉れ」

宵が弱々しくその柄を握りつつ最後の力を奮う。
それは確かに力を移すとかそんな強い効果はない、そしてフィミカ様の方を見て

「フィミカ様…姐さんを見送ったら…この仕込み刀を一日…私が奉納した刀へ…
 添えておいてください、以後はそちらに…何か…私の何かを込めます」

「判った…そこにお主の魂は無くとも、お主じゃと思うて大切に扱おう」

「…お願いします…、お倫も…二宮も…有り難う…」

お倫はこの上宵まで失うのかと思うと涙一杯に堪えて俯き何も言えなかった。
二宮が代わりに痛みを堪えつつ起き上がり

「お前は酷いヤツだぜ、最初っから言ってくれりゃこっちももう少し色々動けたのによ」

「そのつもりだったんだ…でもちょっと…思ったより早かった…」

「全く、オメェも最後までどこか青いヤツだな」

「…はは…ホントだ…」

そんな時だった、天照院拝殿から本殿、そして住居の方へキチンと順序を追い
急ぎつつ、ドタバタはせずにやって来た巫女があった。

「お宵様…」

「やぁ…何年ぶりだろう、お沙智さん…」

お沙智はフィミカ様の方へ向き座礼と共に

「後は引き継ぎ致します、どうか宜しくお願い致します」

フィミカ様も何かを悟ったように

「…わかった、あの時の往来(手紙)はその為のモノであったか、宜しく頼む」

フィミカ様も座礼で応え、そしてお沙智は宵の元へ。

「何年ぶりでしょうね、でも…」

お沙智の持参した荷物には木刀があった、宵の目に涙がにじみ。

「ホント…こんな私で御免…」

「何を仰有いましょう、それを選んだのは他ならないわたくしで御座いますよ、
 さぁ…お宵様」

宵は最後の力で稜威雌をお沙智に手渡し

「…多分…多分だけど…次の持ち手は時代の波に翻弄される…その後に…
 世の中がいっ時でも「平成」を保って…またそれが揺れつつある時に、
 きっと、その時に…稜威雌の真価も発揮される…、何もかもが遠すぎた、
 そして早すぎた…でも、私は出来る…限り…の事は………した……つも…」

宵の体から全てが抜けて行くのを感じる。
稜威雌を握り締めていた手もするっと落ちた、僅かに残っていた左目の光もない。

四代十条宵の生涯はここに終わりを告げた。

堪えきれず嗚咽を漏らすお倫、お沙智さんはお倫を抱き寄せお倫に問うた

「お倫さんは…死ぬ時はどこに埋めて欲しい?」

お倫はその唐突ながらもいつかは直面するその言葉に声を振り絞って

「お宵とお越さんとで決めてたんだ、還る時はここ、骨になるまで埋まったら
 それも砕いて畑に撒いて貰おうって…」

二宮がそこへ

「折角開いた山桜ぁどうすんだい」

二宮も少し涙がにじんでいた、宵こそは自分を「正しく評価してくれた」恩人と
思っていたからだった。

「その時ァ意味までは判らなかったが…多分いつかもう少し静かな街になる日が来る
 って言う時には祓いだ何だ余り関係ない人や武器も発達して
 何でもかんでも祓いって訳でも無くなるだろうって、
 ここ…天照院だけ残っていればいいって…」

フィミカ様は皆に背を向けていたが少し震えた声で

「宵め…何処まで先を見て居った…あらゆる意味で罪作りなヤツじゃ…
 そしてそれは正しい…宵が悪魔と契約し禍を押さえ込んだ事で
 祓い人の祓いの意味は数世代先には薄くなって居ろう…
 悪魔がいつまであれで我慢出来るかは判らぬが…「時代」の方がもっと荒く残酷になろう
 その後の均衡がまた崩れようというその時まで…そう言う意味じゃろう…」

フィミカ様は宵の髪をかき上げ、少し力なくその頭にもたれかかった。
声は出していなかったが、誰もがそこに涙を感じた。
お沙智は立ち上がり、しっかりとした口調で

「では、刀を返納して参ります」

フィミカ様ですらもう何も言えずに悲しみに暮れたその部屋を
「もう何年も前から覚悟していた」お沙智は綺麗に座礼からの退室で一度去った。



天明年間は飢饉とその抗いとで精一杯の年間になった。
宵とお越さんの骸は蓬莱殿三崎口の意向も有り、仏教の形式にもなぞらえ
通夜や葬式という形で先ずは天照院庭に埋められた。
卒塔婆も墓も要らないという遺言もあったので、忘れ去られるならそれに任せた。

幸運だったのは残されたお倫だが、宵をよく知り、凜としつつ物腰は少しお越さんに似た
お沙智と強く絆を結び、その後祓い人の寿命と言える年まで山桜を中心に
天明の後始末をした後、開発のための祓いなどで緩やかに人生を過ごせた事だろう。

「お越さんもお宵様もマメな方ですね、お陰様で何をどうすれば良いのか良く判ります」

山桜を継いだお沙智は宵ほどではないが割と何でもこなせるようになっていて
料理も畑仕事も鍛冶場も再開した手習いもこなした。

「正しそれにはお倫さんの力が必要です」

この一言でお倫ももう一度立ち上がれたのだ。
流石に宵の「固い餅」だけは受け継がれる事もなく、住民にとっては
悲しいけど、笑い話としてしばらく受け継がれた。

お沙智はあれから木刀を使った攻守を修行し、矢張り四條院の宿命、攻撃としては
意味は薄いがほぼ無敵の盾としての捌きを覚え、お倫と息を合わせお倫が遠撃ち、
足りなければトドメにお沙智の直接に近い祓い、息も合えば心も近づく。
お宵は罪な女だという共通点も有り、そして二人はその後数十年を過ごせた。



二宮は日常には問題ないがいざ戦うとなると後遺症が残ってしまった事、
そして先の戦いによる功績が認められた事も有り所払いを解かれ
山桜の猫二匹と共に江戸で道場を開くと言って去って行った。
その際、玄蒼にて内縁状態であった湯屋の女と正式に所帯を持った。



お陸やお竹、お志摩お隅もその後は天明の後始末と、後進を見つけ育てる事に
生涯を費やし、それなりに長生きをした。
お宵という罪作りのせいだろう、自らは所帯を持つでもなく、しかし
それなりの幸福を過ごした。



大八はこの後も精力的に、自分から端を発し宵の時代で大きくなった街を
更に大きく、安定させるために奔走した。
数え九十で亡くなるまで、その前日までひたむきに働いた。



お弥撒はその後送り人として天寿を全うし、その二度と振るわれる事の無かった
仕込み刀に宿った宵の何かは宵の渾身の刀に受け継がれ、そして今でも
天照院の本殿にエジプトの遠い昔の遺物であるハトホル像と共にある。



宵は人生の最後の方で自分の血筋の枝分かれが気になったらしく、独自に調べ
それが徳川時代になって直ぐに尾張の近くから二つ枝分かれした一派で
十条甲の孫の世代の出来事である事を突き止めた。
もう一派は頼と共に京へ庶家として戻り、そこで稜威雌持ちにはなれなかったが
十条の祓いがあった事、しかし期待された稜威雌持ちにはなれなかった事で
苦しんだらしい事を突き止めつつ、自分が今それを探せる状態に無い事を悔やむ節の途中で
その認めは終わっていた、明らかに途中だったので、それが「あの時」だったのだろう」



そして宵の死から六十年ほど経って、とうとう時代の波が押し寄せた。

変わりゆく時代の中でお坊さんも蓬莱殿系ではなくなったり、
山桜も特に祓いの系統とは限らなくなりその名を変え、それらを受け入れつつも、
天照院だけはただそこにあり続けた。



第十一幕  閉


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