L'hallucination 〜アルシナシオン〜

CASE:Twenty

第十三幕


この戦いは先ず各所の四條院が事態をはっきりとは視認できないように結界を施し
一般の混乱を避けつつ、主に天野が主体となって各個撃破、と言う形が取られた。
魔の一斉蜂起に近い有様、魔は人の目にも見えるというのに
この戦いが何処にもそれらしい記録になっていないのはその為である。

まこと祓いは、裏の歴史なのだ。

八重の強烈な祓いの矢があるまじき早さと射程で祓いの視界に見えたばかりの一団、
その誰かに当たった所で余る勢いはどんどん炸裂してゆく祓いで
この時代に花火という芸術はないが、大輪の花火のような青と浄化の光が
空一杯に広がる、そしてそれは二連続でひと息置いてまた二連続、
と言うように炸裂してゆく、強い、余りに強い。

十条八重、十条の祓いはおおよそ天野と四條院のアイノコのような、
磨けばそれぞれのいいとこ取りのような成長も出来るが、基本「珍しい」
アイノコ的という物を嫌い各個が技を磨くために強いと言うくらいで
それだけと言えばそれだけなのだが、小さい頃からベテランの天野四條院の夫婦に師事し、
独り立ちの頃からは、そう、話の始めで一つ一つ積み上げたように、
物の理に造詣を深め哲学の範囲とは言え経験だけに頼らない知識、
そして何度も死線を彷徨い、あらゆる武器に精通しつつ
一女との魂の結晶である稜威雌に代表されるように「ここぞ」という瞬間を狙い
確実な一撃を決める研ぎ澄まされた「心技体」三十を手前にそれらは
最高の状態で冷静に、着実に、物凄い数だった魔をあっという間に半分以下にする。

呆けかけた京の天野の一団だが、全滅させたわけではない、
遠距離射程の武器使いが追撃を喰らわせてゆく、

八重は、その間に残る三方向で同様に先制攻撃を食らわせた。

あり得ない長距離射程、魔は半分以下に減じつつ、
その幾らかは既に戦意を喪失しつつあった。

地上を進むより空の方が進軍が早い事もあり、地上から攻め込む魔は余程
空から運ぶには規格外のものくらいで、それらも八重の圧倒的な先制攻撃で他の祓いも
魂の火がともり負けては居られないと最高の状態でそれぞれの街の手前で迎え撃つ。

初手は完全に祓い側が握った。

ただ、八重も無敵ではなく、その空への先制攻撃で祓いの力を結構使っていて
四方向に攻撃が終わった頃には四條院邸に戻り、どんどん追加される握り飯を
片っ端から詰め込んでゆく。

そして陣痛で苦しむ嵯峨丸の汗を拭き、頭を撫で、また心を新たに燃やし戦場に戻るのだ。

屋根の上の淡女が赤い光を轟々と滾らせて同じように少しでも全方向に
飛んで侵攻してくる魔を祓って居る。
淡女は相手を近づけさせない事を旨にほぼ弓だけに全力を傾けた祓いなので、
中級とは言えその攻撃力は並の上級を凌いでいた、そしてまだ出番のない沙緒理が
淡女に握り飯を食べさせたり、身体能力向上などを掛けて少しでも淡女に
貢献しようとしている、こちらもいい二人組だ。

梅はガリガリと何かを噛んでそれを地面や魔祓いを込め宙に浮かせ噴いていた。

「何してるんだ?」

「…なに、ここまで来る奴が出てからのお楽しみさ」

梅にも頼もしさを感じつつ、八重はまたもう一回りくらい…と全方面に矢を射て回る。

「こんなに魔を集中して大丈夫かね、私が魔の心配などするべくもないけれど」

梅は笑い事でなく真剣に

「大丸嵯峨丸、そしてその子を潰せば約束事は断ち切られると思って居るのじゃろ
 それが証拠に魔王がまだまだ来ない、ここで祓いの全てを弱らす積もりで
 散々戦わせた最後にお出ましって算段だろうさ」

「…ふむ、しかしそれで返り討ちに遭ったらどうなるんだ」

「どうにもならないよ、魔が極端に弱まれば霊や悪霊がそのままで力を増す
 増して戦乱の世も今後益々大規模になるじゃろ…
 以後しばらくは魔の一歩手前とは言え、悪霊どもが魔並みに力を付けるだけさ」

「なるほど、何というか、仏教で言う因果な物だ」

「霊や悪霊は雑草さ、魔という生育を抑える物がなければあっという間にはびこる」

「生まれてくる者は必ず死ぬ、しかも人は増え、無念を抱えた物も全体からすれば
 多くなる、真理だな」

「悠長だねェ…、そろそろ祓いの網の目を抜けてぼつりぽつりやって来るよ
 もう自分が敵うなどと思ってやしないだろうが」

それに呼応するように、屋根の上の沙緒理が投げ詞の中でも射程の長い物を
撃ち始めていた、そして大丸も屋根から飛び出して近づく魔に当たり、
消えゆくそれを足がかりに他の魔に飛びかかって行く。

「…そろそろ武器を替えるか」

八重は弓に詞を込め、入り口…詰まり参道のど真ん中にそれを投げ刺した。

「神様もここから先は出ないでくれ、どれほどこちらが押そうが押されようが、
 もう後は現世の祓いと魔の問題だ」

「敢えて加護を拒むかい」

「そんな事して神様に弱られたらもっと困るからな」

「なるほど、尤もだね」





日が完全に落ちて既にどのくらい経っただろう、
八重はもう一つの野太刀で祓いを込め戦いつつ、梅の撒いた物が
梅の種を使った「地雷」のような物であり、それで散るような弱い相手なら良し、
怯む相手ならそれは隙、物ともせずやって来るようならそれは一種レーダーのように、
元祓いとは言え、今は魔でもある梅なりの有利に駒を進める一手であった。

八重もなるほど、と戦いの間に素早く梅干し握りを頬張っては補給のついでに
その種を使い、祓いで粉々にしつつその祓いを込め一体に舞い散らせ同様にする。

都も、他の地域も直接に近い距離での戦いに移行してしばらく、
四條院の結界は長時間持つ物では無く、破られる事もあるので
何度か補修、かけ直し、周りの味方…主に天野へ詞による防御を施し、戦う

嵯峨丸の実家では母の紗代が嵯峨丸にほぼ付きっきりでいつつ、
そんな風に時々結界のかけ直しや、補給で一時的に戻ってくる祓い、
そして祓いでもないのに勇猛果敢に立ち向かう夫のフォローに奔走していた。

流石の八重も「いつまで続くか判らない前哨戦」でいつもの
「肉を切らせて骨を断つ」戦法が使えず、結構な動きの激しさで、
しかし「ここぞ」という瞬間を見逃さないような集中力も発揮し戦う。

時々、地平線の向こうの空が光るのが見える。
戦いつつも梅と背中合わせになり、八重が

「あれはキミメ様かい」

「そうだね、遠くで光るからほの赤く見えるが、あの威力、キミメ様以外にあるまい」

「流石だ、強いな…日本各地にあっという間に赴いて確実に軍勢を減らしている」

「そりゃアンタ、かつてはこの…「やまと」を祓いで統べていたお方だよ」

「うん、何と心強い事だろう」

「こっちに加勢に来いとは言わないんだね」

「それは直接「定め」を背負い込んだ者の役目だろ、キミメ様の手を患わせる事ではない」

「アンタ、畏れ多い奴かと思えばキチンと弁えても居る、不思議な奴じゃよ」

そこへ強い魔が飛び込んできて二人は散りつつ、梅の素早い一撃で
一瞬動きの止まった瞬間を八重が両断し、浄化する。

「礼儀くらいは弁えているさ」



夜中を過ぎ、追加の軍勢が来るようであればまた八重が屋根の上で淡女と
二方向分け合いつつ先ずは矢による迎撃をする。

この時はもう八重の弓は祓いで作られた物で、力を使う分二方向に限った。

「淡女、この激しい戦いで弓一つとはいえ、目立つ怪我もないとはやるね」

「沙緒理の祓いが良く通る、それだけだ」

「良い事だ、沙緒理、お前も無茶はするな」

「はい、でも、これを越えなくては折角手に入れた健やかな体も、
 家族も淡女さんも、何もかもを失ってしまいます!」

八重が微笑み、小皿に分けられた握り飯を頬張りながら

「離脱者無し、夕刻とそう変わらぬ調子で戦い続けられている事は喜ばしい」

また祓いの矢を二回射て、小皿に握り飯の追加を取りに戻る。
紗代が嵯峨丸の痛みを軽減している。

「どんな塩梅だい」

「少しずつ、子が出てきてはいるけれど、この子も初産だしまだ掛かるかな…」

「よし、それでもいいんだ、嵯峨丸、お前の戦いは今そこだ、
 勝つ以外に無い戦いだ、必ず勝て」

必死で頷く嵯峨丸の頭を一つ撫で、戦場に戻る。



「クソ…思うつぼだね…全てをここで終わらず勢いで加勢が来て
 魔王はまだ来ないと来たモンだ…流石に補給しつつとは言え
 一瞬で体力になってくれるわけでもない、そろそろキツいよ」

流石の梅も動きにキレがなくなってきて、屋根の上の淡女と沙緒理もまだ中級、
既にタフネスは限界だが、ここで折れてはならぬと命を削る勢いで戦い、
そして大丸も肉弾を挑むだけあり、怪我も多くなってきて
沙緒理や紗代の回復も追いつかない。

八重も汗一杯になって何とか立ち回っているが、中級や祓いではないベールの
フォローで動き回る分、余計に消耗も激しい。

夜明け前、流石に加勢も来なくなり鈍ったペースでも回せるくらいには為った。

「少しでも間が開いたら飯でも肉でも何でも食ってひと息でもいい、つけ!」

八重が指示を出しつつ、通りがかる鳥の群れ、
通りがかるウサギ以上の動物、それらも炎を込めた祓いの矢で
焼き殺し、火が通るの待つついでに放置して戦い、折を見て拾いに行っては
必要な分を切り落とし口にくわえつつ、残りを梅や屋根を軸にする三人、
そしてベールの元へ戦いながら持って行く。

その姿、鬼気迫っていた、どちらが魔か判らぬほどに生と勝利に渇望したその姿、
淡女はその渇きは持たないが、その八重の姿からそうでもしなければ越えられないと
同じように口にくわえ喰らいつつ矢を射る。

大丸もそうだ、狼になっている分骨まで食らい尽くし大きく咆哮を上げ
また戦いに戻るのだ。

正義と悪とかいう戦いではない、これは生と死を分ける戦いなのだ。

そしてそんな時、地の底から流石に守りの強い四條院邸敷地内には
出られなかった物の、五六丈(15〜18m)はあるそれはやって来た、
…魔王!

「おいでなすったかい、正直アタシと八重側に来るとは思わなかったよ」

『迂闊に嵯峨丸の父とやらを殺せばお前達の事だ、心に燃料を与えかねない
 ならば先ずはお前達二人の始末で士気を下げるのが一手だろう』

「人の心の機微をヘンなところで利用しやがる、イヤな奴だよ、全く」

『む…、十条の祓いは何処だ!』

梅と魔王の会話の間に視界から消えた八重、
次の瞬間魔王は全身魔の鎧と刃という感じの腕をひるがえし八重の刃を受け止める!

「流石だ、後ろは取らせてくれないな…!」

「当たり前だ、手前が如き、片手でも充分だと言いたいが
 侮っては痛い目を見るやも知れん、全力で迎え撃とう!」

魔王が刀剣を抜き、その体の大きさに見合わぬ素早さと鋭さで八重に刃を振り下ろした!
八重が攻撃をある程度受け止めるが、桜の林の中に吹き飛ばされる!

あの八重ですら歯が立たない…!

それだけで周りの祓いは軽く絶望感に包まれる

『はっはっは…、方々で暴れ回ったとは言っても所詮その程度…!』

と言った頃、八重は魔王のホンの数尺手前まで迫っており、その手に
最大級の衝撃を込め、魔王の胸を打ち抜いた!

魔王が馬鹿な、と思いながら立ち揺らぐ、

「上の着物一枚斬ったくらいで勝ち誇るんじゃあないよ、
 私は四條院ほど豪快に範囲で守りが入れられ無いだけだ、天野ほど頑丈でないだけだ」

蹌踉めいて胸に隙が出来たところでそこへ大丸が突っ込む!
八重の衝撃は魔王の魔の鎧を削り、そしてそこへ正確に大丸が突っ込む、

『むぅう!』

浄化の光が散りつつも、それは致命打とは為らずに大丸は魔王の怒りの籠もった
拳にたたき落とされた、それは鎧でもあり刃でもある、大丸の血が吹き上がる!

「ああ…!」

陣痛と闘いながらもその様子を見てしまった嵯峨丸が思わず声を上げた。
魔王はその声に嵯峨丸を見て、近くに居た魔の味方を握りしめ

『お前ほどの奴なら結界に祓われつつも当たるくらいは出来よう』

そう言って、部下の筈のその魔を嵯峨丸の床へ投げつけた!

「不味い!」

八重も追いかけるのだが間に合わない!
その時、嵯峨丸の直感なのか、何かがその腕を動かしたのか、握りしめられた
手をかざし、その手を開くとそこには…

周囲の空気が大きくうねるように嵯峨丸のその手に集約され、そして
深い藍色の緩いが力強い波動が放たれた!

「ただの祈りの詞ではなかったのか…!」

八重も驚くが、阿拝とその家族の思いのこもったお守りからそれが放たれる!
投げつけられ、結界で浄化しつつはあったとは言え、その魔物を完全に押し返し
浄化しきる頃にはその勢いはまだ魔王に向かっていた!

流石の魔王も回避行動に慌てて移る物の…
八重は空を蹴り一直線に魔王へ!
淡女も、沙緒理も、紗代も、梅も大丸も「その一瞬」を逃さなかった!

祓いの集中砲火と大丸の体当たり、そして八重の太刀、全てが重なり
白い光となって魔王に喰らわされた!

怪我をしつつ、塀の上に降り立った大丸が

「やったか!」

魔王は左上半身を祓われ、そこにまだ居る物の明らかな勝機か!
続けて全員で攻撃を仕掛けた時、魔王はその剣で周辺の部下達を切り裂き
周囲に散らせ、全員の攻撃をそれで躱しつつ

『「思い」と言う物は厄介だ、お前達人間のその思いがひとたび我ら魔より
 大きくなれば人はあっという間に増える…しかし…!』

魔王は浄化され行く魔の障壁が消え去るより早く更にその剣を部下に次々と突き刺し
それらを魔の力で粉々にしつつ頭の上でその剣を回転させ、散らした魔の欠片を受けると…
その剣から魔の欠片を通して失った左上半身が戻って行く!

「そうか、その剣…、ただの武器じゃあないとは思ったが、そういう奥の手があるんだな」

この二撃で可成りの疲労感を帯びた八重が言うと梅も

「倒し掛けたと思っても撤退して直ぐさま回復して戻ってきた理由はそれか…」

『そうとも、梅…お前は食えた物では無いが…、今の我ならその力最大限に吸い取れよう!
 長い事ご苦労な事だったな! お前の祓いの面は毒だがお前の命の尻尾は
 我が握っている! 無理矢理にでも喰らうぞ!』

その巨大な剣が梅に迫る一瞬、避けようと思えばギリギリでも避けられるはずのそれ
梅は敢えて受けるつもりで居るようだ…!

「お婆さん!」「ばーちゃん!」

彼女の孫のような存在とも言える二人が声を上げ、大丸が思わず跳びだして行く!
だが大丸も疲労していて魔王の一振り、そしてその刃でもある鎧に弾かれ
もう可成りの深手となって吹き飛ばされ、部下が多数そこに待ち構え
大丸に集中攻撃を食らわせるが、そこで飛散した血はその魔を浄化に導き
怯ませたところで大丸の渾身の攻撃で一気に祓われる、だが剣が…!

壁向こうで剣が何か金属を折って何かに食い込む音、そして骨が断たれる音がする!

「!!!!!!!!!!!!」

全員が凍り付く中、その剣をその身に受け止めて居たのは八重だった…!
稜威雌でない方の刀はとうとう折れて、それを越えて体に食い込んだ剣、
左肩から腹の近くまで食い込んだそれ…、誰がどう見ても致死量だろうという血の飛散!

「…ああ…、でかい体してて今程良かったと思う事はないね…」

即死してもおかしくないその有様でも八重は生きていて、そして飛び散る血を
祓いで操り、そのほぼ全てを剣とそれを握る魔王の手首に付着させた!

『何をしている…! 今の弱り切ったお前の血程度では我もその剣も
 祓う事は決して敵うまいぞ…!』

口から大量の血を流しながらもそれも動く右手で剣に塗り込めるようにしながら
ズリズリとそのまま刃の根の部分まで体に食い込ませたまま歩んでくる。
八重はこの上ない喜びを感じるかのようにその口が笑った。

「…確かに…もう私の祓いは弱すぎてこんな手でお前を祓えるなんて
 思っては居ないさ…だが…ある意味こういう瞬間を待っていたんだ…
 ただ強いと言うだけでは…魔王には成れまい、何か奥の手があるはずだと…」

時が止まったようなその瞬間、もう八重は助からない、いや、即死でもおかしくない
「それでも」死の淵で踏みとどまり全身でその刀を受け止め支えつつ

「お前さん…今…、その剣…柄を握る指…ちょいとでも動かせるかい」

『何ぃ…!! 
 何だと! ただの祓いの一人を持ち上げる事も…上にも下にも押しも引けもしない…!』

「…血の結界…、今この剣は…それを握った手首に至るまでその血の及ぶ範囲…
 殆どだがな…私の命尽きるまで…力の強さに関係なくここに固定される…!」

力尽きそうな八重が、そこで力強く目を見開き、あらん限りの声を上げ

「そして皆、私の詞を聞け! 思いついては居たが、使う事のなかった詞を…!
 一人では使う意味の薄かったこの詞を…!」

最後の燃焼であるかの如く、八重のその青い祓いが強く沸き上がり、
そしてその詞の最後にこう言った。

「奮い立て…ッ!!!!」

青い波動が地域一帯に広がり、並の魔は吹き飛び、そして範囲内の全て
祓いを持たないベールですらもそれを受ける!

ただの身体能力向上ではない、その全て、祓いの力も底上げされる…!!

疲れ切った皆に再び…いや、短時間ならより強い祓いも出来よう!
八重はその生涯で詞の仕組みや効果も試し、自分でそれを作り出しても居た…!
屋根の上の二人はもう少しずつ積み重なる怪我とほぼ尽きた祓いだったが、
八重の後押しで再びその心を燃やし、

「沙緒理、お前の力、私にも貸してくれ…!
 この先お前が誰と共に生き、誰に恋をして、誰の子を産もうとそんな事は関係が無い
 ただ、私という祓いにお前の祓いが必要だ…!」

淡女の最高の一矢が放たれようとしているそれに気付いた魔王は流石に焦り
また周囲の配下を投げつけてくるのだが、それは沙緒理の強い守りで浄化される!

「私の大切な人は、貴女ですよ、淡女さん…!」

沙緒理は守りの壁を形成しつつ、その祓いの威力を淡女の矢に乗せる!
淡女の緑色の目の片方が淡く、片方が深くなり、ベールから嵯峨丸、そしてこの
沙緒理にも受け継がれた青い眼も片方が淡く、片方が深くなる、
八重の後押しの他に自らの力も一段上がった!

「いいぞ…私の命尽きるまでに…どうか…」

八重の息も絶え絶えな呟きに、その腰元の環頭太刀が引き抜かれる、

「八重、借りるぞ」



目の前のその人物、若い…自分より幾分若い、野性的でありつつ冷静な目、
自分より背は低いが、つんつるてんになってしまっている着物…
そしてその祓いの色は、紫…!

まずい、そう思った魔王は八重を潰そうと左手で襲いかかってくるのだが、
その女は見た事もないような紫の祓いで八重に向かってくる左手を
まるでフードプロセッサーで砕くが如く目にも留まらない太刀さばきで
斬った上で浄化させて行く!

そして跳び上がり、魔王に向かって環頭太刀を振るおうという一瞬、
魔王がそちらに気を取られた!
八重は本当に最後の力で

「稜威雌…、私の…左腕になって呉れ…!
 大丸! 嵯峨丸! そして皆!」

重傷の大丸が咆哮を上げ空を蹴り突進、しかも直線ではなく
所々で空を蹴り直し魔王を翻弄しながらの突進!
空を蹴るまで育ったか、
嵯峨丸も本来の自分の役目、子を産みながらでありつつも力を振り絞る、
その子からも力が伝わる、この子は、祓いだ…!
嵯峨丸が飛び詞を投げ、ほぼ同時に紗代もそれを後押しし、

そして屋根の上の二人の力が混ざった矢も一直線に魔王へ向かう!

「貰ったぞ…その一点…ッ!!」

八重が稜威雌を抜き、不自由な動きの中でもここぞ魔王を切り裂く線!
股から頭に掛けて稜威雌を振り上げ両断に導き、断面の弱った部分、
魔王の背中から胸に掛けて淡女と沙緒理、そして紗代の祓いが風穴を開け、
そしてその頭の兜を剥いでそこに大丸渾身の突進はその頭部を貫き、
それぞれの三つの祓いが重なった部分が白く光り弾け飛ぶ!

「判ってる、今アンタを倒してもアタシは解放されない
 アンタが勝とうが負けようがこの世の定め、決められた定めは変えられないのさ
 だが、アンタはもう散り際だ、アタシも長い眠りにつこう、
 いつかまた定めが巡る時までね…、さようならさ」

その若い女は梅…!!
残った部分を次々と物凄く早い太刀捌きで魔王を細切れにしつつそれぞれが祓われて行く!

いつの間にか夜が明けていて、とは言え山間のこの家は日が昇って少しした今、
日が差し込んできた、そんな中魔王は浄化し散って行く。

…と、同時に産声が上がる、勝利条件は完全に満たした。
もう魔が何を足掻こうとこの戦いは祓いの勝ちである。
屋根の上の二人も力が抜け、心身共に疲労で崩れ落ち屋根から落ちようとするところを
沙緒理は紗代が、淡女はベールが何とか庭先で受け止めた。

八重も体に食い込んだ剣の浄化と共に膝を突き、仰向けに倒れる。
人の姿に戻り、ボロボロの大丸が先ず八重に向かおうとするが、

「何やってるんだ…お前の来るのはこっちじゃあないだろ…」

大丸は少しやるせない表情で頭を下げ、体を引きずり参道を上がって行く。



「大丸さん、男の子ですよ」

急いで産湯に付けて産着を纏ったその子、色は浅黒いが開いていないながらも判る
その目は二人をそれぞれ片目ずつ受け継いでいる事を。

「この子…祓いも持っているよ、力を貸してくれたんだ」

「…そうか…良かった、オレ達は…生まれて受けた定めを…
 生きているウチに負った責任を…果たせたよな…これで…」

嵯峨丸が涙しながら頷いた、大丸も可成りのボロボロなのだ、
肉弾戦の祓いの宿命と言ってもいい。
増して最初の頃、魔王への突進では大丸の力が魔王に負けていて、
魔の集中攻撃も喰らった、八重譲りの戦法で自らの血しぶきも利用した祓い、
もう今居る誰も彼を救う事が出来る余力など無かった。

「八重さんは…何処へ行くんだろうな…俺は…俺は、少なくともお前の側に居る、
 …稜威雌さんの真似をしよう…俺は燃え尽きるが…その力は…
 お前の太刀に残り、お前と…子を守るよ…」

這って嵯峨丸の元へ近づく大丸、嵯峨丸も精一杯脇に置いておいた
八重馴染みの刀工から賜ったそれを握りしめ、大丸の方へ差し出す

「俺のもう一つの望み…子の名に澄江(すみのえ)…男でも女でもいいようにと
 思ったんだが…嵯峨丸…お前がホラ…それだし、その血を継ぐわけだから…
 少しくらい女っぽくでもいいだろ…へへ…」

母紗代が

「すみのえ、曰くに住吉三伸、大丸さんと、嵯峨丸と…もう一人は」

「…さぁ…ばーちゃんか…八重さんか…とにかくその線で…」

「判った、大丸、澄江、この子にその名を授けます…」

嵯峨丸が言うと、大丸は太刀を握りしめ

「俺はしばらく…止まる、だからお前が逝く時は…」

「判っているよ」

大丸の力が抜けて行き、その赤い祓いを持つ魂の力が太刀に宿り、大丸は果てた。

四條院邸が悲しみに沈む。



「有り難うよ、ああ…久しぶりに動いたよ、アタシもどこかで深く長い眠りにつこう」

「なんだい…もう…終わりかい」

梅は元の老婆に戻っていて、八重に環頭太刀を返そうとした、

「アンタの最後の力なんて僅かなもんだったろ」

「そう…だな…それ(環頭太刀)…持って行ってくれ…誰かの物であって欲しい」

「…そうかい、判ったよ、稜威雌は如何するんだい」

「いつか…また、定めが巡るというなら…
 そして…この世に命ある限り…無念の魂も尽きない、
 いつか生まれる十条の祓いに受け継ごう…これは…私と稜威雌の魂だ…
 そして巡り合わせがあるなら…いつかその環頭太刀とも再会しよう…」

「アンタは身一つで逝く気かい」

「いや…折れちまった野太刀を…私の亡骸と共に…そっちもそっちで
 …大事な物なんだからさ…お願いだ、あの墓の横に…本家でなく…」

「そうだね、稜威雌は本家に返すのかい、でも、アタシに頼むな
 アタシももう限界なんだ」

「…では…淡女と沙緒理に伝えてくれ…あの子達も一段上がった、
 最後の仕事としちゃ…上出来さ…
 私は…申し訳ないが十条八重としては…もう特に思い残しもないんだ…
 刀に取り憑くわけにもゆかない、誰かが稜威雌を手にしてこその刀なんだから…」

八重の目に光がなくなってゆく、空っぽになりつつある八重はそれでも

「私は…逝くべき場所に…逝くのだろう…なにかの…巡り合わせで…
 また…十条の…祓いとして生まれるかも…しれない
 …和の…少し外を…巡り…ながら、その…とき…」

盛りの桜の木々の中、先に終わってゆく桜の花びらが舞い散る中、満足そうに
もう殆ど魂の跡形もなく、何かが抜けていった、八重はここに命尽きた。
梅は環頭太刀を腰に差しながら、稜威雌を手に取る。
死んでも離さない勢いでいつでも握られていたそれは、するっと簡単に手に取れた。

「全く、罪な女だよね、稜威雌や、だがお前は神で八重は人、しょうがないのさ
 この理不尽を耐えて、刀神として以後持ち手を支えるんだね」

稜威雌は泣いていた、悲しみの余り、返事も出来なかった。
そして梅は鳥居の前に立ち

「おおい、誰か動ける者はおらんか、八重から最後の仕事だよ!」

ややもすると、嵯峨丸の父ベールが駆け下りてきて

「八重さんは…」

「死んだよ、あんなんで生きていられるわけ無いじゃあないか」

「梅さん、大丸も死んだよ、子の名は澄江…すみのえ、男の子だが大丸がそう名付けた」

梅はその言葉に物凄く胸が詰まった、だが

「子は元気で嵯峨丸も生きているんだろ、それならいいさ、しょうがないじゃあないか
 この刀を、妹とその片割れが起きたら渡しておきな、
 それを十条本家に持ち帰り、いつかまた現れるだろう持ち手が現れるまで
 何があっても、何があっても錆びさせたり埃を被らせたりするんじゃあないよ!」

「判りました…八重さん…」

ベールが外まで出て、八重の亡骸を背負った。

「思い入れがあるのかい」

「彼女とその師匠二人に、私は助けられて無事ここでの身分を保障されたのです
 彼女の師匠二人は、妻の両親でもあります、血縁も義理の親子関係も
 結んでおりませんが、言ってみれば彼女は私の姪のような人です、
 彼女にだけは私の故郷の事も話しました、そして嵯峨丸と大丸の師匠です
 これ以上の思い入れがありましょうか」

梅は深く納得し頷きつつ、折れた野太刀を拾い上げ鞘に戻し八重の腰に差してやり

「遺言だ、この折れた野太刀と一緒に馴染みの刀工の所へ葬ってやっておくれ」

ベールは頷いた、用事は終わった。
大丸の死に動揺はしつつ、少なくとも次は残せたのだ。
八重も死んだが、稜威雌は残った、いつかまた、巡り会う時があるのかも知れない
梅はそれだけを支えにどこかに去って行った。



阿拝とその家族は、八重の言うとおり桜の盛りが過ぎた頃に四條院家を訪れ
キミメ様から通達のあった「魔の侵攻」の本当の意味を知って、
そして大丸と八重が亡くなったことを悲しみ、澄江が生まれたことを祝った。



「頭ぁ、温泉が枯れましたぜ」

「…そうか、まぁ…それを一番楽しみにしていた八重殿も、今頃はもう」

刀工ではその時初めてある程度の事情を聞き、馴染みと苦楽をともにした
仲間を失ったことを悲しんだ。



その時、姐さんの弾いていた阮咸(げんかん・月琴の祖先的存在)の弦が切れた。
何かを悟り、姐さんは涙を一つこぼした。
これが生涯最後の涙だ、別れの言葉を聞けて良かったかも知れない、
それがなかったら、自分はイヤだと思っていた「ひたすら待つ身」に為っていただろう

「あんたは優しい子だよ、そして罪な女さ、八重、名前を教えて置いて良かった
 もう二度と本名を誰かに教える事もない、涙を見せる事もない
 けじめはあの時付いたんだ、八重…」

その時だけは、みささぎは八重を思い涙に暮れた。



刀工のその後は細々と続いたと思われるが、何しろ無銘を旨とした
あくまで戦の消耗品を作る刀鍛冶、何代か紡ぐ内に何かが変わっていったのか、
元々記録に残る物では無い事で嵯峨丸が時折訪れたらしいが詳しいことは判らない
一女の墓の直ぐ隣に八重も埋められたが、そこにはもう何も無い事も知っている。
ただ、空っぽでもそこに魂が宿っていた入れ物に敬意を表し、そうした。

澄江のその後は確かに四條院の血を引いているわけで線は細いが
大丸の血もあり嵯峨丸ほど女っぽくはなく、愛情深いが厳しい母のもと
成人して方々を巡る内に知り合った祓いの女性と恋に落ち、
そしてそれは阿拝の子であった。

嵯峨丸やその家族のその後は余り深くは判っていない、本家筋でもなく
京の代表でもなかったからだ。
ただ、上級になった門でしばらく二人とも体調を崩していた淡女と沙緒理が
十条本家に稜威雌と、八重の遺言と梅の忠告を届けた事は間違いが無い。
八重の遺体を運び埋葬にも立ち合い詞を手向けた。

姐さんのその後も判らない、その花宿も正確にどこにあったか
いつまでそこにあったのか、ひょっとしたら場所などを少しずつ改めながら
今でもどこかで営業しているのかいないのか、なにも判っていない。

何しろ、全ては七百年以上も前の話、余りに遠い昔の話だ。



Case:20 第十三幕 一巻の終わり。


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